その日、戒籠寺侯爵邸にて、乙女たちによる武闘会の説明会が行なわれた。
(すごい人……)
見回せば、着たきりらしいすすけた着物の少女から、華族や士族と思しき令嬢の姿まである。だが期待と不安の入り混じった瞳をしていることに関しては、皆同じだった。時おり「侯爵夫人」と言う言葉が耳に届く。参加希望者たちの狙いが賞金よりも戒籠寺朔哉の妻の座であることが推し量られた。
(あれ? あの人……)
『おおだけ屋』の客として見覚えのある女人の姿もちらほらある。
(結婚してなかったっけ? まさかこの催しのために、離縁したとか?)
光乃は少し考えた後に、見なかったことにした。
(誰が相手でも勝たなきゃ。私には一万円が必要なんだから)
やがて小さなどよめきが一瞬起きたかと思うと、すぐさまその場はしんと静まり返った。皆の視線の先に目をやった光乃が息を飲む。
(綺麗な人……)
現れたのはなめらかな白磁の肌に濡れ羽色の黒髪、そして整った顔立ちの青年だった。だが、その頬に一枚の絆創膏が貼られているのが、少し痛々しい。
「お嬢さん方、本日はようこそ。私が戒籠寺朔哉だ」
主催の登場に、その場はわっと湧きあがる。中には目を潤ませ、泣きだす者までいた。
(女神が嫉妬するほどの美貌って噂もあったけど……)
光乃の目には神に愛され、丁寧に作り上げられた天上の芸術品のように映った。
朔哉の口から大会の日程や規定についての説明が行われる。耳を傾ける参加者希望者たちは、一様にうっとりとその顔を見つめ、時折切ないため息を漏らしながら、彼の甘い声に耳を傾ける。
(噂に聞く大劇場のレビュウショウの観客は、みんなこんな顔をしてるのかな)
そんなことを考えているうちに、説明は終わる。
「最後に」
朔哉が、古めかしい和紙で出来た短冊を顔の横に持ち上げた。
「ここに名前と、賞金を何に使いたいかを書いてから帰ってほしい。字が書けぬ者は絵でも構わない」
キョトンと顔を見合わせる参加希望者たちに、朔哉は春風を思わせる笑みを浮かべる。
「実は、ここまで大勢の乙女たちが集まってもらえるとは、こちらも予想していなかった。大変申し訳ないが、ふるいにかけさせてもらう」
(ふるいにかける?)
光乃はギクリとなる。
(えっ、困る! 優勝どころか、参加さえさせてもらえない可能性もあるってこと? 私はどうしても優勝して、一万円を手に入れなきゃいけないのに!)
光乃の手にも、係の者から短冊が渡された。
「賞金を手に入れたら何をしたいか、それを書いてほしい。選考はその内容を参考にさせてもらうよ。書き終えたら私の所へ持ってきてくれたまえ」
場内がどよめく。
「一万円で何をしたいかですって? 朔哉様は、なぜそのようなことを……」
「わかったわ! 侯爵様は新事業を立ち上げる際に、優れた案を出せる賢い女をお望みなのよ」
それだわ!と頷きあい、皆はそれぞれ短冊へ筆を走らせた。
短冊を書き終えた乙女たちが、一人、また一人と朔哉へ提出しに行く。受け取りながら、朔哉はそれぞれに極上の笑顔を返していた。
「あのぅ、一つ質問よろしいですか?」
光乃は短冊を手渡す際に、おずおずと朔哉に問いかける。
「なんだい?」
「この大会に優勝した時のことなんですけど」
光乃の言葉に場内の空気がザワッと揺れる。まぁ、もう勝ったつもりでいるわと睨みつける者もいた。
朔哉は満開の桜のような笑顔で、その先を促す。光乃は刺さる視線を背に感じながらも、思い切って口を開いた。
「しょ、賞金だけもらって侯爵様の妻の座を辞退することは可能でしょうか?」
満開の桜から、花びらが数枚散った気配があった。
「……私の妻になるのは不満ということかい?」
(しまった!)
朔哉は相変わらず咲き誇るような笑みを浮かべているが、僅かに気分を害したのを光乃は察する。
「い、いえ! ちょっと気になっただけです! 失礼しました!」
光乃は押し付けるように短冊を朔哉に渡し、慌ててその場から立ち去る。
「今のは……」
朔哉が驚いたように掌を見つめる。そこは先ほど光乃の手が触れた場所だった。
「日吉光乃……」
朔哉が短冊を見つめ、満足気に微笑む。
「期待できそうだ」
「朔哉様、どうぞ」
朔哉の前に、細身の体に若竹色のドレスを纏った令嬢が立った。
「やぁ、緑子くん。あなたも参加されるんだね」
「当然ですわ」
丁寧に巻いた明るい色の髪を揺らしながら、緑子は胸を張る。
「わたくし、朔哉様の妻になることを夢見て自らを鍛えてまいりましたの。有象無象にその座を譲るわけにはまいりませんわ」
「ふふ、あなたらしい」
朔哉は微笑み、短冊を受け取る。指先が触れた瞬間、僅かに眉を上げた。
「何かございまして?」
「いえ、何でも。あなたのご健闘をお祈りしていますよ」
緑子は優雅にお辞儀を返し、そして先ほど光乃の出て行った扉を振り返った。
「妻の座を辞退できるかですって?」
真珠のような歯が、きりっと唇を噛む。
「ふざけるのも大概になさいまし」
(すごい人……)
見回せば、着たきりらしいすすけた着物の少女から、華族や士族と思しき令嬢の姿まである。だが期待と不安の入り混じった瞳をしていることに関しては、皆同じだった。時おり「侯爵夫人」と言う言葉が耳に届く。参加希望者たちの狙いが賞金よりも戒籠寺朔哉の妻の座であることが推し量られた。
(あれ? あの人……)
『おおだけ屋』の客として見覚えのある女人の姿もちらほらある。
(結婚してなかったっけ? まさかこの催しのために、離縁したとか?)
