***
俺の両親は育児放棄をしたわけじゃない。中学受験に合格するまでは、母親は仕事をセーブして家にいてくれたし、経済的に余裕がある分、充分な生活と多くの金品を与えてくれた。
ソラだってそう。犬が欲しいとねだると、一人っ子だから遊び相手にいいだろうとすぐに飼ってくれた。
ただ祖父母からして「肩書き」に厳しく、両親は俺を有名校に入れて、将来は曽祖父の代から続く会社の後継者に育て上げようと躍起になっていた。
幼い頃は撫でられたり抱き上げられた記憶もある。でも小学校に入れば甘えることは恥、とでもいうように厳しく躾けられ、年々習い事と受験対策の塾にいる時間が多くなったことで、家族で過ごす時間は減っていった。
それでも俺は、いい点を取って親の望みどおりの子になれば微笑んで貰えるのだと、撫でて貰えるのだと、家族で楽しい時間を過ごせるようになるのだと、そう信じて勉強に打ち込んだ。
でも俺は、そこまで優秀じゃなかった。中学受験では親が第一にと望んだ学校に落ちた。第二志望校の今の学校も、特進コースは第一志望校の失敗からプレッシャーがかかり、駄目だった。
そして受験三日目。インターグローバルコースの受験に挑んだものの、十二歳の俺には二度の失敗が大きくのしかかっていた。
父親も母親も口にはしないが俺に失望していたから、ここで受からなければ見捨てられると思っていたのだ。
そして俺は、試験開始前から腹痛を起こした。
もう時間が迫っているのにどうしよう。
陽向先輩に出会ったのは、そんなふうに半べそをかきながらトイレから出た時だった。
陽向先輩は眼差しも声も、腹を撫でてくれる手もすごく温かかった。そしてその温もりは、弱っていた俺の心に深く染みついた。
またあのお兄さんに会いたい。そんなふうに思ってしまうほど。
そうして無事に合格した俺は、祖父母や両親にはそう喜んで貰えなくても、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
だって、あのお兄さんと毎日会えるようになる。
俺は入学してすぐにお兄さんを探し、挨拶をして「仲のいい後輩」の椅子を手に入れた。
最初は本当に兄のように慕っているだけだった。でもだんだんと、他の生徒が『おかん体質』の先輩から気遣いを受けているのを見かけると嫌な気持ちになって、誰かが先輩に話しかけるだけでも、先輩が俺以外に声をかけるのさえも、嫌だと思うようになってしまった。先輩に関わる生徒、全員が敵に思えるほどに。
陽向先輩、俺だけを見て。俺だけに声をかけて、俺だけに優しくして──
でもそんな気持ちは狂気的だということも、中二が終わる頃には自覚していた。男子校だから女子との関わりがなくて先輩に執着してしまうんだろうか。他の生徒は気づいていないけれど、先輩は髪も肌もツルツルしていて、触れると気持ちいい。とても綺麗な人だと思う。
いや、男の先輩をそんなふうに見ることはおかしい。留学で先輩から離れ、広い世界を見れば気持ちは変わるだろうか。
──逆効果だった。先輩に会えなくなると思うだけで不安になり、俺がいない間に先輩が誰かと付き合ったらどうしようなんて苛ついた。飛行機に乗った瞬間からなんてものじゃない。本当は中三になってからずっと、留学なんてしたくないと思っていた。
それでも飛び立ったオークランドで、二番目のホストファミリーに出会えたことに感謝することになる。
ホストファミリーはゲイの夫夫だった。
知ったクラスメイトは苦笑いを向けてきたけれど、俺は少しの抵抗もなく、仲睦まじい二人と二人の養子に囲まれて、自分のセクシュアリティを自覚した。
そして、俺が陽向先輩に求めているのはこの夫夫の愛の形なのだと気づかせて貰った。
先輩、俺、帰国したら先輩と恋人になりたい。
好きだと言って、好きになって貰って、先輩とずっと一緒にいる約束が欲しい。
先輩と、一生一緒にいたい。
先輩、好きだよ、大好き。日向先輩、俺のものになって……!
