さよならをちゃんと言わせて。

 10年ぶりの再会が壮絶に幕を閉じて、私の頭と心の中は乱れたままだ。

 恋人である優さんにも話せずに、言えない自分がよりもどかしく、混乱させている。

 梶くんは大丈夫なの?

 痛くないか、苦しんでないか……
 心配が尽きない。

 気付けば、梶くんの事ばかり考えていて、優さんからの連絡で現実に戻る。

 梶くんと優さんと、ふたりの事を順番に考えながら、今と過去を行ったり来たり……
 頭を振々、なんとか1週間乗り切った。

 明日、優さんちに行く準備をしないとだけど、ひとりの時間はうつろな気分になりがちで……

 リーン。リーン。リーン 。

 自室の開けた窓から、鈴虫の音が聴こえてきて……その鳴き声は、私をまた10年前に連れ戻す。


 ―――中2の夏。
 夏休み最後の練習試合が終わった。

 昨日、梶くんと部室で会えたものの……今日、彼が来ることはなかった。

 突然の雨で予定より長引いた。片付けをして点検を終えた後、やっと手にしたケータイに着歴が1件あった。

 梶くん!?

 すぐリダイヤルを押してた。

 学校内で携帯電話の使用は禁止。校則なんて少しも考える余地がないくらい、昨日、この部室で梶くんと交わした言葉でいっぱいだった。

 私を呼んで―――。
 そう伝えておいたから。

 何かあった?? 
 どうしたの??

 梶くんから着信なんて初めてで、胸騒ぎとドキドキでうるさい心臓の音。

 梶くんの声が聞こえるように、耳をすまして…………

「……お客様のおかけになった番号は現在使われておりません――」

 使われてない!?

 待って、着信は……2時間前! 
 もう1回……

「……現在使われて――」

 どうして!? 
 つながらない……。

 え? 
 この番号じゃ梶くんにつながらない?
 それって、もう……

 どうしよう!
 どうやって梶くんに……

 ちからいっぱい、うんと考えてみても……
 ただ、泣きたくなるだけだった。



 ちから任せにケータイを握りしめた手がじんじんする。

 そう、この手が昨日―――

 梶くんの肩にしがみついて……
 小さく揺れる梶くんの、梶くんのこぼれた悲しさの熱を…………まだ、この手が覚えてる!

 ―――行け!!

 体の真ん中から放たれた命令に、私は走り出した―――。

 きっと、きっと、何か伝えたいことがあったはず!

 私の想い、ちゃんと梶くんに届いたなら……梶くん今、寂しいのかもしれないから!

 早く、早く!
 梶くんのもとへ行かなくちゃ!!

 ケータイを握りしめて、全力で走って。

「はぁっ、はぁっ、くっ……」

 息が切れて、喉が痛くなって。

 ただ  “  会いたい ”  。
 一心でたどり着いた、梶くんの家の前。

 ―――でも、そこに……誰かいる気配はまったくなかった。

 立ち尽くす私に、通りすがる人が教えてくれた。

「梶さんは、今日引っ越しされたよ」

 もう、梶くんは…………いなかった。

 どこに行けば会えるのか?

 なんにもわかんないし、思いつきさえしなかった。

 あぁ、たぶん、一生会えないんだろう……

 これが “ 別れ ”  なんだろう―――。


 どうして?

 どうして昨日、話してくれなかったの?
 今日、いなくなってしまうって。

 どうして私に電話くれたの?

 ……寂しかった?
 泣きたくなってない?
 梶くん……どこにいるの―――?

 せめて、もう1度、声が聞きたいよ……!

 ……会いたい。
        梶くんに会いたい!!

 あきらめきれない指先が、ケータイのボタンを押して、梶くんへ届けようとする。

 ―― 会いたい ――

 願いをこめた、その文字は、宛先が見つかりません、とメールが送れない。

 私じゃダメだった……。

 無力な私は脱力して、道端に泣き崩れる。
 夏の終わり、恋の終わりだった。



 リーン。リーン。

 鈴虫の音が、私の名を呼んでいるようで ……記憶の中の音と重なり合う。

 そうやって10年前も、梶くんの最後の言葉と耳の中で響かせては……梶くんのいなくなった秋に毎晩涙を流した。

 もしかしたらって、番号もアドレスもずっと変えなかった。

 時間が過ぎ去り、希望も面影も薄れて。
 がむしゃらに何事も高みを目指し、失恋は過ぎ去った。

 高3の冬休み、梶くんの名前をスマホで目にする。

 高校サッカーの東京代表でテレビ中継にでてる、とグループトークに流れてきた。

 その時にはもう、そっか……って。
 安心して自分の道に進んだ。

 その後、梶くんのことを耳にしたのは、成人式の同窓会だったと思う。

 プロになって、九州のチームに入ったらしいよ。

 それが、梶くんの思い出の結末だ。

 もう何年も、一度だって思い返してなかった。

 なのに……
 私は今、思い出の宝箱からガラケーとミサンガを目の前に置いて、過去から見つけようとしてる……。

 梶くんに避けられようとも、無力な私が彼の救いになれる方法を―――。



 ガラケーの照明が灯って、未送信のメールを開く。

   TO  梶 翔大
   ─ 会いたい ─

 確かに残ってる。
 あの時の私の、ありったけの心の叫びだ。

 リーン。リーン。
 耳につく、その響き音は……あの頃の私の心を連れ返して。

 リーン。リーン。
 まるで、誰か、誰かの寂しげに呼ぶ ……私を呼ぶ―――



「はっ!?」 

 ガシッ、とガラケーとミサンガをつかんで
部屋を飛び出す。

 また、あの命令が放たれた気がした。

 ―――行け!!  
 ―――梶くんに、会いに行け!!

 今度こそ、ちゃんと伝えるんだ!
 もう、次なんてないから……

 想ってるだけじゃ、願ってるだけじゃ、何も届かない。

 言葉で伝えないから、答えもわからないんだ!

