「はーい、並んでください、こちらですよー」
 役所の古びた建物の前で、鈴風(すずか)は「最後尾」と書かれた札を持って女性たちに声をかける。
 天の世界の帝都ともなれば並んでいる女性たちは主に天女で、たまにあやかしの女性もいる。それぞれにきらびやかな衣装を身にまとい、凝った形に結い上げられた髪にはこれまた華やかな髪飾りをつけていた。中には市女笠に虫垂れぎぬを垂らしている女性もいる。
 対する鈴風の着物は擦り切れた無地の小袖に腰巻の(しびら)という実に質素なものだった。髪は庶民によくあるひとつ結びの下げ髪だ。
「もし」
 声をかけられ、鈴風は声の主である女性を見た。
 髪は頭上で結い上げ、根元に金と(ぎょく)を使った飾りをつけていた。(さん)()もおそらくは絹。顔にはおしろいを塗って紅を差している。筒袖の上に来た垂領(たりくび)の上着は錦に彩られ、裙と(ひらみ)は無地だが美しく染め上げられていた。肩にかけた領巾(ひれ)はふわふわでやわらかそうだ。(くつ)にまで飾りがついているから、そうとうに裕福な天女なのだろうと思った。
「これはいかほど待つのじゃ?」
「すみません、私にはわかりかねます。受付をなさるのでしたらどうぞお並びください」
 鈴風は素直に答えた。
「月の君の後宮に入るためとはいえ、試験の受付だけで行列など」
「仕方ありませぬ、身分を問わず後宮に侍る者を募るなど前代未聞でございますゆえ」
 天女の連れの天女が答え、ふたりは列に加わる。
「誰しも月の君の妻になりたいものじゃ」
「月の光のような銀の髪、銀の瞳。麗しの月の君」
「御令兄の日の君は金の髪に金の瞳、それはそれは輝かしくていらっしゃる、美しの御兄弟」
「日の君はすでにたくさんの奥様とお子がいらっしゃるのに、月の君は未だに独身で」
「運命の女性を探しておいでとの噂」
「でも、あのざまではいくら立候補しても無駄でございましょうけどねえ」
「ああ、このような貧民に混じりて並ばねばならぬとは」
 天女たちが自分を見てくすくす笑うのがわかったが、鈴風は平常心を心がけた。こんな雑言は日常茶飯事だ。気にしていたらやってられない。
 天女であっても、善人とは限らない。
 天女や天人は鈴風が人間に生まれたのと同じように、たまたまそのように生まれただけのものだから。
 とはいえ、自分はとんでもない強運の持ち主だ。
 この自分の強運さはいくら天女で恵まれた暮らしをしている彼女らだって持っていないだろう。
 だから、どれだけなにを言われたっていい。
「神様といえども結局は男かあ。後宮なんてねえ、あ、並ぶのはこちらですよー!」
 彼女は肩をすくめて、また増える女性たちに声をかけて並ばせた。

***

 日の君の住まいである日耀殿(にちようでん)に兄を尋ねた静祈(しずき)は、主殿に案内された。
 兄は階隠間(はしがくしのま)で彼を待っていた。縁を錦で飾った畳の上に座り、後ろには山河を描いた屏風がある。空に当たる部分には金泥が塗られていて華やかだ。ほかにも螺鈿(らでん)で飾られた厨子(ずし)衣架(いか)、鏡台などで部屋が飾り付けられている。
「私は後宮など要りませぬ。なぜ勝手に布告をなされたのですか」
 兄を見るなり、静祈は言った。
「挨拶もなく本題か」
 日の君は笑うように玲瓏な声を響かせる。
「そなたもいい加減、妻のひとりでも持て」
兄御前(あにごぜ)と一緒にしないでいただきたい。私は妻など要りませぬ。あなたが後宮を開設するなどと宣言するから、気の毒にも役所はおおわらわでございます」
 月の君と呼ばれる静祈は渋面を作り、日の君の対面、赤い地鋪(じしき)が敷かれた床に座った。
 日の君と呼ばれる兄は愛を複数所有している。活力があり余っているのか、それでいてまだ足りない様子を見せている。
 静祈にしてみれば女などめんどくさいばかりだ。
 書に親しんで静かに過ごしたい彼の元へ、己が恋着を成就せんとばかりに押しかけてくる邪魔な存在でしかない。
 だというのに、彼がいつまでも妻を持たないことに業を煮やした兄に勝手に後宮を開設すると宣言されてしまった。
 いつの間にか運命の女性(ひと)を探していると噂がたち、返って女性たちの熱を上げさせる結果となったのも厄介だった。
「並の天女では満足せぬようだからな、広く一般に募集をかけておいてやったぞ」
 どうだ、と言わんばかりの顔で言われ、本気で殴ってやろうかと思った。
「兄であり天界の皇帝でもある私が決めたのだ。否やは許さぬ」
 ならば、と静祈は兄に奏上する。
「私の試験に合格した者だけを妻とします」
「無理難題ではないだろうな?」
「それを乗り越えた者こそがふさわしいのではないですか?」
「一理ある。応募が多過ぎて絞らねばならぬところでもあった。だが、どこぞの姫のように蓬莱の珠の枝なんぞを求められても困る。問題はこちらで作る」
「私の妻を選ぶ試験でありますれば、私が作ります」
「お前に決めさせたらいつまでも妻が決まらん。こちらで決める」
「なんと横暴な」
「今まで待った。子を成すのも我らの義務、後継がなくば天地の法則が歪む。放棄は許されん」
 神を含めて天人は総じて長命であるが、寿命がある。跡継ぎは必須だ。
 静祈は顔をしかめた。
 そもそも好きで神に生まれたわけではないのだが、自由などないのに義務だけは重くのしかかってくる。
「候補を絞ったら、しばしともに暮らして相性を見ればよい。それをそなたの最終試験とせよ」
 静祈は怒りを隠さずじろりと日の君を見た。
「兄御前の子の中から後継者を選べばいいだけです」
「そんな顔をするな。妻も子も、持てばかわいいものだぞ」
「それはあなたの主観でございましょう」
「私は妥協した。そなたも妥協せよ」
 仏頂面の静祈に言い放ち、兄は笑いながら立ち去った。
 残された彼は、ただただ深い嘆息をこぼした。

