見失うばかりの僕ら

 地震はいつ起こるかわからないと聞く。
 だから、人はハザードマップや避難場所を覚えておく必要があると先生が教える。
 この地域は、山が近いから山を登って走ればいい。
 それ以上に教わることなどない。
 ぼーっと聞き流す先生の授業。LHRの時間でわざわざ学ぶのは浜松だけなのだろうかと疑問を抱く。
 他の県でも危ないところは危ないと聞く。
 あの三大都市である大阪も南海トラフ大震災の災害地域になると予見されている。
「親が心配するだろうから一七一を使って親の電話番号に連絡するように」
 まぁそんなこと言っても落ち着くまでは連絡するよりも先に逃げるべきだと続けた。
 実際にやってみようということで、一番前の窓側の席でぼーっとしている鈴木雅也の連絡先を打ち込む。
「好きだよ」
 なんてことを小声で録音して送る。
 廊下側の一番後ろの私から鈴木の動きはよく見える。
 鈴木がスマホを見て訝しむように画面を見ている。
 黒板を見て、一七一の災害用を確認して私に顔を向け睨みを効かす。
 気づいてくれたみたい。ウインクで返すと彼はため息をついて前を向いた。
 録音は聞いてくれないみたいだ。
 クラスメイトも新しいことにワイワイと楽しんでいる様子。
「じゃあ、まぁ、親の電話番号も覚えるようにな。親が心配するだろうし」
 チャイムがなって授業は終わり。
 席を立ち、鈴木の元に向かう。
「ねぇねぇ、電話聞いてくれた?」
「電話?聞いてないけど。あれ、空電話でしょ」
「違うよ」
「何言ってんだか」
「ねぇ、聞いて」
「嫌だね」
「なんで?」
「めんどい。さっさと帰りたいし」
「とか言って、海でも行くんでしょ?」
「……死にてぇ」
 彼の口癖だ。
 死にたいなんて思ってないくせに、死にて、とか死にたいとか軽いジョークのように使う。
 それに怒るのはいつも私ではなくて。
「お前もうそれやめなよ」
 隣にいる柊佑だ。
「柊さ、そんな間に受けて生きてたら、疲れちゃうぜ?」
「マジで」
「冗談が通じないお人だなぁ」
 ツンツンと腕に指を当てる鈴木は、いつも会話をするときは楽しそう。
「まぁ、いいや。今日部活は?行くの?」
「行かね。めんどい」
 めんどいも口癖かもしれない。
 SHRのチャイムがなって席に戻る。
 この時間は短くてちょっと会話したら終わりだ。
 鈴木と話す時間を多く取りたい。それができないのは、彼がSHR後すぐに教室を出てしまうからだ。
 自由人と言った方が彼らしく感じるだろうか。
 柊と同じ部活なのに彼は行きたい時に部活に行っている。毎日参加の部活で部員はあまりいい目で見ていないらしい。
 そんな彼が顧問に怒られないのは部活での実績があるからだ。
 優勝して学校に貢献している彼を怒れる人はいない。
 大目に見ているのだ。
 私や柊はそんなふうに結果を残していないから部活に行く。
 写真部の私は短い時間だけど部活に参加して、帰りが合えば柊と帰る。
 できれば、鈴木と帰りたいけれど、部活がある日も最後まで残らずパッと切り上げて帰ってしまう。
 テストもしっかり結果を出しているので、優秀ではあるけれど。
「どうにかならないかなぁ」
 今日も帰りの合った柊に文句を垂れる。
「自由人がどうにかなってたら今頃優等生なのにな」
 彼のことを鈴木と呼ぶのは鈴木がいる前だけだ。
 いないときはいつも自由人なんてあだ名でみんな言う。
「チヤホヤされてただろうな」
「……」
「雨宮は嫌だろ、そうなったら」
 彼は私の気持ちに気づいている。
 気づいていて私といるのは友情からだろうか。
「モヤモヤしちゃうかも。今の彼を見てるからさ。優等生になんかなっちゃったら。このままでいてほしいけど、それだと話せないから……」
「早めに伝えたら?」
「でも」
「後で好きになってくれるかもしれない」
「あの自由人が?他の女に行ったらどうするの?」
「怒んなよ、まだ何も決まってない」
「……怒ってないし」
 図星なだけに間を開けてしまった。
 スマホでインスタをチェックする。
 初期設定のままストーリーも載せない鈴木のプロフィール。
 海が好きなら海のストーリーでも載せればいいのに。
 無理やり作らせた私が言えることではなかった。
 一度提案をしてみた。けれど、彼は載せるために行ってないからと断った。
 なんだかそれ以上に踏み込んではいけない予感がして二の足を踏んだ。
 じゃ、帰るわ、なんて軽口で歩を進め、私を置いていった彼。
 自由人は、私に興味なんかないらしい。
 振り向いてくれる気がしない。
 触れる前に遠くに行ってしまいそうで、触ることも伝えることもできないまま。
「ほらみて」
 位置情報アプリの彼は圏外なのかアイコンは学校のまま止まっている。
「距離を置かれているのに、どうやって伝えるのさ」
 位置情報アプリも入れて入れてと懇願してやっと入れてくれた。
 だけど、放課後になると大抵は圏外なのか止まったまま。
 最寄りに向かう電車がきて、柊と乗る。向かい合う席で話を続ける。
 電車は発進した。
「もしさ、地震が来て津波なんて起きたら、彼は本当に死ぬのかな」
「縁起でもない」
 外に視線を逸らす彼。
「だって」
「どうせ、死にたいなんて嘘だろ」
「でも」
「本当に死にたいのなら、死にたい奴が死にたいっていうと思うか?」
「それは……」
 軽口叩いて人と楽しそうに話す彼が死にたいようには見えない。
「でも、だったら、死にたいって言わない人は死にたいってこと?」
「……」
 彼は何か隠すように外の景色を見やる。
 そこには浜名湖の景色が見えている。
 夕暮れの湖は日の明るさを反射してとても綺麗だ。
「津波が来て、逃げなかったら、死にたかったことの立証だな」
「ねぇ」
 言い方に棘があるように見えて、止めた。
 彼は普段そんな棘のある言い方をしない。
「センシティブな話を始めたのは、雨宮だろ」
「でもさ」
「今日の授業、いつ起こるかわからないって言って、園児の時から避難訓練してきただろ。防災意識とか言って、ダラダラやってる奴らばっかり。またやるのかよってふざけてるやつも多い。そんな中で、いざって時が来たらみんな逃げられると思うか」
「……」
「死ぬんだよ。この街の人間は。浜名湖だって荒れるかもな。この電車に乗ってる人も飲み込まれるかもな」
「……」
「それでもみんな逃げるんだよ。死にたいなんて言ってる奴らでも結局のところ逃げる。そんな死に方はしたくないなんて言って」
「……柊も鈴木もちゃんと逃げる?」
「あぁ、逃げるよ。僕もあの自由人も。どうせ、死にたい奴なんていない」
 目が合って、顔を逸らす彼に隠していることがあるんじゃないかと思えた私は、神経質なのだろうか。
「本気で言ってくれてるんだよね?」
「あぁ」
 それでも目が合わないことに一抹の不安を覚えた。
「あの自由人は、逃げるよ絶対に」