 病院の裏庭を駆け抜けて、奥に建つホスピス棟の正面玄関の前。
 息を整えて、汗をぬぐった。

 胸を張って受付まで進む。
 面会名簿に記入していると、中から私を見る視線を感じた。

 春見さんだ。

 覚悟をもって来ました―――強い視線を送った。

「……梶さんはお部屋にいますよ」

 柔らかい表情を返してくれる。
 息荒らげにお礼を言ってお辞儀をした。

 もう私に迷いはない。
 ここまで走ってきたのだから。

 梶くんはここにいるのだから。

 深呼吸をして…………部屋の入口に立つ。

「梶くん!」
「っ!!」

 彼は跳ねるほど驚く。

「梶くん、少し時間をください。話があります」

 真っすぐに彼を見つめる。
 言葉が出ないようだけれど、私は続けた。

「ごめん梶くん、きっと梶くんを困らせる。けど、思い出して、教えてほしい。
 10年前……、梶くんがいなくなった時のこと」

 梶くんは何も言わない。

 けど、私達、ちゃんと向き合えてるから―――。

 だから、伝えること……止めない。

「コレ、梶くんの夢が叶うように、ケガをしないで走れるように、って願って編んだの。県大会の時に渡すつもりで。いつでも、梶くんを応援したかった」

 10年たって、やっと届けた―――少し色あせたミサンガ越しに、梶くんをより強く見つめた。

「部室で……部室で言ったことも本当だから。梶くんを、ひとりぼっちになんてさせたくないし、寂しかったら呼んでほしいって気持ちも……10年たっても変わらない!」

 少しも取りこぼしたくない視線の中で、梶くんの表情がほころんでく……

「……凜、俺……最後に、電話……」

 そうして、ぎごちなく言葉を返してくれる。

「うん。ごめん、出れなくて。試合が長引いたの、雨のせいで。でも私、梶くんの家に会いに行った。もういなかったけど……。
 梶くんが何で電話してくれたのか、聞きたかったの。だから、教えて。何を話したかったのか、教えて、梶くん!」

 ちゃんと答えを確かめたいの!

 あのとき止めた時間を……今につなげたい! 
 いま、ここで!

「凜……俺、あんとき……」

 
 
 ―――10年前。
 県予選の大事な局面、ヤラかした。

 突っ込みすぎて痛めるなんて、マジでキツイ。
 でも真野のおかげで、イケそうだ!

 ライン際でピッチを見渡し、気合い入れ直してるトコ。
 真野が、おぶって連れて帰る!
 なんてゆーから、ピッチに戻ってもツボって止まらない。

「ぶふっ、おんぶって。おもしれー」
「梶! 元気んなったな!」
「忍先輩! ちょっと……」

 ガッシリ先輩の肩回して耳打ちする。

「何コレ? 俺の方が先輩……」

「うん、知ってる。
 オレひきつけてパス出すから、先輩ゴール前ダッシュね!」

 思いつきの作戦が見事決まって、県大会出場に沸いて、みんなで沸きまくって戻ったベンチで……
 真野がめっちゃ目赤くして待ってた。

 もしかして、嬉し泣きした?
 あんなアツく負けないで……なんて。
 ちょっと、今になって恥ずっ。

「梶くん、足……」

 オレを見るなり心配そうに聞いてくる。

「ん。おんぶ」

 真野に両腕突き出して、フザけたつもりが……

「え? あぁ……」

 見る見る真野の顔が赤くなるから、なんか、オレまで照れて……。

「嘘だよ。帰ろーぜ」

 って、くすぐったい気分で最高の1日が終わった。


 県大会出場が決まって、夢がまた1つ増えた。今のチームで県代表になること。

 練習前のテーピングタイム。
 真野が昨日のをとって新しく巻いてくれる。

 「なぁ」話しかけると、「後で」って真剣モード。
 少しずつ巻き方を変えてる。勉強して覚えてきてくれたんだなぁって、感心しつつも、超ヒマすぎて……。

 そばに咲いてた花を、見つからないように真野の頭につけるってゆうゲームを始めた。

 次の日はより多く、次は葉も盛って……

 意外と鈍いんだ。頭から落ちてくる花にキョロキョロしてる真野を陰から見て笑ってた。

くだらない事が楽しくって、毎日みんなと走って。

 夢追っかけて、本当に心の底からサッカーが楽しかった。

 あの頃、あのときは、幸せでしかなかった。

 だから、なのか……
 突如、絶望のドン底に突き落とされた。


 ―――は!? 

 両親の帰りが遅いとは思ってた。
 血相悪くした親戚のおじさんが家にやって来て……

 わけもわからず、ピクリともしない両親の間に、連れてこられて……

 オレの心も死んだ。

 東京からの帰り、雨の高速でスリップ、車は大破。
 顔は見ない方がいい、と。

 酷く泣きすがるばあちゃん。
 次々オレをなぐさめてく、知らない大人達。

 オレがまだ全部理解しないうちに……勝手にかわいそうって決めつけんな!

 オレ、たくさん大切なもん持ってんだぞ!

