あの鬼ごっこ事件から数週間が経とうとしていた。
【リデルガ】では平穏な日々が続いている。
数週間前にあんな出来事がかったなんて想像もつかないくらいに。
海偉に噛まれた翼は意識を失い数日間眠っていた。その間に暗血線と六花のおかげで早々と色々のことは片付いたらしい。
元貴族の蘭寿家で匿われていた子ども達は無事【リアゾン】の養護施設に送られ、鬼ごっこに関わっていた貴族達は階級剥奪の上、暗血線送りになったという。
首謀者である蘭寿家改め紅羽家の刻、夜々は逃走。現在も見つかっていない。
そしてヴァンプ化の能力を持っている珀は死亡が確認された。
数ヶ月前【学園】での舞踏会中に謎の子ども達が貴族を襲った事件は珀によりヴァンプ化した人間種の子どもだったことが分かった。
当の本人である珀が死亡した事からこの事件は幕を下ろした。
御影は事件の詳細が書かれた資料を見ながらため息をつく。
全て手の内で踊らされたような感覚に陥っていた。
「…はぁ…」
【学園】での舞踏会の事件後 母親である紫檀が言った。
『この件には首を突っ込むな』
あの言葉は元貴族である紅羽家が関わっている事、ヴァンプ化の能力の仕業であること全て分かった上での忠告だったに違いない。
吸血種を束ねる鋳薔薇家が元六花の現在も続いている血縁を断絶出来ていない事が世にばれれば信頼はガタ落ちする。
上層部は全て秘匿とし、処理をした。
「…そういうこと」
御影ボソッと呟いた。
「どういうこと?」
横から声がし御影は視線を移す。
「琉伽」
そこには琉伽の姿があった。
「珍しい 御影が俺の気配に気づかないなんて」
「…報告書に集中してた」
「だよね、で…何が分かったの?」
琉伽は御影と距離を取りソファへと座る。
「海偉が連れ去られた理由」
そして御影は話そうと一呼吸置き口を開く。
「「珀を殺すため」」
ハモった声に御影は目を丸くする。
「なんだ分かってたの」
「分かってたというか、何となくだよ 舞踏会で謎の子どもが現れたこと その後にわざわざ人間種である海偉を攫った。これはもう『俺たちの存在に気づいてくれ』って事だよ」
琉伽はどこか一点を見つめる。
「………」
「昔ヴァンプ化の能力の話を聞いた事がある。出現した一族は少なからずその子どもが成人する前に殺したって」
「…あぁ、そうだね」
「だからさ、見た感じあの珀って俺らとそう歳変わらないでしょう?刻ってやつ相当限界だったんじゃない?」
「全て珀を殺すために仕組まれた事だったってこと…」
御影のその言葉に何だかもやもやが残るふたり。
「御影は優しいね」
「…優しい?」
「途中で気づいてたんでしょ?これは珀を殺すための茶番だって」
「………」
黙る御影に琉伽は困ったように笑った。
「ところで琉伽」
「ん?」
「体調はどう?」
御影にそんな心配をされると思っていなかった琉伽は目を開く。
「どうしたの急に…そんな心配されるとは」
一瞬ムッとした顔をした御影は琉伽の身体を眺める。
「…また痩せたんじゃない?」
「そう見える?大丈夫だよ、皆が戦っている時俺は寝てたから。十分休息取ってたよ」
琉伽は皆が屋敷に駆り出されていた間 部屋で大人しく皆の帰りを待っていた。
本当は参戦したい気持ちだったが、どうも身体が言うことをきかなかった。
そんな状態で行っても足でまといになるというのは目に見えていた。
「…琉伽」
「俺の事なんかより!翼ちゃんは大丈夫なの?海偉に噛まれたんでしょ?」
琉伽の言葉に目を逸らす御影。
「…ぁ、うん 今はもう大丈夫」
意識を取り戻した翼の身体には何の異常もなく今もう普通の生活を送っている。
「…そっか、ならいいけど、でもよくあんな方法とったね」
あんな方法…。琉伽の言うあんな方法とは海偉に翼を噛ませた事を指しているのだろう。
「賭けだったけどね…」
「翼ちゃんのダンピールの血を飲むことでヴァンプ化を止められるなんてなぁ…よく知ってたね」
「…翼は吸血種と人間種の血を体内で共存させている 翼の血を飲むことでヴァンプ化の毒を打ち消す事が出来るかもって思ったんだ」
ヴァンプ化の能力は噛んだ相手に身体の構造を変える言わば毒を噛んだ時に体内に入れる事で起こる。
「じゃあ、弦里の能力でも良かったんじゃないの?」
「弦里は吸血種だ 吸血種の血と吸血種の血では濃度が濃くなるだけ 打ち消すことは出来ない 共存できる血液を持っているダンピールの血を体内に入れる事でヴァンプ化の毒が勝らないようにした」
「…そういうこと、ってことは…」
「海偉のヴァンプ化は翼の血で抑えているだけ 危機を回避したわけじゃない 期限を伸ばしただけに過ぎないんだよ」
「…それじゃあ、これからも翼ちゃんの血を摂取し続けなければならないってこと?」
「…うん まあ能力者は死んでるし、摂取し続ければいつかは毒は消えるとは思うんだけど」
「…はぁ…本当に厄介な能力だね」
項垂れる琉伽。
「だっぁぁぁあああ!!!!」
すると大きな声と共に専用室の扉が開かれる。
そこには愁と壱夜の姿があった。
「うお、琉伽じゃねーか!久々」
「元気だね 愁」
「琉伽のこと久しぶりに見た〜琉伽ゲームしようぜ!」
「しないよ壱夜」
「なぁ!御影!」
愁はニコニコに笑いながら御影に声をかける。
「皆で別荘行こうぜ!」
その言葉に御影と琉伽は(またこいつ変なこと言ってるよ)と心の中で思ったのであった。
コンコン
自室の扉をノックする音が聞こえる。
翼は咄嗟に返事をする。
「はい」
「…ぁ、俺!海偉 血貰いに来たんだけど」
扉越しにその声を聞き、ソファーから立ち上がり扉を開けた。
