何時間も浮遊する「謎の白い球体」その正体は…現時点で不明 宮城
今日17日(水)の明け方から、宮城県や福島県の周辺では「ずっと空に浮かんだままの風船のような白い物体」が目撃されています。ウェザーニュースにも約50件の目撃情報が寄せられていて、「西風に乗って少しずつ東に移動している」「雲に隠れたようなので、雲よりも高いところにあるようだ」との情報もあります。
また、昨日の夕方には岩手県内でもこれと似た物体が目撃されていて、半日以上も東北地方上空を浮遊している可能性があります。
(引用元)https://weathernews.jp/s/topics/202006/170065/
米国防総省でいわゆる「UFO」情報を担当している全領域異常対策室(AARO)は、「非常に異常な物体」に関して慎重な調査が必要だとの見解を示した。
AAROは2022年7月に新設された組織で、未確認飛行物体(Unidentified Flying Object:UFO)に関する情報を収集している。
(中略)
AAROは同室がまとめたUAPの年次報告書を11月中旬に発表し、485件のケースのうち118件は解決済みで、残りの174件は最終審査を待って終了する予定だとした。それでも多くのケースが未解決のままであり、引き続き調査していくと述べている。
米航空宇宙局(NASA)も独自にUFO/UAP関連情報を調査。2023年9月に「現時点で地球外が起源だという証拠は見つかっていない」と報告している。
(引用元)https://news.yahoo.co.jp/articlesd9632094fd8c10e769ad07e0c31d6d932669da56
※UAP=Unidentified Aerial Phenomena「未確認空中現象」の意。
阿刀川恵@atogawa1115
【訃報】
去る11月4日午前4時21分 阿刀川恵は家族に見守られながら息を引き取りました
2020年に軟骨肉腫が発見され、手術によって病巣は取り除かれましたが、一昨年肺に転移が判明し、約一年半に渡る闘病生活を送った末、穏やかに旅立ちました
これまで応援してくださった読者の皆様と故人を支えてくださった関係者の皆様に深く感謝申し上げるとともに、謹んでお知らせいたします
阿刀川恵 妹
阿刀川恵@atogawa1115
【告知】
昨年逝去した姉・阿刀川恵の未発表原稿をKindleで公開いたします
スマホやPCから無料で読むことができます
故人が原作を担当した漫画作品とは異なり、こちらは内容がノンフィクションとなっていますことをご注意ください
リンクはこちら
はじめに……
本書は、二〇二四年十一月四日に逝去したシナリオライター/漫画原作者・阿刀川恵の遺稿を元に構成されたノンフィクションです。文章のほとんどは闘病中に執筆されたため、残念ながら完成することなく絶筆となってしまいました。
生前の故人は好奇心が旺盛で、漫画以外のさまざまな分野に興味をもち、いつかエッセイやノンフィクションの本を出版してみたいと口にしておりました。そんな故人の意思を尊重し、原稿の完成していた部分のみならず、執筆途中の草稿、取材ノートのなかの文章などをくわえて、目指していたであろう完成形になるべく近づけるように編集がされています。全体の構成を練ったメモやファイルの番号から、全5章を予定していたことが推測され、文章としてまとまったかたちで完成していたのは3章まで。4・5章は断片として収録しています。
本書の内容は、大きくわけて3つのパートに分かれています。
・パソコンにのこされていた完成原稿1章から3章
・スマートフォンのライティングアプリにのこされていた原稿
・取材ノートにのこされていた覚え書きや日記
また、章間には補遺として資料の一部を収録することとしました。
最後に、本書の成立につきまして、編集作業や事実関係の確認、各方面への連絡など、多くの方々にご協力いただきました。あらためて厚く御礼申し上げます。
UFOを知っていますか
第一章「ガチでUFOを研究する」
1
二〇二一年五月四日。その日、私は朝はやく起きると、食事もそこそこにして家を出た。
最寄りの駅から電車に乗り、新宿にむかう。
ひさしぶりに味わう朝の空気が心地よかった。
自由業のため、ふだんの私は昼すぎに起床する生活を送っている。だがこれでも若いころはキチンと会社勤めをこなしていたのだ。電車に揺られていると、なにやらかつての自分を取り戻すようだった。
JR新宿駅に着くと、駅構内のコンビニで予備のマスクとお茶を買い求め、立川行きの中央線に乗り込んだ。時刻は八時すぎだった。
五月の連休だというのに、電車内はがらがらだった。
比較的はやい時間帯だったせいもあるけれど、本来であれば行楽地にむかう乗客で車内は満たされていたはずだ。そういう人たちの姿が見られないのは、四月二十五日に政府から出された緊急事態宣言の影響だろう。
新型コロナウィルスの災禍は終わりが見えず、普段のほほんと生きている私ですら、息がつまるような日々をすごしていた。外出時のマスクも、行く先々での検温も、他人との距離感も、ストレスとなって少しずつ積み重なっていく。なんだか世界がギシギシと音を立てて壊れていくような感覚があった。
電車が動き出すと、私は右手だけで苦労しながらペットボトルのキャップを開け、ひと口飲んだ。スマートフォンで乗り換えの確認をおこなう。
めざす目的地は東京西側の、あきる野市。
アポの時間は午前十時だったが、それほどゆとりはない。
乗り換えアプリで確認すると、新宿からあきる野市まで、二時間ちかくかかる。東京が東西にひょろ長いのは知っていたが、あらためてその広さに驚かされる。
今日これから会うのは、SNSで知り合った男の子たち三人組だ。
そのうちのひとりは、春に都内の大学に進学したというのに、オンライン講義ばかりで友だちをまったく作れない状況なのだという。連休中は帰省しているらしく、ひさしぶりに幼馴染の三人組がそろっているとのことだった。
彼らは「ガチでUFOを研究している」らしく、実際にUFOとの第三種接近遭遇をした体験者でもある。
第三種接近遭遇。
この仰々しい言葉は、映画「未知との遭遇」の原題としても有名だ。
その定義は、UFOの搭乗員と直接接触すること──つまり、宇宙人と直に会うこと、というのだからおだやかではない。
私はこれから彼らに会って、その体験の取材をさせてもらおうというのである。
いい年齢をした大人がコロナ禍の最中、わざわざ電車を乗り継いで、なにゆえにそんな眉唾な話を聞きにいこうとしているのか?
それには理由がある。
じつは、私も見てしまったからだ。UFOを、この目で。
いったい、アレは何だったのか──もしUFOが現実に存在するのだとしたら、その正体は何なのか。本当に宇宙人の乗り物なのか。
私は、真相が知りたいのだ。
二時間ののち。電車はあきる野市のJR秋川駅に到着し、私はいそいで改札を出ると、待ち合わせ場所に向かった。
指定されたのは駅近くのファミレスで、SNSのメッセージで到着を伝えながら店内に入っていくと、相手方はすでに窓際のボックス席にすわっていた。
いまどきの清潔感のある若者たちだった。
彼らはこちらを見て、会釈してくる。
会釈を返しながら、さりげなくスマートフォンの表示を確認すると──なんということだろう、時刻は午前十時を五分ほど過ぎていた。
……まさか社会人である私のほうが遅刻するなんて。
気まずい気持ちになりながら、テーブル席に行き、あいさつを交わした。
席に座って名刺を渡し、まずは遅刻したことを詫びる。
「あはは、気にしないでください。新宿からけっこう遠かったでしょ?」
マスクごしでもわかる人懐っこい笑顔を浮かべた男の子は、名まえを宮地くんといって、今回の取材の場をセッティングしてくれた人物だ。中性的な容姿で、どことなく韓国の俳優のような雰囲気がある。
「あー初めて来るひと大抵びっくりするよね、ここ本当に東京?つって」
そのとなりに座る男の子が、あいづちを打つ。ややぽっちゃりとした体型で、髪はうねうねしたスパイラルパーマ。丸い顔に黒縁眼鏡をかけている。彼は、安達です、と自己紹介をしてくれた。
「あ、どうも阿刀川先生。あの、僕が〝ゆうちゃむ〟です。あの、先生にダイレクトメッセージを送った……」
ひとりだけアカウント名をなのったのは、さきほどまでメッセージのやりとりをしていた相手だ。
先日、私がSNSでUFOの情報を募集した際、連絡をくれたのも彼である。
UFOの情報求む、などとネットに書き込むと、集まるのはあやしげな陰謀論やスピリチュアルな内容ばかりになってしまう。だが、〝ゆうちゃむ〟くんのくれたダイレクトメッセージは、それとは一線を画していた。……というより、彼の送ってきた一枚の画像に興味を持ったのだ。
「……あ。すみません、本名は土井勇斗です。ゆうちゃむってのは中学のときのあだ名で」
勇斗くんは現在一八歳の大学生。
ちなみに、宮地くんと安達くんが共に二〇歳。三人は中学校が同じで、部活も同じテニス部だったそうだ。
「あの、僕、じつは先生の漫画けっこう読んでます。NONE!とか好きでした」
勇斗くんは、私が原作を担当した漫画の読者で、以前からSNSをフォローしてくれていたらしい。NONE!は、苦しい記憶ばかりの作品だったが、過去の仕事が思いがけないかたちで次につながったりすると、がんばってよかったなと思う。
それにしても──と私はあらためて三人組を見て思った。
みんなごく普通の男の子たちで、UFOなどという胡乱な存在を真剣に探求しているとは思えなかった。オカルトとは縁が遠そうなのだ。
いったい彼らからどんな話が聞けるのだろうか。
三人の許可を貰い、ボイスレコーダーで録音を開始する。
「……じゃあ、さっそくなんだけど」
と、私はわくわくしながら本題を切り出した。
「例の写真、見せてもらっていいかな? UFOの痕跡らしきものっていう……」
「あっハイ。ですね」
代表して宮地くんが答え、カバンからタブレットを取り出した。
電源を入れて、指でフリック操作をしながら、
「写真を撮ったのは、俺らが小学生のときです。自分たちのスマホをもってなかったんで、親のを借りて撮影しました。場所は、すぐ近くの秋川です。近いといっても、このファミレスから歩いていくと結構かかるけど……」
小学生のとき、ということは、今から十年ほど前だろうか。当時の画像データを削除したりしないで、最近のデバイスにも保存したのだろう。
私は身をのりだすようにタブレットをのぞきこんだ。
画面に映されていたのは、河川敷の風景だった。
一面に生い茂った雑草はどれも枯れ草色をしていて、乾燥させた藁をしきつめたかのように見える。画面の上端には黒々とした川が流れているが、水深は浅そうだ。
問題は、画面のまんなかだ。
「角度が悪いんでちょっとわかりにくいんですが、模様があるのが見えますか?」
宮地くんは画像をすこしだけ拡大した。
余計な部分をトリミングしたような効果があって、わかりやすくなる。
河川敷の草地に、図形が描かれていた。
それは、自然にできたとは思えない、幾何学的な図形だった。
刈ったのかそれとも引き抜いたのか、草地のなかに草の生えていない部分があって、それが黒ずんだ線になっている。その線によって、巨大な円が描かれ、それを囲むようにいくつかの小円がある。
「道路から撮った写真もあります。なるべく俯瞰の視点ほしかったんで。……あの時はガードレールに昇って、安達に体を支えてもらいながら撮ったんだよな?」
「おう。あれ、あぶなかったわ」
安達くんが苦笑する。
危険を冒して撮影したという写真も見せてもらった。
河川敷沿いの道路から見下ろすように撮影したおかげで、全体像がより理解しやすくなっていた。草地の図形はかなり大きい。大円を囲んでいる小円は6つあって、反時計まわりに渦をまきながら、すこしずつ直径が大きくなっている。まるで、大円から小円が飛び立とうとしているかのようなデザインに見えた。
「これってミステリーサークル?」
私が思わずつぶやくと、「あ。知ってましたか」と宮地くんは両目を細めた。
「大きい円の直径は、六メートルくらいあります。だいぶ目立つというか、主張が強いことになってますけども。見た瞬間、俺らもマジ?ってなりましたね」
「爆笑したよな。絶対ここに宇宙人いたやん!ってなった」
「安達はゲラゲラ笑ってたな、俺はどっちかというと怖かったんだけど」
ミステリーサークルを撮影した思い出を楽しそうに語るふたりは、どうやらそれを武勇伝のように考えているらしい。
どことなく釈然としない気持ちで勇斗くんを見ると、彼は気まずそうに目を伏せて口を閉ざしていた。
おや?と思う。
勇斗くんは何か言いたそうだった。
私も問いかけてみたいことがあったのだが、今はあえて追求しないことにした。他のふたりより年齢が下というのもあるが、彼は引っ込み思案な性格なのだろう。
勇斗くんへの質問は頭の隅にメモしておいて、とりあえずミステリーサークルを撮影した経緯を訊いてみる。
「えーと、さっきも言いましたけど、これを撮影したのは小学生のときです」
と、宮地くんが言う。
「何年前だろ? 二〇一二年だからもう九年前になるのかな」
「俺らが小六んときやね」と安達くん。
「うん小六。勇斗は小四かな? このメンツで戸吹公園に遊びに行ったんです」
2
二〇一二年四月十五日の日曜日。
宮地くん安達くん勇斗くんの三人は、自転車に乗って戸吹公園に行った。
戸吹公園というのは、あきる野市と八王子市の中間に位置するスポーツ公園のことだ。タブレットで公式サイトを見せてもらったが、公園という言葉のイメージを凌駕する場所で、サッカー場、ラグビー場、テニスコート、スケートパークと園内の施設はかなり充実している。
三人はここでミニテニスをして遊び、夕方一八時頃に帰ることにしたそうだ。
「……で、自転車をこいで秋留橋まで戻ってきました。橋を渡ったところの交差点で、それぞれの帰り道が別になっちゃうんですけど……なんか別れづらくて。ほら、すっげえ楽しかった日って、それを終わらせたくないってなりませんか?」
「ああ、あるね。わかるよ」
私にも覚えがある。小学生のころ、学校から帰るとちゅうで友だちと一緒に寄り道して、家に帰りたくなくなったことがある。明日学校に行けばまた会えるのに、その場をはなれるのがさみしかった。
宮地くんたちも、それと同じ状態になったのだという。
自転車にまたがったまま話をつづけ、だれも「帰る」と言い出さず、話がとぎれそうになると、べつの話題をひねりだしたりして、別れを惜しんだ。
そして気がつけば、あたりは真っ暗になっていたのだという。
秋留橋を渡っていく車のテイルライトがキレイだった、というから、太陽はとっくに沈み、おたがいの顔も見えにくかったことだろう。
「たぶん、夜の一九時くらいだったと思います。時計とか見てないのでわかりませんが。で、さすがに帰るかって空気になったときに、勇斗が、アレ何?って」
ふいに大声を出した勇斗くん。
彼は驚愕したように空の一点を見つめていた。
宮地くんも視線を上げてみると、夜になりつつある空に、なにか明るくて大きなものが浮かんでいた。それはかなりの光度で、最初は街灯かと思ったらしい。安達くんも同じように空を見て「眩し!」と叫んだ。
タブレットを使い、グーグルアースのストリートビューで秋留橋を見てみる。
正確な位置ではないものの、だいたいこのあたり、と当時の三人が立っていた場所を提示してもらった。
現場は、あきる野インターチェンジがあるせいで、道路はごちゃついている。
だが、橋の上は視界をさえぎるものがなく、空はよく見えた。
都道169号線が南に伸びており、謎の発光体は方角的にほぼ真西、斜め45度上空に浮かんでいるように見えた。宮地くんいわく「首の骨がゴキッと鳴った」らしいから、かなり見上げる体勢になったようだ。
「しばらくボケーッと光を見ていましたよ。みんなひと言も喋らなかった」
「それ、絵にかける? どんな感じだったのかな」
「いいですよ。かきましょうか?」
私は持ってきた取材ノートを渡し、三人に絵を描いてもらった。
一般的にUFOというと、円盤型や葉巻型である。
だが、彼らが描いたのは、いびつな三角形だった。あえていうなら、菓子パンのスコーンに似ている。色についても三人ともほぼ一致していて、宮地くんは「ものすごく濃いオレンジ色」、安達くんは「メロンみたいな色」、勇斗くんは「ハロウィンぽい、かぼちゃみたいな色」。
もちろん十年ちかい年月が経つあいだに、共通の認識が醸成された可能性はある。が、この三人が明るく発光する「ナニカ」を見たことはまちがいなさそうだ。
「ふーん。なんか、あんまり宇宙船っぽくないんだね」
率直に言うなら……私はすこしガッカリしていた。
彼らが目撃した発光体は、正体不明であるものの、形状からして宇宙人の乗り物ではなさそうだと感じたのだ。
同時に、脳裏に疑いがわいた。
「あの、怒らないでね。もしかして、月だった……なんてことはないよね? ほら、月って満月のときは、不気味な色になったりするじゃない?」
濃いオレンジ色、と聞いて、まっさきに連想したのは月だった。
夜空に目を向けたときに、ビックリするくらい濃いオレンジ色の月に出くわした経験がある人は多いのではないだろうか。
そういう奇妙な色をしているときは、経験上、満月かそれに近い月齢だった。そして、満月なら見た目にも明るいだろうと思ったのである。
だが、宮地くんは「月じゃないです」と首を横にふった。
「たしかに満月ならかなり明るく見えるはずですが、日没直後に満月が西の空に浮かぶってことはないです」
「えっそうなの? どうして?」
「月ってのは自力で光ることができないから……どういえばいいんだろう。満月になるときは、地球をはさんで、太陽が逆側にあるときなんですよ」
宮地くんはペンを取って、ノートに太陽と月と地球の位置関係を描いた。
天文学の素養に乏しい私にはすぐには呑み込めなかったが、記憶をふりしぼってみると、たしかに不気味な月を見たときは、日没直後の東の空に、しかも地平線すれすれに浮かんでいた気がする。
「月じゃないかってのは、俺らも疑ったんス」と横から安達くんが言う。「なんか月齢を載せているサイトってのがネットにあって、調べたら、この日は三日月だったんです。さすがに三日月はあんなに眩しくないんで、絶対にちがいます」
