* * *
幕が下がり、少ししてから案内された楽屋で、小姫はすっかり肩を強張らせていた。
廊下からは役者や裏方の声がひっきりなしに響いてくる。
衣装姿のまま、かつらだけを外した朔耶がにっこり微笑む。
「そんなに緊張しないでよ」
「えっと、あの、とっても素敵でした! なんというか、その、本当に……」
「ご招待ありがとうございました。見事な舞台に感服いたしました」
言葉がうまくまとまらない小姫の隣で、晋一朗がよどみなく挨拶を述べる。
自分の拙さが際立つ気がして、小姫はこっそり唇を尖らせた。
「来てくれてありが──じゃなかった。お越しいただき、誠にありがとうございます」
静かに頭を下げた朔耶の顔は、化粧を落としているのに少しも美しさが損なわれていない。
「あの……。話しづらかったら、無理に敬語でなくても──」
「いいの? 堅苦しいの苦手だから助かるよ。この前お屋敷に行ったとき、すっごい大豪邸だったからビビっちゃってさ」
ぱっと言葉遣いが砕けて、空気が軽くなる。
つい先ほどまで艶やかな女性を演じていた人間と、同一人物とは思えない。
思わず晋一朗のほうを見ると、彼は特に咎める様子もなく口を開いた。
「話がしやすいなら、そのままで構わない。こちらも気遣いなしで話をさせてもらう」
「ははっ。お兄さん、順応早いね。そっちが素かぁ」
おしとやかに笑う姿は可憐だが、快活に笑ういまの姿こそ、本来の朔耶なのだろう。
二人のやり取りを眺めながら、小姫も肩の力を抜いた。
「ひとつ確認したい。芝居の最中、妙な光を見なかったか?」
「見たよ。ほんの一瞬だったけど、演出とは違う小さな光が俺の前を横切った」
「ええっ⁉︎」
声をあげた小姫を、晋一朗が横目で眇める。
「おまえ、気付いてなかったのか」
「朔耶くんに夢中で……」
素直に口にすると、朔耶は一瞬きょとんとしたあと、くすりと笑った。
「嬉しいこと言ってくれるね。でも、婚約者の前でそんなこと言っていいの?」
「偽装なので大丈夫です」
「おい!」
「あっ……」
しまった、と慌てて口を押さえるが、時すでに遅し。
「へぇ?」
朔耶はにやりと笑って小姫と晋一朗を見比べると、可愛らしく小首をかしげた。
「その話、じっくり聞かせて?」
「すみません……」
縮こまる小姫の横で、晋一朗が短く息をつく。
「今のは忘れてくれ」
「無理でしょ。まぁ、この前の様子からして、なにかあるとは思ってたけど。他言はしないから安心してよ」
朔耶はあっさりと流してくれた。
そして、くるりと話題を元に戻す。
「それで、あの光がどうかしたの?」
「先日の一件に関わることだ」
晋一朗が、これまでの経緯を説明する。
小姫が妖精を逃がしたこと、保護するには従者の力が必要なこと。そして、朔耶を巻き込んでしまったこと。
小姫はがばっと頭を下げた。
「──なので、力を貸して欲しいんです!」
「いいよ」
拍子抜けするほどあっさりとした返事に、小姫は目を瞬かせた。
「信じてくれるの?」
「だって、実際に見てるし、翼も生えたし。それに、芝居小屋って不思議な出来事がつきものだからね。そういう話は慣れてるんだ」
朔耶がなんでもないことのように言った、そのとき。
ふわり──、と三人の間を縫うように、青白い光の玉が通りすぎた。息を呑む間もなく、それは壁をすり抜けて消えてしまう。
環が気にしていた気配は、この光のことだったのかもしれない。
「い、いまの……っ!」
「怪火──妖精だ。追うぞ!」
「待って、こっちのほうが近道だよ」
朔耶はがらりと楽屋の窓を開け放った。
「朔耶くん⁉︎ 待っ──」
小姫が言い終えるより早く、ひらりと着物の裾を翻して、朔耶は二階の窓から身を躍らせた。
「うそでしょ⁉︎」
慌てて窓に駆け寄ると、下から「うわっ⁉︎」と声があがり、どすんと音が響いた。
窓枠から身を乗り出すと、眼下に朔耶を抱きとめた環の姿が見えた。
「──たま兄!」
尻餅をついているが、二人とも怪我はなさそうだ。
環はなにが起こったのか分からない様子で、腕の中の朔耶を見下ろしている。
朔耶がけろりと言い放った。
「天女が降ってきたかと思った?」
「……状況をご説明いただけますか?」
環は眉をしかめながらも、腕の中の朔耶をしっかりと支えている。
ほっとする小姫に、晋一朗が言った。
「おまえは真似するなよ」
「しません‼︎」
どれだけじゃじゃ馬だと思われているのか。
むっとして言い返しながら、小姫は怪火の行方を探した。
視界の端で、ふっと青白い光が揺れる。光の玉は、路地の奥へすべるように消えていった。
小姫は指を差して、地上の朔耶に呼びかける。
「朔耶くん、あっち!」
「分かった! ほら、行くよ!」
ひょいと立ち上がると、朔耶は環の腕を引いて駆け出した。環が「えっ⁉︎」と目を白黒させながら引き摺られていく。
「俺たちも行こう」
窓から顔を引っ込めると、いつの間にか晋一朗がすぐそばに立っていた。
小姫が飛び降りようとしたら、引き止めるつもりだったのかもしれない。
「階段から降りるからな」
「しつこい‼︎」
