「あ、梶くん居た。良かった」
暗がりの窓から入り込む声。
突然で驚いた。
「凜! 何? 仕事帰り?」
「うん。はちみつレモン作ってきたよ。梶くん試合の時よく食べてたよねー」
受付行く前に渡しておく、と凜はニコニコして窓から侵入。
病棟出入口より外のテラスを通った方が、俺の部屋に近道だ。
そうしてまた外に出て、受付を通り、凜は廊下から俺の部屋に入ってくる。
2回目も……
「梶くん!」
「うお!? びっくりしたっ」
「はい、これ。ゼリーと真野グリーンティー。ははは」
春見さんたちにも差し入れしよう、って。
そのまた次も……
「今晩は!」
「……真野」
「きれいでしょう!? ひまわり。近所の花屋さんがサービスしてくれてね」
「凜さぁ……」
「ん? 受付行ってくるね」
俺、しくったわ 。
真野がクソ真面目だったの忘れてた。
世話好きなのも強化されてる。
マジで部活かなんかと勘違いしてねーか?
仕事してんのに1日おきにやってくる。
また来なかった、そう思わせないように?
登場の仕方だって……一番に顔が見たい(ニコッ)みたいなさぁ 。
……デレを突いてくるなよっ!
昔は、じっと真顔で 「 ハイ。ハイ」って。
女って大人になると、ガラッと変わんだな。
仕草も視線も表情も……戸惑う。
俺の知らない真野になってて!
距離感つかめねーし、その左手のキラッキラ見るたんび……
悪いなって。
それ、はめた男が真野を変えたんだろ?
俺、うまく誘導作戦かけないと、凜の先制攻撃にハメられる気がする。
☆☆☆
休日。
凜は午前中から面会に来た。
ここの庭がキレイだと言うので、花壇の奥にあるベンチに連れて行った。
柵の向こう側に、街を見下ろして、遠くの海と空が見渡せる。
今の俺ん中で一番の映えスポット。
凜も気に入ったみたいで……マズイ!
ベストスマイル、引き出してしまった。
「そ、そー言えば!」
「ん?」
俺は慌てて話を反らす。
「春見さんがさ、俺らのこと、不倫の関係って勘違いしてたんだよ」
「ええっ!?」
凜が 「これのせい!?」 と左手を見せる。キラッと指輪が光った。
俺はそうだと何度もうなずく。
「ちゃんと訂正しといたから。んで、全部話しちゃった。ヒマだったから。
中学ん時から、あーでこーで、この前再会して、ミサンガ貰ってって」
「全部!?」
「もう、包み隠さず」
「うわ、恥ずかしー」
「そしたら、春見さん、涙目になってて。ふは」
「ちょ、梶くん、盛った?」
「んー少し!
楽しーから春見さんイジってて、あれって後ろ見たらさ……師長ガチ泣き。ははは」
「師長さんが!? あの強面の?」
それは退屈しのぎのひととき―――。
「違う! 違う! 真野は同級生だから!」
ナースセンターに俺の荒げた声が響いた。
春見さんがカウンター越しに、「良くないですよ……不倫なんて」俺にヒソヒソとしてきたもんで。
ポカン、の後の反動だった。
真野の差し入れを届けに来たひと幕の事だ。
「あ〜、アイツ婚約者いるんだ。あの日が10年振りの再会で、ホント俺もそん時知って……」
ぽけ〜っと、本当に?
みたいな顔で春見さんが見る。
この人、天然?
ハズい気はあるけど、しゃーないっ!
真野を悪い目で見られるのは……嫌だ。
「真野はめっちゃイイ子だよ!