余談だが、あとから私も調べたところ、二〇一二年四月十五日は、月齢23・5の細い三日月で、月の入は昼の12時40分だった。つまり、そもそも三人が発光体を目撃した時間帯に、空に月は浮かんでいなかったことになる。
どうやら、月の見まちがえ説は否定されたようだ。
話を、ふたたび九年前にもどそう。
秋留橋の上から光る「ナニカ」を見つめていた三人だったが、急に勇斗くんが「光が弱くなってない?」と言い出した。
言われてみればたしかに、弱くなっていた。最初に見たときは強烈な光で直視できないほどだったのに、今では色や形が判別できるようになっている。
それどころか宮地くんは「落ちてきている」と感じたそうだ。
アレ落ちてきてね?と思わず言うと、他の二人も同意見だったらしく、「ゆっくりとだけど落ちてきてる」「墜落してるのかも」と口々に言い合って、一気にその場がヒートアップした。「落ちるとしたら、たぶん川のむこうだ」。
行ってみよう、と今となっては誰が言い出したのかわからないが、とにかくそういうことになって、三人は自転車にまたがり、秋留橋を渡りだした。
弱まりながら高度を下げていく光を追いかけながら、都道169号線を南下し、150メートルほどいったところで交差点を右折した。
そのころには光は消えそうなほど弱々しくなっていて、三人はあわてて自転車を漕ぐ速度を上げた。だが、とうとう光は視認できないほど弱くなってしまい、墜落の瞬間を見逃してしまった。
「だけど河川敷のどこかだと思いました。ギリギリまで目で追っていたから。それほど遠くないとわかっていました。だから、そのまま自転車を漕いでいったんです」
「もうかなり暗かったはずだよね。それでも河川敷のあたりとわかったの?」
私は宮地くんに疑問をぶつけてみた。
半分は勘ですけど……と宮地くんは答えた。
「でも、実際に現地にいってもらえればわかるんですけど、あのへんって下り坂になっているんですよ。坂の上から河川敷を見下ろす形になっていたので、落ちた場所の目星がついたんです。もう少し長く光っていてくれたら、よかったんだけど」
グーグルアースで墜落地点を確認してみる。
地図で見ると、すぐ近くに東京サマーランドという遊園地があるようだ。
私はふと、遊園地の来場者は何か見ていないだろうかと気になった。
もし流星のように光る物体が落ちてきたのなら、誰かしら気付いただろうし、ネットにそのことを報告しているかもしれない。
思いついたことを口にしてみると、
「いやあ残念ですけど、それ系の報告は見つからなかったですね」
と、宮地くんは言った。
「え。そうなの? なんでだろう」
「サマーランドってプールがメインなんで、四月はオフシーズンっていうか。屋内プールもあるんですけど、一七時で閉まっちゃうし」
三人が光を追って河川敷に到着したのは、一九時から一九時半のあいだ。
東京サマーランドは、とっくに閉園時間だった。
駐車場は閑散としていて、園内も真っ暗になっていたらしい。
四月の夕暮れ。周囲に人影はなく、灌木や草が繁茂する河川敷は暗闇のなかに沈んでいる。営業が終了した遊園地は、少年らの目にどのように映っただろう。
わりと怖いシチュエーションだと思うのだが、興奮していた彼らは、まるで臆することなく、道端に自転車をとめて議論をはじめた。
自分たちが見たものについて。それに、これからどうするかについて。
もしかしてUFOではないか?というのは、自転車を漕いでいた時点で三人の心のなかに浮かんでいた考えだった。
自分たちは本物のUFOを目撃したのでは?
しかも、それは目の前の河川敷に墜落したのでは?
三人は話し合った。
今すぐ河川敷に下りていって墜落現場を見つけようと言ったのは、宮地くん。
それよりも一度家に帰って大人を連れてこようと言ったのは、安達くんと勇斗くん。
「ぶっちゃけビビってたのもあるんですけど、それだけじゃなくて」と安達くんは、そのときの状況を振り返りながら言った。「まじで暗くて、あぶないと思ったんですよね。いくら浅いといっても川は川だし。せめて明かりがないと、って」
彼らはスポーツ公園で遊んだ帰りで、懐中電灯など当然持っていなかった。
せめてスマートフォンがあれば光源になったのだが、三人とも持っていなかった。
こんなに暗くてはとても探せない、と安達くんたちは説得を続け、宮地くんもしぶしぶ同意しそうになったとき、ふと三人は闇に染まった河川敷のほうから何者かが歩いてくることに気づいた。
「あれは小便ちびりそうになった」と安達くんは言う。
だれもいないと思っていたのに、人がいた。しかも河川敷のほうからやって来る。
UFOが墜落したかもしれない暗闇の中から。
それだけでも怖いのに、その人物は様子がおかしかった。
以下はその証言である。
「緑色のジャージ上下のおじさんだった。年齢は五〇歳くらい」「腰にウェストポーチみたいなのを着けていた」「ぼんやりとした感じ。酔っぱらっているみたいだった」「ちょっと焦げ臭いニオイがした。焚き火をしたときのニオイに似てた」
「俺らに近づいてきて、なんか知らんけど〝水もってる?〟って聞いてきた」
そう言って、不快そうに安達くんは鼻の頭に皺をよせる。
「〝水もってる?〟って言ったの?」と私は首をかしげた。
「そうそう。第一声が〝水もってる?〟だった」と宮地くんがうなずく。「最初はカネもってる?と言ったのかと思ったんですけど、なんども繰り返して聞いてくるから。なんだったんだろうアレ。〝水もってる?〟〝水もってる?〟って」
「僕にも、安達くんにも聞いてきたよね」と勇斗くんが言う。「持ってませんって答えたら、なんかガッカリしたみたいに来た方向に戻っていっちゃったんです。で、僕ら、怖くなっちゃって……」
「まあ、そりゃあ怖いよね。意味不明だし」
「ええ」と勇斗くんはしみじみとため息した。「で、時間もおそいし、オジサンとまた会いたくないし、その日は帰ることにしたんです。でも、気になるじゃないですか。だから、つぎの日、学校終わったあとにみんなでまた行ってみて……」
「で、さっき見てもらったミステリーサークルを河川敷で発見したんです」と宮地くんが言葉を引き継いだ。「緑ジャージのオジサンがいた場所と同じかわかりませんけど、でもまさかあんなものがあるとは思わなくて、さすがにゾッとしました」
「なるほど。そのときにスマートフォンで撮影した、と」
宮地くんが手をあげて「はい。俺の親のスマホで」と言った。
なるほど、と唸った私は黙り込んだ。
しばらく考えてから「でもあれだよね」と口を開いて、
「……光る物体を見たこと、河川敷に謎のオジサンがいたこと、翌日行ったらミステリーサークルがあったこと、一見すると一本の糸でつながっていそうだけど、もしかしたら、それぞれは関係ないかもしれないよね?」
九年前、三人が正体不明の発光体を見たこと自体は、疑っていない。
だが、結局三人は発光体が墜落する瞬間を目撃していないのだ。
さらに、光が墜落したらしい現場で、謎のオジサンと遭遇したとしても、両者を直接結びつける因果は何もない。それは翌日発見したというミステリーサークルも同様である。
「そのとおりです」
と宮地くんはうなずいた。
「安達は、あのオジサンは宇宙人だ!って断定してますけど、俺と勇斗はそう考えていないんです。むしろ不審者のほうが可能性ある。それに、あのとき見た光も宇宙人の乗り物だとはどうしても思えないんです。UFOだとは思いますけど」
UFOという言葉は、一般的に宇宙人の乗る宇宙船のニュアンスで使用されているが、本来的には「未確認飛行物体」。たとえ鳥や飛行機の見まちがえだったとしても、正体が判然としないうちは、UFOなのである。
ただ……と宮地くんはうつむいた。顔の肌に翳が落ちる。
「思い返してみてもモヤるんですよねぇ……うまくいえないんですけど、なんか誘導されていたんじゃないかって」
「誘導?」
「うーん。何者かにハメられたというか、罠にひっかかったというか。どう言えばいいんだろう、こういう言葉を使うとちょっと違う気がするんだけど」
宮地くんは適切な表現が見つからずに苦慮しているようだった。
誘導。ひっかかった……?
その言葉から類推すると、たとえば大掛かりなドッキリを仕掛けた何者かがいて、三人は見事にそれにだまされて、UFOや宇宙人がいると誤認させられた、とか、そういうことなのだろうか。
それを宮地くんに伝えてみると、
「うーん。ちょっと違うかな。なんていうんだろ、めちゃくちゃ運悪いことあると、誰かにハメられたみたいに感じるけど、実際には人間は介在してないじゃないですか。でも、そういう運命をわざと掴まされたって感じるというか……、なんか変なフラグ踏んだなというか。……っと。阿刀川さんってゲームやる人ですか?」
「うん。大丈夫わかるよ」
「よかった。じゃあまさにフラグです。俺たちフラグ踏んじゃったんです」
いちおう解説しておこう。
フラグというのは、元はコンピュータ用語だ。
ゲームにおける意味は、条件分岐のトリガーとでもいおうか。たとえばRPGでは、村の村長と会話することでフラグがオンになり、新たなイベントが発生したりする。現在ではその意味が拡大解釈され、「伏線」や「予兆」の意味で使われることもある。
「フラグか。……でも、誰かがそのフラグを作ったんだよね?」
「わかりません。そんなの作れるのかな?って気はしますけど。でも、あの日、あの場所にフラグがあったと考えると、しっくりくるんです」
正直、よくわからなかった。
彼のいうフラグも、どことなくスピリチュアルめいて聞こえる。今回UFOを調べるにあたって、陰謀論とスピリチュアルのアライメントは退けようと決めていた。そういう意味で、ちょっとマズイ方向に傾いてきたぞ、と私は考えていた。
そんな私の変化を読み取ったのか、宮地くんは目を細めて薄く笑った。
そしてこんなことを言い出した。
「歴史上、もっとも〝ガチでUFOを研究した〟人たちって誰かわかりますか?」
私が首を横にふると、彼は続けて言った。
「二十世紀のアメリカ空軍です。1947年から1969年頃まで、国の予算つっこんじゃって、正体不明の飛行物体を本気で研究していたみたいです。で、それだけのビッグバジェットを費やして得られた結論が、UFO目撃報告の95パーセントは誤認。未判明は全体の5パーセントにすぎない、ってことでした」
5パーセント。
はたして多いのかすくないのか。
ここで後から私が調べた資料による、後づけの補足をしよう。
米国のUFO調査機関「プロジェクト・ブルーブック」が収集した目撃情報は、1万2618件である。宮地くんが言ったとおり、そのほとんどは月や鳥や飛行機の見まちがいで、正体不明だったのは640件だった。ちなみに情報不足により判定不能とされた件数は2409件あり、データには含まれていない。
「注意しなくちゃいけないのは、未判明が5パーセントあったとしても、あくまでその時わからなかった、というだけで、本物のUFOの目撃件数ではないってことです。そして、あくまで俺個人の考えなんですけど、未判明5パーセントも、その正体は宇宙人の乗り物じゃないと思います。たぶん別の〝何か〟ですよ」
宮地くんは言う。
おだやかな口調なのに、強い意思がこめられていた。
「別の〝何か〟って、……たとえば?」
私は、そう質問せざるをえなかった。
宮地くんは照れくさそうにマスクの下で頬をゆるめる。「ごめんなさい、わからないです。俺も知りたいですよ。アレがなんだったのか、ずっと探してるんですから」
「そっか。……ねえ、さっきフラグって言ったよね?」
私は質問の方向性を変えてみた。
「もしゲームだったら、フラグを立てたことによって、新しいイベントとかアイテムの入手チャンスがあったわけだ。この場合なんだったと思う? 九年前、フラグを立てたことによって、君たちにどんな変化がおきたのかな?」
三人の顔を順番に眺めていく。宮地くん。安達くん。勇斗くん。
それぞれの顔は、微妙に困惑しているようだった。
「わからないけど」と、ぽつりと言ったのは、安達くんだ。「もしかしたら、あの光は、河川敷に行けっていうサインだったのかなぁとは思う」
「河川敷に?」
「うん、宮地のいうフラグとは別に、そういうサイン。俺らにあの河川敷に行けっていう、なんかナビゲート?だったのかも」
ちょっとわかる、と宮地くんも首肯した。
「もしかしたら、あのミステリーサークルを見つけてもらいたかったのかもね」
3
ランチタイムになり、店内が混雑してきた。
私たちは営業の邪魔にならないように退店することにした。
取材前に予想していた内容とは大幅に異なっていたが、なかなか興味深い話が聞けたので、私は満足していた。
「漫画の原作者さんってことは、つぎの作品はUFOネタなんですか?」
駅に向かう道すがら、雑談をする。
「いや、漫画にはしないと思う」と私。「ノンフィクションの単行本で企画持ち込んでダメだったら、同人誌にでもしようかな」
「あ、そうなんですね。そういえば俺ら、今度ユーチューブで活動を始めようかって計画してまして。ノンフィクションで本を出版するということなら、いつか俺らのチャンネルとコラボしてくれませんか?」
「それって、UFO関連のチャンネルなの?」
「基本的にはそうですね。でもUFOネタだけだと動画更新頻度が落ちちゃいそうなんで、オカルト全般で行こうって話し合っています。今は機材を揃えて勉強しているところですけど、わりと見切り発進しちゃおうかなって」
「なるほど。じゃあチャンネル開設したら教えてね」
駅前にもどってきたが、私はこのあとタクシーをひろって秋留橋や東京サマーランド周辺に行くつもりだった。せっかく二時間もかけて取材に来たのだ。現地の写真を撮らなくては意味がない。
三人は「それならお供します」と申し出てくれたが、丁重に断った。
タブレットで説明してもらったおかげで大体の場所は掴めていたし、取材のときはできればマイペースにぶらぶらとしたい派なのだ。
ということで、三人とはここでお別れとなった。
駅前にはバスロータリーがあったが、タクシー乗り場はパッと見で見当たらなかった。アプリで呼ぶか大通りに行こうかと迷いながらその場で仕事のメールをチェックしていると、ふいに誰かに名前を呼ばれた。
「阿刀川先生」
振り返ると、そこには勇斗くんが立っていた。
どうしたのだろうか。さっき別れたばかりなのに、ひとりだけ戻ってきたらしい。走ってきたのか、息があがっているようだ。私はまばたきを繰り返しながら、勇斗くんに「どうしたの?」と問いかけた。
「ちょっと、先生に、見てもらいたいものがありまして……」
大きく息をひとつ吐いて、勇斗くんは荷物から何かを取り出す。
そういえば、と私も思い出した。
私も彼に訊ねてみたいことがあったのだった。頭の片隅にメモしていたのに、うっかり聞きそびれてしまった。私が気になっていたことと、彼がわざわざ戻ってきた理由は、もしかしたら同じかもしれない。
「どうぞ」
と勇斗くんが差し出したのは、古びた小冊子だ。
「これは?」
と受け取る。どうやら写真のミニアルバムのようだ。
スマートフォンが普及する以前、写真というものはカメラで撮影して、専門店で現像してもらうものだった。カメラ屋やプリント屋から返ってきた写真は、ミニアルバムに収納して保管するのである。
表紙をめくってみる。
目に飛び込んできたのは、あざやかな緑色。水田を撮影した写真だ。視点がかなり高いから、おそらくは脚立をつかったか、何かに登って撮ったのだろう。水田は稲穂が実る前の段階で、季節は初夏といったところか。
「なるほど……このまえSNSで送ってくれた画像はこれだったのね?」と私。
「はい」と勇斗くんは真顔でうなずいた。
数日前、ネットでUFOの情報を募集したとき、勇斗くんは「UFOを見たことがあります」とダイレクトメッセージを送ってくれたのだが、そのときに「自分が所持するUFO関連の画像」も見せてくれたのである。妙に白飛びした画像だなと思っていたが、実物の写真をスマートフォンで撮影したものだったわけだ。
私は画像の元となった写真を見た。
それは巨大なミステリーサークルを記録した写真だった。水田の青々とした稲が、図形を描くように根こそぎ倒されている。ただし、こちらの図形は、円形(サークル)ではなく螺旋(スパイラル)だ。渦の巻き方に特徴があり、カタツムリの殻のように、中心に向かうにつれてグルグルが過密になっている(ちなみに数学的にはクロソイド曲線というようだ)。
異なる点がある一方、秋川河川敷のミステリーサークルと、共通している点もある。どちらの図形も、大きな円の周囲を小さな円が囲んでいるのだ。小円の数は、秋川河川敷が6つだったが、こちらは4つだった。
私はミニアルバムのページをめくっていった。
基本的にはどれも同じ画角であり、水田に出現したミステリーサークルを場所を変えて撮影した写真ばかりだった。
「なるほど。ありがとう」と私はミニアルバムを返却しながら言った。「でも、どうしてさっきファミレスで見せてくれなかったの?」
「それは……宮地くんに止められたからです。見せないほうがいいって……」
「どうして?」
「うーん……白状しますと、これ、インチキなんです。UFO関連の画像ってダイレクトメッセージには書きましたけど、あれは嘘です。すみません……」
勇斗くんが語るには、この写真が撮影されたのは、今から三十年ほど前の一九九三年。撮影者は勇斗くんの祖父だそうだ。
水田の所有者も彼の祖父で、このミステリーサークルはUFOと何も関係なく、どうやらいやがらせを受けた結果らしいのだ。
「じゃあ、コレは、人間が作ったってこと?」
「はい。祖父によれば、犯人が自首してきたらしいです。しかも、じいちゃんの知人だったらしくて。田んぼ荒らされて作付のほとんどをダメにされちゃったから、当時かなり揉めたらしいです。金銭的にもだけど、仲の良かった人だったらしいから、どうしてこんなことしたのかって……」
勇斗くんの祖父と犯人との間に、トラブルや確執は何もなかった。
酒飲み友だちだったらしく、事件の数日前にも会って、楽しい時間を共有したらしい。ところが、そんな友人が突如豹変した。深夜勇斗くんの祖父が所有する水田に侵入し、足で稲を踏んで複雑な螺旋模様を描いてみせた。
なぜそんなことをしたのか?
