ペンシルハウスの住人

登場人物

真鍋湊人(まなべみなと):大学二年生。コンビニチェーン「デイバイデイ」北区紅羽(べにばね)店でバイトしている。
並木誠一(なみきせいいち):デイバイデイ紅羽店の店長。
吉野菜月(よしのなつき):紅羽店で働く同僚のバイト、湊人と同学年だがコンビニバイト歴は長い。 
高沢:紅羽店で働く同僚の従業員。
真鍋由雄(まなべよしお):湊人の叔父。コンビニの近くに住んでいる。
原田雅史(はらだまさし):由雄と知り合いの不動産業者。
男1、男2:湊人が不審感を抱く男たち。



「…あと、気をつけて欲しいと言えば、やけに高額の商品を買う客かな。最近のニュースで知っているだろう? ほら、闇バイトを使った詐欺があるらしいから」
 コンビニチェーン「デイバイデイ」北区紅羽(べにばね)店の店長並木誠一は、九月のある土曜日の朝、午前九時出勤の従業員とバイトに手早く申し送り事項を伝えている。
「他人のクレジットカードを使って高い商品を買い、それをグループ内の別の担当者が売りさばくんだ。問題は、闇バイトで雇われた人が犯罪だと思わないことらしい。単に買い付けの仕事だし、空いた時間でできるから手軽でいいわ、とね。だから我々、店側が犯罪だと見抜くのは難しいけどね。…まあ、そんなところだ、今日は」
 店長の並木が注意点を伝え終えると、真鍋湊人(まなべみなと)はホッとした顔つきになった。大学二年の湊人は夏休みからコンビニでバイトを始め、九月でひと月になった。大体のことを一通りこなせるようになったが、客商売だから更なる注意が要求されるのだ。
「ありがとうございました」
「お待ちのお客様、どうぞ」
 客は次々に現れては去っていく。朝のレジをこなしながら湊人は、客たちの表情を少しでも注意深く観察しようとした。今朝の客はごく普通だった。大声で喚いたり、難題を吹っかける客もいなかった。

 午後一時半を過ぎ、昼食の弁当やパンを買い求める客の列が途切れはじめた。
 事務所から顔を出した店長が湊人の肩をポンと叩いた。
「大分慣れたようだね、ご苦労さん」
「あ、はい」
 店長は商品棚に向かい、湊人は小さく肩を上下して体をほぐす。休憩までもうあとしばらくだ。
 一人の客が入って来て左に向かい、コピー機や券売などのポータルのあるところに行った。それからカウンターにやって来た。
「これをお願いします」
「拝見します」
 真鍋湊人は客が差し出した紙を受け取った。その瞬間、湊人は客の放つ匂いに気づいた。
 うっ、くさ…。 
 だが湊人はすぐ顔を上げた。
「承知しました。少々お待ちください」
 湊人は票を持って足早に裏の部屋に行き、荷物を探してすぐに戻ってきた。忘れずに笑顔を作り、ピピっと票をスワイプする。
 受け取り票にサインする客に向き合う。年齢は20代後半、小柄、体型はやや太め、髪は顎くらいまでの長さで無造作に流している。湊人は手続きを完了させる。
「ありがとうございました」
 客は無言で品物を受け取り、出口に向かって行く。履いているジョギングシューズの後ろを踏んでいるのも認めた。