***

 仕事を終えて帰った彼女は、気合を入れるように深呼吸をして、頬を両手で押し上げて笑顔を作り、引き戸を開けた。
「ただいまー」
「おかえり」
 声を返したのは老いた男。白鬚を生やし、腰は曲がっている。鈴風の養い親である麻次(あさじ)だ。
 家は小さく、中は狭い。
 半分は煮炊きをする土間で、残りの半分が住居部分となっていた。(なら)した地面に板を敷いただけの粗末な床座(とこざ)部分に、(むしろ)と着物を布団代わりにして横になっていた麻次は、鈴風を見てゆっくりと起き上がった。
「今日はどうだったね」
「大丈夫だよ。これ、今日のお給金。月の君が後宮の女性を募集したでしょう? だから受付の行列の整理の仕事があったの。私って運がいいわ」
 彼女はにっこりと笑って渡す。仕事の疲れなど見せたくないから。
「無理して働かなくてもいいんだよ」
 麻次の言葉に彼女は首をふる。
「私が働きたいの。だから気にしないで」
「鈴風は優しいね。せめてと思って(かゆ)は炊いておいたよ」
 彼らのような庶民の食事は玄米やアワ、キビなどの雑穀が主なものであり、お粥にして食べるのが通常だった。
「ありがとう。でも起きて大丈夫なの? 腰痛が悪化しちゃうよ」
「もう大丈夫だ、ほら、こんなに――いたた!」
 腰を伸ばした麻次は、直後に痛みに呻いた。
「ほら寝ててよ」
「すまないねえ、私が腰を痛めたりしなければ」
「大丈夫。恩返しさせてよ」
「恩なんてほどのことはしてないんだけどねえ」
「私を拾って育ててくれたんだもの、命の恩人だわ」
 彼女は六歳のころ、親によって山に捨てられた。
 七歳までは神のうち、育てられないならば神様のもとに返す、という建前の口減らしだった。
 飢饉で食べるものなどなく、彼らにとってそれは仕方のないことだった。
 だが、六歳の彼女にはそんなことはわからず、自分を捨てた親を探して山をさまよった。
 そうするうちに出くわしたのがこの麻次だったのだ。
 彼は彼女の境遇に同情し、拾って天界へと連れ帰り、育ててくれた。
 天界に住むのは基本的には神と天人の男女、昇神(しょうしん)した――神になったり、霊格を上げたりなどしたあやかしたちだ。
 天人は人が人に生まれるように天人として生まれただけのことであり、特別に徳を積んでいるわけではない。神になったあやかしはその徳により神となり、悪徳を積めば悪神となる。悪神となったあやかしは天界にくることはできず、地上で悪さをする神となる。
 天界での老人の暮らしは(つま)しかった。天にも身分の上下や貧富の差があると知ったときは驚いたが、もとより貧しい家の出である彼女はすぐに慣れた。
羽喜(うき)はどこに?」
 羽喜もまた拾われた子だった。年齢は正確にはわからないが、鈴風よりひとつ年下のようだった。鈴風は実の妹のようにかわいがり、だけどダメなことはちゃんとダメと教えて来た。麻次が甘い分、自分が口うるさくなってしまった嫌いはあるが、かわいい妹であることにかわりはない。明るくてかわいいし人懐っこいが、怠け癖があるのが玉に(きず)だ。
「友達の家に遊びに行っているよ」
「また!」
 むっとする鈴風に、麻次は困った顔をする。
「ちょっとだけだ、すぐに戻って来るから」
「そう言って甘やかすからダメなのよ!」
 これだけはいくら恩人であっても苦言を呈さなくてはならない。そうでなくては彼女のためにもならないのだから。
 腰を痛めた麻次のために家にいてほしいとお願いしたのに、遊びに行ってしまうなんて。
 そもそもその人は本当に友達だろうか。好きな人ができたと言っていたから、その男性のところではないのだろうか。
 どうやって羽喜に注意しようかと思ったとき、引き戸ががらっと開いた。
「ただいまー。あ、鈴風!」
