さよならをちゃんと言わせて。

 覚えてる。
 ちゃんと覚えてるよ。


 俺が!
 ヤラカシましたぁ……。


 ったく。ずっと突っぱねてきたのに、何であそこで切れるかなぁ……
 もう完全に詰んだ!

「はあ〜あ」

 何やってんだ俺……ダセー。

 クシャクシャと頭をかきむしった。


「梶さーん、支度でき……えー? 何それ、寝グセ?」

 首を横に振った。

「……ふぅ。少しは動いた?」

 また首を横に振る。
 ベット横で春見さんはあきれてる。

 悪いとは思ってるけど、春見さんに何度も同じ事言われてる。

 でも、気力も何も、でてこない。

「今日も、真野さん来ないの?」
「……たぶん、もう、来ないよ」

 またね。
 なんて、あるわけないじゃん!

 あんな顔させて、最後にするなんて……

「はぁ……」
「何かあった?」
「……俺が悪い。俺が反則したの」

 凜はもう、あの人のもんなのに……
 俺のじゃねーんだぞっ。

 一瞬、ほんの一瞬だった。

 体がドロドロ煮えたぎってる感じの中で、快い感触が欲しくて求めた。

 俺の手が、凜をつかんだ。

 ファウルだよ。フェアじゃなかった。

「あれは完全にレッドだわ。
 ホント……カッコ悪っ。はぁーぁ」

 情けなくって、ため息しか出ない。

「ちょっとぉ!」 
「えっ!?」
「もぉ、どぉんだけよ!」
「春見さん!?」

 初めて見る、眉間にシワ入った野獣の顔。

「この1週間、なんっ回ため息つくのよ!
 ん"ん"ん〜!
 ぉおんどりゃあ男でしょうがっ!!」
「ちょ!? キャラ変!?
 てか、オネエなの? ワイルドなの?」
「んなぁあに、カッコつけてんすか!?
 全部きれいさっぱりなんて、できないんですよっ! 生きてるんですから!!
 失敗したり、後悔したり、当たり前!
 カッコ悪くてもいんじゃない? みじめでも、無様でも……真っすぐに、正直でいる方が、男らしいと思いますよっ!! 」
「……っ」

 意表を突かれたゲキに、ぐっときた。

 久しぶりに熱いもん感じて、何も言葉が出ない。

 「診察行くから支度しといて!」って、忙しい春見さんに、コクンとうなずいた。

「……どっちかっつーと、オネエだったな」

 悶々としてた頭の中が、スッキリした気がした。
 少し冷静になれたかもしれない。

 正直に……
 俺、正直になっていいのかな?

 もう何もいらねーって。
 空っぽにして。

 あとは……息絶えるのを待つ。

 そのつもりで、ここに来た。


 まさか、まさか凜に会うなんて―――
 1ミリも思ってなかったんだよ。


 始めは、少しだけイイ思い出持って逝ければ……って軽い気持ちで。

 簡単に繋がりは、ほどけると思ってた。

 だって誰でも、面倒になると遠ざけたくなるだろ?

 けど、俺の読みは全部外れた。

 こんなに凜を必要とする自分なんか、全然想像できなかったんだ。


 婚約者がいるのに。
 幸せな未来が約束されてるのに。
 離してやらなきゃいけないのに。

 ガキでダセーだけの俺が。
 どんどん弱るだけの俺が。
 何もしてやれねー俺が。


 ただ、凜だけを……
 欲しがっちまったんだよっ。


 だって、もし、あの日!
 どしゃ降りの雨が、降らなかったら?

 父さんの車がスリップしなかったら……
 このミサンガをもらってたら……

 10年ずっと……凜が……
 隣にいてくれたかもしれないんだ!

 もっと触れることも、抱きしめることも、俺のもんに―――できたかもしれない。


 本当は……そうしたかった。
 って―――心が、俺の魂が、凜を求めるんだよっ。


 どうしたって止められないんだ!

 そんで……
 感情の糸、切らした結果が、コレだよ。

 凜を傷つけた。

 きっと、今だって、泣いてる……
 俺のせいで、罪悪感にさいなまれてる。

 俺、正直になったら、凜を苦しめるだけだ。

 凜が、凜でなくなるよ……
 壊しちゃう。

 だから、あれで、さよならでいい……

 それが正解なのに、俺まだ、夢を見る。



 いつもみたく、その窓から凜が訪れる……

 俺のもとに再び、ぬくもりを届ける。

 待ちわびているんだ―――

 勝手だけど、身勝手だけど、昨日も一昨日も……


《 凜に会いたい! 》


 そう、願っているんだ―――。

 

 クッソ……
 今日もっ。

「ハァ、ハァ……っ」

 苦しっ……


 夜の静けさとともに、ふいに襲われる発作。

 ずっとこんなの、おさまってたのにっ。

 突然やって来る。
 何処からともなく、じわじわと覆いかぶさってくるんだ。

 黒くて重たい幕。
 全身包んで締め付けられてる……


 思い出したくない感覚を―――
 一番恐れている幻想を―――


 目をつぶっても、振り払っても……
 脳裏に見せつけて、重くのしかかる。


 逃げられない―――。
 もう、ダメか……


 落ちる、直前で消えていく。

 また来るよ……
 ひっそりと、何処からか声が聞こえて。

 体の奥底に傷跡だけ残して去る。

 精神崩壊、寸前だ。



 はっ!

「…………はぁ、……ふぅー」

 息……落ち着いた。

 灯り、あかりが欲しい……

 手探りでつかんだ。
 まだ震える手で、ガラケーを灯す。


 凜……

 画面の中で、凜の眠る姿が光る。
 弱った俺を、癒やすように照らしてくれる。

 すぅーっと寒気が払われて、ほんのり肌をあたためるんだ。

 ―――今だけ。
 カッコ悪くても、いっかな……?


