文化祭。
我が1年5組は劇をやることになった。
『告白×かぐや姫』
これがクラスの学園祭の出し物のタイトル。
内容はそのまま、『竹取物語現代版』。
僕はその脚本を任された竹生(たけお)陽平。演劇部でいつも脚本を書いているから、その流れで頼まれた。
「私は私を喜ばせてくれるものをくれた人に恋しちゃうな」
っていうセリフを地で言えるタイプの女子、宮野姫香は幼なじみだ。
姫香はクラスの99%の票をあつめて、かぐや姫に選ばれた女子。
ちなみに1%の白票は僕が投じた。
「陽平、私に票入れなかったでしょう? 理由、知ってるよ」
「……違う」
「ぷぷっ。まだ言ってないし。──だってほら、私が誰かと恋に落ちるなんて見たくなかったんでしょ?」
「違う」
僕は心の底から「違う」と言っているのだけれど、姫香は聞く耳をもたない。というか、なんとなく浮かれたような口ぶりだ。
「まあまあ、私がクラスで一番のイケメンの青葉君とくっつくところ、しっかり書いてね」
やだよ。とは言えない。確かに話の流れとしてもビジュアルとしても、青葉君が姫香の最終的な相手になるのが一番正しい。
「でもさ、かぐや姫だよ? 誰も選ばないっていうのが正しいと思うんだけど」
なんとかそう続けても姫香はまったく聞いていない。
「よっろしっくね! 私の王子様と、ちゃーんとハッピーエンドにしてね」
今にもスキップをしそうな足取りで姫香は女子の中へと戻っていった。
ああ、やっと僕の席に平穏が。
僕は深いため息をついた。
*
竹取物語は。
竹林の中で光輝いているかぐや姫をおじいさんが見つけるところから始まる。本来のかぐや姫はおしとやかで美しく、ミステリアスなイメージではある。
ただし、今回の劇中では、かぐや姫をプライドの高いお姫様にしてみた。あまりにわがままなのでおじいさんとおばあさんにちょっとやっかいもののように扱われていて、はやく嫁にいってほしいと願われているところから書いてみた。そしてかぐや姫がだす難題をクリアできない王子から消していく、という物語。生き残っていると、かぐや姫が、やっぱりこっちの王子で、とか言い出しそうで困るから、暗転して消えてもらうことにした。(姫香の場合は本気で生き返らせてと言い出しそうなので、その可能性を抹消しておくといいう意味で)
そういう姿は姫香そのものだし、面白いと思う。
高校生が演劇の出し物をするのだ。
それくらいコメディタッチのほうが楽しいかも、という単純な僕の発想から生まれた脚本。
「にしたってさ、私がプライド高いだけのイヤなお姫様になっちゃうの、やだな」
「そのまんまじゃん」
「もーう、当て書きとかって言わないでしょうね?」
その当て書きです。当たり前。
ここは僕の部屋。僕の家によく遊びにきている姫香は、勝手知ったるというふうに僕の机の椅子にポスンと座った。
僕が黙り込むと、姫香は僕にメロンソーダのペットボトルを渡してくれた。僕の好きなジュース。
「何? わいろ?」
「そ」
「それで誰が残るようにすればいいの?」
僕の質問に、姫香は小首を傾げて、んん、と呟いた。
持っているミルクティーのペットボトルをきゅっと開けて、一口飲んで。
「別に青葉君じゃなくてもいい。よ?」
「え」
それは殊勝なことで。
「じゃあ誰?」
「んん、んっとね」
「何だよ、希望だけはきくから」
歯切れの悪い姫香に僕はついつい深追いするようなことをしてしまった。脚本家としては、あまり本人の希望を聞いていると面倒なのでいつもの演劇部なら聞かないのだけれど。
「まあ、いい、かな。誰でも。ただ」
「ただ?」
「私を一番喜ばせるっていうのは本当にしてほしいの」
*
より難しい問題を投下して、姫香は帰って行った。
といっても隣の家だ。しばらくして窓から隣の家を見てみれば、姫香の部屋の電気がついた。
姫香を喜ばせる、か。
難しい、な。
