田舎のお婆ちゃんから聞いた言い伝え

夕暮れが迫る田園風景。空は、茜色に染まり、遠くの山並みがシルエットのように浮かび上がる。

田んぼのあぜ道には、カエルの合唱が響き渡り、時折、トンボが羽音を立てて飛ぶ。

のどかな風景だが、日が暮れると、この田んぼには近づかない方が良いと、村人たちは口々に言う。

「日が暮れたら田んぼには行くな。あれは、昔からの言い伝えだ。」

村の古老、庄司じいさんは、そう言い聞かせた。

庄司じいさんは、村で最も古い歴史を知る人物だった。

彼の語る昔話は、子供たちの間で、夜な夜な語り継がれていた。

「昔、この田んぼでは、夜な夜な奇妙な音が聞こえたんだ。まるで、誰かが悲鳴を上げているような、うめき声のような。村人たちは、その音を恐れて、夜には田んぼに近づかなかった。」

庄司じいさんの話は、子供たちの心を掴んで離さなかった。

しかし、誰もその音を実際に聞いた者はいない。

「きっと、ただの動物の鳴き声だろう。」

そう思った子供たちは、好奇心から、夜な夜な田んぼに忍び寄るようになった。

ある夜、子供たちは、田んぼの真ん中で、奇妙な光を見つけた。

それは、まるで、幽霊火のような、青白い光だった。

子供たちは、恐怖に震えながら、その光に近づいていった。

すると、光は、ゆっくりと動き出した。

子供たちは、その光を追いかけるように、田んぼの中を走った。

光は、田んぼの奥深くへと消えていった。

子供たちは、光を追いかけて、田んぼの奥深くへと進んでいった。

そこで、彼らは、そこで、恐ろしい光景を目にした。

田んぼの真ん中に、大きな穴が開いていた。

穴の底には、真っ暗な闇が広がっていた。

子供たちは、その穴に吸い込まれるように、近づいていった。

そして、彼らは、穴の中に落ちてしまった。

子供たちは、穴の中で、奇妙な光に導かれるように、進んでいった。

光は、彼らを、どこまでも、どこまでも、連れて行く。

そうして、彼らは、ついに、その光の正体に気づいた。

それは、田んぼの精霊、水神だった。

水神は、子供たちを、自分の住処へと誘っていたのだ。

水神は、子供たちに、田んぼの豊穣を願う歌を歌った。

子供たちは、水神の美しい歌声に、心を奪われた。

彼らは、水神の住処で、永遠に暮らすことを決めた。

それから、村では、子供たちが姿を消したという噂が広まった。

村人たちは、子供たちが田んぼの精霊にさらわれたのではないかと、恐れた。

そして、村人たちは、夜には田んぼに近づかないようになった。

「日が暮れたら田んぼには行くな。あれは、昔からの言い伝えだ。」

庄司じいさんの言葉は、村人たちの心に深く刻み込まれた。

その後、村人たちは、田んぼの精霊を恐れて、夜には田んぼに近づかなくなった。

しかし、田んぼの精霊は、今も、田んぼの奥深くで、子供たちを待っている。

夜になると、田んぼからは、奇妙な音が聞こえてくる。

それは、水神の美しい歌声なのか、それとも、子供たちの悲鳴なのか。

誰も、その答えを知らない。
第2話で首無し地蔵の話を書いたが、もう一つ、 三十体地蔵の話をしよう。

 山間の集落、寒村。そこには、三十体の石地蔵が、村の守り神として、古びた(ほこら)に並べられていた。代々語り継がれる言い伝えがあった。村に悪いことが起きると、必ず一つ、地蔵が倒れるというのだ。

 私は、この村で生まれ育った。幼い頃から、地蔵の並んだ祠は、私にとって、どこか神聖で、同時に、不気味な場所だった。三十体の地蔵、どれも表情は異なるものの、どれもが、長い年月風雨に晒され、苔むし、傷つき、どこか悲しげに見えた。

 最初の地蔵が倒れたのは、私が十歳の時だった。その年の冬、大雪に見舞われ、村は孤立し、食料も尽きかけた。人々は飢えと寒さに怯え、絶望の淵に突き落とされた。そして、祠の一体の地蔵が、雪の重みに耐えかねて、崩れ落ちた。

それからというもの、地蔵が倒れるたびに、村には不幸が訪れた。疫病(えきびょう)が流行ったり、山崩れが起きたり、若者が事故で亡くなったり。地蔵の倒れる数は、村の不幸の数を示しているかのようだった。