当時、勇斗くんの祖父も問い詰めてみたらしい。
「〝わからない〟って答えたらしいです。〝どうしてあんなことしたのか自分でもわからない〟って……。泥酔して奇行に走ったのだろうということで、周囲は結論したみたいですが、でも犯人は、実はその日お酒飲んでなかったみたいなんですよね。なんかおかしくないですか? 僕、ミステリーサークルそのものより、なぜそんなものを作ろうと思ったのかという点が、どうしてもひっかかるんです……」
「たしかに。普通は作ろうと思わないもんね」
「はい。残念ながらUFOの仕業じゃなく人間が作ったものだけど、この記録写真は重要だと思っています……。なにかのメッセージじゃないかって」
「メッセージ?」
「……はい。宮地くんたちはフラグとかサインとか言ってましたよね? 僕にとってはメッセージです。誰かが何かを伝えようとしたんじゃないでしょうか?」
九年前のあのときも、きっとそうだったんだ。
勇斗くんはそう言って、五月の晴れた空に何かを思い描くような表情をした。
注 釈
(1)あきる野市
東京都多摩地域にある都市で、東京にある市では最西端に位置する。1995年9月に秋川市と五日市町が合併して発足した。秋川と平井川の二つの河川が流れ、平坦部と奥多摩に連なる山間部で形成されている。東京とは思えないほど自然豊か。
(2)第三種接近遭遇
ジョーゼフ・アレン・ハイネックによる分類によれば、第一種…150メートル以内の近距離からの目撃のうち物理的証拠をのこさないもの。第二種…UFOが周囲に影響を与えて物理的な証拠をのこしたもの。第三種…UFOの登場者、宇宙人の目撃──となり、第一から第三に進むにつれて、よりシリアスで物証の確かな遭遇体験とされる。ちなみに第四種接近遭遇まで存在し、第四は宇宙人による誘拐・アブダクションである。
(3)未知との遭遇
1977年に公開されたアメリカ映画。監督はスティーヴン・スピルバーグ。予告編のキャッチフレーズは「Watch the skies」。全米でUFOをほのめかす怪奇現象が頻発し、異星人が存在することを確信した地球側が「彼ら」との接触をするために第三種接近遭遇プロジェクトをスタートさせるというストーリー。電光掲示板による光信号と「レ・ミ・ド・ド・ソ」の5つの音によって、UFOとコンタクトをとるクライマックスシーンが感動的。本作の監修をしたジョーゼフ・アレン・ハイネックはエキストラとしてちゃっかり参加している。
(4)円盤型や葉巻型
UFOは円盤型や葉巻型で有名だが、他にもさまざまな形状が報告されており、卵型・三角型・ドーナツ型・V字型・らせん型などがある。変わったところでは人型があり、こちらはフライング・ヒューマノイドとも呼ばれる。
(5)月の見まちがえ説
本文にある通り、月と見まちがえた可能性は低い。だが後の調べによって、この日は金星(宵の明星)の最大光度にちかいことが判明した。金星は地球よりも公転軌道が内側であるために、月のように満ち欠けして見える。周期は約一年七か月であり、地球からもっとも離れた位置から東方最大離角(月でいう下弦の月)を経て徐々に明るくなり、地球に最接近するにつれて暗くなり、最接近した後はふたたび明るくなっていく、というように明るくなったり暗くなったりをくりかえしている。2012年4月15日は、西の空に金星がかなり明るくかがやいていた。最大光度の金星は、一等星の220倍。UFOと見まちがえたとしても不思議ではない。ただし、三人が共通して主張した「光の色は濃いオレンジ色」という点は矛盾する。
(6)プロジェクト・ブルーブック
米国では1940年代からUFOの目撃報告が増加していたが、政府には公式の調査機関が存在しなかった。AМCのネイサン・トワイニング司令官は軍に正式な調査機関を設立する要望を送り、1947年に「プロジェクト・サイン」とコールされる調査プロジェクトが正式に開始された。が、同プロジェクトの最終報告は軍の賛同を得られず、1948年に「プロジェクト・グラッジ」と改名。改名後は、UFOそのものよりも目撃した人間側を調査対象とし、UFOとはたんなる自然現象もしくは目撃者の誤認と結論づけ、プロジェクトは解散された。だが1952年にUFO目撃報告が爆発的に増加すると再度調査機関を編成する必要に迫られ、チームは「プロジェクト・ブルーブック」と名付けられた。この時科学顧問に任命されたのが、オハイオ州立大学の天文学教授だったジューゼフ・アレン・ハイネックである。
補遺資料①
■甲府事件
1975年2月23日午後6時頃、甲府市立山城小学校2年生のいとこ同士の男子児童2名が帰宅途中にオレンジ色のUFOを目撃した。
児童の話によると、UFOは二人を追いかけるように飛行して来たため、逃げて付近の墓地に隠れたという。これにより彼らはUFOを見失うが、程なくブドウ畑に降り立ったUFOを再度発見し、機体から現れたチョコレート色でシワシワののっぺらぼう状態の搭乗者を目撃する。児童のうち1名は背後に回り込んだ搭乗者に肩をたたかれ、恐怖でその場に座り込んでしまうが、もう1人はその場から逃げて家族を呼びに行き、家族が駆けつけた際には搭乗者の姿はなく燃えるような物体がブドウ畑にあったという。児童1人の母親は空に銀色の物体が回転していたと証言し、父親は消えかかる光を見たと述べた。当時の母親の目撃証言は録音されておりテレビ番組で公開されている。
目撃した児童とその家族の証言に加え、甲府市環境センターの管理人も少年たちがローラースケートで遊んでいた場所の上空で光体を目撃したと証言している。また、7年後の1982年には、UFO着陸現場付近を車で走行中だった保険外交員の女性が、その搭乗者らしき人物に遭遇したと語っている。
〝甲府事件〟Wikipedia
■ミステリー・サークル
ミステリー・サークルは、田畑で栽培している穀物の一部が円形(サークル形)に倒される現象、あるいは、その倒された跡。円が複数組み合わされた形状や、さらに複雑な形状のものもある。英国を中心に世界中で報告されている。英語ではクロップ・サークル (Crop circle) やコーン・サークル(Corn circle)という呼称が一般的である。
1980年代に謎の現象として注目され、宇宙人説をはじめとするさまざまな原因仮説が示された。1990年代に入ってからは、製作者自身による告白や超常現象懐疑派による検証が進み、人為的なものと判明した。
1990年9月17日、福岡県糟屋郡篠栗町の稲田で直径20メートルと5メートルのサークルが出現した。英国のミステリー・サークルが超常現象としてテレビ番組等で紹介されていた日本では全国ネットのニュース番組で取り上げられ、多くの見物客が現地に押しかける騒ぎになった。篠栗町ではミステリー・サークルのテレホンカードを売り出すなど、町おこしに活用している。それをきっかけに2か月間に福岡県と佐賀県で5箇所で10個のサークルが出現するなど日本各地でミステリー・サークルが発見され、マスコミでも大きく取り上げられた。
篠栗町のミステリー・サークルは、超常現象否定派の物理学者である大槻義彦が発生から1週間後に現地調査を行い、同年の月刊文藝春秋12月号に「ミステリー・サークルの真犯人」と題するレポート記事を掲載。プラズマ特有の現象が確認できるとして、「プラズマ弾性体」によってできた自然現象による本物だと断定した。
(中略)
1991年の10月、福岡県内で窃盗の常習犯として警察に検挙された高校生12人のグループが、篠栗町ミステリー・サークルを作ったのが自分たちだと自白し、いたずらと判明。大槻は「自分が調査するまでの1週間で現場が荒らされていた」「一部がいたずらであっても全てがそれで説明できるとは思わない」とする釈明コメントを出したが、この報道以降、日本におけるミステリー・サークル発生報告はほとんどなくなりブームは鎮静化した。
〝ミステリー・サークル〟Wikipedia
■うつろ舟の蛮女
『兎園小説』「うつろ舟の蛮女」
享和三年(1803年)の春二月二十二日の午後、当時寄合席だった小笠原越中守(石高四千国)〔『梅の塵』では小笠原和泉守〕の知行所、常陸国〔現・茨城県〕にある「はらやどり」という浜〔『梅の塵』では「原舎浜」〕の沖合い遥かに舟のようなものが見えた。浦人が多くの小舟を漕ぎ出し、その舟を浜辺まで曳いてきた。舟をよく見ると、形は香盒〔お香に使う入れ物〕のような丸い形状で、長さは三間〔約5・5m〕余り、上半分には「ガラス障子」の窓があり、窓には防水のために「チャン〔松脂〕」が塗ってあった。舟に下半分は鉄板でできた筋金で補強されていた。岩礁に当たっても砕かれないようにしたものだろう。上部の透き通った窓からは舟内がよく見えた。皆で船内を見ると、異様な服装の女性が一人いた。
(中略)
女性の眉と髪の毛は赤く、顔色は桃色で、頭髪は白い入れ髪が背中に長く伸びていた。その髪が動物の毛か、糸を撚ったものかは誰にもわからなかった。言葉は通じず、どこから来たのか聞くこともできなかった。この女性は約二尺〔約60cm〕四方の箱をひとつ抱えていて、特に大切なものと思え、ひと時も放そうとせず、その箱に人を寄せ付けなかった。
江戸「うつろ舟」ミステリー 楽工社 加門正一
第二章「どうして人間はヘンなものを見てしまうのでしょう」
1
さて。そろそろこのあたりで、私・阿刀川恵が実際に目撃したUFOについて書かなければならないと思う。
だがそのためには私の病気に触れておかなくてはならない。目撃時の状況や精神状態は無関係ではないと思うし、私だけ個人的なことを開陳しないのは、他のUFO目撃者に対してアンフェアだと思うからだ。
ただし病気の話など興味ない方もいるだろうし、もしかしたら読んでいて不快にさせてしまうかもしれない。その場合はどうか読み飛ばしてほしいと思う。
病気に関して、いつから症状があったのかわからないのだが、最初に痛みを自覚したのは、二〇一九年一二月三十一日の大晦日だった。
一年間のどん詰まりの日、私は左上腕から肩関節にかけての鈍痛になやんでいた。腕を動かすとピキリと痛く、痛みの種類はあえていうなら筋肉痛に似ていた。
片腕だけ酷使するようなことがあっただろうか?と、ここ数日の行動を振り返ってみたが、年末進行と関係各所の忘年会で多忙な日々を過ごしていたために、原因となりそうな出来事は思い出せなかった。そもそも私の職業と腰痛・肩こりは切っても切り離せない関係である。とりあえず市販の湿布薬を貼りつけてその日は過ごし、夜は早めにベッドに入ることにした。
翌朝、目が覚めてみると体調は悪化していた。
頭痛がするので熱を測ってみると38度ある。泣く泣く仕事のパートナーである南條文夏さんにLINEをして、初詣に行けなくなったと伝えた。じつは私も彼女も人生で一回も初詣というものをしたことがなく、ならば一念発起して元日に明治神宮に行こう、と盛り上がっていたのだ。
LINEで、南條さんは「お大事に」とやさしい言葉をかけてくれた。
この時の私は多分風邪をひいたのだろうと高をくくっていて、「連載に影響が出ないように早めに癒すからね」などと返信している。
だが、それから一週間が経過しても関節の痛みはおさまることがなかった。鎮痛剤を服用すれば症状は緩和するのだが、薬の効果が切れれば、元の不調にもどってしまう。さすがにおかしいと思い、近所の整形外科を受診した。
最初の医院ではストレートネックではないかと診断された。
別の医院も受診してみたが、原因は不明だった。
この時の私は、医師に伝えるために症状を箇条書きにしている。
・痛みは左上腕、肩甲骨、背中の一部。
・肩関節に言葉にならない違和感がある。
・腕に力がはいりにくく、キーボードをタイピングできない。
・腕は上げられるけど、途中で痛みがある。
とくに痛みが問題で、夜中に痛みのせいで目が覚めてしまうこともしょっちゅうだった。当時のSNSには「腕の骨に虫歯ができたみたい」と書いている。
一向に改善しない状況に焦りを感じはじめた私は、仕事のスケジュールを調整して、地域でいちばん大きな総合病院を受診することにした。
定番のレントゲン撮影をして、診察室にもどってくる。と、医師の表情が心なしか曇っていた。「骨の一部が石灰化している」と言うのだ。
「なんでしょうね、良性だと思うけど腫瘍の可能性もあるかもしれないです。はっきりさせたほうが良いので今度МRI検査してみましょうか」
その日は検査の予約だけして帰宅。
帰宅するなりネットで腫瘍について調べる調べる調べまくる……。腫瘍ということは癌かもしれないわけで、まさに青天の霹靂だった。部位が腕なだけに、靭帯損傷とか骨のヒビだろうと思い込んでいたのだ。
病気の体験ブログをひたすら読み込んだ。自分の症状と合うところと合わないところを比べて、一喜一憂した。
その後МRI検査を受け、検査の結果がようやく出たのは二月四日。
最初に痛みを自覚してから、はやくも二ヶ月が経とうとしていた。
あの日のことはいまだに覚えている。朝は凍えるほど冷え込んで、外に出ると吐く息が白かったが、午後から太陽が出はじめると、ホッとするような陽気になった。斜めに差し込む陽の光を背に浴びながら、私は総合病院の入口をくぐった。
「軟骨肉腫でした。骨にできる腫瘍です」
診察室で医師は告げた。
モニターにМRI検査の結果が映し出されていた。骨のなかに五センチほどの黒っぽい異物が巣喰っている。やはりそうかという気持ちと、そうであって欲しくなかった気持ちとが正面衝突して、医師の話が耳に入ってこなかった。
だが、腫瘍と判明した以上、考えなければならないことは山ほどあるのだ。
生体検査をどうするかというのが、目下決断を必要とする事項だった。検査は腕を切開して骨を露出させ、骨に穴をあけて腫瘍の細胞を採取する手術になるとのことで、もちろん入院が必要となる。
ただし、生体検査をしても悪性かどうか必ずしも判別がつくとは限らない。
だとすれば、無意味に身体を痛めつけるだけになってしまう……。
どうしましょうか?と医師は訊ねてくるが、どうしても脳みそが働かず、いったん保留にさせてもらって「家に帰ってから考えてみる」と伝えた。
医師も「そのほうがいいですね」と言ってくれた。
病院を出た。
来たときよりも気温が下がっていて、陽の光も頼りなくなっていた。マフラーをきつく巻き直した私は足早に歩きだした。いろんなことを考えた。
仕事の関係各位に連絡しなくてはならなかった。 編集者と作画担当の南條さんに。連載はどうなるだろう。多大な迷惑をかけてしまうに相違ない。他にも連絡しなくてはならない人たちがたくさんいた。友人や知人。それと家族にも。
母や妹に、電話しなければならない。
癌であることを伝えたら、どんなリアクションが返ってくるだろう。私は、家族がかわいそうでしかたなかった。病気になったのは、私の方なのに。
心を空っぽにしたまま歩きつづけた。
ふと気がつくと、石神井川沿いの遊歩道にいた。時刻は一六時頃だったと思う。
石神井川は、練馬区から板橋区にかけてを蛇行しながら横断する川である。
春ともなれば桜の名所になる川沿いの並木道も、二月の今は痩せた枝ぶりを垂らしているだけだった。護岸壁は十メートル以上の高さがあり、覗き込むと冷たいガラスのような石神井川の水面が、冬の陽を反射していた。
私は立ち止まって、しばらく川の流れを眺めた。
虚無の時間が流れ、思考をするのがむずかしくなったフニャフニャの脳みそで「寒いしそろそろ行こう」とぼんやりと思い、何となく空へ視線を向けた。
そして私は「それ」を目撃したのだった。
高度はどのくらいだったのだろう。数十メートルか数百メートルか。
上空にクロム色の球体が──完全な球体ではなく縦にやや潰れたような「何か」が、音もなく浮かんでいた。太陽の光を浴びてきらきらと輝いていたので、「宣伝用の飛行船か?」と思ったのだが、よく目を凝らしてみれば、球体の周りを小さなものがぐるぐると廻っていた。数は4つか5つ。小さな「何か」も球体で、まるで太陽系の惑星運行モデルを見ているようだった。
(……何だろう、あれ)
正体を見極めようと謎の物体を見つめた。
形が似ているものを思い浮かべたが、どれも当てはまらなかった。
滑稽なのだが、これほど異常なものを目撃してもこの時は「UFOだ」などと微塵も思わず、人間の造った機械以外の発想が浮かんでこなかった。
謎の物体の見かけ上の大きさは、小指の爪ほど。私の裸眼視力は両方とも1・0だが、それでも目を細めないと輪郭を把握することさえむずかしい。物体は上昇もしくは遠ざかっているらしく、見つめているうちに雲の中へ入ってしまった。目撃体験は、時間にして一分間に満たなかったと思う。私はぼんやりとその場に立ち尽くし、しばらくして、やらなくてはいけない事を思い出して歩きはじめた。
(何か不思議なものを見た……)
クイズの答えを聞きそびれたような気持ちで私はのろのろと帰宅した。
その後の話をすれば、手術は無事成功し、私はどうにか生き延びた。
人工関節に置き換えられた左肩関節は不自由になったし、月にいちどの診察はまるでロシアンルーレットを試しに行く心境であるが、今のところ癌は再発することなく日々を無事に過ごせている。
南條文夏先生とのタッグで四年連載した作品が終了し、病気の影響で縮小せざるをえなかったために現在進行形の仕事がほぼゼロになると、ふいに私は癌の告知を受けた日に見た不思議な物体の正体が気になってきた。
(もしかしてUFOだったんじゃ……いやきっとUFOだったんだアレは)。
日に日にその想いが強くなり、新連載の企画提出後、ヒマな時間を見つけてはちょくちょくUFOについて調べるうちに、どうせなら文章にまとめてみたくなった。漫画のネタには使えないだろうから、同人誌にして文学フリーマーケットに参加してみようなどと妄想を膨らませ、とうとう本気になった次第である。
それにしても返す返すも悔しいのは、UFOを目撃しておきながら撮影をしなかったことである。なぜあの時の私はぼんやりと眺めているだけだったのか。まあ当時の精神状態を考えれば、とっさにスマホで撮影するなんて無理だったのだが。
(もしかしたら、あの日アレを目撃したのは私以外にもいるかもしれない……)。
そんな一縷の望みをかけて、私はSNSでUFOの目撃情報を募集した。余計なバイアスがかかるのを避けるために、目撃した物体の詳細は伏せておくことにした。
そして〝ゆうちゃむ〟くんこと土井勇斗くんが連絡をくれたのだった。
さて、お気づきかもしれないが、勇斗くんが送ってきてくれた画像「水田のミステリーサークル」と、例の謎の物体は、いくつかの共通点がある。
・球体、もしくは円に準じる形。
・大きな母体と小さな子体。大きい円と小さい円。
・小さいほうの数は、4〜6。
はたしてこれは偶然なのだろうか……?
2
あきる野市での取材を終えて、数日経った晩。
スマートフォンに続けて二本のメッセージが着信した。
一本目は、妹からだった。
『あのさ、わたしの友だちでA子ちゃんっていたのおぼえてる? その子が今年の四月に山で不思議な体験したんだって。UFOのこと調べてるんでしょ。こんど話聞いてみたら』
妹は、私がどんなペンネームで活動しているか知っていて、SNSもチェックしている。それでこんなメッセージを送ってきたらしい。
私は『感染者の推移を見て、そのうち帰る』と返信した。延期した東京オリンピックの開催が間近に迫っている現在、県を跨ぐ移動は自粛が呼びかけられている。東京の感染者数は横ばい傾向だが、様子見したほうがいいと判断した。
二本目のメッセージは、私が漫画家から原作者に転向したときに、最初に担当についてくれた某編集者からだった。彼もSNSを見たらしく『UFOについて知りたいんだったら詳しい人を紹介してあげようか?』と申し出てくれた。
私はすぐさま『お願いします』と返信し、何度かやりとりを経て、皆川雄一という人物を紹介してもらえることになった。
皆川雄一氏は一九八六年生まれ。大学を卒業後大手出版社に就職するも、仲間と疑似科学をウォッチする会を結成して作家業をスタート。
現在はAPAS(Anti−Pseudoscience Activities Society)の代表を務め、超常現象の真相を究明する本をいくつも出版している。
私にとって願ってもないチャンスだった。素人がネットや書物で調べているだけでは限界がある。有識者の知見に頼らせてもらえるならそれが最良だ。
皆川さんとお話する機会を得たのは、それから一週間後だった。
「こんばんは。はじめまして、皆川です」
面会はオンライン上で行われた。ノートパソコンで立ち上げたウェブ会議のウィンドウに相手の顔と部屋が映っていた。皆川さんはどうやら仕事場ではなく自宅からネットに繋いでいるらしく、室内に趣味的な物が飾ってあるのが見えた。
自己紹介のあと、彼は相好を崩して、
「UFOの話がしたいと伺って、うれしくなっちゃいまして。倉庫からこんなものを引っ張り出してきてしまいました」
と机の上に宇宙人のフィギュアをつぎつぎに置いてみせた。
塩化ビニールやプラスチック製だろうか。オモチャには詳しくないが日本製には見えず、海外のそれもかなりアンティークなフィギュアのようだ。保存状態も良いしブリスターパックもついていたら結構良い値段がするのではないだろうか。
「こういうモノは卒業しろと家族に怒られて泣く泣く大部分を捨てたんですが、全部を捨てるのは忍びなくてですねぇ。内緒でこっそりアレしてホイしてたんですが、やっぱり良いですね、こういうオモチャは」
皆川さんはうれしそうに言った。
「どことなく可愛いですね、その宇宙人。昔の特撮の怪獣みたいで」と私が言うと、
「そうなんですよ。見てください、こいつの造形なんか秀逸ですよねぇ」
と言いながら皆川さんはスカートをはいた宇宙人のフィギュアを持ち上げた。商品紹介系のユーチューバーがやるように背後に手のひらを添える。
フラットウッズ・モンスター。
一九五二年に米国ウェストヴァージニア州フラットウッズで目撃された全長三メートルの宇宙人だ。頭部にスペード型の板をはりつけたような面白い姿をしているので、創作の題材にされやすく、私も以前から知っていた。
「今アメリカのオークションサイトでは、このフィギュアが一〇〇ドル前後で取引されているんですよ。いやぁもったいないことをしましたよ」
もっと他にも色々持っていたのに……、と彼は悔しがる。
「皆川さんはUFOに懐疑的な立場だと聞いたんですが、それにしては宇宙人とかUFOのオモチャはお好きなんですね?」
「ええまぁ……これとそれは別なので」
「今回は、その懐疑的立場から、いろいろお話を伺いたいと思っているんです。皆川さんは、ズバリUFOの正体は何だと思います?」
取材に臨むにあたって、私はいつも質問リストを作成している。
今回、皆川氏に聞いてみたいのは、ダントツでこの質問であった。
UFOとは何なのか? どうして私たちは空に謎の飛行物体を見てしまうのか?