 どこか含みのある言葉。彼らが仲良くなった理由を私は知らない。
 高校二年生になった頃にはもう仲が良かった覚えがある。
 というか、一緒にいる時間が長いだけで仲がいいというのは違うのかもしれない。
 一つ先の駅の私は電車から降りる。
 空気を重くしたのは私のせいだ。
 明日謝らないとと決めた。

 翌日、鈴木はクラスの男子生徒とゲラゲラと笑っていた。
 とても愉快そうに楽しそうに。
 話しかけに行きたかったが、授業が始まってしまう。
 やはりSHRの前の五分を使う以外に話しかける方法はない。
 六限目の授業が終わりすぐに彼の前に立つ。
「昨日の電話聞いた?」
「え、あれまじでなんか言ってるの?」
「そりゃあそうだよ。じゃなきゃ、聞かない」
「えぇ、めんどい」
「じゃあ、今聞いてよ。時間あるじゃん」
「短いしいいや」
「ええええええ」
 わざと大声を出すと彼は私の口を塞いだ。
「わかった。聞く聞くから」
「本当?」
 キラキラ輝かせているだろう私の目を彼は一切見ない。
「てか、なんで毎日この時間に来るわけ?少しくらい帰る準備しなよ」
「持ち物なんて基本弁当くらいじゃん」
「置き勉してんのかよ」
「弁当は持ち帰ってる!」
「違う違う。そうじゃない」
 頬を膨らませた私に一切目を合わせない。
 興味がないから距離を置いているんだろうか。
 へー、興味ないんだー。へー。
「教材は?」
「いらない」
「持ち帰って勉強は?」
「しない。だから、テスト期間は教えてね。優等生」
「全く優等生じゃないんだけど」
「知ってる」
「死にて」
 チャイムがなる。
 無理やり会話を終わらせるために雑に死にてとか言ったような気がするけれど、気のせいだろうか。
 目が合わない理由を知りたい。女子への耐性がない?否、私に興味がないだけだ。
 他の女の子とは目を合わせている。
 私が可愛くないからだろうか。いや、彼のタイプではない子と目を合わせている。これも違う。
 ジトっと睨みつけてみるけれど、彼には無力だ。反応がない。ぼーっと外を見ているだけ。
 SHRが終わり、また今日もすぐに帰ってしまった彼。
 柊が学校の近くの駅で電車を待っていた。今日は部活がないらしい。
「ん、どうぞ」
 すぐそこの自販機で買ってきたお茶を彼に渡す。
「なんの真似?」
 柊は、私と違って両手が空いているのになかなか受け取ろうとしない。
「昨日のお詫び」
「別に怒ってないんだけど」
「怒ってるじゃんその言い方」
「……ありがと」
 ようやく手にしたペットボトルのキャップを取りお茶を飲む彼。
 蓋を閉めると彼は口を開いた。
「雨宮もすげぇ真面目だよな」
 秋も近づき、微風が髪を乱す。
「謝るのに、これ用意しちゃってさ」
「私は真面目じゃないよ」
「真面目だよ。僕もよく言われる。似たもの同士だよな」
「何?私に気があるの?」
 試す口で言うと彼は軽く笑う。
 首を横に振ってから、私を見る。目が合った。
「死にたい奴は人に好意を寄せないよ」
「自由人の話はしてないんですけど」
「どうかな。でも、今日はよく話せてたじゃん」
「少しだけだよ」
 いつの間にか彼が主導権を握っていた。
 空気は昨日より軽くなっていた。
「そうかな。すごく楽しそうだったじゃん」
「楽しくないよ。もっと喋りたい」
「喋っておかないと損しちゃうかもね」
「やだー、もっと喋りたい」
 口を開けて笑う彼。
「そうだ、私が素直に鈴木に告白したらさ、柊も隠していること教えてよ」
「隠してること?」
 首にかけているヘッドホンに触れる柊の指に触れる。
「ヘッドホン、最初の頃はつけてなかったよね。ヘッドホンを買った理由でもいいよ」
「あぁ、音がいいからかな」
 そう言う彼は、私と会う前からヘッドホンを肩にかけていた。
 登下校も全部、最近はかけている。
 それ以上踏み込まなくてもいいかと思い、話を変える。
「進路どうする?」
「自由人に似てきたな。話題の変え方が雑だよ」
「じゃあ、もっと踏み込んでもいい?」
 そうやって、もう一度試すと彼はヘッドホンを外してカバンにしまう。
「この状態で僕が何か隠していることがあると思う?」
「……ないね」
 てっきりキスマや首を掻いたの跡があるのかと思っていた。
 そんなものはなかった。
「その勘、自由人に使えるといいね」
 なんてアドバイスをされるものだから、イラッとして腕を小突いた。
「私たち頭のいい学校じゃないんだから、探偵なんて無理だよ」
「そうだな」
 妙に納得されていることも許せなくて、また彼の腕を小突いた。

 そんなある日の休日、鈴木の位置情報アプリが動いていた。
 弁天島の近くの海にいる。家からは遠いけれど母に車を出してもらえればすぐに着く。
 母に頼み込んで車を出してもらった。
 どうしてそんなことをしたのかよく覚えてない。
 ただ、駆り立てるように何故だか必死だった。
 焦る気持ちとは裏腹に心ここにあらずといった気持ち。
 海について必死に走って彼の元に向かう。
 そこには海をただ眺めるだけの鈴木の姿があった。
「ねぇ、何してるの。帰ろ」
 私は、どうしてそんなことを言ったのだろう。
 鈴木は、いつも通り私をみてくれない。
「怖く、ないの?あの授業受けて、津波が来たらって考えたら」
「それでもここに来るよ」
「なんで……」
「なんでだろう。満たされていくんだ。この海の音、匂い、色」
「……色?」
「いつも違うんだ。夕暮れに行くけどさ。怖くなるほど暗い日もあれば、澄んだような明るさ。青い時も赤い時も、橙の時も」
「橙……」
 私たちに近づく足音。
「それ、黄昏って言うんだろ」
 振り返れば、柊がいた。
「柊も来てんだ」
「俺も位置情報アプリ入ってるし、鈴木と繋がってる」
「あぁ、だから来たのか」
 普段圏外にしていると言うのに、今日だけ反応がある。
 何か珍しい気がしてきただけ。
「この景色、確かに毎日見たくなるよな」
「お、わかる?」
 軽口を叩くように彼は飛び起きて、柊の肩を叩く。
「浜名湖の景色しか見てないから。これもいいな」
「だろ」
「てか、なんで今日、圏外設定にしなかったの?」
 嬉しいはずなのに聞きたいことを聞かないといけないように思った。
「特に理由はないけど。え、何、毎日監視してんの?」
「監視じゃないし!」
 反射的に否定する。
 毎日見ていたことは否定できないけれど。
「まぁ、なんていうか、たまには設定解除しとくかと思って。特に理由はないよ」
 せっかくだし遊ぶか?と彼は続ける。
「いいね、やるか」
 柊も私も乗っかった。
 だけど、鈴木が真っ先にやったのは海に突っ込むことだった。
「えぇ!?」
 驚いていると柊は私の腕を掴んで海に飛び込む。
「ぎゃあ!!」
 口の中に海水が入ってしょっぱい。
「うわぁぁ!」
 学校で見せるみたいに鈴木は愉快そうに笑う。
「やったなあ!!」