 機嫌の良さそうだった羽喜の顔が、一瞬であおざめる。
「お帰り、鈴風。仕事お疲れ様。あのね、友達が急病で、それでちょっとだけお見舞いに行かせてもらったの」
 羽喜は鈴風になにかを言わせる間を作らず、続けざまに言い訳を口にした。
「それでね、病気で弱気になってた友達がね、もうちょっとだけってお願いするから、ちょっとだけ、ちょっとだけって、ね?」
 窺うように羽喜が言い、鈴風は大きくため息をついた。
「寝込んでる(ろう)を置いてまで?」
 鈴風は麻次のことを敬意をこめて老と呼んでいる。
「……ちょっとだけだったもの。ねえ、そうよねえ?」
 羽喜はおもねるように老人に尋ねる。
「そうだとも、鈴風、だからそんなに怒らないでおくれ」
 麻次にそう言われ、ちゃんと怒ろうと思っていた鈴風の意気がしぼんでしまう。大恩ある彼に、鈴風は弱い。
「それじゃ、夕食の用意は羽喜にやってもらうわ。粥は老が作ってくれたから、山菜を茹でて」
 羽喜は不満に口をとがらせ、はあい、とやる気なさそうに返事をした。
 そんなにめんどうなことはないのに、と鈴風は内心でいらつく。
 粥はもう炊いてもらっているし、味噌汁は朝に鈴風が作った残りがある。すでに摘んである山菜を切って茹でる、ただそれだけのことでこんなに不満そうにされるなんて。
 羽喜がしぶしぶと山菜を切り始めたのを見て、鈴風は桶を持って共同井戸に水を汲みに行った。
 二度ほど往復して甕に水を入れたころ、羽喜がごはんができたというので膳を用意して三人で囲む。
 粗末な食事ではあるが、こうして三人で囲んで食べるのは幸せだ。
「そういえば、月の君の後宮の募集なんだけど」
 ごはんを食べながら羽喜が話し始め、鈴風は彼女に目を向けた。
「友達が受けたいっていうから一緒に並んだの。すっごい行列だったわ」
「あなた、お見舞いって言ってたじゃない!」
 思わず鈴風は声を上げる。
 羽喜は、しまった、とばかりに唇を引き結ぶが鈴風の目は吊り上がって羽喜の逃げる目を見つめる。
 受付は一か所ではなかったから、鈴風が受け持っていた行列とは別のところで並んでいたのだろう。
「それで、羽喜は受付できたのかい?」
 とりなすように麻次が言い、羽喜は慌てて続けた。
「ええ、そうなの、それでね、鈴風の名前も書いてきてあげたわ」
「はあ!? ひとりひとり、自分の名前を書かないといけないのよ!?」
「大丈夫、ふたりの名前を書いたの、ばれてないから」
 えへへ、と羽喜は笑みを浮かべる。だから許してね、とでも言いたげだ。
「良かったじゃないか、これで鈴風も後宮の試験を受けられるねえ」
「そんなずるして受験なんて」
「これも鈴風の運の良さだねえ」
 麻次はしみじみと言う。
 彼はなにかと鈴風に対して運がいいと言う。確かにそうだとは思うけど、これも運がいいと言っていいのだろうか。
「後宮に入ったら働けなくなるじゃない。そうなったらどうやって老は生活するの?」
「なんとでもなるよ。後宮で妃に選ばれれば、一生は安泰。貧乏暮らしをしなくてもすむ、ぜひ行っておいで」
 麻次はにこにこと鈴風にすすめる。
「嫌よ、選ばれるわけないし。だったら一日でも多く働いてお金を稼ぎたいわ」
「選ばれたらそんな幸せなことないわ。老だって妃の育ての親っていうことできっと面倒みてもらえるわよ」
「そんな都合のいいことあるわけないわ」
 鈴風はため息をついた。
「いやいや、せっかくの機会なんだ。挑戦してみないと結果はわからないのだから、後悔しないためにも行っておいで」
「そうだよ。一緒に受けに行こうね!」
 羽喜はそう言ってごはんを口に入れる。
 試験なんて受けたところで、と鈴風はゆるゆると首をふり、ごはんの続きに戻る。硬い玄米が残っていて、がり、と不快な感触がした。