村人たちは、地蔵の倒れる度に、恐怖と不安に怯えた。そして、祈った。地蔵の加護を、村の安全を。しかし、祈りは、虚しく、地蔵は次々と倒れていった。

ある日、村の古老が私に言った。
「地蔵は、村の罪を背負っているのだ。村に罪深い者がいる限り、地蔵は倒れ続ける。」

古老の言葉は、私の心に深く突き刺さった。村には、隠された秘密、闇があったのだろうか?私は、その真実を探ることにした。

私は、村の古い記録を調べ始めた。すると、驚くべき事実を発見した。この村は、かつて、恐ろしい事件の舞台となっていたのだ。数百年前、この村では、村人同士の争いが絶えず、殺戮と略奪が繰り返されていた。そして、その争いの犠牲となった人々の霊が、地蔵となって、村を守り続けているというのだ。

しかし、村の罪が消えない限り、地蔵は倒れ続け、村は不幸に見舞われるというのだ。

私は、記録を読み進めるうちに、あることに気づいた。地蔵が倒れる順番には、規則性があった。それは、村の有力者一族の系図と一致していた。

私は、その一族の当主に会いに行った。彼は、村の有力者として、村を支配し、多くの富を蓄えていた。しかし、彼の顔には、深い闇が潜んでいた。

私は、彼に、古い記録と、地蔵の倒れる順番の規則性を指摘した。彼は、最初は否定したが、やがて、真実を語り始めた。

彼の先祖は、かつて、この村で起こった争いに深く関与していた。そして、その罪を償うために、地蔵を建てたのだ。しかし、その罪は、代々、一族に受け継がれ、地蔵は、その罪の重みに耐えかねて、倒れていくのだ。

彼は、涙ながらに言った。
「私は、この村を救いたい。しかし、どうすればいいのかわからない。」

私は、彼に提案した。村の罪を償うために、新しい地蔵を建立し、過去の罪を悔い改める儀式を行うことを。

彼は、私の提案を受け入れた。そして、私たちは、村人全員で、新しい地蔵を建立し、過去の罪を悔い改める儀式を行った。

儀式が終わると、静寂が訪れた。祠には、三十体の新しい地蔵が並べられていた。そして、不思議なことに、それ以降、地蔵は倒れなくなった。

 村には、平和が戻った。しかし、私は、三十体の地蔵が、かつて村に起きた悲劇の証人であり、村の罪を背負い続けていたことを、決して忘れることはないだろう。そして、この物語を、次の世代へと語り継いでいこうと思う。 三十体の地蔵は、今もなお、静かに、村を見守っている。
 昔々、深い森に囲まれた羽黒村という、世捨て人のような村があったそうな。その村には、古くから三つの「面鏡(めんきょう)」と呼ばれる、恐ろしい池が伝えられておる。池と呼ぶには小さすぎる、直径数メートルほどの、完璧な円形の水たまり。まるで、闇が凝縮したような、底知れぬ深みを持つ水面は、周囲の景色を歪めて映し出し、近づいた者を吸い込むかのごとく、不気味な魅力を放つという。

 一つ目、枯井戸の面鏡。 廃屋となった屋敷の庭に佇む、その水たまりは、かつて村の生活用水だった井戸が干上がった跡だと言われている。しかし、その水は、決して枯れることがない。常に黒く濁り、底知れぬ深さを湛えている。この面鏡に映るのは、決して未来ではない。あなたの「最期の姿」だ。 それは、事故か、病か、それとも… 想像を絶する、残酷な最期が、生々しく、鮮やかに映し出される。 その姿は、見る者の魂を深くえぐり、恐怖の烙印を押すという。 一度見れば、その死は避けられないと伝えられている。

 二つ目、鎮守の森の面鏡。 村はずれの鎮守の森、朽ち果てた社殿の奥深くに隠された、その水たまりは、常に微かに光を放っている。まるで、無数の魂の灯火が水面を漂っているかのよう。しかし、その光は、決して温かくはない。冷たく、鋭く、見る者の心を凍らせる。この面鏡に映るのは、あなたの「忘れたい記憶」。 しかし、それは、歪められ、増幅された、悪夢のような記憶だ。 忘れたい過去、後悔、罪悪感…それらが、鮮明な映像となって、水面に浮かび上がる。 あなたは、その過去の出来事を、再び体験する。 その痛み、悲しみ、恐怖を、鮮明に、そして容赦なく、味わうことになる。 そして、あなたは気づく。 その記憶は、あなた自身の一部となり、永遠にあなたを苦しめるだろう。 逃れることのできない、永遠の輪廻(りんね)に囚われたように。

