私の大切な友人だった二本柳は、自らの「実在しない記憶」について私に打ち明けたあと、忽然と姿を消してしまいました。
私の中には、多少罪悪感があります。
二本柳が私のレポート執筆に協力してくれたことそのものが失踪の原因とは思いません。ただ、あの記憶について話してくれたときの表情からして、多分彼にとって例の記憶は得体の知れない恐ろしいもので、思い出させてしまったことそのものを申し訳なく思います。
二本柳が思い出したくないことを思い出した上に、今もどこかで怖い思いをしているかもしれないと思うと、心が痛いです。
だから、私には少なからず二本柳の記憶に関してもう少し踏み込んで調べ、考察をする義務があると思いました。
私は、パソコンのデスクトップにあのレポートを見つけた後、二本柳が卒業した小学校を訪れました。
幸いにも私が小学五、六年のとき担任だった佐野先生が二本柳の母校に赴任していたため、「久しぶりに挨拶したい」という建前で連絡すると快く受け入れてくれることになりました。
どこに就職したとか、最近できた新しい商業施設がどうだとか、他愛もない世間話が十五分ほど続いたあと、私は意を決して本題に触れました。
大学時代の友人が、行方不明になっている。
この学校で給食の時間、「どんぐりさん、どんぐりさん、準備ができましたので、四年三組までお越しください」と放送された記録はないか。
佐野先生は気味の悪そうな表情をしましたが、放送委員会の顧問なら何か知っているかもしれないと、その先生を呼びに行ってくれました。
盗聴するようで罪悪感はあったものの、私はポケットにICレコーダーを忍ばせ、放送委員会の顧問である中村先生との会話を記録しました。
会話の温度感を感じていただくため、録音した音声を文字起こししたものを以下にそのまま記載します。
筆者:この学校に「隠語の校内放送」のようなものってあったりするものですか?
中村:ぉー……と言いますと?
筆者:「大きな荷物が届きました」みたいな、要は緊急事態のとき、不審者が侵入したときとかに、犯人を刺激しないための――。
中村:あー、ありますね。そういうの、ありますよ。
筆者:それって、「どんぐりさん、どこどこにお越しください」みたいなものではないですよね。
中村:ん?どんぐり?なんだそれ。
筆者:そういう感じではないですか?
中村:うん。それこそ、「大きな荷物が届きました」的な感じだよね。その、言葉をぼかすのに効果があるのかはわからねぇけども、一応、そういうマニュアルになってますね。ただ、「どんぐりさん」だのってのは(笑)。そういうのは、ないね。不審者入ってきたときの放送だけでねくて、何に関しても、そういう変な放送をするようなマニュアルはどこの学校にもありません。
一瞬二本柳の頭によぎった、「隠語の校内放送」という可能性がつぶれました。
中村先生がすでに面倒くさそうな雰囲気で半分腰を浮かせていたので、私は興味を持ってもらえるようもう少し踏み込んで話すことにしました。
筆者:実は友人が、小学四年生のとき――二〇一一年ですけど、この学校で「どんぐりさん、どんぐりさん、準備ができましたので、四年三組までお越しください」って放送を聞いてるって言うんですよ。
中村:えぇ。なんだそれ、たんげ(=方言で、「とても」の意)気持ち悪ぃね。
筆者:自分もそう思うんですけど。給食の時間に、放送委員の声で流れたそうです。
中村:えー……なんか、記憶違いとかじゃないの?
筆者:そうかもしれないんですけど。
中村:まず、先生や児童の呼び出しや、緊急時の放送を放送委員の子どもがやることはまずないんですよ。そういうのは、教員がやる。放送委員の子どもが話すのは、あらかじめ顧問がチェックした原稿だけ。最初の原稿は子どもたちで作るんだけど、なんだっけ、その「どんぐりさん」?みたいなふざけたことが原稿の中に含まれてたら、放送される前に顧問が消すはずだし。絶対あり得ないと思いますよ。
中村先生の話を聞けば聞くほど、二本柳の記憶は実在しない出来事だった可能性が高まってきます。
しかし、なんのきっかけもなくそのような「実在しない記憶」が本人の頭に浮かぶほうが不自然なように思います。
二本柳の記憶の一部にゆがみがあったとしても、この記憶のベースとなる出来事はあったのではないかと思います。
私はふと、放送委員が読み上げる原稿の決定権が顧問にあるとしたら、一つだけ可能性があるのではないかと思いました。
顧問の先生が、放送委員の子に放送を指示した可能性です。
放送委員の子が作成した原稿に、例の「どんぐりさん」を顧問が付け加え、放送するように児童に働きかけていたとしたら。
筆者:中村先生って、私が小学生のときはこの学校にはいらっしゃらなかったですよね。
中村:さすがに、いねがったな(笑)。だってあなた、社会人一年目ってことは、もう二十三かそこらでしょう。あなたが小学校を卒業してから、何年経つ?それでも(私は)結構この学校も長いほうよ。八年はこの学校にいるし、その間ずっと放送委員会の顧問をしてます。
筆者:前任の顧問って、どういう人だったんですか。
中村:オヤママサコ先生って人。その人も放送委員会の顧問は長かったらしいし、色々丁寧にひき次いでもらったんだけど……なんというか、雰囲気の暗い人だったんだいね。なんでも、子どもを亡くしたらしくて、年齢の割にものすごい老け込んでてさ。なんかね、おっかないカルトみたいなのにハマってたって噂もあってさ。……あんまダメか、こういう話したら。
筆者:いや……いえ。
中村:ふふ、せっかくだはんで、もうちょい気持ち悪い話してもいい?