 一週間後、鈴風はうきうきしている羽喜とともに役所に向かった。
 結局、麻次が懇願するようにして勧めるので、試験だけなら、と受けに来たのだ。
 役所の前には受付があり、ひとりずつ名前を確認しているようだった。
 鈴風たちも受付で名乗ると、役人の持った帳面の(ぺージ)がぺらぺらと勝手にめくれて止まる。その頁に鈴風と羽喜の名前を見つけ、役人はそれぞれに朱で丸をつける。
「隣の朱門(しゅもん)の中に入って、係員の指示に従って広場に行ってください」
「はーい」
 羽喜は軽く返事をした。
「お疲れ様です。ありがとうございます」
 鈴風は役人に頭を下げた。
 広々とした通路にたくさんの女性が歩いていて、水干(すいかん)を着た下級役人に誘導され、門へと向かう。
 役所の隣には(まつりごと)をおこなう政務殿があり、その奥の左右に日宮(ひのみや)月宮(つきのみや)がある。そのすべてに通じる入口が朱門だった。
 中に入るの、初めてだ。
 鈴風はどきどきして朱門を見上げた。赤い柱に白い壁の二階建ての大きな門だ。
 二階にも役人がいて、下の役人にときおり合図を送っている。人の流れを見て管理しているのだろう。矢を持った人もいて、これは警備の担当なのだろうな、と思った。
 政務殿の前には閲兵や御前試合を行えるほどの広場があり、鈴風たちはそこに案内された。
 見渡す限りに女性たちが立ち並んでいる。
 上空には白い蝶がひらひらと舞い、青い空との対比で美しい。
「すごいたくさん人がいるね」
「そうだね」
 身分もなにも関係ないようで、豪華な衣装を身にまとった女性たちも鈴風と同様に立って待たされていた。
「やだな、私たちこんな衣で恥ずかしい」
 羽喜は恥ずかしそうに身を縮める。鈴鹿と羽喜はいつも通りの粗末な小袖だ。
「恥ずかしいことなんかないわよ。ほかにも似たような人は何人もいるじゃない」
 鈴風は励ますが、羽喜は顔をしかめてうつむく。
「私もあんなきれいな衣装着たいなあ。後宮に入ればたくさん着られるよね?」
「羽喜はかわいいから、入れる可能性があるね」
 言われた羽喜はうれしそうに笑みを浮かべた。
 思わず鈴風も笑みを返した。
 こういう素直な反応がかわいい。悪い方向に出ると機嫌が直るまでずっとふてくされてしまうのだけど。
「こんなところでずっと立って待つの? 疲れちゃうよ」
「少しぐらい我慢しなくちゃ」
 鈴風が諭すと、羽喜は口を尖らせた。
「はあ、いつまで待たなくてはならないのかしら」
 隣に立つ貴婦人がつぶやく。
「ほんに、待たせ過ぎでございましょう。もう一刻はたっております」
 一刻は三十分ほどだが、上流のなよなよした女性にはつらい時間だったようだ。
「待つのがお辛い方、どうぞこちらへお越しください」
 役人が誘導を始め、女性たちから安堵の嘆息が漏れた。
「長う待たされましたこと」
「まだまだかかるのではございませぬか?」
 貴婦人たちが話をしながら役人のほうへ歩いて行く。
「私もあっちへ行くわ。鈴風は?」
「私はいい」
 負けず嫌いが顔を出してしまい、そう言っていた。
 待つのがつらいと言うなんて、根性なしに思われたら嫌だ。
「そう、私は嫌だから行くわね。またあとでね」
 羽喜はにこにこと手を振って係員の方に行く。
 女性たちがどんどん減っていく。見ていると、門の外へ連れ出されているようだった。
出て行く女性が途絶え、女性が三分の一ほどに減ったところで門が閉まった。
 あれ、と戸惑うのは自分ばかりではない。
 ざわざわとざわめく女性たちの前、広場の正面に男性が現れた。
「みなさま、本日はよくお集まりくださいました。皆さまは現在、予備選考を合格しておりまして、続いての一次選考に進んでいただきます」
 ざわざわとざわめきが広がる。
 予備選考なんていつ行われたのか、鈴風にはまったくわからない。
 もしかして、と鈴風は眉を寄せる。
 さきほど役人が不満を言う女性たちを外に連れ出していた。ここで不満を言わずに待てるかどうか、それが予備選考だったのだろうか。
「次は体力を測るため、この広場を十周ほど走っていただきます。自分のいいような歩調で走りきってください」
 どよめきが広場に広がった。
「そんなの聞いてないわ!」
「そんなことさせるなんて」
 非難の声がいくつも上がる。身分の高い女性ほど、走るなんてことはしないものだ。
「文句をおっしゃった方、全員不合格です」
 いっそうのどよめきが広がった。
「そんなのひどい!」
「詐欺だわ!」
 どうやって判別しているのか、文句を言った女性たちは次次と役人に見つかって退場させられていく。
 彼女はただ唖然とそれを見守った。
 見ているうちに、どうやら蝶が監視しているらしいと気がついた。ただの蝶ではなく、誰かの式神だったようだ。
 文句を言えば早く脱落できるらしいが、なんだかそれでは腹立たしい。
 勝った上で辞退したほうがかっこいい気もする。
 負けず嫌いが顔を覗かせる。後宮に入る気がないなら負けるのが正解と思いながらも負けたくない。
 体力だけには自信がある。できるなら一位で到達したい。それで「辞めます」って言ってやる。
 用意された出発地点に立ち、彼女は闘志をたぎらせた。

