偽りの先で恋をする

 翌日、学校に行くと莉弥は私の顔を見るなり、目を見開いた。

「えっ、ちょ、どうしたの!? 目腫れてるじゃん。昨日返信もなかったし、何かあったの? もしかして……泣いた?」

 身をぐいっと乗り出して迫ってくる莉弥の圧に負けて、一歩後退る。

「大丈夫だよ。昨日は返信できなくてごめん。充電切れちゃってて」

 私は曖昧な笑顔を浮かべることしかできなかった。莉弥は困ったように眉を下げた。
 まただ。どうしてこうなるんだろう。
 今まで嘘をつくことで上手くいってたことが、最近では嘘をつくことで崩れている気がする。

 嘘をつけばつくほど、まるで自分の首を絞めてるみたいに苦しくなってしまう。昨日だって自分の気持ちがわからなくなって、どうしようもなくなって。
 だから心の奥に押し込めたのに、今また莉弥の声でそれが出てきてしまいそうになっている。

「ねえ、奈緒。本当のこと言って。うちら友達でしょ?」

 ――友達。

 その響きがとても優しくて、真っ直ぐで。なのに、私はどうしてか逃げ出したくなった。一瞬返答に迷ってから、でもやっぱり曖昧に笑うことしかできなかった。

「本当だって。大丈夫だから」

 嘘だ。
 莉弥は私をじっと見つめたあと、短く息をついた。

「奈緒がそう言うなら。わかった」

 それ以上は何も言ってこなかった。ただそのことが余計に胸に突き刺さる。
 放課後にはまた会議があるというのに、心の整理は全くできていない。
 東條くんに合わせる顔がないな。
 心配事が心を覆っていく。授業が終わってから重い足を引きずり、教室を目指す。
 恐る恐るドアを開ける。どうやらまだ彼は来ていないようだ。それがわかった瞬間、体の力が一気に抜けた。
 このまま東條くんが来なければいいのに、なんて願ってしまった。そんなことを考えてしまう自分がひどく嫌になる。

 ――結局、その日、東條くんは会議に来なかった。

 それはその日だけでは終わらなかった。彼はその後、一週間経っても姿を見せなかった。
 会議だけじゃなく、日常生活の中でも見かけなくなってしまった。面白がって私の名前を呼ぶ、あの人がいない。
 ただそれだけのことなのに、ぽっかりと心に穴が空いた気がした。


 ある日の昼休み、いつものように莉弥とご飯を食べていると、彼女が突然口を開いた。

「やっぱ最近様子おかしいよ」
「そうかな? 自分じゃあんまわかんないや」

 私はその話題を避けるようにお箸で掴んだ具を口に運んだ。だけど莉弥は納得できないとでもいうように、言葉を続けた。
 
「単刀直入に聞くよ。あの男の子のことと関係してる? いつも奈緒の名前呼んでくる後輩くん」

 お箸を持つ手が止まる。きっとそれだけで莉弥には伝わってしまった。

「あの、私……」

 上手く言葉が出てこない。そんな私の様子を見かねて、莉弥はある提案をしてくれた。

「気分転換に屋上でも行く?」

 屋上は普段立ち入り禁止の場所だ。でも、ある日、たまたま鍵が開いてるのを見つけてから、ときどき訪れるようになった。
 昼休みの終わりまで、あと十分ほど。
 私は莉弥に誘われるがまま、屋上へと続く階段を登った。鉄の扉をそっと押し開ける。