「どうかした? トラブルじゃないよね」
 同僚の吉野菜月(よしのなつき)が湊人に声をかけた。湊人は、用事を終えて去って行った男をカウンターから首を伸ばして眺めていたのだ。湊人は首を振る。
「いいや、別に。でも、ちょっとあのお客さん、その…。匂いが気になって」
 菜月は苦笑した。
「そりゃ、だらしないお客だっているわよ。コンビニだもの、家からそのまま来たんじゃない?」
 湊人も菜月も大学二年生のコンビニバイトだが、菜月は大学入学当初から働いているとのことで、もう何でもバリバリこなせるベテラン格だ。事務所から出て来た菜月は忙しそうに在庫チェックの書類をパラパラめくっていたところだった。これから店長を手助けして在庫確認をするのだ。
「お客にしっかり目が行ってるんだね、いいじゃん」
 菜月に褒められ、ちょっと上から目線じゃないかと湊人は思った。
「まあね。今朝の店長の注意もあるし。…でも、ああいう人って何をしてるのかな、まだ若そうなのに。わざわざコンビニで品物受け取りって」
「気にしなくていいじゃん。高い品物を買ったわけじゃなし」
「うん…」
 菜月は手早く在庫表をまとめる。
「もっと難しい客もいるしさ。昨日なんか、歳とったオジサンが怒鳴ってたんだよ。私とか、店長とか苦労したんだから」
 その時、店内にいた中年の客が二人の会話を聞きつけてカウンターにやって来た。
「よお、湊人。何だ、女の子をいじめてるのか」
 湊人は、はっとして振り向いた。叔父の真鍋由雄(まなべよしお)だった。
「由雄おじさん! また何処からか湧いてきて…。いや、これは違う。何で俺がいじめなんかするんだよ」
「悪さをしたら俺が許さんと言ってるだろうが。はっはっは!」
 湊人には叔父叔母がたくさんおり、成人してもほとんどが町内に留まり何らかの生業に付いていた。彼らは人付き合いがよく、湊人の家にも気軽に出入りしていた。湊人の兄弟は皆、両親や祖父や叔父叔母たちに可愛がられ、どやされて育ってきたのだ。
「同僚さん、済みませんね。こやつは家族親族がワラワラいる中で揉まれたくせに、変に神経質なところがあってね。よその人を見ては、あの人は変だ、悪そうだ、変な匂いがするってワシらに言いつけてね。狼少年だったんですよ。しかもそんな推理は当たった試しがないと来てる」
 湊人は顔を赤くした。
「悪かったな、おじさん。でもさあ、俺が前に言ってたあの中年太りのおっさんなんか、後から盗っ人だとわかったじゃないか。それにヤバそうなあの女も結局…」
「たまにはね。で、今日は何があったのかな」
 湊人は先程の客の事を言った。
「…っていう事なんだ。すえたような匂いだったんで悪い物を吸ってるんじゃないかと。最近よく聞くじゃん? それに、コンビニ受け取りするくらいだから勤め先が近くなんだろ。勤め人だとしたらあの格好や匂いとか、意味不明だし」
「湊人君。君は色々間違っている。まず、コンビニ受け取りは別に会社勤めの人とは限らない。君のただの偏見だ」
「はあ」
「仕事が終わるのが夜遅い人にとってコンビニで受け取れるのは便利だけどね。それから、匂いがするのが変と言うのも差別じゃないか。道路工事とか建設現場で働いている人は使っている薬剤なんかの匂いが付いたりする。他にも何かの死骸を扱ったりするとかだと…。ちょっと待ってろ。良いものを見せてやる」
「な、何だよ」
 死骸と言われて湊人はひるんだが、叔父の由雄はさっとコンビニを立ち去った。店長の並木が近づいた。
「久しぶりにおじさんが来たね、真鍋君」
「はっ…」
「君のおじさんは会社の人に配ると言って、ちょくちょく食べ物をまとめ買いしてくれるんだ。そして君の様子を見にくるのは店が暇な時間帯だけだし。いい人だね」
「はい…」
 湊人はかしこまり、店長は笑顔で作業に戻った。
 叔父の由雄はすぐに戻って来た。手に持った何かを湊人の鼻先に突き出した。
「ほら、匂いを嗅いでみろ」
 叔父の勢いに押されて一息吸った湊人は咳き込んだ。由雄はニヤニヤ笑った。
「どうだ、こんな匂いだったか?」
「…いいや、全然。何だい! これはただの線香じゃないか」
「うん、線香。それからこっちは、ほうじ茶。どちらも大麻にちょっと似た匂いがすると言われているんだよ。大麻って要するに植物だから草いきれの青臭い匂いがするんだ。強烈だから一度嗅いだら絶対にわかるよ」
 湊人は目を見開いた。
「おじさん! 確か、若い頃アメリカ留学してたよね。もしかしておじさんも誰かにもらって…」
「おい! 俺がそんなバカげた事をするかい。…でもアメリカってところは、至る所にナニがあったなあ。普通のアパートを何度か引越ししたら、いつか何処かで嫌でも匂いに気がつくことになる。住宅地を歩いていたら匂いが漂ってくることもあった。日本とは違う国だ。彼らはクレージーってわけじゃなく、自分たちの文化だと信じているらしい」
「…」
「それより、怪しいお客が気になるならコンビニ受け取りの方を気にしたらどうかね。何か自宅で荷物を受け取れない理由があるんだろ。エロ関係とか」由雄はニヤリと笑った。「大したことだとは思わないけど、気が済むようにしたらいい、狼少年君」
 叔父は湊人に疑問を投げかけて店を出て行った。