俺ら中学のサッカー部で……―――」
思い出たどりながら。
ケガしても面倒見てくれて、両親の葬式の時や、部室でスゲー優しい言葉をかけて貰った事も、必至で語ってた。
俺自身、染み染みしながら。
「そんで、この前ここの裏庭でボールぶつけたのが真野との再会……」
「僕てっきり、ふたりのムードからして、色々こじらせてるのかと……」
「ウケるっ。病気バレちゃってさ。俺……ひっそり終わらせる為にここ来たから。見舞いとか断ったんだけど。真野は昔から世話好きだから。このミサンガも……10年前作ってくれてたんだって。とっててくれたの、わざわざ、届けに来てくれてさ……」
と思い出しながら話した。
真野が結んでくれたそれを、マジマジと見つめた。
もう、何度目だっての……
嬉しかったんだよ、すごく。
「俺ね、両親が死んで……がむしゃらに生きてくしかないって、気張ってたんだけど……違ったんだね」
こうゆう真野の思いやりが、ずっと俺の中に残ってた事、気付いたから……
それで、また約束をしてくれたから……
「真野が宣誓してくれたんだ。
最後まで戦い抜くことを誓う、って。
子供ん時からさ、俺をひとりにしないって……マジで訴えんのね。真野は俺の応援団長で、マネージャーだから、春見さんも……?」
ちらっと見た春見さんの目に、涙があるような……
「え? あれ? まさかの……うるキュン?」
目を合わせようとしない春見さんを、イタズラに四方八方から眺めて。
暇つぶしにもうチョイ絡んでみようかと……
「……グスッ」
「「 !?!? 」」
ふたりですすり泣きの音の方へ振り向くと、デスクワーク中の師長が目頭押さえちゃって。
「尊っ。……やだ、止まんないわ」
「師長!? だいじょぶですかっ」
「え? ガチ泣き? あらら……」
―――「ってなことがあってさ、マジ春見さんと焦ったわ〜」「それは、よきよきで」―――
っていう
体のこれは前フリで……。
「ほんと、イイ人達でさぁ」
「うんうん」
「居心地良くてさぁ」
「良かった」
ヨシ。俺の誘導が効いてきた。
「……だから、俺、大丈夫だよ。凜が無理して会いに来なくてもさ」
爽やかキメて、サクッと言えた。
けど、すぐ凜の表情が曇ってく。
「梶くん……私、無理してないよ。だって…… あっ、こんにちは」
「?」
誰かやって来たのに気付いて、凜が会釈した。
夫婦だろうか。車椅子の男性は入居者だと思う。
ふたりでかしこまった所で、甲高い声が響いてくる。
「あー! お兄さん!」
元気に走ってくる男の子は、あの時の……
「「 あぁ!! 」」
凜と顔を見合わせて。裏庭の!
「お兄さん、またサッカーしよう!」
ボールを満面の笑顔で、俺に突き出す。
「隆平!」
母親のひと声が、すぐかぶさった。
俺、もう……。
「私が!」
渋った俺の横から、凜はそそくさとボールをとる。
「ね? 一緒に遊んでくれる?」
「うん!」
凜が俺に 『行ってくる』と視線を送るので、『 わかった』と小さくうなずいた。
母親も用事が、と一礼して離れて行き……
俺は楽しそうに裏庭に下りていく、後ろ姿の凜と隆平君を微笑ましく見送っていた。
二人に出逢ったときの事を思い出しながら―――
それは、ホスピスに入居して3日目の事だった。
「はぁ〜。やっと終わった……」
トボトボと俺は病院の裏庭に出てきた。背伸びをして、新鮮な外の空気を吸い込む。
今日は朝から検査の連続……疲れた。一日中、もう夕方だもんな。
ん?
サッカーしてる……
裏庭で小さな男の子が、ひとりでボールを蹴っては追いかけ……汗だくだ。
いいよな…‥夢中で。
微笑ましい光景に出会った。体がワクワクと疼きだしてくる……。
「なぁ少年! これあげる!」
さっき買ったスポドリを男の子に向けた。
「っ!? …………」
「ん??」
じーっと、俺の顔を黙って見つめる。
「……誘拐?」
「違うしっ」
まだ暑いから飲まないとへばる!
俺が言うと「ありがと」って……
しっかりしてるけど、仕草がまだ幼い。
こんなトコでひとりで遊んでるってことは、……この子もワケありか。
「一緒練習する? 一応、プロだったんだ俺……??」
「(キラーン☆)!!」
「ははっ! よし、パスして!」
久しぶりの芝の上、誰かとサッカーなんて……
ひとりじゃない。やっぱ、いいな。俺の方が楽しんじゃってるし。
でも、カラダ重っ。キツイ……
俺の方がへばってしまった。
「ねぇ、お兄さん。
ボール、空まで高く蹴れる?」
「高く?」
この前テレビで見たんだ、と真上に蹴り上げるポーズを真似してる。
あーね。
子供は高いの、何でも好きだよな。
空までか……
届くと、いいな……。
きっと、これが、思いっきり蹴れる最期の……
「おーし。落ちて来る時、気をつけろよ」
「わぁい♪」
飛び跳ねて期待する少年の横で、俺は最終調整をして……よしっ!
バァァンッ!!
「……っ!」
「ワァー!」
ボールは瞬く間に打ち上がったが、俺の足がピリッとヤられた。
しかも、ちょいズレたぞ……軌道が。
つった足の痛みを堪えながら、片目でボールの行方を追う。
地面に落ちてきたボールは、弾みながら……人が歩く方へ!
