さよならをちゃんと言わせて。

 ―――何、その作り笑い……?

 俺、また、なんかしくった?

 もう無理させるわけいかないし。
 俺のせいで、凜の大事な時間も奪いたくない。

 だって、明らかに、やつれてる……

 まさか、凜、気付いてない??

 俺の体が弱ってくように、俺と居たら、凜まで身を削られてしまう……。

 だから何度も言ってんのに、わかってねーし!

 他になんて言ったら……
 どうしたら、こんな俺でも安心させられる?

 ほら、早く!
 凜が帰っちまう……


「凜!」 
「はい?」

 部屋を出るとこで呼び止めた。

「……ありがとう」

 右手をみせる。それで……

「……待ってる。今度、会いに来るの。待っ、て、るからっ」

 中二病かって。
 俺、どもりすぎ。

 ―――これでイイのか?

「……うん! またね!」

 ニコッ、じゃないよ……ほんと、変なやつ。

 楽しろって言われるより、面倒かけたほうがめっちゃ喜ぶなんて……。

 俺、クリアミスか?
 凜は、思ったより強敵だ。

 なかなか主導権を握らせてくれない。

 味方としては心強い。けど……俺がもし、立場を間違えたら?
 アウトだ。

 また新しい力をもらったな……
 凜の声が頭の中で回ってる。


―― ひとりぼっちになんてしないから!
   私を呼んでっ。
   最後まで戦いぬくことを誓います!
   いつでもお守りします―――


 10年前、部室で受け取った言葉も、ここで宣誓された言葉も……。

 凜の言葉が全部。

 嘘じゃない。信じていいよ。

 ミサンガを見ていると、そんな風に、伝わってくる気がして……
 俺も願いたくなったんだ!

 どうか、凜が、幸せでいられますように!
 永遠に―――。
「凜!」 

 あ、来た。
 私を呼ぶ声の方へ、すぐ顔を向けた。

 ゴメン ×10……て連呼しながら、テーブルの席に着く。

 ふふっ、いつもの優さんだ。

「早く会いたかったよ〜」

 この嬉しそうに嘆く話し方も、優さんらしくて……好き。

 会社の駅前のカフェ。
 彼は出張帰りに、東京へ戻らず地元に来てくれた。

 同じ会社だけど、今は2年間の出向中。今日も2週間ぶりに会う。

「ほんとに短くなった…… 」

 優さんは向かいの席から手を伸ばして、私の髪を指ですいてくる。

「なんか、お手入れが追いつかなくて……」

 さっき美容室に行ってきたばかり。ロングだった髪を、結構バッサリいった。

 ふうん……何度も髪を指でとかして、優しい視線を送ってくる。

 彼に触れられるのも、見つめ合うひとときも、この安心感が本当に落ち着く。

 こり固まってた体が、ほぐされてくみたいに……心から、溶けだしてくるの。

 優さんが愛しいなぁ、って。

 良かった。
 私、ちゃんと、うまくやれてる。

 梶くんとの事があって……
 一番不安だったのは、気持ちが揺らいだら、どうしようって―――。

 今、いつも通りに彼を想う自分に安心した。

 それで、たぶん……
 もっと好きになってる。優さんを。

 身勝手な私の話を聞いてくれて、全部受け入れてくれてる優さんのこと。

 前より、もっと、大切だと想う―――。
 凜はさ、いつも通り、って思ってるでしょ?

 僕の差し出した手のひらに、ニコニコッと手を重ねてくる。

 指をからませて、指輪をくるくるさせた。

 この指輪が唯一の、安心材料だったんだけどな……

 僕がこれをはめるまで、どんなに凜を大切にしてきたか。
 凜と出逢って、僕の人生が栄光に輝いてる。

 なんて言ったら大袈裟かな?

