さよならをちゃんと言わせて。

 なぜか梶くんが、よそよそしい……

 せっかく距離が縮まったかと思ったのに、また元に戻った気がして。

 私、何かした?
 ふりだしからやり直し、みたいで……
 なんか、やる気に火がついた。

 商業イベントに乗っかって、ハロウィンのお菓子を大量に買い込んで登場したら、久しぶりに梶くんの笑った声が聞けた。

 小袋に詰めてリボンをして、梶くんのベットがお菓子だらけになった。

 小児科にプレゼントして、春見さんのお子さんにも、隆平くんにも。

 学校の文化祭みたい、ってふたりでゆったり過ごした。

 思い切って……
 「クリスマスも、またやろうね」言ってみたけど。

 「……うん」て、小さな返事がひとつだけだった。

 それでも、私、めげない!

 12月は……奇跡をおこしたい!

 梶くんの元気が損なわれていくと、私は躍起になっていた。

 夕方の散歩に車椅子を押して、お気に入りのベンチへ……

 誰か……いる。

 梶くんと顔を合わせたけど、お互いに??。

 柵の前に立って、景色を眺めているようだった。

「こんにちは」

 私が声をかけると、びっくりしてこちらにふり向いた。

 あぁ! 
 もう1度、梶くんと顔を見合わせて、うんうん。 

 隆平くんのお母さんだ!

 ちょうど隆平くんにもお菓子を……って、何だか、様子がおかしい。

「あの……」

 梶くんが声をかけると、奥さんはぐっとこらえて、ふりしぼるように言った。

「主人は、先日……旅立ちました」

 え―――えっ!?

「自宅で、家族に見守られながら……穏やかな最期でした。どうか、どうか……あなたは、1日でも長く―――」

 そのあとの言葉は聞き取れなかった。

 顔を手で覆って、頭を下げると、足早に立ち去って行った。

 梶くんが後れながら頭を下げて、私も慌ててマネをした。

 一瞬、気がどうかしてた……。
 まだ声が、出せない。

 しばらく続いた沈黙を、梶くんが破った。

「……最近、全然見かけなくなって。
 もしかしたら、って」

 先月、ここで会ったばかりなのに?
 ……こんな、すぐに? 

 待って!

 梶くん、もしかしたらって……死の兆候……
 わかるの!?

 私、こんな急に病気が進行するなんて、死に繋がるなんて、考えてもみなかった……

 もっと徐々に、少しずつって……違うの?


 梶くんは、自分のタイムアップ……
 感じて、いるの ――?

「隆平が心配だな……」

 梶くんがそっとつぶやく。

 あ……
 私の記憶が瞬く間にスクロールする。

 過去の梶くんが、悲しげな姿ばかりが、サーッと。

 ダメ、ダメ。
 梶くんと隆平くんが重なり合ってしまう―――。

 ダメって言ってるのに!

 堪えきれない想いが溢れた。


 まだ隆平は7歳だってのに……。

 わかってはいたけど、ツライ現実は、昔の記憶を呼び起こす。

 両親の死がフラッシュバックして、その時の悲しみが感覚を蘇らせた。

 うつむき加減だった俺の首筋に……

 ポタッ、ポタッ。

 肩に滴るこの感じは……俺、これ覚えてる。



 凜が言ってくれた時だ。
 中学の部室で……ひとりにしないって、俺の背中に響く声で。

 そして肩が熱くなって、どんどん湿って……!

「凜!」

 泣いてる―――そうだろ?
 あんときみたいに!

 振り返ると、凜は口を手で覆って、顔をそむけた。

「……凜?」

 こもったうめき声が降ってくる。

「こっち、来て……」

 手を差し出したものの、凜はすり抜けて、よれよれとうずくまった。

 俺に背を向けて、小さくなって……

 時折、波打つように背中を震わせて、いっそう縮こまる。
 声を押し殺して……。

 ごめん、凜。
 また俺が泣かせたんだ。

 ごめん、泣くな。
 凜が泣いてると、俺……。

 ためらいながら、手が伸びていってしまった。

 ずっと……
 この手は、凜に伸ばしちゃいけない―――気がしてたんだ。

 つかまえちゃいけない、って。
 でも!

 いつだって凜は、寄り添ってくれるのに、ひとりで泣かせておくなんて―――


 俺のクソ野郎!
 何で届かねーんだよ!
 何で車椅子なんか乗って……

 動けよ! 俺の体! 