小さいころなら良かった。
一緒に遊んでいても何をしていても僕のあとを追いかけてきてくれて、キレイな石をみつけるのも、虹をみつけるのも、雨が降ったら雨宿りする近所の家の軒下でも。
僕と一緒にかけまわって遊んだ。それはそれは楽しかった。
僕が大きな木に登って落ちてしまって怪我をしたときは、泣きながら家の人を呼びに行ってくれたり。
姫香がテストで悪い点をとったときとか合唱コンクールのピアノ伴奏に選ばれなかったときは、暗くなるまで公園のブランコに乗っていたっけ。姫香が帰るって言い出すまで、ずっと隣でブランコを漕いでいた。
そうしていれば姫香はいつしか機嫌が直って、にこりと笑ってくれた。喜んでくれた。
僕たちはそうやって仲良く過ごしてきたけれど。
いつの間にか、姫香がオレンジジュースよりもミルクティーを好むようになっていたように、小さな変化が積み重なって。
しかも姫香が(黙っていれば)美少女に成長してしまったから、学校で僕から姫香に話しかけることを極力さけるようになってしまった。 なんとなく、気後れしてしまって。
さっきみたいに、姫香が勝手に家に遊びにくることもあるけれど、僕が姫香の家にいくことは、はっきり言って、ない。
そんなところ、もしも人に見られたら。
姫香が喜ばないんじゃないかと思っている。
*
『石川君、私の望みはあなたのつくった石のお守りです。かわいいかわいい猫のお守りをどうぞ私に』
『車田君、私の望みは遠いフィンランドにあるという妖精の人形です。どうぞ探してきて私に』
『阿部君、私の望みはとてもとても温かい、決して温度のさがらないブランケットです。みつけてきて私を温めて』
姫香の喜ぶものについてよくわからないんだけれど、猫が好きで妖精の人形(サンタクロースだったかもしれない)もほしがっていた。それに冷え性なことも知っている。
だから、こういう王子を並べた僕の脚本はあながちまちがっているとは思えなかった。
でも。
姫香は首を横に振るばかりだった。
それは劇中でもそうだし、もちろん現実でも。
まあ姫香に納得いかないと言われたって脚本はそのままにしたのだけれど。変更したって姫香が頷くとは思えなかったから。
*
文化祭当日。僕たちのクラスの劇は静かに脚本通りに進行していった。
『石川君、私はあなたのつくった石のお守りが欲しいといいました。これは買ってきたものですね? もうあなたとはお会いできません』
『そんなことを言わないでください。石からお守りを削りだすなんて何年かかっても私には無理です』
『そうですか、わかりました。それではさようなら』
『えええー決断が早すぎますっ』
『さようなら!』
姫香が思い切りぷんとそっぽを向くと、舞台は暗転する。
ああごめん、石川君。消えてもらうよ。
体育館内はくすくす、と笑い声。
ほんと、ごめん。
『車田君、私はフィンランドの妖精の人形がほしいと言いました。でもこれは妖精ではなくて黄色のネズミさんのぬいぐるみ。確かに私は好きですけど、この場合はアウトです』
『フィンランドは無理だし、妖精の人形を調べてみたらかわいくなくて、姫にはこちらのぬいぐるみのほうが喜ばれると思いまして』
『間違ってないのですけど……でもだめ。私の望みをかなえてくれてはいません。さようなら』
『えええ、せっかく買ってきたのに』
『駄目です。さようなら』
また姫香がぷんとそっぽを向いた。
暗転。
車田君、結構本気でこのぬいぐるみを握りしめてたけれど。ごめん、駄目なんだよ、消えてください。といってもそういう脚本を書いたのは僕だけど。
体育館内がさっきよりももっと笑い声でざわめいた。
『阿部君、私はずっとずっと温かさが消えないブランケットが欲しいと言いました。でもこれは今とても冷たいです』
『そりゃあそうです、ここには電源がありませんので』