「―――会いたい ……」

 画面の中の小さな灯火に……こっそりと、 キスを―――。

 ―――窓からもう、鈴虫の音は聴こえてこない。

 秋のにおいを漂わせた寂しい夜風が、頬を撫でて通り抜けてく。

 東京からの帰り道。
 痛み痛ませ……全てが苦しい現在を、受け止めるのに疲弊した。

 何も手につかなくて。
 自室の机に伏せ、時間をやり過ごしていた。

 そばには、スマホとガラケーと。

 どっちからの連絡を待ちわびているのか……

 現実の世界にいたいのか。
 過去と夢の世界にいたいのか。

 自分でもワケがわからなくなっていた。

「ん……?」

 気の抜けた意識の中で、ほわっと、かすかに…… 

 優しいキスでもされたかのような―――
 錯覚に揺らめいて。

 そして、耳の中へ聞き覚えのある振動が届いた……気がした。

 ブルブル 。
 その音は、昔……遠い記憶の―――
 
 ずっと…… 

 毎晩待ち続けた―――

「はっ!?」

 ガラケーが震える、着信だ!


 ガタンッ、バタバタ…… 

 感じたままに飛び出した!

 そばにあった、それをつかんで。
 呼ばれた、その場所へ。

 もう、止められないっ!


 私の奥の、奥に閉じ込めた、子供のわたしは……

 さよならを、ちゃんと言えなかった、わたしは……

 いつだって、梶くんを追いかける―――。


 今の私は……

 まだ、さよならを、言いたくない私は……

 梶くんの……そばにいたい――。


 過去のわたしも、今の私も、大事にしたいのは……

 誰よりも梶くんだ!



 指輪は……外してきた。

 違う!
 落ちるからじゃない。

 はめて、いられないから。

 左手はガラケーを強く握りしめていた。


 タッ、タッ、タッ、タタッ。



「はっ!」

 息を切らしながら、視線で捕まえたのは―――

 梶くんがソファで眠る姿と、目尻からこぼれる…………一筋の涙。

 梶くん……

 一瞬で胸を締めつけられて、私まで泣きたくなった。


 約束したのにっ。
 私が誓ったのにっ。

 ごめんね、梶くん……

 ひとりぼっちにさせたから、つらかったよね―――

 ひとりで、寂しかったよね―――


 もう、ずっと―――そばにいるから。


 そろりと迷いのない足は、梶くんの一番近くにたどり着いた。

 そっと手を頬に当てて、ゆっくり涙を指で撫でる。

 切なさと恋しさと……
 胸の奥で渦巻いて膨らみ上がる。


 こんなにも、私の心は、梶くんを大切にしたかった―――。

 梶くんのこぼれた痛みを、私がやっともらい受けた。
 …………?

 暗闇から意識だけ先に目覚めた。

 誰か、いる? 

 ……頬が温かい。

 ぬくもりを、感じる。

 灯り……欲しかったあかりだ。

 大丈夫。
 目を開けても怖くない。

 そう、ぬくもりが伝えてくれる。


 まぶたをゆっくり開けば……

 そこに、うっすらと、ぼんやりと。
 まばたきをして、鮮明に映るのは―――


 凜だ。 

 凜がいる!


 夢なのか?
 それとも、ついに、俺イカれたか?

 何でもいいや。

 少しでいい……触れて、いたい。

 手を伸ばして届く距離にいるなら、凜の体温を感じたい。

 まぼろしでもいい。
 俺の手が、魂が、求めてる。

 重たい腕を凜の顔に近づけて、そっと頬と髪の間に手を忍び込ませた。

 消えてしまわないように。
 ゆっくり、そおっとだ。

 おずおずと添えた俺の手のひらに、凜は自ら頬を擦り寄せて……

 そして、優しく微笑んだ。


 ―――誓うよ。何度でも。


 その笑顔が、またあの夕空とおんなじ……

「っ!?」

 本物!?


 目を見開いた俺に、ニコッて見つめる。
 このあったかい感触も、凜の……

 願いが、願いが叶ったのか!

 俺の想い、伝わったんだ!!

「っ……」

 ぐっとちからがみなぎって、凜の首元引き寄せた。

 おでこを何度も擦り合わせて、喜びを噛みしめる。


 この幸せなひとときを―――。

 ありがとう。 
 俺に女神を、ありがとう。


 心が震えるくらい、泣きたくなるくらい。
 神様に感謝したんだ。



 ―――梶くん、私を……呼んだ?


   うん。……ずっと、呼んでた。
   

   うん。聞こえたよ。痛かったの?


   ううん。
   凜に……会いたかった。


   私も……会いたかった。


 ただ見つめ合うだけで、想いがぎっしり伝わる。

 明日の、未来の……
 希望になることを知った。

☆☆☆

「東京……行って、優さんと話をしてくるね……」

 凜が言いづらそうに、俺に伝えてくれる。

 少し緊張した表情で、俺を真っすぐ見つめる。その瞳は……

 俺しか映そうとしない。
 婚約者でもなく、俺なんだと、訴えているようで……

 もう、俺、ダメだ! 

 何がどうなろうと、凜が愛しくて、手離せない!

 凜の左手をとって、婚約指輪のない薬指を……そっと繰り返しなぞった。

「凜ごめん。こんなことさせて……」

 凜は首を横に振る。

「私が、決めたことだから」

 そう言って、優しい顔をして見せた。

 俺、何もしてやれない。
 なんもねー。

 けど……

 凜は、何度も何度も。
 俺を救いに、飛んで来てくれる。

 まだ俺に、できる事があるとすれば……

 ただ正直に、クソダセー自分を隠さずに、本心を願うこと……

 それしか、ない。

「俺、わがまま言っていい?」
「ん?」
「凜に……そばにいて欲しい。もう絶対ダセー事しないから……
 ただ、そばにいて」

 しっかり凜を見つめて、真っすぐに告白した。

 ……すげー、スッキリした!