 サッカー、みんな、県大会、父さん、母さん。

 ……そっか、全部失くすのか。

 全て、失ったんだ、今 ―――。

 オレん中、空っぽになったわ……。

 どうやっても、あがいても、取り戻せないなら―――何もしないほうがいい。
 オレが何かしようとしたら迷惑がかかる。

 心は死んだまま……
 空もない、風もない、声もしない、真っ暗の中へ―――
 オレは引き込まれてしまった。

 かわいそうなオレ、の為に……大人がいろいろしてくれる度に―――

 自分がどんどん遠くへ、どっか行っちゃう感覚。

 闇の中で迷子のようになって……帰れる場所が、ない。

 ふいに、ゴール前で倒された瞬間みたいに、すぅっと体ごともってかれる……

 もう、そのまま、落っこちそうになってた。深くて暗いトコ、沈みそうだった。


父さんと母さんが死んで、何日経ったのかもわからなくて。
 そこが通夜で、自分が何をしてるかなんて考えられなかった。

 ただ、言われた通りに動いているだけ。

 揺らめく光の中で、ゆったりと音が流れる。黒い物影が薄ボケた視界の中に、たくさん入ってきては抜けていった。

 そのとき、一筋に流れる―――明るい光が見えた気がした。

 ちゃんと、前を見て、目を見開いた光景に …………真野の泣く姿とみんなの顔を捉えた。

 ほわっ、と心が温まるのを感じたんだ。

 でも ……。

 オレ、あんな裏切りみたいな、県大会の直前で消えた罪悪感がいっぱいで、みんなに顔向けできるわけなくて。

 オレは黙っていなくなる事を選んだ。

 引っ越しの日、東京へ向かう前に手続きに回ってた。
 移動中、急にどしゃ降りの雨がふり始める。

 車の窓に打ちつける雨音と、ダラダラ流れる雨でボヤけて見える景色。

 ふと嫌な予感がした。

 父さんと母さんの姿が、チカチカと頭の中にチラついて……

 ガタガタ震えそうになる恐怖を、必死で耐えた。

 ……真野の、真野の声を思い出したら、落ち着いたんだ。

 その後、いざ親名義のケータイ解約しないとって時、途切れたんだよ……

 我慢してた、精一杯の強がりが―――。

「ばあちゃん!
 最後に電話かけたいやついるんだ!」

 少し待って、と真野を選んでボタンを押した。

 真野の声が、聞きたかったんだ……。

 ずっと、前日の部室で言われた、真野の言葉がオレん中残ってて。

 ――ひとりぼっちになんてしないから!
  私を呼んでっ――

 ただ、オレは真野に……。



 記憶をたどった俺の目に、大人の凜が映る。
 中2の真野とぼんやり見えたりして。

 あんときの俺……
 何で電話したのか?

 もし真野の声が聞けたら、何を?
 話たかって……

 オレ、何て、真野に―――
 目の前にいる凜に、思わず声がもれた。


「……寂しいから “ 会いたい ” って」


 あ、勝手に声……出た。

 過去に飛んで、錯覚したのか。
 あの頃の凜が現れたようで……今なら、凜に繋がってるからって―――

 ここに、真っすぐ俺を見てくれているから―――。


「……うん。そっか。
 ……良かった。答え、合ってた」
「……??」

 凜は納得して、安堵の表情をする。
 すごく穏やかに微笑みを浮かべるんだ。

「……まだ、間に合うかな?」
「え??」

 ボソッと言うと凜は大きく息を吸った。
 そして……。

「宣誓!!」 
「っ!?」
「あたし、真野凜は!
 正々堂々と、最後まで戦いぬくことを誓います!
 だから、サポーターでもマネージャーでも、何でもいい。大事な戦い、梶くんひとりでなんて、無視できないよ。
 ……応援、させてくれませんか?」

 じわあっと体の奥から熱くなるのがわかる。

 なんで……
 どうして……

 凜の言葉は、真っすぐ、俺の心に響くんだろう。

 いつも、力が沸いてくるんだろう……

 はっ、そうか!
 ……そうだった、の、か。

 試合前のルーティンがパッと思い浮かぶ。

 俺の戦う前のジンクス―――。
 右足首に手をあてて、祈りを捧げること。

 プレーできる事に感謝して、幸運を味方に。
 全てうまくいく!

 そんな気分になれて、知らないうちに、いつからか定着してた。

 凜……凜が、中学のとき、右足にテーピングを巻いて……手当てをしてくれた時から―――。

 ずっと。
 離れても、ずっと。

 最初に……俺に力を与えてくれたのは、凜だったのか!

 今ここで、繋がったんだ。
 俺があきらめた事、失くしたもの。ひとりで……ここで最期を待つ為に、置いてきたもの。

 あれもこれも、凜が届けに来てくれた!

悲しみも、寂しさも、強がりな見栄も。
 一緒にやっつけてあげる! 
 共に戦おう! 

 そう、約束されたみたいだ……
 凜の真っすぐな瞳が、俺に伝えている。

 ひとりで我慢しなくていい。

 そんなふうに受け取ったら、目頭まで熱くなるのを抑えられなかった。

「……梶くん?」

 涙をぬぐって、右手を差し出した。

「それ欲しい。つけて!」
「……いいの?」
「ん。マネージャーしてくれるんでしょ?」
「……はい。させてください」

 凜が涙をこぼしながら近づいてきて、ミサンガを俺の手首に結んだ。

 子供のときに戻ったみたいだ。

 一緒に泣いて、照れ笑いを浮かべて―――。

 今のこのひとときが、くすぐったいくらい……俺のまわり羽でも舞ってるみたいに、優しくてあったかい空気に包まれてる。

 10年越しに巻かれたミサンガと同じように、止まってた俺たちの時間も、過去と結ばれた気がしたんだ。





「あ、梶くん居た。良かった」

 暗がりの窓から入り込む声。
 突然で驚いた。

「凜! 何? 仕事帰り?」
「うん。はちみつレモン作ってきたよ。梶くん試合の時よく食べてたよねー」

 受付行く前に渡しておく、と凜はニコニコして窓から侵入。
 病棟出入口より外のテラスを通った方が、俺の部屋に近道だ。

 そうしてまた外に出て、受付を通り、凜は廊下から俺の部屋に入ってくる。

 2回目も……

「梶くん!」 
「うお!? びっくりしたっ」
「はい、これ。ゼリーと真野グリーンティー。ははは」

 春見さんたちにも差し入れしよう、って。
 そのまた次も……

「今晩は!」 
「……真野」
「きれいでしょう!? ひまわり。近所の花屋さんがサービスしてくれてね」
「凜さぁ……」 
「ん? 受付行ってくるね」

 俺、しくったわ 。

 真野がクソ真面目だったの忘れてた。
 世話好きなのも強化されてる。

 マジで部活かなんかと勘違いしてねーか?
 仕事してんのに1日おきにやってくる。

 また来なかった、そう思わせないように?

 登場の仕方だって……一番に顔が見たい(ニコッ)みたいなさぁ 。

 ……デレを突いてくるなよっ!

 昔は、じっと真顔で 「 ハイ。ハイ」って。

 女って大人になると、ガラッと変わんだな。
 仕草も視線も表情も……戸惑う。

 俺の知らない真野になってて!

 距離感つかめねーし、その左手のキラッキラ見るたんび……
 悪いなって。

 それ、はめた男が真野を変えたんだろ?