筆者:あ、はい、ぜひ。
中村:あくまで、人づてに聞いた話だんだけどさ。俺がこの学校に赴任する前、オヤマ先生のクラスのロッカーから、犬の死体が出てきたらしいんだよ。
筆者:はあ。
中村:それこそ、迷い犬みたいな感じでさ、よく校庭に来てて、児童みんなでかわいがってた犬らしいんだけど。しかもただの死体でねくて、猟奇的な感じだったらしくて。動物の死体が見つかると、殺人事件の前兆だったりすることもあるじゃな。だから最初は学校関係者も騒いだんだけど、結局それ以上のことはなかったらしい。
筆者:ちなみに猟奇的ってのは、どういうーー。
中村:目ん玉がくり抜かれて、そこさご飯が入ってたんだって。しかもさ、ロッカーの中、死体だけでなく手作りの神棚みたいなやつも入ってたんだって。気色悪いっきゃ。
私は、なんと言葉を返してよいものかわかりませんでした。
これはあくまで、今こうして文字起こししている最中に思ったことですが、「どんぐりさん」の放送はやはり存在していたのではないでしょうか。
ただ、その放送があったのと同時期に、犬の死体がロッカーから出てくるというなおさらインパクトの大きい出来事が起こったことで、皆の意識がそちらに向き、「どんぐりさん」が記憶からかき消されたのではないでしょうか。
やはり、二本柳の実在しない記憶は、実在しない記憶ではなかったのかもしれません。
中村:あれそういえば、なんだっけ、さっきの放送。
筆者:ん?「どんぐりさん」ですか。
中村:うーうん、「どんぐりさん」はわかるんだけど、そのあと。どこどこにお越しください、みてぇなやつ、喋ってねがった?
筆者:「どんぐりさん、どんぐりさん、準備ができましたので、四年三組までお越しください」です。
中村:……あ。四年三組って、オヤマ先生のクラスだったな確か。
私の中には、多少罪悪感があります。
二本柳が私のレポート執筆に協力してくれたことそのものが失踪の原因とは思いません。ただ、あの記憶について話してくれたときの表情からして、多分彼にとって例の記憶は得体の知れない恐ろしいもので、思い出させてしまったことそのものを申し訳なく思います。
二本柳が思い出したくないことを思い出した上に、今もどこかで怖い思いをしているかもしれないと思うと、心が痛いです。
だから、私には少なからず二本柳の記憶に関してもう少し踏み込んで調べ、考察をする義務があると思いました。
私は、パソコンのデスクトップにあのレポートを見つけた後、二本柳が卒業した小学校を訪れました。
幸いにも私が小学五、六年のとき担任だった佐野先生が二本柳の母校に赴任していたため、「久しぶりに挨拶したい」という建前で連絡すると快く受け入れてくれることになりました。
どこに就職したとか、最近できた新しい商業施設がどうだとか、他愛もない世間話が十五分ほど続いたあと、私は意を決して本題に触れました。
大学時代の友人が、行方不明になっている。
この学校で給食の時間、「どんぐりさん、どんぐりさん、準備ができましたので、四年三組までお越しください」と放送された記録はないか。
佐野先生は気味の悪そうな表情をしましたが、放送委員会の顧問なら何か知っているかもしれないと、その先生を呼びに行ってくれました。
盗聴するようで罪悪感はあったものの、私はポケットにICレコーダーを忍ばせ、放送委員会の顧問である中村先生との会話を記録しました。
会話の温度感を感じていただくため、録音した音声を文字起こししたものを以下にそのまま記載します。
筆者:この学校に「隠語の校内放送」のようなものってあったりするものですか?
中村:ぉー……と言いますと?
筆者:「大きな荷物が届きました」みたいな、要は緊急事態のとき、不審者が侵入したときとかに、犯人を刺激しないための――。
中村:あー、ありますね。そういうの、ありますよ。
筆者:それって、「どんぐりさん、どこどこにお越しください」みたいなものではないですよね。
中村:ん?どんぐり?なんだそれ。
筆者:そういう感じではないですか?