 次の瞬間、風が吹き抜けた。高いフェンスの向こうに青空が広がっている。地上より幾分か冷たい空気が気持ちいい。
 
「あー、さいこ〜」

 莉弥は伸びをしながら、めいいっぱい空気を感じ取っていた。私も大きく深呼吸する。

「どう? ちょっとは落ち着いた?」
「うん、だいぶ落ち着いたよ」
「良かった良かった」

 莉弥は満足気に頷く。

「それで、教えてくれる? 何があったのか」

 彼女の言葉に私は小さく息をついてから答えた。

「東條くんに酷いことしちゃったの。全部全部、私が悪いのに、それを受け止めるのが怖くて。謝りたいけど、どこにいるのかもわからない……きっと怒ってるよ」

 出し尽くしたと思っていた涙がまた溢れてくる。拙い私の想いを莉弥は何も言わず、背中を撫でながら涙が落ち着くのを待ってくれた。
 ぽつりと莉弥が口を開く。

「それが奈緒の本音なら本人に伝えようよ」
「東條くんに……?」

 涙の残る目を瞬かせる。

「どういう経緯でそんなことになったのか、うちには全然わかんないけどさ。話さないことには何も解決しないでしょ」
「でも……今さらそんなことしたって……」

 手遅れかもしれない。何をしても東條くんには届かないかもしれない。
 そんな不安が喉を塞いだ。

「今さらなんて誰が決めたの?」

 莉弥は私の弱音を打ち消すように、真っ直ぐとした目で見つめてくる。

「謝りたいんじゃないの? ここで勇気出さなかったら、ずっとこのままだよ」

 その言葉にハッと顔をあげる。このまま自分の間違いを正さず、時間の流れに身を委ねて過ごすことだけは嫌だ。

「莉弥、手伝ってくれる?」
「当たり前でしょ。ほら、行こ」

 優しく微笑むと、莉弥は扉に向かって歩き出した。胸がチクリと痛む。私は東條くんだけじゃなくて、莉弥にも言わないといけないことがある。
 こんなにも私に良くしてくれてるんだ。これ以上、目を逸らすことはできない。

「ちょっと待って」

 私が声をかけると、莉弥は振り返り、不思議そうな顔で首を傾けた。

「ん? どうかした?」

 手が震える。でも、もう逃げるわけにはいかない。震えを抑えるためにスカートをギュッと掴んだ。

「あと、もうひとつ言っておきたいことがあるんだけど」

 私は息を深く吸い込んでから、言葉を紡いだ。

「私……本当は男慣れなんてしてない。手を繋いだことも、付き合ったことも、告白されたことすらない。それに……口だって悪い。本当の私は莉弥が思ってるような人じゃない。今まで騙しててごめんなさい」

 ああ、全部言ってしまった。莉弥の反応が怖くて視線が下がる。
 すると、目の前にひとつの影が目の前に落ちた。次の瞬間、暖かい感覚が身を包み込む。莉弥に抱きしめられたんだと気づいたのは、それから少ししてからだった。

「……ごめん」
「え?」

 予想外の言葉に思わず目を張る。

「今まで無神経な発言しすぎてた。恋愛経験豊富な友達いてよかった、みたいな……うちがこんなんだから言い出しにくかったよね。ほんとにごめん!」

 莉弥の腕にぎゅっと力がこもる。

「莉弥のせいじゃないよ」

 私も彼女の背中に腕をまわしながら、首を横に振る。これまでのことは自分の弱さが招いた結果なんだから。

「だから気にしないで」

 今までの私は嘘で塗り固めてできた存在で、それを知られたら軽蔑されるんじゃないかと、私から離れていってしまうんじゃないかと思っていた。
 でも莉弥は違った。何も態度を変えず、私と向き合ってくれた。
 それがどうしようもないほど嬉しくて、胸の奥が温かくなる。

「……ありがとう」

 私が呟くと、莉弥は小さく「うん」と笑った。

「休み時間終わっちゃう。戻ろ」

 そう言いながら差し伸べてきた彼女の手をとる。それから私たちは一緒にその場を後にした。


 放課後。東條くんの行方を探すために、私は莉弥と職員室に向かった。教科担当の先生に聞けば何かわかるかもしれないと思ったからだ。
 期待と不安を胸に抱え、ゆっくりと職員室に足を踏み入れる。

「失礼します」

 先生たちが、ちらりとこっちを見る。その中に強化の先生の姿も見つけて、思い切って声をかけた。

「あの、東條くんのことで少し聞きたいことがあるんですけど……」

 私がそこまで言うと、先生は何かを察したよう「ああ」と声を発した。

「東條ならちょっと前から家庭の事情で学校休んでるぞ」

 家庭の事情。その言葉に胸がざわついた。私は勝手に東條くんを知った気になっていたけれど、本当は何も知らないことを突きつけられる。
 
「先生、お願いします。東條くんの家、教えてください。どうしても話さなきゃいけないことがあるんです」

 先生は一瞬、驚いたような表情を見せたが、すぐに口元をきゅっと引きしめた。

「悪いがそれはできない。生徒の個人情報だからな」
「そこをなんとか……!」

 必死に食い下がるが、先生は首を横に振った。

「俺の口から言えることは何もない」

 その言葉に強く唇を噛む。そんな私の様子を見て、莉弥が宥めるように名前を呼んできた。

「奈緒……」
「……うん、ごめん。わかってる。先生、無理言ってすみませんでした」

 自分を落ち着かせるために大きく深呼吸する。大丈夫、きっと他にも方法はある。そう自分に言い聞かせながら先生に背を向けたときだ。
「ちょっと待ってくれ」と呼び止められた。