そこには申し訳なさそうに立つ海偉の姿があった。翼は心の中で今日海偉が血を貰いに行くと言っていた事を思い出した。
準備するのを忘れていたのだ。
「準備するからソファにでも座ってて」
海偉は大人しく翼の部屋のソファーに座る。
あの一件以来、海偉は定期的に翼の血液を摂取することでヴァンプ化を食い止めていた。
翼は机の引き出しからナイフを取り出しスパッと手首を切る。そこから赤い血が流れ、その血を瓶に入れる。その慣れた手つきが海偉には異様に写った。
「…お前いつもそうやって採取しての?」
「…うん」
信じられないとでも言うような海偉の威圧に翼は吃どもる。ポタポタと流れる血。
いつも海偉が血液を取りに来る時は用意しており渡すだけだが採取の様子を初めて見た海偉は戸惑っている様子だった。
これはあまり人に見せるもんじゃないなと翼は強く思った。
「…ごめん」
急に謝る海偉に翼は驚く。
「俺が噛まれたせいで…本当にごめん」
申し訳ないと後悔している様子の海偉。
いつもヘラヘラと笑い軽い冗談と立ち回りの良さで御影達六花にも堂々としている海偉のこんな苦しそうな表情は初めてだった。
「謝らないで…私役に立てて嬉しいから」
「役に…?」
「うん、今までずっとダンピールである事が嫌でどうして生まれてきたんだろうって思ってたから こうして私の血が役に立てて嬉しい」
「………」
「生まれてきたかいが少しでもあったかも」
そう微笑む翼の姿に海偉は目を反らせなかった。
手首から流れる鮮血、海偉はソファーから立ち上がり翼へと足を進める。
「…海偉さ、ん?」
翼の傍まで来た海偉はそっと翼の手首を握る。
そして翼の手首から流れる血をそっと舐めとった。
その海偉の行動にびっくりした翼は反射的に後ずさろうとするがガクッと足の力が抜けた。
咄嗟に翼の腰を支える海偉。
「……」
「……」
バチッと目が合うふたり。
何とも言えない空気感がふたりを襲う。
「お兄、血貰えた?」
ノックもせず開いた扉には不思議そうにふたりを見つめる陸玖の姿。
「ぇ…なに」
翼の腰に手を当て手首を握っている海偉、赤面している翼。その光景に陸玖は怪訝な表情をする。
「り、陸玖…貰えた!貰えた!さあ!【学園】に向かうぞ〜!」
慌てる海偉は血の入った小瓶を取り翼に「じゃっ!」と挨拶をし陸玖の手を引き颯爽と部屋から出て行った。
廊下からは「え!何今の?何してたの?お兄」と陸玖の声が聞こえた。
ひとり部屋に残された翼は自分の身体が熱くなるのが分かった。
手首から流れる血を自分の舌で舐めとる。
「…御影の血飲みたい」
誰もいない部屋でぽつりと呟いた。
ぎゅっと握られた手首。
陸玖より数歩前を早足で歩いて行く海偉。
陸玖は海偉の後ろ姿を眺めていた。
-耳が赤くなってる…
さっきの光景を思い出しながら陸玖はふふっと笑う。
「…なんだよ」
「別に〜、お兄今の暴君野郎にばれたら殺されるよ」
ピタッと足を止める海偉の背中に思いっきり突撃した陸玖。
「…痛っ」
「…だよなぁ〜…うわ〜俺マジで何してんだよ〜、陸玖 内緒な〜」
情けない顔の海偉に陸玖は渋々返事をする。
「…はいはい、分かった 分かったよ ほら【学園】行くよ」
そうしてふたりは【学園】へと向かった。
「海だー!!!」
「いえいー!!!!」
海に向かって砂浜を駆ける愁と壱夜。
その後ろにぞろぞろとはしゃぐふたりを見つめる御一行。
「本当に元気ですわね」
「そりゃ愁と壱夜だもん 元気が取り柄のふたりだからね〜」
かぐやと真理愛は呆れたようにはしゃぐふたりを眺める。
「パラソルどこに立てる?」
「ここでいいんじゃない?」
弦里と琉伽は日陰を模索し庵は日陰で身を隠し御影はただじっと暑い太陽を眺めていた。
「…大丈夫?」
翼は咄嗟に声をかける。
「うん、大丈夫だよ」
その言葉に頷き、翼は目の前に広がる海を眺める。大きな広い青い海。その広大さに驚きつつこんな光景を見れる日が来たのかと感慨深く思う。
「もしかして、翼 海初めて?」
「…うん」
その翼の言葉にその場にいた全員が翼を見る。
「嘘嘘嘘!本当に!?翼ちゃん!」
「本当ですか?翼さん!」
真理愛とかぐやが慌てながら翼に寄っていく。
【リデルガ】と【リアゾン】は海に囲まれた島国。少し移動をすればどの地域に住んでいても海はさほど珍しいものではない。
「…はは、本当になんて言ったらいいか」
「……」
項垂れる弦里と言葉が出ない琉伽。
その言葉を聞いて海に走って行った愁と壱夜が駆け足で戻ってくる。
「翼!行くぞ!」
「へっ?」
「ほら!真理愛も!」
愁は翼の手を壱夜は真理愛の手を引っ張り海に走っていく4人。
そう御影達一行は別荘に来ていたのだ。
季節は夏、舞踏会事件が起こり解決に勤しんでいた春気づけば季節は夏へと移り代わっていた。【学園】は長期休みに入り、各々自由に休みを満喫しようとしていたが、愁の一言から始まった。
ことは数週間前に遡る。
「皆で別荘行こうぜ!」
「「別荘?」」
御影と琉伽の言葉がハモる。
「別荘だよ!昔よく行ってたでしょ!御影の別荘!」
壱夜の言葉に御影は深く考え「あー…」と微かな記憶が蘇る。
時期六花として顔合わせをした頃から六花の六人は夏に御影の別荘で過ごしていた。企画者は愁の父親、将来この国を支える六花だから親睦を深めた方がいいと言われ夏は別荘で子ども六人で過ごしていた。
それももう年齢を重ねると共に気づいたらそんな行事も無くなっていた。
「行ってたね 覚えてる?御影」
「…なんとなく」
琉伽の言葉に曖昧な返事をする御影。
確かに覚えてはいる、覚えてはいるのだが…。
記憶にモヤがかかっているかのように鮮明には思い出せないでいた。