 ―――いろいろと……乗り越えてきたのにな。

 ついこの前だろ……
 念願の夏旅行で、凜と離れていた分を埋め尽くすように……ずっと手を繋いで、そばにくっついて。

 数え切れないほど、キスを交わして、とろけるほどに、何度も、愛し合った―――。

 まずい、思い出しただけで… …ニヤける。
 ここカフェだから、顔、自制して。

 すごく幸せだったんだ。
 思い出さない日なんてないくらい……

 この頃は憂鬱も、時折現れてしまう。

 カフェの向かいの席に座る彼女に、聞きたいような聞きたくないような言葉を投げかける。

「梶くん、どう?」

 半分ふてくされた質問に、凜はふふっと笑う。

「何? すごい嬉しそう…… 」
「ううん。なんか、ようやく梶くんが、正式に私を認めてくれた気がして」
「そうゆう世話焼きなとこ、好きだけど……
 凜は、梶くんばっかりだね」

 すねた子供みたいだと自分にあきれた。

 そんな、大人げない僕に、凜は……

「だって……梶くんは、特別でしょう?」

 困った顔で言ったんだ。

 チクリ。 
 心に突き刺さった。

 凜……
 おれにとっての特別が、凜なんだよ?

 最初から、凜だけが。
 他の誰でもない、凜だけなのに――。

 凜のその言葉は、僕に欲しい……。

「僕は? 僕は特別じゃないの?」

 不安が口からもれる。

「ん〜?」

 彼女は考えこんでしまった。

 平気なフリ、してるだけだよ。
 もう、おれ……
 彼氏とか、婚約者って肩書きじゃ、この状況に耐えられそうに、ない。


「優さんは……私の……伴侶! 伴侶がピッタリだと思う」

 びっくりした!!
 自分で驚くくらい、一瞬で回復した。魔法でもかけられたかみたいに……

 いつもそうだ。
 崩れそうな心を、凜の言葉が大きく包んで、元に戻してくれる。

 それでまた、惚れ惚れしてしまうんだ。

「んん??」

 凜の虜になってる僕に、ちっとも気付いてない姿も愛おしいよ……
 完全に尻に敷かれてるな。

 そのまま手をとって、出ようと告げた。早く仕事を片付けたい。駅前のホテルに荷物は預けてきた。

 「大変、大変」と焦る彼女の手を離さないまま、会計を済ませて店を出た。

「行こっか」

 ぎゅっと手を握ると、凜が目元までゆるませて微笑むから……もう、無理!
 待てない!

「ん? どこ?」

 人目を避けれるトコに彼女を隠して、

「ごめん。ただいまのキスだけさせて」

 返事も待てずに、彼女にキスを落とす。

 ―――愛してる。
 って気持ちをこめて。すると「おかえり」って笑顔で答える。

 おれだけを見つめてくれる。

 独り占めしたい……
 片時も離したくない!

 狂しいほど大切なんだ。僕の、凜が―――。

☆☆☆

 翌朝。
 頭を抱えながら、見上げる……大学病院のホスピス棟。

 何でおれ、ここまで来ちゃったんだろう……?

 朝まで凜と過ごして、休日出勤の彼女を会社まで見送ったあと、東京に戻らずに。

 凜の話は信じてる。
 全部信じてるよ。

 格好悪いけど、SNS検索かけた、すぐに。
 梶くんの存在も、引退も事実だったし、きっと、ここにいるんだろう。

 文句が言いたいわけじゃない。
 余命幾ばくも無い彼に、同情さえする。

 凜にしか支えられないなら、おれもって……

 でもお義父さんの時みたく、とは違うだろ?
 家族の為ならわかるけど。

 長い髪を切ったのも、高いヒールを履かないのも、香水やめたのも、全部……梶くんの為なんだ。

 女らしくいる時間を削って、ほんとに、痩せちゃうくらい……大事な存在って―――。

 凜の特別な相手に、おれ、会わなきゃいけない気がしたんだ。


 朝の散歩タイム。
 春見さんが車椅子を押して、外へ連れ出してくれる。

「僕、息子に赤トンボ頼まれてて」
「えー? 朝から飛んでる?」

 と、和やかな1日が始まる。
 って思ったら……

 外でスーツ姿の男が立っていて、ボーッとしてる。

「誰?」
「さぁ……?」

 春見さんと小声でヒソヒソ。

 俺を見ると、「あ!」って。知ってる風な顔をして向かってきた。
 誰だ?