 子供みたいにバシャバシャと鈴木に水をかける。
「うわ、おい!」
 彼も口に水が入ったのだろう、舌を出して塩っぱそうな顔をする。
「柊、全然、水かかってねぇじゃんか!」
 首を掴んで膝をかくんと落とされ、尻餅をつく柊。
「おっしゃあ!みろ、ばーか」
 子供のようにはしゃぐ私たち以外に大人も子供もいない。
 思う存分、騒ぎまくる。
 着替えがないことを後で笑い飛ばして。
 こんなふうにはしゃいだのはいつぶりだろう。
 もう一生こんなことは起きないんじゃないかと思うほど、充実していた。
 心は満たされていた。
 もっと三人でいる時間が続いて欲しいと、思った。
 びしょびしょのまま砂浜に座り込む。
「明日は仲良く三人で休もうね」
 なんて私が言うと鈴木は愉快そうに笑った。
「月曜なのマジで恨む」と、柊。
「ずっといたいな……。この海眺めて、三人で……」
 鈴木の顔を覗くと空虚な目を海に向けていた。
 どうして、こんなにも楽しい時間にそんな目ができるのだろう。
「死にたいって……、本気で思ってる……」
 彼の冷たい手に触れる。本当に遠くに行ってしまう前に、しっかりと捕まえておきたかった。
「ねぇ……」
「……死ぬんだよ、みんな」
 柊と同じようなことを言って彼は立ち上がる。
「帰ろうか……」
 柊が何か問う。
 そんな問いに耳を傾けず歩を進めてしまう。
 柊の隣で、私は首を横にふる。
 先に行く鈴木とそこに残る私たち。
 震える私の背中を摩ってくれる柊。
 海に入ったせいで寒くなっているのか、どうしても遠くに行く彼が悲しくて震えているのか、わからない。
「死にたいって、ただの口癖で……、生きていたいんじゃないの……」
 柊が言った言葉だ。
 訴えようにも届かない。
 もどかしいなんてものじゃない。
 自由に見えた人が何かに縛られている姿は苦しい。
 好きって気持ちを言わせないようにしている様子が悲しい。
「ごめん……、泣きたいわけじゃなくて……」
 ただ寒くて震えているだけだと柊に伝えたい。
 だけど、彼は言葉を発しない。
 代わりに薄い上着を被せてくれた。
 なんの寒さ対策にならないけれど、その優しさが温かかった。

 月曜日、柊は風邪で休むと朝のSHRで先生が伝えた。
 あのあと大雨が降ったのも原因だろう。季節外れの大雨は少し長引いている。
 今日も曇りだ。通り雨でも降るかもしれない。
 対角線の先の窓側の鈴木はいつも通り学校に来ている。
 先に帰っただけあって風邪引く前に風呂にでも浸かったのだろう。
 びしょ濡れで帰った私は母に車が濡れちゃうじゃない!と怒られた。
 柊もまた怒られたらしい。インスタのDMで聞いた。
 部活で使うパソコン室でこれまで撮ってきた写真を学校用のパソコンに転送する。
 そろそろ第二回の写真コンテストがある。
 県大会なんかもあるらしいけれど、興味がないのでそちらには参加しない。
 写真を並べて何を出そうか考える。
 パッといい写真が見つからない。
 前撮った時は、この写真がいいと思うものはあった。
 今見ると全くそうは思えない。
 何が良くて良いと思えたのだろう。
 これではまるで。
「記念写真みたいだな」
 隣に座っていた鈴木に驚く。
 静かに作業するみんなの前で大きな声が出なくて良かったと安堵する。
「何してんの?」
「こっちのセリフ。なんできたの?部活は?」
「サボる。な、柊の見舞いに行かね?」
「え?」
「あいつ、昨日のアレで体調崩したらしいじゃん?なんか品でも持ってけば、機嫌良くなるだろ」
「適当な」
「あいつの最寄りって都筑駅だろ?ちょっと良い場所知ってるんだ、今から行くぞ」
 有無言わせずに私の腕を引っ張る。
 スマホで時間を確認しているあたり、電車時間も調べたらしい。
 荷物をとって、一眼レフも肩にかける。
 電車に乗り、座らずに扉の前で立ったまま。
「座らないの?」
「めんどい」
「……」
 カメラ用の道具は重いし、座りたいのだけど。
「カメラ肩にかけてると写真部って感じがするな」
「当然、写真部ですから」
「そうだよな」
「普段はどう見えてるわけ?」
「普段?特に考えたことないな」
 興味がないと言うわけらしい。
「へー」
 雑に返すと鈴木は私の顔を覗かせる。
「ちょっと怒ってる?」
「怒ってないし!」
 ぺシンっと彼の腕を叩く。
「怒ってんじゃん」
「怒ってない!ていうか、このへん近所じゃないでしょ?」
 彼の家は高丘の方で電車がないので、遅くなったらバスで帰ったりするらしい。
「うん、また戻ってくるだけだし、最悪親でも呼ぼうかな」
「……」
「良くないって?良いじゃん別に」
 そうこう言っていると柊の最寄りである都筑駅に到着した。
 けれど、彼は降りようとしなかった。
「ここじゃないの?」
「もう一つ先の駅にあるんだよ」
 お見舞いよりも先に都築神社と言う場所に行きたいらしい。
 隣の駅に着いて少し歩くと神社に向かう階段が見えた。
 これを上りきると神社があるらしい。
「長くない?これ、あの坂から行った方が絶対楽じゃん」
 文句を言うと彼は、いつも通りの笑みを浮かべる。
「案外階段のほうが楽なんだよ。それに、こう言う場所ズルしたくないしね」
「妙に真面目だ」
 それに返すことはなかった。
 見えてきた神社。振り返るとその先には青い景色が広がっていた。
「ここなら良い写真撮れるんじゃない?」
 彼の声にハッとして肩にかけていたカメラを起動する。
 神社を撮って、その左を行ったところから見える景色を撮る。
 浜名湖が見えて、見栄えのいい建物も含めて、気分が良かった。
「ねぇねぇ、なんでこの場所知ってるの?学校で話題にならなくない?」
「ならないね」
「なんで知ってるの?」
「今度答えようかな」
 それよりも今はいい写真を撮ったら?と彼は促してくる。
 絶妙にそらしてくるのは何故だろう。
 訝しむ私に興味すらないのか階段に座る。
 隣に座りたかったけれど、彼が望んでいるのはいい写真を撮ることだ。
 それまでは待たせてしまうしかない。
 彼の後ろ姿はとても小さく見えて、怯えているように見えて、自由人らしくなかった。もっと背を伸ばしてたり胸を張っていたりするものだと思っていたから。
 だけど、それが絵になるからつい撮りたくなる。
 他の景色もたくさん撮って、満足した頃彼の右隣に座った。
「連れてきてくれてありがと」
「本当は夕暮れまで待ちたいんだけどな、お見舞いもあるし」
「待とうよ。ずっと、このまま」
「無理だよ、ほら」
 言葉に被せるように、彼の肩に頭を乗せた。
「離れていかないで」
「……それは」
「できるよ。絶対に。今だけでも、ここにいて」
「……」
「最近全然話せてないじゃん。少しくらいいいでしょ?」
 幼馴染で突然、親の引っ越しに伴い離れた関係が今こうやって高校で再開できたのだから。