 今、重なってる視線に―――迷いは……ない。

「うん」

 凜がぎゅっと手を握りながら、答えてくれた。

 俺の、そばにいてくれる―――。

 凜が約束してくれたんだ。

「……夜までには、戻ってくるね」

 そう言って、ぎゅっと握っていた手が、離れそうになって…………ガシッ。

「っ!? ……梶くん?」

 俺が掴み返してしまった。

「あっ、き、気をつけて」
「はい」

 笑顔で凜は、俺の手をすり抜けて……バイバイしながら部屋を出て行った。

 離れ難い……って、こうゆう事か。
 初めての経験だった。

 すげー、恋人っぽかった……。

 ヤバ、何、この……こそばゆい感じ!?

 ムズムズして、胸をゴシゴシさすった。
 ボフッとベットに寝転がって、一息つく。

 真っ白な天井に、凜を想い描いて……
 ため息をつき、吸って……
 さらに大きいのをひとつ。

「……中学生かっつの」

 “ 好き ” とも言えず、ましてや、愛……なんて、わかりもしない言葉で―――。

 右手を突き出して、ミサンガを見つめた。

 ん?
 ……手が2つ、3つに揺らめいて、戻った。

 目を擦ってみたが、何ともない。

 ふと、あの人が脳裏に浮かんだ。

 “ 佐藤優一 ” 凜が会いに行く婚約者。

 凜が俺のそばにいてくれるのは……
 期間限定だ。

 未来の幸せを願うなら―――一番、大事に……ゴールへのラインを、導き出さなくては!

 魂の限り。俺の生命をかけて。

 俺を守る手首を強く握りしめ、今までのどれよりも大切に……祈りを捧げた。


 最期のときまで、俺にできる精一杯で。

 凜と、凜の未来の為に。
 幸せを願おうって―――。
  
 ―――いつものコーヒー……全く味がしない。

 空気さえ鋭くて、簡単に吸い込めない。

 出張後も、報告書に打合せに、追われてたはず……

 疲れもたまって、やっとの休日だと思う。

 少しでも休息を、って……
 私には、そんな心配する権利はない。

 追い打ちをかけて、彼に心労をかけてるのは私だ。

 素っ気ない返事に、短い通話、ごめんを続けて……
 大事な話がしたいと告げた。

 応じてくれたからには、察しがついてると思う。

 いつも利用していた駅のカフェ。

 テーブル上のリングケースと合鍵を、じっと……優さんは見ていた。


 私が梶くんを選んだ。

 出会って今まで、惜しみない愛情をくれた……この人に、さよならを告げる。

 終わらせるのは、私だ。

「……私、もう、これを持っていられない」
「……持って……か。お荷物に、なっちゃったのか」

 優さんの視線は、変わらない。

 私たちが愛し合っていた証しを、ずっと見つめている。

「私に婚約者でいる資格がないの」
「梶くんと、何かあった?」
「私が、私が全部悪い」
「おれのこと、嫌いになった?」
「優さ……」
「凜のこと大事に……
 梶くんに、何ができるの!?」

 ばっちり、目が合う。

 ちゃんと見て、私! 
 目を反らすな!!

 優さんをこんな風に……
 苦しんだ顔をさせてるのは、私のせいだっ。

 言葉で、はっきりと伝えなきゃいけない。


「私が、梶くんのそばにいたいの。片時も離れたくないの」
「……それ、おれが一番、欲しかったセリフ」


 グッサリ、突き刺さった。

 心を、動ずるな。私!

 今…世界一、サイテーな女だから!

 優さんとの約束を放り出す。
 私が嘘つきで浮気者な罪人なんだ。
 涙なんて、流せる権利もない。

「そんな冷たい顔……初めて見た。でも、おかしいんだ、おれ……。まだ知らない凜を見ると、愛おしい……」
「……もう、会いに来ないよ」
「……わかってる。好きとか嫌いとか、そんなのじゃなく。君らは、魂で惹かれ合ってる。ってわかってて……大見栄切ったのは、おれだから」

 優さんはケースと鍵を、手の中にしまった。

 はっ!
 これで最後に……

「優さん」
「凜……さよならは言わないで。
 今は手離すけど、おれに自信がついたら、今度こそつかまえに行く」

 どんな優さんより、一番男らしく……去って行く。

 店を出て見えなくなるまで、彼の背中を……視線で追いかけた。

 最後まで、甘やかさなくていいのに……優しくなんて……
 もう十分、愛してもらったから。

 ごめんね……

 ちゃんと、優さんだけを一番に愛してくれる人と、幸せになって――。


 彼の背中を、目に焼き付けておきたくて、両手で視界をさえぎった。

 深い呼吸をひとつ。

 ……会社、辞めなくちゃ。
 優さんが戻って来づらくなる。

 それだけじゃないか……
 来年、正気を保ってられるか、自信がない。


 梶くんのいない世界で、私……


 会社の姉さんになんて伝えよう……
 お父さんお母さんになんて説明すれば……

 なんて私、こんなにも弱い人間なんだろう。
 今、気を抜いたら、泣きそうだ。

 私が勇気を振りしぼれたのは、強くいられたのは、大切な人達が私を……いつも支えてくれてたからでしょう?

 その人たちを悲しませるなんて。
 本当に私は、よっぽどの大馬鹿もんだ。


 暫く後に店を出た。
 思い出の店も、これが最後だ。

 今日は雨で良かった。構内の雑音もいっぱいする。
 改札を抜けて、私の帰る所へ。

 私を待つ人の元へ戻るまで、雨が情けない心を洗い流してくれるのを願った。

 それは小春日和の昼下がりのこと。
 梶くんは突然言い出した。


―――凜、お願いあるんだけど。
   はい。何でしょう?
   添い寝してくんない?
   ……は? 
        