 会釈をし、慣れた手つきで名刺を差し出す。

 俺に?
 上目遣いで、ペコッと受け取った。

《 佐藤 優一 》 

 ……あぁ!

「梶さん? ですよね?」
「……はい」

 いつか、来るだろう。 
 予感はしていた―――。


 映え場のベンチでふたりきりに。

「えーと、あー……」

 言葉を濁す、凜の彼氏。

 そりゃそーだよな。気まずいこの上ないわっ。

「優さん、でしょ? 会社の先輩。5つだっけか、年上。あと、酒が弱くて、星のダイヤモンドにバラの花……確か、パンケーキが好き!」
「わぁわー、ほんとに何でも知ってるなぁ」
「り……真野のフィアンセ」

 敵意はないとフザけて見せた俺に、焦りながらも「突然押しかけて申し訳ない」と謝る。

 人柄の良さそうで、凜を隣に置いて見ても……うん、お似合いだ!


「真野とやましい事はひとつもありません。
 この前10年ぶりに再会して。連絡も、一切してないです。俺がこんなだから……真野が見舞いに来てくれて、ただたわいのない話を……」
「いや ×10。うたぐってないから!」

 ぽかん。……必死。

「ぷっ」

 ナナメ上の人来た。ホント、イイ人……

 直感でこの人は信じていい、と思った。

「俺のせいでスイマセン。真野に負担をかけた。あなたにも。もう十分、親切にしてもらったから……大丈夫って、真野に伝えてください。
 真野には……感謝しかないです」

 俺も……必死だな。

 でも、ここはアシストきっちりして、ふたりにゴール決めさせないと!

 最後、なんだから……。


「え? なんで? 凜は喜んでたよ。梶くんに認めてもらえたって」
「へ? え? 
 あなたは……止めに来たんじゃ?」
「違うよ。僕には止められない」

 なんで? 
 俺、詰んだ……?

 こんな展開、予想してなかった。

 この人が現れたら、凜はちゃんと元の居るべきトコへ戻る。
 って……ふんでたんだ。

 ここは、花嫁になる女が、足を運ぶ所じゃない。

 幸せな未来なんて1ミリもない。

 生きた墓場なんだから―――。


「イイんですか? 婚約者が、人の死に一番近いトコに居て……」
「……悲しい想いはさせたくないよ。でも、凜にとって、君は特別だから。
 それに、凜は……看取るつもりだよ。君を、家族の元に送り届けるまで。最期まで、そばにいる覚悟をしてる」
「は!?」

 ―――凜ははっきり、そう言ったからね。僕に、強いまなざしで。

 だから、反対なんてできなかった……

 そうゆう芯の強い所も好きだし、僕以外の男の世話をされるのは嫌だ!

 そう、本心で思っても……それをすがるなんて、できっこない。

「止めてください。俺は望んでない」

 彼は低い声で言い、顔つきが怪訝そうに険しくなる。


 確信できたよ―――。

 梶くんも、凜を大事に想ってる。
 彼の手元を見た。何よりの証明だ。

 それ、ほら、凜が作ったミサンガ……

 しっかり握りしめてる。
 凜を想って、願っているんだろ?

