脳みそって、こんな感じなんだ。
足元に転がる死体を見下ろしながら、名取慎二はそんなことを考えた。
もっと、何と言うかぎゅっと、固まっているモノかと。
でも今この人から出てきたのは、豆腐みたいに柔らかくて、べちゃっと崩れてしまっていて。
あ、でも、それは俺のせいか。
いっぱいいっぱい、叩いちゃったから。
ぽたぽたと、手にした鉄の棒の先から、血が滴る音が響く。
目の前の頭の割れ目から、その中身が覗けてしまっているのを見ると、我ながら見事なフルスイングだったようだ。
人を一人、殺してしまった。
だというのに、恐怖も、後悔も、悲しみも、不思議と感じていない。
今は、期待で一杯だった。
──生き残れるかもしれない。
ライバルを蹴落とし、無事にここから脱出できるただ一人に、なれるかもしれない。
じわりじわりと、遺体の頭から溢れ出る大量の血が、通路でその領土を拡大している。
同じ様に、慎二の胸中では、希望が広がっていっていた。
「名取慎二、二十二歳です。新入社員として、この店舗に配属されました。
精一杯頑張るので、よろしくお願いします」
「あれ、なとりさんって言うんね?この店で、なとり……、ふふ。紛らわしいねえ」
「面接の時にも、結構それ言われました」
「多分お客様にも言われるよ」
けらけらと笑うパートさん達の前で、慎二がそんな風に自己紹介をしたのは、もう一年半も前になる。
有名な全国チェーンの家具店に新卒として採用された慎二は、最初に佐賀県の店舗に配属された。
初めて知ること、すること、されること。
多くの事を経験しながら、慎二は新入社員として懸命に働いた。元々素直で染まりやすい性格だから、皆が真面目に働くこの店舗で、同じく真面目に働くことは、彼にとっては当たり前のことだった。
そしてそんな彼を、パートさん達はすぐに受け入れてくれた。
先輩方が、パートさんとの関係構築が最も大変だと初日の研修で言っていたから、慎二は優しいパートさん達の存在が有難かった。
生まれも育ちも東京で、この地方に友達など一人も居ない。
もちろん同期はいるが、店舗同士の距離が離れているため、簡単に会えるわけではない。
だから慎二は、パートさん達とはコミュニケーションが取れるこの職場を、気に入っていた。
加えて仕事内容も多岐に渡っていて、毎日が新鮮。
結論として、この一年と半年、時には厳しい目に遭いながらも、慎二は楽しく働いていたのだった。
研修だらけの夏を超え、出来る事が少し増えた秋と冬を超え、激務の春を超えた。
そして、長袖の制服を半袖に着替えてかなり経った頃──。
慎二は、人生を狂わせられる事となる。
「十月なのに、まだ暑かねえ」
「本当ですね、入荷作業してると汗が出てきます」
「この気温のせいで、温かい敷きパッドも毛布も、少しも売れとらん」
「本部も年間計画の見直し、そろそろしても良さそうですけどね」
午前十一時。一階の倉庫で、慎二はパートの主婦さんと、そんな会話をしていた。
大量の荷受けもひと段落して、少し落ち着いた時間帯の、ちょっとした気分転換だ。
「じゃあ僕は、家具売り場に戻りますね」
「はいはい、ありがとねえ」
ひらひらと手を振るパートさんを残し、慎二は二階へと続く非常階段を上った。
その家具店では、一階のフロアでは食器や掃除用具などの生活雑貨、いわゆるホームファッションを、二階のフロアではソファやベッドなどの大型家具を販売している。
慎二は主に家具を担当している為、基本的には二階で仕事をしている。
だが、今日は、受け取る予定の入荷商品の量が平常時より多かった為、荷受けのヘルプに入っていたのだ。
カンカン、と足音を鳴らして階段を上り切り、二階のバックヤードへと続くドアを開ける。
と、一人の男性のパートさんが、三人掛けソファの梱包をしているのが目に入った。
「ああ、東川さん、僕もやります」
慎二はそこへ慌てて駆け寄り、手伝いを申し出る。
三人掛けともなると、横幅が180㎝程にもなる。それを幾度もひっくり返し、梱包材を巻くのはかなりの重労働だ。
しかし東川さんはそんな俺を片手で制した。
そして、ぶっきらぼうに言う。
「別によかよ、一人で出来るけん」
去年の春は、東川さんの、この口調に戸惑った。嫌われているのかとさえ思った。