中村:うん。それこそ、「大きな荷物が届きました」的な感じだよね。その、言葉をぼかすのに効果があるのかはわからねぇけども、一応、そういうマニュアルになってますね。ただ、「どんぐりさん」だのってのは(笑)。そういうのは、ないね。不審者入ってきたときの放送だけでねくて、何に関しても、そういう変な放送をするようなマニュアルはどこの学校にもありません。
一瞬二本柳の頭によぎった、「隠語の校内放送」という可能性がつぶれました。
中村先生がすでに面倒くさそうな雰囲気で半分腰を浮かせていたので、私は興味を持ってもらえるようもう少し踏み込んで話すことにしました。
筆者:実は友人が、小学四年生のとき――二〇一一年ですけど、この学校で「どんぐりさん、どんぐりさん、準備ができましたので、四年三組までお越しください」って放送を聞いてるって言うんですよ。
中村:えぇ。なんだそれ、たんげ(=方言で、「とても」の意)気持ち悪ぃね。
筆者:自分もそう思うんですけど。給食の時間に、放送委員の声で流れたそうです。
中村:えー……なんか、記憶違いとかじゃないの?
筆者:そうかもしれないんですけど。
中村:まず、先生や児童の呼び出しや、緊急時の放送を放送委員の子どもがやることはまずないんですよ。そういうのは、教員がやる。放送委員の子どもが話すのは、あらかじめ顧問がチェックした原稿だけ。最初の原稿は子どもたちで作るんだけど、なんだっけ、その「どんぐりさん」?みたいなふざけたことが原稿の中に含まれてたら、放送される前に顧問が消すはずだし。絶対あり得ないと思いますよ。
中村先生の話を聞けば聞くほど、二本柳の記憶は実在しない出来事だった可能性が高まってきます。
しかし、なんのきっかけもなくそのような「実在しない記憶」が本人の頭に浮かぶほうが不自然なように思います。
二本柳の記憶の一部にゆがみがあったとしても、この記憶のベースとなる出来事はあったのではないかと思います。
私はふと、放送委員が読み上げる原稿の決定権が顧問にあるとしたら、一つだけ可能性があるのではないかと思いました。
顧問の先生が、放送委員の子に放送を指示した可能性です。
放送委員の子が作成した原稿に、例の「どんぐりさん」を顧問が付け加え、放送するように児童に働きかけていたとしたら。
筆者:中村先生って、私が小学生のときはこの学校にはいらっしゃらなかったですよね。
中村:さすがに、いねがったな(笑)。だってあなた、社会人一年目ってことは、もう二十三かそこらでしょう。あなたが小学校を卒業してから、何年経つ?それでも(私は)結構この学校も長いほうよ。八年はこの学校にいるし、その間ずっと放送委員会の顧問をしてます。
筆者:前任の顧問って、どういう人だったんですか。
中村:オヤママサコ先生って人。その人も放送委員会の顧問は長かったらしいし、色々丁寧にひき次いでもらったんだけど……なんというか、雰囲気の暗い人だったんだいね。なんでも、子どもを亡くしたらしくて、年齢の割にものすごい老け込んでてさ。なんかね、おっかないカルトみたいなのにハマってたって噂もあってさ。……あんまダメか、こういう話したら。
筆者:いや……いえ。
中村:ふふ、せっかくだはんで、もうちょい気持ち悪い話してもいい?
筆者:あ、はい、ぜひ。
中村:あくまで、人づてに聞いた話だんだけどさ。俺がこの学校に赴任する前、オヤマ先生のクラスのロッカーから、犬の死体が出てきたらしいんだよ。
筆者:はあ。
中村:それこそ、迷い犬みたいな感じでさ、よく校庭に来てて、児童みんなでかわいがってた犬らしいんだけど。しかもただの死体でねくて、猟奇的な感じだったらしくて。動物の死体が見つかると、殺人事件の前兆だったりすることもあるじゃな。だから最初は学校関係者も騒いだんだけど、結局それ以上のことはなかったらしい。
筆者:ちなみに猟奇的ってのは、どういうーー。
中村:目ん玉がくり抜かれて、そこさご飯が入ってたんだって。しかもさ、ロッカーの中、死体だけでなく手作りの神棚みたいなやつも入ってたんだって。気色悪いっきゃ。
私は、なんと言葉を返してよいものかわかりませんでした。
これはあくまで、今こうして文字起こししている最中に思ったことですが、「どんぐりさん」の放送はやはり存在していたのではないでしょうか。
ただ、その放送があったのと同時期に、犬の死体がロッカーから出てくるというなおさらインパクトの大きい出来事が起こったことで、皆の意識がそちらに向き、「どんぐりさん」が記憶からかき消されたのではないでしょうか。
やはり、二本柳の実在しない記憶は、実在しない記憶ではなかったのかもしれません。
中村:あれそういえば、なんだっけ、さっきの放送。
筆者:ん?「どんぐりさん」ですか。
中村:うーうん、「どんぐりさん」はわかるんだけど、そのあと。どこどこにお越しください、みてぇなやつ、喋ってねがった?
筆者:「どんぐりさん、どんぐりさん、準備ができましたので、四年三組までお越しください」です。
中村:……あ。四年三組って、オヤマ先生のクラスだったな確か。