 次の週の金曜日、午後五時から午後十時までの夜当番の間、湊人は淡々と仕事をこなしていた。怪しいと思える特徴を持つ客は来なかった。コンビニでの商品受け取りをした客は一人だけで、午後六時半を過ぎた頃にやって来た。会社帰り風の若い男性で、30センチ四方くらいの箱の荷物をはにかんだ笑顔で受け取った。もしかしたら趣味のアニメフィギュアかも、と湊人は思った。
 商品棚のチェックをしていた同僚、高沢がカウンターにやってきた。湊人は高沢に尋ねてみた。
「高沢さん、コンビニで品物を受け取ったりしますか?」
「ん、しないね、俺は。どうして?」
「いや…。コンビニ受け取りシステムは変な荷物の受け取りに使われるのかなと思って。だって、自分の名前と住所を知られなくて済むでしょ。受付番号とバーコードだけだから」
「そうだねえ」高沢は笑った。「ニュースでたまに聞くね。禁止されている薬物を海外から送るとか」
 湊人は先日の客の匂いのことを思い出した。しかし高沢は首を振った。
「でも、うまく行かないと思うよ。海外からの荷物に隠してあった不審物が日本の税関でよく見つかるじゃないか。それに日本では、送付元の段階で色々チェックされるから難しいよ。何か問題でも?」
「いや別に…。先日の客のことがちょっと話題になったので」
「大丈夫! 万が一、変なものが受け渡されても、我々コンビニ関係者には何の責任もない。犯罪防止の点からは、協力できる事があればした方がいいけどね」
 コンビニでの仕事が長い高沢は、責任問題には関心があるようだった。
 
 その夜、湊人は自宅外での物品受け取りをネットで調べてみた。
 ある大手の運送会社を使うと個人の荷物でも運送会社の専用ロッカーやコンビニでも受け取ることができる。ただし最初に使用者として個人情報を登録しなければならない。怪しい物品を送ることはできるが、いざ品物に疑問が出ると送り主や受取人の素性がすぐにバレてしまう。麻薬などだとたちまちアウトだ!
 湊人が働いているコンビニでは、オンラインで購入した品物をコンビニ受け取りにすることができる。購入品を「コンビニ受取」に指定すると、該当する番号が割り振られる。品物がコンビニに到着するとメールなどで連絡が入るのでコンビニに行き、コピー機の横のポータルを操作し、その番号を入力するとバーコードが割り振られる。それをレジに持って行くと店員が商品を出してくれるのだ。
 完璧ではないか。コンビニで本人の素性は知れないし、自分の住む家の他の住人にも品物の中身は知れない。

「プライバシーの問題じゃないの。一人暮らしをしていても家族とか友達、それに恋人が来て泊まる場合もあるしさ。親しい仲にも礼儀ありよ。 親にでも知られたくない荷物とかあるし。真鍋君だってそんなことあるよね?」
「うーん…」
 翌日の土曜日、菜月と同じシフトの時間帯だったので、そんな話をした。菜月に逆に問われ、湊人は戸惑った。人の出入りの多かった家で育った湊人には個人の秘密など尊重されなかったように思われる。
「…俺はそもそも、プライバシーなんぞを語る権利もなかったなあ。大家族だったんだ、親戚がいつも出入りしてたし」
 菜月はケラケラと笑った。
「スゴーい! 大家族。昔風の古き良き家庭ってヤツだったの? へえー、想像できないって」
「おい…。まるで前世紀の遺物みたいに言わんでくれよ」
「ともかく、うちのコンビニで受け取りできる商品は真っ当な大手オンラインショップの物だけよ。怪しいものは受け取れっこないから」
 湊人はゆっくりと頷いた。
「わかった、もういいよ。多分、俺の思い過ごしだったんだ。怪しい奴なんて世の中にそんなに居るわけがないし」
 菜月は笑顔になり湊人の肩をポンと叩いた。
「そうよ、そうよ! ハイハイ、つまんないことでストレス貯めないでね」
 だよな…。やれやれ。湊人は自分自身に言い聞かせ、仕事に戻った。