 病院の裏庭まで車椅子を押してきた。

 梶くんはゆっくり、芝の地面に下りる。そして、ゴローンと寝転がった。

「あ〜、ちょーひさしぶりっ」

 あー、言い方〜。ほんと、茶目男。芝生でって話ね、からかってぇ。

「もう動けねーって、見上げる空がいつも……幸せだったな」

 なつかしい……梶くんのその姿。

 大の字になって、空を見上げて……
 切らした息を満足そうに届けとばかりに。

 私は昔を思い出す。中学の時も、よくグラウンドでそうしてた。

 とても和やかな光景に浸っていると、梶くんが私を見た。

「ん?」

 梶くんは私に笑いかけ、芝をトントンて叩く。
 おいで、って。

「ふふっ。えーい」

 梶くんの隣に、同じようにして寝転んだ。

 芝が少しくすぐったいのと、草の匂い……こんな風に空が、広く近くに見えてたんだ。

 子供の時、梶くんの横でこうしたいって思ってた……

 またひとつ、願いが叶ってる。

「……あんとき、隆平が空まで高く蹴ってみて、って。最後に、本当にラストのつもりで……したら足つって、凜にあたった。はは 」
「あー、 思い出した」

 10年越しの再会は、ここから始まって……

 人生が大きく揺れ動いたけど、今は……隣から聞こえる梶くんの声が、とても心地いい。


「ずっと後悔してた……凜を呼びこんだみたいで」
「梶くん?」
「俺が忘れてたから。体の奥で根っこみたいに、もう自分の一部になってたんだよ。いつも支えになって、倒れないでいられたのは、そのおかげなのに……」

 梶くんが私を見て、くすっと笑った。

 え?
 私のこと……?

「全部ケリつけた気だったけど、大事なもん忘れてんぞって。
 俺が、凜を呼んだんだ……ごめんな」

 私は首を振った。

 全部、俺のせいだ。
 凜は悪くないよ。

 そうゆう風に言われてるみたいだった。


 梶くんが右手を空に突き出した。

 手のひらで空に描いた何かを、捉えるように見つめてる。

「ここに来て、俺、後悔ばっか……。なのに凜は、大切なもん、次々くれるから……俺はもう大丈夫。だから凜は、いつでも……!」

 ぐっと伸ばした。
 私も左手を。

 ちょうど梶くんの手首に届くくらいに。
 手のひらをそっと重ねた。



「今、ちゃんと届いてるから……。10年、長かったけど、また同じ空の下で手が届くなら……何度でも伝えられるから。そばにいられるから。私も大丈夫!」

 もう後悔なんて、ひとつもない。

 過去のわたしが追い続けた梶くんは、こうして私の隣にいる。

 私が今、守りたいものも……すぐここにある。

 どんな梶くんでも……今、このとき―――
 そばにいられることが、幸せだ。


 あ、れ……?

 梶くん、手が……震えてない??

「うわっ」

 ガシッと梶くんの手が、私の手をつかんで引き寄せる。

 ふたり向き合う格好になって―――
 梶くんのおでこと私のおでこが繋がった。

「凜、ありがとう」

 梶くんの優しい声が響いてくる。

 まるで、柔らかく撫でられてるように、胸の中までほぐされた気分だ。

「私も。梶くん、私を呼んでくれて、ありがとう」

 あたたかい陽の光に包まれながら、自然のベットの上で、ふたり寝そべって。

 何もかもが穏やかな、ひとときだ。

「もう少し、このまま眠ろう」
「うん」

 あぁ――
 このまま、こうしていられたら……

 梶くんのぬくもりを感じて。

 ずっと……どうか……一緒に……

 この世界で眠りにつきたい ――。


 まぶたを通って、優しく明るい光が降り注ぐ。

 この夢のような中で、神様に祈りを捧げるように、安心して目を閉じた。


 ―――。
 現実の時間は、無情に刻み続ける 。

 この幸せの戯れが……
 ただの儚いひとときだと、後に知らせる。

 私達が後悔をしなくなったから?

 誰かを犠牲にして得た幸せを、永遠に願ったから?

 ……最期のときが、近づいていることを、梶くんは感じていたの?

 だから、命が1つ1つ消え逝くあの棟から、たった数百メートルの逃避行に……

 私を連れ出してくれたの?

 梶くんが、私の手を……強く握りしめるのは―――

 自分の順番が訪れたことを……
 受け取ったサインだったんだね―――。

☆☆☆

 窓際のソファで梶くんが眠ってる。

 暖房の効いた室内に、少し開けた窓からひんやりした風が通り……はだけた毛布を、そっと梶くんの胸までかけ直した。

「……ん?」
「あ、ごめん、起こした?」
「あー、寝ちゃってた……」

 梶くんはまだうつろな目で、天をあおいでいた。

 調子悪いのかな?
 喉乾いてるよね……。

 私が水を取りに行って戻ってくると、起き上がった梶くんが言った。

「凜、仕事休みなの?」
「え?」
「だって、まだ昼なのにいるから」
「え??」

 梶くんは可笑しな事を口走っている。
 窓の外はもう真っ暗だ。

「梶くん、今は夜の8時だよ。私、仕事終わってから来た……」
「あれ? 夢見てた? すげー明るかったから」

 梶くんはモゾモゾと目を擦ったりして。

 寝ボケてる?
 なんか寝起き悪い子供みたいで……かわいい。

「ふっ。梶くん今日、検査疲れなんじゃない? はい、お水」

 ペットボトルを梶くんに差し出す。

「サンキュ」

 と受け取ろうとした時、梶くんの手からボトルがすり抜けて、床に落ちた。

「「 !!!! 」」

 梶くんの動きが止まってる。

 私はボトルを拾い上げて、ソファに腰かけた。

 ボーッと手の動きを確かめてる梶くんを、覗きこむようにして、「大丈夫?」と声をかけた。

「ごめん」

 小さな声で梶くんの返事がする。

「起きたばっかで力入らないよね」 
「あぁ、そっか」

 まだボーッとしてる梶くんが、何だか、赤ちゃんみたい……

「っ!」 
「いいこ、いいこ」

 髪をそっと、なでなでしてあげた。

「ついに俺の母ちゃんまで、こなすようになったの?」
「ぷっ、ははっ!」

 マネージャーのつもりだったんだけど、お母さんね。
 うん、それもいいかも?