 ―――凜に、手を、伸ばせ!!

 ガシャン! 
 車椅子は傾いて大きく音を立てた。

「……っ」

 ジーンと体を駆け巡った痛みの中で、ちゃんと俺……凜をつかんでた。


 必死に伸ばした俺の手が、凜の涙でぬれた小さな手を、しっかりぎゅっとつかまえてた。

 すっぽり腕の中に、凜をしまえてた。


「うぅ……どうしてっ!
 何で!  いつも、梶くんばっかり!」

 凜の体が暴れてる。

「梶くんばっかり、こんなめに!!」

 ありったけの力で、凜の上下する肩を受けとめた。

 わかった。
 わかったよ、凜……

 泣きたかったワケじゃないんだろう?
 俺が手をとってしまったから……吐き出してくれてるんだよな。

 俺の代わりに……
 俺が飲みこんでた本音を、凜がくみ取って、わめき散らしてるんだ。


 本当は俺が、そう、叫びたかったんだ!


 ぎゅうっと抱きしめて、凜の肩に顔をうずくめる。

 もういいんだ、凜。
 俺のせいで、もう苦しまなくていい―――。

 凜が壊れないように、力いっぱい願った。


 凜の慟哭が、俺の心と共鳴する。
 繋がり合おうと、求めてしまう……
 一緒にまた涙を流してしまう……

 どうか、止めてくれ!
 頼むから、この俺達の衝動を―――

 どうか、この時間を止めてしまってくれ!
 今、私たちが生きているこの世界は、なんだか……息苦しい。

 不満も、不安も、閉じこめて……

 救いも、未来の希望も、簡単には声に出せずに……

 ただ我慢をして、待つしかない。
 現実は厳しいことを知った。

 胸にポッカリ開いた小さな穴を、冷たくなった夜風が、スースー通り抜けてく。

 今夜の梶くんは、とても、つらそうだ。

 窓から覗いた瞬間から、私の全身が固まりかけた。

 ソファにもたれて、目を閉じたまま、梶くんはあまり動かない。

 時折、息を深く吐く。

 昨日、投薬をしてから、こんな調子……
 梶くんはひっそり教えてくれた。

 何かして欲しいことは?
 の問いに、「何も……」

 私は停まっていた音楽をかけて、水を置いただけ。

 今そばにいるのは邪魔か、帰ろうか。
 迷って……でも、居座ることにした。

 できるだけ梶くんに近い場所で、静かに見守っていよう。

 ソファの端っこに腰をおろして……
 ただ、ここに居るだけ、でいた。


 何も詳しいことは教えてくれない。
 梶くんの病状も、治療についても。

 私はそういう立場じゃないけど、あれこれ詮索してしまう。


 治験は成功していますか?
 その新薬は効果ありますか?
 延命はできそうですか?

 それとも……

 失敗なんてしないよね……
 変な副作用でたりしないよね……
 梶くんの命を短くなんて、してないよね?


 ……怖い。

 ダメだ! 
 すごく怖い……寒気がするっ。

 手が小刻みに震え始める。

 まずい、止まらない――。

 両手をぎゅっと組んで押さえつけた。

 静まれ、静まれ!

 隣にいる梶くんに気付かれないよう、この震動を早く止めたかった。

「ふぅー」 
「はっ!?」

 梶くんが大きく息を吐いて、目を開けた。

「大丈夫!?」
「おー、ベット行くわ」

 梶くんはヨロヨロと立ち上がる。
 私は咄嗟に梶くんの腕に手を添えた。

「肩つかまって」 
「サンキュ」

 私の肩に、梶くんの手のひらがのっかる。

 ベットまでのたった数歩がしんどそうで、肩で梶くんの重みを感じた。

 ベットに腰をおろしたとき……ガクッ。

「あっ!!」

 滑り落ちかけた梶くんを、両手で受けとめる。

「危なっ……良かっ、た?」

 全力で踏んばれた後、顔を上げたら……
 近いっ!
 梶くんの顔が!

 ど、どうやって、体勢を……戸惑った、一瞬のことだった。

 ――――――。

 口元にかかった私の髪を通して……感じた、それは―――
 やわらかな唇の……感触!?