 俺、うまく誘導作戦かけないと、凜の先制攻撃にハメられる気がする。


☆☆☆


 休日。
 凜は午前中から面会に来た。

 ここの庭がキレイだと言うので、花壇の奥にあるベンチに連れて行った。

 柵の向こう側に、街を見下ろして、遠くの海と空が見渡せる。
 今の俺ん中で一番の映えスポット。

 凜も気に入ったみたいで……マズイ!

 ベストスマイル、引き出してしまった。

「そ、そー言えば!」 
「ん?」

 俺は慌てて話を反らす。

「春見さんがさ、俺らのこと、不倫の関係って勘違いしてたんだよ」
「ええっ!?」

 凜が 「これのせい!?」 と左手を見せる。キラッと指輪が光った。
 俺はそうだと何度もうなずく。

「ちゃんと訂正しといたから。んで、全部話しちゃった。ヒマだったから。
 中学ん時から、あーでこーで、この前再会して、ミサンガ貰ってって」
「全部!?」
「もう、包み隠さず」 
「うわ、恥ずかしー」
「そしたら、春見さん、涙目になってて。ふは」
「ちょ、梶くん、盛った?」
「んー少し!
 楽しーから春見さんイジってて、あれって後ろ見たらさ……師長ガチ泣き。ははは」
「師長さんが!? あの強面の?」


 それは退屈しのぎのひととき―――。

「違う! 違う! 真野は同級生だから!」

 ナースセンターに俺の荒げた声が響いた。
 春見さんがカウンター越しに、「良くないですよ……不倫なんて」俺にヒソヒソとしてきたもんで。

 ポカン、の後の反動だった。
 真野の差し入れを届けに来たひと幕の事だ。

「あ〜、アイツ婚約者いるんだ。あの日が10年振りの再会で、ホント俺もそん時知って……」

 ぽけ〜っと、本当に?
 みたいな顔で春見さんが見る。

 この人、天然?
 ハズい気はあるけど、しゃーないっ!
 真野を悪い目で見られるのは……嫌だ。

「真野はめっちゃイイ子だよ!
 俺ら中学のサッカー部で……―――」

 思い出たどりながら。

 ケガしても面倒見てくれて、両親の葬式の時や、部室でスゲー優しい言葉をかけて貰った事も、必至で語ってた。

 俺自身、染み染みしながら。

「そんで、この前ここの裏庭でボールぶつけたのが真野との再会……」
「僕てっきり、ふたりのムードからして、色々こじらせてるのかと……」
「ウケるっ。病気バレちゃってさ。俺……ひっそり終わらせる為にここ来たから。見舞いとか断ったんだけど。真野は昔から世話好きだから。このミサンガも……10年前作ってくれてたんだって。とっててくれたの、わざわざ、届けに来てくれてさ……」

 と思い出しながら話した。
 真野が結んでくれたそれを、マジマジと見つめた。

 もう、何度目だっての……
 嬉しかったんだよ、すごく。

「俺ね、両親が死んで……がむしゃらに生きてくしかないって、気張ってたんだけど……違ったんだね」

 こうゆう真野の思いやりが、ずっと俺の中に残ってた事、気付いたから……

 それで、また約束をしてくれたから……

「真野が宣誓してくれたんだ。
 最後まで戦い抜くことを誓う、って。
 子供ん時からさ、俺をひとりにしないって……マジで訴えんのね。真野は俺の応援団長で、マネージャーだから、春見さんも……?」

 ちらっと見た春見さんの目に、涙があるような……

「え? あれ? まさかの……うるキュン?」

 目を合わせようとしない春見さんを、イタズラに四方八方から眺めて。
 暇つぶしにもうチョイ絡んでみようかと……

「……グスッ」
「「 !?!? 」」

 ふたりですすり泣きの音の方へ振り向くと、デスクワーク中の師長が目頭押さえちゃって。

「尊っ。……やだ、止まんないわ」
「師長!? だいじょぶですかっ」
「え? ガチ泣き? あらら……」

―――「ってなことがあってさ、マジ春見さんと焦ったわ〜」「それは、よきよきで」―――

 っていう(てい)のこれは前フリで……。

「ほんと、イイ人達でさぁ」
「うんうん」
「居心地良くてさぁ」 
「良かった」

 ヨシ。俺の誘導が効いてきた。

「……だから、俺、大丈夫だよ。凜が無理して会いに来なくてもさ」

 爽やかキメて、サクッと言えた。
 けど、すぐ凜の表情が曇ってく。

「梶くん……私、無理してないよ。だって…… あっ、こんにちは」
「?」

 誰かやって来たのに気付いて、凜が会釈した。

 夫婦だろうか。車椅子の男性は入居者だと思う。

 ふたりでかしこまった所で、甲高い声が響いてくる。

「あー! お兄さん!」

 元気に走ってくる男の子は、あの時の……

「「 あぁ!! 」」

 凜と顔を見合わせて。裏庭の!