 三つ目、山の奥の面鏡。 最も恐ろしいとされる、その面鏡は、険しい山奥の洞窟深くに潜む。 その存在を知る者は少なく、辿り着いた者は、二度と村に戻ってこなかったという。 直径5メートルを超える、巨大な水たまり。 しかし、その水面は、何も映さない。 真っ黒な闇が、底知れぬ深淵を暗示している。 近づくと、空気は重くなり、息苦しくなる。 そして、耳元で、囁きが聞こえるようになる。 それは、あなたの心の声。 しかし、それは、あなたの声ではない。 それは、あなたの深層心理に潜む、抑圧された欲望、隠された本性、最も恐れるもの…それらが、あなたの理性と戦い、あなたを狂気に突き落とす。 鏡は、何も映さない。 しかし、それは、あなたの心を映し出している。 そして、その闇を、無限に増幅し、あなたを永遠にその闇に閉じ込める。 あなたは、そこで、永遠に、自分自身と戦うことになるだろう。 まるで、地獄の底に落とされたように。

 これらの面鏡は、互いに繋がっていると伝えられている。 一つを見れば、他の面鏡にも、あなたの魂の闇が映し出されるという。 三つの面鏡全てを見た者は、村の呪縛から逃れることはできない。 永遠に、その闇に囚われ、魂を蝕まれ続けるというのだ。 羽黒村の面鏡の物語は、今もなお、村の古老たちから語り継がれ、村人たちの心に深い恐怖を刻み込んでいる。 そして、その物語は、いつの日か、あなたにも届くかもしれない…
それは、この村に代々伝わる、決して破ってはいけない(おきて)だった。

なぜ双眼鏡で山を見てはいけないのか?