目撃例の大多数は、おそらく誤認や虚偽なのだろう。だが、その中には最後まで正体不明なケースがあるわけで、実際に私も体験したし、あきる野で会った三人も嘘をついていたとは思えない。であれば、アレは何なのか。懐疑派の立場から合理的な解釈を聞きたかった。
私の質問を受けて、皆川さんはしばらく思案していた様子だったが、
「うーん。いきなり直球できましたね。弱ったな」
と頭をかいてみせて、
「何なのか?と聞かれると、わかりませんと答えるしかないです。正体がわからないけど、何かが空を飛んでいたんでしょうね、というのがUFOなので」
「失礼しました。質問の仕方が悪かったですね」と私は言った。「あくまで皆川さん個人の意見で、という意味です。UFOの正体を究明しろ、ということではなく、皆川さんはどんな考えをお持ちなのか、それを知りたいんです」
ふむ、と皆川さんは首をかしげた。そして、
「なるほど。僕個人の意見というエクスキューズさせてもらえるんやったら、もしかしてこういうことちゃうかなぁ?というのはあります。まあ大した話じゃないかもしれませんが、順番に話していきましょうか」
皆川さんは笑いながら「そうだ」と言って、宇宙人のフィギュアを手に取って、「せっかくここに面白いものがあるんやし、最初に阿刀川さんにクイズ出しておきましょうか」
「クイズ、ですか?」
「ええ。ここにあるフィギュアは、過去に目撃された宇宙人たちです。いろんな格好してますよねぇ。金髪の女性だったり、ロボットだったり」
皆川さんはフィギュアをひとつずつ指さしていく。
たしかにその外見は多種多様だ。
宇宙服を着ている個体や、全身毛むくじゃらのゴリラのような個体。真っ赤なミシュランマンみたいな個体。半透明のクラゲのような個体や、二足歩行の巨大な蛾のような個体。どれも宇宙人というより、モンスター映画の怪物のように見える。
「こいつらは五〇年代から七〇年代にかけて実際に目撃されました。ところがですよ、ある時期を境に、目撃例はほぼ一種類に収束してしまうんです」
と言って、彼はフィギュアのひとつを持ち上げた。
それは馴染みのある姿形をしていた。大きな頭部。アーモンド型の巨大な瞳。手足は華奢で、身長は低い。体色がくすんだ灰色であることから、リトル・グレイと呼ばれる種類の宇宙人だ。
「阿刀川さんも宇宙人といったらこいつを連想するんじゃないですか?」
「まあ、そうですね……」
「かつてはあれだけバリエーション豊かな宇宙人が目撃されていたのに、ある時期からグレイ・タイプに目撃例は限定されるようになった。でも、考えたらおかしな話ですよね。他の宇宙人はどこへ消えてしまったのか? なぜグレイ・タイプばかり目撃されるのか?」
「なるほど。それがクイズなんですね?」
「そういうことです。僕がこれから話す内容と関係してきますので、しょうもない話ですけど、聞きながら考えてもらえたらな、と思って」
皆川さんはフフフと不敵に頬を歪めた。
3
宇宙人のフィギュアはお役御免ということで、机の上から片付けられた。
だが、皆川さんはそのかわりにUFOのプラモデルを持ってきたので、賑やかさは相変わらずだった。
私はなんだかユーチューバーの動画を視聴している気分になっていた。
「では始めるんですけど、UFOとは何か?という話の前に、一体いつ頃からUFOが目撃されるようになったのか?について話していきますね。阿刀川さんは、ケネス・アーノルド事件ってご存知ですか?」
と皆川さんは問う。
「ええ。これでも一応勉強してきましたから」と私はうなずいた。
ケネス・アーノルド事件。
それはおそらくUFO遭遇の歴史上もっとも有名な例のひとつ だろう。
とはいっても、関心がなければ内容を耳にする機会もないと思うので、ここで簡単に紹介させていただく。
事件が起きたのは、一九四七年六月二十四日のことだ。
アメリカの実業家ケネス・アーノルドは、自家用機でワシントン州レイニア山付近を飛行していた。午後二時五十九分頃、レイニア山付近の上空で、彼は奇妙なものを目撃する。九個の物体が一列に並んで、北から南へ時速1700マイルという驚異的な速度で飛んでいたのだ。謎の物体の推定される大きさは15から20メートルで、既存のどの航空機とも似ていなかった。
マスコミは、アーノルドが見た物を「空飛ぶ円盤(フライングソーサー)」と名付けて大々的に報道した。その後同様の目撃談が相次いで報告されたため、米国はUFOを調査する機関、いわゆる〈プロジェクト・サイン〉を発足させる事態にまで発展した。
以来、六月二十四日は世界的にUFOの日とされている。
「私、イリヤの空、UFOの夏大好きでした」
「ライトノベルですよねぇ、僕は読んだことないのですが。アーノルドの事件はアメリカで最初のUFO目撃例と思われていることが多いんですよ。印象が強烈なのでそうなってしまったんでしょうけど、実際にはもっともっと古い事例があるんです。記録によれば、一八九六年の出来事ですから、なんと一九世紀ですね。この年から翌年にかけて、アメリカ全土で〈謎の空中の乗り物〉の目撃が多発しました。乗組員と会話した体験談もあったようです」
「一九世紀、ですか……」
「当時の典型的な目撃報告例をプラモデル化した商品がありまして、それがコイツなんですが……」
そう言って、皆川さんはモニターに模型を映してみせた。
私は思わず「えっ?」と眉をひそめてしまった。
「それ、UFOですか?」と訊ねると、「ええ、UFOなんです」と皆川さんはイタズラが成功したように愉しそうに笑う。
だが、それはどう見てもただの飛行船にしか見えなかった。
スタジオジブリ制作のアニメ映画「天空の城ラピュタ」に登場した巨大飛行船ゴリアテに似ているといえば似ている。
「全米で千件以上のUFO目撃報告がありましたが、僕らに馴染みのある円盤型の報告はただの一件もないんですよ。この飛行船タイプのみで」
「本物の飛行船のフライトだったんじゃ?」
「いえ。その可能性は否定されています。たしかに当時ヨーロッパでは飛行船のテストが開始されていましたが、アメリカは技術的に遅れていたんです。業界トップを走っていたのはドイツで、一九〇〇年七月にツェッペリンLZ1号の試験飛行に成功します。初のアメリカ製飛行船が空を飛んだのは、一九〇四年になってからです」
「乗組員と会話したってことは、着陸してきたってことですか?」
「そういうパターンもあったみたいです」
と皆川さんは付箋がたくさん挟まっている本を拾い上げた。
ページをめくって、
「これはカリフォルニア州サクラメントの事例です。ソースは地元の新聞記事。……あっ、ちなみに一九世紀のアメリカって新聞社がめちゃくちゃ多くてですね、過当競争のせいで、クオリティペーパーすらヨタ話を平気で載せていたので、そういう時代背景を頭の隅にでも置いておいてください」
「了解しました」
「ということで、当時の新聞記事の要約です」
と言って、皆川さんはページを読み上げてくれた。
・一八九六年十一月一八日の夕方。カリフォルニア州サクラメントに強烈な光を放つ飛行船があらわれた。それは教会の塔(醸造所の塔という説もある)にぶつかりそうになり、飛行船の乗組員が「上昇しろ!」と叫んでいるのが聞こえた。飛行船は謎の力で推進しており、かろうじて建物にぶつかるのを回避した。驚きながら人々が空を見上げていると、「さて明日の正午までにサンフランシスコにいかなくては」と話し合う声が聞こえてきた。言語は英語だったという。
このサクラメントでの目撃を端緒として、米国中西部から西部一帯にかけて、物体は相次いで出没するようになる。カンザス州、ネブラスカ州、アーカンソー州、イリノイ州と縦横無尽だ。飛行船は「ゴースト・エアシップ」とか「ミステリー・エアシップ」「ファントム・シップ」などと呼ばれて新聞の紙面を賑わせた。その正体については、火星人の乗り物ではないかという説、どこかの富豪がひそかに開発した飛行船ではないか説、空を飛ぶ幽霊船説とさまざまだった。
・カリフォルニア州ストックトンでは、ショー大佐なる人物が、長さ45メートルの飛行機械とそれから降りてきた三人の搭乗員と遭遇する。三人は見た目こそ人間だったが、ショー大佐は「火星人ではないか」と思った。言葉は通じず、やたら体重が軽かった。ショー大佐は飛行機械内部に拉致されそうになったが、必死で抵抗すると、三人はあきらめてどこかへ飛び去ってしまった。
・アイオワ州スーシティ。ロバート・ヒバードという農夫が、空飛ぶ飛行船から垂れ下がったイカリにズボンをひっかけてしまい、十メートルほど地面を引きずられた。そのまま連れ去られそうになったが、ズボンが破れたために窮地を脱した。
・カンザス州エベレスト。夜、上空に飛行船が出現。強烈なサーチライトを装備しており、それをあちこちに動かしていた。形はゴンドラ型で長さ7・5メートルから九メートル。側面から四枚の翼が突き出ていて、船上部には気嚢もあった。
「こうして目撃例を聞いてみると、形がばらばらだったり、翼が生えてたりで、本物の飛行船と程遠いですね」と私は言った。
「飛行船というのは一九世紀当時の最先鋭技術で、うわさで聞いたことはあっても実物を見たことがある人間はほとんどいなかったはずです」
つぎは興味深い事例ですよ、と皆川さんは続けた。
「一八九七年四月一九日。テキサス州に住むJ・B・リンゴーンは隣人の牧場に飛行船が着陸しているのを発見しました。飛行船の近くには四人の男が立っており、そのうちのひとりが『これは新型の飛行船だ』と説明しました。四人の男はこれからアイオワに戻らなくてはならず、その前にバケツに二杯分の水を恵んでほしいとリンゴーンに要求したそうです」
「えっ?」
一瞬、私の呼吸は止まったと思う。
水を要求……。
どこかで聞いた話だった。
「水がほしい、と言われたんですか?」
「ええ、そうみたいですね。飛行船の乗組員との接触例は多数報告されているんですが、興味深いことに水を要求してくるパターンが結構あるんですよ」
他にも目撃談を読み上げてくれた。
四月二〇日。テキサス州ユベルディの保安官の自宅ちかくに、リンゴーンが目撃したものと同じものらしい飛行船が降りてきた。乗組員は保安官にやはり水を要求し、われわれの存在は極秘にしてほしいと言い残して、空に去っていった。
四月二十二日。飛行船は今度はテキサス州ジョーサーランドに出現する。農夫フランク・ニコルズのトウモロコシ畑に着陸すると、井戸水をわけてほしいと要求。
五月六日、アーカンソー州フォートスミスで、パトロール中の警官が飛行船の乗組員と遭遇。乗組員たちは、ここでもやはり水を汲んでいた……。
何なのだろうかこれは……。私はちょっとだけ怖くなっていた。なぜ飛行船の乗組員は、判を押したように揃いも揃って「水」を要求するのだろうか。
一〇〇年以上の時をこえて、二一世紀の日本のあきる野で目撃された〝緑色のジャージのオジサン〟も、小学生三人に「水もってる?」と訊ねてきた。
偶然の一致? それとも……?
「……で。謎の飛行船の正体は判明しているんですか?」と私は言う。
「それがわからないんですよ。千件以上の証言があるし、乗組員と会話した事例もあるというのに、正体は不明なままです。目撃ブームは一八九七年にいったん落ち着きますが、一九〇八年と一九一二年に同じ騒動が起き、今度はヨーロッパでも目撃が多発するようになります。まるでインフルエンザの流行ですねぇ」
想像してしまった。
アメリカの上空を、飛行船のかたちをした「ナニカ」が州を跨いで飛んでいく。
それは時折人間の姿になって地上に降りてくると、水がほしい、と言う。
目撃報告にパターンがあるのは、神話の原型のようだ。時代や文化が異なるのに、なぜか似たような神話が発生することがあるのだ。ということはそれは物質をもたない観念的存在なのだろうか。人間の心から生まれたものなのだろうか。
そしてその「ナニカ」は海を越えて広まっていく。まるで病原菌のパンデミックのように人間の住む場所から場所へ。
「……飛行船騒動は、ある時期を境にピタリとなくなります。まるで幻のように。そして、かわりに別のものが目撃されるようになります。──阿刀川さん、何だかわかりますか?」
皆川さんに質問されて、私は妄想を中断した。
ある時期にピタリと報告がなくなり、別のものが目撃されるようになった……。
その〝別のもの〟も、空を飛ぶのだろうか?
「もしかして……飛行機?」
「そうです。正解です」皆川さんはうなずいた。「飛行船の時代は短命で、かわって飛行機の時代がやってきたんです」
ライト兄弟が有人飛行に成功したのが、一九〇三年。
飛行機産業はそれから驚異的な発展を続け、最初期は200メートル飛ぶのがやっとだったのだが、後続距離はどんどん伸びていった。ライト兄弟の初フライトからわずか二十四年後の一九二七年には、チャールズ・リンドバーグがニューヨーク・パリ間の無着陸飛行に成功している。
まさに日進月歩。理解が追いつかないほどの進化の速さだ。