***

「見苦しいな……」
 静祈は思わずこぼした。
 日の君とともに見守る大きな鏡には予選会場の様子が映っている。
「隠しもせず、不満を言うおなごばかりだ」
「かわいいではないか」
 日の君はふふ、と笑みをこぼす。
「あなたとはそういうところが相容れませぬ」
「もとより日と月、分かつのがさだめやもしれぬが、こうも感想が分かれるとはな」
 日の君はまた笑う。
「続く試験も見ものよな」
 楽しそうな日の君の言葉に静祈は答えなかった。

***

 出発地点に大勢の女性たちとともに並び、鈴風は気合を入れる。
 体力勝負ならば勝ち目はある。きらびやかな衣をまとったひ弱そうな女性たちには絶対勝てる。
 彼女と同じ庶民らしき軽装の女性もいる。気にするべきはそういう女性たちだろう。
 蝶に見守られ、号令とともに全員が走り出す。
 鈴風は軽快に走り、順調に前に出た。
 走る気もなく歩く女性もいたので、あっさりと周回の差をつける。
 追いすがる軽装の女性がいるのが気になるが、このままなら一位もとれそうだ。
「なんてはしたない人なんでしょう」
「ありえませんわね」
 楚々として歩く女性が鈴風を見て言う。
 勝手に言ってなさい、と汗をかきながら彼女は思う。
 あと一周、というときだった。
 ふらふらと倒れそうな人がいるのを見かけた。必死に走る足取りはよろめき、息をするのがやっとの様子だ。
 大丈夫かな、と見ているうちに彼女はばたんと倒れた。
 後続の女性たちは倒れた女性を避けて走り続ける。
 鈴風は慌てて倒れた女性に駆けつけた。
「大丈夫ですか?」
 声をかけるが、女性はぜいぜいと荒い呼吸を繰り返すばかりで答えない。
「誰か! 人が倒れました!」
 彼女も息を切らしながら役人を呼ぶ。
 その間もたくさんの人が彼女を抜いて走っていく。
 走る女性たちを縫うようにして役人が駆けつけ、女性を連れ出す。
 その姿を見届けてから再び走り出し、終点を目掛けて走った。
 しかし、ついた差を埋めることはできず、一位どころか百位にも入れなかった。

***

「お前の好きそうな善人がおるぞ」
 日の君はおかしそうに言い、静祈の顔を窺う。
「あのまま走れば一位であったものを、失格になるだろう者のためにわざわざ立ち止まるとは」
「人としてそれが正しき道でございましょう」
 静祈は眉をひそめて答える。
「そなたの言いそうなことだ」
 日の君はくすくすと笑った。
「そもそも、このような試験を課すなど彼女らには相当な負担でございましょうに」
「そなたのためにやっていることであるというに。誰が誰の味方であるやら」
 日の君は笑みに目を細めた。
「順位に関係なくあの者を合格とせよ」
 日の君の言葉に、側近は頷いて退出した。

***

 走った結果、順位の高いものから順に五十人ほどが合格となっていった。
 鈴風は人助けをしたゆえに順位を落としたのだからと特別に合格とされていた。
 合格と聞いて鈴風はほっとした。同時に、なんでほっとするんだろうと不可解な気持ちになる。
「続きまして教養の試験でございます。日の君と月の君もご照覧あそばされています。みなさま頑張ってください!」
 あ、次で落ちる。
 彼女は確信し、乾いた笑いを浮かべた。
 自分に教養などかけらもない。文字だけは下級官吏をやっていたことのある麻次が教えてくれたが、それ以外にはなにもない。
 広場には御座(ござ)が敷かれて役人が花器と花を持って来る。
「みなさまには花を活けていただきます。ご自身の思うようにお活けくださいませ!」
 活け花などやったことがない鈴風は、用意された花と花器に戸惑う。
 どうせ落ちるなら、美しいと評判の兄弟神を見てから帰りたい。
 だけどどこにもそんな人影はない。どこでどうやって見ているのだろうか。
 きょろきょろしていた彼女は試験に集中できるわけもなく、結果はさんざんだった。

***

 日の君はげらげらと笑い、静祈はあっけにとられて大鏡を見ている。
 鏡には頭から墨をかぶってしょんぼりしている鈴風が映っている。
「あの者は本当に面白いな!」
 ひいひいと呼吸すら苦しそうに日の君は笑う。
 花を活ける試験では花器をひっくり返し、歌の試験では怪音を発し、詩をしたためる試験では頭から墨をかぶった。
 どうしてそんなことになるのか、日の君にはわからない。
 鈴風が、御座を汚して申し訳ないと役人に必死に謝ると、髪についた墨が跳んで隣にいた貴婦人にかかり、怒鳴られてまた頭を下げていた。
 澄ましてつんとしていた貴婦人が鈴風の隣で取り乱す様を見るのもまた面白かった。
道化方(どうけがた)として後宮に採用! しかし本人には道化方とは伝えるでないぞ」
 道化方はおかしな扮装や行いをして人を笑わせる者を指して言う。
「兄御前!」
 月の君が咎めるが、そのときにはすでに側仕えはその意を伝えるために席を立っている。
「まったく、勝手なことを」
 呟いてから、静祈はふと考える。
 あのとんでもない者を利用すれば、あるいは。
 のんきに笑う兄の横で、静祈の目はきらりと光った。