  
「これ、受け取りたいんですけど」
「承知しました。少々お待ちください」
 湊人は手早くコンビニ受け取りの客と対応する。
「ありがとうございましたあ」
 いつものように次から次へと客をさばいていく。あれから二週間、湊人は忙しくコンビニでの仕事をこなしていた。働き始めて二ヶ月になり、湊人はほとんどの業務を自信を持ってこなせている。コンビニ受け取りも雑多な業務のうちのほんの一つに過ぎなくなった。そう言えば奇妙な感覚を覚えたことがあったが、あれ一度きりだった。今思えばただの気のせいだった、と湊人は思った。
「お待ちのお客様、どうぞ」
 顔を上げて列に並んだ客を見た湊人は、一瞬固まった。列の三番目にいる男性、二十代後半、小柄、小太り、髪はボサボサで耳の下くらいの長さ…。以前見た客と受ける感じが似通っていた。
 湊人の目の前の客が湊人の視線を追い、何事かと後ろを振り向いた。湊人ははっとし、慌てて目の前の客の商品を勘定した。
「はい! ありがとうございます。合計千二百十円になります」
 客は何事もなかったように去って行った。
 列の三人目の小太り客が目の前に来た。
「これ、受け取りたいんだけど」
 湊人は引き換えの票を受け取り、客をさっと眺めた。前の不審感を抱いた客とは別人だった。
「はい、少々お待ちください…」
 湊人は事務室兼休憩室に入り、棚にあるアイテムを手に取り、番号を照合する。以前の不審な客の時と同じ、大手オンラインショップの商品だった。おそらく正規品、単行本くらいの大きさの軽めの箱だった。
 品物を抱えてカウンターに戻ろうとした時、ちょうど菜月がミネラルウォーターのボトルを持って休憩室にやってきた。やれやれちょっと休めるわ、と至福の表情をしている。
「ごめん、吉野さん!」
 菜月は露骨に嫌そうな顔をした。
「何か?」
「休憩時間にごめん。あのさ、今来てるお客なんだけど。ちょっと見てみない? この前俺が言った、変な客とその…、何となく感じが似ててさ」
「は?」
 戸惑う菜月を促し、湊人はカウンターに戻る。
「お待たせしました。品物はこれでよろしかったですね? どうぞ」
 湊人は菜月が男を横目で観察しているのを確認しながら荷物を引き渡した。男はそそくさと店を出て行った。

「どう思う? 以前の男もあんな風貌だったんだ」
「ふうん、同じような感じの客かあ。兄弟じゃないの」菜月は興味がなさそうに言う。「単に真鍋君が嫌っているタイプなんじゃない? つまり君の偏見の産物ってこと」
「…もしかして俺をディスってるとかじゃないよね」
「別に。ふう〜。真鍋君は本当に色々こだわるんだね」
「いや、この前といい今回といい、あまりに感じが似てたから俺の直感が何かを知らせているんだよ」
「知〜らない! じゃあ、実際にその人に聞いてみれば?」
 菜月は休憩室に引っ込み、湊人はまた仕事に戻る。
 湊人は少し落ち込んだ。こんなことが気になるなんて、俺はおかしいのか。それとも単に仕事の流れに慣れていないせいなのか。そのうち何も気にならなくなるのかな、そうだといいが、と湊人は首をブルっと振った。