その理由は、村人たちの間で「くねくね」という恐ろしい存在の噂として語り継がれていた。

「くねくね」は、山奥に棲むという、人ならざる者。

その姿は、まるで、木の根が()いずるように、地面を這い、くねくねと動くことから、そう呼ばれているという。

その姿を見た者は、皆、精神を病み、廃人となってしまったという。

村人たちは、その恐ろしい噂を信じ、決して山を双眼鏡で見ることはなかった。

しかし、若者たちは、その言い伝えを単なる迷信だと考えていた。

「そんなもの、いるわけがない。」

そう思った若者たちは、好奇心から、こっそりと山を双眼鏡で覗き始めた。

ある日、村の若者、文雄は、山を双眼鏡で覗いていた。

彼は、山奥に、奇妙な動きをしているものを発見した。

それは、まるで、木の根が這いずるように、地面を這い、くねくねと動いていた。

文雄は、その奇妙な動きに、ゾッとした。

しかし、彼は、恐怖よりも、好奇心の方が勝っていた。

彼は、双眼鏡を離すことができず、その奇妙な動きを見つめ続けた。

すると、その奇妙な動きは、次第に、人間の形に近づいてきた。

それは、まるで、人間が這いずるように、地面を這い、くねくねと動いていた。

文雄は、その光景に、言葉を失った。

それは、まさに、村人たちの間で語り継がれていた「くねくね」だった。

文雄は、恐怖に震えながら、双眼鏡を落としてしまった。

恐怖のあまり、彼は、その場から逃げ出した。

しかし、彼の心は、すでに、恐怖に支配されていた。

文雄は、夜になると、悪夢を見るようになった。

夢の中で、彼は、くねくねに追いかけられる。

くねくねは、彼の背後から、這いずるように近づいてくる。

文雄は、必死に逃げようとするが、くねくねは、彼を執拗に追いかけてくる。

そして、彼は、ついに、くねくねに捕まってしまう。

くねくねは、彼の体を、ゆっくりと、ゆっくりと、くねくねと曲げていく。

文雄は、耐えられずに、目を覚ました。

しかし、彼の心は、すでに、恐怖に支配されていた。

彼は、精神を病み、廃人となってしまった。

村人たちは、文雄の姿を見て、再び、山を双眼鏡で見ることの危険性を思い知った。

「山を双眼鏡で見るな。それは、くねくねを見ることになる。くねくねを見た者は、皆、精神を病む。」

村人たちは、その言葉を、子供たちに語り継いだ。

そして、村人たちは、再び、山を双眼鏡で見ることはなくなった。

しかし、山奥には、今も、くねくねが棲んでいる。

夜になると、山からは、奇妙な音が聞こえてくる。

それは、くねくねが、地面を這いずる音なのか、それとも、人間の悲鳴なのか。

誰も、その答えを知らない。
 夕暮れが迫る山里。廃屋と化した古民家の裏手には、苔むした古井戸が口を開けていた。その井戸から、時折聞こえるささやき声。村人たちは、それを「井戸の怨霊」と呼び、近付くことさえ恐れていた。

私は、幼い頃からこの村で育った。代々語り継がれてきた、井戸の恐ろしい言い伝えを何度も聞かされた。それは、かつてこの村で起きた悲劇の物語だった。

昔々、この村には美しい娘がいた。彼女は村一番の織り手で、その技は村人たちの憧れの的だった。しかし、彼女は、ある日、井戸に身を投げた。理由は誰も知らなかった。ただ、彼女の遺体が井戸から引き上げられた時、彼女の顔には、深い悲しみと、何とも言えない恐怖が刻まれていたという。

 それからというもの、古井戸から、ささやき声が聞こえるようになった。それは、まるで、誰かが助けを求めているような、悲痛な声だった。最初は、風の音か、動物の鳴き声だと村人たちは思っていたが、その声は、夜になるとますます大きくなり、不気味なまでに鮮明になっていった。

ある日、村の若者たちが、勇気を出して井戸に近づいた。彼らは、井戸の中を覗き込んだが、何も見えなかった。しかし、その時、彼らの耳に、かすかなささやき声が届いた。
「助けて…」「出して…」

その声は、まるで、井戸の底から聞こえてくるようだった。若者たちは、恐怖に(おのの)き、逃げ出した。それからというもの、誰も井戸に近付かなくなった。

私は、祖母からこの話を聞かされるたびに、恐怖を感じていた。しかし、同時に、井戸の怨霊の正体を知りたいという、強い好奇心も抱いていた。

 ある夜、満月が空に輝いていた。私は、勇気を出して、古井戸に近づいた。私の心は、恐怖と好奇心で揺れ動いていた。井戸のそばに立つと、冷たい風が肌を撫でた。そして、かすかなささやき声が、私の耳に届いた。

「…お願い…」「聞いて…」

その声は、まるで、私の名前を呼んでいるようだった。私は、恐怖に震えながらも、井戸の中を覗き込んだ。何も見えなかった。しかし、その瞬間、私の足元から、何かが這い上がってきた。それは、人間の腕のようだった。

私は、悲鳴を上げ、逃げ出した。その腕は、私の足首を掴もうとしていた。私は、必死に走り続け、村までたどり着いた。

 それからというもの、私は、古井戸のそばには二度と行かなかった。しかし、今でも、夜になると、井戸のささやき声が、私の耳に聞こえてくることがある。それは、まるで、私の心を引き裂こうとするような、悲痛な声だ。

 私は、この村を離れるべきだろうか?それとも、井戸の怨霊を救う方法を探すべきだろうか?私は、まだ答えを見つけることができない。しかし、一つだけ確かなことがある。それは、古井戸のささやき声が、私の心に永遠に刻まれるだろうということだ。

それから、時が経ち、私は大人になった。しかし、古井戸のささやき声は、私の記憶から消えることはなかった。ある日、私は、古い村の記録を調べていた。すると、驚くべき事実を発見した。

かつて、この井戸に落とされた娘は、実は、村の有力者の娘だった。彼女は、村の有力者によって、無理やり結婚させられそうになっていた。彼女は、その結婚を拒否し、井戸に身を投げたのだ。

村の有力者は、娘の死を隠蔽するために、井戸を埋め立てようとした。しかし、娘の怨念は、井戸から消えることがなかった。そして、今もなお、ささやき声となって、村に響き渡っているのだ。

 私は、この事実を知って、深い悲しみを感じた。同時に、井戸の怨霊を救う方法を見つけなければいけないと思った。私は、村人に、この事実を伝え、井戸の祟りを鎮めるための儀式を行うことを提案した。