「だーかーらー!今年は皆でぱーっと遊んで楽しい思い出作ろうぜ!」
御影は考える。
あの場所は海も山もあり自然豊か、夏には避暑地として人気のあるエリアだ。翼もいる事だし皆で行ってもいいかもしれないと心の中で思う。
「…そうだな」
「おお!御影からのお許しが出た!」
愁と壱夜の目がパッと明るくなりふたりして喜ぶ。
「いいの?御影」
「まあ、たまにはいいんじゃない?」
「…そう」
琉伽は御影の横顔を眺める。
琉伽の中であの日のことが思い出される。
(何も起こらないといいけど)
そっと心の中で呟いた。
「うぃーす」
すると専用室の扉が開き海偉と陸玖が現れる。
海偉は御影と視線が合い気まずそうに視線を逸らす。先程の翼との事を思い出していたからだ。
御影はその海偉の様子を不思議に思う。
「?」
「お!海偉!陸玖!いい所に!」
「なに?」
「お前らも行こうぜ!別荘!」
「「別荘?」」
ということで彼らは別荘に来ていた。
避暑地という事もあり中心街よりも気温は低く過ごしやすい気温。海が初めてな翼は物珍しいのか愁と壱夜、真理愛に見守られながら波を警戒している。その様子を見て愁と壱夜はゲラゲラと笑う。
「何あれ、何してんの?」
「あ、陸玖ちゃん 海偉 来てくれたんだ」
ふたりの存在に気づく琉伽。
陸玖は波を怖がる翼を見て眉間に皺を寄せている。
「海初めてなんだって」
弦里の言葉に海偉と陸玖は言葉にならない声を上げる。
「…嘘だろ【リアゾン】にも海はあるぞ」
「てか海に囲まれてるんだから、行ったことないとかあんの?」
ふたりは困惑の表情をする。
「それだけ、軟禁状態だったって事だろう」
日陰に避難していた庵が準備されたパラソルの下へと入り一言発する。
庵のその言葉にそこにいた全員が少し暗い気持ちになった。
陸玖は羽織っていたパーカーを海偉に投げ渡し、ササッと海の方へと走っていく。
そして、怖がる翼の手を取り海の中へと入って行った。
「陸玖さん、優しいですよね」
かぐやの言葉に海偉はふっと笑う。
「そうなんだよな〜あぁ見えてうちの妹優しいのよ」
海ではしゃぐ五人を微笑ましく眺める。
「海偉、ほら」
「お、さんきゅ」
弦里は持ってきていた炭酸ジュースを海偉に渡し、御影や庵、かぐやそして琉伽にも渡す。
海偉は炭酸ジュースの蓋を開けごくっと喉を潤す。
弦里と琉伽が用意したパラソルの下でシートを敷きそれぞれ日陰でリラックスする。
「海偉良く来れたね」
弦里が海偉に話しかける。
「あ〜まあ?」
曖昧な返事をする海偉に琉伽は言葉を続ける。
「親父さんの許可出たんだ?」
「いや、出てない」
「「え」」
弦里と琉伽は顔を見合わせる。
「まあ、バレないだろ」
引きつった笑顔の海偉に弦里も琉伽も頭を抱えるしかなかった。
交流が再開されたからといって【リアゾン】と【リデルガ】を行き来出来るのは六花とハンターの一族のみ。国同士の公の場での交流の為に許可されているのであって私用は以ての外である。
これがバレたらまあ何を言われるか分からない。
「本当無茶な事をする」
ボソッと呟く御影。
「お前らが誘って来たんだろー!特にあいつ等!」
海偉は海ではしゃぐ愁と壱夜を指差す。
「まあまあ、せっかくなんだから楽しもうよ」
琉伽の言葉に頷く海偉。
「庵様 暑いですか?うちわで仰ぎますわよ?」
「いや、いい 大丈夫だ」
「でも暑い所は苦手ですわよね?ほら、遠慮なさらず」
「…ぁ、あぁ」
海偉の隣でいちゃいちゃする庵とかぐや。
「お前らは本当に人目もはばからず…」
見ているだけでこっちが暑くなるわと吐き捨てる海偉。
「庵だからね〜」
「かぐやだからね〜」
弦里と琉伽はこの光景を楽しみながらふたりでねーっと顔を合わせる。
「べ、別に!いちゃいちゃしているわけでは!」
庵は顔を赤く染め慌てて弁解をする。
「そうですわよ!庵様は特に暑いのが苦手ですから 体調が悪くなっては元もこうもありません!」
「吸血種は皆暑さに弱いだろ」
海偉の呆れた言葉にかぐやはぷくっと頬を膨らませる。
「庵様は特に!ですわ!」
「あ〜そーですかー」
面倒くさくなった海偉は海ではしゃぐ五人に目をやる。楽しそうに笑う陸玖の姿に来てよかったと素直に思った。
海偉自身もせっかく海に来たのだ泳がないと損だと思い着ているパーカーを脱ぐ。
「お前ら泳がねーの?」
パラソルの下から一向に動こうとしない5人に声をかける。
「「「「「行ってらしゃい」」」」」
「…なんで来たんだよ」
そんな五人を置いて海偉は海へ向かった。
初めての海を満喫した翼は夕食の準備に励んでいた。思う存分海ではしゃぎ今までの人生の中で一番笑った日になった。
海で遊んだ後御影の別荘へと向かった翼達。
なんとなく御影の別荘を想像していたがこれまた想像以上の大きさに戸惑った。
やはり御影は只者ではないということを再認識させられた。
そんな事を考えながら広すぎる厨房で夕食の準備をする翼。
「庵が料理作れるなんて驚きだよー」
真理愛は隣で手際よく料理をする庵に驚きを隠せないでいた。
「料理だけじゃなく庵様はスイーツも作れるのです!真理愛ちゃん!」
庵が料理をする姿にうきうきなかぐや。
「え、嘘!知らなかった!」
真理愛とかぐやに挟まれて凝視される庵は何処か落ち着きがない。
「あまり見られるとやりづらい」
「え〜だって手馴れすぎてて見てて気持ちいいんだもん」
真理愛の言う通り本当に手際がいい。
無駄な動きがなく淡々とこなしていく様は普段からしていないと出せない要領の良さだ。
翼はその動きを見つつも自身に任された仕事をこなしていく。
「翼ちゃんも手際良いよね」
「ありがとう、家で作ってたから」