「僕は凜の望みを聞くまでだ。婚約者だからね」

 凜は僕に言ってくれたから……伴侶として、痛みもわかち合えばいいんだ。

 彼によって凜が傷付いたとしても、僕が守ってあげればいい。

 車椅子の彼に、おれは牽制気味な視線を落とす。けれど……

「……知ってます?  死人、見送るのに、楽しい事なんてひとつもないっすよ。虚しさと無気力との戦いです。亡骸なんてクソ冷てえし、カラッカラの骨拾うなんて……めちゃくちゃ怖いんすよ! 人間らしさが、まるっきり、なくて。そんな想い、わざわざさせたく……。
 俺が、凜を壊しますよ?」

 この子……急に男の顔つきになった。

 わかってるんだよ、凜は。
 全部承知の上で、決心したんだ。

 そして、ふたりよりも、おれのほうが断言できてしまうんだ。


 凜と梶くんは運命で結ばれている、って ―――。


 10年のときなんて、あっという間に飛び越えるほど……

 ふたりの魂が、惹かれ合ってるんじゃないかって―――。

 君にはかなわない、と不安なんだ。

 それでも、凜だけは手離したくない!

 だから、おれ、自信をつけたかったんだ。
 ふたりの関係を超えたい!

 おれのほうが凜を愛してること、証明する為に、梶くんに会いに来たんだ。

「大丈夫。僕が守るよ。君に壊されないように。凜の全部を受けとめて、守ってあげたい」
 凜のフィアンセは真っすぐ俺を見て言った。

 あぁ、この目は、ちゃんと闘志入ってる……

 懐かしい……スピリットこもった試合の感覚に被る。

「前よりも今の方が、凜のこと大事にしたいって思う。凜が傷付いたとしても、僕がしっかり支えます」

 少しの迷いもない。決意の目だ。

 この人、カッコイイ……
 こうゆうの大人の対応っていうんだろうな。

 それに比べて俺、凜の思いやりに突っぱねるのみって……ガキかよ!

 これまでの態度を思い返して、自分の不甲斐無さを恥じた。

「僕が今まで以上に努力するので、君は無理しないで、凜のことも受け入れてあげて」

 朗らかに頬を持ち上げる。

 凜はこの人にスゲー愛されてる……本物だ、って単純に伝わってきた。

 愛する、ってこんな風かもな……?

 女って、こうやって愛してやると、可愛くなるのかもしれない。

 俺も……してみたかった。

「了解す……俺もこれ以上、迷惑かけないように努力します」
「ダメ ×10。無理とか禁物だから!」
「え?」
「君は自分を大事にして〜僕困るよ〜」

 これまでの威厳が台無しみたいな慌てよう。

 ぶふっ。この人、まじ、草。
「おかしい? おかしいかな?」ブツブツ言ってる。

「僕ね、凜の事となると、ほんと格好つかないんだ。ここへ来てしまったことも、言わないでくれる? ほんと格好悪いけど」
「……ぷっ、言いません。ふっ、俺もたいがいカッコ悪いっす」

 男らしいと思ったのに、実はナヨナヨ系男子!

「正直、見栄張ってるだけで……ただ、凜に嫌われたくない、一択だよ。仮に僕が凜を、止めたとして……僕が悪者みたいになるのも嫌だし、凜はよけいに君が心配になるでしょう?」
「……そう、かもしれないっす。なんと言っても―――」