 あの頃のように戯れあっていたい。頬を摘んできた当時のように彼がしてくれることはないのだけれど。
「一生このままがいい……」
 ボソッと彼の呟いた言葉に耳を疑った。
 彼を見やると左目から涙を流していた。
「どうしたの?何かあったの?」
「なんでもない。もう二人で会うこともないし、柊を入れた三人で会うこともない。これが最後だ」
「待ってよ……、別れみたいじゃん。また引っ越すの?」
「……」
 彼は階段を降りていく。
「ねぇ!」
 階段を駆け下り、彼の前で立ち止まる。
「どう言うこと?最後って何?」
「二人に何ができようと、もう変わらない。嘘はつかない」
「……言っている意味がわからない」
「だろ?ほら、あいつ待ってるし行こうぜ」
 あっけらかんと話を変えて、階段を下っていく。
 何ができようとはなんだろうか。何かできることが増えるのだろうか。その先で待ってる未来は変わらないと言うのだろうか。
 彼は、いつもみたいに笑ってる。愉快そうに。それが自由に見える。いつもの光景。
 それさえも私の前から消えて、柊の前からも消えるのだろうか。
「カバン持って!」
 彼の腹にぶつけるように鞄を預ける。
「痛ええ!」
「意味わかんないこと言った罰!言うこと聞いてね」
「めんどいんだけど」
 いつもの口癖。
 肩に掛け直す仕草を見るに彼は不愉快ではない様子。
 歩を進め、その先で彼が隣にいないことに気づく。
 歩まぬ彼に気づいたのは振り返った時だった。
 目が合うとハッとしたような我に帰った彼。
 一歩も動こうとせず足踏みをする彼に首を傾げる私。
「また、来ような……。ここ。なんか、願い事でも叶えてもらおう」
 神社に目を向ける彼の目は寂しそうで、もう終わりと言わんばかりの悲しさに溢れていた。
 後ろで強い風がなびく。
 前髪が揺れて目の前の彼を隠す。
 彼が一瞬見えなくなって、不安に襲われる。
 また遠くに行ってしまうのだろうか。
 親の離婚が原因で家を引っ越し、離れ離れになった彼とようやく再会できたと言うのに。
 風が止む。
 彼が泣いていたように見えたのは気のせいだろうか。
「願い、叶えてもらったの?」
 だから、泣いているの?
 けれど、被りを振って階段を降りる彼。
「叶えてもらったよ。もう十分かもしれないな」
 ならば、どうして被りを振ったのだろう。何に対して被りを振ったのだろう。
「今度、阿久津って女児に会う。その願いが叶ったのかもな」
 隣に立ち、ニッと笑う。
 そんな明るい話ではないことくらい私は理解していた。
「阿久津って、鈴木の父さんの苗字じゃ……」
「異母兄妹ってやつなのかな。会ってやれって」
「そっか、鈴木は仲が悪いわけじゃないもんね」
 何度か会っては、飯を共にする仲だと聞いている。
「めんどいけどね」
「うわ、でた」
「ほらいくぞ」
 彼の背中を追いかける。
 やはり彼は先に行く。追い越すことも追いつくこともできないかもしれない。
 だけど、一緒にいられるこの時間を大事にしたかった。この関係を大事にしたかった。
 この都築神社で私もその願いを叶えてもらおうかと考えたが、被りを振った。
 今この関係が続いているのならそれでいい気がしたからだ。
 彼の家に着くと母親が出てくれた。お見舞いの品を渡すと良かったらと家に入れてくれた。
 風は引いてきたみたいで勉強をしようと机に向かう彼を鈴木と二人で全力で止める。
 ベッドに無理やり寝かせて病人扱いすると柊は苛立っていた。
「せっかくきたんだから病人らしくしてくれ、めんどいな」
「そうだよ、あまりないシチュエーションなんだからさ」
 不平不満を柊にぶつける。
「この状況を楽しもうと思えるお前らが異常だよ。病院に行け」
「えぇ」
「そんなんなら死にてぇわ」
 鈴木の雑な死にてぇ発言に柊は枕をぶん投げた。
「お前、いつも言ってんじゃん、やめろって」
「そんな真面目に生きんなよ。死ぬぞ?」
「真面目に取り合ってないやつに言われたくない」
「うえぇ、死にてぇ」
「あのな」
 部屋をノックする音が聞こえて、一旦会話をやめる。
 柊の母がお見舞いの品で渡したはずのものが皿に置かれている。
 お見舞いの品で持ってきた地元の名物コッコだ。私が選び、鈴木が買ってくれた。
 すぐに柊の母は部屋を出た。
 膝立ちで写真をパシャパシャ撮る。
「思ったより可愛い、ね?」
 隣の鈴木に聞くと彼はスマホをいじっていた。
 腕をド突くと彼はため息をついた。
「いちいち可愛いかどうか聞いてくんなよ」
「怒ることないじゃん」
「怒ってない。可愛い可愛い。とても可愛い。満足か?」
 鈴木はヘイトを貯めるのが上手い。
 私や柊はそういう彼に怒りを感じるのだ。
 そんなに死にたいなら殺してやると、気持ちを改める。
 本気で彼の腕を殴る。刹那、彼はひょいと避けて空振った私はバランスを崩して床にうつ伏せで倒れた。
 痛みに泣きそうになる。
「人の家で暴れんなよ」
 鈴木があっけらかんという。
「それ僕のセリフな」
「セリフとかあんのかよ、めんどいな」
 私を無視して軽口を叩き合う彼らを睨みつける。
 彼らはスマホゲームで対戦を始めていた。
 ハブられた私は、コッコちゃんを愛でながら食べた。
 とても美味しい。
 一人満足そうな私と目があったのは鈴木だった。
 ニコッと微笑むとスマホを向けてパシャリと音が鳴る。カメラで撮ったのだ。
 盛れてない顔を撮るとはいい度胸だと思う。
 しかし、こんなタイミングでないと彼は私を撮ったりしない。
 写真フォルダを私でいっぱいにしてやろうとポーズを決める。
 彼は興味を失ったのかスマホゲームに戻った。
 仕返しをしてやろうと後ろから抱きつく。
「無視しないで」
 可愛く寂しそうにいう。
「人の家でいちゃつくなよ」と、柊。
「最近、鈴木が構ってくれない理由わかる?」
 ベッドに座る柊に問う。
「え、いや」
「私のことが嫌いだからだと思うんだよね」
 鈴木は私の体を乱暴に退かすとトイレに行くと出ていった。
 まるで逃げるようなしぐさ。
 高校生にもなって幼馴染を引き摺るような私に辟易しているのかもしれない。
 逃げれば追うしかないけれど、人の家でそんなことまでできない。
 柊の見舞いに来ていて、柊を一人にするのはいかがなものか。
「好きならちゃんと伝えたら?」
 柊が、鈴木のいなくなった部屋で静かにいう。
「でも」
「あいつ、なんか消えそうじゃん。死にたいとか本気じゃないって今まで思ってたけど……。ここ数週間変わってきてる」
「やっぱり、そう思う?」
 柊も同様に鈴木の変化に気づいていたらしい。
 今まで通りにふざけることが減って、悲しい顔をすることが増えて、その理由は奥底にしまっている。
 今日もまた泣いていた。
 滅多に泣かない人が泣いていた。どう声をかけてあげれば良かったのだろう。
 だけれど、重い空気を作りたくなくて少しおどけて見せる。