「凄いなあ〜、私なんて厨房に立たせて貰えないんだよ〜」
「真理愛ちゃん達は仕方ないよ 使用人さんいるんでしょう?」
「うん、仕事奪っちゃう事になるしね〜ってそうだよ!普通やらせて貰えないんだよ!なんで庵出来るの!?」
真理愛の疑問を聞いてかぐやはにこにこ笑う。
「何故かと言うとですね!」
「家の方針だ」
かぐやが言いたげな顔していたにも関わらず庵に言われた事に少しがっかりするかぐや。
「方針?」
「南雲家は誰でも家事は出来るよう教育されてる 母上の方針だ」
「え?庵のお母様ってあのふわふわしておっとりした雰囲気の天鞠様だよね…」
「…そうだが?」
真理愛はあの天鞠様の優しい笑顔を思い出していた。一度だけ庵の屋敷にかぐやと行った時にたまたま対面した。六花の妻になる人物というのは箱入り中の箱入り娘だ。昔から使用人が身の回りの世話をするのが当たり前の生活の中で家事が出来るように教育されているのに真理愛は驚く。ましてやあのおっとりした天鞠てまり様だ。そう言った教育をする様には見えなかった。
「庵様はお部屋もご自分でお掃除するのです ねっ?庵様」
「あぁ」
「えー!そんな事までするの!?でもなんで?」
「…昔からそうだったから分からん ただ母上はいつも自分の事は自分で出来るようになりなさと言っていたな」
「へぇ〜、時期六花のお母様達の中では珍しい考えの方ね」
「…そうだな」
翼はこの会話を聞いて頭にはてなが浮かぶ。
【リアゾン】ではごく普通の考えだ。母親というのは子どもが困らないよう自分の身の回りの事は出来るよう躾るのが一般的だ。
「でも私わたくしは天鞠様の考えは凄く素敵だと思いますわ」
「そうだね!私も好き!」
真理愛とかぐやはにこにこと笑い合う。
「………」
ふたりに挟まれた庵は自分の母親が褒められているのがむず痒かった。
「ねえねえ、翼ちゃん!」
「?」
「【リアゾン】ではやっぱり自分の事は自分でするの?」
真理愛の言葉に翼は頷いた。
「家庭それぞれだと思うけど、身の回りの事は自分でやるって言うのは一般的だと思うよ」
「やっぱりそうなんだ」
「まあ、俺たちは貴族の中でも位が上だ 下級のもの達は自分の事は自分でするのが当たり前だろう 使用人に任せる等上流階級の貴族だけだと思うが」
「確かに!庵頭良い!」
「ふふふ」
かぐやが微笑ましく笑う。
「私も天鞠様みたいなお母様が良かったなぁ〜」
「私わたくしもです」
「真理愛ちゃんとかぐやちゃんののお母様はどんな人なの?」
翼は気になり言葉を発した。
その言葉に真理愛が口を開く。
「ん〜私のお母様はなんて言うのかなあ あまり子どもに関心ないんだ〜私を生んだのは六花に嫁ぐ為の条件だったから生んだだけ あまり部屋から出てこないし」
「…そう、なんだ」
明るい真理愛からは想像し難い母親で翼は聞いてはいけない話を聞いてしまったと後悔する。
「そんなもんだろ 時期六花の母親なんて」
翼の表情を察して庵は言葉を紡ぐ。
「かぐやの母上も真理愛と似たようなもんだ」
「私わたくしのお母様も嫌々 私わたくしを生んで今はもうこの世にはおりません 時期六花に嫁ぐ子どもを生むのが分家の女に課せられた使命 家に縛られ自由のきかない人生だと感じる女性は少なくありませんから」
「……」
国のトップに君臨する一族にはそれぞれ考えられないしがらみがあるのだと翼は実感した。
御影も母親とはいい関係ではない様子だったし、大人の世界も色々あるのだと悟る。
「だからね、庵のお母様は特別だよ」
「そうですね、私わたくしを本当の娘の様に可愛がってくれますから」
「ね〜天鞠様本当に素敵だよね〜」
「…もう母上の話題はいい」
少し恥ずかしくなった庵は頬を少し赤らめながら話題を遮った。そして庵は翼に視線を向ける。
「おい、そっちは出来たんだろうな」
「…あ、うん もう出来る」
「も〜!庵!おいじゃない!翼ちゃん!名前があるのにおいとはなにー!」
真理愛はぽかぽかと庵の背中を殴る。
それに鬱陶しいという表情をしながら料理を皿に盛り付けていく。
「うわあ!美味しそう〜」
ぽかぽかと殴る手を止め真理愛は料理に興味津々。
「ほら、持っていけ」
「はーい!」
庵は真理愛に料理を渡し、リビングにある大きなダイニングテーブルに料理を運んでいく真理愛。
作られた料理がテーブルの上に並べられていく。
人数が多い分、料理の数も多い。
「おお〜!美味しそう!」
いい匂いに釣られて壱夜がリビングに顔を出す。
「ね!美味しそうだよね〜お腹空いちゃったよ〜」
壱夜の言葉に真理愛が答える。
「真理愛が作ったのどれ?」
「え、私手伝いしかしてないから…」
「じゃあ、手伝ったのはどれ?」
優しく笑う壱夜。
「これ…ポテトサラダ…じゃがいもの皮剥いだ…」
「うん!美味しそう!1番に食べるわ!」
その笑顔に少しドキッとした。
「ほ、ほら!早く皆呼んできて!」
「はーい!」
皆を呼びに行った壱夜の背中をただ真理愛は眺めていた。ドキリと脈打つ心臓に手を当て落ち着かす。
「…もう…」
高くなる体温が引くのをただただ待っていた。
「真理愛ちゃん?どうしたんです?顔赤いですよ?」
「か、かぐや!なんでもないなんでもない!あはは」
誤魔化しきれない誤魔化し方でまだ運ばれていない料理を受け取りに行った。
何かが変わった自分に気づかないふりをして…。
「あ〜!美味しかった!」
「「「「「「「「「「ご馳走様でした〜!」」」」」」」」」」
真理愛はテーブルに並べられた空の皿を見て呟やいた。皆でテーブルを囲い何でもない会話をしながら頂く食事は本当に楽しかった。