***

 絶対に落選した。
 そう思って墨まみれで帰宅した鈴風は、「自分だけ予備選を通過してずるい!」と羽喜に非難された。
 そんなこと言われても、と思い、次の試験で落ちたから、と言っても羽喜は聞く耳を持たない。
「羽喜は運がないねえ。だけど努力をしていたらちゃんと天の神は見ているからね、頑張るんだよ」
「神がなにかしてくれたことなんてあるかしら」
 羽喜がふてくされる。
 いろいろと羽喜には言いたいことがある鈴風だが、これだけは同意だ。
 だが、下手に同意してしまっては今後に差し支える。
「天は自ら助くる者を助くって言うじゃない。結局は自分で努力しろってことよ」
 鈴風が言うと、羽喜は鈴風をにらんだ。
「自分だけいい思いをしたんだから、ごはんの準備は鈴風がやってよね!」
「なによそれ」
 鈴風は文句を言うが、羽喜はじっとりと鈴風をにらみ続ける。
「……わかった」
 口論するのも億劫で、鈴風は了承する。
「この墨を洗って来るからちょっと遅くなるよ」
「いいわ、その間、友達のところへ行ってくるから」
「水汲みくらいしてよ!」
「それは鈴風の仕事でしょ!」
 逃げるようにして羽喜が家を出て行く。
「水汲みは私が行って来るよ」
 老人が床から起きようとするのを、鈴風は慌てて止めた。
「駄目よ、寝てて。私は体力あるんだから、ちゃちゃっとやっちゃうね!」
 鈴風は安心させるようににこっと笑って見せた。

 一週間後、試験の結果は使者の持ってきた(ふみ)で知らされた。
 使いが帰ってから、麻次と羽喜と一緒に手紙を見て、鈴風は驚く。
「なんで合格!?」
「嘘つき、絶対に落ちてるって言ったくせに!」
 羽喜が恨みのこもった目で鈴風を見る。
「どんな惨状だったか話したでしょ? 羽喜も一緒になって笑ってたじゃない」
 試験の様子を面白おかしく語って聞かせ、羽喜と老人と一緒に笑って過ごしたのは試験の晩のことだ。
「鈴風は運を持っているねえ。明日にはお役人が支度金を持って来てくれるそうだ、しっかり準備をしないとねえ」
「支度金て、いくらくらいなの?」
 にこにこしている麻次に羽喜がたずねる。
「庶民が一年は楽に暮らしていけるくらい用意してくださるそうだ」
「そんなにもらえるんだ!?」
 羽喜が目を丸くして手紙を見る。
「後宮に入るのにふさわしい出で立ちと準備をしなくてはねえ」
「そんなことより、老の生活にあててほしい」
「駄目だよ、支度金はお前の支度のためのお金なんだからね」
「鈴風ばっかり……」
 羽喜のつぶやきは小さくて、鈴風の耳には届かない。
 鈴風は驚きと困惑と一緒に、喜んでもいた。合格したのは自分を認めてもらえた気がして嬉しい。
 だから少しばかり心が浮き立っていて、気が付かなった。
 薄暗い光の宿った羽喜の眼差しに。