 梶くんが私の肩に、おでこを乗せてきた。

 私は優しく梶くんの髪を撫でて……

「今夜はいい夢が見れますように」

 おまじないをかけた。

「……うん」

 梶くんの小さな声が聞こえた。


 どうか、ひとりのときも寂しくならないように―――願いをこめて。

☆☆☆

 秋が深まり、紅葉した木々が色付いた葉を落とす。
 病棟の庭にも、落ち葉が色とりどりの模様をつけて。

 移りゆく季節の情景を、私はロビーの椅子から眺めていた。

 今度は落ち葉拾いしなくちゃ……。

 暇つぶしに考えを巡らせていたところ。

 春見さんに車椅子を押してもらって、梶くんが戻って来た。

 私が先に視線を送ると、梶くんも私を見て微笑んだ。

「凜!」

 嬉しそうに私を呼ぶ声。

 検査結果が良かったのかな?

「おかえ……」
「いつ来たの? 外寒くなかった?」
「!?」

 ―――っ……。
 ふいに嫌な予感がまとって、声が出ない。

 梶くんをまじまじ見つめても、その言葉を……
 なんのおかしさもなく言ったんだ、と感じとれた。

「??」

 私が返事をしないことに、梶くんはキョトンと不思議がっている。


 これは―――。

 私は確信をもって、梶くんの背後にいる、春見さんの顔を思わず確認した。

 あぁ……。
 春見さんも私と同じ顔をしている。

 悪い知らせを感じたんだ。


《 外寒くなかった? 》

 梶くん、私はその言葉を……
 1時間前に一度聞いたよ―――。

 ここで待ってる、ってふたりを見送ったの……


 忘れた??

 そんな風にいつもみたく、笑って私を出迎えてくれるの……
 今日は2回目だよ――。


 梶くんの中の時計が逆戻りを始めた、瞬間だった。



 冬を告げる木がらしが、枯れ葉をさらっていってしまうように……

 梶くんの記憶が、途切れ途切れ、失くなり始めた―――。

 おはよー。こんにちは。今晩は。
 関係なくなって……

 梶くんの世界で、私は……
 1日に何度も訪問をした時もある。

 初めは戸惑った。

 でも梶くんが、その度に……
 笑顔で私を呼ぶから。

 まるで、ママのお迎えが来た園児みたいに、ぱぁっと、顔を明るくするから。

 私もその顔を、何回でも見たくなって。

 梶くんの時計に針を合わせ……
 ふたりの始まりを、また新しく再現した。


 いつ、この笑顔を見れなくなる……かわからない。

 私も同じように、梶くんに見せておきたかった。

 それを繰り返すうちに、何日分も時間が増えた気分になって。

 小さな幸せを見い出したものの……

 隣り合わせに、強烈な不安もつきまとった。


 梶くんの中の病魔が、梶くんの体を支配し始めている。

 見せつけるように、梶くんの一つ一つを奪っていく……。

 私の帰り道はいつも、しかめっ面で唇を強く結んでいた。

 後ろ髪を引かれる思いで、何度も……
 梶くんのいる丘を見上げる。


 涙がこぼれないように―――。


 拳を握りしめて、自分を鼓舞しなければ明日の希望を信じることさえ……難しくなってしまった。


 梶くんは日に日に……動きが鈍くなり、会話も少なくなった。

 外出も禁じられてしまって……
 最近は、窓から入る外気を頼りに、ソファで過ごす時間が多くなった。

 音楽を聞いたり、私が本を読み聞かせたりして。

 支えがなければ、体を起こしているのも……つらそうな梶くんを、私は隣で受けとめている。

 梶くんは私の肩にもたれて、静かに息をして……。

 梶くんの呼吸を、体温を、確かめながら……
 こうして読む本は、2冊目になった。


 もう、12月。 
 時間を、止めてしまいたかった―――。


「……ん。り、ん……」

 梶くんのかすかな声がした。

「ん?」

 梶くんの口元に耳を近づけた。
 何か、言おうとしてる。


 『・・・・・・』


 っ!! 
 ―――私の耳が聞き取った言葉は……


―― ぜんぶ 忘れて ――



 梶くんは苦しそうな吐息とともに、そうつぶやいた。

 いっきに全身の血の気が引いて、こみ上げてきた熱いものを……
 こぼさないよう、私は必死で耐えた。


 梶くん、梶くん……ごめん。

 私、本当に、梶くんを…… 
 忘れてしまう―――。

 10年前、あんなに強く梶くんを想っていたのに。

 この間まで、忘れてしまっていたの……

 梶くんの全てを覚えておきたいのに。

 自信がないの……それが怖いの!

 梶くんがいなくなったら……
 また忘れてしまう!

 もう二度と、再会する望みもなかったら……
 
 いつしか、思い出すことさえしなくなってしまう!

 私が梶くんの、梶くんが生きていた証しを、忘れてしまったら……

 悲しいでしょう?