「そして、各国のパイロットたちは、謎の飛行機を目撃するようになります」と皆川さんは言った。「当時は複葉機が主流でしたが、目撃される謎の飛行機は単葉機で、ありえない速さで飛行するので、追跡が不可能なほどでした。一九三九年に第二次世界大戦が勃発すると、パイロットたちは幽霊戦闘機──いわゆるフー・ファイターに翻弄されることになります。ちなみにフーの由来は英語のWHOではなく、フランス語のfeaです。意味は、火。パイロットたちが目撃したのは、明るい火の玉だったんです」
「それは現代のUFO目撃談に通じるものがありますね。要するに皆川さんは、UFOは時代とともに変化している、と言いたいわけですね?」
「まさしく」
皆川さんは、穏健そうな表情から一転してニヤリとした。
話をまとめてみると、飛行船、単葉機、火の玉、という順に目撃報告のトレンドがあるようだ。そして目撃されるのは、その時代の新しい技術である場合が多い。
時が進み、一九四七年。ケネス・アーノルドが「空飛ぶ円盤」を目撃すると、世界各地で似たようなものが目撃されるようになる。令和に生きる私たちも、UFOといえば円盤型を連想する。飛行船型UFOや単葉機型UFOなど聞いたことがない。一度廃れると、流行は復活しないということだろうか。
「そうそう。ケネス・アーノルドが見たUFOは『空飛ぶ円盤』ということになっていますが、本当はまったく別の形だったというのはご存知でしたか?」
「えっ。そうなんですか?」おどろいて、私は言った。
「ええ。彼が見た本当のUFOの模型もありますよ。どこに置いたかな。ここにホイしておいたんだが」
皆川さんは椅子から下りたのか、ウェブ会議の画面から消えた。
しばらくして戻ってくる。
手には銀色のUFOの模型が握られていた。「これです、変なカタチでしょう?」と画面の中心に映るように見せてくれる。
たしかに言葉で描写しにくい形状だった。熱帯魚のエンゼルフィッシュを銀色に塗ったような、とでもいったらいいか。
「ぜんぜん違うじゃないですか。これがなぜ『空飛ぶ円盤』になったんですか?」
「それはですね、アーノルドは、形じゃなくて動きの説明をしたんです。目撃したUFOは、まるで瞬間移動のようなスキップ移動をした。それを『皿を水切りの要領で投げたみたいな』と表現したのですが、記者が『皿が空を飛んでいた』と誤解してしまったんですね。ですが、アメリカ人たちは『空を飛ぶ皿』のイメージをよほど気に入ったんでしょう。僕が思うに、もし当時の新聞記者がアーノルドの見た物体を正確に報道していたら、彼の目撃談はこれほど人気に火がついてなかったんじゃないでしょうか?」
そう言って、皆川さんは銀色のエンゼルフィッシュを画面の中で揺らした。
それを机に置くと、別の模型に手を伸ばす。「これはアダムスキー型と呼ばれるUFOです」と言って、先ほどと同じように空を飛んでいるように揺らしてみせる。
その模型は、もっともUFOらしい形をしていた。
いや、あえていおう。……進化していた。
「アーノルドが報告した『空飛ぶ円盤』はUFOの基本形を定義しました。そして時代は一九五〇年代。ジョージ・アダムスキーが遭遇したこの円盤によって、そのデザインはひとつの完成形に到達します」
模型はサファリハットのような形状をしている。
特徴的なのは円盤の裏で、ピンポン玉を半分にしたような半球が三個ついている。
ほとんどの人がUFOといったらこの形を思い浮かべるのではないだろうか。
「アダムスキーは宇宙人とも接触しています。ちなみにその宇宙人、どこの星から来たと思いますか?」
「……宇宙人が、ですか? うーん、別の銀河系とか?」
「いえ。もっと近くて、太陽系の惑星からです。わかりませんか? じゃあ正解を言っちゃいますけど、じつは金星なんですよ。だれもがUFOと言ったら思い浮かべるであろうこのUFOは、金星から来た宇宙船なんです」
一気にうさんくさくなってきた。
金星は地球のとなりにある惑星で、よその銀河系に比べれば気軽にやって来れる距離ではあるが、生き物が住める環境ではないはずだ。
「一九五〇年代は人類が月に到達していない時代ですから、みんな信じたんでしょうね。アダムスキーが発信する主張はその後ころころ変わって、彼が会ったのは金星人だったり火星人だったり土星人だったりしました。撮影された証拠写真もトリックであることがわかっています。アダムスキー型のデザインも実は元ネタがあるのですが、話が長くなるので今回は割愛しましょう。重要なのは、彼をインチキだと糾弾することではなく、彼のUFOが与えた影響をどう見るかです」
皆川さんは言う。
アダムスキー以降、UFOといえばこの形になった。
つまり、全世界的にバズった。
そして世界中でアダムスキー型UFOが目撃されるようになった……。
「いやでも待ってください」と私は口を挟んだ。「そもそも円盤型というのが、新聞記者が誤解した形状で、アダムスキーの円盤はその亜流ですよね? だとしたら、私たちがUFOだと思っていたものって何なんですか?」
そうなのだ。
そもそも最初の円盤型というのが、伝言ゲームのミスのようなもので、本来目撃された形状と全然違っていた。
なのに、私たちはUFOは円盤型だと思っているし、世界中で目撃報告がある。
これでは私たちはバカみたいではないか。
「ミームだからです。あくまで僕が思うに」と皆川さんは答えた。「アダムスキー型UFOはポップかつユーモラスで、素晴らしいデザインだと思います。初期に報告されたUFOは、葉巻だったり、卵だったり、円筒だったり、色々な形があったんですが、今ではマイナーです。みんなの心を掴んだUFOが勝ち残ったんです」
「勝ち残った……」
そこでふと、私は最初に出されたクイズのことを思い出した。
UFOがバズることがあるならば、同じことが宇宙人にも言えそうだ。
初期は多種多様な宇宙人が目撃されていたのに、ある時からリトル・グレイに限定されるようになった。その理由は、つまり、リトル・グレイのデザインが勝ち残ったから……。
「UFOとは、ミームである。というのが僕個人の考えです」
ミーム。
それは、進化生物学者のリチャード・ドーキンスが提唱した概念で、意味としては文化的遺伝子となる。あくまで概念であり、実体があるわけではない。人間の脳から脳へ伝達される情報がまるで遺伝子を持つように振る舞う、ということだ。
私たちに身近なのは、ネットミームだろう。
ネット上で、とある画像や動画が流行する。SNSを通して拡散されるうちに改変や追加がおこなわれていく。何年か経つうちに元ネタと似ても似つかぬ姿になることもあるだろう。生物が進化するように、ミームも形を変えていく。
「でもミームというのは人間の脳内にあるものですよね? つまりUFOとは、私たちの頭の中にしかない、ということでしょうか?」
「半分は正解だと思いますねぇ。ただし映像に残されたり一度に多数の人間に目撃されたりすることを考えると、UFOを妄想と片付けてしまうのも早計でしょう」
どういうことなのだろうか。
私は混乱した。いっそ思い込みと断言されたほうがスッキリしたのだが。
「誤解してほしくないのですが、UFOの存在を否定しているわけではないのです」
と皆川さんは言った。
「過去に目撃されてきたUFOや搭乗員である宇宙人は、おそらく僕らの脳内にある存在なのでしょう。ですが、そうなると、なぜ僕らの脳はそんなものを見てしまうのか?という疑問が生まれます。どうして人間は、ヘンなものを見てしまうのでしょうか、それも空に」
4
五月が過ぎ、六月になった。
私はふたたび本業が忙しくなっていた。
かねてより提出していた企画が会議を通り、ウェブコミック配信サイトで連載が決定したのだ。作画担当は引き続き、南條文夏さん。内容は、宝塚歌劇団をモチーフにした架空の少女歌劇団で三人の少女が成り上がりを目指す、というビルドゥングスロマンで、雰囲気をつかむために、南條さんと二人で宝塚のビデオを観たり、地下アイドルのライブに行ったりした。
生活が充実し、私はUFOに対するモチベーションを失いつつあった。
皆川雄一氏の話がショックだったというのもあるかもしれない。
二〇二一年七月二十三日。この日、新型コロナウィルスの影響で一年延期していた東京オリンピックがいよいよ始まる。昼、東京都庁に聖火が到着すると、航空自衛隊のブルーインパルス編隊が飛来し、東京上空に五輪の輪をえがいた。
夜八時になると国立競技場からオリンピック開会式がライブ中継された。
選手入場をテレビモニターに映しつつ、パソコンでは友人たちと作業通話をしつつ、という欲張りな環境で、私はこまごまとした仕事を片付けていた。
SNSを覗いてみるとタイムラインはお祭り状態で、だれもが鬱屈を吹き飛ばそうとしているかのようだった。
私にとってもこの一年間は本当に大変で、オリンピックというお祭りによって厄を遠ざけてほしい気持ちになっていたと思う。
UFOの取材ノートや集めた資料は……いつか漫画のネタにできるかもしれないから、一応保管しておこう。書こうと思っていた本はひとまずペンディングにしよう。そんなふうに思っていた。
一本のメッセージが、私のスマートフォンに届くまでは。
注 釈
(1)フラットウッズモンスター
目撃者の証言は以下のようなものだ。
・頭部にトランプのスペードのような形状のフードがついていた。
・体は暗緑色。かぎ爪を前方に突き出していた。
・身長は3メートルから3・6メートル。
・目から光を放っており、空中を浮きながら近づいてきた。
アメリカ空軍は当時現地に赴いて調査をした。その結果によれば、モンスターの正体は、森に棲むメンフクロウである可能性が高いという。身長3メートルに見えたのは樹木の枝にとまっていたから。かぎ爪を突き出して近寄ってきたように見えたのは、メンフクロウが枝から飛び立って目撃者に向かって滑空してきたからである。
(2)リトル・グレイ
有名な宇宙人の姿に元ネタはあるのだろうか? リトル・グレイのイメージの源となったのは、1961年のヒル夫妻誘拐事件であるとされている。ヒル夫妻は拉致されて円盤の中へ連れ込まれ、宇宙人に生体実験をされたと主張したのだが、この時の宇宙人がいわゆるリトル・グレイの姿をしていた。だが、夫妻が事件の記憶を〝思い出した〟のは、事件から2年半後の1964年2月22日であり、その12日前に米国で放映されたSF番組「アウター・リミッツ」に登場したエイリアンが、彼らの証言する宇宙人とそっくりだった。ヒル夫妻が事件の記憶をよびさましたのは精神科医による逆行催眠によってであり、実際にあった出来事であるか疑わしい。その後、映画「未知との遭遇」が宇宙人のデザインにグレイ・タイプを採用し、世界的にイメージが広まった。
(3)もっとも有名な例のひとつ
UFOを語る上で外せない事件は二つある。ひとつはケネス・アーノルド事件であり、もうひとつはロズウェル事件である。
1947年7月8日、米国ニューメキシコ州にあるロズウェル陸軍飛行場は「第509爆撃航空群の職員がロズウェル近郊の牧場から潰れた〈空飛ぶ円盤〉を回収した」と報じた。が、その数時間後に「回収されたのは気象観測用の気球であった」とプレスリリースを訂正した。過去から現在にいたるまで、ロズウェル事件に関してはさまざまな説や陰謀論が唱えられ、とてもひと言では語ることができない。詳細を語るのは大量に出版されている関連書籍に譲るとして、ケネス・アーノルド事件(同年6月24日)のわずか2週間後の出来事であることは注目しておきたい。
(4)ケネス・アーノルドが見たUFO
彼が見たUFOは時間が経つにつれて変化していく。最初の証言ではエンゼルフィッシュのような形状だったのだが、翌年には世間に迎合したかのように円盤型を主張するようになり、後年にはブーメラン型になった。UFOまでの距離と大きさにも矛盾があり(30から40キロ先にある15メートルの物体は肉眼では見えない)、彼の主張は信憑性が低いと言わざるをえない。おそらくアーノルドは何かを見たのだろう。しかしそれが実際にはどんなものだったかは永遠の謎になってしまった。
(5)人類が月に到達していない時代
イギリスの作家H・G・ウェルズが「宇宙戦争」を上梓すると、宇宙人=火星人のイメージが定着した。1950年代から60年代にかけて目撃された宇宙人は、ほとんどが太陽系内の惑星(火星・金星・土星)からの来訪者だったといっていい。だが1969年にアメリカが初の月面着陸を成功させ、太陽系内の惑星に探査機を送り込むようになると、どうやら地球以外の惑星に生命は存在しないらしいことがわかってきた。すると目撃される宇宙人も太陽系外の惑星、たとえばプレアデス星団やレチクル座のゼータ星、ウンモ星、琴座のヴェガ星などからやって来たと主張するようになった。
補遺資料②
■人間の脳は最大11次元の構造を作り上げることができる。スイスの科学者がその証拠を発見
古典的な数学を応用することで、脳の構造を観察するまったく新しい方法が考案された。それによると、脳は最大11次元で稼働する多次元幾何学的構造なのだとか。