「世話好きっすから」「世話焼きだからね」

 ははっ、て。
 今日もたぶん、和やかな1日になる。
 そんな気がした。


 ちょっぴり残念なのは……この心理戦も負けたなってこと。

 ここんとこ、ずっと勝てる気がしない。
 もう俺の人生ゲームは惨敗が確定してるし。

 仕方ないか。
 やっぱ、俺には女神がついてないから―――

 勝利の女神に、一度は微笑んでもらいたかったな。
 これも、夢に終わるのか……


 もう何もいらない、って全部捨てたつもりだった。

 いざ思い出すと、惜しいもの、次々出てくるもんだな……。

 新しい繋がりも生まれる……
 気付かなかった感情も知る……

 ふっ、俺も全然カッコつかないわ。

☆☆☆

 今朝、たぶん、今年最後の台風が通過していった。

 昨夜から院内も慌ただしい雰囲気だった気がする。看護師もスタッフも、血相変えて走り回ってたっけ。

 昼前には風も弱くなって、窓ガラスが割れなくて良かった。と、落ち着きを取り戻した頃……
 凜がやって来た。

 電車が停まってたせいで、仕事は休みになったそう。
 台風の後片付けをする。と言って、荒れた花壇や落ちた葉を拾い集めてる。

 俺はロビーの椅子に座って、窓越しに凜の姿をぼんやりと見ていた。

 部活ん時もこんな感じだったなぁ。
 あちこち世話して回って……

 そんな凜の姿を、師長と春見さんとスタッフと、入れ代わり立ち代わり……

 俺の隣で眺めては、ホメ言葉を俺に残してく。

 なんか、人気の動物園?
 みたいだな……

「ぷっ、パンダのリンリンとか?」

 ふははっ、草止まんね。
 そこへ凜がやりきった顔で戻ってくる。

「おかえり、リンリン♪」
「梶くん、こっちに居たんだ。リンリン?」
「んーん。はいよ」

 師長からの差し入れに、「うれしー」てほっぺを膨らませて飲むから……

「ぶふっ、今度はリス。ふはっ 」
「……? そうだ、梶くん。後で散歩に出よう! 今日はスゴイのが見れそうな予感!」
「え?」

 アガり気味の凜に、そうして連れてこられた、いつものベンチ……

「うわぁ。マジかぁ」

 見渡す限り、一面、燃えるような夕焼け。
 想像はるかに超えてきた。

 映えどころじゃない……バーチャルだろ、これ? 
 バチってるよ!

「スッゲェ。台風の置き土産ってやつ?」
「ねー」

 空が焼けている。
 夕陽の黄白い強い光線は雲を照らし、海をきらびやかに輝かせる。

 異世界にワープしたかのような、まぶしいくらい美しい景色だ。

 ふたりでうっとりした瞬間をトリップした。

「……撮んないの?」
「んー、目に、焼きつけておけばいいかな」

 何気ない会話に、少し哀愁が漂う。

 そうだ……
 このひとときも、光景も、いずれは、まぼろしになる―――。

 すうっと、涼しい風が吹き抜けた。

 パサッ。 

「――!」

 凜が俺の目の前に立つと、ブランケットを俺の肩にかけた。

「そろそろ冷えてきちゃうからね」

 あ、れ……?

 夕陽の光が、凜の髪を透過して、木もれびのように差し込んでくる。

 彩る夕空に、凜の姿が溶け込んで……
 まるで―――。

「あ」 
「っ!?」
「夕焼けばかり見てたから……東の空に月が」

 凜の視線の先へ、俺もちらっと振り返る。
 青暗い背後の空は、月が光り始めていた。

 それ、どころじゃ、ない。

 俺はすぐ元に戻って、夕焼けと凜を見たんだ。

 凜がキラキラして、キラッキラに輝いて見えて……
 なんだ、コレ?

 女って、こんな突然に、色艶放ってくるもんなの……?


 こんなの、めっちゃ一瞬で、心もってかれんじゃん!!


「十三夜かな? ……今日は、月もキレイだね」

 そう遠くを見つめる表情も、髪を耳にかける仕草も、凜の全部が―――キレイ。

 ……凜がキレイだ。


 まるで、女神だろ?  
 これが女神だよな!?

 ―――俺のフィールドに、女神が降臨したっ!!





「ヤッベェ……まじ神。
 これ、死んでもいいレベルだな……」
「!!」

 バチッ。
 凜と目線がぶつかった。

 はっ、俺、見惚れてた? 

 あれ?
 何かくちスベらせた……あぁ〜、シャレになんねぇ!

「あ、いや、その……」

 じーっと凜が、俺を真っすぐ見つめるから、恥ずいのとダサいのと……
 目が泳ぎまくって、着地点が見つからな……!!

 凜がそっと、俺のミサンガに手を添えた。 
 そして―――


「誓うよ。何度でも」


 優しい声でそう言って微笑む。

 見つめれば、見つめ返してくれるほどに―――
 目が熱くなるんだって!

