偽りの先で恋をする

 今日は体育祭当日。朝から構内は活気に満ち溢れていた。白線が引かれたグラウンドでは開会式の準備が進められている。
 男の子は気合いを見せつけるように腕を捲り、女の子はイベント特有の可愛い髪型をして友達同士で写真を撮りあっていた。
 その子たちとは対照的に私の髪の毛はボサボサ。委員会の仕事で普段より一時間も早く来なければいけなくて、ヘアアレンジをする暇なんてなかったからだ。

「あ、奈緒! いたいた!」

 後ろから名前を呼ばれて振り返ると、そこには莉弥が立っていた。彼女は「おはよう」と言いながら駆け寄って来たが、私の髪を見た途端、ぎょっとしたように目を張った。

「何なの、その髪の毛は……?」
「ああ、時間なくて」

 自分の髪の毛を少し摘んで見せる。ふと莉弥の頭に目を向けると、そこには綺麗なお団子が作られていた。

「莉弥はちゃんとセットしてきたんだ。可愛いね」

 私がそう言うと、莉弥は得意げに微笑んだ。

「当然でしょ! せっかくの体育祭なんだから。奈緒も可愛くしようよ」

 莉弥はポケットから常備してるクシとゴムを取り出す。既にやる気満々だ。私は戸惑いながらも、彼女の圧に押される形で頷く。

「じゃあ、お願いする」
「うちに任せて」

 莉弥の器用な手先によって、私のボサボサだった髪はどんどん整えられていく。優しく髪を掬われる感覚が少し擽ったい。

「よし、完成。見てみて」

 莉弥に手渡された手鏡を覗き込む。そこにはさっきまでの無造作な髪はなく、シンプルで可愛い髪が写っていた。
 彼女の自信に満ち溢れた表情にも納得がいく。

「すごい……私じゃないみたい」
「流石はうち! 奈緒のことよくわかってる」
「ばか、自画自賛しないの」

 軽い掛け合いをしていると、つい笑みが零れた。少し前までなら、きっとこんな会話出来ていなかっただろう。

「あっ、そろそろ開会式始まりそう。整列しとこ」

 スマホで時間を確認する莉弥に言われて、自分のクラスに足を進める。その間、落ち着かない気持ちでキョロキョロと辺りを見渡してみる。

――東條くん、来てくれるかな。

 抑えきれない不安が込み上げてくる。あの日、彼は来ると約束してくれたけれど、今朝の委員会の集まりには姿を現さなかった。
 そのときは朝から来るとは言っていなかったしな、と自分を納得させたが本当のところはわからない。

 私はそんな不安を振り払うように息を吐いた。東條くん本人が来ると言ったんだ。それを信じて待つしかない。
 自分のクラスがいる場所についた頃には、ほとんどの人が整列し終えていた。私たちも急いで列に加わる。
 開会式といってもラジオ体操をするだけで、意外とすぐに終わってしまった。それから次々と競技が行われた。
 私は委員会の仕事で忙しいので、一番最初の六十メートル走。いわゆる前座に出させてもらった。順位は四位とあまりよくなかったけれど、体育嫌いの私は走っただけでも偉いと思う。

 その後はクラスメイトの応援をする暇もないくらい、ずっと動き回っていた。放送席にあるマイクを運んだり、得点板を整理したりと仕事に追われていたら、あっという間にお昼になっていた。
 まだ東條くんのことは一度も見ていない。約束したとは言え、やっぱり何か来られない事情でもできたのだろうか。
 上がらない気分をどうにか上げようと、莉弥がいる場所に向かう。すると、何やらクラスの人たちが集まって話し合いをしていた。

「何かあったの?」

 私は莉弥の隣に立ち、ひそひそと話すクラスメイトを見渡す。

「うん、ちょっと問題発生しちゃって……」

 莉弥が説明しようとしてくれていると、委員長の佐々木さんがすっと私の前に足を踏み出してきた。その顔からは申し訳ないという気持ちが滲み出ていて、嫌な予感がした。

「忙しいところ、本当にごめん。借り物競争出てくれないかな? 出る予定だった子がさっきのリレーで怪我しちゃったんだ」
「えっ、私が?」

 案の定、嫌な予感は当たってしまった。

「もう出れるのが、あなたくらいしかいないの。ほら、競技一つしか出てないでしょ?」

 確かに私は最初の六十メートル走しか出ていない。出ている競技が少ない人を、優先的に補欠に回さないといけないというルールがあったのを今思い出した。
 委員会を理由に断ることはできる。だけど佐々木さんの申し訳なさそうな表情を見たら、それを言うのは気が引けた。
 走るだけなら六十メートル走と変わらないし、きっと大丈夫。

「……わかった。やるよ」

 私がそう言うと、佐々木さんは私の手を取り、嬉しそうにぶんぶんと振り始めた。

「ほんとに助かる! ありがとう!」

 こうして私は借り物競争に急遽参加することになった。お昼休みが終わると、すぐにその競技は始まった。
 心の準備をする暇もなく、私はスタートラインにつく。横には他クラスの生徒たちが真剣な表情で並んでいる。
 
――よーい、ドン!!