 ドンッ!
 梶くんは勢いよくベットに座りこむ。
 きしんだ音が駆け巡った。

「あ、ごめ……」

 乱暴に接したことに自分で驚いて。

 梶くんの顔を見たら、もっと動揺がおさまらない――。


 ふれた、よ?

 事故だ、って言ってくれない、の?

 だって、梶くんが……梶くんが―――私を、引き寄せたよね??


 梶くんの面食らった表情が、答えだ。

「ごめん、帰る」

 バックをつかんで飛び出した。

 ちょっと、もう、事実を受け止められなくて。

 言葉も接し方も見つからなくて。
 その場を逃げ出したんだ。

 疾走してなければ、やましさに押しつぶされそうで、ひたすらに走り続けた。


 やっぱり、この世界で生きていくには―――
 息苦しさが続くみたいだ。

☆☆☆

 あっという間に一週間が過ぎ……
 一度も梶くんには、会いに行けなかった。

 私が息切れしていたからだ。

 あの後、梶くんの体調はどうなったか、心配でたまらないのに……
 確かめないといけないのに……

 勇気のない足は、病院へ向かえず、東京行きの新幹線を選んだ。

 この前、隆平くんのお父さんの死を知ってへし折れた私の心を……立て直してくれたのは 、優さんだ。

 あの日、梶くんの前で、どうしようもない子供みたいに……感情のまま、泣きわめいた。

 梶くんがしてくれた、あの慰めは―――
 弱々しいのに、強くしがみつく抱き方は……

 特効薬にはならない。

 それはもう、子供のときに経験したから、わかってる。

 10年前に私もそうしたけれど、さよならを止めることはできなかった。

 優しく包み込むように、ぬくもりを与えてくれる抱き方でなければ……

 心が満たされない。

 大人になって、それを知った。

 優さんはそれ以上に、私に愛情をたくさん注いでくれる。

 大切にされてると、全身で感じとった。


 改札の先に優さんの姿が、いつもと同じにある。

 私に向けられた笑顔を見たとたん、心が息を吹き返した。

 私は、こうやって、生きる力を取り戻せるからいい。

 でも梶くんは……
 ずっと病棟の中で、息抜きもできず……

 ひとりの時間を、病気と向き合っていたら、息苦しさを逃れるために……

 そばにいる私を利用しても、仕方ないと思った。

 もう、子供じゃないんだから。

 私が距離感を間違えた。
 梶くんは悪くない。

 私がもっと考えなきゃいけなかった。
 看護の仕方も、感情のコントロールも。
「凜〜、会いたかった」

 ニッコリする彼女の手を、すぐとった。

 ん? 
 何でもないか?

 凜が「明日の出張は大丈夫?」と、まず確認してくる。

 まだ準備は終えてなくて、実は途中で迎えに来た。

 今週は会えないと思ってたから、こうして来てくれることが何より嬉しい。

 けど、顔色良くないし、また痩せた?
 ブルーデイって言うけど、そんなもん?

 男は狼になったら、理性が利かないけど、血闘中の女に手を出すと想定外の天誅くらうから!

 ここはイチャイチャ気分を封印して、紳士に対応しないといけない。

 体を労る気持ちで、公園のベンチに座らせた。

 秋晴れ。陽だまりの下、にぎわっている。

 凜はコーヒーだけでいいと言ったので、僕のサンドをひとかけ、口にほおりこんだ。

「おいしい?」 
「うん」

 もっと?と聞くと、ううん。

「!?」

 コロコロコロ。
 サッカーボールが足元に転がってきた。

 凜は拾い上げると、走ってきた男の子に渡す。

「はい」
「ありがとう」

 って後も、ちゃんと見送ってる。

 子供に優しい所も、ほんと好き!

 愛しい凜の顔を、ただただ見つめる。
 幸せのひととき。

 あぁ、なんて愛らしいんだろ。

 そんな風にほんわり微笑む凜、初めて見た。

 少し離れた広場で、さっきの男の子が両親とサッカーして遊んでる。

 凜はそれを見て……どんどん表情を柔らかくして、優しい顔になった。

 母性がにじみ出てる、ってゆーか。
 遠目の緩んだ目元に潤んだ瞳、微妙に何か言いたげな唇。

 とろん、としたあの顔ではないけれど、すごく魅力的な表情。

 そそられるな……もう、抱きしめたい。

 だからダメだって!
 今日は紳士で!