「お兄さん、またサッカーしよう!」

 ボールを満面の笑顔で、俺に突き出す。

「隆平!」

 母親のひと声が、すぐかぶさった。
 俺、もう……。

「私が!」

 渋った俺の横から、凜はそそくさとボールをとる。

「ね? 一緒に遊んでくれる?」
「うん!」

 凜が俺に 『行ってくる』と視線を送るので、『 わかった』と小さくうなずいた。

 母親も用事が、と一礼して離れて行き……
 俺は楽しそうに裏庭に下りていく、後ろ姿の凜と隆平君を微笑ましく見送っていた。

 二人に出逢ったときの事を思い出しながら―――
 それは、ホスピスに入居して3日目の事だった。

「はぁ〜。やっと終わった……」

 トボトボと俺は病院の裏庭に出てきた。背伸びをして、新鮮な外の空気を吸い込む。

 今日は朝から検査の連続……疲れた。一日中、もう夕方だもんな。

 ん? 
 サッカーしてる……

 裏庭で小さな男の子が、ひとりでボールを蹴っては追いかけ……汗だくだ。

 いいよな…‥夢中で。

 微笑ましい光景に出会った。体がワクワクと疼きだしてくる……。

「なぁ少年! これあげる!」

 さっき買ったスポドリを男の子に向けた。

「っ!? …………」 
「ん??」

 じーっと、俺の顔を黙って見つめる。

「……誘拐?」 
「違うしっ」

 まだ暑いから飲まないとへばる!
 俺が言うと「ありがと」って……

 しっかりしてるけど、仕草がまだ幼い。
 こんなトコでひとりで遊んでるってことは、……この子もワケありか。

「一緒練習する? 一応、プロだったんだ俺……??」
「(キラーン☆)!!」
「ははっ! よし、パスして!」

 久しぶりの芝の上、誰かとサッカーなんて……
 ひとりじゃない。やっぱ、いいな。俺の方が楽しんじゃってるし。

 でも、カラダ重っ。キツイ……
 俺の方がへばってしまった。

「ねぇ、お兄さん。
 ボール、空まで高く蹴れる?」
「高く?」

 この前テレビで見たんだ、と真上に蹴り上げるポーズを真似してる。

 あーね。
 子供は高いの、何でも好きだよな。

 空までか……
 届くと、いいな……。

 きっと、これが、思いっきり蹴れる最期の……

「おーし。落ちて来る時、気をつけろよ」
「わぁい♪」

 飛び跳ねて期待する少年の横で、俺は最終調整をして……よしっ!

 バァァンッ!!

「……っ!」
「ワァー!」

 ボールは瞬く間に打ち上がったが、俺の足がピリッとヤられた。
 しかも、ちょいズレたぞ……軌道が。

 つった足の痛みを堪えながら、片目でボールの行方を追う。
 地面に落ちてきたボールは、弾みながら……人が歩く方へ!

「やっべ! っ、痛っ!」
「あ"〰〰!!」

 危機を予測した少年の大声が、裏庭に響く。

 あぁ、やっちまった―――。

 視界の先でボールが女性にぶつかった。
 真っ先に少年は走り出したが、俺はすぐ動けなくて……。

 まさか、まさか……だったんだよ―――

 ダッシュで駆けつけた、そこに……
 凜がいるなんて―――。

 10年前。
 “ さよなら ” を告げずに去った俺に、神様は……

 再び彼女と巡り合わせてくれたんだ―――。





 ―――俺が思いを馳せて凜を見つめるように、父親も同じように、少年にそうしていた。

 ここがホスピスだなんて思えないくらい、穏やかな時が流れている。

「同士、だよね?」
「……はい、梶です」
「僕は小川です」

 入居者同士、自然と会話が始まった。

「痛み止めは? 効いてる?」
「あんま痛み出ないっす」
「そう。僕はもう限度量だ」

 挨拶と自己紹介が命の図り合い。

「なんとか、入学式は見届けてね……」
「……ツライっすね」

 ここでは嘘も遠慮もいらない。

「この前、息子の相手をしてくれたのは、君達かな?
 とてもはしゃいで戻ってきてね、ありがとう」
「いえ。こちらこそ……幸運でした」
「あの子は奥さん? 恋人かな? 阿吽て感じ」
「いえ……ただの、友人です」
「そうなの? 指輪してたから……あぁ、すまない。これじゃあゴシップ記者だな」
「ヒマっすからね」
「まったくだ」

 お互いにこの状況を笑い飛ばす。「もう腹はくくってるけどさ」と小川さんは吐き捨てて……

「誰かそばに居てくれるって、幸せだよね」
「……はい」
「どうしようもなく、闇落ちしそうなとき、光を灯してくれるんだ。幸せだよ……」

 痩せこけた頬で笑顔を作る。
 この人はもう、ゴールへのラインを捉えてるはず。

 苦闘の終盤で、どうしたらそんな余裕でいられるのか?

 幸せだ。
 と言い切るこの人が……

 失礼だけど、羨ましいと思った。
 俺はそんな風にできるだろうか……

「その、強いメンタルの秘訣って、なんすか?」
「強い? 僕が? 僕じゃないよ。
 僕は、ただ、家族に生かされてる」

 生も死もいたってシンプルだよ。
 と教えてくれた。考えすぎないで、って。

 その助言は簡単そうで難しかった。いつも最速で俺はゴールを狙っていたから……。

 俺もいつか気付けるだろうか?
 心からの幸せとは何か―――。


☆☆☆


「良かったですね。岸先生もご機嫌でしたね」

 今回の検査結果が優秀だったので、正直
ホッとしたけれど。

 春見さんが「良かった、良かった」診察室から部屋戻るまで何回ゆーん?
 こっちまでアガるわ!

「ねー。この前の新薬のおかげかな?
 最近、体も軽くなった気するし」
「何よりです。
 精神安定剤も、いらっしゃるしね」
「え? 何ソレ?」
「いーえ。今日は真野さん、もう帰ったんですか?」
「んー、診察終わるの待ってるって言ってたけど……」

 じゃあ僕は戻ります、と春見さんが言った後で「あ、あとコレ」ポケットからガラケーを差し出す。

 あ、俺の。
 10日ぶりかな?

「データは大丈夫ですって。
 バッテリー探すのに時間かかったみたい」
「面倒なことお願いして、ごめんね」
「全然。思い出、入ってるでしょ?」

 じゃあ。ありがとう。
 ナースセンターの前で別れて、俺は部屋に戻ったけれど……

「あれ? 帰った?」

 殺風景な空間で、少しシュンになった。
 でも、すぐに凜を見つけた。

「……寝落ち。だから無理すんなってー」

 ついボヤいてしまった。
 窓際のソファで横たわって寝息をたててる。

 わかるよ。俺もここで休むの好きだから。窓から入ってくる風が気持ちイイんだ。

 凜を起こさないよう、そおっと腰掛けた。
 ヒマつぶしのおもちゃも手に入ったし〜。
 電源ボタンを長押ししてみた。

 ボタンて超なついな!
 なんて浸ってるうちに、写真も出てきて……

「ぷっ!」

 思わず吹き出す。
 ヤベ、しぃーっだった! 

 チラッと凜を確認する。良かった、まだ寝てる。

 アルバムの中はほとんど中学の時の写真で、ガキの幼さが……ウケる!
 ふざけてしかない!

 本当はこうゆうの、避けてきた。
 感傷的に過去を振り返りたくなかったから。

 だから、全部、処分して置いてきて……スマホも持って来なかったのに、今さら―――。

 おかしいな、俺。
 これもゴミとして捨てれなかっただけで ……なのに、こんな大事にしたいなんて。

 それって、凜のおかげ……?