光乃は少し考えた後に、見なかったことにした。
(誰が相手でも勝たなきゃ。私には一万円が必要なんだから)
やがて小さなどよめきが一瞬起きたかと思うと、すぐさまその場はしんと静まり返った。皆の視線の先に目をやった光乃が息を飲む。
(綺麗な人……)
現れたのはなめらかな白磁の肌に濡れ羽色の黒髪、そして整った顔立ちの青年だった。だが、その頬に一枚の絆創膏が貼られているのが、少し痛々しい。
「お嬢さん方、本日はようこそ。私が戒籠寺朔哉だ」
主催の登場に、その場はわっと湧きあがる。中には目を潤ませ、泣きだす者までいた。
(女神が嫉妬するほどの美貌って噂もあったけど……)
光乃の目には神に愛され、丁寧に作り上げられた天上の芸術品のように映った。
朔哉の口から大会の日程や規定についての説明が行われる。耳を傾ける参加者希望者たちは、一様にうっとりとその顔を見つめ、時折切ないため息を漏らしながら、彼の甘い声に耳を傾ける。
(噂に聞く大劇場のレビュウショウの観客は、みんなこんな顔をしてるのかな)
そんなことを考えているうちに、説明は終わる。
「最後に」
朔哉が、古めかしい和紙で出来た短冊を顔の横に持ち上げた。
「ここに名前と、賞金を何に使いたいかを書いてから帰ってほしい。字が書けぬ者は絵でも構わない」
キョトンと顔を見合わせる参加希望者たちに、朔哉は春風を思わせる笑みを浮かべる。
「実は、ここまで大勢の乙女たちが集まってもらえるとは、こちらも予想していなかった。大変申し訳ないが、ふるいにかけさせてもらう」
(ふるいにかける?)
光乃はギクリとなる。
(えっ、困る! 優勝どころか、参加さえさせてもらえない可能性もあるってこと? 私はどうしても優勝して、一万円を手に入れなきゃいけないのに!)
光乃の手にも、係の者から短冊が渡された。
「賞金を手に入れたら何をしたいか、それを書いてほしい。選考はその内容を参考にさせてもらうよ。書き終えたら私の所へ持ってきてくれたまえ」
場内がどよめく。
「一万円で何をしたいかですって? 朔哉様は、なぜそのようなことを……」
「わかったわ! 侯爵様は新事業を立ち上げる際に、優れた案を出せる賢い女をお望みなのよ」
それだわ!と頷きあい、皆はそれぞれ短冊へ筆を走らせた。
短冊を書き終えた乙女たちが、一人、また一人と朔哉へ提出しに行く。受け取りながら、朔哉はそれぞれに極上の笑顔を返していた。
「あのぅ、一つ質問よろしいですか?」
光乃は短冊を手渡す際に、おずおずと朔哉に問いかける。
「なんだい?」
「この大会に優勝した時のことなんですけど」
光乃の言葉に場内の空気がザワッと揺れる。まぁ、もう勝ったつもりでいるわと睨みつける者もいた。
朔哉は満開の桜のような笑顔で、その先を促す。光乃は刺さる視線を背に感じながらも、思い切って口を開いた。
「しょ、賞金だけもらって侯爵様の妻の座を辞退することは可能でしょうか?」
満開の桜から、花びらが数枚散った気配があった。
「……私の妻になるのは不満ということかい?」
(しまった!)
朔哉は相変わらず咲き誇るような笑みを浮かべているが、僅かに気分を害したのを光乃は察する。
「い、いえ! ちょっと気になっただけです! 失礼しました!」
光乃は押し付けるように短冊を朔哉に渡し、慌ててその場から立ち去る。
「今のは……」
朔哉が驚いたように掌を見つめる。そこは先ほど光乃の手が触れた場所だった。
「日吉光乃……」
朔哉が短冊を見つめ、満足気に微笑む。
「期待できそうだ」
「朔哉様、どうぞ」
朔哉の前に、細身の体に若竹色のドレスを纏った令嬢が立った。
「やぁ、緑子くん。あなたも参加されるんだね」
「当然ですわ」
丁寧に巻いた明るい色の髪を揺らしながら、緑子は胸を張る。
「わたくし、朔哉様の妻になることを夢見て自らを鍛えてまいりましたの。有象無象にその座を譲るわけにはまいりませんわ」
「ふふ、あなたらしい」
朔哉は微笑み、短冊を受け取る。指先が触れた瞬間、僅かに眉を上げた。
「何かございまして?」
「いえ、何でも。あなたのご健闘をお祈りしていますよ」
緑子は優雅にお辞儀を返し、そして先ほど光乃の出て行った扉を振り返った。
「妻の座を辞退できるかですって?」
真珠のような歯が、きりっと唇を噛む。
「ふざけるのも大概になさいまし」