「ああいう、離れていく人を好きになるくらいなら、柊みたいに真面目な人を選ぼうかなぁ」
 彼の隣に座って上目遣いで彼の横顔を見る。王道のイケメン顔というべきか。
 鈴木はアイドルみたいな完璧すぎる顔立ち。好きフィルターでもかかっているのかもしれないけれど。
「僕は恋愛しないよ」
「なんで?」
「別れるから」
「……」
 彼が、鈴木の死にてぇ発言に怒るのは別れを経験しているからだろうか。誰かが死んで、もう経験したくないと。
 辺りを見渡す。質素で本もなければフィギュアもない。
 足元に何かがあるのが見えた。
 手に取ろうとすると柊がパッと奪い取って鞄に突っ込んだ。
 刹那に見えた。ロープだ。
 それをわざわざ隠そうとする心理にはきっと隠したい何かがあるわけで。
「焦りすぎじゃない?」
「人のもの勝手に手に取るべきじゃない」
「ごめん。でもさ」
 襟元からチラッと見えた赤い線。
「そのロープで首でも絞めたの?」
「……」
「形状が同じだから隠した?」
「……」
「ヘッドホンを耳に当てないで首にかけてるのは、カモフラージュ?」
「……」
「恋愛をしないっていうのは、こんな自分を知られたくないから?」
「……女の勘はうざいな」
 暗い空気にしたくないと乗っかっていく。
「女なので。可愛い子はうざいんだよ」
「自分で言うか?」
「よく言われるから」
「女子と馴染めなくて男と話してる方が楽って?」
「……」
 図星を突かれて目を逸らした。
 形勢逆転だ。
「あんまりお互い干渉し合わない方がいい」
 低く冷たい声で彼は告げる。
 私が女子と馴染めていないと気づいたのは、中学生の頃。
 環境が変化して、その期間に苗字を変える人、地元の内で引っ越した人。
 それをみんなが教えてくれることなんてなくて、だから気付けないまま地雷を踏んだ。
『ねぇ、なんでそんなズケズケと家庭の話してくるの?』
 そんな友達の問いにうまく答えられなかった。
 明らかな嫌悪感に気づく、敵視するような睨み。
 みんな、距離を置きたいようだった。
 それから一人だった。孤独だった。
 高校に入って、鈴木に苗字を変えた彼と廊下ですれ違った時、はしゃいだ。
 久々だね、なんて話して放課後にカフェで長々と話した。
 久しぶりに人と話してすごく楽しかった。
 そんな時、柊とも仲良くなった。
 女子と話さない私の嫌な噂を耳にしているはずなのに、彼は嫌がることもせず話してくれた。
 なのに、私は今、そんな彼を傷つけた。
 友達だからもっと知りたい。
 でもそれは、不快になる。
 友達という関係はこんなにも浅いもので、分かり合えないものだっただろうか。
 しかし、それ以上に嫌われたくないと。
「ごめん」
 謝ることしかできない。
 本当の気持ちを伝えれば、きっと私を嫌いになる。
 せっかくできた友達を失いたくない。
 明るいだけの私だと猫をかぶって生きる。
 誰かの脇役のまま生きていく。
 そう決めていたはずなのに、私には未だに上手く演じることができない。
 ただ可愛いだけの猫でいい。それだけでいい。
「愛嬌だけで生きてる君に、僕を理解できないよ」
 彼の追撃に反論したくなる。
 愛嬌を求めてきたのはみんなだと。
 やりたくてやってきたわけじゃない。
 だけど、いつの間にか抜けなくなったこの愛嬌を武器にしないと生きていけなかった。
 可愛い可愛いっていうから、アイドルみたいにキラキラの笑顔を見せた。
 泣いてる時だって、強い子だから、頑張れる子だから、もう大丈夫って言って笑って見せる。
 それをすれば、みんな安心した。
 迷惑のかからない子だと安堵していた。
 今の私は、迷惑人だ。
 扉の開く音が聞こえる。
 自由人が呆けている。
 どういう状況なのか気になるらしい。
「私帰るね」
「え、じゃあ、俺もいくわ」
「いいよ、私一人で」
「いや、俺、今日お前の家、泊まるから。親には連絡してるけど、聞いてない?」
「……え?」
「俺ら、帰るわ。明日絶対学校こいよ!病人!」
「おま」
 何か言いかけた柊の言葉を遮るように扉を閉める。
 親に礼を言って私と同じ電車に乗っている目の前の彼。
 人が少ないからか今度は座るらしい。
 だいぶ暗くなってしまったので、男の子が一人隣にいてくれるのはありがたい。
 最寄り駅で降りるとすぐに母に電話する。
 許可を出したと返事が来た。
 隣の彼を睨みつける。
 少し一人でいたい気分なのに、部屋にいられたら困る。
 というか、高校生の男女を部屋で二人きりにするというのはいかがなものか。
 食卓に座るとちゃんと三人分の食事が用意されていた。
 家族LINEには父が残業で遅くなると連絡が来ている。
 隣に用意されている食事は鈴木のものだ。
 普通に家に入って、普通に食事をとる。
 昔なら当たり前だったけれど、今の私たちの環境ではあり得ない話だ。
 そして。
「明日、休みなのにどうして学校こいって言ったの?」
 帰る前に柊に言った言葉。
 部活が一緒だからといって、鈴木は部活をサボり気味で部活の予定なんて気にしていないように見える。
 そんな彼がわざわざ伝えた理由はなんだろうか。
「明日、大会のメンバーが決まるんだ。だから、いてもらった方がいいかなって」
「そんなこと」
「俺が言えたことじゃないけど、明日は予定が入ってるんでね」
 最後まで言う前に彼は気楽な声でいう。
 そんな精神状態ではないはずだろうに、軽口のように言えるのは気持ちを紛らわすためなのかもしれない。
「でも、わざわざここにいる理由って」
「こっからの方が近いんだよ。三ヶ日って電車ですぐだろ?高丘より全然近い」
「自転車で行くよりはいいってことね」
「そゆこと」
 美味しそうにご飯を食べる彼の横顔を見て、まぁいいやと深くは考えないことにした。
 が、寝床が気になる。
 まさか同じ部屋で二人きりなんてことあり得ないだろう。
 では彼は、どこで寝ると言うのか。
 風呂上がりの格好なんてとても彼に見せられない。
「やっぱだめ!」
「どした?」
「どこで寝るつもり?風呂もどうするつもり?」
 早口に言うけれど、当の本人は気にしていない様子。
「一緒に寝る?風呂も」
「ばか!!」
 左腕を思いっきり叩くと彼は悶絶していた。
 今はそれどころではないと言うのに。
「別よ、今日、お父さんの部屋で寝てもらうからね」と、母が割り込む。
「承知」と、鈴木。
「なんだよかった」
 ほっとする私の顔をなんとも言えない顔で見ている鈴木と目があった。
「何?」
「あ、いや、高校生だし、気にするだろうって」
 目線を母に向ける鈴木に後から合わせる私。
 ウインクする母に感謝の瞳を送る。
 夕飯も風呂も終え、部屋に戻る。
 ラフな格好で鈴木と会うことはなかった。
 けれど、ノック音が聞こえて「だめ!」と声を出すと「わかってる」と優しい声が聞こえた。
 めんどいなんて言って部屋に入ってくるような人じゃない。