 思わず手を伸ばして、凜の髪に触れた。
 これで、我慢……

 覗きこむようにして僕を見る、その顔も愛おしい。
 今日も好きが止まりそうにないんだよなぁ。


 家に連れて帰って、まったりできた頃は、もう1日の終わりになっていた。

 ふたりだけのソファで、テレビを見ながら何気ない会話をする。

 これも、また幸せのひととき。

 ふいにサッカーが流れて、梶くんのことが気になった。

 僕が会いに行ったこと、ちゃんと内緒にしてくれている。
 いい奴だ。

「梶くん、調子はどう?」
「え? あ、えーと、最近行けてなくて……」

 そっか。
 まさかね、凜が中学の時マネージャーしてたなんて、初耳だった。

 梶くんとのことも……ほんとショックだった。

 だって、僕なんて、ただおちゃらけてた年頃だったよ。

 なのに……

 人生揺るがすほどの、ラブストーリー 。

 中学生で展開してるって衝撃大きかった。

 すごく怖かったよ……
 そこに、おれ、割って入れないから――。


「サッカーうまかった? 梶くんの中学時代?」
「え? あー、うん。上手だったよ……入学してすぐレギュラーだったし。試合すると、いつもマークがきつくて……」

 僕はマネージャーの凜を想像してみる。

 昼間、公園でサッカーボールを拾った、凜を思い出した。

 あんな感じかな?
 可愛かったろうな〜。

「でも、ん〜。蝶々みたいに、軽やかにゴール決めるの。キラキラしてた、いつも……」

 あ、また凜その顔するんだ……優しい表情。

 昼間も公園で、理性掻き立てられちゃったけどさ。

 赤ちゃん抱っこする、母親みたいに……?

 凜……
 その顔、誰に向けてる?


 それって―――梶くん……?


 公園でも、梶くんを―――想ってた??

「あ、お茶、入れてくるね」
「はっ!」

 立ち上がった凜の手を、咄嗟につかむ。


《 行かないで! 》 


 心から飛び出した。

「「 !!!! 」」

 カツン、コロコロ…………



 凜の指輪が床に落ちて、転がっていく。

「ごめんなさい!」 
「!?」

 ビックリするくらい、凜は大きな声で謝った。

 指輪はクルクル回って転げ止まった。
 体を伸ばせば手の届く距離にある。

 良かった、あまり遠くに行かないで。

 指輪を拾って、凜の薬指にはめる。

 するっと、元の場所へ。
 なんのつっかかりもなく。

「……指輪大きい?」
「……お風呂上がりに、オイルぬったから」

 そう言って、凜は……困ったように、笑顔を作って見せた。


 凜? 
 無理、してる? 

 ……おれのせい?

 もしかして、凜が来たかったの…………おれの所じゃ、なかった?

 凜…… 
 凜の心、誰に向いてる ―――??

「うん?」
「いや……もう寝よっか。朝ゆっくりできないから」

 頭の中よぎった憶測を、誤魔化すように……僕も笑って見せた。

 平気な顔してヨチヨチ抱っこで、ベットに連れこんだ。

 いつもみたいに、凜の匂いをまとって、幸せに眠るんだ!

 それで、安らげるはずだ……変な思いつきなんて、消えてくれる。


 早く寝ようと、眠りに就きたいと、思えば思うほど……寝つけない。

 愛する人を抱きしめているのに……

 何でこんなに遠く感じるんだ?
 どうして、ザワザワ雑音がうるさいんだ?

 大好きな凜が、腕の中で、眠っているのに ……。

 凜はさ……おれが好きになった凜は……
 梶くんを想って、育まれた凜なの……?

 世話焼きで、家族想いで。
 厳しいのに熱いところも……

 梶くん……ありきなの?

 おれが惚れこんだ魅力って、全部……彼が……?


 どうしたって、頭から離れない。

 でも、決心しただろう!
 凜の全てを受け入れて、守ってみせるって。

 腕の中で寝息をたてる凜を、体中で記憶したい気持ちだった。

 静かに、こっそりキスを落とす。

 気付かれないように、もう1回。

 あと、もう…… 

「ん……」

 凜が寝返りをうって、離れそうになる……嫌だ!
 ぎゅうっと、抱き寄せた。

 本当は、まともにキスひとつさえ、できそうにない。

 また、あの作り笑いを見るのが怖いんだ!

 もう、僕だけを見てくれないんじゃないか―――?