村人たちは、最初は戸惑っていた。しかし、私の熱意に動かされ、儀式を行うことに同意してくれた。そして、私たちは、古井戸のそばで、娘の霊を弔う儀式を行った。

儀式が終わると、古井戸から聞こえていたささやき声は、静かに消えた。村に、長年降りかかっていた呪縛が解けた瞬間だった。

それからというもの、古井戸は、静かにそこに(たたず)んでいる。もはや、ささやき声は聞こえてこない。しかし、私は、あの夜の恐怖と、娘の悲しみを、決して忘れることはないだろう。そして、この物語を、次の世代へと語り継いでいこうと思う。
 深い霧が立ち込める某県の山奥。かつてそこにあったという杉沢村は、地図にも、記録にも残っていない。ただ、地元の古老たちの間で、断片的に語り継がれる忌まわしい伝承だけが、その存在を(ほの)めかす。

その村は、決して訪れてはならない場所だと伝えられている。深い森に囲まれ、獣道のような細い道しかなく、迷い込んだ者は二度と戻って来られないという。そして、村に入った者は、皆、狂気に染まり、あるいは、魂ごと消え失せてしまうというのだ。

その始まりは、村の青年、政夫の異変だった。彼は、ある晩、満月の夜に、突然狂気に染まった。鋭い眼光、血走った瞳、そして手にしたそれは、先祖伝来の、禍々(まがまが)しい形をした刃物だった。

その夜、その村は血塗られた修羅場と化した。政夫は、村人一人ひとりを、凄惨(せいさん)な方法で殺戮(さつりく)していった。老いた者、幼い子供、誰もが彼の狂気に巻き込まれ、悲鳴も虚しく、命を奪われた。そして、最後に政夫自身も、同じ刃物で自らの命を絶った。

翌朝、村は静寂に包まれた。しかし、その静寂は、死の沈黙だった。家々は、血痕と、壊れた家具、そして、散乱した遺体だけが残り、生きた者の気配は一切なかった。

 それからというもの、その村は、まるで地図から消し去られたかのように、存在を忘れ去られた。わずかに残されたのは、村の入り口に立つ、朽ち果てた「立ち入り禁止」の看板と、古老たちの間で(ささや)かれる、恐ろしい伝承だけだ。

その伝承には、様々な異形が語られる。満月の夜に現れるという、白い着物をまとった女の幽霊。森の奥深くから聞こえるという、子供の泣き声。そして、政夫の魂が、今もなお、村を彷徨(さまよ)い続けているという。

 その村は、決して訪れてはならない場所。それは、生者の領域ではない、魂を喰らう闇の領域なのだ。 そこに足を踏み入れた者は、二度と戻って来られない。そして、たとえ生きて戻ってきたとしても、その魂は、すでにその村の呪縛に囚われているだろう。
 深い森に閉ざされた黒曜村(こくようむら)。その村のはずれにそびえ立つ黒曜の古木は、ただの木ではない。それは、幾百年もの間、村に禍々しい呪いを降り注ぎ続けてきた、怨念の塊なのだ。

この呪いの起源は、平安時代へと遡る。黒曜村は、かつて、名を陰陽師・安倍黒耀(あべこくよう)と称する、謎めいた呪術師が住み着いた地だった。安倍黒耀は、莫大な力を得るため、禁断の儀式を行った。それは、人々の魂を黒曜の古木に繋ぎ止め、その力を吸い取るという、恐ろしい儀式だった。

安倍黒耀は、安倍晴明を彷彿(ほうふつ)とさせるほどの高い呪術の腕前を持ち、人々からは畏敬の念と恐怖の念を同時に抱かれる存在だった。しかし、その力は、邪悪な目的のために使われた。彼は、莫大な力を得るために、禁断の儀式を繰り返した。

儀式は成功した。黒曜の古木は、安倍黒耀の邪悪な力で、巨大な怨念の器と化した。しかし、安倍黒耀の野望は、そこで終わらなかった。彼は、村人たちの魂を操り、自分自身の永遠の命を手に入れようとした。

しかし、安倍黒耀の企みは、村の娘、キヨによって阻止された。キヨは、安倍黒耀の邪悪な企みを看破し、彼を阻止しようと試みた。激しい闘いの末、キヨは安倍黒耀を倒すことに成功した。しかし、その代償として、彼女は自らの命を落とすこととなった。

安倍黒耀は倒されたが、彼の邪悪な力は、黒曜の古木に宿り続けた。そして、黒曜の古木は、キヨの怨念と、安倍黒耀の邪悪な力が混ざり合い、より強力な呪いへと変貌を遂げた。