『つまり、電源とコンセントがないと使えないと言うことですか。私はとっっても冷え性なんです。コンセントがあったらコタツを使います。電源がないところでもずっとずっとあたためてくれるブランケットを欲しいと言ったのです』
『そんなことを言われても。じゃあ家そのものがほしいということですか』
『用意できるのですか?』
姫香がキラーンと目を輝かせた。
が、さすがに阿部君が首を振る。
『む、無理です。僕はしがない三男坊なので』
『ではここまでですね、もうお会いすることはありません』
『えええ? もう二度と?』
『はい、もう二度と。さようなら』
容赦なく暗転。阿部君も消える。
僕は自分の書いた脚本なのに少し暗い気持ちで2人のセリフを聞いていた。
体育館内の笑い声が大きくなったことが、僕にとっては救いだった。
おじいさんとおばあさんが姫香の部屋で姫香を諭しているシーン。
『姫や、もうこうなったら誰でもいいじゃないか。おかしなものばかり頼んでいないで、そろそろ素直になりなさい』
ぷくっと頬を膨らませて姫香は応える。
『だって、私、本当に欲しいものを言ってるだけなんだもの。私の喜ぶものを用意してくれないほうが悪いのよ』
『そうはいってもなあ』
おじいさんがほとほと困ったようにおばあさんと顔を見合わせたとき。
ピンポーン
来客のチャイムが鳴った。
おばあさんが慌てて玄関へでていくとそこには。
花束を抱えた王子様然とした『青葉君』が。
『姫や、こっちにいらっしゃい』
姫香が玄関にでていくと、青葉君は花束を差し出した。
『姫香さん、僕ならあなたの喜ぶものを何でもあげることができます』
『なんでも?』
『はい』
人差し指を口元にあてて、姫香は目をくるりと回した。
そういうところ、本当に可愛い……いや、今のは冗談。気の迷い。
「じゃあ、お願いがあります。私を、このままここにいさせて」
「え?」
姫香が脚本をはっきりと無視した。
そんなセリフ、僕は書いていないのに。
青葉君が、ええっと、と視線をさまよわせる。舞台の袖に隠れている僕を探しているようだ。
姫香はそんな青葉君にニコリと笑って口を開いた。
「私、不老不死のクスリなんて興味ないし、月にいきたいとも思わないのです。ただただ、ここにいたいだけ。この願い、叶えてくれませんか?」
青葉君が困り果てている。
どんなアドリブだよ、もう。姫香のやつ。
僕は姫香から見える舞台の袖ぎりぎりまで出て行って、口をパクパクさせてやる。
(こら、きゃくほん、おもいだせ)
それを見たのか間違えたと気づいたのか、姫香はほうっとため息をついた。
そして。
『ああ。間違えました。青葉君、私はあなたに、不老不死になれて永遠の美しさを保証してくれるクスリをもってきてもらいたいです』
*
姫香が脚本を思い出してくれたおかげで、なんとか舞台は本来のラストシーンを迎えることができた。
『私は私の希望をかなえてくれる王子様をみつけるために月へ探しに行って参ります。おじいさんおばあさん、そのようなクスリを見つけたら帰ってきますので、私の部屋はどうかそのままで』
ぷぷっと笑い声が起きて、緞帳がさがる。
はあああああ。
僕は大きな大きなため息をついた。
どうなることかと思ったけど。
──まったく。姫香のやつめ。あんなことを言い出すなんて。
あんな、ことを。
*
「陽平、私の演技どうだった?」
「どうだったもくそもないよ。ほんとにあんなアドリブ入れるなんて聞いてない」
「だって言ってなかったもの。でも突然思いついちゃったの。私の希望って、これだなって」
クラスの出し物が終わってみんなで教室に戻った。
もちろんかぐや姫はどの王子も選ぶことはなかった。そして姫香は教室で僕にすすっと寄ってきて僕に話しかけてきた。
みんなはみんなで、笑いもとれたし出し物として成功、ということで和やかな雰囲気で写真を撮ったりしていた。
