これは元々釣った魚をさばくために作ったものだったけれど、初めてその刃先を人へと向けた。

そしてなにも考えることなく、女の子の母親の頭部へと振り下ろしたのだった。

初めて食べた人間の味は、おいしかった。
映像が終わって我に返ったとき玲央奈の体は木の枝から逆さ吊りにされていた。
木の枝の上にはふたりの男の子が登っていて、起用にロープを結んでいる。

そんな玲央奈の超頭部がかち割られていて、血がボトボトと滴り落ちた。
「こうしておけば保存食になるんだよ」

近くにいた女の子の笑顔に吐き気がこみ上げてくる。
こらえきれず体を折り曲げてその場に嘔吐してしまった。

吐いても吐いても気持ち悪さは消えてくれない。
この村にいる限り、気分の悪さは続いていくだろう。

「よしできた。それじゃ鬼ごっこを再開しようか」
男の子たちがスルスルと木の枝からおりてきて声をかけてくる。

しまった。
今の間に距離を開けておくべきだったんだ。

そう思ってももう遅い子どもたちの視線はみんなこちらを向いている。
玲央奈を助けるために自分の卑劣さを暴露してしまったからだ。
まだ嘔吐感の残る体を無理やり持ち上げて走り出す。
けれどすぐに足がもつれてその場に倒れ込んでしまった。

「お姉ちゃん大丈夫? そんなんで逃げ切れる?」
後ろから子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。

でも振り向いている暇はなかった。
少しでもこの子たちとの距離を保たないといけない。

立ち上がると膝小僧がすりむけて血が出ていた。
こんなケガをするなんて子供の頃以来だ。

流れ出る血をそのままにまた一歩前に踏み出したときだった、行く手を阻むように男の子が立ちはだかった。

「へへっ。お姉ちゃんも美味しそうな匂いがするね」
クンクンと鼻をひくつかせてかいでいるのは真由の膝から流れている血の匂いだった。

彼らは野生動物のように血の匂いに敏感だった。
「本当だね。最初に食べちゃったお兄ちゃんは臭かったよね。タバコを吸っている人間は肉や血が臭くなるんだよ」

後ろからやってきた女の子も同じように鼻をきかせている。
みんな自分を食べたがっている。

それがひしひしと伝わってきて真由の顔から血の気が引いていった。
真っ青になって後ろにも前にも行くことができない。

「お姉ちゃん、捕まえた」
男の子がそう言いながら右手を伸ばしてくる。

捕まる……!!
あの怪力に1度捕まればもう二度と手を離してくれることはないだろう。

覚悟をきめてキツク目を閉じたそのときだった。
「俺は大麻をしてる」

そんな声が聞こえてきて真由は目を開けた。
子どもたちの視線が真由の後方へと向いている。

同じように振り向くと建物の前で大翔が拳を握りしめて立っていた。
「大翔、なに言ってるの?」
大麻なんてそんなの嘘だ。

大翔はタバコだって吸わない。
「今まで隠しててゴメン。でも、本当のことなんだ」

「そんな……!」
更に否定しようとしたとき子どもたちが納得の表情を浮かべた。

「お兄ちゃんからはタバコでもお酒でもない匂いがしてくると思ってた!」
「大麻だって。大麻をしている人間はどんな味がするのかな?」

「うぅ~ん、案外おいしいかもしれないよ?」
そうつぶやきながらぞろぞろと大翔へ近づいてく。

真由を捕まえようとしていた男の子も、気がつけば大翔にターゲットを変えたみたいだ。
「大翔、逃げて!!」

真由が叫んだときにはすでに大翔は5人の子供たちに取り囲まれてしまっていた。
中央で、穏やかな表情を浮かべている。
「ごめん真由、俺にできることはこれくらいしかないんだ」
「逃げでよ大翔! 大麻なんで嘘なんでしょう!?」

両目から涙が溢れて止まらない。
私を守るための嘘だ。

そう思いたかった。

「最初にやったのは高校2年生の頃だ。男の先輩に誘われてちょっとした気持ちでやった。それから自分でも購入してやるようになったんだ」

「そんなの聞きたくない!」
子どもたちの手が大翔へ伸びる。

そしてその体を掴んだ瞬間、また映像が流れ込んできた。
☆☆☆

子供たちが山におきざりにされてから気がつけば幾月か流れ、冬が来ていた。
子供たちは年長の男の子を中心としてどうにか今まで生き延びてきたのだ。

それでも元々栄養の悪い状態で育った子どもたちにとって川は深く、また流れは早かった。

何度も川を渡ろうとしたけれど、その都度失敗して元の岸へと戻ってきてしまう。
それはまるで蟻地獄の中の蟻になったような気分だった。

『寒いよぅ……』
冬になると魚はなかなか取れなくなった。

秋のうちに集めておいた木の実をすりつぶして食べていたけれど、それもそろそろ底をついてしまう。

子どもたちの肋骨は浮き上がり、うずくまったその背中からも骨が見えている。
『大丈夫だよ』

かすかに残った焚き火の周りに集まっても振ってきた雪の寒さを凌ぐことは難しくなってきた。
振り続ける雪で火は消えて、枯れ葉は湿って火がつかない。

『寒いよ、寒いよ』
飢えと寒さに凍えて身を寄せ合っていた子どもたちはひとり、またひとりと動かなくなった。

その手足は枝のように細く、雪のように真っ白だった。
☆☆☆

現実へ戻った来たとき真由は自分の頬に涙が流れていることに気がついた。
右手の甲で涙をぬぐい、子どもたちへ視線を向ける。

子どもたちは今まさに大翔に噛みつこうとしているところだった。
「ダメ!」

咄嗟に叫び声をあげると子どもたちは一瞬だけ動きを止めてこちらへ視線を向けてくるけれど、すぐに興味を失ったように大翔へ向かう。

大人になにをされても、大人がなにもしても、もうなにも怖くない。
そんな雰囲気を感じられた。

真由はどうにか立ち上がると周囲を見回して泰河の海パンを見つけた。
そちらへ駆け寄っていく。

タバコをいつも持ち歩いていたヘビースモーカーな泰河でも、さすがに川に入るときには置いてきているだろう。

そう思う反面、願うような気持ちで海パンを持ち上げた。
そのときだった。

パサッと軽いものが落ちる音がして、足元に濡れたライターとタバコが転がったのだ。
「あった!!」
まさかという気持ちでしゃがみ込み、ライターを掴む。
横にあるタバコは濡れ細ってしまい、とても吸えたものじゃなさそうだ。

それでも持っていたのは、いつもポケットに入れのと同じような感覚で海パンへ入れてしまっていたんだろう。

今はそれほどまでタバコ好きだった泰河に感謝しないといけない。
真由は両手で枯れ葉をかき集めると子供たちへ視線を向けた。

ここで子どもたちを苦しめていたのは飢えと寒さだ。
飢えはもう十分に満たしている。

だから今度は寒さから開放してあげるべきだった。
「こっちに火があるよ!!」

真由が叫ぶと子どもたちが一斉に振り向いた。
そして怪訝そうな視線を向けてくる。

「嘘つき。火なんてないじゃないか」
男の子の言葉に真由はライターをかかげて見せた。

「ここにあるよ」
真由が枯れ葉にライターを近づけると子どもたちの目が大きく見開かれた。

「寒いよぉ……」