屋敷を囲む築地塀の上に千人、屋根の上にも千人、弓矢をつがえた随身(ずいじん)達が待機して、じっと夜空を見上げている。

帝から遣わされたこれ程の警護は、一人の姫君を守る為のものだった。

公達からの求婚に、その姫がことごとく断りを入れていたのは、この日を迎える事が、わかっていたからなのかもしれない。

ふっと、そうであったのかと、皆の脳裏をかすめるが、さて、これは、(まこと)の事なのかと、思ってもいた。

──天の月から迎えが来る。あちらへ、戻らなければならない──。

姫は、さめざめと泣き、育ての親である、翁と婆女を戸惑わせたという。

そして、姫の光り輝く美しさを目にしてしまった帝は、戻してはならぬ。迎えを追い返せ。と、命じられた。

天からの使いを、当の姫君は嫌がっている。

帰りたくはないが、仕方がないと涙する。

では、その迎えを追い払えばよいではないか。そうすれば、姫は、安寧に暮らすことができるであろう。

それが、帝のお考えだった。

確かに、天から下ってくる者など、人であって人でない。邪気にまみれているやもしれない。

弓を構える随身達も、受け入れてはならぬものと心得て、姫を守ろうとしていた。

昇る月が、輝きを増していく。

中秋の名月であるはずなのに、誰一人見惚れる者はおらず。

屋敷は数千の随身に取り囲まれているが、物音一つしなかった。

野の虫達も、可憐でか細い鳴き声を発することは無い。

周囲は、何かを察して息を潜めるかのように、沈黙ともいえる静かさを保っていた。
──大納言、大伴御行(おおとものみゆき)が、北の方や側室を追い出して、一人の姫君の為に屋敷を建てたという噂話が、面白可笑しく宮中の女房達の間で語られていた。

それは、帝の耳にも届くことになる。

側仕えの女房、中臣房子(なかとみのふさこ)を呼ばれた帝は、事の真意をお尋ねになられた。

「はい、なんでも、五人の公達からの求婚を無下にして、挙げ句、無理難題を提しておりますとか」

中臣房子は、輝く竹の中から見つけられた姫君の、不思議な生立ちから、公達たちへ突き付けている条件とやらまでこと細かく語った。

「……蓬莱(ほうらい)の枝、火ねずみの皮衣、龍の首の玉……などを望むとは。唐渡りの宝物に詳しいか、ただの、からかいなのか、良くわからぬ姫君じゃ」

「ええ、そうでございましょう。お上が、気に止める話ではございませぬ」

女房の剣幕に、帝も、言葉をお控えになられたが、伝説の宝物を探しだし、捧げようとする。さらに、迎え入れる屋敷を早々に用意するほど、男達を動かすとは。

その姫は、どれ程の美貌の持ち主なのか?

帝は、狩に出かける事で、山の麓にあるという、姫君の屋敷へ赴こうと思いつかれる。噂の姫君を一見したいと思われたのだ。

さて、その狩に見せかけた御幸は、事前に姫君の育ての親である翁へ伝えられる。

翁と妻の老女は腰を抜かすほど驚くが、屋敷の者達へ、姫をなんとか縁側に導くように言いつけた。

近頃の姫は、多々ある求婚から逃れるかのように、部屋に閉じこもり暮らしている。

この様子では、帝をお迎えし、ご希望通り拝顔賜ることなど、到底無理な話だと、翁は悩んだ。

そこで、部屋の中から、縁側へ姫を誘いだし、遠目からではあるが、帝の一見したいというご希望を叶えようとしたのだった。
狩りという名目とはいえ、さすがに帝の御一行。馬に股がり、というわけにはいかない。