 ……そう、思うのに。


 “ 忘れられない悲しみ ” 


 梶くんは、して欲しくないんだね……

 イイ事ばかり覚えてるわけじゃないから、つらい事も一緒についてくる。

 長い間、梶くんは―――

 そうゆう悲しさの痛み、味わってきたんだもんね……。

 自分が同じ想いを、与えたくないんだよね?

 残されて生きなくてはいけない……
 私のために、私の事を考えてくれてるんだよね?


「……うん。梶くん、わかってるよ」

 私がしぼり出した答えに、

「… 凜、ありがと」

 梶くんは優しい声でささやいた。
 そして……そっと小指を、私の小指に、からませる。


―― 約束な ――


『ぜんぶ 忘れて ―― 約束な ――』


 梶くんが、私のもとから、
 いなくなろうとしている。

 私の記憶からも、消えたいと、願っている。


 命は、なぜ、こんなにも儚いのだろう―――。


 私は涙をこらえ、梶くんの手をぎゅっと握りしめた。



「梶くん、ベットに戻る?」

 ソファにうなだれて座っている彼に、声をかけた。

 目の前にひざまずいて、梶くんの顔を覗きこむ。

 梶くんがゆっくり目を開けて、私を見た。

 こうやって見つめ合って……梶くんが何を思っているのか、何を望んでいるのか、読みとってみる。

 梶くんの声は……しばらく、聞いていない。

 声だけじゃない。

 梶くんが自分の意志で、出来る事が……ほとんどない。

 今は梶くんと見つめ合うひとときが、私にとって何より大事になっていた。

 少しだけ動く顔の表情で、意思を図る。

 うん。
 梶くんはうなずいた、と思う。

「春見さん呼んでこよっか」

 私の問いかけに、梶くんが、かすかに微笑みかけた……

 そのとき―――

「はっ!!」

 一瞬で梶くんの意識が落ちた!

 ダラーンと倒れこんできたのを、両腕で抱えとめた。

「梶くん! 梶くん!?」

 完全に脱力してる。
 何の反応もない。

 しっかりぎゅっと支えてないと倒れちゃう!

 どうしよう!?

 梶くんが……
      梶くんが!!


「はっ、春見さん!  春見さん!!」

 私は梶くんを上半身で抱えながら、春見さんを呼ぶ。

 お願いっ。

 早く!
 早く、梶くんを……


「はぁ、
    はぁっ、
        っ春見さぁあん!!!」


 狂気の混じった叫び声だったと思う。
 ちからいっぱい大声をあげた。


 助けて!
 お願いっ、梶くんを助けて!!

 ぎゅうぅっー……。


「あ!春見さ……」
「ベットに」

 気付いたときには、春見さんが梶くんを支えてくれてた。

 ふたりで梶くんをベットまで運ぶ。

 他の看護師さんも入ってきて、私は邪魔にならないよう、隅にゆらゆらと離れた。

 何もできずに……。

 ただ祈るしか、見守るしかできない。

 黙って、息を荒らげに吸っては吐き、息を止めてた場面もあったかもしれない。

 慌ただしかった光景が、ゆっくりと動き始めた頃。

 意識がもうろうとしてきて……
 私は立っているのがやっとだった。

 そうして、春見さんの声が近くで……

「大丈夫。気を失っただけ。
 呼吸も心拍も安定してるから―――」

 途中まで聞こえていたのに……

 あ……ダメ。
 これだけはしたらいけないって……

 私の張りつめていた糸が……
 プツン、と切れた――。


 ―――お願い、梶くんを助けて……


☆☆☆


「梶くん!」

 パチッ。
 自分の声で目が覚めた。

 どこ? ……ここ?
 はっ!
 梶くんは!?

 起き上がろうとして、横から押さえつけられた。

「ストップ!」
「……お母さん!?」
「点滴うってもらったから、動いちゃダメ!
 じっとして、もぉ少し横になってなさい!
 まったく、いつも言ってるでしょ!?
 ごはんはしっかり食べなさいってぇ!!」

 あー、お母さんだ。
 お母さんを引っぱり出してしまった……。

 梶くんは眠ってるから安心して、って。
 母の弾丸は、それで締めくくられた。

「はぁー……良かった……」

 じんわり涙が出そうだ。

「凜。あんたが付き添いしてる、ホスピスの同級生って……梶くんなの?
 中学の時、ご両親亡くなった梶くん?」
「……うん」
「……だから、優一さんと別れた?」
「知ってたの?」
「なんとなくね……」
「……ごめん。話しずらかった」

 「馬鹿ねぇ……」ボソッとつぶやく母の声がした。

 恥ずかしくて、お母さんの顔……まともに見れない。

 きっと残念がると思った。
 婚約までして別れるなんて。

 色々期待させるだけさせて……親不孝の大馬鹿でしかない。

 「はぁっ」母が短いため息をひとつ。
 お説教の合図だ。

「私ね……中学の頃、あんた頑張って忘れようとしてたから、話せなかったんだけど……
 梶さんと学校の役員してて、よく話をしてたの。お葬式も行ったわ」

 ……え?
 怒ってるんじゃ、ないの?

「……今でも覚えてる。
 “ 息子が生きがいなの ” って梶さんの言葉。すごいと思った。堂々と他人に言えることじゃないもの。なかなか、いくら親でもね。
 ……梶くんは、とっても愛されてたのよ。
 ご両親に大事にされてたの」
「……うん。うん」

 顔を手で隠して、うなずくしかできない。

「お母さん、最後までお見送りしたけど、梶くん立派だったわ。おばあちゃん支えてさ……あんな、いい子が……なんで息子さんまで……」

 お母さんの声はかすれて、私の涙も、流れるのを止められなかった。

「ご両親のぶんまで、最期まで、大切にしてあげなさいよ……」

 母が鼻をすすりあげて言った。

「……いいの? 私、婚約までして、恥かかせること……」
「恥なんてかいてナンボよ! 言っとくけど! 凜のこと、恥だなんて思ったこと一度もないわ! お父さんのことだって、どれだけ頼りになったか……。凜の選んだ道を、私は応援するから。いつだって味方よ」

 ……ボロボロで、ぐちゃぐちゃだ。

「ありがと……ありがとう」

 何回言えば、お返しになるんだろう……
 母が私の腕をさすった。

「梶くんが、凜の “ かけがえのない人 ” なのね」

 ……かけがえのない? 