「よう、湊人。元気でやっているか」
数日後、叔父の由雄がたくさんの菓子パンやサンドイッチなどをレジに持ってきた。「外回りが終わって事務所に戻るところだ。ここのカレーパンは皆に人気があってねえ」
「ありがとうございます」
「少しは弱小コンビニの売上に貢献してやるよ」
「叔父さん、あのさ」
 湊人は最近の自分が気になっていることを叔父に伝えた。叔父の由雄は顔をしかめた。
「この前の件の続きだな…。君の勘が当たりか、それとも犯罪を作り出そうとしているのか」
「何でだい! 真面目に聞いてよ。同じような見かけのお客が同じようにコンビニに来る。同じように品物をコンビニ受け取る。かなりの確率で怪しくなって来たと思わない?」
「まだでっち上げの段階だ。変なことをしたら今時、名誉毀損で訴えられるレベルだな」由雄は困惑の顔つきのまま、少し考えて言った。「じゃあ、受け取りか何かでその男の住所を見て、前の男の住所と比べてみたら」
「それが、記録が残らないんだ。客は店のポータルで操作して、ここへ持ってくるのは品物の明細だけ。商品ラベルには受け取り場所はコンビニに指定され、俺ら店員には客の住所はわからない」
「お客のプライバシーがちゃんと守れるようになっているのか。…いいねえ。それじゃ怪しい薬とかを送れるわけだ」
「いや、それは難しいらしい。真っ当なオンラインショップの商品だけなんだ、ここで受け取れるのは」
「やれやれ。じゃあ、もう君の好奇心を満足させる方法はないよ」
 湊人はうなずいた。もう仕事に戻ろうとした時、由雄は思いついたように目を光らせた。
「あのな。へっぽこ探偵殿が気が済まないのなら…。じゃあ、こうするか」
「どうするんだい?」
 由雄はオホンと喉を鳴らした。
「次の機会に、もしその手の怪しげな男が来たら店を出て、後をつけるんだよ。簡単なことだ。このコンビニで荷物を受け取るくらいだから近くに住んでいるはずだ。車で来たわけじゃないだろ?」
「…歩いて来たみたいだった。どちらの客も車じゃなかった。後をつけるって…。いいのかな」
「君が気の済むようにね! 別に後をコッソリつけるだけなら犯罪でも何でもない」
「でも、仕事中だったら抜けられないし」
「他の店員に断って抜けたらいい。ふん、お芝居をしなよ! カウンターの横に何か自分の物を置いておくんだ。鍵とか携帯とか、手帳とか。その男が店を出たところで騒ぐんだ。『あ、お客さん、忘れ物です』と言って、お客の物を届けるフリをして、同僚に断って追いかけるんだ」



 来た。
 その機会は意外に早くやって来た。由雄が湊人に入れ知恵をしてから一週間ほどして、またあの客がやって来た。湊人が最初に「匂いがきつい」と感じた男性だった。男性1としよう、と湊人は思った。
 男1の風貌は以前と同じだが、多少リラックスしているようにも見えた。今日も用事は品物のコンビニ受け取りだった。受け取り票の処理をしながら湊人は心の中で迷いを感じた。もしかして、何もしていない人を疑っているとか…。
「どうぞ」
 湊人は品物を引き渡した。客は荷物を抱えると何も言わずにドアに向かって行き、湊人は心を決めた。よし、作戦の開始だ。
 男が店を出て駐車場を横切って右に向かうのを見届け、湊人はカウンターに置いたカギの束をジャラッと鳴らして叫んだ。
「あ、お客さん、忘れ物!」
 お菓子の棚のところにいた同僚が振り向く。湊人は急いでカウンターを出ると、ドアに向かいながら同僚に声をかけた。
「お客さんが忘れ物をした。ごめん、ちょっと俺、走って届けて来るから」
「いいよ。オッケー」
 同僚はうなずき、湊人は店を飛び出した。

 コンビニの駐車場を出て右に曲がると、二十メートルほど前に男1が見えた。その姿を見失わないよう気をつけながら、途中で店の看板の後ろにさっと隠れた。コンビニの制服を急いで脱いで肩掛けバックに入れ、代わりに丸めた毛糸の帽子を出して目深に被る。胸ポケットから伊達眼鏡を取り出してかける。これで変装は大丈夫だ。
 男1はコンビニを出てから通りを真っ直ぐ、百メートルほど振り向くこともなく歩いた。そして角を左に曲がった。湊人は小走りに駆けた。焦って角を曲がると、男はまだ前方を歩いていた。湊人はホッとし、家々や建物にへばりつくようにして身を隠しながら後をついて行った。やがて前方の家の門の前で男は立ち止まり、尻ポケットから鍵を出してドアを開け、中に入って行った。湊人はその家にゆっくりと近づいた。