 本当は優しいのに、どうしてめんどいとか、死にてぇなんて言うようになってしまったのか。
 考えないようにしているけれど、やはり気になってしまう。
「明日さ、写真撮ってこいよ」
 そんな言葉に不思議さを感じて二の句を待つ。
「コンテストで出す写真、学校でも撮れそうなのあるしさ」
「余計なお世話だよ」
 今日撮れたので満足。そんなこと言えば、彼は勿体無いとか言うのだろうか。
「そうかも。でもさ、もっと見たいよ。何か感じれる写真」
「そんなこと言われたら、撮るしかないじゃん」
 簡単に釣られてしまっていいのだろうか。
 ドア越しに話す私たちは、きっと昔のような関係に戻っているのだろう。
 それだけは同じ気持ちであって欲しいなんて、思ってる。
「学校のさ、ちょっと坂登るところあるじゃん?そこからの景色とか最高だからさ」
 海だけでなく山も行っていたなんて驚きだ。
「そうなんだ。明日行ってみる」
「ありがと、楽しみにしてる」
「うん」
「おやすみ」
「……おやすみ」
 最後に思えてしまうこの会話。どこにも行かないでなんて言葉が出そうになって抑えた。
 どっか遠くに行こうとする彼に近づくことはできないのだろうか。
 彼にモヤっとすることばかり。
 いつか彼にときめいたあの頃の気持ちは、不安に変わってしまった。
 この先もずっとこのモヤっとする気持ちを抱えていかなきゃいけないのか。
 一抹の不安は消えないまま、次の日を迎えた。
 家を出るタイミングは同じだった。
 昼前の電車で先に三ヶ日に向かった彼。
 その十分後の電車に乗って学校に向かう。
 彼の言っていた坂道を登る。
 時刻十三時三分。
 突然の揺れにしゃがみ込む。
 感じたことのない激しい揺れに車でさえ動いてしまっている。
 スマホが嫌な音を立て始める。
 緊急地震速報。
 静岡の名が入っている。
 時間を使う暇も与えてはくれない。揺れが激しさを増していく。
 いつか習った『南海トラフ大震災』が、今来たんじゃないかと胸騒ぎがする。
 津波が来る。
 あの十数年前にテレビで目撃した家も人も車も全部を飲み込んで侵食していくあの悍ましい光景を思い出す。
 まさか、本当に……。
 再び速報が流れる。
 津波警報。
 揺れが治る。
 逃げなきゃ。
 全速力で走って逃げる。
 町内放送が騒がしい。
 家から出た子供や大人が必死に逃げている。
 ここまで津波が来ないかもしれない。
 しかし、川が氾濫した場合予想するのは不可能だ。
 そんなのを授業で習った。
 今日が雨じゃなくてよかったと思う。
 坂を登り切ると小学校が見えた。
 避難所だ。以前授業でやった。覚えてる。
 学校にいる間に地震が来たら坂の上にある学校に避難するようにと聞いている。
 坂を下ったところにある我が校はリスクが大きいと担任が教えてくれた。
 小学校の校舎につくとそこにいた人たちが屋上に向かうように呼びかける。きっと小学生の教師だ。
 今日が休みだったせいで、誰も知り合いを見れていない。
 ……柊。
 本当に学校に行っているのなら、ここまで全力で走ってくるはずだ。
 あの辺は、障害物がない。ましてやグラウンドならば落ち着いた今逃げれる。
 電話をかける。
 何度かけても繋がらない。
 屋上に到着するとそこにはスマホを耳に当てる人たちが多くいた。
 みんな電話をかけているんだ。だから、電波を拾ってくれない。
『171にかけるように』
 担任の言葉が鮮明に思い起こされる。
 恐怖が勝っているはずなのに意外と冷静なのかもしれない。
 柊に『171』を使って伝言を入れる。
「生きてたら連絡返して。どっかで落ち合お」
 死んでることなんて考えたくもなかった。
 誰も死んでほしくないから。
 連絡が返ってくることを信じて、スマホで緊急速報を見る。
 回線が混み合ってラグが発生している。無制限ギガのスマホでこうなるのだから、相当ここに人が集まってきているのだろうと予測する。
 位置情報アプリを開いてみる。ラグが発生している中ちゃんと起動してくれるかわからないけれど、不安を払拭したくて試した。
 電波が届きずらいためにカクカクに動きが固まっている。
 それでもこの近くにいる人たちは動いているみたい。
 ちゃんと逃げている。
 柊もまた逃げていた。
 そろそろこの辺に来る頃。
 右奥に見える浜名湖の景色。いつも見ていたはずのものが少しづつ変化していっている気がしてならない。
 もしかして、浜名湖さえも氾濫しているのだろうか。
 近くを通る川の波は荒くなっている。逆流しかねない勢い。
 そこに部活動着を着ている男子生徒が屋上へとやってきた。
 その後ろには柊の姿があった。
「柊!」
 目が合うと手を振ってくれる彼。
 駆け寄り、思いのままに体を預ける。
 すっぽりと埋まる私はこの時初めて怖いのだと知った。
 冷静であったけれど、今ではもう震えが止まらない。
 立っていられないほど。
 絶望がこの先待ち受けようとそれら全てから目を逸らしてしまいたいくらいなのに。
 人の悲鳴が聞こえてくる。
 助けてくれと枯れた声が届く。
「もう無理……」
 つぶやく声に彼は背中を摩ってくれた。
「鈴木から連絡がない。生きてんのかあいつ」
 そんな声に首を横に振った。
「位置情報アプリは動いてるけど。返信はないの」
「あいつ……」
「学校きてないの?」
「きてない。前に誰かと会うって聞いてたけど乗り気じゃないから行かないと思ってた」
 やはり阿久津って子に会いにいっているんだ。
 女児とは聞いている。
 腹違いの娘さん。
 このタイミングで会うなんて偶然なんだろうか。
 三ヶ日のほうは大丈夫だろうか。
 地形で言えば、山ばかりなので万が一津波が来ようとも逃げれるはず。
 ただ最近はここのところずっと雨。
 嫌な予感がする。変な胸騒ぎがして、落ち着かない。
「大丈夫、位置情報アプリが動いているから」
 言い聞かせるようにするけれど、ふと柊を見ると何やら考え込む様子。
 予想した言葉に言わないでと言うよりも早く彼は言ってしまう。
「普段動かさないものをわざわざ動くようにしたってことは、何かあったんじゃないか」
「……」
 あの時と一緒だ。
 海にいる鈴木が、なぜか位置情報アプリで位置を知らせた件。
 彼は、高校生になって初めて子供のようにはっちゃけた。
 三人でいるのが嬉しいような、それでいて、いつか人は死ぬのだと現実を見ているその様。
 何かの決意表明だったのか……。
 もう長くないというような意図。
 もしかして。
「あいつ」
「だめ!言わないで!それ以上は」
 必死な私に彼は口を閉じた。
 いつも、勘だけが鋭い。
 嫌な予感もよく当たる。
 ただの妄想が妄想でなくなる瞬間を見てきた。
 言ってほしくないけれど、それが答えであることを私は知った。同時に目の前の柊も察しがついた。
 けれど。