「やっべ! っ、痛っ!」
「あ"〰〰!!」
危機を予測した少年の大声が、裏庭に響く。
あぁ、やっちまった―――。
視界の先でボールが女性にぶつかった。
真っ先に少年は走り出したが、俺はすぐ動けなくて……。
まさか、まさか……だったんだよ―――
ダッシュで駆けつけた、そこに……
凜がいるなんて―――。
10年前。
“ さよなら ” を告げずに去った俺に、神様は……
再び彼女と巡り合わせてくれたんだ―――。
―――俺が思いを馳せて凜を見つめるように、父親も同じように、少年にそうしていた。
ここがホスピスだなんて思えないくらい、穏やかな時が流れている。
「同士、だよね?」
「……はい、梶です」
「僕は小川です」
入居者同士、自然と会話が始まった。
「痛み止めは? 効いてる?」
「あんま痛み出ないっす」
「そう。僕はもう限度量だ」
挨拶と自己紹介が命の図り合い。
「なんとか、入学式は見届けてね……」
「……ツライっすね」
ここでは嘘も遠慮もいらない。
「この前、息子の相手をしてくれたのは、君達かな?
とてもはしゃいで戻ってきてね、ありがとう」
「いえ。こちらこそ……幸運でした」
「あの子は奥さん? 恋人かな? 阿吽て感じ」
「いえ……ただの、友人です」
「そうなの? 指輪してたから……あぁ、すまない。これじゃあゴシップ記者だな」
「ヒマっすからね」
「まったくだ」
お互いにこの状況を笑い飛ばす。「もう腹はくくってるけどさ」と小川さんは吐き捨てて……
「誰かそばに居てくれるって、幸せだよね」
「……はい」
「どうしようもなく、闇落ちしそうなとき、光を灯してくれるんだ。幸せだよ……」
痩せこけた頬で笑顔を作る。
この人はもう、ゴールへのラインを捉えてるはず。
苦闘の終盤で、どうしたらそんな余裕でいられるのか?
幸せだ。
と言い切るこの人が……
失礼だけど、羨ましいと思った。
俺はそんな風にできるだろうか……
「その、強いメンタルの秘訣って、なんすか?」
「強い? 僕が? 僕じゃないよ。
僕は、ただ、家族に生かされてる」
生も死もいたってシンプルだよ。
と教えてくれた。考えすぎないで、って。
その助言は簡単そうで難しかった。いつも最速で俺はゴールを狙っていたから……。
俺もいつか気付けるだろうか?
心からの幸せとは何か―――。
☆☆☆
「良かったですね。岸先生もご機嫌でしたね」
今回の検査結果が優秀だったので、正直
ホッとしたけれど。
春見さんが「良かった、良かった」診察室から部屋戻るまで何回ゆーん?
こっちまでアガるわ!
「ねー。この前の新薬のおかげかな?
最近、体も軽くなった気するし」
「何よりです。
精神安定剤も、いらっしゃるしね」
「え? 何ソレ?」
「いーえ。今日は真野さん、もう帰ったんですか?」
「んー、診察終わるの待ってるって言ってたけど……」
じゃあ僕は戻ります、と春見さんが言った後で「あ、あとコレ」ポケットからガラケーを差し出す。
あ、俺の。
10日ぶりかな?
「データは大丈夫ですって。
バッテリー探すのに時間かかったみたい」
「面倒なことお願いして、ごめんね」
「全然。思い出、入ってるでしょ?」
じゃあ。ありがとう。
ナースセンターの前で別れて、俺は部屋に戻ったけれど……
「あれ? 帰った?」
殺風景な空間で、少しシュンになった。
でも、すぐに凜を見つけた。
「……寝落ち。だから無理すんなってー」
ついボヤいてしまった。
窓際のソファで横たわって寝息をたててる。
わかるよ。俺もここで休むの好きだから。窓から入ってくる風が気持ちイイんだ。
凜を起こさないよう、そおっと腰掛けた。
ヒマつぶしのおもちゃも手に入ったし〜。
電源ボタンを長押ししてみた。
ボタンて超なついな!
なんて浸ってるうちに、写真も出てきて……
「ぷっ!」
思わず吹き出す。
ヤベ、しぃーっだった!
チラッと凜を確認する。良かった、まだ寝てる。
アルバムの中はほとんど中学の時の写真で、ガキの幼さが……ウケる!
ふざけてしかない!