 俺…… 
 俺を、泣かすなよ……。

 凜からもらった言葉は、全部!
 痛いくらい俺の心ん中に張りついてるよ!

 凜が、いつも暗闇を灯す光だって、わかってんだよ!


 だから凜が、俺の女神なんだろ――?


 そんなの、そんな宝物みたいなもん……
 ここにきて気付いちゃったら、認めちゃったら……。

 この世界で、生きて、みたいと―――
 まだ生きていたい!

 そう願ってしまうじゃないかっ。


 頭が混乱して、どんな顔をしてるのか?
 自分でもわからない。

 手首はほんのり温かいのに、俺は何も言葉を返すことができなかった。

 最後の台風が、俺の心まで、かき乱して過ぎ去って行ったんだ。

 なぜか梶くんが、よそよそしい……

 せっかく距離が縮まったかと思ったのに、また元に戻った気がして。

 私、何かした?
 ふりだしからやり直し、みたいで……
 なんか、やる気に火がついた。

 商業イベントに乗っかって、ハロウィンのお菓子を大量に買い込んで登場したら、久しぶりに梶くんの笑った声が聞けた。

 小袋に詰めてリボンをして、梶くんのベットがお菓子だらけになった。

 小児科にプレゼントして、春見さんのお子さんにも、隆平くんにも。

 学校の文化祭みたい、ってふたりでゆったり過ごした。

 思い切って……
 「クリスマスも、またやろうね」言ってみたけど。

 「……うん」て、小さな返事がひとつだけだった。

 それでも、私、めげない!

 12月は……奇跡をおこしたい!

 梶くんの元気が損なわれていくと、私は躍起になっていた。

 夕方の散歩に車椅子を押して、お気に入りのベンチへ……

 誰か……いる。

 梶くんと顔を合わせたけど、お互いに??。

 柵の前に立って、景色を眺めているようだった。

「こんにちは」

 私が声をかけると、びっくりしてこちらにふり向いた。

 あぁ! 
 もう1度、梶くんと顔を見合わせて、うんうん。 

 隆平くんのお母さんだ!

 ちょうど隆平くんにもお菓子を……って、何だか、様子がおかしい。

「あの……」

 梶くんが声をかけると、奥さんはぐっとこらえて、ふりしぼるように言った。

「主人は、先日……旅立ちました」

 え―――えっ!?

「自宅で、家族に見守られながら……穏やかな最期でした。どうか、どうか……あなたは、1日でも長く―――」

 そのあとの言葉は聞き取れなかった。

 顔を手で覆って、頭を下げると、足早に立ち去って行った。

 梶くんが後れながら頭を下げて、私も慌ててマネをした。

 一瞬、気がどうかしてた……。
 まだ声が、出せない。

 しばらく続いた沈黙を、梶くんが破った。

「……最近、全然見かけなくなって。
 もしかしたら、って」

 先月、ここで会ったばかりなのに?
 ……こんな、すぐに? 

 待って!

 梶くん、もしかしたらって……死の兆候……
 わかるの!?

 私、こんな急に病気が進行するなんて、死に繋がるなんて、考えてもみなかった……

 もっと徐々に、少しずつって……違うの?


 梶くんは、自分のタイムアップ……
 感じて、いるの ――?

「隆平が心配だな……」

 梶くんがそっとつぶやく。

 あ……
 私の記憶が瞬く間にスクロールする。

 過去の梶くんが、悲しげな姿ばかりが、サーッと。

 ダメ、ダメ。
 梶くんと隆平くんが重なり合ってしまう―――。

 ダメって言ってるのに!

 堪えきれない想いが溢れた。


 まだ隆平は7歳だってのに……。

 わかってはいたけど、ツライ現実は、昔の記憶を呼び起こす。

 両親の死がフラッシュバックして、その時の悲しみが感覚を蘇らせた。

 うつむき加減だった俺の首筋に……

 ポタッ、ポタッ。

 肩に滴るこの感じは……俺、これ覚えてる。



 凜が言ってくれた時だ。
 中学の部室で……ひとりにしないって、俺の背中に響く声で。

 そして肩が熱くなって、どんどん湿って……!