「これ東條に返しといてくれるか? あいつの落し物なんだ」

 居場所のわからないのにどうして私に、という言葉は手渡されたものを見た途端に引っ込んでしまった。
 
「あの、これ……」
「じゃあ頼んだからな」

 先生は何事もなかったように踵を返し、業務に戻って行った。私たちもここにいては邪魔になってしまうと思い、急いで職員室を出る。
 だけど私の意識は完全に手元にある東條くんの忘れ物に向けられていた。莉弥は不思議そうに首を傾けると、手元を覗き込んできた。

「何渡されたの……って、それ生徒手帳じゃん!」

 莉弥が言った通り、先生に渡されたのは正真正銘、東條くんの生徒手帳だった。
 中を開けてみると、彼の住所と思わしきものが書いていた。私は無意識に生徒手帳を強く握りしめた。
 先生に心の中で感謝の言葉を述べる。

「やったね、奈緒! 住所わかったじゃん」

 自分ごとのように喜んでくれる莉弥に、私も精一杯の笑みを向けた。

「手伝ってくれてありがとう」
「ここからは一人で大丈夫?」

 それに返事をするのを一瞬、躊躇ってしまう自分がいた。私の弱音を聞いて、ここまでついてきてくれた彼女にまだ甘えていたい気持ちはある。
 けれど、東條くんに用があるのは私であって、莉弥じゃない。
 だから――。
 
「うん、平気。莉弥、ほんとにありがとね」

 私は莉弥を困らせないくらい力強く頷いた。

「ありがとうなんて、そんな何回も言わないで。うちは当たり前のことしてるだけなんだしさ」

 莉弥がおどけたように言うものだから、私の口元からは自然と笑みが零れた。

「また何かあったら連絡して」
「そうさせてもらう」

 それから私は莉弥と校門で別れた。私が何度も振り返る度に、彼女は手を大きく振ってくれた。たったそれだけのことなのに、とてつもない安心感を感じる。
 ふと上を見上げると、空はオレンジ色に染まりつつあった。日が暮れる前に行こうと、生徒手帳に書かれた住所を頼りに、スマホで位置を確認しながら足速に歩く。
 辺りの景色がだんだんと見たことのないものへと移り変わってきた。それとも同時に胸の鼓動が少し早まったのを感じる。

「ここで合ってるよね……」
 
 見慣れない住宅街を歩き続けで数十分、目の前には古びたアパートが建てられていた。白い外壁はところどころ色褪せていて、二階に行くための階段を上るとミシミシと音が鳴る。
 だけど、確かにそのアパートの一室には『東條』と書かれた表札がかかっていた。ここで間違いない。
 
 深呼吸を繰り返して、恐る恐るインターホンを押す。すると、ガチャガチャという音と共にゆっくりと扉が開いた。

「東條くん。急にごめ、ん……」

 言葉が詰まる。扉から顔を出したのは東條くんではなく、小学生くらいの男の子だった。
 その子は目をぱちくりさせながら、私を見ている。

「お姉ちゃん、だれ?」
「えっと……」

 突然のことに頭が真っ白になる。まさかこんな小さい男の子が出てくるだなんて、予想もしていなかった。
 よく見ると、その子の目元は東條くんと似ていた。あのいたずらな瞳を思い出す。もしかしてこの子は彼の弟だろうか。

「私、東條くんと同じ学校の人なんだけど、今いるかな?」
「兄ちゃんのこと? 今はいないよ」

 その言葉に私はどうしていいのかわからなくなる。彼に会うためにここまで来たのに、いないのなら意味がない。
 ひとり悶々と悩み続けていると、そんな私の様子を見かねて弟くんは口を開いた。

「もうすぐ帰ってくると思うから中で待っててもいいよ」
「えっ、いいの?」
「うん! 知らない人は家に入れちゃダメって言われてるけど、兄ちゃんの友達ならいいよ!」

 ニコニコと笑いながら、私が入りやすいように玄関の扉を開けてくれた。
 
「ありがとう」

 その好意に甘えて、ゆっくりと敷居を跨ぐ。東條くんの家は外から見たときよりずっと狭く感じた。
 家具も必要最低限のものしか置いておらず、部屋の所々には雨漏りした跡もある。