「想像だにしなかった世界が見つかってしまいました」とスイス連邦工科大学ローザンヌ校の神経科学者アンリ・マークラム氏は当時コメントしている。「脳の小さな断片ですら、こうした物体が数千も7次元を超えて存在していたのです。一部のネットワークでは11次元構造すら見つかりました。」
人は世界を3次元の空間としてとらえる生き物だ。4次元空間でさえまともに想像できないのに、突然11次元と告げられても、何のことやらまるで理解がついていかない。いったいどういうことなのか?
この数学的脳モデルは、スーパーコンピューターでヒト脳を再現しようという計画「ブルー・ブレイン・プロジェクト」の研究チームによって作られた。
研究チームは、「代数的位相幾何学」という形状の変化とは無関係に物体と空間の特性を記述できる数学を応用することで、神経細胞グループはクリーク(密集した神経細胞の集団)として結合していることを突き止めた。そして、クリークの神経細胞の数は高次元幾何学物体としてのサイズと関係しているという。
そう言われても、一向に考えがまとまってくれないのは、自分の頭の中にある脳が11次元という複雑怪奇な構造であるからなのだろうか?
念のためはっきりさせておくと、11次元とはいっても物理的な空間のことを指しているわけではない。ここでの次元とは、神経細胞クリークの結合具合について言及したものだ。
(中略)
人間の脳は860億もの神経細胞を持つと推定されている。各々の神経細胞はありとあらゆる方向に網の目のように結合し、思考と意識を生じさせる広大な細胞のネットワークを構築する。
その特徴を模した数学的脳モデルに仮想刺激を与えてみたところ、ラットの本物の脳組織と同じ結果が再現されたそうだ。
未だ完全な理解にはいたっていない膨大な神経ネットワークを持つ脳であるが、この数学的モデルの登場によって、コンピューター上のデジタル脳モデルの完成に一歩前進できたとのことだ。
カラパイア:https://karapaia.com/archives/52278989.html
■粘菌がコンピューターになる!? 単細胞生物が持つ驚異の“情報処理能力”
今、SNSなどでひそかなブームとなりつつある生き物「粘菌(ねんきん)」をご存じですか。名前に“菌”とありますが、カビやキノコの仲間ではありません。人類誕生のはるか昔から地球で暮らしている原始的な「単細胞生物」です。
たった一つの細胞からできた粘菌には脳や神経はありませんが、驚異の情報処理能力を持つことが明らかになってきました。中でも、ある日本の研究者が行った「粘菌に迷路を解かせる」という前代未聞の実験は、世界中の研究者を驚かせました。さらに、粘菌の情報処理能力を使えば、新型のコンピューターまで開発できると言うほど。実はさまざまな分野での応用が期待されている生き物で、粘菌を知れば、“単細胞”というイメージが180度変わるに違いありません。
NHK サイエンスZERO
■菌輪
菌輪(きんりん)とは、キノコが地面に環状(あるいはその断片としての弧状)をなして発生する現象、あるいはその輪自体のことである。菌環(きんかん)とも呼ばれる。英語では "fairy ring"、"fairy circle"、"elf circle"、"pixie ring" など「妖精の輪」と表現される。
菌輪はときとして直径10m以上にもなり、構成している菌類が生育し続ける限り安定である。特に大きな菌輪では直径600m、菌体の総重量は100t、菌輪としての年齢は700歳にも達した例がフランスで報告されている
〝菌輪〟Wikipedia
■取り替え子
取り替え子 (とりかえこ、英語: changeling)とは、ヨーロッパの伝承で、人間の子どもがひそかに連れ去られたとき、その子のかわりに置き去りにされるフェアリー・エルフ・トロールなどの子のことを指す。時には連れ去られた子どものことも指す。またストック(stock)あるいはフェッチ(fetch「そっくりさん」)と呼ばれる、魔法をかけられた木のかけらが残され、それはたちまち弱って死んでしまうこともあったと言う。このようなことをする動機は、人間の子を召使いにしたい、人間の子を可愛がりたいという望み、また悪意であるとされた。
取り替え子は、彼らのしなびた外観、旺盛な食欲、手のつけられないかんしゃく、歩行できないこと、不愉快な性格によって識別された。中世の年代記は、フェアリーについての民俗伝承の断片として知られる最古のものの一つを、この例として記載している。
一部の伝承によると、取り替え子は人間の子供より知能がはるかに優れていたことから、見破ることは可能であった。ある時取り替え子であることが見破られると、その子の両親が子供を連れ戻しにやってきた。グリム兄弟の民話の一つでは、我が子が取り替え子にすり替えられたのではと疑った女が、木の実の殻の中でビールを醸し始めた。取り替え子はうなった。『おいらは森の中のオークの木と同じくらいの年だけれど、木の実の殻の中でビールを醸すなんて見たことがない。』そういうと、彼はたちまち消え失せた。
〝取り替え子〟Wikipedia
第三章「メン・イン・ブラック──不可思議な行動に取り憑かれた人たち」
1
仕事をしながら、選手入場のライブ中継を横目でちらちらと眺めていると、ふいにスマートフォンにメッセージが着信した。
差出人は、以前取材をさせてもらった大学生・土井勇斗くんからだ。
それはこんな内容だった。
〈お久しぶりです その後UFO関連で新展開ありましたか? 最近僕はバイトを始めたんですが バイト先の先輩がUFOを目撃してたことが発覚しまして しかも阿刀川先生が目撃したヤツにそっくりみたいなんです!〉
〈すごくないですか? 残念ながら正確な日時は覚えてないみたいなんですけど これは絶対に先生に教えたほうがいいと思ってご連絡させていただきました〉
すごくないですか?の部分から勇斗くんの興奮が伝わってくるようだった。
一読後(どうしよう……)と私は思った。
新連載は既に始まっている。今は作品世界にどっぷりと嵌まっているので、思考に不純物を混ぜ込みたくないのだ。かといって、ひと回りも年下の大学生がわざわざメッセージを送ってくれたのに無碍にするのも気が引けた。
私は本心を見透かされないように注意深く、具体的な形や目撃した場所やシチュエーションについての質問を送信した。すると、勇斗くんは着信を待機していたかのように即座に返事をくれた。
それによると、「バイト先の先輩」が不思議な物体を目撃したのは二〇二〇年七月下旬。場所は豊島区にある立教大学キャンパスとのことだった。
彼女(先輩は女性らしい)は立教大学の学生で、当時早朝のジョギングを日課にしていた。アパートは小竹向原にあるのだが、小竹向原〜要町〜立教大学キャンパスまでの道が距離的にちょうどよく、毎朝のようにアパートを出て大学の裏門まで行っては折り返す、といったトレーニングを続けていたようだ。
ある朝、彼女が走りながら大学の建物に何気なく目を向けたところ、上空に何かが浮かんでいるのに気づいた。それは言葉で説明できないカタチをしていた。
〈だから絵に描いてもらったんです そしたら螺旋?みたいなシュールな幾何学図形で……以前にメールで教えてもらった先生の体験談を連想しました〉
もしかしたら。二つの目撃報告は同じ物体を見た可能性がある……のかもしれない。一回目が二月の石神井川上空に出現し、二回目が七月後半の立教大学キャンパス付近に出現したのかもしれない。
勇斗くんはそんなふうに考えたようだ。
〈阿刀川先生! もし良ければいちどウチの先輩に会ってみませんか? 先輩も興味があるらしくて先生の話を聞きたがっているんです お仕事忙しいとは思いますが気が向いたらでいいのでお時間いただけるとうれしいです!〉
2
翌日の午後。私は電車に揺られて池袋に向かっていた。勇斗くんおよび「先輩」が通う立教大学で待ち合わせをして話を聞くためである。
UFOに対するモチベーションは低下していたのに、なぜ話を聞く気になったのか自分でも不思議だった。自己分析すると、きっと私は「UFOが誤認であってほしくない、本物であってほしい」という想いが強すぎたのだろう。だから懐疑主義者の皆川氏と話をして気持ちが萎えてしまったのだろうし、新しい情報を得ることで、ちょっとした逆襲をしてやりたいと無意識に考えていたのだ。
そんな子供じみた振る舞いのせいで、私はこの後とんでもなく厄介な事件に巻き込まれてしまうのだが。
二〇二一年の夏は猛暑続きで、電車で池袋に降り立った時間にはおそらくその日の最高気温をマークしていた。東武百貨店地下から西口へ出ると、駅前広場のタイルからムワッと熱気が立ちのぼっており、息が苦しいほどだった。
閑散とした立教通りを日蔭を選びつつ辿っていくと、大学正門に若い男女の姿が見えてきた。どちらも日傘を指していて、炎天下の中で陽炎のように立っている。大学は休暇中なのか他に学生の姿は見当たらず、あの二人が勇斗くんたちなのだろうかと私は駆け寄って、
「勇斗くん?」
と声をかけた。
すると日傘を指した男子が振り返って「あ。先生!」とパッと顔を輝かせたので、やっぱりそうだったと安心した。
「早かったんだね。ごめんね、ここ暑かったでしょう」
炎天下の路上は熱したフライパンの上に立っているみたいだった。どこかの店を待ち合わせ場所に指定すればよかったと後悔しながら言うと、
「いえ僕らも来たばかりですから」と相手はこたえはあくまでも爽やかだ。「それよりもお忙しいのに、わざわざ大学までご足労いただいてすみませんでした」
「ううん問題ないよ。とりあえず暑いからさっそくどこか店に入ろうよ。お店の選択はそっちに任せるから──」
私は喋りながら相手の顔を見た。ところがその時、突如として言葉にならない違和感におそわれ、何かがおかしいと思った。頭のなかに「?」マークが浮かび、急速に膨れていく。もう一度相手の顔を見て、「?」は「!」に変化した。
なんということだろう──日傘を指した男子は、勇斗くんではなかったのだ。
待ち合わせ場所にいた男女の二人組だし、背格好が似ていたから勘違いしてしまったようだ。やってしまった、と思った。
しかも会話が成立したことから察するに、相手も私を別の誰かと間違えているらしい。きっとマスクがいけないのだ。顔が半分隠れているものだから、この奇跡的なマッチングが生じてしまったのだ。
私はとりあえずマスクを外して謝罪した。
「……あははごめんなさい。まちがえました。人違いだったみたいです」
すると相手はきょとんとして「どうしたんですか阿刀川先生?」と言うではないか。
阿刀川先生と名前を呼ばれたことで、私はあれれ、と思い「……えっ。あの、私のことを知ってるの? もしかして土井勇斗くんの関係者?」
「やだなぁ。勇斗は僕ですよ」と男子はマスクを外した。「先生、忘れちゃったんですか。ちょっと悲しいです」
私は自分の笑顔が強張っていくのを感じた。
靴底を通してアスファルトの熱が伝わってくるほどの暑さだというのに、じわじわと背筋につめたいものが這い上ってきた。
「……誰?」思わず口走ってしまった。「ごめん。何が起きてるのか分からないんだけど、あなた土井勇斗くんじゃないよね? 私が知っている人と顔とか雰囲気が全然違うんだけど」
「えぇえ……そんなこと言われても。僕、勇斗ですけど……?」
「……あの。どうかしたんですか」と、ここで連れの女子が割り込んできた。それまで傍観していたが、私たちが揉めはじめたので不安になったのだろう。
「よくわからないんですけど、彼は土井勇斗くんですよ?」
と連れの彼女ははっきりと言った。
意味が分からなかった。
そんなはずがないのだ。あきる野のファミレスで、勇斗くんはドリンクを飲むためにマスクを何度も外していたから顔を知っている。眼の前にいる日傘男子は、明らかに別人だ。いくら私でも間違うはずがないのだ。
「身分を証明できるものを何か持っている?」と私は尋ねた。
すると男子は「ええ。あります」と学生証を取り出した。
見せてもらう。学生証には姓名と顔写真が記載されているのだが、信じられないことに名前欄には「土井勇斗」と記されていた。偽造された物とは到底思えなかった。二人が口を揃えて言うように、彼は本当に土井勇斗らしいのだ。
呆然としていると、不毛な会話劇を見せられていた女子が、痺れを切らしたかのような口調で言った。「ねえねえ。とりあえず話の続きは場所を移してからにしない? ここ暑いしさ……」
「そうですね。じゃあ適当に店に入りましょうか」
男子も同じくうんざりしたように同意した。
私は状況についていけず、クラクラしながら無言で立っていた。
まるで映画「ボディ・スナッチャー」のようだった。ある日、正体不明の何者かが人間とこっそり入れ替わり、それに気づいた人が次のターゲットに選ばれて、ひとりまたひとりとニセモノが増えていくのだ。あきらかに別人になっているのに、ニセモノたちは結託して、この人は本物ですよと断言する……。
現実にそんな怪物がいるはずないと思うが、気がかりなのは、本物の勇斗くんのことだった。もし別人と入れ替わっているのだとしたら、本物はどこへ行ってしまったのだろう?