姫香がそんな空気の中で肩をすくめる。
「希望って、あれだったんだけど。私、ほんとにそう思ってる。誰か、叶えてくれないかなって」
「かぐや姫の部屋ならとっとけばいいってことで終わっただろ? おまえの部屋だって」
僕はそれ以上言えなくて、押し黙った。
ふふ、と姫香が笑って右手で僕の頬をきゅっとつねる。
「何すんだよ」
「メロンソーダあげる」
左手に持っていたメロンソーダ。
そうだ、僕の好きな飲み物。
「……ごめん、ミルクティーは持ってない」
「いいよ。でも私の希望、私が一番喜ぶこと。私の居場所をここに残しておいて。ね、おぼえててね」
*
本当は知っていた。
姫香の希望。
──かぐや姫のように遠くへ行きたくない。
ただそれだけの希望。
そしてそれは現実と同じだと言うこと。
姫香は転校が決まっていたのだ。
一緒にメロンソーダを飲んでいた毎日から、少しずつ変化して、姫香はミルクティーを飲むようになったみたいに。
僕らはいつのまにか遠くなってしまうことを受け入れなくてはいけなくなってしまった。
「だから、姫香に票をいれなかったのにな」
本当に離れていってしまう気がして、怖くって。
姫香にかぐや姫を演じて欲しくなかった。
だから、白票をいれたのに。
コメディタッチにしてもやっぱりイヤだったんだ。
姫香が遠くに行ってしまうような劇は。
*
面白かったよ、という好意的な感想を聞きながら、僕たちの文化祭は終わった。
青葉君と姫香がどうこうなることもなく。
そして静かに姫香は転校していった。
隣の家の姫香の部屋は、もう電気がつくことはなかった。
こんなふうに、僕たちは離れてしまうんだな。
姫香を最後に本当に喜ばせることができなくて、それが心残りだった。
*
それから2年がたって。
高校の卒業式がおわったころ。
隣の家に電気がついた。
姫香のいた部屋にも、誰かが入ったらしい。
まあ今まで2年も空き家だったことが不思議なくらいだから、誰かに姫香の部屋が使われることも、もう仕方ないことと諦めていた。
ただ、
『私の居場所はここにのこしておいて』
その言葉を守れなかった自分はイヤだった。
あれから僕はメロンソーダを卒業して、コーヒーを飲むようになった。姫香がいつのまにかミルクティーになっていたように、僕も成長したのだ。いつかそれを姫香に見せたくて。
ピンポーン
来客のチャイムがなった。
母親が玄関に出て行く足音が聞こえる。
そして
「陽平ー。おりてらっしゃい」
なんだよ、と思った。
押し売りとか?
僕なんか役にたたないけど、人数で勝負するつもりだというなら仕方ない。早々に帰ってもらおう。
僕は部屋をでて、階段を降りた。
とん、とん、とん、ゆっくりと。
下ではクスクスと笑い声がしている。
笑い声? どこかで聞いたことのあるような──。
とんとんとん、ばたばたばたばたっ
思わず早足で階段を降りる。踏み外して転びそうになった。
でも。
「陽平っひさしぶりっ」
明るい声が聞こえて、僕は踏みとどまった。
──私の本当の希望、叶えてくれる? 私の居場所はここにのこしておいて。
メロンソーダのペットボトルを持って、姫香が笑っていた。
また会えたら。
また会うことがあったら。
──もうコーヒーしか飲まないんだよ。
そう言ってコーヒーを飲んでやろうと思っていたのに。
姫香が差し出してくれたメロンソーダを、僕は素直に受け取ってしまった。じいっと姫香を見つめてしまう。
本物の、姫香だった。2年ぶりの、姫香だった。
「もう、陽平、いくら嬉しいからって見すぎだよ」
「ごめ、ごめん」
でもまだ目の前に姫香がいることが信じられなくて。
視線を外すことができなかった。
すると、姫香は照れくさそうに笑った。
ペロッと小さく舌をだして。
「私の希望、かなっちゃったんだ。一番喜ぶこと。ここにもどってきて、陽平と一緒にいたいなっていう──」