 そうか!
 だから、誰とも比べられない、たったひとりの特別なんだ。

「……昔も今も、梶くんは大事なひと」
「わかった。梶くんのところに、戻るのよね?」

 私は大きくうなずいた。

 梶くんはもう、ロスタイム……
 時間は限られている。

 早く、早く会いに行きたい!

 お母さんは、後のことは任せてと、ぎゅっと腕をつかんで私のもとを離れた。

 勇気をもらって、元気をもらって、私は涙をふいて起き上がる。

 さぁ、また走らなくちゃ……

 今のこの想いを届けに。
 梶くんにちゃんと届けるんだ!


 部屋に戻り、一直線に梶くんを目に入れる。

 梶くんは静かにベットに横たわっていた。

 まだ少し緊張している足で、ゆっくり近づいて、顔を覗きこむ。


 すぅー。 

 ……良かった、本当に良かったっ。
 梶くんの呼吸を確認した。

 そっと、手をとって……じんわり―――。

 ぬくもりを貰い受ける。

 梶くんの体温を感じたら、ガチガチだった私の体がようやくほぐれた気がした。

 床にひざまずいて、しっかり梶くんの手を、両手で包み込む。

 目を閉じて、祈りを捧げた―――。

 私の想い、この気持ち、梶くんにうまく届けられるように……

 どうか、届きますように!


「梶くん、どうしても……伝えておきたいことがあります」

 いっぺんに溢れそうな想いをこらえて、ひとつ、ひとつ、丁寧に告げたい。


「……梶くんは、誰かの為に精一杯走ること。人の為に自分のちからを発揮できること。私に教えてくれました」

 ベットで眠る梶くんを見つめる私の視界に、ぼやけた記憶のスクリーンが重なる。

 次々に映し出されるのは、10年前の梶くんだ。

「情熱も、思いやりも。家族の大切さ、深い悲しみに、別れの痛み……」

 今、ちゃんと、伝えておかなきゃ。

 もう聞こえないまま、届かないまま、梶くんは……

 この世界を去ってしまうかもしれないっ。

「生きることの難しさ。あたり前の日常が贅沢なこと。ありふれた生活が輝いていること。命の尊さ。
 ……全部、教えてくれたのは、梶くんです」

 梶くんの背中を追いかけて、走って、私はたくさん知ることができたの。


「梶くんは、私に…… “ 一生懸命 ” を教えてくれる、かけがえのないひとです!」


 ―――かけがえのない大切なひとです。

 大切なんです…… 

 梶くんの生きる時間が!

 ぎゅうっ、両手に力をこめた。

「いつだって、梶くんの全てが、私にちからを与えてくれるから―――だから、私は信じる。
 梶くんのちからを、信じています」

 これは、私の誓いの言葉だ。

 あきらめない!

 最期まで、希望を持ち続けたい!


「まだ、共に、生きたいです!」

 一緒に、生きていたいんです―――。

 どうか。
    どうかっ…………!


「はっ!!  梶くんっ!?」

 ふいに手を引かれた感覚が!

 口元をかすかに、動かしている。
 梶くんが何かを……

 身を乗り出して、梶くんの声に耳を傾けた。


・・・・・・


 ぶわっ。
 涙が、溢れ出た。

 聞こえたよ、ちゃんと聞こえたっ。
 梶くんのか細い声を!


―― 俺も おんなじ ――


「っ梶くん……」

 “ 生きたい ” 

 梶くんの想い、届いてるよ……
 私にも、ちゃんと、伝わってるよ……

 弱々しい梶くんの指が、私の手を握り返そうとしている。

 私、今も、梶くんからちからをもらってる。

 気持ちが通じ合うって、こんなにも温かい ……。

「ありがとう、梶くん……ありがとう」

 1日でも長く、この世界で生きていよう―――。



 どこもかしこもクリスマスで色めいて、なんどきもクリスマスソングが流れてる。

 キラキラ、やたらと眩しすぎるし、鈴の音も、うるさくて耳を塞ぎたくなる。

 クリスマスを迎えられたら……嬉しい、けど。

 梶くんの期限が切れるようで……怖い。

 ダメだ、怖い……怖すぎる……。

 早く、ここから逃げ出したいっ。

 気持ちと一緒に早足になって……そのうち、いつの間にか走り出している。


 1秒でも長く、梶くんのそばにいたい!