「凜!」

 泣いてる―――そうだろ?
 あんときみたいに!

 振り返ると、凜は口を手で覆って、顔をそむけた。

「……凜?」

 こもったうめき声が降ってくる。

「こっち、来て……」

 手を差し出したものの、凜はすり抜けて、よれよれとうずくまった。

 俺に背を向けて、小さくなって……

 時折、波打つように背中を震わせて、いっそう縮こまる。
 声を押し殺して……。

 ごめん、凜。
 また俺が泣かせたんだ。

 ごめん、泣くな。
 凜が泣いてると、俺……。

 ためらいながら、手が伸びていってしまった。

 ずっと……
 この手は、凜に伸ばしちゃいけない―――気がしてたんだ。

 つかまえちゃいけない、って。
 でも!

 いつだって凜は、寄り添ってくれるのに、ひとりで泣かせておくなんて―――


 俺のクソ野郎!
 何で届かねーんだよ!
 何で車椅子なんか乗って……

 動けよ! 俺の体! 

 ―――凜に、手を、伸ばせ!!

 ガシャン! 
 車椅子は傾いて大きく音を立てた。

「……っ」

 ジーンと体を駆け巡った痛みの中で、ちゃんと俺……凜をつかんでた。


 必死に伸ばした俺の手が、凜の涙でぬれた小さな手を、しっかりぎゅっとつかまえてた。

 すっぽり腕の中に、凜をしまえてた。


「うぅ……どうしてっ!
 何で!  いつも、梶くんばっかり!」

 凜の体が暴れてる。

「梶くんばっかり、こんなめに!!」

 ありったけの力で、凜の上下する肩を受けとめた。

 わかった。
 わかったよ、凜……

 泣きたかったワケじゃないんだろう?
 俺が手をとってしまったから……吐き出してくれてるんだよな。

 俺の代わりに……
 俺が飲みこんでた本音を、凜がくみ取って、わめき散らしてるんだ。


 本当は俺が、そう、叫びたかったんだ!


 ぎゅうっと抱きしめて、凜の肩に顔をうずくめる。

 もういいんだ、凜。
 俺のせいで、もう苦しまなくていい―――。

 凜が壊れないように、力いっぱい願った。


 凜の慟哭が、俺の心と共鳴する。
 繋がり合おうと、求めてしまう……
 一緒にまた涙を流してしまう……

 どうか、止めてくれ!
 頼むから、この俺達の衝動を―――

 どうか、この時間を止めてしまってくれ!
 今、私たちが生きているこの世界は、なんだか……息苦しい。

 不満も、不安も、閉じこめて……

 救いも、未来の希望も、簡単には声に出せずに……

 ただ我慢をして、待つしかない。
 現実は厳しいことを知った。

 胸にポッカリ開いた小さな穴を、冷たくなった夜風が、スースー通り抜けてく。

 今夜の梶くんは、とても、つらそうだ。

 窓から覗いた瞬間から、私の全身が固まりかけた。

 ソファにもたれて、目を閉じたまま、梶くんはあまり動かない。

 時折、息を深く吐く。

 昨日、投薬をしてから、こんな調子……
 梶くんはひっそり教えてくれた。

 何かして欲しいことは?
 の問いに、「何も……」

 私は停まっていた音楽をかけて、水を置いただけ。

 今そばにいるのは邪魔か、帰ろうか。
 迷って……でも、居座ることにした。

 できるだけ梶くんに近い場所で、静かに見守っていよう。

 ソファの端っこに腰をおろして……
 ただ、ここに居るだけ、でいた。


 何も詳しいことは教えてくれない。
 梶くんの病状も、治療についても。

 私はそういう立場じゃないけど、あれこれ詮索してしまう。


 治験は成功していますか?
 その新薬は効果ありますか?
 延命はできそうですか?