 どんなに抱きしめても不安が押し寄せる。

 前に抱いたときより、凜はまた細くなった。

 切なさを感じるほどに、両腕でしがみつく。


《 どこにも行くな! 》


 夜が明けるまで、離さず……すがりついていた―――。


 ―――変わらない朝だった。

 そおっとベットを抜け出した凜が、朝食の支度を始める音を聞いていた。

 まだ温かい、彼女のぬくもりが冷めるまで。
 重い体を起こして、顔をつくろって、「おはよう」と言えた僕に……

「わ! すごい寝グセ! 直る?」

 世話焼きでしっかり者の、いつもの凜がいたから……

 急に泣きそうなくらい、嬉しかったんだ。


 駅のプラットフォーム。

 私が見送るのに、と言う凜を押し切って、下りの新幹線ホームへ。

 片手にキャリーと、もう片方は、凜の手をぎゅっと握りしめて。

 スーツを着て、ネクタイを締めて、身なりを整えたら……

 また強くなれる、気がしたんだ。

 梶くんに会いに行った時みたいに……


「気をつけて、いってらっしゃい」
「うん。また、連絡する…… 」

 凜が笑顔で僕に手をふって、乗車しようと背を向ける。

 その、離れゆく―――背中にしがみついた。

 プルルルル……
 新幹線の発車ベルが、ホームに鳴り響く。

「優さ……」

 もっと、ぎゅうっと、抱きしめたかった。

 でも、一晩中抱き続けた腕は……ピリピリときしんで、そうすることができなかった。

「……僕の為に、無理したらダメだよ」

 弱々しい腕をゆるませて、凜の背中を、そっと、押した―――。







 プシュー。 
 新幹線のドアが閉まる。

 優さんに背中を押されて、弾みで乗り込んだ。

 何で、優さんも……
 梶くんみたいな、抱き方……!?

 振り返って、窓越しに見えた優さんは、泣きそう―――。 

 どうして、そんな顔?

 遠ざかる彼の姿を、窓にへばりついて覗いてみていた。
 けれどすぐ景色に消えてしまった。

 私、何か……あっ。

「あの! 落としましたよ」

 隣の号車から通り過ぎる人に、急いで声をかけた。

 落ちた乗車券を拾って、手渡した時、変な違和感を覚えて……?

 「ありがとう」その人が去った後も、自分の左手をまじまじと見て、気付いた。

 私、いつから、こんな風に……薬指だけ曲げてる。 

 何でだろう?
 って、そう。

 昨夜みたいに、ふとした拍子に、指輪が抜けてしまうから。

 これをしてないと、自分を見失い……そうで?

 無理に? 

 婚約者で、あり続けようとした……??

 だから、優さんに、あんなこと言わせた……。


 私が、優さんに……あの抱き方をさせたんだ!

 はっ―――。
 自分で自分に引いて、息をのんだ。

 私が優さんを、利用してた!

 梶くんの為に……優さんを利用したんだ!

 私は優さんを愛しながら、梶くんのことも大事に想ってる……

 優さんに愛されながら、私は……
 梶くんを思い浮かべて、助けたいと望んでる。

 正直に、キスの事故も言えなかった……

 もし話して、梶くんをとがめられたら、もう会いに行けなくなる。

 それは避けたいからだよね?

 今回だって、会いに来たのは……
 愛し合う行為はないって、わかってたからでしょう?

 だって、今までと同じになんて……
 自信なかったもの……


 私はズルイ。最っ低だ!
 これは完全な不貞行為だ!

 こんなの……大馬鹿もんでしょうがっ!

 どっちにも不誠実で、中途半端で、私がふたりとも傷つけている。


「……はっ、はぁ、はぁ、くっ」

 息が苦しい。
 涙があふれる。
 溺れそうだ。

 もう時間がないのに……
 泣いてる時間なんてないのに……

 あがいても、もがいても、この世界でどう生きるのか―――
 答えは見つからなかった。

 覚えてる。
 ちゃんと覚えてるよ。


 俺が!
 ヤラカシましたぁ……。


 ったく。ずっと突っぱねてきたのに、何であそこで切れるかなぁ……
 もう完全に詰んだ!