 ひたすらに病院を目指す。

 愚かな姿だ。余裕なんて全然ない。

 梶くんに触れていないと、生きたここちがしない……。


 息を整えながら、梶くんの部屋に入れば、変わらずベットに横たわる姿がある。

「梶くん、今晩は」

 その寝顔にむかって、あいさつをする。


―― 凜! 外寒くなかった? ――


 けれど、返事はない。

「ごめん。手冷たいけど……」

 梶くんの手を握りしめて、体温を確認する。

 ……うん。あったかい。

 その次はベットに顔を伏せ、梶くんの胸に耳を近づける。


・・・・・・トク トク トク。


 あぁ、鼓動が聞こえる。

 梶くんの生きる音だ―――。

 やっと私も心が温まる。

 このパターンを続けて、たぶん……
 今日で6日目だと思う。

―― 俺も おんなじ ――

 確かにあのとき、梶くんのかすかな声を聞きとった。

 それ以来、もう―――
 今は声を聞いていない。

 時折感じた、手を動かす力も、もう……ぴくりともしない。

 握りしめた梶くんの手は体温が低いのか、寒い外から来たばかりの私が、冷たいと思ってしまう。

 梶くんの重たい腕を、私の肩に回した。

 少しでも私の体温を分けてあげたい……

 梶くんの腕の中に、私は自らおさまる。

 お互いのぬくもりを、少しでも伝え合えたら――。

 それしか、それだけしか……

 もう、できることが、ない。

「梶くん、外は寒いよ……もう手袋をしなくちゃ」

 私の声は届いているのかな……?
 もう一度、梶くんの声が聞きたいな……。

トク トク トク・・・・・・

 こうして、静かに、私達はこの世界で生きている―――。

 ―――あ、凜がいる……。

 あぁ、俺の腕の中にいるのか。
 あったかい。

 目を開けることはできそうになくて。
 気配を感じとった。

 体の中がぽわんて、ほんのりする。


―― 外、寒かったろ?
   今日も会いに来てくれて ――


 もう、声が出せないな。

 たくさん話したいことはあるんだけど……


 今、どんな顔してる?

 疲れてる?

 泣いて……ないよね?


 もう、まぶたも開けられないんだ。

 凜とアイコンタクトしたいけど……
 それは、夢の中で。

 呼んだら、すぐ会いに来てくれるだろう?

 また笑った顔を見せて。

 いつも眠くて……
 夢の中にいることが多いんだ。

 凜と寝転がった、芝生の上みたいに、温かい光の中で過ごしてる。

 とてもイイところでさ。

 そこに、寂しい夜なんてないんだ。
 明るく照らされてる。

 もう何も怖くない……

 凜がいつも、そばにいてくれるから。

 それだけで、俺は幸せなんだ。

 幸せ、なんだよ―――。


 こうして、俺がたどり着いた夢の世界は、温かい光の降りそそぐ、心地よい処だった。

 柔らかな陽射しに包まれた芝生の上で、いつも眠っているような。

 誰かの膝枕で、優しく髪を撫でて貰って。
 夢心地の中で生きた。

 現実を遠のいても……
 温もりだけは感じながら。

 最後の……
     ひとときを……
         
      ――最愛の人に包まれて……。



 ここは……?

「……スタジアム! え? 海外の……俺プレイしたかったトコじゃん!」

 ピッチの真ん中に、気付いたら突っ立ってた。

 ?? 
 なんで……


「あれ? 声も出る……ヤッベ、俺、まさか……転生した?」

 ガシガシッ。
 スパイクで芝の感触を確かめる。

 足の感覚もあるし、自由に走れる!

「スゲェ、夢みてー」

 ?? 
 ……あー、そっか。


 ここは、夢と魂の……世界の狭間だな。

 きっと、そうだ。 

 ……はっ!!


「……父さん、母さん」

 フィールド外に、ボールを持った父と母の姿があった。

 久しぶりに現れた気がする。

「……迎えに、来て、くれたの?」

 ふたりはじっと俺を見ている。


 ポツ、ポツ、ポツ……

 雨だ。
 ……雨が降ってきた。


 ―――もう、 逝く時か……。


 いや、ダメだ!

「父さん、母さん! あんときはちゃんと、さよなら言えなくて、ごめん!
 もしかして…… 俺の、俺の病気の、 身代わりになってくれたの――?」

 サッカー続けられるように。
 だから、今まで小児難病おさえられた?

 ただ、父さんと母さんは…… にっこり笑ってる。

 朗らかな笑顔で見つめてくれる。

「……あり・・・ありがとう! でも、ごめん! 一緒に行きたいけど、先に行ってて。俺、まだやりたいことあるから」

 ふたりはゆっくり、うなずいてくれた。

 父さんがサッカーボールをほおる。

 コロコロとパスされたボールが、俺に向かってきた。

 はっ!! 
 消えて……

「父さ……母さ……」

 優しい笑顔のまま、うっすら残像になって。

 ふたりの形をしていた、小さな光の粒子は…‥

 空へ、飛んで行った―――。


《 また、家族で暮らそうね 》


 空に想いを届けて、俺は自然と目元がゆるんだ。


 足元に残されたボールをじっくり見た。

 まだ俺の体に残ってる闘志が、ジワジワと湧き上がってくる。

「これが、ほんとのラストだ」

 ッポーン! 
 キック音。ボールは放たれた。

 さぁ追うぞ!

 芝を刻む足音。
  ボールのタップ音。
   爽快に流れるピッチの風。 

 苦しい時も、寂しかった時も、全部!
 楽しかった時も、幸せな時も、全部!

 一緒に駆け抜けた―――

 最期のシュートだ!!

 捉えたゴールに向け、大きく蹴り放つ。

 パシュッ! 
 ゴールネットが綺麗に波うった。

「……っしゃ!!」

 拳を固く、余韻まで握りしめた。

 渾身の想いで、芝の上に寝転ぶ。


 いつもの空だ…… 

 どこまでも広くて、澄みわたる青い空。

 いつしか雨は止んで、変わりに光の粒が降ってくる。

 あたたかな陽に包まれて、天から舞い降りてくるのは……

 俺の、女神だ―――。


「……会いたかったよ」

 手を伸ばせば、微笑んで……その大きな翼で、俺を抱えこんでくれる。

 あたたかくて、心地いい―――
 ずっと、こうしていたい―――

「このまま、眠らせて……」

 女神は俺の願いを、必ず聞き入れてくれる。

 そうして、しっかり俺を包んで、空へ連れてゆく…………

 ふわふわと優しく抱きしめて―――。


「ありがとう。いつも、ありがとう……
  ―― 凜 ありがとう ――  」



 ある冬の冷たい早朝。
 静かに、梶くんは……旅立った―――。