 一か月後、後宮に参内するために鈴風は月の君の住む瑞月殿に赴いた。到着した彼女は、まず門番と揉めた。
 仕方がない、と彼女は思う。
 いつものみすぼらしい小袖のまま、徒歩で参上したのだから。
 後宮妃になる予定のものが粗末な着物で徒歩で現れるわけがない、と判断されたのだ。
 実際、彼女以外の候補は牛車で優雅に参上している。
 別の合格者が乗った豪華な牛車が通り過ぎていくのを、門番と揉めながら見るのは切なかった。
 合格の手紙を見せ、門番が内部の役人に確認を取り、ようやく中に通してもらえた。
 確認後は案内の女官に引き渡される。
 女官は鈴風を見てぎょっとしたが、なにも言わずに案内してくれた。
 政務殿の中央の大きな部屋に高御座(たかみくら)が据えられていて、居並ぶ着飾った女性たちの末席に座らされた。
 彼女を見た女性たちはひそひそと話を始める。
「あのようなみすぼらしい者、よく来られましたわね」
「ほんに。御薦(おこも)ですらもっとマシな姿をしておりましょうぞ」
 くすくすと笑い合う女性たちに、彼女は無視を貫く。物乞いよりひどいと言われても、これしか着るものがないのだから仕方がない。
 正直なところ、ここにいていいとは思えない。
 辞退も考えたのだが、支度金を返せと言われたら困るから、仕方なく来たのだ。
 支度金は、羽喜が持ち逃げしていた。だから服も小物も、なにも整えることができないままに身一つで来ざるをえなかった。
 老人と一緒に置手紙を見つけたときには呆然とした。
 いつも鈴風ばかりいい思いをしてずるい。口うるさい鈴風が大嫌いだった。お金はお詫びとしてもらっていく。
 そんな内容が書かれていて、鈴風は心が暗く硬くなっていくのを感じた。
 次いで出たのは笑いだった。
 あまりにショックすぎると笑いが出るのだと、そのときに初めて知った。
 麻次が「私の育て方が悪かった」と痛む腰を折ってなんども謝るのが心に痛くて、笑いながら涙がこぼれた。
 涙が号泣になるのに、時間はかからなかった。麻次はよしよしと鈴風の背を撫でて慰めてくれた。麻次が優しくしてくれるから、心はあっという間に子どもに戻って泣きじゃくる。
 なんで羽喜はこんなことができるのだろう。
 なんで恩人である麻次を困らせることができるのだろう。
 同じように育てられたのに、どうして彼女はそうなったのだろう。
 自分なりに羽喜に愛情を注いできたのに、どうして嫌われたのだろう。
 鈴風の疑問は心の外にでることはなくて、だから誰からも答えはもらえない。
 せめてこれ以上は麻次の負担にならないようにしたい。
 翌日から後宮に来るまでの一カ月、出来る限り働いて麻次の生活費を稼いで置いて来た。
 あとはなるべく早く後宮を首になって帰らなくては。いったん後宮に入れば支度金を返せとは言われないだろう。
 そう思い、後ろ髪をひかれながらも参内したのだ。
 運よく雑士女(ぞうしめ)として雇ってもらえないだろうか。炊事、洗濯、掃除などの仕事なら自分にもできる。自分は運がいいのだから、そういう幸運に出会ってもおかしくないはずだ。そんな期待が心のどこかにあった。
 全員がそろうと、月の君と日の君の参上を女官に告げられ、平伏してふたりを待つ。
 錦に彩られた差几帳(さしぎちょう)を持った役人たちがぞろぞろと現れた。その奥に隠されて月の君と日の君が高御座へと向かう。
 鈴風はちらりと覗き見る。(はかま)(すそ)(しとうず)という靴下を履いた人々の足しか見えなかったが、それでも自分たちよりよほどいい衣を着ているのはわかった。
 高御座の御簾の向こうで衣擦れがして、日の君と月の君が着座する様子がうかがわれた。
 差几帳を持った役人たちが高御座の横に並んで立ち、待機する。
 女官が立ち上がり、すすっと歩いて彼女たちの前、高御座の横に立った。
「日の君、月の君が御臨場あそばされました。ありがたくかたじけなくも、鶴声(かくせい)をお聞かせいただけます」
 かくせいってなんだろう、と鈴風は首をかしげる。敬うべき人の言葉のことだが、勉強をしたことのない彼女は知らない。
「いざ、よろしゅうお願い申し上げます」
 女官が高御座に声を掛ける。
「みな、よう来てくれた。いずれ劣らぬ美女ぞろい……」
 言いかけた日の君がぷっと吹き出すのが聞こえた。
「いや、相変わらずおもしろい」
 くすくすと笑う声が続く。
 鈴風は居心地悪くみじろぎした。なんとなく、自分を見て笑われたのはわかったから。
「兄御前」
 咎めるような月の君の声に日の君は、ごほん、と咳払いで返す。
「みなには我が弟、月の君の心を解すよう精進することを望む」
「姫君方におかれましては、君のお言葉を胸に励まれることと存じます」
 高御座の近くに控えた女官に勝手に答えられて、鈴風は驚いた。
「さて、月の君からも一言言うてやるがよい」
「私は後宮を置くことに反対している。そなたらは期待せず帰ることを考えるが良い」
 月の君の言葉に、姫君たちが息をのむ。
 ただひとり、鈴風だけは目を輝かせた。
「はい、質問です!」
 声を上げた鈴風に、みなが驚いて彼女を見た。
「これ、勝手に発言するでない。しかも直接にお声がけ申し上げるなど」
 女官が慌てて彼女を止める。
「良い、許す」
 笑いを含んだ日の君の声が届いた。
「帰るときは、支度金は返さないといけませんか?」
「返さずとも良い。早く帰るなら褒美をやろう」