それからの俺は、少しでも先輩に好いて貰えるようにと留学中の勉強を頑張ったし、身なりや体作りにも励んだ。
そして……帰国したら先輩に思いを伝えると決意した。
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俺の両親は育児放棄をしたわけじゃない。中学受験に合格するまでは、母親は仕事をセーブして家にいてくれたし、経済的に余裕がある分、充分な生活と多くの金品を与えてくれた。
ソラだってそう。犬が欲しいとねだると、一人っ子だから遊び相手にいいだろうとすぐに飼ってくれた。
ただ祖父母からして「肩書き」に厳しく、両親は俺を有名校に入れて、将来は曽祖父の代から続く会社の後継者に育て上げようと躍起になっていた。
幼い頃は撫でられたり抱き上げられた記憶もある。でも小学校に入れば甘えることは恥、とでもいうように厳しく躾けられ、年々習い事と受験対策の塾にいる時間が多くなったことで、家族で過ごす時間は減っていった。
それでも俺は、いい点を取って親の望みどおりの子になれば微笑んで貰えるのだと、撫でて貰えるのだと、家族で楽しい時間を過ごせるようになるのだと、そう信じて勉強に打ち込んだ。
でも俺は、そこまで優秀じゃなかった。中学受験では親が第一にと望んだ学校に落ちた。第二志望校の今の学校も、特進コースは第一志望校の失敗からプレッシャーがかかり、駄目だった。
そして受験三日目。インターグローバルコースの受験に挑んだものの、十二歳の俺には二度の失敗が大きくのしかかっていた。
父親も母親も口にはしないが俺に失望していたから、ここで受からなければ見捨てられると思っていたのだ。
そして俺は、試験開始前から腹痛を起こした。
もう時間が迫っているのにどうしよう。
陽向先輩に出会ったのは、そんなふうに半べそをかきながらトイレから出た時だった。
陽向先輩は眼差しも声も、腹を撫でてくれる手もすごく温かかった。そしてその温もりは、弱っていた俺の心に深く染みついた。
またあのお兄さんに会いたい。そんなふうに思ってしまうほど。
そうして無事に合格した俺は、祖父母や両親にはそう喜んで貰えなくても、嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
だって、あのお兄さんと毎日会えるようになる。
俺は入学してすぐにお兄さんを探し、挨拶をして「仲のいい後輩」の椅子を手に入れた。
最初は本当に兄のように慕っているだけだった。でもだんだんと、他の生徒が『おかん体質』の先輩から気遣いを受けているのを見かけると嫌な気持ちになって、誰かが先輩に話しかけるだけでも、先輩が俺以外に声をかけるのさえも、嫌だと思うようになってしまった。先輩に関わる生徒、全員が敵に思えるほどに。
陽向先輩、俺だけを見て。俺だけに声をかけて、俺だけに優しくして──
でもそんな気持ちは狂気的だということも、中二が終わる頃には自覚していた。男子校だから女子との関わりがなくて先輩に執着してしまうんだろうか。他の生徒は気づいていないけれど、先輩は髪も肌もツルツルしていて、触れると気持ちいい。とても綺麗な人だと思う。
いや、男の先輩をそんなふうに見ることはおかしい。留学で先輩から離れ、広い世界を見れば気持ちは変わるだろうか。
──逆効果だった。先輩に会えなくなると思うだけで不安になり、俺がいない間に先輩が誰かと付き合ったらどうしようなんて苛ついた。飛行機に乗った瞬間からなんてものじゃない。本当は中三になってからずっと、留学なんてしたくないと思っていた。
それでも飛び立ったオークランドで、二番目のホストファミリーに出会えたことに感謝することになる。
ホストファミリーはゲイの夫夫だった。
知ったクラスメイトは苦笑いを向けてきたけれど、俺は少しの抵抗もなく、仲睦まじい二人と二人の養子に囲まれて、自分のセクシュアリティを自覚した。
そして、俺が陽向先輩に求めているのはこの夫夫の愛の形なのだと気づかせて貰った。
先輩、俺、帰国したら先輩と恋人になりたい。
好きだと言って、好きになって貰って、先輩とずっと一緒にいる約束が欲しい。
先輩と、一生一緒にいたい。
先輩、好きだよ、大好き。日向先輩、俺のものになって……!
それからの俺は、少しでも先輩に好いて貰えるようにと留学中の勉強を頑張ったし、身なりや体作りにも励んだ。
そして……帰国したら先輩に思いを伝えると決意した。
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