「はあ〜あ」

 何やってんだ俺……ダセー。

 クシャクシャと頭をかきむしった。


「梶さーん、支度でき……えー? 何それ、寝グセ?」

 首を横に振った。

「……ふぅ。少しは動いた?」

 また首を横に振る。
 ベット横で春見さんはあきれてる。

 悪いとは思ってるけど、春見さんに何度も同じ事言われてる。

 でも、気力も何も、でてこない。

「今日も、真野さん来ないの?」
「……たぶん、もう、来ないよ」

 またね。
 なんて、あるわけないじゃん!

 あんな顔させて、最後にするなんて……

「はぁ……」
「何かあった?」
「……俺が悪い。俺が反則したの」

 凜はもう、あの人のもんなのに……
 俺のじゃねーんだぞっ。

 一瞬、ほんの一瞬だった。

 体がドロドロ煮えたぎってる感じの中で、快い感触が欲しくて求めた。

 俺の手が、凜をつかんだ。

 ファウルだよ。フェアじゃなかった。

「あれは完全にレッドだわ。
 ホント……カッコ悪っ。はぁーぁ」

 情けなくって、ため息しか出ない。

「ちょっとぉ!」 
「えっ!?」
「もぉ、どぉんだけよ!」
「春見さん!?」

 初めて見る、眉間にシワ入った野獣の顔。

「この1週間、なんっ回ため息つくのよ!
 ん"ん"ん〜!
 ぉおんどりゃあ男でしょうがっ!!」
「ちょ!? キャラ変!?
 てか、オネエなの? ワイルドなの?」
「んなぁあに、カッコつけてんすか!?
 全部きれいさっぱりなんて、できないんですよっ! 生きてるんですから!!
 失敗したり、後悔したり、当たり前!
 カッコ悪くてもいんじゃない? みじめでも、無様でも……真っすぐに、正直でいる方が、男らしいと思いますよっ!! 」
「……っ」

 意表を突かれたゲキに、ぐっときた。

 久しぶりに熱いもん感じて、何も言葉が出ない。

 「診察行くから支度しといて!」って、忙しい春見さんに、コクンとうなずいた。

「……どっちかっつーと、オネエだったな」

 悶々としてた頭の中が、スッキリした気がした。
 少し冷静になれたかもしれない。

 正直に……
 俺、正直になっていいのかな?

 もう何もいらねーって。
 空っぽにして。

 あとは……息絶えるのを待つ。

 そのつもりで、ここに来た。


 まさか、まさか凜に会うなんて―――
 1ミリも思ってなかったんだよ。


 始めは、少しだけイイ思い出持って逝ければ……って軽い気持ちで。

 簡単に繋がりは、ほどけると思ってた。

 だって誰でも、面倒になると遠ざけたくなるだろ?

 けど、俺の読みは全部外れた。

 こんなに凜を必要とする自分なんか、全然想像できなかったんだ。


 婚約者がいるのに。
 幸せな未来が約束されてるのに。
 離してやらなきゃいけないのに。

 ガキでダセーだけの俺が。
 どんどん弱るだけの俺が。
 何もしてやれねー俺が。


 ただ、凜だけを……
 欲しがっちまったんだよっ。


 だって、もし、あの日!
 どしゃ降りの雨が、降らなかったら?

 父さんの車がスリップしなかったら……
 このミサンガをもらってたら……

 10年ずっと……凜が……
 隣にいてくれたかもしれないんだ!

 もっと触れることも、抱きしめることも、俺のもんに―――できたかもしれない。


 本当は……そうしたかった。
 って―――心が、俺の魂が、凜を求めるんだよっ。


 どうしたって止められないんだ!

 そんで……
 感情の糸、切らした結果が、コレだよ。

 凜を傷つけた。

 きっと、今だって、泣いてる……
 俺のせいで、罪悪感にさいなまれてる。

 俺、正直になったら、凜を苦しめるだけだ。

 凜が、凜でなくなるよ……
 壊しちゃう。

 だから、あれで、さよならでいい……

 それが正解なのに、俺まだ、夢を見る。



 いつもみたく、その窓から凜が訪れる……

 俺のもとに再び、ぬくもりを届ける。

 待ちわびているんだ―――

 勝手だけど、身勝手だけど、昨日も一昨日も……


《 凜に会いたい! 》


 そう、願っているんだ―――。

 

 クッソ……
 今日もっ。

「ハァ、ハァ……っ」

 苦しっ……


 夜の静けさとともに、ふいに襲われる発作。

 ずっとこんなの、おさまってたのにっ。

 突然やって来る。
 何処からともなく、じわじわと覆いかぶさってくるんだ。

 黒くて重たい幕。
 全身包んで締め付けられてる……


 思い出したくない感覚を―――
 一番恐れている幻想を―――


 目をつぶっても、振り払っても……
 脳裏に見せつけて、重くのしかかる。


 逃げられない―――。
 もう、ダメか……


 落ちる、直前で消えていく。

 また来るよ……
 ひっそりと、何処からか声が聞こえて。

 体の奥底に傷跡だけ残して去る。

 精神崩壊、寸前だ。



 はっ!