「そんな、予知なんてフィクションじゃないんだから……、ありえないだろ」
 彼は、信じきれないみたい。
 私も同じだった。
「今のこの悲惨な状況を知ってたなら、大事にしていれば」
 多くの人は助かったのかもしれないと、思った。しかし。
「大事にしたとして、信じるとは思えないよ。一人一人にいうなんて無理だよ」
 未だ冷静な私は、柊の言葉に賛同できなかった。
「ここに波が来るとは思えないけど」
 刹那、スマホのブザーがなる。緊急時になるそれは三ヶ日のほうで土砂崩れがあったという速報。
 農業が盛んな地域で起こったと地域の名前を見て思う。
 季節外れの大雨が地盤をゆるくしてしまったのだろうか。
 そして、そこには鈴木もいる。
 巻き込まれていないといい。
 スマホで位置情報アプリを起動する。
 動いていない。ラグが発生しているためだろうか。
 少ししてようやく動いたと思えば、人が歩くペース。彼の方は津波の心配はなさそうだ。
 そもそもこの辺は浜名湖はあれど、海は遠い。
 波も低いから運動部の鈴木は逃げ切れるはず。
 あとで連絡が欲しい。
 動けているのなら、『171』に気づいてほしけれど、それどころじゃないのかもしれない。
 そんな不安を抱えながら一夜が明けた。
 この地域も他県も一変しているとも知らず、安心し切った私たちに待ち受ける現実も知らずに。

 この街から津波が引いて、避難勧告も解除されたあと、誰からともなく家に向かった。
 自分の家は大丈夫なのだろうかと心配の声が上がっていた。
 電車は動いていない。
 土砂崩れの影響もあって線路が使えないのかもしれない。
 柊と家に向かう道中を歩く。
 避難所にいたほうがいいのかもしれないけれど、未だ家族とは連絡が取れていない。
 鈴木とも連絡が取れない。
 夜中に何度も電話をかけたのに、電波が届かなかったためか繋がらない。
 けれど、位置情報アプリはカクカクとこちらへ動いている様子だった。
 生きているのなら、連絡くらい欲しいと何度も願う。
 それにしても。
「どうして、ついてくるの?」
 隣を歩く柊に問う。
 彼とは言い合いになったばかり。
「なら、昨日なんでハグを求めたの?」
 質問に質問で返さないで欲しい。
「あれは、不安で、怖くて」
「本当は鈴木に頼りたかったんじゃないの?」
 それはそうだけれど、本人の前で言えるような自信はなかった。
「代わりになれるかわかんないけど、鈴木が見つかるまでは隣にいるよ」
「……なんで」
 嬉しいなと思いつつも、どうして気にかけてくれるのか理解できなかった。
 彼に言ったこと、本人は傷つかないのだろうか。
「なんでって言われても、鈴木のこと、僕も心配だから。一旦、忘れてさ、鈴木がきてからでいい」
 一時休戦というわけではないけれど、言い合いをする暇はないとお互いに思っていた。
 一人では心細いしありがたいことだ。感謝だ。
「ありがとね」
「家族は?安否どうなの?」
「仕事先が山越えたところだから大丈夫だと思う。土砂崩れが起きたエリアでもないし」
 そっちは?と、顔を向ける。
 彼はスマホをいじって首を横に振った。
 連絡がつかないらしい。
「災害用ダイアルで連絡したけど、多分まだ聞いてすらない」
「そっか……」
「それよりさ、こっから鈴木の元へ向かうってだいぶ遠いんじゃ」
 駅で数えると五つくらいの距離。遠いのはわかっている。
 でもやらないと気が済まない。
 それに今は、動かないことの方が怖い。
 この悲惨な現状に打ちのめされて終わるのは嫌だ。
「土砂崩れが起きた地域だって行けるかどうかわかんないし。警察が規制かけてるかもしれない」
「そうかもしれないけど、いかなきゃわかんないじゃん。今は情報さえ満足に得られないんだから」
 でもといいかける彼の言葉に被せる。
「そんなにリスクを考えるのなら、首絞めるなんて自殺行為しなきゃいいじゃん!そっちの方がリスク大きいじゃん!」
 ついに言ってしまった。
 彼が不安に思うのは正しいことだし、私自身も不安はある。
 だからと言って、そうやって否定ばかりされていては気が狂う。
「やっぱ、一人で行く!うざい!」
 彼を置いて、スタスタと向かう。
 昨日の今日で神経質になっているんだと思う。
 ちゃんと寝れていないし、ストレスだって溜まる。それを仕方がないと言い聞かせる。
 追いかけて欲しいなんてこれっぽっちも思っていないけれど、彼は立ち止まったまま動こうとしなかった。
 二駅ほどの区間を歩く。二時間くらいかかっただろうか。
 このままでは昼を過ぎる。
 昼食だってあるわけじゃないだろう。
 この辺に避難所でもないだろうか。
 スマホで位置情報アプリを開く。
 知り合いでもいてくれたらいいのに。
 何人かは圏外になっている。
 その中で鈴木の携帯が近くにあることを知る。
 空腹を我慢して、彼の携帯の場所へ向かう。
 立ち止まっているように見えるため、急げば間に合う。
 その先には上り坂でインター沿いにでる。
 彼はそこで待っているのかもしれない。
 会えると思うと気持ちが上がる。
 小走りに向かう。
 けれど、そこにいたのは鈴木ではなかった。
 膝を抱えてしゃがみ込んでいるその子は明らかに女の子で、小さかった。
 園児くらいの年齢だろうか。
 スマホを確認してみても、鈴木のスマホはここにある。
 彼女が手に持っているものに気が付く。
 それは彼が使っているスマホ。
 私があげたキーホルダーはついていなかった。
 それ以上に、この子は誰なのか。
「ねぇ、君、名前、なんていうの?」
 膝をついて顔を覗かせる。
「……」
 私を見るや否やしゃくりをあげて泣き始めた。
 親はどこにいるのか。
 子を置いて何をしているのか気になる。
「このスマホ、誰から借りたの?」
「……お兄ちゃん……っ、お兄ちゃんが……っ!」
 もしかして、以前言っていた鈴木の腹違いの妹。
「阿久津ちゃん?」
「うぅっ……」
「これ、なんで」
 聞いてみても、彼女は泣くばかりで話してくれない。
「親はどこにいるの?近くにいる?」
 首だけでも動かしてもらうためにイェスノークエスチョンで問う。
 彼女は首を横に振った。
 どうやら、この子は一人でこっちへ向かってきていたらしい。
 地震直後は危ないというのになぜそんなことができたのか。
 誰かに襲われたらどうするのだろう。
 そんなことを考えたせいか私まで不安になる。
「ちょっと人のいるところのに出ようか」
 立てるかどうか聞いて、彼女は自分で立ったのでゆっくりと歩く。
 地図アプリで近くの学校を探す。
 とりあえず学校に行けばいいんじゃないかと思っているけれど、みんなそんなもんだろう。
 近くの小学校に到着すると避難者がたくさんきていた。
 どこに行けばいいのか。
 鈴木のスマホがここにある以上探す当てになるのは阿久津だけ。