本当はこうゆうの、避けてきた。
感傷的に過去を振り返りたくなかったから。
だから、全部、処分して置いてきて……スマホも持って来なかったのに、今さら―――。
おかしいな、俺。
これもゴミとして捨てれなかっただけで ……なのに、こんな大事にしたいなんて。
それって、凜のおかげ……?
あんとき、10年前。
別れにビビって、凜にすがりたくなって……俺このケータイで電話かけたんだ。
最後の発信履歴は、真野凜―――残ってる。
長いコールの後、留守電になって……パタンて閉じた。
自分の気持ちも……。
まさか10年たって、そんときの願いが届くなんて!
……不思議だ。
凜は、俺の、何なの?
俺の中で何?
また別れを、永遠の別れが待ってるのに……。
じっと凜の寝顔を見つめてみても、答えは……出てこない。
ただ―――カシャッ。
今の凜を、画面の中に閉じ込めた。
たぶん俺……
答えを出したくないんだ!
今が、今だな。
俺、幸せっぽい気がするから……
これ以上考えすぎたら、きっとダメなんだ!
ガラケーをポケットにしまった。
膨らみそうな気持ちも、一緒に―――。
ん……?
あー、寝てたか。
ソファに横になったまま、つい、うたた寝したっぽい。
窓のカーテンが涼しい風でそよぐ。外はもう薄暗かった。
……なんか夢?
見てた気がする。いや、思い出したのか。
でも最近、昔をよく思い出す。
そうゆう時に限って、気分もイイんだ。
ここに来る前は寝起きなんて、いつも最悪で、うなされて目覚めるのが普通だった。
夜の静けさも、冷ややかな空気も、暗闇に落ちる合図だ。
病気のステージや性質からも、そんな強烈な痛みが伴うはずはなかった。
不安と恐怖―――。
平然を装っていても、それは完全にコントロールできない。
眠りに落ちると、決まってそれに支配されていた。
どこからともなくやってくる痛み……
だけど、消えたみたいだ!
ここの居心地がイイからだろう。
いつも、ひとりじゃ、ない ―――。
明るくて晴れた日のように、鮮やかで穏やかな夢を見ることができる。
小川さんの言ってた光って……これかな?
ふと悟った気がした。
ゆっくり起き上がってソファにもたれた。
窓から入り込む風が、外のにおいを運んでくる。
耳をすませば……
小さな虫の声も、揺れる葉の音も。
体に染みて心地イイ。
……コツ、コツ。
あっ、この音は!
外から聞こえてくる、いつものリズムだ。
コツ、コツ、コツ……タタッ。
「ふふっ」
次にくるのを予想して、笑いがもれた。
そう、俺の名を呼ぶよ。
窓から部屋を覗きこむようにして、俺を見つければ―――
「梶くん!」
ニコッ、て。
笑顔でぬくもりと共に、窓から入ってくる。
気付いてるよ…… 俺。
この瞬間が、今一番、幸せな気分だって。
「ふっ。ん"んっ…… 凜!
仕事帰りは来るなって言ったろっ」
正反対な自分が、本心をガードする。
あと少し、もう少しだけ…………そう、自分に言い聞かせた。
ベットから時計をチラ見。
もう面会時間も終わりか……そろそろミーティングタイムだな。
次はいつ来る予定で、俺は何してるか。
いつも確認して、凜は帰ってく。
俺達にチョクで繋がる道具はない。
スマホ……少し、後悔。
「梶くん、右手出してください……」
あれ?
予想と違った 。
「ん。何?」
右手を突き出す。
凜の手から現れたのは…………あ、ミサンガ。緑色の。
凜が俺の手首に巻いて結んだ。
「……真野グリーンが、いつでもお守りします……」
そう言って俺に苦笑いして見せる。
「ふっ。もうネタ化してんじゃん」
茶化してみたけど内心浮ついている。
「作ったの?」
「うん」
俺の手首に2本のミサンガが連なりあって。
青いのは中2の時にもらい損ねた、10年ぶんの時をこえた贈り物。
緑の新しいのは……。
10年前と現在と……ヤベェ……。
いつだって、支えてくれてたのかもな。
歯食いしばって耐えてきた事―――全部報われた気がした。
俺、無性に、駆け回りたいくらい……胸が熱くていっぱいだ。
「えーっと……週末は彼との約束と仕事で、次いつ来れるかわかんなくって……」
「気にすんなよ。無理すんなって」
申し訳無さそうに報告する凜に、返って俺の方が謝りたいくらいだ。
もうじゅうぶん、凜には良くしてもらってるんだから。