 何だこれは…。湊人はその家を見上げて驚いた。
 グレーが基調のその家は三階建てで、一階が車一台分のガレージ、二階と三階が居室のようだ。門にも玄関にも表札は出ていない。今時のご時世だからそれは普通なのかもしれない。
 この家の外見は湊人には違和感しかなかった。湊人が生まれ育った真鍋家は広い敷地内に大きな平屋の母屋、離れ、作業小屋やガレージがあったからだ。しかし、ごく普通の一戸建ての家に比べても目の前にある家は高さの割に幅が極端に狭く、いかにも窮屈そうに感じられた。両隣の家も同様の作りだった。それぞれの家と家の間隔が狭い。ようやく大人が歩けるくらいしかない。ましてや庭などと言うものは備えられていないー。
 …ああ、これはあれか、聞いたことのあるペンシルハウスってヤツだ…。
 ぶしつけに他人の家を眺めていた湊人は首をすくめた。俺は、よそ様の家屋にケチをつけられる立場にあるのか。俺と言えば、ただ親の脛をガリガリかじっているだけの学生じゃないか。

 チリチリ…。小さな鈴の音が背後から聞こえた。
「そっち行っちゃダメだよ。気をつけて」
 子供の声がして湊人が振り返ると小学生の列だった。六、七人ほどの小さい列で集団下校していた。前に立っている上級生の子が時々振り返って下級生の様子を見ている。彼らの瞳が湊人の視線と合う。湊人は笑顔で小さく手を振った。普通の閑静な住宅街の風景だ。
 湊人は当てが外れた気がした。もう少し何か、異様な家や近所を想像していたのだ。何人もの怪しげな人物が出たり入ったりを繰り返し、周りにはゴミが散らかり、バイクや改造車も走り回っている…。しかしそんな感じは全くなかった。まずい。これじゃ俺が不審者になってしまう! 
 …ふう、ここらで終わりだな。湊人は苦笑いし、元来た道へ向き直って歩き出した。
 
 先程の角の所へ来た。曲がろうとした時にちょうど、コンビニへ向かう方向の反対側からやって来る人影に気がついた。どこか見覚えのある姿。それは…。おっと、もう一人の男、男2じゃないか!
 湊人は一瞬固まったが、すぐに冷静になった。慌てずにまたゆっくりと歩き出す。内心は焦っていたが、ともかく次の角まで来たところでゆっくりと曲がった。ちょうどコインランドリー店があり、湊人は店の看板に隠れて様子をうかがった。
 男2はまっすぐに歩いて行く…、先ほど男1が入って行った家の方向に。湊人はゴクリと喉を鳴らした。


 これは何かあるだろ。湊人は体の中のどこかで血が騒ぐ気がした。
 湊人は店の看板の裏から道に出た。男2は結局その縦長の家に入っていった。湊人は腕時計を見た。コンビニを飛び出してからもう二十分過ぎている。戻らないとまずい。どうする? 湊人はぶるぶるっと頭を振ったが、結局もう一度その家に向かった。
 ペンシルハウスの門の前に来た。
 ドン!
 いきなり自転車の前輪が家の門から目の前に突き出て湊人にぶつかった。突然のことで湊人は体のバランスを崩し、道に転がった。
「いてっ!」
 地面倒れる時に左腕と両足、それに転がった時に額もこすり、湊人は悲鳴を上げた。
「おっとっと、済みません」
 甲高い男の声がした。男は自転車を素早く引っ込めて止め、湊人に近づくと手を差し出した。
「大丈夫ですよね…? それとも、うちに何かご用でしたか」
 湊人は差し出された手を掴んで体を起こした。
「い、いえ、とんでもない。ただボヤッと歩いていただけなんで。大丈夫です」
「そうでしたか」
 それは最初に見た方の男1だった。無表情な目つきで湊人を見ながら、男1は家の三階のひさしを指差した。
「ちなみに最近はどこも物騒ですよね。だからうちも防犯カメラをつけたんです。北区ではまだ集団強盗なんて発生してないですけどね」
 そうか、防犯カメラをつけているのか。防カメは、たとえフェイクだとしても設置してあるだけで怪しい奴への警告になる。しかし、それだけか? 逆も然りじゃないか。痛くない腹、あるいは痛い腹を探られないよう警告することもできるはずだ。理由なく家の周りをウロウロするなら訴えますよ、と。
「は、はあ。それは用心がいいですね」湊人は腕や肩の土埃を払いながら立ち上がった。「私は大丈夫ですから、どうも。お邪魔しました、失礼します」
 男1はさっさと自転車を引っ張ってガレージに入り、扉を閉めた。湊人は腕をさすった。手や足を道に打ち付けたせいであちこちに痛みを感じたが、ひどくはなさそうだった。