 あんとき、10年前。
 別れにビビって、凜にすがりたくなって……俺このケータイで電話かけたんだ。

 最後の発信履歴は、真野凜―――残ってる。

 長いコールの後、留守電になって……パタンて閉じた。
 自分の気持ちも……。

 まさか10年たって、そんときの願いが届くなんて!
 ……不思議だ。

 凜は、俺の、何なの? 
 俺の中で何?

 また別れを、永遠の別れが待ってるのに……。

 じっと凜の寝顔を見つめてみても、答えは……出てこない。

 ただ―――カシャッ。
 今の凜を、画面の中に閉じ込めた。

 たぶん俺……
 答えを出したくないんだ!

 今が、今だな。
 俺、幸せっぽい気がするから……

 これ以上考えすぎたら、きっとダメなんだ!

 ガラケーをポケットにしまった。
 膨らみそうな気持ちも、一緒に―――。

 ん……? 
 あー、寝てたか。

 ソファに横になったまま、つい、うたた寝したっぽい。

 窓のカーテンが涼しい風でそよぐ。外はもう薄暗かった。

 ……なんか夢?
 見てた気がする。いや、思い出したのか。

 でも最近、昔をよく思い出す。
 そうゆう時に限って、気分もイイんだ。

 ここに来る前は寝起きなんて、いつも最悪で、うなされて目覚めるのが普通だった。

 夜の静けさも、冷ややかな空気も、暗闇に落ちる合図だ。

 病気のステージや性質からも、そんな強烈な痛みが伴うはずはなかった。

 不安と恐怖―――。

 平然を装っていても、それは完全にコントロールできない。

 眠りに落ちると、決まってそれに支配されていた。

 どこからともなくやってくる痛み……

 だけど、消えたみたいだ!
 ここの居心地がイイからだろう。

 いつも、ひとりじゃ、ない ―――。

 明るくて晴れた日のように、鮮やかで穏やかな夢を見ることができる。

 小川さんの言ってた光って……これかな?

 ふと悟った気がした。
 ゆっくり起き上がってソファにもたれた。

 窓から入り込む風が、外のにおいを運んでくる。

 耳をすませば……
 小さな虫の声も、揺れる葉の音も。
 体に染みて心地イイ。

 ……コツ、コツ。 

 あっ、この音は!
 外から聞こえてくる、いつものリズムだ。

 コツ、コツ、コツ……タタッ。

「ふふっ」

 次にくるのを予想して、笑いがもれた。

 そう、俺の名を呼ぶよ。
 窓から部屋を覗きこむようにして、俺を見つければ―――

「梶くん!」 

 ニコッ、て。
 笑顔でぬくもりと共に、窓から入ってくる。

 気付いてるよ…… 俺。
 この瞬間が、今一番、幸せな気分だって。

「ふっ。ん"んっ…… 凜!
 仕事帰りは来るなって言ったろっ」

 正反対な自分が、本心をガードする。

 あと少し、もう少しだけ…………そう、自分に言い聞かせた。



 ベットから時計をチラ見。
 もう面会時間も終わりか……そろそろミーティングタイムだな。

 次はいつ来る予定で、俺は何してるか。
 いつも確認して、凜は帰ってく。

 俺達にチョクで繋がる道具はない。
 スマホ……少し、後悔。

「梶くん、右手出してください……」

 あれ?
 予想と違った 。

「ん。何?」

 右手を突き出す。
 凜の手から現れたのは…………あ、ミサンガ。緑色の。

 凜が俺の手首に巻いて結んだ。

「……真野グリーンが、いつでもお守りします……」

 そう言って俺に苦笑いして見せる。

「ふっ。もうネタ化してんじゃん」

 茶化してみたけど内心浮ついている。

「作ったの?」
「うん」

 俺の手首に2本のミサンガが連なりあって。
 青いのは中2の時にもらい損ねた、10年ぶんの時をこえた贈り物。
 緑の新しいのは……。

 10年前と現在と……ヤベェ……。

 いつだって、支えてくれてたのかもな。

 歯食いしばって耐えてきた事―――全部報われた気がした。

 俺、無性に、駆け回りたいくらい……胸が熱くていっぱいだ。

「えーっと……週末は彼との約束と仕事で、次いつ来れるかわかんなくって……」
「気にすんなよ。無理すんなって」

 申し訳無さそうに報告する凜に、返って俺の方が謝りたいくらいだ。

 もうじゅうぶん、凜には良くしてもらってるんだから。



 ―――いいって。いいって。

 梶くんは険しい顔で言う。

 私が嫌なの。
 今日だって、ずっとベットの上。

 梶くん……
 この頃、車椅子の移動が多いし、もう部屋の中くらいしか歩けないんじゃ?

 今度の約束ができない自分がもどかしい。

 私が来れない間に何かあったら、って。こんな事くらいしか、できる事なかった。

「無理してないって、私もいつも言ってるよ」
「大丈夫だから。大丈夫、大丈夫」

 梶くんは我慢に慣れすぎだし、私を梶くんの陣地には、入れてくれない。

 今、何してる?

 そんなたやすい言葉も届かない。

 スマホがあれば、簡単に指先で、言葉を伝えられるのに……
 声が聞きたくなったら、片手で繋がる……当たり前になってた。

 知らなかったよ……
 ちっぽけな事、わからないだけで、こんなに不安になるなんて。

 梶くんのこと……
 心配でたまらなくて、落ち着かないの。

 勝手だけど、ただのわがままだけど ……

 梶くんがツライ時、あのガラケーが鳴ったらいいのに―――。

 そしたら、すぐ駆けつけるのに。

 会いたい、って呼んでくれたらいいのに。

 ……そう、バカみたいに思った。

 私達の言葉は平行線で、「……じゃあ、また来ます」バックを持って、今日の別れに明るい顔を作ることしか、できなかった。
 ―――何、その作り笑い……?

 俺、また、なんかしくった?

 もう無理させるわけいかないし。
 俺のせいで、凜の大事な時間も奪いたくない。

 だって、明らかに、やつれてる……

 まさか、凜、気付いてない??