真理愛はサッと立ち上がり空になった皿を重ね台所の流し台へと運ぶ。
すると翼も一緒に片付けをし始める。
「真理愛、翼 俺片付けするから」
すると壱夜に声をかけられた。
「ぇ、いいよ?片付けするよ」
真理愛の言葉に頷く翼。
リビングでは皿の無くなったテーブルの上をかぐやがナフキンで拭いている。
片付けもせっせと女の子で機敏に動いていた。
「俺もやるよ」
その声と共に翼の持っていた皿が目の前から消える。翼はその皿を追いながら顔を上げるとそこには御影がいた。
御影は翼の持っていた皿を持ち流しに置き、洗い始める。
その姿を他の10人はポカーンと眺める。
「いやいや!ちょっ御影!」
愁は御影のまさかの行動に声を上げた。
次期当主である御影に家事をやらすなんて事があってはならない。
「み、御影 私たちでやるからそんな事しなくていいよ!!」
真理愛が慌てて声を上げる。
「御影様!私わたくしがやりますわ!スポンジを置いて下さい!」
テーブルを拭いていたかぐやが慌てて御影からスポンジを取り上げる。
「次期当主であるあなたがそんな事しなくていいのですよ?」
慌てたかぐやが御影に言う。
その言葉を聞いた御影はポツリと呟いた。
「…そうか」
少し寂しそうに言う御影に全員が呆気に取られる。
(したかったの?)
(したかったのか?)
そこにいた全員が思った。
「ねぇ、ちょっと拗ねてない?」
陸玖はリビングのソファーに座りテレビを眺める御影の背中を見て隣に座る琉伽に話しかける。
「…ぁ〜、うん そうだね」
せっせと片付けをする三人の姿に視線を移す。
真理愛とかぐや、翼が片付けをしていた。
先程の御影の言動に全員が驚き、制しした。
まさか、あんな言葉が出るなんて誰も思いやしなかった。
全員に制しされた、御影は何だか拗ねているような気がする。
「そんなに皿洗いしたかったのかな?」
「ん〜、好奇心…かな?家では使用人が全てやるから…」
「…好奇心、ねぇ〜」
御影の背中を眺めながら陸玖は呟いた。
御影の右隣には庵、左隣には海偉が座っており海偉がふたりに一方的に話しかけ何かケラケラと笑っている。
陸玖は御影から海偉に視線を移す。
(まあ、分からなくもないけど…)
そう心の中で呟き、昔のことを思い出していた。
海偉も言わば御影と規模は違うが【リアゾン】を統治するハンターの一族の跡取りだ。
今はふたりで住んでいるが、昔は家に使用人がいた。身の回りは全て使用人が行い、私たちはハンターの修行と学校以外の事は何もしていなかった。楽と言えば楽だがどことなく窮屈しさを感じ条件付きでふたりで暮らし始めたのだった。
「翼ちゃん、ここはもう大丈夫だからせっかくだし屋敷見てきたら?」
「そうですよ!せっかくですし!」
真理愛とかぐやの言葉に翼は首を振る。
「いいよ、まだ片付けあるし…」
「ふたり居るんだから大丈夫だよ〜!この屋敷本当に広いの!あんまり来れないから見ておいでよ〜」
うんうんと隣で頷くかぐや。
ふたりの好意に負け、翼は頷いた。
「分かった、行ってくる」
「うん!行ってらっしゃい!」
そして翼はリビングを出た。
リビングを出ると大きな広い廊下が左右に広がる。
(見て回ると言っても何処に行けばいいんだろう)
翼は左右を見てキョロキョロ。
どうしようかなと考えなんとなく右側が気になり右へと足を進めた。
廊下はずっと長く、変わり映えのしない廊下をただ歩く。
淡いベージュの細いストライプの壁紙。
天井には遠感覚で控えめのシャンデリアが点々とぶら下がっている。
(本当に大きな屋敷だ)
すると大きな広間に出た。
目の前には豪華な階段が立ちはだかる。
そこを上がり2階へと足を踏み入れた。
1階とは違い薄暗い2階。使われた様子がない薄暗い2階をゆっくり歩く。
すると目の前にひとつ部屋の扉が見えた。
そこは廊下の奥にあり、ひっそりと佇んでいた。
翼は気になりドアノブに手をかけた。
その時、後ろから翼の手を覆う誰かの手が重なった。
「っ!」
柑橘系の香りがふわっと翼の鼻をかすめる。
背中にじんわりと暖かい体温を感じる。
ピタっと真後ろにくっつくのが誰か翼は大方予想が着いていた。
ゆっくり後ろを向く。
「…琉伽」
真後ろに立つ琉伽は無表情でその瞳には影を落としていた。
「…ダメだよ、ここは」
琉伽は翼の肩を掴むと翼の身体を反転させ部屋の扉に押し付けた。
「…ぃっ」
突然の事で琉伽と目が合う翼。
琉伽の瞳が薄らと目が赤くなり始め、翼は咄嗟に目を逸らし顔を覆う。
その翼の行動に琉伽も動作を止めた。
「………」
「………」
動かないふたり。
琉伽は翼の肩から手を離し、翼の手首を掴み1階の琉伽が泊まる部屋へと向かった。
ぎゅっと手首を掴む手が痛い。
翼は琉伽の大きな背中を見ながら、少し怖くなる。
勝手に部屋に入ろうとしたのは悪いが、一言も話さない異様な雰囲気の琉伽に喉の奥がキュッと締まる。
(声が出ない…)
そして1階の個室へと入るふたり。
琉伽は翼をソファーの上に少し乱暴に座らせた。
「…部屋入った?」
「…入ってない…」
その答えに琉伽は何も答えない。
「なんで目合わせないの?」
「………」
琉伽のその言葉に肩がビクつく。
翼は記憶が消されるんではないかと思い琉伽の目を見ることが出来ず俯いていた。
「記憶消されると思った?」
「………」
確かに先程の琉伽の瞳は赤かった。
あの赤い目は能力を解放した時に瞬時に変わる。
琉伽が何を考えているか分からない。
いつもは優しい雰囲気の琉伽だが、今は知らない人のように冷たい。
翼の手はひんやりと体温を失って行くのが分かる。
「おい、琉伽」
すると扉から低い声が聞こえた。
(この声…弦里?)