 それとも……

 失敗なんてしないよね……
 変な副作用でたりしないよね……
 梶くんの命を短くなんて、してないよね?


 ……怖い。

 ダメだ! 
 すごく怖い……寒気がするっ。

 手が小刻みに震え始める。

 まずい、止まらない――。

 両手をぎゅっと組んで押さえつけた。

 静まれ、静まれ!

 隣にいる梶くんに気付かれないよう、この震動を早く止めたかった。

「ふぅー」 
「はっ!?」

 梶くんが大きく息を吐いて、目を開けた。

「大丈夫!?」
「おー、ベット行くわ」

 梶くんはヨロヨロと立ち上がる。
 私は咄嗟に梶くんの腕に手を添えた。

「肩つかまって」 
「サンキュ」

 私の肩に、梶くんの手のひらがのっかる。

 ベットまでのたった数歩がしんどそうで、肩で梶くんの重みを感じた。

 ベットに腰をおろしたとき……ガクッ。

「あっ!!」

 滑り落ちかけた梶くんを、両手で受けとめる。

「危なっ……良かっ、た?」

 全力で踏んばれた後、顔を上げたら……
 近いっ!
 梶くんの顔が!

 ど、どうやって、体勢を……戸惑った、一瞬のことだった。

 ――――――。

 口元にかかった私の髪を通して……感じた、それは―――
 やわらかな唇の……感触!?


 ドンッ!
 梶くんは勢いよくベットに座りこむ。
 きしんだ音が駆け巡った。

「あ、ごめ……」

 乱暴に接したことに自分で驚いて。

 梶くんの顔を見たら、もっと動揺がおさまらない――。


 ふれた、よ?

 事故だ、って言ってくれない、の?

 だって、梶くんが……梶くんが―――私を、引き寄せたよね??


 梶くんの面食らった表情が、答えだ。

「ごめん、帰る」

 バックをつかんで飛び出した。

 ちょっと、もう、事実を受け止められなくて。

 言葉も接し方も見つからなくて。
 その場を逃げ出したんだ。

 疾走してなければ、やましさに押しつぶされそうで、ひたすらに走り続けた。


 やっぱり、この世界で生きていくには―――
 息苦しさが続くみたいだ。

☆☆☆

 あっという間に一週間が過ぎ……
 一度も梶くんには、会いに行けなかった。

 私が息切れしていたからだ。

 あの後、梶くんの体調はどうなったか、心配でたまらないのに……
 確かめないといけないのに……

 勇気のない足は、病院へ向かえず、東京行きの新幹線を選んだ。

 この前、隆平くんのお父さんの死を知ってへし折れた私の心を……立て直してくれたのは 、優さんだ。

 あの日、梶くんの前で、どうしようもない子供みたいに……感情のまま、泣きわめいた。

 梶くんがしてくれた、あの慰めは―――
 弱々しいのに、強くしがみつく抱き方は……

 特効薬にはならない。

 それはもう、子供のときに経験したから、わかってる。

 10年前に私もそうしたけれど、さよならを止めることはできなかった。

 優しく包み込むように、ぬくもりを与えてくれる抱き方でなければ……

 心が満たされない。

 大人になって、それを知った。

 優さんはそれ以上に、私に愛情をたくさん注いでくれる。

 大切にされてると、全身で感じとった。


 改札の先に優さんの姿が、いつもと同じにある。

 私に向けられた笑顔を見たとたん、心が息を吹き返した。

 私は、こうやって、生きる力を取り戻せるからいい。

 でも梶くんは……
 ずっと病棟の中で、息抜きもできず……

 ひとりの時間を、病気と向き合っていたら、息苦しさを逃れるために……

 そばにいる私を利用しても、仕方ないと思った。

 もう、子供じゃないんだから。

 私が距離感を間違えた。
 梶くんは悪くない。

 私がもっと考えなきゃいけなかった。
 看護の仕方も、感情のコントロールも。