「お父さんとお母さんは仕事に行ってるの?」

 ふと疑問に思ったことを弟くんに聞いてみた。すると、弟くんは表情を少しも変えずに首を横に振った。

「お父さんは俺が生まれてからすぐ死んじゃったんだって。お母さんはお外で遊んでるんだって、兄ちゃんが言ってた」
「そうなんだ……ごめんね」

 無神経なことを聞いてしまったと反省の意も込めて、謝る。けれど、当の本人は全く気にしていないようだった。

「ううん。俺、兄ちゃんがいるから別に悲しくなんてないし。大丈夫だよ」

 そのたった一言で東條くんがとてもいいお兄ちゃんだったことがわかる。それと同時に、クズ男だなんて知りもしないのに決めつけていた自分が恥ずかしくなった。
 それから私は男くんに東條くんの話を色々としてもらった。優しいところ、怖いところ。それに最近はすごく楽しそうにしていたこと。
 でもどれだけ経っても、東條くんは家に帰ってこなかった。弟くんの顔がだんだんと陰っていく。

「兄ちゃん、いつもならもう帰ってきてるのに……」
「私ちょっと探してくるよ」

 不安気な表情を見ていられず、気づけば口をついていた。

「でも兄ちゃんがどこにいるか、俺知らないよ?」

 弟くんはそう言うが、私には心当たりがあった。東條くんと初めて会った場所。根拠は何もない。でもそこにいるような気がした。

「大丈夫、任せて。お兄ちゃんのこと連れ戻すから」

 弟くんが大きく頷いたのを確認してから、私は家を飛び出した。あの場所はここからそれほど遠くない。
 もうすぐ会える。そう思うと、自然と歩く足も速くなった。
 小道を抜けて少し開けた場所に出ると、見覚えのある背中が視界に入った。

――東條くん。

 名前を呼ぼうと口を開けるも、それは叶わなかった。彼が少し年上に見える女性に手を引かれて、路地裏へと入っていってしまったからだ。
 心臓がどくりと脈を打つ。足が前に進むのを拒んでいるかのように、動かない。
 でもここで立ち止まっているわけにはいかなかった。だって一瞬だけ見えた彼の瞳が、あまりにも冷たかったから。
 今思い返せば、初めて会ったときも同じ目をしていた気がする。それは彼が私に向けるいたずらな瞳とは全く違うものだった。
 ふと前に東條くんが言っていた言葉を思い出した。

『僕は自分にも他人にも嘘はついてない。ただ隠してるだけ』

 それに乾いた笑みを漏らす。自分を隠している時点で、大差なんてないのに。

「……やっぱり私たち似た者同士だよ」

 誰に言うでもなく呟いてから、一歩足を前に進める。石のように固まっていた足も今はちゃんと動く。
 私はそのまま路地裏へ足を踏み入れた。そこでは東條くんと女性の唇が重なろうとしていた。その直前、私は大声で彼の名前を呼んだ。

「東條くん!」

 彼の肩がビクリと震える。二人の距離が離れた一瞬を見計らって、私は間に割って入った。

「奈緒……先輩?」

 東條くんは驚いたように目を見開く。彼の手を握っていた女性はじろりと私を睨みつけた。

「あなた、誰?」

 その冷たい声に背筋が凍る。けれど今は、女性に構っている暇なんてない。

「あんたのこと迎えに来たの。ねえ、一緒に帰ろ?」

 東條くんにかっこつけて言ったけど、私の手はきっと震えていた。

「……僕まだ帰れないよ。お金がいるんだ……どうしても」
「それは……弟のために?」

 彼はハッと顔を上げた。その反応を見て「やっぱり」とひとり呟く。弟くんこ話を聞いたときから、もしかしたらとは思っていた。
 きっと今までのこと全部、弟くんのためにやっていたことなんだ。親を頼れないんだから自分がしっかりしなきゃと、重荷を一人で背負ってやってきたんだ。
 きっと東條くんのことだから弟くんのために何かすると決めたときから、躊躇ったことなんてなかったんだろう。
 でも、それでも――

「あんた、馬鹿だよ! 大馬鹿者だ!」

 私は声を荒らげた。辺りを取り囲む壁にぶつかって、反響する。

「全然人のこと言える立場じゃないじゃん」

 東條くんは唇を噛みしめて、何かを言いかけたけれど結局声にはならなかった。代わりに女性が静かにため息を吐く。

「さっきからあなた何なの? この子の彼女?」
「それは違う……けど」
「だったらもう首を突っ込まないでくれる?」

 その言葉に拳をぎゅっと握りしめる。確かに私がどうこう言う権利なんてないのかもしれない。

「――でも、私はあんたにここにいてほしくないの!」

 東條くんが驚いたような顔で私を見る。自分でも何を言っているのか理解するのに時間がかかった。
 けれど、胸の奥から溢れてくる感情に嘘をつくことなんてできない。
 一呼吸おいてから、また話し始める。