呪われた者は、永遠に繰り返す一日を強いられる。それは、安倍黒耀の魂を操る力と、キヨの絶望と後悔が織りなす、恐ろしい悪夢だ。彼らは、安倍黒耀の野望を阻止できなかったキヨの悲しみを、永遠に背負わされるのだ。

この呪いを解くには、キヨの怨念と、安倍黒耀の邪悪な力を、黒曜の古木から断ち切る必要がある。しかし、その方法は、誰も知らない。黒曜の古木は、深淵からの囁きを送り続け、呪われた者たちを永遠の輪廻へと引きずり込む。

 黒曜村の古老たちは、この呪いの真実を、ひそかに語り継いでいる。そして、その呪いは、いつの日か、再び誰かを襲うかもしれない。黒曜の古木の黒曜色の影は、村を永遠に覆い続けるのだ。
 この村には、古くから伝わる怖い話がある。「歪んだ影」の話だ。夕暮れ時、山裾の集落に影が伸び始める頃、それは現れるという。人々の影ではない、奇妙に歪んだ、まるで生き物のような影が。

 私の祖母は、その話をよくしてくれた。祖母は、この村で生まれ育ち、幼い頃から「歪んだ影」の噂を聞いて育ったのだという。
「昔々、この村には、忌み嫌われた男がいたんだ。村はずれの小屋に一人で暮らし、夜な夜な不気味な儀式をしていたとか。ある日、男は姿を消し、小屋は焼けてしまった。それからというもの、夕暮れ時に、男の歪んだ影が村に現れるようになったんだ…」

祖母の話によると、その影は、人の形をしているようで、そうでない。伸び縮みし、形を変え、まるで意志を持っているかのように動くという。そして、影に近づいた者は、皆、行方不明になったという。村人たちは、夕暮れ時には外に出ないように、子供たちには決して一人で外を歩かないようにと、言い伝えてきた。

 私が十代の頃、村に新しい家が建った。その家は、村はずれの、かつて忌み嫌われた男が住んでいた小屋の跡地に建てられたものだった。ある日、友達と、その新しい家に忍び込んだ。好奇心と、少しの悪ふざけ心からだった。家の中は、まだ家具も何もない、空っぽの状態だった。薄暗く、静まり返った空間は、どこか不気味で、心臓が少し早くなったのを覚えている。

窓から夕日が差し込み、私たちの影が壁に伸びた。その時だった。壁の隅に、私たちの影とは明らかに違う、奇妙に歪んだ影が伸びていることに気づいた。それは、まるで、生きているかのように、ゆっくりと、しかし確実に動いていた。

その瞬間、全身を凍りつかせるような恐怖が襲ってきた。息が詰まり、口が乾き、手足が震えた。影は、人間の影とは明らかに異なっていた。それは、細長く伸びた指のようなもの、不自然に曲がった腕、そして、まるで何かを覗き込んでいるかのような、不気味な黒色の塊だった。

心臓が胸の中で激しく鼓動し、まるで今にも飛び出してきそうな感覚だった。冷や汗が噴き出し、全身が震え、意識が朦朧(もうろう)としてきた。逃げなければ、と思ったが、足が動かない。恐怖で体が麻痺しているようだった。

友達は、悲鳴を上げた。その声は、私の恐怖をさらに増幅させた。私たちは、一目散に家から逃げ出した。振り返ると、歪んだ影は、私たちを追いかけてくるように、伸びてきていた。その速度は、驚くほど速かった。

その夜、私は悪夢を見た。歪んだ影に追いかけられ、逃げ場のない暗闇の中を永遠にさまよう夢だった。息苦しさ、恐怖、絶望… 夢の中でも、あの不気味な影の動き、形、そして、その冷たい視線を感じていた。

 それからというもの、私は夕暮れ時、外に出ることが怖くなった。村はずれの新しい家の方向を見ると、いつも、あの影の気配を感じてしまう。心臓がドキドキし、息が浅くなり、全身に鳥肌が立つ。

最近、村では、また行方不明者が出ているという。村人たちは、噂話をするのをやめた。みんな、恐怖に怯えているのだ。私も、その一人だ。

 私は、祖母から聞いた「歪んだ影」の話が、単なる昔話ではないことを確信している。それは、今もこの村に存在し、人々を恐怖に陥れているのだ。そして、私は思う。歪んだ影は、単なる影ではない。それは、忌み嫌われた男の怨念、あるいは、何かもっと恐ろしいものの化身なのかもしれない。