「…………はぁ、……ふぅー」

 息……落ち着いた。

 灯り、あかりが欲しい……

 手探りでつかんだ。
 まだ震える手で、ガラケーを灯す。


 凜……

 画面の中で、凜の眠る姿が光る。
 弱った俺を、癒やすように照らしてくれる。

 すぅーっと寒気が払われて、ほんのり肌をあたためるんだ。

 ―――今だけ。
 カッコ悪くても、いっかな……?


「―――会いたい ……」

 画面の中の小さな灯火に……こっそりと、 キスを―――。

 ―――窓からもう、鈴虫の音は聴こえてこない。

 秋のにおいを漂わせた寂しい夜風が、頬を撫でて通り抜けてく。

 東京からの帰り道。
 痛み痛ませ……全てが苦しい現在を、受け止めるのに疲弊した。

 何も手につかなくて。
 自室の机に伏せ、時間をやり過ごしていた。

 そばには、スマホとガラケーと。

 どっちからの連絡を待ちわびているのか……

 現実の世界にいたいのか。
 過去と夢の世界にいたいのか。

 自分でもワケがわからなくなっていた。

「ん……?」

 気の抜けた意識の中で、ほわっと、かすかに…… 

 優しいキスでもされたかのような―――
 錯覚に揺らめいて。

 そして、耳の中へ聞き覚えのある振動が届いた……気がした。

 ブルブル 。
 その音は、昔……遠い記憶の―――
 
 ずっと…… 

 毎晩待ち続けた―――

「はっ!?」

 ガラケーが震える、着信だ!


 ガタンッ、バタバタ…… 

 感じたままに飛び出した!

 そばにあった、それをつかんで。
 呼ばれた、その場所へ。

 もう、止められないっ!


 私の奥の、奥に閉じ込めた、子供のわたしは……

 さよならを、ちゃんと言えなかった、わたしは……

 いつだって、梶くんを追いかける―――。


 今の私は……

 まだ、さよならを、言いたくない私は……

 梶くんの……そばにいたい――。


 過去のわたしも、今の私も、大事にしたいのは……

 誰よりも梶くんだ!



 指輪は……外してきた。

 違う!
 落ちるからじゃない。

 はめて、いられないから。

 左手はガラケーを強く握りしめていた。


 タッ、タッ、タッ、タタッ。



「はっ!」

 息を切らしながら、視線で捕まえたのは―――

 梶くんがソファで眠る姿と、目尻からこぼれる…………一筋の涙。

 梶くん……

 一瞬で胸を締めつけられて、私まで泣きたくなった。


 約束したのにっ。
 私が誓ったのにっ。

 ごめんね、梶くん……

 ひとりぼっちにさせたから、つらかったよね―――

 ひとりで、寂しかったよね―――


 もう、ずっと―――そばにいるから。


 そろりと迷いのない足は、梶くんの一番近くにたどり着いた。

 そっと手を頬に当てて、ゆっくり涙を指で撫でる。

 切なさと恋しさと……
 胸の奥で渦巻いて膨らみ上がる。


 こんなにも、私の心は、梶くんを大切にしたかった―――。

 梶くんのこぼれた痛みを、私がやっともらい受けた。
 …………?

 暗闇から意識だけ先に目覚めた。

 誰か、いる? 

 ……頬が温かい。

 ぬくもりを、感じる。

 灯り……欲しかったあかりだ。

 大丈夫。
 目を開けても怖くない。

 そう、ぬくもりが伝えてくれる。


 まぶたをゆっくり開けば……

 そこに、うっすらと、ぼんやりと。
 まばたきをして、鮮明に映るのは―――


 凜だ。 

 凜がいる!


 夢なのか?
 それとも、ついに、俺イカれたか?