だが、慎二はもう知っている。
一見怖そうに見えるこの人は実は、とても優しいことを。
「でも、大きいソファですし……。それに、僕が売った現品なので」
慎二は、東川さんが手を掛けているソファに見覚えがあった。
数日前に、とあるお客様に販売したお値下げ品だ。
お店で展示として使用していた商品は、現品限りではあるが、お客様は少し安く買うことが出来る。
しかし、それをお客様の家に届けるには一度、店から営業所へ引き渡す必要があり、その前には店舗で傷が付かないように処置を施さなければならないのだ。
引き下がる慎二を、東川さんはじっと見つめる。それからぼそりと、呟くように慎二に尋ねた。
「そんな暇あるんね?自分の仕事は」
言い方こそ冷たい。が、その内には自分への気遣いが含まれていることに、慎二はすぐに気付いた。
だから、首を横に振り、笑顔で言う。
「何とかなります。元々、このソファの梱包は僕がしようと思っていましたし」
「そう。じゃあ」
くるりと背を向け、作業に戻る東川さん。
だが先程より少し、左側に移動している。
慎二のために、スペースを開けてくれたのだ。
それが嬉しくて、慎二は彼の隣に走っていった。
数十分後。
「後は僕がやっときます。東川さんは、別の仕事に入ってもらって大丈夫ですよ」
ほとんど梱包作業は終了し、後は説明書や予備パーツを準備するだけだった。
慎二の提案に、東川さんはこくりと一つ頷くと、一階のバックヤードへと向かって行った。
一人残った慎二も、残りの作業を進める。
しかしそれはものの数分で完了した為、慎二は少し考え、一度、メールを確認することにした。
何か追加の作業が本部から下りてきているかもしれないし、来週の作業一覧が見られるようになっているかも。
二階のバックヤードを後にし、一階の端にあるパソコンルームに足を運ぶ。
ドアを開け、幾つかあるパソコンの中で、空いている物を使おうとすると、
「名取さん宛てに、メール来てるよ」
と、別のパソコンを使用していた店長から声を掛けられた。
期別研修はもう少し先のはずだけどな、と思いながらメールボックスを開くと、確かに本部から一通、メールが届いている。
慎二はすぐに開いて、内容を確認した。
「特別、研修……?」
「一体何だったの?」
一回り年上の男の店長も、興味津々、といった様子で慎二に聞いてくる。
「東京の超大型店舗で行われる研修に、参加できるみたいです。なんでも、選抜されたみたいで……」
「何それ何それ、そんな研修初めて聞くんだけど」
店長と一緒に、詳細を見ていく。
内容としては、企業内最新店舗の見学や、他店研究など、当たり障りのないものだった。
しかし、参加者リストに目を通すと、その特殊さに気が付く。
役職も期も所属店舗も、ばらばらなのだ。
全員で三十人程度だが、慎二のような若手から、店長クラスと幅広く、さらに、所属店舗も北海道から沖縄まで、全国津々浦々だ。
リストを見ながら、店長は目を瞠って言った。
「これ、店舗所属の社員全員が選抜対象なんじゃないか……?だとしたら、かなりの少数精鋭選抜だぞ……!やったな、名取さん!」
「名取さん、すごいじゃない!」
近くで話を聞いていたパートさんも、一緒になって褒めてくれる。
店長は興奮して、慎二の肩をばんばんと叩いた。
「名取さん、売り上げ成績すごく良いからな。特に今年の五月以降は、毎月個人予算1000%達成してるし、そういうのが認められたのかもな」
「いえ、家具の現品が偶然、良く売れるだけですよ」
慎二は何が何だか分からず、そう謙遜するのが精一杯だった。
だが内心では、かなり有頂天になっていた。
もしかして俺、本当に優秀だったり……?同期内昇進、一番乗り出来るかもしれないのか?
妄想が膨らんでいく。
口角が上がりそうになるのを抑えるのに必死だった。
理由は何であれ、選ばれたのだという事実が、慎二に限りない喜びをもたらした。
「せっかくの機会だ、沢山学んで来いよ!」
にこにこと笑う店長の言葉に、
「はい!」
慎二も気合の入った返事をした。
だから、わくわくして臨んだ研修の一発目、集められた会議室の中でこんなアナウンスが響いた時は、仰天した。
「これから皆さんには、殺し合いをして頂きます」
と。