幕が下がり、少ししてから案内された楽屋で、小姫はすっかり肩を強張らせていた。
廊下からは役者や裏方の声がひっきりなしに響いてくる。
衣装姿のまま、かつらだけを外した朔耶がにっこり微笑む。
「そんなに緊張しないでよ」
「えっと、あの、とっても素敵でした! なんというか、その、本当に……」
「ご招待ありがとうございました。見事な舞台に感服いたしました」
言葉がうまくまとまらない小姫の隣で、晋一朗がよどみなく挨拶を述べる。
自分の拙さが際立つ気がして、小姫はこっそり唇を尖らせた。
「来てくれてありが──じゃなかった。お越しいただき、誠にありがとうございます」
静かに頭を下げた朔耶の顔は、化粧を落としているのに少しも美しさが損なわれていない。
「あの……。話しづらかったら、無理に敬語でなくても──」
「いいの? 堅苦しいの苦手だから助かるよ。この前お屋敷に行ったとき、すっごい大豪邸だったからビビっちゃってさ」
ぱっと言葉遣いが砕けて、空気が軽くなる。
つい先ほどまで艶やかな女性を演じていた人間と、同一人物とは思えない。
思わず晋一朗のほうを見ると、彼は特に咎める様子もなく口を開いた。
「話がしやすいなら、そのままで構わない。こちらも気遣いなしで話をさせてもらう」
「ははっ。お兄さん、順応早いね。そっちが素かぁ」
おしとやかに笑う姿は可憐だが、快活に笑ういまの姿こそ、本来の朔耶なのだろう。
二人のやり取りを眺めながら、小姫も肩の力を抜いた。
「ひとつ確認したい。芝居の最中、妙な光を見なかったか?」
「見たよ。ほんの一瞬だったけど、演出とは違う小さな光が俺の前を横切った」
「ええっ⁉︎」
声をあげた小姫を、晋一朗が横目で眇める。
「おまえ、気付いてなかったのか」
「朔耶くんに夢中で……」
素直に口にすると、朔耶は一瞬きょとんとしたあと、くすりと笑った。
「嬉しいこと言ってくれるね。でも、婚約者の前でそんなこと言っていいの?」
「偽装なので大丈夫です」
「おい!」
「あっ……」
しまった、と慌てて口を押さえるが、時すでに遅し。
「へぇ?」
朔耶はにやりと笑って小姫と晋一朗を見比べると、可愛らしく小首をかしげた。
「その話、じっくり聞かせて?」
「すみません……」
縮こまる小姫の横で、晋一朗が短く息をつく。
「今のは忘れてくれ」
「無理でしょ。まぁ、この前の様子からして、なにかあるとは思ってたけど。他言はしないから安心してよ」
朔耶はあっさりと流してくれた。
そして、くるりと話題を元に戻す。
「それで、あの光がどうかしたの?」
「先日の一件に関わることだ」
晋一朗が、これまでの経緯を説明する。
小姫が妖精を逃がしたこと、保護するには従者の力が必要なこと。そして、朔耶を巻き込んでしまったこと。
小姫はがばっと頭を下げた。
「──なので、力を貸して欲しいんです!」
「いいよ」
拍子抜けするほどあっさりとした返事に、小姫は目を瞬かせた。
「信じてくれるの?」
「だって、実際に見てるし、翼も生えたし。それに、芝居小屋って不思議な出来事がつきものだからね。そういう話は慣れてるんだ」
朔耶がなんでもないことのように言った、そのとき。
ふわり──、と三人の間を縫うように、青白い光の玉が通りすぎた。息を呑む間もなく、それは壁をすり抜けて消えてしまう。
環が気にしていた気配は、この光のことだったのかもしれない。
「い、いまの……っ!」
「怪火──妖精だ。追うぞ!」
「待って、こっちのほうが近道だよ」
朔耶はがらりと楽屋の窓を開け放った。
「朔耶くん⁉︎ 待っ──」
小姫が言い終えるより早く、ひらりと着物の裾を翻して、朔耶は二階の窓から身を躍らせた。
「うそでしょ⁉︎」
慌てて窓に駆け寄ると、下から「うわっ⁉︎」と声があがり、どすんと音が響いた。
窓枠から身を乗り出すと、眼下に朔耶を抱きとめた環の姿が見えた。
「──たま兄!」
尻餅をついているが、二人とも怪我はなさそうだ。
環はなにが起こったのか分からない様子で、腕の中の朔耶を見下ろしている。
朔耶がけろりと言い放った。
「天女が降ってきたかと思った?」
「……状況をご説明いただけますか?」
環は眉をしかめながらも、腕の中の朔耶をしっかりと支えている。
ほっとする小姫に、晋一朗が言った。
「おまえは真似するなよ」
「しません‼︎」
どれだけじゃじゃ馬だと思われているのか。
むっとして言い返しながら、小姫は怪火の行方を探した。
視界の端で、ふっと青白い光が揺れる。光の玉は、路地の奥へすべるように消えていった。
小姫は指を差して、地上の朔耶に呼びかける。
「朔耶くん、あっち!」
「分かった! ほら、行くよ!」
ひょいと立ち上がると、朔耶は環の腕を引いて駆け出した。環が「えっ⁉︎」と目を白黒させながら引き摺られていく。
「俺たちも行こう」
窓から顔を引っ込めると、いつの間にか晋一朗がすぐそばに立っていた。
小姫が飛び降りようとしたら、引き止めるつもりだったのかもしれない。
「階段から降りるからな」
「しつこい‼︎」