「あら、阿久津ちゃんじゃない!大丈夫だった!?」
 よく見れば汚れている阿久津に知らないおばちゃんが声をかけた。
「あの」
「あら、みない顔ね。阿久津ちゃんをありがとね。うちの息子と同じ幼稚園で何度も会ってるの」
「……」
 後ろから子供が歩いてくる。
「阿久津、サッカーしようぜ。友達いなくて暇なんだ」
 その子は同じく園児で園も一緒なのだろうと推測する。
 にしても、この現状の中よくサッカーをやりたいと思えるものだ。
「うちの子がすみません。ちょっと」
 頭を叩くおばちゃん。阿久津は何も言わず俯いている。
「じゃあ、姉ちゃん遊んでよ。俺、可愛い子タイプなんだよね」
「……」
 どうやら見る目があるらしい。
「姉妹揃って可愛いなんて羨ましいぜ」
 おばちゃんに引っ叩かれる息子さん。
「あ、いや、姉妹じゃないけど」
「ほんとうちの子がすみません」
「正志くん、うるさい」
 ようやく口を開いた阿久津。
 見る目のある息子さんは正志というらしい。
 正志は、ケッと言って学校のグラウンドの方へと走っていってしまう。
 じっと見つめる阿久津の横顔を見る。
 不意に目があって、屈んで彼女の持つスマホに指を指す。
「これ、あなたのなの?お守り?」
 明らかに鈴木のものだけど、彼の名を出してさっきのように泣かれても困る。
 少し離れた質問から進めていきたい。
 けれど、彼女は首を横に振るだけ。
「お守りじゃないの?じゃあ」
「お兄ちゃんが渡してくれた……。でも……」
 何を思い出したのか。その先の言葉が欲しかったけれど、彼女は俯いてしまう。
「お兄さんがいるの?いくつくらいの、名前は?」
 これが鈴木じゃないことを祈りながら。
「……」
 黙る彼女に、もう一つだけ問う。
「このスマホみてもいい?」
 スッと手渡してくれた。
 気持ちが落ち着いたみたいで安心した。
 スマホのロック画面を見るとそれは鈴木がいつも使ってるもので間違いない。
 ロックを解除するための暗証番号まではわからない。
 結局のところ場所を聞く以外に彼に会う方法はない。
「これ、どこでもらったの?」
「向こう」
 指を指す方角は、私が行こうとしていたところ。
 鈴木が以前言っていたように三ヶ日にいるのだろうか。
 その日、意地でも止めていたらこんなに歩くことにはならなかったのに。
 生きているのなら、連絡をして欲しいだなんて思っていたけれど、このスマホが意味するのは一つだけ。
 想像したくないものほど、想像にたやすい。
 唇が震える。
 三ヶ日へ向かいたくないと足が震える。
 それでも行かなければと、自分を鼓舞する。
「ありがとうね。これ、返すね」
 スマホを手に持たせて、三ヶ日に向かう。
 歩き始めて日が沈み始めた頃、土砂崩れを起こした街が見えてきた。
 ここにいるはずなんだと思ってみても、体は休みを求めている。
 救急隊や自衛隊がいる。もう救助活動が行われているんだと知った。
 そして、視界の端に柊の姿が見えた。
 救急隊に運ばれる誰かへ必死に声をかけている。
 黒エリアと書かれたそこに置かれた誰かの横で膝をつく柊。
 トリアージタッグの色に合わせて人の容体によって分別しているのだと近くの救急員が教えてくれた。
 それはつまり、黒は死んだということ。
 焦った私は、柊の元へ突っ走る。
 だけど。
「……お前……っ、まじで……、ふざけんなよ……っ」
 タッグに書かれた名前、鈴木雅也。チラッと見えたそれに声が出なくなる。
「なんで、死んでんだよ……。お前が死んだら、ダメだろ……」
 柊の声が虚しく響く。
 私の存在に気づいていないのか、ボソボソと言葉を連ねる。
 そして。
「死にたい僕が死ねなくて……どうすんだよ……」
 彼は、死にたいと言った。
 遅れて届いた言葉に一瞬思考が止まる。
 死んだ鈴木の前で何を言っているんだと怒りが湧いてくる。
「柊!!」
 拳を握り、彼に怒鳴る。
「何言ってんの!?ねぇ!!」
 胸ぐらを掴んで、押し倒す。
「本人の前で……、なんてこと……!!」
 鈴木がトリアージの結果死んでしまったことも許せない。
 人の死を知って自己犠牲的な考えが何より許せなかった。
 柊が死んで鈴木が生きてくれればなんていう命の等価交換を望む声が聞き捨てられなかった。
「あぁ……いたんだ……、雨宮。先に来てるのかと思ってた……」
「……柊」
「でも、悪く思わないでよ……。雨宮だって気づいてただろ。僕の願望を代わりに叶えたバカが今ここでのたれ死んでる。顔は変形しているのに、なんでわかったか、わかるか……?腹違いの妹が電話したんだってな」
「……っ!?」
「鈴木の身元がわかったのは、特徴を隊員に教えていたからだそうだ」
 それよりもと続ける。
「まぁまぁ劣悪な環境で育ったくせに一丁前に自己犠牲で死んでった。羨ましい死に方だ……」
 言っている意味さえどうでも良くなるほど、目の前の彼に憤りを感じる。
 彼が、今まで隠してきた思いがこんな形で知ることになるとは思いもしなかった。
 人の死を嘆くよりも先に鈴木の死が侮辱されているようで、それが何より許せない。
 好きな人とわかりあうこともなく、呆気なく、終わった喪失感を味わいたくなかったのかもしれない。
 助けられなかったこと、距離ができたまま終えたことへの悲しみも柊にぶつけた。
「最低だよ……そんなことどうして本人の前で言えるの……」
「僕は僕が嫌いだ。それはこいつみたいに気持ちを吐露することなんてできないから。羨ましい……僕にないもの全部持って死んでった……」
 鈴木の死体を見ても泣かない彼に背筋が凍る。
 まるで好きなアイドルを尊ぶような眼差しに悪寒が走る。
 どうしてそんな目で見れるのか。全く理解ができなかった。
「君みたいにごく一般的で普通の家庭で育った人にはわからないだろうね……」
 言葉を返すよりも先に涙が伝う。
「やめて……」
 鈴木と距離ができたきっかけは彼が母と一緒に高丘へ引っ越したこと。
 家の距離が遠くなっただけ。また会えばいつも通りのはず。
 心理的な距離なんてできないと思っていたが、彼は一切の連絡を返してはくれなかった。
 高校生になり再開して、久しぶりに話した彼は少し変わっていた。
 変化していたのは目の奥が笑っていないこと。
 それはなんだか無理しているように見えたから。
 彼もまた私とは違うからと距離をとったんじゃないだろうか。
 そんな疑念はずっと心に残ったまま。
 思い返すほどに、柊の胸ぐらを掴んでいた手は弱くなっていった。
 彼の軽い力で切り離された手は私に膝に落ちる。
「みんながみんな生きたいって思いながら生きてない。こんな状況でも死にたい気持ちに従った鈴木がいる。死にたいやつだっているんだよ。お前とは違うんだよ、全部が」
 彼は立ち上がるとスタスタとどこかへ行ってしまう。
 隣で横たわる鈴木の死体を見て私はただ涙を流すことしかできなかった。