翼は顔を上げ扉の方へと顔を向ける。
ゆっくりと開かれた扉の先には弦里の姿があった。
「…翼ちゃん?」
怯えている翼の顔を見た弦里は眉間に皺を寄せ琉伽へと視線を移す。
「琉伽、お前何して」
「…思い出させちゃいけないんだ」
か細い声で呟く琉伽。
「思い出させちゃ…絶対に…」
「おい!琉伽!」
その瞬間目の前の琉伽の身体がぐらついたと同時に弦里は琉伽の身体を受け止めた。
「…ダメなんだ、御影が思い出す!あの部屋は入ったら絶対ダメなんだ!あの人の…」
「琉伽!!!!!」
琉伽の瞳が揺れたのが分かった。
心のない瞳、何かに怯えている。
目の前で今にも崩れそうな何かに恐怖する琉伽の瞳から翼は目が離せなかった。
「琉伽!大丈夫だ!何も思い出してない、お前がそんな不安に思うことは何一つ起きてない!だから落ち着け!」
弦里の言葉に一瞬我に戻った琉伽は自身の頭をぐちゃぐちゃとかいた。
「…翼ちゃん、ごめん」
琉伽の一言に首を振る翼。
「…琉伽、お前顔赤くないか?」
弦里の言葉に翼も琉伽の顔を覗く。
「え…?そう、かな」
「ちょっとごめんな、」
弦里は謝りながら琉伽の額に手を伸ばし体温を確認した。
「うん、お前熱いよ 熱あるよ」
「え…」
その弦里の言葉にびっくりする琉伽と翼。
「琉伽、大丈夫?寝た方がいいんじゃない?」
「ぁ、うん」
まだ心ここに在らずといった琉伽は現実感がないのか弦里に介抱されるがままベットへと腰を下ろした。
「お前は本当に昔からギリギリまで我慢するんだから明日も1日寝とけよ」
「…うん」
完全に元気を無くした琉伽はボーッとした表情で、熱所か精神面も大丈夫なのかと心配になる。
チラッと弦里を見ると扉の方へ視線を向け先に部屋から出るように促す。
翼はそっと部屋から出て、部屋の前で弦里が出てくるのを待っていた。
部屋からは何かふたりが話している声が聞こえたが内容までは聴き取れなかった。
すると弦里が部屋から出てきた。
「…ぁ、翼ちゃん」
「琉伽、大丈夫ですか?」
「うん、ちょっと熱でおかしくなってたみたい さっきはごめんね 琉伽の代わりに謝るよ」
「いえ、大丈夫です あの…」
「ん?」
琉伽が言ったあの部屋。
あの部屋には一体何があるんだろう。
それを弦里に聞いていいのだろうか…。
「あの部屋のこと?」
「…え」
まさかの弦里の言葉に喉が詰まる。
「あの部屋は…んーなんて言えばいいのかな」
弦里は言葉に詰まった。
あの部屋は俺と琉伽しか覚えていない。
誰が使っていたのか、誰の思い出が詰まっているのか御影を含めた残りのもの達はだれひとりあの部屋の存在を覚えていない。
俺たちがそうした。琉伽とふたりでそうしたんだ。
「…秘密の扉」
「…秘密?」
「そう、秘密」
「…秘密」
「翼ちゃん、君が御影を思うならあの部屋の事は誰にも言わないでほしい」
「……」
「…お願い」
そう言った弦里の言葉に翼は頷く事しか出来なかった。本当は色々と聞きたい事は山ほどあった
あの部屋は?あの人って?御影が何故出てくるの?どういう関係?
そんな疑問も口には出せず、だから翼はゆっくりと頷いた。
誰もいなくなった長い廊下。
人目につきづらい廊下の1番奥の部屋。
大きな人影がユラっと揺れた。
弦里はゆっくりその扉のドアノブを回す。
ギィィ とドアノブからは不気味な音が漏れる。
この部屋だけ時間の流れが違うかのように、淡いベージュの細いストライプの壁紙。
何も変わらない白を基調とした家具達が出迎えてくれる。
机にソファーにベット。
ベットの上には沢山のぬいぐるみ、机の上には幼いあの頃の自分の姿があった。
写真立てを取り、じっと眺める。
『弦里!』
あの声が蘇る。
『弦里と私は大きくなったら結婚するのよ!』
君と六花じゃ結婚出来ないことは君が1番分かっていた。
『ずっと一緒にいましょうね』
屈託のない無邪気な笑顔。
『弦里ー!』
いつも君は僕の名前を呼ぶんだ。
いつも、いつも…。
僕のことを見つけるのはいつだって君だった。
『弦里』
最後の言葉は
『御影をお願いね』
その言葉が耳から離れないんだ。
「…千影」
「あー!翼ちゃん!帰ってきた!」
リビングに戻ると真理愛が待ってましたと言わんばかりに両手に線香花火を持っていた。
「今花火し始めたとこなんですよ、ほら」
かぐやに花火をひとつ渡されリビングから繋がる大きなルーフバルコニーへと向かう。
そこではもう、皆がわちゃわちゃしながら花火を始めていた。
「お!翼来た!」
愁の声に反応し、その隣には御影の姿があった。
『…ダメなんだ、御影が思い出す!』
琉伽の言葉を思い出していた。
琉伽と弦里は一体何を隠しているんだろう。
「…翼?」
ボーッと御影の顔を眺めていたら、御影が翼の名前を不思議そうに呼んだ。
「…ううん」
それに気づいた翼は咄嗟に首を振った。
かぐやに渡された線香花火に愁に火をつけてもらいただじっと小さな光を眺めていた。
考えなくていい事もある、知らなくていい事もきっとある。
あの出来事はきっとその類だ。
考えなくていい、知らなくていい…。
目の前には同じ目線で線香花火を眺める御影。
その瞳には小さな線香花火の火が映っていた。
この花火のようにいつかは消える小さな光、息を吹きかけることも無くただただひっそり誰にも知られず消えていく。
それでいいのよと言うように…。
ポトッ…
「俺の負けだ」
御影が呟く。