我が1年5組は劇をやることになった。
『告白×かぐや姫』
これがクラスの学園祭の出し物のタイトル。
内容はそのまま、『竹取物語現代版』。
僕はその脚本を任された竹生(たけお)陽平。演劇部でいつも脚本を書いているから、その流れで頼まれた。
「私は私を喜ばせてくれるものをくれた人に恋しちゃうな」
っていうセリフを地で言えるタイプの女子、宮野姫香は幼なじみだ。
姫香はクラスの99%の票をあつめて、かぐや姫に選ばれた女子。
ちなみに1%の白票は僕が投じた。
「陽平、私に票入れなかったでしょう? 理由、知ってるよ」
「……違う」
「ぷぷっ。まだ言ってないし。──だってほら、私が誰かと恋に落ちるなんて見たくなかったんでしょ?」
「違う」
僕は心の底から「違う」と言っているのだけれど、姫香は聞く耳をもたない。というか、なんとなく浮かれたような口ぶりだ。
「まあまあ、私がクラスで一番のイケメンの青葉君とくっつくところ、しっかり書いてね」
やだよ。とは言えない。確かに話の流れとしてもビジュアルとしても、青葉君が姫香の最終的な相手になるのが一番正しい。
「でもさ、かぐや姫だよ? 誰も選ばないっていうのが正しいと思うんだけど」
なんとかそう続けても姫香はまったく聞いていない。
「よっろしっくね! 私の王子様と、ちゃーんとハッピーエンドにしてね」
今にもスキップをしそうな足取りで姫香は女子の中へと戻っていった。
ああ、やっと僕の席に平穏が。
僕は深いため息をついた。
*
竹取物語は。
竹林の中で光輝いているかぐや姫をおじいさんが見つけるところから始まる。本来のかぐや姫はおしとやかで美しく、ミステリアスなイメージではある。
ただし、今回の劇中では、かぐや姫をプライドの高いお姫様にしてみた。あまりにわがままなのでおじいさんとおばあさんにちょっとやっかいもののように扱われていて、はやく嫁にいってほしいと願われているところから書いてみた。そしてかぐや姫がだす難題をクリアできない王子から消していく、という物語。生き残っていると、かぐや姫が、やっぱりこっちの王子で、とか言い出しそうで困るから、暗転して消えてもらうことにした。(姫香の場合は本気で生き返らせてと言い出しそうなので、その可能性を抹消しておくといいう意味で)
そういう姿は姫香そのものだし、面白いと思う。
高校生が演劇の出し物をするのだ。
それくらいコメディタッチのほうが楽しいかも、という単純な僕の発想から生まれた脚本。
「にしたってさ、私がプライド高いだけのイヤなお姫様になっちゃうの、やだな」
「そのまんまじゃん」
「もーう、当て書きとかって言わないでしょうね?」
その当て書きです。当たり前。
ここは僕の部屋。僕の家によく遊びにきている姫香は、勝手知ったるというふうに僕の机の椅子にポスンと座った。
僕が黙り込むと、姫香は僕にメロンソーダのペットボトルを渡してくれた。僕の好きなジュース。
「何? わいろ?」
「そ」
「それで誰が残るようにすればいいの?」
僕の質問に、姫香は小首を傾げて、んん、と呟いた。
持っているミルクティーのペットボトルをきゅっと開けて、一口飲んで。
「別に青葉君じゃなくてもいい。よ?」
「え」
それは殊勝なことで。
「じゃあ誰?」
「んん、んっとね」
「何だよ、希望だけはきくから」
歯切れの悪い姫香に僕はついつい深追いするようなことをしてしまった。脚本家としては、あまり本人の希望を聞いていると面倒なのでいつもの演劇部なら聞かないのだけれど。
「まあ、いい、かな。誰でも。ただ」
「ただ?」
「私を一番喜ばせるっていうのは本当にしてほしいの」
*
より難しい問題を投下して、姫香は帰って行った。
といっても隣の家だ。しばらくして窓から隣の家を見てみれば、姫香の部屋の電気がついた。
姫香を喜ばせる、か。
難しい、な。