 戻って来た湊人を見て同僚は驚いた。顔や腕に擦り傷があり、血が滲んでいたからだ。何でもないと言いながら湊人は顔や手を洗って応急手当てをした後、通常通りの仕事に戻った。



「大丈夫? この前のことで何かあったんじゃない?」
 次の日の午前中、客がたまたま居なくなった時間帯に菜月が湊人に小声で言った。
 仕事に出て来た湊人は額の二箇所に絆創膏を貼り、手首には包帯を巻いていた。店長と同僚らには昨日の出来事をただの事故だと話しておいたのだ。
「何かあったと聞かれれば、まあ…」
 湊人は肩をすくめ、昨日実際に何をしたのか菜月に話した。菜月は驚いて声を上げた。
「えっ、とうとうストーカー行為をしたのお? 勝手に他人を怪しいと決めつけて追いかけて?」
 湊人は慌てて口元に人差し指を置く仕草をし、菜月に近づいた。
「やめてくれ、それじゃ俺が危ない奴じゃないか。怪しいのはあっちだよ。むさ苦しい、似たような二人の男が同じ家に住んでいるんだ。やっぱり俺の勘は何か当たってるんだ、ここまではね」
「見かけが似てるってことは、やっぱり兄弟よ。髪型とか服のセンスとか、兄弟だったら似てくるし、自然と真似したりするもんじゃないの」
 菜月は一人娘だと湊人は聞いている。
「いやいや、吉野さん。それはひどい偏見だ、兄弟姉妹を舐めないで欲しい。俺は兄と一緒の格好なんてまっぴらゴメンだから、いつも反対のセンスを狙ってるよ」
「へえ、そうなの、面倒くさいね」
「兄弟姉妹ってのはうわべの見かけより、目とか声とか、何かそんな遺伝的な隠しきれないものがあるから、すぐわかる。断言する。あいつらは兄弟じゃない! わざと兄弟に見せかけるために似た格好をしているんだ」
「でも、同じ家に住んでいるじゃないの」
「他人でも一緒に住むことはある」
「シェアハウスね。今時普通だし、問題ないじゃん? 他人だとしても何も問題ないでしょ」
「…」
 客が近づいて来た。湊人の由雄叔父だった。
「よおーっ、おや? お取り込み中かな…。湊人! 何だ、その顔は!」
 湊人は額の絆創膏を手で隠した。
「これは、ちょっと」
「何をやらかした!」

「…と言うわけで、奇妙な住人が二人、どちらもコンビニで商品を受け取りするような奴らで、よく似た服装や髪型をしている」湊人は由雄にいきさつを話した。
「私はただの兄弟じゃないの、って思うんだけど」と菜月。
「同じ家に住んでいる若い男二人がよく似た風貌で、どちらもコンビニ商品受け取り。何を受け取っているのか気になるってものじゃない? ねえ、おじさん」
 湊人の叔父は真面目な顔つきになった。
「…湊人君の思い込みでもなさそうか。全然関係がないと思っていた男二人が、実は同じ家に住んでいたと、ふん。 少し、いや何かあるかな」
「だから言ったろ。俺の勘は働くときは働くんだ。彼らはきっと、怪しいものをやり取りしているから自宅で受け取れないんだって」
 菜月は引き下がらない。
「それは否定されてるでしょ。コンビニ受け取りができる商品は真っ当なものだけよ。変なクスリとか、絶対ダメだから」
その時、客が入ってきた。由雄はカウンターの前から離れながら言った。
「ちょっと考えてみる。君のシフトはどうなってる? 明日とか明後日は」
「明日も明後日も夜の10時までだよ」
「じゃあ、また連絡する。ところで、俺はその家が気になるなあ」
「家?」
「何かメモ用紙に、地図でも書いてよ」
 