帝は、狩りらしく略式の牛車に乗られ、姫の屋敷に到着された。

慣例通り、牛車は屋敷の中まで乗り入れて、客を迎える部屋がある母屋へ横付けしたところ、女達の切迫詰まった声が流れて来た。

その騒がしさに、牛車を警護する者達は顔をしかめきる。もったいなくも、帝のお出ましであるのにと──。

皆が、ざわつく中、帝は、牛車から母屋の広縁へお移りになると、声がする方へ歩まれた。

姫君は、ことのほか、人と会うことを嫌う。きっと、帝といえども同様でしょう。と、翁より前もって知らされていた。

かの姫君は、警戒しているのだろう。ならば、こちらから、出向いてみようか。などと、外の空気に触れ、気が緩まれたのか、帝は、止める従者達の声など聞こえぬふりをなされ、姫君がいるであろう、女達の声がする先へと向かわれた。

歩みと共に、女人の抗い声が響いて来る。しかし、帝にとって、耳障りなものではなかった。

「何故、このように縁に出なければならないのです!日の光になど、私は、あたりたくありません!」

苛立っているとはいえ、まるで、琴の調べのような女人の声に、帝は、釘付けになられた。そして、使用人達に、ご機嫌を取られようとも、部屋の奥へ踵を返そうとする、女人──、皆が、かぐやの姫と呼ぶ、姫君の姿を帝は、とらえられたのだった。

あっ、と、小さな息が上がり、女達は、帝のお姿に気がついた。姫はとっさに、袖で顔を覆い、奥へ立ち去ろうと急いた。

が、急いたのは、姫だけではなく、

「お待ちを!」

帝は、とっさに駆け寄り、姫の袖を掴んでおられた。

縁に差し込める日の光よりも、輝いて見える美しき女人を、狩りの獲物になされようとしたのか、公達達同様、姫を手元に置きたいと思われたのか。

その動きは、決して誉められるものではなかったが、気が付けば、と、言うに相応しいお心から、帝は、姫の袖を掴まれていたのだった。
「お、お離しを……」

袖で顔を覆ったまま、姫は声を絞りだす。

突然現れた人物は、無作法な事を行っている。しかし、袖の間から、かいま見える姿は、言葉に現しがたい、凛とした気品が漂っていた。今までの求婚者達とは、まるで違ったものを発している。