 何でもいいや。

 少しでいい……触れて、いたい。

 手を伸ばして届く距離にいるなら、凜の体温を感じたい。

 まぼろしでもいい。
 俺の手が、魂が、求めてる。

 重たい腕を凜の顔に近づけて、そっと頬と髪の間に手を忍び込ませた。

 消えてしまわないように。
 ゆっくり、そおっとだ。

 おずおずと添えた俺の手のひらに、凜は自ら頬を擦り寄せて……

 そして、優しく微笑んだ。


 ―――誓うよ。何度でも。


 その笑顔が、またあの夕空とおんなじ……

「っ!?」

 本物!?


 目を見開いた俺に、ニコッて見つめる。
 このあったかい感触も、凜の……

 願いが、願いが叶ったのか!

 俺の想い、伝わったんだ!!

「っ……」

 ぐっとちからがみなぎって、凜の首元引き寄せた。

 おでこを何度も擦り合わせて、喜びを噛みしめる。


 この幸せなひとときを―――。

 ありがとう。 
 俺に女神を、ありがとう。


 心が震えるくらい、泣きたくなるくらい。
 神様に感謝したんだ。



 ―――梶くん、私を……呼んだ?


   うん。……ずっと、呼んでた。
   

   うん。聞こえたよ。痛かったの?


   ううん。
   凜に……会いたかった。


   私も……会いたかった。


 ただ見つめ合うだけで、想いがぎっしり伝わる。

 明日の、未来の……
 希望になることを知った。

☆☆☆

「東京……行って、優さんと話をしてくるね……」

 凜が言いづらそうに、俺に伝えてくれる。

 少し緊張した表情で、俺を真っすぐ見つめる。その瞳は……

 俺しか映そうとしない。
 婚約者でもなく、俺なんだと、訴えているようで……

 もう、俺、ダメだ! 

 何がどうなろうと、凜が愛しくて、手離せない!

 凜の左手をとって、婚約指輪のない薬指を……そっと繰り返しなぞった。

「凜ごめん。こんなことさせて……」

 凜は首を横に振る。

「私が、決めたことだから」

 そう言って、優しい顔をして見せた。

 俺、何もしてやれない。
 なんもねー。

 けど……

 凜は、何度も何度も。
 俺を救いに、飛んで来てくれる。

 まだ俺に、できる事があるとすれば……

 ただ正直に、クソダセー自分を隠さずに、本心を願うこと……

 それしか、ない。

「俺、わがまま言っていい?」
「ん?」
「凜に……そばにいて欲しい。もう絶対ダセー事しないから……
 ただ、そばにいて」

 しっかり凜を見つめて、真っすぐに告白した。

 ……すげー、スッキリした!

 今、重なってる視線に―――迷いは……ない。

「うん」

 凜がぎゅっと手を握りながら、答えてくれた。

 俺の、そばにいてくれる―――。

 凜が約束してくれたんだ。

「……夜までには、戻ってくるね」

 そう言って、ぎゅっと握っていた手が、離れそうになって…………ガシッ。

「っ!? ……梶くん?」

 俺が掴み返してしまった。

「あっ、き、気をつけて」
「はい」

 笑顔で凜は、俺の手をすり抜けて……バイバイしながら部屋を出て行った。

 離れ難い……って、こうゆう事か。
 初めての経験だった。

 すげー、恋人っぽかった……。

 ヤバ、何、この……こそばゆい感じ!?

 ムズムズして、胸をゴシゴシさすった。
 ボフッとベットに寝転がって、一息つく。

 真っ白な天井に、凜を想い描いて……
 ため息をつき、吸って……
 さらに大きいのをひとつ。

「……中学生かっつの」

 “ 好き ” とも言えず、ましてや、愛……なんて、わかりもしない言葉で―――。

 右手を突き出して、ミサンガを見つめた。

 ん?
 ……手が2つ、3つに揺らめいて、戻った。

 目を擦ってみたが、何ともない。

 ふと、あの人が脳裏に浮かんだ。

 “ 佐藤優一 ” 凜が会いに行く婚約者。

 凜が俺のそばにいてくれるのは……
 期間限定だ。

 未来の幸せを願うなら―――一番、大事に……ゴールへのラインを、導き出さなくては!

 魂の限り。俺の生命をかけて。

 俺を守る手首を強く握りしめ、今までのどれよりも大切に……祈りを捧げた。


 最期のときまで、俺にできる精一杯で。

 凜と、凜の未来の為に。
 幸せを願おうって―――。