談笑しながら日傘をくるりくるりと回して遊んでいる二人の男女が不気味に見えてきた。暑さで頭をやられて朦朧としているせいもあるのだが、このまま二人についていったら、もう帰ってこれない気がした。
「あ。あのさ、わるいんだけど……」
私は体調不良を口実にして「今日は帰る」と申し出ようとした。
ところがその時。
「ちょっと待って」と突如男子がすっとんきょうな声を出したのだ。
「ねえちょっと。あれなんだろう?」
「えっ何。どうしたの?」
びっくりしている女子の肩を、彼はいきなり掴んで、
「見てくださいよ! 空、空! あそこに何か飛んでいませんか!」
と叫びながら、斜め前方を指さした。南の方角、立教大学の建物が連なっている方角を。
雲ひとつなく晴れ渡った空はまぶしくて、私は顔の前で手庇しなくてはならなかった。指示された方角に視線を遣る。赤煉瓦造りのモリス館と、巨大な杉の木がまず目に入る。その奥にある校舎の上空に、キラキラ光るものが飛んでいた。
「UFO! UFO! あれってUFOじゃないですか!」
「えーっ。本当だ! 何だろうあれ?」と女子が大声を張り上げた。
二人は騒ぎながら、スマートフォンで撮影を始めた。
私もスマートフォンを出し、震える手で空に浮かぶ謎の物体に向けてレンズを向けた。それの形状は銀色もしくは白で、アルファベットのCの文字に見えた。風船などではない証拠に、ゆっくりと横に旋回運動をしている。
動きは最初こそゆっくりだったが、急に不規則な上昇や下降、湾曲するような飛行をするようになり、スマホ画面に捉え続けるのが難しくなった。
と、建物の陰に消えてしまい、姿を現さなくなった。時間にして二分か三分くらいだろうか。撮影した動画を確認してみると、小さな点ではあるが、未確認飛行物体の不規則な動きがちゃんと撮れていた。
(UFOの撮影に成功してしまった……)
内心ドキドキした。
私だけでなく、隣の二人は異様な興奮に憑かれていて、その場から一歩も動けない様子だった。
3
その日はそのまま解散することになった。
勇斗くんを騙る男子は「ちゃんと話し合いましょう」としつこく引き止めてきたが、誘いを振り切るようにして帰宅することにした。
駅のホームで電車待ちをしながら、私はすかさずSNSアプリを起動して、宮地くんのアカウントにメッセージを送った。長文になってしまったが、さきほど見たものをすべて伝えた。
宮地くんからの返事はこうだった。
〈阿刀川さんと会うって話は聞いてました でも待ち合わせ場所に来たんならソイツが勇斗本人なんじゃないんですか?知りませんけど〉
〈でも顔が別人だったの!〉私は反論した。〈マスクも外してもらって確かめたから間違いない。あれは勇斗くんじゃなかったよ!〉
〈そんなこと言われてもじゃあ誰なんだって話になるでしょ 勘違いってことはないですか? 俺も他人の顔覚えるの苦手で ひさしぶりに会うとコイツこんな顔だっけってなりますよ そもそも阿刀川さんアイツと一度しか会ってないですし〉
確かにそれはそうだ。
でも(別人だった……)という思いが捨てきれなかった。
ふと、あきる野で取材した時にボイスレコーダーで記録していたことを思い出し、あの時の音声データが証拠にならないだろうか?とメッセージで送ると、
〈わかりました そこまで言うならまたあの時のメンバーで集まりましょう その時にボイレコ持ってきてもらって聞き比べしましょうよ〉
〈ありがとう。でもごめん、しばらく仕事が忙しくて時間とれないと思う〉
〈そうですか じゃあ今度時間が取れそうな時ですね それより勇斗からさっき連絡きたんですけどUFOみたんですか? 先生と会うことは知ってたけどまさかそんなことになるなんて思わなかったな〉
〈うん。まぁ飛んでたのは確かだよ〉
〈スマホで撮影したみたいだし動画の良いネタになりそうです 開設はもうすぐですので良ければみてくださいね チャンネル名はオカルテットです〉
わかったありがとうとメッセージを送り、スマートフォンの電源を落とした。
考え事をしながら、ホームにやって来た電車に乗り込んだ。
以前何かの本で読んだことがあるのだが、脳障害の一種に相貌失認というものがあるそうだ。先天的な場合もあるが、後天的には脳腫瘍や血管障害が原因で、人間の顔を見ても表情や人物を識別できなくなるのである。
もしかしたら私の脳に異常があるのではないか……。
電車の揺れのせいか吐き気がしていた。気持ち悪さは電車を降りてからも収まることがなく、胸の中に居座っていた。
帰宅後感染対策のためにシャワーを浴びたが、気分は落ち着くどころか胃に鉛の塊でも仕込まれたかのような重苦しさに変化した。
しばらくして私は思い切ってある人物とコンタクトをとることにした。
4
「本当に申し訳ありません。お休みなのに突然連絡したりして」
「構いませんよ。どうせオリンピックのニュース観ているだけでしたから」
ノートパソコンの画面の中。起動したオンライン会議アプリのウィンドウに映された皆川雄一氏は、七分袖の作務衣という涼しげな姿だった。ネットに繋いでいる場所は前回と同じく自宅らしく、背景の小物に見覚えがあった。
「では。さっそくですが相談というのをうかがいましょうか。不可解な現象に遭遇したということでしたが?」
と皆川さんは首をかしげた。
私は恐縮しながらうなずき、
「はい。ちょっと意見を聞かせてほしいんです」
と言って、今日の午後に体験した出来事を語り始めた。
皆川さんは話が終わるまで黙って聞いていた。
話が終わると、しばらく考えてから、
「相貌失認……ですか。不安でしたらやはり病院に行くのがいちばんだと思います。ただ、専門家じゃないのであまり適当なことは言えないんですが、今は僕の顔を見分けられているんですよねぇ?」
「……はい。それは大丈夫です」
「だったら違うんやないかなぁ、という気はしますけど。相貌失認というのは人間の顔から情報が読み取れなくなる障害だと聞いたことがあります。相手が笑っているのか泣いているのか分からなかったり、性別や老若の区別がつかなくなったり」
「さすがにそこまでじゃないですね」
「気休めやないですけど、阿刀川さんは大病を患って、御自身の身体に対して不安を感じやすくなってるのでは? なので相貌失認を疑ってしまったけど、僕は今回の件は、もっとシンプルに考えたほうがいいと思うんです」
「といいますと?」
「本当に別人だったんでしょう、土井勇斗くんは」
皆川さんはあっさりと言った。
「で、でも。学生証も見せてもらったし、一緒にいた女の子も土井勇斗に間違いないと断言したんですよ?」
「でもそれなのに阿刀川さんは別人だと思ったわけですよね? だったら考えられる可能性は絞られてくるじゃないですか」
そうなのだろうか。私にはよくわからなかった。
一体どんな可能性があるのだろうか、と考えていると、皆川さんは「……ところで」と言った。
「例のボイスレコーダーのデータって……送ってもらうことは可能でしょうか。もしかしたら今回の件のヒントが眠っているかもと思いまして」
「データですか。かまいませんけど、三時間近くありますよ?」
「全部送ってください、聴いてみたいんです。……あ、そうそう、阿刀川さんは今日は何時頃にお休みです? 三時間後にまたビデオ会議ってできますかねぇ?」
「この後は仕事を進めようかと……って本当に全部聴くおつもりなんですか?」
私が言うと、皆川さんは「聴きます」と真面目な顔でうなずいた。
ではデータをよろしくです、と接続が切れてしまった。
それから三時間後。
私はキッチンでふだんより濃い目のコーヒーを淹れて仕事部屋に戻ってきた。
時計を見ると深夜一時だった。
草木も眠る丑三つ時……には多少早いが、こんな真夜中にオカルトめいた不思議な事件について語り合うというのは、ミステリー小説の一場面に迷い込んだような気がして自然とドキドキとした。
約束の時間からやや遅れて、皆川さんはオンライン会議の画面にあらわれた。
「どうもおまたせしました。ごめんなさい、眠気ざましに風呂に入っていたらつい考え事を始めてしまって、遅れてしまいました」
「いえいえ。私事にお付き合い頂き、こちらこそすみません」
「データ、ありがとうございました。興味深かったです」
「そうですか。で、何かわかりました?」
私は前のめりになって訊ねる。
「まああくまで仮説ですけど、個人的見解はあります」
皆川さんはそう前置きして、メモ帳を手にした。
背広のポケットに入りそうな、アドレス帳くらいのサイズのメモ帳だ。ボイスレコーダーのデータを聴きながら覚え書きをしたのだろう。
「まず今日……いやもう昨日か、待ち合わせ場所にやって来たという青年ですが、顔写真つき学生証という信頼できる物証がある以上、本人に間違いないでしょう。その人物こそが土井勇斗なのだと思います」
「はい。まあそれはそうですね……」
私は同意した。
さすがにあんな精巧な身分証を一般人が偽造できたとは思えない。
だが、たしか三時間前、皆川さんは〝別人だった〟と発言していたはずだが……。
「じゃあなぜ顔が違ったんですか?」
「そこですよね。昨日阿刀川さんが会ったのが土井勇斗本人なのだとしたら、考えられるのは、もうこれしかないと思うんです」皆川さんは神妙な顔で言った。「五月の連休に、あきる野で会った人物がニセモノだったんです。あっちが土井勇斗ではなかった。だけど初対面で土井勇斗を名乗られたら、阿刀川さんにはわからないし、信じるしかないですよね?」
なるほど……とはならなかった。
理屈は正しいのだが、その推理には大きな問題点がある。
「待ってください。たしかに一対一で会ったのならあり得そうな話です。ですが、あの時は他に二人いたんですよ? 彼らは小学生の頃からの友人なんです。勝手に他人の名まえを名乗ったら、すぐにバレるんじゃないですか?」
「それなら簡単ですよ。宮地くん、安達くんもグルだったんです。三人で阿刀川さんを騙していたんですよ」
そんなバカな。
私は反論しようと論理の穴を探した。だが頭のなかがぐるぐると廻り始め、思考をうまく組み立てられなかった。
……最初から三人は私を騙そうとしていた? あきる野で会ったのは、宮地くん、安達くん、正体不明の誰かの三人で、昨日の午後に立教大学の正門で会った人こそが、本物の土井勇斗だった……。それが真相なのだろうか?