「翼の勝ち」
「勝ち?」
「線香花火、先に火が落ちた方が負け 聞いたことない?」
「…初めて花火したから」
「「「「………」」」」
翼の一言にその場が凍る。
「御影〜墓穴掘るなよ〜」
愁の言葉に少しイラッとする御影。
「墓穴って…なんだよ」
その言葉に愁は御影の肩を持ちコソッと耳打ちする。
「翼は海も初めて花火も初めて何もかも初めてなんだよ!もうなんか見てて不憫だわ」
「逆に何が初めてじゃないんだろうな」
そこに壱夜が加わり
「もしかして…本当に娯楽という娯楽はした事ねえーのか…」
そして海偉も加わり4人は振り返り翼を見た。
「なんでもいーわ、もう!お兄も変なノリに乗らないで」
陸玖の言葉に御影以外の3人は面白くねーと言うように散った。
真理愛はかぐやと庵と線香花火を囲っている。
「わあー!真理愛の勝ちー!」
「ちっ」
「さすが真理愛ちゃんです」
「庵、今舌打ちしたわね」
あっちはあっちで揉めていた。
「…ところで琉伽様と弦里様はー…」
かぐやの言葉に皆がそう言えば…と2人の存在がないことに気づく。
「…ぁ、琉伽が熱出しちゃって弦里が付き添ってる」
「本当にか!?」
焦る庵に翼は頷いた。
「ちょっと行ってくる」
庵はサッと立ち、バルコニーから出ていった。
「本当にあいつは琉伽の事になるとあーなるんだよなー」
愁は庵の背中を眺めながら呟く。
「庵は琉伽大好きだからなー」
壱夜の言葉にぷぅと頬っぺを膨らますかぐや。
「ちょっと焼きますわ」
「かぐや大丈夫、愛されてるのはかぐやだけだから!庵の琉伽に対する感情は執着だから!執着」
そんな事を真理愛達が話している時翼はチラッと御影に目を向けた。
御影も庵の背中をジッと眺めていた。
「琉伽!大丈夫か!」
庵は勢い良く琉伽の部屋の扉を開けた。
「…庵」
そこにはベットに横たわる琉伽とベットの横の椅子に座る弦里の姿があった。
「庵、どうしたの?慌てて」
横になっていた琉伽は上体を起こしながら庵に声をかける。
「琉伽が熱出したって聞いて…熱は?高いのか?」
「あぁ、大丈夫だよ そんな高くない」
「本当か…?何か欲しいものとかあるか?」
「くっふふ」
横からの笑い声で琉伽と庵は声の方へと顔を向ける。弦里がふたりをみて笑っていた。
「…なんだその笑いは」
怪訝な顔して庵は弦里に声をかけた。
「いゃ、ごめんごめん 庵は本当に琉伽の事になるといつもの冷静さを失くすなと思って ははっ」
「…そうか?」
「そうだよ、自覚ないの?」
「………」
弦里の言葉に言葉が詰まる庵。
庵にとったら琉伽は初めての理解者だ。
初めて本音が言えた相手でもある。
「ないのか 本当に、お前ってやつは」
弦里はニコッと笑って庵の頭に手を置いてくしゃっと撫でた。
「兄面するな」
庵はその手を振りほどき、琉伽に話しかける。
「琉伽…」
「ん?」
「最近おかしくないか?」
「…最近?」
不安そうな庵に琉伽は首を傾げる。
「なんか以前より痩せたように思うし体調もずっと良くないだろう、何か隠している事があるんじゃないか?」
「…ないよ」
「…琉伽、本当の事を」
「俺が庵に隠し事なんてする訳ないだろ」
「…………」
「本当にただの風邪だよ」
「……分かった」
庵は何か諦めたように頷いたが内心では納得などカケラもしていない。
何かを隠しているのは見え見えだ。
庵はチラッと弦里の顔を見る。ただ何も言わずジッと琉伽を眺めていた。
その姿に弦里は何かを知っているんだなと確信した。
そしてそのまま庵は部屋をでた。
来た通りに長い廊下を歩く。
その長い廊下を歩きながら庵は昔のことを思い出していた。
能力が出現し始めた頃コントロールが出来ず常に人の心の声が聞こえていた。
どこにいても何をしても頭の中で声が響く。頭がどうにかなりそうだった。
そんな時…
『君が庵くん?』
母が連れてきたのは六花を継ぐ者のひとり、桃李家の琉伽だった。
その間も頭の中ではガンガンと声が響く。
気持ちが悪い…。今にも吐きそうだ。
庵は吐きそうになる身体を抑えるように丸くなる。
『うっ…』
『大丈夫!?』
琉伽は庵の背中をさするように躊躇もなく撫でる。
ドクン
その瞬間庵の心臓が跳ねたと同時に琉伽の心の声が庵に流れ始める。
『庵くん…大丈夫かな…』
『気持ち悪い?吐く?』
『どうしよう…誰か呼んだ方がいい?』
『しんどそう…何が出来る?』
『庵くん…』
琉伽の言葉は全部庵の身を案ずる言葉だけだった。今まで出会った人とは違う。
触れると心の声が聞こえると勘違いしている大人は『心の声が聞こえるなんて気持ちが悪い』『こいつが例の…』『あれが南雲家の…』『どう利用しようか』聞きたくもない声が頭を支配する。触れなくてもある程度の距離に居る者の心の声が聞こえる。触れなくとも聞こえるのだ。
気持ち悪がる者、利用しようとする者様々な声が聞こえた。
なのに…琉伽は一度も庵を気持ち悪がるような言葉もなく、ただただ心配してくれていた。
『…気持ち、悪くないの…?』
そう琉伽に聞く。
『え?何が?』
『……』
『あ!吐く?いいよ!んーと受け皿ないから手の上に吐く?吐いていいよ!』
そう言って琉伽は両手を受け皿のようにくっつけ庵の前に出した。
『……いや、それはさすがに…』
その言葉に琉伽は『だよねー、あはは』と言って笑った。それが琉伽との出会いだった。
そこから庵は琉伽と親しくなるのにそう時間はかからなかった。