 俺の体が弱ってくように、俺と居たら、凜まで身を削られてしまう……。

 だから何度も言ってんのに、わかってねーし!

 他になんて言ったら……
 どうしたら、こんな俺でも安心させられる?

 ほら、早く!
 凜が帰っちまう……


「凜!」 
「はい?」

 部屋を出るとこで呼び止めた。

「……ありがとう」

 右手をみせる。それで……

「……待ってる。今度、会いに来るの。待っ、て、るからっ」

 中二病かって。
 俺、どもりすぎ。

 ―――これでイイのか?

「……うん! またね!」

 ニコッ、じゃないよ……ほんと、変なやつ。

 楽しろって言われるより、面倒かけたほうがめっちゃ喜ぶなんて……。

 俺、クリアミスか?
 凜は、思ったより強敵だ。

 なかなか主導権を握らせてくれない。

 味方としては心強い。けど……俺がもし、立場を間違えたら?
 アウトだ。

 また新しい力をもらったな……
 凜の声が頭の中で回ってる。


―― ひとりぼっちになんてしないから!
   私を呼んでっ。
   最後まで戦いぬくことを誓います!
   いつでもお守りします―――


 10年前、部室で受け取った言葉も、ここで宣誓された言葉も……。

 凜の言葉が全部。

 嘘じゃない。信じていいよ。

 ミサンガを見ていると、そんな風に、伝わってくる気がして……
 俺も願いたくなったんだ!

 どうか、凜が、幸せでいられますように!
 永遠に―――。
「凜!」 

 あ、来た。
 私を呼ぶ声の方へ、すぐ顔を向けた。

 ゴメン ×10……て連呼しながら、テーブルの席に着く。

 ふふっ、いつもの優さんだ。

「早く会いたかったよ〜」

 この嬉しそうに嘆く話し方も、優さんらしくて……好き。

 会社の駅前のカフェ。
 彼は出張帰りに、東京へ戻らず地元に来てくれた。

 同じ会社だけど、今は2年間の出向中。今日も2週間ぶりに会う。

「ほんとに短くなった…… 」

 優さんは向かいの席から手を伸ばして、私の髪を指ですいてくる。

「なんか、お手入れが追いつかなくて……」

 さっき美容室に行ってきたばかり。ロングだった髪を、結構バッサリいった。

 ふうん……何度も髪を指でとかして、優しい視線を送ってくる。

 彼に触れられるのも、見つめ合うひとときも、この安心感が本当に落ち着く。

 こり固まってた体が、ほぐされてくみたいに……心から、溶けだしてくるの。

 優さんが愛しいなぁ、って。

 良かった。
 私、ちゃんと、うまくやれてる。

 梶くんとの事があって……
 一番不安だったのは、気持ちが揺らいだら、どうしようって―――。

 今、いつも通りに彼を想う自分に安心した。

 それで、たぶん……
 もっと好きになってる。優さんを。

 身勝手な私の話を聞いてくれて、全部受け入れてくれてる優さんのこと。

 前より、もっと、大切だと想う―――。
 凜はさ、いつも通り、って思ってるでしょ?

 僕の差し出した手のひらに、ニコニコッと手を重ねてくる。

 指をからませて、指輪をくるくるさせた。

 この指輪が唯一の、安心材料だったんだけどな……

 僕がこれをはめるまで、どんなに凜を大切にしてきたか。
 凜と出逢って、僕の人生が栄光に輝いてる。

 なんて言ったら大袈裟かな?

 ―――いろいろと……乗り越えてきたのにな。

 ついこの前だろ……
 念願の夏旅行で、凜と離れていた分を埋め尽くすように……ずっと手を繋いで、そばにくっついて。

 数え切れないほど、キスを交わして、とろけるほどに、何度も、愛し合った―――。

 まずい、思い出しただけで… …ニヤける。
 ここカフェだから、顔、自制して。

 すごく幸せだったんだ。
 思い出さない日なんてないくらい……

 この頃は憂鬱も、時折現れてしまう。

 カフェの向かいの席に座る彼女に、聞きたいような聞きたくないような言葉を投げかける。

「梶くん、どう?」

 半分ふてくされた質問に、凜はふふっと笑う。

「何? すごい嬉しそう…… 」
「ううん。なんか、ようやく梶くんが、正式に私を認めてくれた気がして」
「そうゆう世話焼きなとこ、好きだけど……
 凜は、梶くんばっかりだね」

 すねた子供みたいだと自分にあきれた。

 そんな、大人げない僕に、凜は……

「だって……梶くんは、特別でしょう?」

 困った顔で言ったんだ。

 チクリ。 
 心に突き刺さった。

 凜……
 おれにとっての特別が、凜なんだよ?

 最初から、凜だけが。
 他の誰でもない、凜だけなのに――。

 凜のその言葉は、僕に欲しい……。

「僕は? 僕は特別じゃないの?」

 不安が口からもれる。

「ん〜?」

 彼女は考えこんでしまった。

 平気なフリ、してるだけだよ。
 もう、おれ……
 彼氏とか、婚約者って肩書きじゃ、この状況に耐えられそうに、ない。


「優さんは……私の……伴侶! 伴侶がピッタリだと思う」

 びっくりした!!
 自分で驚くくらい、一瞬で回復した。魔法でもかけられたかみたいに……

 いつもそうだ。
 崩れそうな心を、凜の言葉が大きく包んで、元に戻してくれる。

 それでまた、惚れ惚れしてしまうんだ。

「んん??」

 凜の虜になってる僕に、ちっとも気付いてない姿も愛おしいよ……
 完全に尻に敷かれてるな。

 そのまま手をとって、出ようと告げた。早く仕事を片付けたい。駅前のホテルに荷物は預けてきた。

 「大変、大変」と焦る彼女の手を離さないまま、会計を済ませて店を出た。

「行こっか」

 ぎゅっと手を握ると、凜が目元までゆるませて微笑むから……もう、無理!
 待てない!

「ん? どこ?」

 人目を避けれるトコに彼女を隠して、

「ごめん。ただいまのキスだけさせて」

 返事も待てずに、彼女にキスを落とす。

 ―――愛してる。
 って気持ちをこめて。すると「おかえり」って笑顔で答える。

 おれだけを見つめてくれる。

 独り占めしたい……
 片時も離したくない!