 月の君の声で返事があった。
「ほんとに!? じゃあ帰ります!」
 彼女はうきうきと立ち上がる。
「お待ちあれ」
 女官がおろおろと声をかける。
 御簾の中からは押し殺した笑いが聞こえる。
「待て待て、ここに残れば私からもっと金子(きんす)をやろう」
「え!?」
 日の君の言葉に彼女はとっさに迷う。
 どちらが最終的にはお得だろうか。いつまで残ればもらえるのだろうか。
「兄御前……」
「最終的にお前が誰も選ばず後宮を解散するにしても、だ。今しばらくは姫君たちと過ごして見せよ。そのうえで誰も選ばぬというのであれば私も納得しよう」
「……仕方ありません。ですが、一ヶ月と期限を決めさせていただきます」
 月の君のため息が聞こえた。
 なんかいきあたりばったりでものごとが決まっているようで、鈴風は不安になる。こんな様子で大丈夫なのだろうか。
 だが、一カ月と期限を切られたのは幸運だ。
「一か月たっても妃に指名されなかったら金子をもらって帰れるのですね?」
鈴風は確認のために聞く。
「そうだ」
 月の君から簡潔な答えが来て、鈴風はぐっと拳を握りしめた。一か月後には家に帰れる。それまでがんばって耐え忍べばいいだけだ。
「なんて浅ましい」
 女性たちの間から声がぼそっと聞こえた。
 なんとでも言え、と鈴風は無視を決める。恩人との生活のためだ、体面なんて繕っていられない。もらえるものはもらって帰る。
「ひと月、みなよく励むように」
 言い置いて、君のふたりは役人の捧げ持つ差几帳(さしぎちょう)に守られるようにして退室した。
「あんな礼儀知らずが候補だなんて」
「一緒にされたくはないわね」
 姫君方が鈴風を見てひそひそと話をする。
「うわ、性格悪っ!」
 ひとりが大声を上げ、姫君方がそちらを見た。
「まあ、あんたたちが選ばれることもないから安心しな!」
 威勢のよい言葉に、姫君方はさらにひそひそと会話をする。
 鈴風は戸惑って彼女を見る。
「私、あんたと一緒の庶民だから。糸摩(しま)って言うの。仲良くしてよね!」
「ありがとう、私、鈴風。よろしくね」
 鈴風は安堵とともににこっと笑った。
 仲良くなれそうな人がいたことが嬉しかった。
 ふと、見覚えがある気がして記憶をさぐり、あっと声を上げた。
「あのとき一位になった人ね」
「そう、あなたが走るのをやめたおかげで一位になれたの。あなたは恩人だわ」
「恩人だなんて」
 えへへ、と鈴風は笑うが、周囲からはくすくすと笑いがもれる。
「皮肉もおわかりでないなんてね」
「かわいそうな方」
「皮肉じゃないよ!」
 糸摩が叫び、女性たちがびくっと震えた。
「おやめくださいませ。仲良うお過ごしくださいませ」
 女官が注意すると、女性たちは一応は囁きをやめた。
 気が付くと女官が何人か増えている。
「おひとりずつ御在所となるお部屋にご案内します。こちらへ」
 声をかけ、同席していた女官は別の女官に指示して姫君方を退席させる。
「あなた様はこのままお待ちくださいませ」
 女官は鈴風に言い、彼女もまた退室した。
 残された鈴風は、急にひとりにされて心細くなった。
 見知らぬ場所、似つかわしくない自分。
 試験での失態は自分がよく知っている。どうしてこんな場所にくることになったのか。
 これはもしかしてあやかしが自分をたぶらかしているのだろうか。
 だとするとどこからが現実でどこからが非現実なのだろう。
 そんなことを考えている耳に、衣擦れの音が届いてハッとした。
 無人だと思っていた高御座の御簾があがり、男性が現れた。
 鈴風は呆けたように彼を見つめた。
 やけに美しい男性だった。長い銀の髪は月光をより合わせて作り上げたように清らかに艶やかだ。透き通る銀の双眸もまた清明な月光のよう。世界を冷たく、されどやわらかな光で満たして安らぎを誘う。青い狩衣には銀の刺繍が施され、ため息がでるほど見事だ。銀で装飾された青い冠は彼の威厳を高め、りりしい顔立ちをよりきりりと見せている。
 銀の髪に銀の瞳。この特徴を持つ人物と言えば、ひとりしかいない。
 気が付いた瞬間。彼女は慌てて平伏した。
 月の君ともあろう者が、自ら御簾を上げて現れるなど、ありえないことだった。
「お前、後宮から帰りたいのか?」
 尋ねられ、彼女はとっさに答えられない。
 帰りたいのだが、正直に言って機嫌を損ねたらひどいことにならないだろうか。彼が御簾で隠れているときには強気でいられたのに、面と向かってしまうと言葉が出てこなかった。
「正直に述べよ。私は後宮を開設したくないのだ。協力してくれたら褒美をやろう」
「本当ですか!?」
 思わずばっと顔を上げた。
 冷淡にも見える美しい顔がそこにあって、なんだか気圧されてしまう。威厳とはこういうことを言うのだろうか。
「ぜひ協力させてください。お世話になった方が腰を悪くしていて、お金が必要なんです。どうかお願いします」
 額を床につけてお願いする。
「そうか」
 月の君は短く答える。
「そなたの心がけは胸に留め置くこととする。指示は今後、その都度行う。頼むぞ」
「わかりました!」
 鈴風は目を輝かせて彼を見た。
 月の君は驚いたあと、苦笑を浮かべる。
 ふっとやわらいだ空気に、鈴風はどきっとしてまた顔を伏せた。



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