琉伽は恩人だ。あの苦しく辛い子ども時代を救ってくれた。
(だから、俺は…)
そして庵はリビングへと戻った。
広い部屋に大きなベットが真ん中にドンっと置いてある。翼は【リデルガ】に来た日のように物珍しく部屋中を見渡していた。
花火をした後そろそろお開きにしようと言うことで各自用意された部屋へと向かい解散した。
「どうしたの?」
突っ立って部屋を眺める翼に御影が声をかけた。
「本当に豪華というか…広い部屋だね」
「まあ、ここがこの屋敷の1番広い部屋だからね」
翼は心の中で「へー」と相槌をうって天井のシャンデリヤや本棚に机、ありとあらゆる部屋の家具を見る。それに部屋にはトイレ、シャワー室完備だ。純粋にお金持ちって凄いと関心する。
そして翼はずっと気になっていた事を聞いた。
「えっと、私が今日泊まる部屋はここじゃないよね?」
「ここだよ」
「?」
1番広い部屋と言ったのは御影だ。
翼はまさか自分が1番広い部屋に泊まるとは思っておらず、ここは御影が泊まる部屋でまた別の部屋に案内されるのかと思っていた。
「御影は?」
「俺もここ」
「……はい?」
御影は得意げにそう言うと、ソファー上にドカッと座った。
「実は部屋が一部屋少ないんだよね」
「一部屋…」
今日ここに泊まる人数は全員で11人。
この屋敷の部屋数は10部屋。
誰かは誰かと同室になるという事だった。
だからと言って御影と同じ部屋に泊まるというのは如何なものかと翼は考えた。
「…嫌だった?」
御影はそう聞きながら翼の手を引いた。
別に嫌と言う訳では無い…ただなんと言うか男女が一晩同じ部屋というのもどうなのだろうと思っただけだ。
「嫌という訳では…」
「それは良かった!もう何回も一緒に寝た仲だもんね」
「なっ!寝たって…言い方…」
「よーし、俺は先にシャワー浴びてくるよ 翼はゆっくりしてて」
そう言って御影はシャワー室の扉の向こうに消えた。
「ゆっくりして…と言われても…」
今までにも御影の部屋に行き添い寝したり、気づいたら私の部屋で隣に御影が寝ていた事は確かにあった。でもあの時は全て正気を失っている時だ。吸血衝動に襲われたり変な夢を見てパニックになっていたり…だから正直あまり正確に覚えていない。
でも今日は違う…。しっかり正気を保っているし、記憶もばっちりだ。
だから…なんと言うか…ちょっと気恥しかったり…する。
翼はすることも無いので、本棚に目をやった。
いくつもの本の背表紙には聞いた事のないタイトルの本ばかりが並ぶ。『イグドールの森』『遥かなる蒼』『結晶の少女』タイトルだけではその物語の内容まで想像の付かないものばかり。
その中の本を一つ手に取った。パラパラと本の中身を見る。数ページごとに挿絵が入っている。
その時カタンっという音がし翼は音のした方へと視線を向けた。手に取った本が並んでいた場所の奥に本が隠されるように挟まっておりそれが倒れた音だった。そして翼はその本を手に取った。
「『薔薇摘みの儀式』…」
本のタイトルにはそう書かれていた。
翼はその本の1ページ目を開いた。
私たちは大いなる過ちを犯した。
もう二度と過ちを犯さないよう
全てをここに書き記す。
あの忌まわしき 薔薇摘みの儀式
いや
薔薇罪の儀式についてー。
「…罪」
1ページ目にはそう書かれていた。
殴り書きしたような字で…。
翼はその字に背筋が凍った。
次のページを捲ろうとする手が震える。
翼は震える手でページを捲ろうとページに触れる。
「翼?」
背後から声をかけられた翼は咄嗟に振り返り手に持っていた本を背中に隠す。
「…御影」
そこにはシャワーを浴び終えた御影の姿があった。
「…は、早いね」
「あぁ、シャワーだけだからね」
御影はしっとり濡れた髪に少し火照った頬、そしてタオルを首にかけ慌てる私の様子に首を傾げていた。
「あ、そっか」
いつもより少し色っぽい姿の御影に翼はドキドキと心臓が鳴るのが分かった。
「どうかした?」
「ぁ、いや…」
「?」
「ほ、本!」
何故か薔薇摘みの儀式について書かれた本だけは御影には知られてはいけないと思った翼は本棚を指さす。
「本?」
「あの本は御影の?」
指さされた本棚へと視線を向ける御影。
「あぁ、あの本達はお爺様の趣味だよ」
「…お爺様」
「うん、俺の祖父…お爺様は本が好きでそれも童話 よく読み聞かせしてもらったよ」
「この部屋はお爺様の?」
「元はね亡くなるまでの数年 お爺様はここで過ごしていたんだ」
お爺様の本を眺めながら話す御影の瞳は今までとは違いとても懐かしそうな暖かな目をしていた。
「…お爺様とは仲が良かったの?」
「え?」
翼のその質問に御影は目を見開いた。
「ぁ…ごめん お爺様の話をする御影がいつもと違ったから」
「いつもと?」
「うん…お母様のお話をする時は苦しそう…だけど、今は…」
「あぁ…そうだね お爺様は本当に優しい人だったから」
「……」
「お爺様は優しすぎたんだ、本当に心優しい人だった」
そう話す御影の横顔を翼はじっと眺めていた。
優しく悲しそうに話す御影の横顔が酷く恐ろしい程に美しかった。
翼はそれ以上お爺様について聞けなかった。
「さっ、もう寝ようか 翼も疲れたでしょ」
御影のその言葉に翼は頷いた。少し寂しそうに笑う御影の顔に翼は頷くしか出来なかった。ふたりでひとつのベットに潜りそれ以上言葉を交わすことなく眠りについた。