すぐに、警護の者達がやって来て、膝を付くと、帝、と、呼びかけた。

姫の袖は離され、歩み出た警護によって、帝は取り囲まれる様に守られる。

その隙に、姫は側仕えの使用人達と奥へ下がった。おそれ多い出来事から逃れる為に。

一方、帝が、縁側づたいに、姫の元へ運ばれたと聞いた翁は、なんとか上手く行ったのだろうと、安堵して、妻の老女へ、もてなしの用意を言いつけていた。

帝のお越しと、老女も張り切り、ささやかながらの料理を準備した。

が、警護のお付きに囲まれて、翁の前へ現れた帝は、浮かぬ顔。

翁は、恐る恐る、「いくばくか、皆様へのもてなし料理がございます」と、お付きに伝えて、様子を伺った。

広間に、用意されている料理を、皆は堪能しているが、上座におわす帝は、やはり、浮かぬ顔。

翁は、姫と会えなかったと、察し、どう声をお掛けしたら良いものかと、広間の隅で小さくなっていた。

と──。

「翁よ、世話になった。すまぬが、これを、姫へ」

帝は、何かを書き付け、お付きに差し出す。

姫へ向けた、和歌だった。


還るさのみゆき物うく

おもほえて

そむきてとまる

かぐや姫ゆゑ


翁は、側仕えに急ぎ、姫へ届けるよう、そして、返事を書くように伝えろときつく言いつける。

言い付け通りに、側仕えは、姫の元へ行き帝からの歌を手渡した。

「姫様、帝は、なんと?」

「はよう、返歌をお送りせねば」

使用人達は、口々に、姫君へ語りかけるが、帝からの歌を受け取った姫は、ややもすると、泣きそうな顔をする。

「……私の心が帝へ背を向けたので、こちらへ背を向けて帰らなければならないと、今日の訪れは心残りだと……」

まあ、やはり、などなど、側に控える者達は、口々に勝手な事を言い、ため息をついている。

「相手は、帝。身分も、いえ、それよりも……。私は、そもそも……帝のお心に、お応えすることは、できないのだから……」

姫は、苦しげに言って、涙した。

(むぐら)はふ

下にも年は()ぬる

身のなにかは

玉の(うてな)をも見む


「確かに。私が姫ならば、此の様な断りを入れるだろうが……」

宮中にお戻りになられた帝は、姫からの返歌を、繰り返しご覧になられていた。

──つる草が生い茂るような家で、年月を過ごしてきた身分の低い者でございます。玉のように貴いお方とは、つりあいません──

つれない返事といえば、それまで。ただ、詠われているように、身分の差は歴然たるもの。

帝は、いたく心を乱された。

姫の言い分は確か。それに返す言葉がなかったからだ。

さて、宮中には、美女という美女が集められている。しかし、つい、袖を掴んでしまうほど、光り輝く美しさを持つ者はいなかった。あの時、視界に飛び込んで来た姫の姿が忘れられず、帝は、ただただ、やるせなさに、さいなまれておられた。

そして、帝は、決心なされる。

無難な断りが返って来るであろうと、ご理解なされておられたが、どうしても、姫の心の内をお知りになりたく、文をしたためられたのだ。

とはいえ、立場上、一人の姫君へ向けて、文を送るのは、良からぬこと。

そこで、勅旨を下される体で、誰に、とは分からぬよう、事を進められた。

帝からの、御触れが下されたと、さっそく、諸事を取り仕切る中将の、高野大国(たかののおおくに)が、帝のおわす御簾の向こう側で平伏している。

中将の内でも非常に生真面目で、強い忠誠心を持つこの男を帝はお選らびになられた。姫君へ文を送る旨を、他に知られない為に──。

事の真相を聞き、中将は、非常に驚いたが、帝のお望みとあらばと、素直に命に従い、異例中の異例、帝の文を、一介の女人に届けるという重責を人知れず果たした。

内には、勅旨の知らせだと、我が勤めを全うするだけ、外には、噂のかぐやの姫君が、気になると、口実にして。

こうして、帝からの文は、姫君へ無事に届けられるが、姫も、帝のお心に触れたことで、何かしら思うところがあったのか、お返事をと、中将へ託したのだった。
中将の仲介により、帝と姫君の文のやり取りが始まった。

景色の移り変わりや、日々の出来事など、たわいもないことを綴りあう。

流麗な筆運びの姫からの返事は、あの出会いと重なりあって、帝の内では、(まつりごと)の重圧を忘れさせてくれる何ものにも代え難い心安らぐ物になっておられた。

そんなある日、帝は、幼少の頃の思い出などを、したためられた文を姫へ送られる。

そして届いた返事には、姫の秘密とも言える、不思議な生い立ちから始まり、本来の身分について、書かれてあった。

本当は、この国の者ではなく、月の国からやって来たのだと──。

にわかには、信じられない話であったが、更に、帝は、驚かれた。

もう、この国には、おられない。あちらへ、戻らなければならないようだ──。

「そのようなことが……」

帝は、呟かれる。

この国の外には、様々な異国(くに)が在ることを、帝もご存じであったが、月にも国が在るとは、初めて知った。

信じられないと、学問を司る大学寮から博士(がくしゃ)を呼ばれ、月について教授をお受けになられたのだが、どの博士も、月は月であるとしか述べない。

どうも、腑に落ちないと思い煩われる帝の元へ、無礼を詫びながら、中将が駆け込んで来た。

姫からの文は、届いたばかり。帝は、まだ返事を送ってはおられない。

どうしたかと、中将を問い詰める前に、切羽詰まった返答が帝へ向けられた。

「翁が、我が屋敷へ参りました。姫君が、月へ戻ってしまうと言うのです」

ああ……、と、帝は、納得なされた。

やはり、月にも国がある。姫の美しさは、月の国からやって来たから。ゆえに、光輝いているのだ。

それにしても。

姫も、そして、翁も、同じことを申している。

──月へ戻ると。

それは、いったい──。