小さいころなら良かった。
一緒に遊んでいても何をしていても僕のあとを追いかけてきてくれて、キレイな石をみつけるのも、虹をみつけるのも、雨が降ったら雨宿りする近所の家の軒下でも。
僕と一緒にかけまわって遊んだ。それはそれは楽しかった。
僕が大きな木に登って落ちてしまって怪我をしたときは、泣きながら家の人を呼びに行ってくれたり。
姫香がテストで悪い点をとったときとか合唱コンクールのピアノ伴奏に選ばれなかったときは、暗くなるまで公園のブランコに乗っていたっけ。姫香が帰るって言い出すまで、ずっと隣でブランコを漕いでいた。
そうしていれば姫香はいつしか機嫌が直って、にこりと笑ってくれた。喜んでくれた。
僕たちはそうやって仲良く過ごしてきたけれど。
いつの間にか、姫香がオレンジジュースよりもミルクティーを好むようになっていたように、小さな変化が積み重なって。
しかも姫香が(黙っていれば)美少女に成長してしまったから、学校で僕から姫香に話しかけることを極力さけるようになってしまった。 なんとなく、気後れしてしまって。
さっきみたいに、姫香が勝手に家に遊びにくることもあるけれど、僕が姫香の家にいくことは、はっきり言って、ない。
そんなところ、もしも人に見られたら。
姫香が喜ばないんじゃないかと思っている。
*
『石川君、私の望みはあなたのつくった石のお守りです。かわいいかわいい猫のお守りをどうぞ私に』
『車田君、私の望みは遠いフィンランドにあるという妖精の人形です。どうぞ探してきて私に』
『阿部君、私の望みはとてもとても温かい、決して温度のさがらないブランケットです。みつけてきて私を温めて』
姫香の喜ぶものについてよくわからないんだけれど、猫が好きで妖精の人形(サンタクロースだったかもしれない)もほしがっていた。それに冷え性なことも知っている。
だから、こういう王子を並べた僕の脚本はあながちまちがっているとは思えなかった。
でも。
姫香は首を横に振るばかりだった。
それは劇中でもそうだし、もちろん現実でも。
まあ姫香に納得いかないと言われたって脚本はそのままにしたのだけれど。変更したって姫香が頷くとは思えなかったから。
*
文化祭当日。僕たちのクラスの劇は静かに脚本通りに進行していった。
『石川君、私はあなたのつくった石のお守りが欲しいといいました。これは買ってきたものですね? もうあなたとはお会いできません』
『そんなことを言わないでください。石からお守りを削りだすなんて何年かかっても私には無理です』
『そうですか、わかりました。それではさようなら』
『えええー決断が早すぎますっ』
『さようなら!』
姫香が思い切りぷんとそっぽを向くと、舞台は暗転する。
ああごめん、石川君。消えてもらうよ。
体育館内はくすくす、と笑い声。
ほんと、ごめん。
『車田君、私はフィンランドの妖精の人形がほしいと言いました。でもこれは妖精ではなくて黄色のネズミさんのぬいぐるみ。確かに私は好きですけど、この場合はアウトです』
『フィンランドは無理だし、妖精の人形を調べてみたらかわいくなくて、姫にはこちらのぬいぐるみのほうが喜ばれると思いまして』
『間違ってないのですけど……でもだめ。私の望みをかなえてくれてはいません。さようなら』
『えええ、せっかく買ってきたのに』
『駄目です。さようなら』
また姫香がぷんとそっぽを向いた。
暗転。
車田君、結構本気でこのぬいぐるみを握りしめてたけれど。ごめん、駄目なんだよ、消えてください。といってもそういう脚本を書いたのは僕だけど。
体育館内がさっきよりももっと笑い声でざわめいた。
『阿部君、私はずっとずっと温かさが消えないブランケットが欲しいと言いました。でもこれは今とても冷たいです』
『そりゃあそうです、ここには電源がありませんので』
