ちらりと窓の外を見る。窓の外には、はっきりとした三日月。
(今日は、きれいな夜空が見えるんだな)
雲一つない夜空には、きらきらと星が瞬いている。でも、一番視線を引くのはやっぱり三日月だ。
そう思いつつ、律哉は久々に士官学校時代の同期たちと飲んでいた。
「いやぁ、それにしてもなんていうか。こうやって集まるの久々じゃね?」
「あぁ、そうだな。……士官学校を卒業してから、疎遠だったからな」
集まったのは律哉を含め四人。士官学校時代、それぞれの分野で主席を治めてきた、いわば学年のエリートたち。
その中でも律哉は特に成績優秀であり、それぞれの分野で一度は主席を治めている。合わせ、卒業時の成績も主席だった。
ある意味エリート中のエリートであり、出世コースを約束された人物。しかも、美しい容姿を持つ彼を女性は放っておかない。……ただ、律哉は誰のことも相手にしなかった。
だって、所詮自分は『一時期の遊び相手』にしかなれない。自分のような人間と本気で結婚を考える女性など、いるわけがないのだから。
誰だって、沈むのがわかっている泥船になど、乗りたくない。
「というか、俺ら翌日休みじゃないと飲めないしな……」
「全く、軍人って楽じゃないよなぁ」
けらけらと笑って言葉を交わす三人を一瞥し、律哉は小さくため息をついた。
正直、飲み会などはごめんだ。でも、親しくしていた学生時代の同期だから。……なけなしの金を使ってでも、会おうと思ったのだ。
(これはケチなんじゃない。守銭奴という奴だ)
それは都合よく言い換えたケチなんじゃないか……と、自分でも思う。が、そう思っていないとやっていられない。
その一心で、律哉は目の前の酒を飲み干す。
「おい、律哉。そんな勢いよく飲んだら、酔いが回るの早いぞ?」
「お前らには言われたくない」
すっかり出来上がった三人を見つめつつ、律哉はため息をつく。
「大体、お前らに俺の気持ちなんてわかるわけがない」
悪態をついてしまったのは、側にいるのが気の許せる友だからなのか。
それは定かではないものの、律哉は頬杖をつく。思い返せばここ三年。エリート軍人としても、華族の人間としても。全く華々しく出来なかった。元々華々しく生きるのは好きではない。が、月一くらいの贅沢さえもできない状況が、律哉にとっては不本意でしかない。
「別に華々しく生きたいわけじゃないんだ。……ただ、それなりに。つつましく幸せに生きたかっただけなんだ」
自然と口から言葉が漏れる。
律哉だって好きで守銭奴になったわけじゃない。合わせ、女性から『一時期の遊び相手』として見られたかったわけじゃない。
好きになった女性と添い遂げて、普通の家庭を築きたかっただけなのだ。
「なのに、ふたを開けてみれば借金の返済ばかりだ。……正直、もう疲れている」
それは紛れもない律哉の本音。日々身を粉にして働いて、働いて、働いて。使用人にも一人残らず暇を出したので、たまにの休みは邸宅の掃除をはじめとした家事でつぶれる。
こんなエリート軍人がいるだろうか? いや、絶対にいない。
(俺はなんのために軍人になったんだ……)
そう思ってしまうほどに、律哉の現状はひどいものだった。
「ま、まぁ、律哉。……今日は俺らのおごりだし、パーッと飲もうぜ」
「そうそう。お前の苦労を、俺らはわかってるつもり……だし」
苦笑を浮かべた同期たちが、酒を注いでくる。そのため、律哉はまた酒を口に運んだ。
(こいつらはこう言ってくれるけど、本当に苦労なんて理解してないだろ……)
自分が作ったわけでもない多額の借金を返す苦しさも。女性から『一時期の遊び相手』としか見られない虚しさも。
そんなもの、同期たちにわかるわけがない。いや、分からなくて構わない。
(こんな思いをするのは、俺一人で十分だ)
結局、こういうところがお人好しなんだろう。
士官学校時代。指導官たちから言われた「お前はお人好しが過ぎる」という言葉を、ふと思い出す。
(でも、俺だって友人じゃない奴らには、こんなこと思わないさ)
ただ、友人だから。こうやって律哉を労わってくれて、苦労をわかろうとしてくれるから。
こんな風に、思いやれるだけだ。
そう思いつつ、律哉はまた酒を口に運んだ。
律哉はこの国で伯爵の爵位を賜っている華族、桐ケ谷家に次男として生まれた。
桐ケ谷家は長い歴史を持ち、かつそこそこ裕福。幅広く事業も手掛けており、律哉はなに不自由なく暮らしていた。
次男なので、家督は継げない。だからこそ、手に職を着けようと士官学校に入学。そのままエリート軍人のコースを進み続けた。
無我夢中で仕事に励んだ。それ以外のことは二の次で、職場の近くにアパートを借り、実家の邸宅には寄り付かなかった。
特に両親が病で相次いで亡くなってからは、家のことは兄に任せっぱなし。年に二度、両親の墓参りに行くとき以外、兄とも会わなかった。……その所為で、変化に気が付くのが遅れてしまった。
気が付いたのは、今から三年前。兄が事故で急逝したとき。
兄は独身で、もちろん子供もいなかった。つまり、家督は自然と律哉に回ってくる。正直、気乗りはしなかった。次男として悠々自適に生きていけるものだと信じていた。仕事だけをしていればいいと、信じていたのだから。
だが、親戚たちの強い要望を聞き、律哉は家督を継ぐことにした。……多分ではあるが、親戚たちは知っていたのだろう。
――律哉の兄が作った、多額の借金を。
それ故に、彼らは家督を継ごうとしなかった。今ならばそれが痛いほどに理解できる。むしろ、律哉だって借金のことがわかっていれば家督を継ぐのをためらっただろうから。
が、継いでしまった以上は仕方がない。兄の作った借金を返すしかない。
その一心で、律哉は日々がむしゃらに頑張った。けど、返せど返せど終わりの見えない借金。さすがにしびれを切らし、長年仕えてくれている家令を問い詰めた。
すると、彼は深々と頭を下げ、理由を教えてくれたのだ。
「先代さまは、質の悪い女性に引っ掛かっておりました。合わせ、賭博などを繰り返しておりまして……」
「つまり、その女性に貢ぎ、挙句賭博で作った借金だと?」
「はい……」
開いた口がふさがらないとは、まさにこのこと。
兄は真面目な人だった。だから、きっと。一度覚えた味を忘れられず、どんどん悪いほうへと溺れて行ったのだろう。
(止めなかった周囲にも問題がある。……だが、あの人は頑固だから。誰の言うことにも耳を貸さなかったんだろう)
合わせ、自分が家令たちを責めるのは違うような気がした。だって、家のことを兄に任せきり、邸宅に寄りつかなかった自分にも少なからず責任がある。……ならば、この家を立て直すのが、せめてもの償いだろう。
「わかった。借金は、俺がなんとしてでも返す」
「り、律哉さま……!」
「だが、どうにもお前らを雇っていられる余裕はなさそうだ。伝手を使って全員に新しい職場を紹介する」
律哉のその言葉に、家令は痛ましいものを見るような視線を送ってきた。でも、本当に使用人を雇う余裕はないのだ。