「でも、待ってください。昨日会った男の子なんですが、私のことを知っていましたし、初対面という雰囲気じゃなかったですよ?」
「当然本物の勇斗くんもグルです。彼らは四人組だったんじゃないかなと思うんです。じつはボイスレコーダーを聴いていて引っかかったことがありまして」
と、皆川さんは無造作に髪をなでまわした。
手元のメモ帳に視線を落として、
「戸吹スポーツ公園ですか、テニスコートもある本格的な運動公園みたいですねぇ。調べてみたら、テニスコートの使用料は二時間借りて1500円でした。割り勘するとひとりあたり500円ですけど、これ小学六年生にとっては出費だと思いませんか。しかも三人で借りるって、コスパ悪くないですか。僕が彼らやったら、あとひとり誘います。それやったら頭割りの料金が多少安くなりますし、ダブルスで試合もできますから」
「うーん。まあ、三人でテニスってのはやりにくそうですけど……」
「ですよね。二人が試合しているあいだ、ひとりは見ているだけになっちゃいますから。それから他にも気になったことがあるんです」
皆川さんは続けた。
「宮地くんと安達くんが同い歳で、勇斗くんが二つ下ということでしたが、僕の経験では、小学生の頃は、年下の子と遊ぶことってあまりなかったように思うんですよねぇ。基本的には同級生とばかり遊んでました。今の若い子は違うんかなぁ?と思いますけど、最初に引っかかったのが、彼らの関係性でした。そういう視点でボイスレコーダーを聴いていたら、あることに気づいたんです」
それは、名前の呼び方だという。
私は気にも留めなかったのに、一体何に引っかかったのか。
皆川さんは話を続ける。
「宮地くんや安達くんはお互いを苗字で呼ぶのに、勇斗くんだけは下の名前なんですよね。ボイスレコーダーを聴く限りでは、宮地くんと安達くんの下の名前わからなかったです」
「それはまあ……勇斗くんだけ年下だから……」
「うん。僕もそう思います。でも勇斗くんだけ下の名前呼びは、他にも理由があると思うんです。ほら、よくあるでしょ。同じ組織内にたとえば鈴木さんが複数いたりすると、区別するために下の名前を使うことが。べつに親しいわけでもないのに、鈴木さんだけ下の名前で呼ぶことになっちゃいますよね」
「つまり、土井が、二人いたということですか……?」
「はい。可能性としてはこうです。最初に友達だったのは、宮地くん、安達くん、土井くんの三人だった。三人組で遊ぶうちに、土井くんの弟も混ざりたいといって遊びについてくるようになった。そして土井弟だけを区別するために下の名前で呼ぶようになった……」
なるほど。ここまで聞いてようやく私も理屈を理解できるようになった。
整理するとこうだ。
五月、あきる野のファミレスで会ったのは宮地、安達、土井(兄)だった。彼らは何かの理由で私を騙すつもりで土井(兄)を、弟の勇斗であるように見せかけた。初対面である私は疑うことなくそれを信じてしまう。
そして昨日、私を呼び出したのは、土井(弟)である勇斗くん。
当然私は別人であることに気づいてパニックになる。
なぜそんな手間暇のかかる小細工をしたのか。
実は心当たりならある。
皆川さんの話を聞くうちに、そのことに気づいてしまった。
「もしかしたら。ユーチューブのネタにしようとしたのかも……」と私。
「ユーチューブ、ですか」
「ええ。彼らはオカルト系のチャンネルを開設すると言っていました。そのチャンネルのためにドッキリでも仕掛けたんじゃないでしょうか……」
土井兄と土井弟が同一人物を演じながら入れ替わって、それに阿刀川恵は気づくことができるでしょうか、とかそういう企画だ。おそらく。
そんなバカバカしいことを本気でやるか?と問われたら、大人である私ならリスクを考慮して即座に却下するだろう。だが相手は大学生だ。コロナ禍でいろんな楽しみを奪われて、ストレスも溜まっていることだろう。若いエネルギーを持て余していることだろう。そんな彼らのところへ、UFOの話が聞きたいなどといってオバサンがやって来たら、イタズラのひとつも仕組んでみるかもしれない。
「今、思い出したんです」と私は言った。「宮地くんが言うには、彼らのチャンネルはオカルテットという名にするそうです」
オカルテット。
おそらくオカルトとカルテットを組み合わせた造語だろう。
そしてカルテットとは「四重奏」という意味である。
「……きっと宮地くんはヒントを出したつもりだったのでしょうね」
皆川さんはため息まじりに言った。
5
〈……本当にごめんなさい 非常識なことをしたと今では反省しています 阿刀川さんを不愉快な気持ちにさせてしまって 自分たちの内輪のノリに巻き込んでしまって どう償えばいいのかわからないけど 心から謝罪します〉
後日。SNSのダイレクトメッセージで宮地くんを問い詰めたら、こんな謝罪文が返ってきた。やはりユーチューブの動画ネタにするつもりだったらしい。
彼はいろんなことを白状した。
人間がいかに騙されやすい生き物であるかの実験だったこと。あきる野で会ったのは、土井勇斗の兄である健斗だったこと。そして弟の勇斗も、となりのボックス席にいて、私たちの会話を盗み聞いていたこと。
バイト先の先輩という女子も嘘の存在だった。あの女子は宮地くんの彼女で、芝居に協力しただけである。UFOも見ていない。それらしい目撃談をでっち上げただけだった。そして立教大学正門で会った日、会話をこっそり録音していたらしい。
段取りとしてはこうだ。
呼び出されてのこのこやって来た私にニセモノを会わせる。別人であることに気づいてパニックになったところで近くの喫茶店につれていく。その店では宮地くんたちが待ち構えており、私が来たところでネタバラシをする……。
脱力するとは、このことだろうか。宮地くんの告白文を読んだ私は、へなへなとその場にしゃがみこみそうになった。メッセージを受け取ったのが外出先だったのでグッとこらえたが、もし他人の目がなければ膝から崩れ落ちていただろう。
〈……でも信じてください UFOは僕らの仕業じゃないです そんなのは打ち合わせになかったんです〉
あの日。立教大学上空に未確認飛行物体があらわれたのは、彼らにとっても想定外の事件だったらしい。そのせいで「喫茶店につれていってネタバラシをする」という段取りがうやむやになってしまったのだ。
そういう意味で、あのUFOは私にとっては救世主だったといえそうだ。
バカバカしくなった私は彼らの謝罪を受け入れたが、今後はもう関わることもないと宣言して、連絡を断つことにした。
そして迎えた二〇二一年八月三日。七月に開幕した東京オリンピックは佳境を過ぎ、新型コロナウィルス感染拡大のせいで、世間ではふたたび自粛ムードが戻りつつあった。私は週に数回の外出以外、ほとんど家に籠もりきりの生活をしていた。
八月三日のその日は食材の買い出しの日で、暑さのやわらいだ午後五時頃にマンションを出て、店にぶらぶらと歩いていった。スーパーで買い物を済ませ、いつもなら運動不足解消のために遠回りコースで帰宅するのだが、この日はまっすぐマンションに帰ることにした。
というのは、じつはスマートフォンを持ってくるのを忘れたのだ。
誰かと約束があるわけではないし、何かの連絡があっても折り返せばいいだけなのだが、スマートフォンを持たずに外にいるというのは、なんとなく不安になるものだ。
いつもより早い帰宅。
あとでまた外に出てちょっとだけ散歩しようなどと考えながら、自分の住む階に向かった。私の部屋は共用廊下のいちばん奥にある。玄関のドアが見えてくるにしたがって、違和感がおそってきた。
ドアに異常があるのだ。
私は足を早めた。自分の部屋の前に立つ。ドアの枠は金属のフレームなのだが、それがいびつに歪んでいた。ちょうど鍵穴の真横あたりで、鍵のボルトがねじ曲がって露出していた。ドアの表面には痛々しいひっかき傷もあった。
唖然としてしまった。
強盗、空き巣、などの単語がつぎつぎに浮かんでは消える。
警察に連絡しなければならない。
ふと気づくと、床にエコバッグが落ちている。手の力が脱けて、落としてしまったのだ。(ショックを受けた人間って本当に物を落とすんだ……)と頭の片隅で考え、職業病のせいで(この呆然とする感覚をせっかくだし覚えておこう……)などと思ったりした。
そして気づいた。通報したくともスマートフォンを持っていないことに。
まったくどうしてこういう時に、こういう間抜けな事態が発生するのか。
家を出る時に、なぜ持ち物を確認しなかったのか。
後悔してももう遅い。
私にできる選択肢はふたつ、一度この場を離れて、誰かに助けてもらう。あるいは、どうにかしてスマートフォンを手に入れて、助けを呼ぶ。
そっと耳をそばだてると、音はしなかった。破壊されたドアに顔を寄せ、神経を聴覚に集中してみたが、やはり室内に人間の気配はなかった。
泥棒は、盗むだけ盗んで立ち去ったあとなのだろうか。
こうなってくると被害状況が気になってきた。お金はまだいい。通帳やカード、電化製品や衣類、そのあたりも盗まれても取り返しがつく。でもパソコンだけは、その中身のハードディスクだけは、失われたら取り返しがつかない。焦りがいよいよ抑えきれなくなってきた。泥棒よ金なら持っていけ、でもパソコンにだけは手をつけてくれるなよ、と念じつつ、私はドアを開けて室内に入っていった。
意外なことに……室内は荒らされていなかった。
ドキドキしながら抜き足で進んでいき、仕事場にしている洋間のドアをそっと開く。もう気分はすっかりホラー映画の主人公だ。
デスクの上に……ノートパソコンはあった! それに充電ケーブルを挿したままのスマートフォンも。
私は飛びつくようにスマートフォンを拾い上げた。すぐさま警察に通報する。自分でも笑えるほど指がふるえていて、何度も番号を間違えた。ただ110と押すだけなのに。やっと電話をかけるとオペレーターが応対に出た。状況を説明しなければならないのだが、自分の声が緊迫感にかけていて、イタズラ電話と思われないかと気が気じゃなかった。すぐに警察官を派遣するとオペレーターは言った。もし不安ならこのまま通話を続けてもいいと言ってくれたが、それは大丈夫と断った。
電話を切った後、静まりかえった仕事部屋で私はしばし魂のぬけたような状態になった。緊張のせいで過剰に力を込めていたために、一度気を緩めると今度は緩みすぎてしまったのだ。
でももう安心だ。五分も経たずに最寄りの交番から警察官が駆けつけてくれるだろう。私はそれを待っていればいいのだ。
それにしても──泥棒はなぜ何も盗んでいかなかったのか。
私はぼんやりと室内を見回した。
ふとデスクの上に、見慣れない紙袋が置いてあることに気がついた。
それは某有名コーヒーチェーン店の紙袋であり、この店は注文の仕方が独特なので、あまり積極的に利用したことがなかった。だから、こんなものが家にあるはずがない。なぜこんなものがここにあるのか。
私は「ヒィイ」だか「ヒャァア」だか忘れたが、奇声を発してよろめいた。
何者かが侵入したという証拠をまざまざと見せつけられてしまったのだ。
しかも紙袋の中身がちらりと見えていて、それはどうやら市販の食品のようだ。
勇気を振り絞って、もう一度紙袋を覗いてみる。
やはり食品だ。それもレトルトの、保存がきくタイプの。カレーのパウチ。おかゆのパウチ。経口補水液のペットボトル。ゼリータイプの栄養飲料などなど。
私はもう一度「うぇえええ」と声を漏らした。
何なのだろうかこれは。ラインナップだけ見れば保存食の差し入れのようだが、友人知人から貰うならともかく、何者とも知れぬ侵入者が気遣いや優しさのようなものを匂わせてくるのは、とにかくもう気持ちわるいとしか言いようがない。
私はキモチワルイキモチワルイ!と声を限りに叫んでしまった。
もうとてもじゃないが、こんな部屋にはいられない。
マンションの玄関で警察官を待つことにして、仕事部屋を出ると、リビングを通り抜けた。バスルームやトイレのドアが並んだ廊下を足早に通り過ぎようとした時、ふとどこかから「ゴトッ」という物音が聴こえた。
それは誰かが壁に身体をぶつけた音のようだった……。
あるいは何か硬いものが床に落ちた音のようでもあった……。
音は、トイレから聴こえた……気がした。
まるで誰かがこの中にいるみたいな音だった。
私は、まさかと思いながら、ドアノブを掴み、ゆっくりと慎重に開いた。
人生で、これほど大胆だったことはない。
だけど、こんなところにいるはずがない、と思ったのだ。
だってそうだろう。いるはずがないのだ。こんなところに。
トイレのドアは外開きで、十センチほど開くと、隙間から体温よりわずかに高い温度の空気がふわりと流れでてきた。隙間に片目をあてるようにして、中を見た。
男性がひとり、便座に腰掛けていた。
ロダンの考える人の彫像のようなポーズで、無機物に変化してしまったかのようにぴくりとも動かなかった。ドアの隙間から覗く私に気づいた風もなく、まるで最初からマンションの備品として存在していたかのように、ただただ座っていた。
私は開いたドアの隙間を、開いた時とまったく同じ慎重さでゆっくりと閉じた。
6
トイレで「考える人」になっていた不審者は、土井健斗であった。
あきる野で会った、気弱そうな兄の方である。
彼は駆けつけた警察官によって現行犯逮捕され、勾留されることになった。彼のしたことは冗談では済まされない。前科のつく歴然とした犯罪行為だ。罪状は、金品を盗んだりしたわけではないので、住居侵入罪および器物破損罪となる。
一週間経った八月一〇日。私は都内にある喫茶店に出向くことになった。
相手方の弁護士と面会し、示談の話し合いをするためである。
店に入ると見知らぬ中年の男女も同席していて、弁護士によれば土井健斗の両親とのことだった。彼らは私の顔を見るなり深々と頭を下げて、息子がどうしてあんなことをしたのかわからない、と泣きながら言った。
実際、そのとおりだろうと思う。わけのわからない事件だ。
彼の行動は意味不明な部分が多い。リスクを犯して不法侵入して、物を盗むわけでもなく、ただトイレの便座に腰かけていたのだから。何がしたかったのだろうと検察でなくても首をひねるというものだ。勾留後の供述もあやふやらしく、動機は不明のままだった。
ただ、供述によっていくつか判明したこともあった。
たとえば、土井健斗がどうやって私の住んでいる家をつきとめたのだろうと不思議だったのだが、弁護士はその疑問にこたえてくれた。
「七月二十三日に大学正門前に呼び出した際に、あなたを尾行したらしいのです。それで家を知ったのです」。
立教大学の正門前でUFOを撮影したあの時、すぐ近くに土井健斗もいた。身を隠して様子をうかがい、帰宅する私をこっそり尾けた。マンションの場所を把握すると、本当にそこに住んでいるのか、何度か確認に訪れたようだ。
部屋番号については、過去のSNSの投稿から特定したらしい。
「こうした手口によって個人情報を取得するケースは増えているんです」と弁護士は言った。「画像から読み取れる情報は、われわれが思っている以上ですから」
私はライフログのつもりで身辺の写真や目についたものの写真をネットにアップしていたが、ストーカーからしてみれば値千金のお宝だったことだろう。ベランダから撮った写真もあったと思う。土井健斗はその写真からわが家が角部屋であることや、建物の見える範囲から階数を割り出したのだ。
デスクの上に放置されていた紙袋の謎もとけた。
あれはマンションのオートロックを突破するために使ったらしい。
彼はあの日、レトルト食品の詰まった紙袋を携えてマンション入口で張り込み、通りかかった住人を呼び止めてこう言ったのだ。
〈大学の友人がコロナに感染したらしいのだが、中に入れなくて困っている。何度電話をかけても寝ているのか出てくれない。せめて物資をドアの前に置いていきたいので、オートロックを通らせてもらえないだろうか?〉
呼び止められた住人はあっさりと通してくれたそうだ。
いくらハードウェアのセキュリティを確保しても、ソーシャルハッキングによって崩されてしまう典型例だと思う。
だが、私はその住人のことを責められない。
土井健斗の見た目は、真面目な大学生そのものなのだ。炎天下、友人のための補給物資を持ってマンションに入れずに困っている男の子を見たら、私だってかわいそうになって通してしまうかもしれない。新型コロナウィルスという共通の敵も、同情にひと役買ったことだろう。
まんまとオートロックを突破した土井健斗は、バールを使ってドアフレームを破壊し、室内に侵入した。その後の彼の行動は……よくわかっていない。本人もほとんどおぼえていないらしい。なぜトイレにいたのかもわからない。
こうして犯行の手口を書き連ねてみると、かなり計画的な気がする。
知り合いの漫画家からは、示談交渉に応じないほうがいい、と忠告されていた。へたに甘やかすと、悪質なストーカーになりかねないと言うのだ。もしストーカー化した場合、過去に刑事裁判を受けていれば警察の対応も変わってくるらしい。
だが私は、土井健斗はストーカー化しないだろうと予想していた。
彼がなぜあんなことをしてしまったのかと誰もが不思議がっていたが、きっと本当に動機などないのだろう。
なぜかやってしまった。そういうことなのだ。
不起訴処分を乞う嘆願書にサインをした後、弁護士は一通の手紙を取り出して、私に見せた。「じつは健斗くんから阿刀川さんに渡してほしいと頼まれて、手紙を預かっているのですが。どうしましょうか。受け取りますか?」
是非もなかった。
私は受け取ることにした。
帰宅後、さっそく封を開けて中身を読んでみた。
手紙には、長々と謝罪と後悔の言葉が書き連ねてあったが、全体の印象は不安と混乱だった。やはり彼自身なぜこんなことをしてしまったのか、わからないようだ。
その中で、特に私の目にとまった一文があった。
〈先生。秋川駅前でミステリーサークルの写真を見てもらったときに、僕はちょっとだけ嘘をつきました。といっても大したことのない嘘なのですが。うちのおじいちゃんの水田をめちゃくちゃにした犯人、おじいちゃんの知人と言いましたよね。本当はおじいちゃんの弟なんです。今は絶縁状態ですが、おじいちゃんの弟がやったことも、動機不明のままです。もしかしたら何かが遺伝しているのかもしれません。僕が今回してしまったことも、なぜそうしたのか僕自身に説明がつかないんです〉