『つまり、電源とコンセントがないと使えないと言うことですか。私はとっっても冷え性なんです。コンセントがあったらコタツを使います。電源がないところでもずっとずっとあたためてくれるブランケットを欲しいと言ったのです』
『そんなことを言われても。じゃあ家そのものがほしいということですか』
『用意できるのですか?』
姫香がキラーンと目を輝かせた。
が、さすがに阿部君が首を振る。
『む、無理です。僕はしがない三男坊なので』
『ではここまでですね、もうお会いすることはありません』
『えええ? もう二度と?』
『はい、もう二度と。さようなら』
容赦なく暗転。阿部君も消える。
僕は自分の書いた脚本なのに少し暗い気持ちで2人のセリフを聞いていた。
体育館内の笑い声が大きくなったことが、僕にとっては救いだった。
おじいさんとおばあさんが姫香の部屋で姫香を諭しているシーン。
『姫や、もうこうなったら誰でもいいじゃないか。おかしなものばかり頼んでいないで、そろそろ素直になりなさい』
ぷくっと頬を膨らませて姫香は応える。
『だって、私、本当に欲しいものを言ってるだけなんだもの。私の喜ぶものを用意してくれないほうが悪いのよ』
『そうはいってもなあ』
おじいさんがほとほと困ったようにおばあさんと顔を見合わせたとき。
ピンポーン
来客のチャイムが鳴った。
おばあさんが慌てて玄関へでていくとそこには。
花束を抱えた王子様然とした『青葉君』が。
『姫や、こっちにいらっしゃい』
姫香が玄関にでていくと、青葉君は花束を差し出した。
『姫香さん、僕ならあなたの喜ぶものを何でもあげることができます』
『なんでも?』
『はい』
人差し指を口元にあてて、姫香は目をくるりと回した。
そういうところ、本当に可愛い……いや、今のは冗談。気の迷い。
「じゃあ、お願いがあります。私を、このままここにいさせて」
「え?」
姫香が脚本をはっきりと無視した。
そんなセリフ、僕は書いていないのに。
青葉君が、ええっと、と視線をさまよわせる。舞台の袖に隠れている僕を探しているようだ。
姫香はそんな青葉君にニコリと笑って口を開いた。
「私、不老不死のクスリなんて興味ないし、月にいきたいとも思わないのです。ただただ、ここにいたいだけ。この願い、叶えてくれませんか?」
青葉君が困り果てている。
どんなアドリブだよ、もう。姫香のやつ。
僕は姫香から見える舞台の袖ぎりぎりまで出て行って、口をパクパクさせてやる。
(こら、きゃくほん、おもいだせ)
それを見たのか間違えたと気づいたのか、姫香はほうっとため息をついた。
そして。
『ああ。間違えました。青葉君、私はあなたに、不老不死になれて永遠の美しさを保証してくれるクスリをもってきてもらいたいです』
*
姫香が脚本を思い出してくれたおかげで、なんとか舞台は本来のラストシーンを迎えることができた。
『私は私の希望をかなえてくれる王子様をみつけるために月へ探しに行って参ります。おじいさんおばあさん、そのようなクスリを見つけたら帰ってきますので、私の部屋はどうかそのままで』
ぷぷっと笑い声が起きて、緞帳がさがる。
はあああああ。
僕は大きな大きなため息をついた。
どうなることかと思ったけど。
──まったく。姫香のやつめ。あんなことを言い出すなんて。
あんな、ことを。
*
「陽平、私の演技どうだった?」
「どうだったもくそもないよ。ほんとにあんなアドリブ入れるなんて聞いてない」
「だって言ってなかったもの。でも突然思いついちゃったの。私の希望って、これだなって」
クラスの出し物が終わってみんなで教室に戻った。
もちろんかぐや姫はどの王子も選ぶことはなかった。そして姫香は教室で僕にすすっと寄ってきて僕に話しかけてきた。
みんなはみんなで、笑いもとれたし出し物として成功、ということで和やかな雰囲気で写真を撮ったりしていた。
