「この皿のことだが」
 父の厳しい声に、清一郎は膝の上でぐっと拳を固めた。
「……覚悟はできております」
「偽物だ」
(えっ?)
 思わぬ言葉に清一郎は顔を上げる。八条子爵は頭痛を起こしたかのように、額に手を当て深いため息をついた。
「にせ、もの?」
「そうだ」
 子爵は欠片を拾い上げ、軽く振る。
「割れてしまったとはいえ、ご先祖が帝から賜った家宝だ。金継ぎをさせようと職人に見せたところ、断面からこの皿が偽物であることが分かった」
「そんな……。では、本物の皿は?」
 八条子爵の合図で、桐の箱が運ばれてくる。蓋を開けばその中から現れたのは、件の大皿だった。
「ど、どうして……」
「蝶子の仕業だ」
 父の口から出たのは、清一郎を邪険にしていた継母の名だった。
「あの女は浪費を繰り返し、私の知らぬ場所で借金を抱えていた。それを返すため、この皿を売り払ったそうだ」
「家宝の、皿を……」
「しかし、これが八条家の家宝であることに気付いた骨董屋の主人が、すぐに私の元へ問い合わせて来たのだ。そこで明らかになった」
(そう言うことか)
 あの日光乃が言っていた。大皿は縁側に不安定な状態で置かれており、引き戸を開けばそれに押されて落ちる仕組みになっていたと。あれも全て継母の仕業だったのだろう。清一郎は日頃からあの縁側で読書をしていた。最も引き戸を開ける可能性の高い清一郎に偽の皿を割らせ、それを理由に追い出すと言う計画を立てて。
 言葉を失う清一郎の肩に、八条子爵の手が伸びる。
「すまなかったな、清一郎。仕事で家を空けがちだったため、お前が蝶子から嫌がらせを受けていることに、私は気付けずにいた。あの者からの報告も、鵜呑みにしてしまっていた」
「いえ、父上は何も悪くありません」
「蝶子は、遠くの別荘へやった。二度とこの屋敷の敷居は跨がせん」
「あ、あのっ、悠次郎は?」
 生まれて間もない幼い弟を心配する清一郎を、子爵は驚いたように見る。
「心配いらん。悠次郎は引き取った。この家で立派に育てよう」
 清一郎はほっと息をつく。その存在に家督を脅かされたとはいえ、赤子に罪はない。そして清一郎自身、これからもこの家で暮らせることに、崩れ落ちそうなほどの安堵を味わっていた。
(あ……)
 問題が片付いたと同時に、一つのことを思い出す。
(これでもう、光乃を縛り付ける理由がなくなった……)
 皿は割れるように仕掛けられたもので、そもそも偽物だった。それを教えてやれば、きっと光乃は安心する。責任や罪悪感から解放され、自由になれるはずだ。
(嫌だ……)
 己の卑劣さに吐き気がする。それでも、光乃を自分に縛り付ける理由が欲しい。光乃が自主的に寄り添ってくれるほど、自分に魅力がないことを清一郎は理解していた。
(このことは黙っていよう)
 清一郎は膝の上で、もう一度ぐっと両こぶしを握り締めた。



 戒籠寺家の朔哉の部屋。朔哉は銀のトレイの上の短冊を眺めていた。
「いつ見ても素晴らしい浄力だ……」
 光乃の短冊はひときわ輝いている。この時点で最有力候補ではあったが、例の任務を負わせるには身体能力の高さも重要だった。だが、決勝戦にまで勝ち上がった彼女であれば、全く問題はなさそうだ。
「日吉光乃……」
 小柄で勝気な眼差しの少女。生命力にあふれ、戦う姿は猛々しく、そして……。
「ふふ……」
 抱きしめた時の初心な反応を思い出すと、朔哉の口元には思わず笑みがこぼれる。そのいじらしい仕草もまた、朔哉の胸を打った。
 欲しい、と感じた。自分の妻としても、戒籠寺家の子々孫々のためにも。
「朔哉様」
 家令が書類を手に入室してきた。
「どうだった?」
「はい、日吉光乃様について調べてまいりましたが……」
 家令の口から、調査報告書の内容が告げられる。
 光乃は特に名のある一族の子孫でも、異能の家系でもない、そんな内容だった。
「あれだけの力を持ちながら、何の特別な血も継いでいないだと?」
「さようでございます。突然変異と申しましょうか」
 朔哉は深いため息をつく。光乃がどこか名のある家や神聖なる血筋に繋がっていれば、妻に迎える際に周囲に対して説得力が増す。平民風情と、誹りや妬みを受けることも避けられる。思惑の外れた朔哉は落胆した様子で窓の外へと目を向けた。
「……それでも私は、光乃が欲しい」



 決勝戦の日がやって来た。
「よっ、日吉光乃。アタシは迫塚(さこづか)時緒(ときお)ってんだ。今日はよろしくな」
 目の前に立った人物に、光乃と正宗は目を丸くする。
 時緒は光乃より頭二つ分ほど背が高く、正宗と並んでもほぼ変わらない。その上肩幅もあり、がっちりした体つきであった。太めの黒髪を頭の高い部分で束ねており、頭を揺らすごとにそれは鞭のようにしなる。これまで彼女の存在に気付かなかったことが、不思議なくらいであった。
「負けるつもりはないよ」
 濃い目の眉の下から、ぎょろりとした目が光乃を見下ろしている。握手を求められ手を差し伸べると、厚みのある掌が光乃の小さな手を覆い隠した。
「やー、結婚なんてすっかり諦めてたんだけどさぁ。ここに来てツキが回って来たねぇ」
 時緒は喉の奥を見せ、ゲラゲラと笑う。
「ほら、アタシみたいなのはまともに嫁取りしちゃもらえないだろ?」
「えっ? いや、それはなんとも」
「けど、ここでアンタに勝てばアタシは侯爵夫人様だ! さんざアタシを見下してた奴らの吠え面が見られるぜ」
 腰に手を当て、喉を逸らして豪快に笑う時緒に、光乃はただ圧倒される。
「それにさ」
 時緒はグイと身をかがめ、光乃の耳元へ囁いた。
「アタシはこんなでも、昔から細っこい美少年が好きなんだよね。朔哉様みたいな。ガラじゃないのは解ってんだけどさ」
「え」
「侯爵夫人になれば、朔哉様とは王子様とお姫様みたいに暮らせるのかねぇ。はは、夢みたいだ」
 少し照れくさそうに言う時緒を、光乃は可愛らしいと思った。

 時緒が去ると、正宗が口を開いた。
「俺と同じくらいの上背だったな」
「そうだね。あれだけ恵まれた体格だと、仕事も色々やりやすいんだろうな」
 家事の際、しょっちゅう踏み台を必要とする光乃にしてみれば、時緒の身長は羨ましい。
「……俺、女装して出場してもばれなかったんじゃねぇか?」
 真面目腐った正宗の声音に光乃は吹き出した。
「まだ諦めてなかったの? 侯爵夫人の座」
「違ぇ」
「じゃあ、賞金の一万円だ」
「そっちは欲しいけど、そうじゃなくてよ」
 正宗が光乃へ向き直る。
「俺が出場すれば、お前が勝ち上がるのを阻止することができる。後は適当に俺も辞退すればいい」
 光乃の顔から笑いが消えた。