「弟くんが心配してた。あんたが帰って来ないって不安がってたよ」
「理人が……?」

 弟くんの名前を口にする彼の瞳が揺れ動く。そんな様子を気にも止めず、女性は息をついてから東條くんに近づこうとする。

「もういいでしょ。早く続きしよ? お金はちゃんとあげるから」

 女性が東條くんの手を掴む前に、私は彼の手を取り、その場から逃げ出した。
 夜の街を二人で駆け抜ける。しばらく走り続けて人気が少ない公園に辿り着いたときには、二人とも息が上がっていた。

「ここまで来れば大丈夫、なはず」

 息を整えながら私がそう言うと、東條くんはぽつりと呟いた。

「なんでここまでしてくれるの?」
「なんでって……」

 言葉で説明しようとしても、しっくりくる表現が見当たらない。ちらりと彼の方を見ると、その瞳には純粋な困惑が宿っていた。

「どうでもよくなかったから」
「えっ?」

 目を真ん丸にして私を見つめる彼に、同じ言葉をくりかえす。

「だから、あんたのことがどうでもよくないから。それに……謝りたかった」
「なにを?」

 わけがわからないといでもいうように東條くんは眉を顰める。私は一瞬だけ視線を落としてから言葉を紡いだ。

「ほら、この前のこと。もう嘘つくなって私に言ってくれたでしょ? それで図星つかれたからって酷いこと言っちゃった。本当にごめんなさい」

 深く頭を下げる。すると東條くんは慌てたように口を開いた。

「謝らなくていいよ。あれは先輩のせいじゃないし。僕の方こそ、ごめん。それから……ありがとう」

 彼は少し照れ臭そうに視線を私から外し、ぶっきらぼうに言葉を放った。意外な一面を見れて、思わず笑みが零れる。

「何笑ってんの?」
「いや、珍しいなと思って」

 私たちの間に流れる空気が和らいでいく。今なら何でも言える気がした。

「私ね、もう嘘つくのやめたの。親友にも話した。だからと言って、今までの態度とか、すぐに変えられるものでもないけど」

 東條くんは静かに私の話を聞いてくれた。

「だからあんたも、もう隠すのやめなよ。全部抱え込んでるくせに、強がるなんて。一人じゃ抱えきれなくて逃げ出したいんなら、私が逃げ場になってあげるから。あんたがそうしてくれたように」

 自分で言ってから、少しだけ恥ずかしくなった。多分、顔も赤くなってしまっていると思う。彼は驚いたような顔をしたあと、ふっと息をついた。

「……奈緒先輩ってやっぱりお人好しだよね」
「誰にでもじゃないから」

 優しい夜風が私たちを包み込む。

「明日学校来る?」
「んー、どうだろう」
「そんなすぐには難しいよね」

 彼の答えに少しだけ肩を落とす。そんな私の姿を見て、東條くんは「でも」と言葉を続けた。

「来週の体育祭には行くよ。委員会の仕事、任せっきりにしてたし、当日くらいは働く」
「ちゃんと来てよ?」
「先輩が待っててくれるならね」

 念を押すように言うと、彼は私をからかうような態度を取る。

「ばか」

 私にそんなことを言われたのに、その顔はどこか楽しげだ。ふと公園に設置された時計を見る。針は既に六時を回っていた。

「先輩、帰んないんでいいの? もう結構遅いけど」
「そろそろ帰るよ。そう言うあんたは?」
「僕も帰る。理人が待ってるから」

 正直、名残惜しくはあるけど、弟くんが待っているのなら仕方ない。

「送っていこうか?」
「いいよ。それより早く帰ってあげて」

 優しい提案に首を横に振る。

「じゃ、またね」

 私が軽く手を振って東條くんに背を向けようとしたとき、その手を彼に掴まれた。先輩、と呼ぶ声が何時もより弱々しく聞こえる。

「……来週、待ってて」

 それはさっきの冗談交じりの言葉とは違っていた。私は小さく頷く。

「うん」

 それ以外のことは何も言わなかった。けれど、不思議とそれだけで十分に思えた。