姫香がそんな空気の中で肩をすくめる。
「希望って、あれだったんだけど。私、ほんとにそう思ってる。誰か、叶えてくれないかなって」
「かぐや姫の部屋ならとっとけばいいってことで終わっただろ? おまえの部屋だって」
僕はそれ以上言えなくて、押し黙った。
ふふ、と姫香が笑って右手で僕の頬をきゅっとつねる。
「何すんだよ」
「メロンソーダあげる」
左手に持っていたメロンソーダ。
そうだ、僕の好きな飲み物。
「……ごめん、ミルクティーは持ってない」
「いいよ。でも私の希望、私が一番喜ぶこと。私の居場所をここに残しておいて。ね、おぼえててね」
*
本当は知っていた。
姫香の希望。
──かぐや姫のように遠くへ行きたくない。
ただそれだけの希望。
そしてそれは現実と同じだと言うこと。
姫香は転校が決まっていたのだ。
一緒にメロンソーダを飲んでいた毎日から、少しずつ変化して、姫香はミルクティーを飲むようになったみたいに。
僕らはいつのまにか遠くなってしまうことを受け入れなくてはいけなくなってしまった。
「だから、姫香に票をいれなかったのにな」
本当に離れていってしまう気がして、怖くって。
姫香にかぐや姫を演じて欲しくなかった。
だから、白票をいれたのに。
コメディタッチにしてもやっぱりイヤだったんだ。
姫香が遠くに行ってしまうような劇は。
*
面白かったよ、という好意的な感想を聞きながら、僕たちの文化祭は終わった。
青葉君と姫香がどうこうなることもなく。
そして静かに姫香は転校していった。
隣の家の姫香の部屋は、もう電気がつくことはなかった。
こんなふうに、僕たちは離れてしまうんだな。
姫香を最後に本当に喜ばせることができなくて、それが心残りだった。
*
それから2年がたって。
高校の卒業式がおわったころ。
隣の家に電気がついた。
姫香のいた部屋にも、誰かが入ったらしい。
まあ今まで2年も空き家だったことが不思議なくらいだから、誰かに姫香の部屋が使われることも、もう仕方ないことと諦めていた。
ただ、
『私の居場所はここにのこしておいて』
その言葉を守れなかった自分はイヤだった。
あれから僕はメロンソーダを卒業して、コーヒーを飲むようになった。姫香がいつのまにかミルクティーになっていたように、僕も成長したのだ。いつかそれを姫香に見せたくて。
ピンポーン
来客のチャイムがなった。
母親が玄関に出て行く足音が聞こえる。
そして
「陽平ー。おりてらっしゃい」
なんだよ、と思った。
押し売りとか?
僕なんか役にたたないけど、人数で勝負するつもりだというなら仕方ない。早々に帰ってもらおう。
僕は部屋をでて、階段を降りた。
とん、とん、とん、ゆっくりと。
下ではクスクスと笑い声がしている。
笑い声? どこかで聞いたことのあるような──。
とんとんとん、ばたばたばたばたっ
思わず早足で階段を降りる。踏み外して転びそうになった。
でも。
「陽平っひさしぶりっ」
明るい声が聞こえて、僕は踏みとどまった。
──私の本当の希望、叶えてくれる? 私の居場所はここにのこしておいて。
メロンソーダのペットボトルを持って、姫香が笑っていた。
また会えたら。
また会うことがあったら。
──もうコーヒーしか飲まないんだよ。
そう言ってコーヒーを飲んでやろうと思っていたのに。
姫香が差し出してくれたメロンソーダを、僕は素直に受け取ってしまった。じいっと姫香を見つめてしまう。
本物の、姫香だった。2年ぶりの、姫香だった。
「もう、陽平、いくら嬉しいからって見すぎだよ」
「ごめ、ごめん」
でもまだ目の前に姫香がいることが信じられなくて。
視線を外すことができなかった。
すると、姫香は照れくさそうに笑った。
ペロッと小さく舌をだして。
「私の希望、かなっちゃったんだ。一番喜ぶこと。ここにもどってきて、陽平と一緒にいたいなっていう──」