「こっち、こっち、湊人」
 翌日の夜の十時過ぎ、シフトを終えた湊人は由雄に言われた定食屋に入った。奥のテーブルに座った由雄は誰かと一緒だった。三十歳前後に見える男性だ。なぜか小さいノートパソコンを開けている。
「この人は原田さん。不動産屋なんだ」
「原田雅史です。真鍋さんにはいつもお世話になっております」
「いや、お世話ってものじゃないけどな。時々親戚や友達に聞かれてね、信用できる不動産屋を知らないかと。息子や娘を住まわせるアパートにどんなのがいいかって。この人は若いのに立派な仕事をするんだ」
 恐縮するように原田は笑顔で首を振った。
「滅相もない…。さて、真鍋さんのおっしゃってた家屋ですが、こちらがその詳細です」
 うどんをすすろうとした由雄はズルッと音を立て、むせた。
「さすがトップセールスマン。もう本題に入るのか! ここの日替わり夕食はうまいから先に食ってくれていいんだけど…。まあいいか」
 原田はパソコンを二人の方に向ける。
「この物件のあった地所には元々古くからの邸宅がありました。持ち主が亡くなられた数年後、親族が売却し、不動産業者がすぐに購入・更地にしました。ほどなくして三軒の極小住宅になり、売り出されました」
「僕が見た、あのペンシルハウスですね」湊人が確認のために言った。
「そうです。三軒のペンシルハウスが建てられたのはおよそ二十年前です。それから十八年が経過したところで元の持ち主が売りに出しました。不動産屋を通じて現在の持ち主がローンを組んで購入したのが一年前です。購入時点で十九年経過ということは、上物の価値が無くなる少し前です。現在の制度では新築一軒家の上物、つまり家の部分の価値は二十二年でゼロになります。その後は実質上、土地の価値だけになります。本来中古物件は住宅ローンを組みづらいですし、築十九年だから更に難しかったでしょうが…。二度目の購入者は何とかローンを組んで購入したようです」
 うどんを平らげた由雄はお椀を静かに置く。
「やれやれ、個人が買った家の成り行きは他の不動産屋に全部筒抜けなんだな。プライバシーも何もありゃしない」
「まあ、そう言うことです。不動産業の透明性はとても大切なことです。大きなお金が動く事業ですから信用が一番ですので。さて、ペンシルハウスは中古物件としては人気がない分類に入ります。フロア面積が小さく窮屈で、三階建てなので上下移動が不便です。と言うことは不動産業者が安く買い叩く余地が出てきます。うまく安価で買い付け、普通の物件に手が出ない人々に売りつけるのです。余裕のない人々をうまく丸め込んで住宅ローン、できればフラット三十五として知られるローンを組ませる。そんな業者もいるのです」
「フラット三十五か、聞いたことがあるぞ。よく詐欺があるそうだな」
「はい。フラット三十五も住宅ローンの一種です。…しかし、そこからが問題です。住宅ローンはそもそも、購入物件を自宅として住む人のみが安い金利で借りられるものです。よって、賃貸に回すことは許されません」
「ふむふむ」
「ところが、無理してローンを組むような人は金銭的に余裕がなくなる可能性も高いです。自宅をこっそり賃貸に回したり、そうでなくても家の内部を改造し、他人を住まわせたりする場合があります」
「住まわせる秘密の下宿人には郵便受けを使わないでもらう。こうだな」
「その通りです」
「わかりました」湊人は納得した。「彼らは怪しい物をやり取りしてたんじゃなくて…。あの家に住んでいること自体が詐欺行為なんですね!」
「そうです」
「おお…ははは、おめでとう、湊人くん! 君の勘は当たっていた、よかったな。いやいや、茶化したりして済まなかった。君のことをこれからも信じるよ」
 由雄は湊人の肩をポンと叩いた。湊人ははにかんだが、内心ホッとし、嬉しかった。自分は妙に鋭い直感があることを密かに自慢に思っていたが、それを確信した気がしたのだ。
「ところで、家の持ち主や下宿人らのやっていることは犯罪行為なのかね?」由雄が尋ねる。
「彼らは金を貸した銀行を騙しています。詐欺行為に当たるでしょうが、銀行がその事実を知らない限り問題ではないでしょうね」
「君が、該当する銀行に告げ口するとかしたら?」
「しません」
 原田は笑って下を向き、由雄は腕組みした。
「じゃあ、これで終わりだ…。不法な行為はあった。でも犯罪案件ではない、ってね」
「はい」
 湊人はうなずいた。