夕暮れが近づき、山裾に影が伸び始める。私は、窓から外を眺める。村は、静かに、そして不気味に沈んでいく。そして、私の心にも、歪んだ影が忍び寄る。その冷たい、不気味な影が、私の心を蝕んでいく。

 私は、この村を離れるべきなのかもしれない。しかし、この村には、私の家族、私の故郷がある。私は、この村を、この「歪んだ影」を、どうすればいいのか、わからない。この村の言い伝えは、今も語り継がれ、そして、人々の心に、歪んだ影を落とし続けるだろう。
 夏の終わり、お盆の季節。田んぼの稲穂が黄金色に染まり、夕暮れ時は赤とんぼが乱舞する、のどかな山里。そこでは古くから伝わる「村のかくれんぼ」が行われていた。

お盆の祭り、賑やかな太鼓と笛の音も静まり、夜空には満月が輝きはじめた頃、子供たちは集まってくる。年齢もバラバラ、小さなお子さんから中学生くらいの子まで、村の子供たちが皆集まってくるのだ。

 「村のかくれんぼ」のルールは簡単だ。日没後、村のあちこちに隠れて、大人たちが子供たちを探す。見つかった子供は、その場でゲームを終了し、一目散に自分の家に帰る。そして、最後まで見つからずに残った子供、つまり「勝ち残り」には、ご褒美が与えられるのだ。

ご褒美の内容は毎年違う。時にはお菓子の詰め合わせ、時にはおもちゃ、時には村の大人たちが手作りしたご馳走など、子供たちにとって魅力的なものばかりだ。

しかし、この「村のかくれんぼ」には、恐ろしい噂があった。

過去、何度か「勝ち残り」が出たことがある。しかし、その子供たちは、その後誰一人として村で姿を見せなかったのだ。まるで、この世から消えたかのように。

最初は単なる噂話として片付けられていた。子供たちは、ご褒美への期待感の方が恐怖心よりも大きかった。しかし、年々「勝ち残り」が出ても、その子が村から消えるという出来事が繰り返されるにつれ、村の子供たちの間にも、少しずつ不安が広がり始めた。

 今年の「村のかくれんぼ」も、例年通りに始まった。子供たちは、それぞれが得意な隠れ場所を探し、大人たちは懐中電灯を片手に子供たちを探し回る。

その年の「勝ち残り」は、10歳の少女、よし乃だった。彼女は、誰よりも早く、誰よりも巧みに、大人たちの目を欺き、最後まで見つかることなく、夜が明けるまで隠れ続けた。

ご褒美として、彼女は村の古老から、美しい手彫りの木の人形を贈られた。その人形は、まるで生きているかのように、精巧に作られていた。よし乃はその人形を大事そうに抱きしめ、家に帰っていった。

しかし、翌朝になっても、よし乃は家から出てこなかった。両親が何度呼んでも、返事がない。戸を叩いても、反応がない。

村人たちは、よし乃の家の前に集まり、戸をこじ開けて中に入った。家の中は、物音一つしない。よし乃の姿はどこにもなかった。彼女の部屋には、綺麗に畳まれた布団と、そして、あの美しい木の人形だけが、残されていた。

それからというもの、よし乃は村から完全に消えた。まるで、この世から消え去ったかのように。

村人たちは、恐怖におののいた。よし乃が最後に持っていた木の人形は、まるで呪われたかのように、不気味な光を放っていた。

 それから何年も経った今でも、「村のかくれんぼ」は行われている。しかし、子供たちは、以前のような無邪気な笑顔でゲームに参加することはない。彼らの目には、恐怖と不安が混じり合った複雑な表情が浮かんでいる。

そして、毎年、誰かが「勝ち残り」になる。そして、その子供は、村から消えていく。

 「村のかくれんぼ」は、もはや子供たちの遊びではなく、村に伝わる恐ろしい儀式と化していた。誰もが、その恐ろしい真実に気づきながらも、誰もが、その呪縛から逃れることができないでいた。満月の夜、村の静寂を破るように、子供たちの泣き声が響き渡る。それは、恐怖の叫びであり、同時に、絶望の叫びでもあった。

 誰もが、この恐ろしいゲームの終わりを願っている。しかし、誰も、その方法を知らない。そして、誰も、この呪われた村から逃れることができない。