 ピストルが鳴ると同時に、私は勢いよく走り出した。それでも私はやっぱりビリだ。借り物競争なんだからここから挽回できる。そう思いながら、真ん中に残されたカードを引いた。

「えっ……」

 書かれていたお題に、思わず声が漏れた。一瞬、思考が止まる。
 ああ、どうしよう。
 周りの歓声が遠く聞こえる。
 迷っている間にも他クラスの人は次々とお題の物を見つけている。心臓が早鐘を打つ。こうなったらもうやけくそだ。

 私は急いで一年生が集まっている場所へと駆け出した。だけど、どれだけ探しても彼の姿は見当たらない。
 そのとき、視界の端に先生と話している彼の姿が見えた。その両手には三角コーンがしっかりと握られている。

「東條くん! 東條くんっ!」

 彼に駆け寄り、名前を呼ぶ。でもその声は周りの声援に掻き消されて、彼には届いていないようだった。

「奏多!!」
 
 なりふり構ってられなくて、もう一度彼の名前を呼んだ。それも今まで呼んだことのない下の名前でだ。
 すると、彼は驚いたように顔を上げて、私の方を見た。

「……奈緒先輩?」
「お願い! 一緒に来て!」

 お題が書かれたカードを掲げて見せる。距離が離れているから、そこに何が書かれているのかは彼からは見えていないはずだ。
 東條くんは頷くと、先生に三角コーンを押し付けてこっちまで来てくれた。私はそのまま彼の手を掴んで、ゴールへと走り出した。東條くんはかなり困惑していたが、私に身を任せてくれている。

 観客席からやけに大きな歓声が聞こえた。息がどんどんと上がっていく。
 
「えっ、これってそういうこと!?」
「最高じゃん!!」

 そんなざわめきが私たちを包み込む。そのまま勢いを殺すことなく、ゴールテープを切った。膝に手をつき、息を整えている私のところへ司会の人がお題の紙を回収しに来た。
 東條くんは私にゆっくり近づくと、首を傾げた。

「ねぇ、先輩。お題って……」
「――ちょっとは絵になったかな、なんて」

 東條くんの言葉を遮り、いつの日か彼が言っていたことをそのまま口にする。真っ赤になった顔を隠すために私は俯くことしかできなかった。
 司会の人がマイクを手に取り、興奮しながらお題を発表する。

「引かれたお題は……『彼氏にしたい人』だ!!」

 辺りにどよめきが起こる。今すぐここから逃げ出したい。それに東條くんの顔だってちゃんと見ることができない。だってこんなの公開告白してるのと一緒なんだから。

「奈緒先輩」

 東條くんの声が心臓の奥を優しく叩いた。私は恐る恐る顔を上げる。

「僕のこと好きなの?」

 風が吹いて、彼の瑠璃色の瞳が露になった。いつもなら学校につけてきてるはずの眼鏡も今日はつけていない。たったそれだけのことで、私は周りの歓声も聞こえないほど彼に釘付けになってしまう。

――本当にずるいやつだ。

 全部全部わかっているはずなのに、それでも私の口から聞こうとするなんて。

「仕方ないなあ」

 私が恥ずかしさのあまり答えられずにいると、東條くんは私の方へ一歩近づいてきた。

「僕は先輩のこと好きだよ」

 思わず息を呑む。彼の言葉が体育祭の熱気に溶けて、私の胸を焦がす。

「えっ……?」

 自分でも驚くくらい掠れた声が喉から絞り出される。信じられない。私の聞き間違え?
 そんな思考が頭を巡る。でも東條くんの顔はいつになく真剣だ。それによく見ると目元が熱を帯びている。

「先輩は? 僕のこと好き?」

 彼に誘導されるまま自分の意志とは関係なく、自然と口が開いた。

「私も……奏多が好き」

 その声はとても震えていて、自分のものとは思えなかった。でも確かにそれは私の口から紡ぎ出された本音だった。

「うん、知ってる」

 東條くん……じゃなくて奏多はそう言うと、私の手を取った。私は顔を覆いたくなる衝動をなんとか抑えて、彼の手を握り返す。
 辺りには冷やかしの声が飛び交っていたけど、もうそんなの気にしない。

「大好きだよ」

 もう一度、私の想いを伝える。すると今度は奏多の顔が赤く染まっていった。女慣れしていると思っていたのに、私の言葉一つでそんな表情をする彼が愛おしい。

 夏を象徴する広い青空が、そのくすぐったい空気が私たちを包み込む。
 そのまま私たちの影はひとつに重なった。