 狂しいほど大切なんだ。僕の、凜が―――。

☆☆☆

 翌朝。
 頭を抱えながら、見上げる……大学病院のホスピス棟。

 何でおれ、ここまで来ちゃったんだろう……?

 朝まで凜と過ごして、休日出勤の彼女を会社まで見送ったあと、東京に戻らずに。

 凜の話は信じてる。
 全部信じてるよ。

 格好悪いけど、SNS検索かけた、すぐに。
 梶くんの存在も、引退も事実だったし、きっと、ここにいるんだろう。

 文句が言いたいわけじゃない。
 余命幾ばくも無い彼に、同情さえする。

 凜にしか支えられないなら、おれもって……

 でもお義父さんの時みたく、とは違うだろ?
 家族の為ならわかるけど。

 長い髪を切ったのも、高いヒールを履かないのも、香水やめたのも、全部……梶くんの為なんだ。

 女らしくいる時間を削って、ほんとに、痩せちゃうくらい……大事な存在って―――。

 凜の特別な相手に、おれ、会わなきゃいけない気がしたんだ。


 朝の散歩タイム。
 春見さんが車椅子を押して、外へ連れ出してくれる。

「僕、息子に赤トンボ頼まれてて」
「えー? 朝から飛んでる?」

 と、和やかな1日が始まる。
 って思ったら……

 外でスーツ姿の男が立っていて、ボーッとしてる。

「誰?」
「さぁ……?」

 春見さんと小声でヒソヒソ。

 俺を見ると、「あ!」って。知ってる風な顔をして向かってきた。
 誰だ?

 会釈をし、慣れた手つきで名刺を差し出す。

 俺に?
 上目遣いで、ペコッと受け取った。

《 佐藤 優一 》 

 ……あぁ!

「梶さん? ですよね?」
「……はい」

 いつか、来るだろう。 
 予感はしていた―――。


 映え場のベンチでふたりきりに。

「えーと、あー……」

 言葉を濁す、凜の彼氏。

 そりゃそーだよな。気まずいこの上ないわっ。

「優さん、でしょ? 会社の先輩。5つだっけか、年上。あと、酒が弱くて、星のダイヤモンドにバラの花……確か、パンケーキが好き!」
「わぁわー、ほんとに何でも知ってるなぁ」
「り……真野のフィアンセ」

 敵意はないとフザけて見せた俺に、焦りながらも「突然押しかけて申し訳ない」と謝る。

 人柄の良さそうで、凜を隣に置いて見ても……うん、お似合いだ!


「真野とやましい事はひとつもありません。
 この前10年ぶりに再会して。連絡も、一切してないです。俺がこんなだから……真野が見舞いに来てくれて、ただたわいのない話を……」
「いや ×10。うたぐってないから!」

 ぽかん。……必死。

「ぷっ」

 ナナメ上の人来た。ホント、イイ人……

 直感でこの人は信じていい、と思った。

「俺のせいでスイマセン。真野に負担をかけた。あなたにも。もう十分、親切にしてもらったから……大丈夫って、真野に伝えてください。
 真野には……感謝しかないです」

 俺も……必死だな。

 でも、ここはアシストきっちりして、ふたりにゴール決めさせないと!

 最後、なんだから……。


「え? なんで? 凜は喜んでたよ。梶くんに認めてもらえたって」
「へ? え? 
 あなたは……止めに来たんじゃ?」
「違うよ。僕には止められない」

 なんで? 
 俺、詰んだ……?

 こんな展開、予想してなかった。

 この人が現れたら、凜はちゃんと元の居るべきトコへ戻る。
 って……ふんでたんだ。

 ここは、花嫁になる女が、足を運ぶ所じゃない。

 幸せな未来なんて1ミリもない。

 生きた墓場なんだから―――。


「イイんですか? 婚約者が、人の死に一番近いトコに居て……」
「……悲しい想いはさせたくないよ。でも、凜にとって、君は特別だから。
 それに、凜は……看取るつもりだよ。君を、家族の元に送り届けるまで。最期まで、そばにいる覚悟をしてる」
「は!?」

 ―――凜ははっきり、そう言ったからね。僕に、強いまなざしで。

 だから、反対なんてできなかった……

 そうゆう芯の強い所も好きだし、僕以外の男の世話をされるのは嫌だ!

 そう、本心で思っても……それをすがるなんて、できっこない。

「止めてください。俺は望んでない」

 彼は低い声で言い、顔つきが怪訝そうに険しくなる。


 確信できたよ―――。

 梶くんも、凜を大事に想ってる。
 彼の手元を見た。何よりの証明だ。

 それ、ほら、凜が作ったミサンガ……

 しっかり握りしめてる。
 凜を想って、願っているんだろ?

「僕は凜の望みを聞くまでだ。婚約者だからね」

 凜は僕に言ってくれたから……伴侶として、痛みもわかち合えばいいんだ。

 彼によって凜が傷付いたとしても、僕が守ってあげればいい。

 車椅子の彼に、おれは牽制気味な視線を落とす。けれど……

「……知ってます?  死人、見送るのに、楽しい事なんてひとつもないっすよ。虚しさと無気力との戦いです。亡骸なんてクソ冷てえし、カラッカラの骨拾うなんて……めちゃくちゃ怖いんすよ! 人間らしさが、まるっきり、なくて。そんな想い、わざわざさせたく……。
 俺が、凜を壊しますよ?」

 この子……急に男の顔つきになった。

 わかってるんだよ、凜は。
 全部承知の上で、決心したんだ。

 そして、ふたりよりも、おれのほうが断言できてしまうんだ。


 凜と梶くんは運命で結ばれている、って ―――。


 10年のときなんて、あっという間に飛び越えるほど……

 ふたりの魂が、惹かれ合ってるんじゃないかって―――。

 君にはかなわない、と不安なんだ。

 それでも、凜だけは手離したくない!

 だから、おれ、自信をつけたかったんだ。
 ふたりの関係を超えたい!

 おれのほうが凜を愛してること、証明する為に、梶くんに会いに来たんだ。

「大丈夫。僕が守るよ。君に壊されないように。凜の全部を受けとめて、守ってあげたい」