「どーなってるんだよ!」
「それは僕も聞きたいですよ」

 朝になってもメールは送信できなかった。
 試しに仲間うちで送信したメールはきちんと送れている。

 つまりは、問題は向こう側。

「給料も振り込まれてないっす」

 ハートがスマホで確認しながら肩を落とす。
 この一週間はなんだったのか。
 ただむさくるしい男たちと一台の車で窮屈でしかない生活をしただけ。

 しかもこの依頼が本当に何だったのかもわからぬまま、金も手に入れられずに終了となる。

「おい、行くぞ」
「行くって?」
「決まってんだろ。オレたちが元の依頼を完遂するんだ。雇う側になるんだよ」
「危険すぎるっす」
「でもやならきゃ、いつまでもオレたちは使い捨て側だ。もう、いいだろ。あっち側にいっても」
「……」

 境遇は皆同じ。もう進むより他に道はなかった。
 グレーから黒へ。後戻りなど出来ない。
 このまま手ぶらでなんか帰れるかよ。

 ここで生活するために、金は使い切った。
 帰ったところで、食べる金もない。

 悪いのはオレたちじゃない。みんな他の奴らのせいだ。

「……」

 オレが先頭になり、息を殺しながら別荘のドアに手をかけた。

「⁉」

 すると不用心にも鍵はかかっておらず、ドアが開く。
 玄関に入ると、中は外と比べ物にならないほど春のように暑かった。

 オレたちは無意識のうちに、上着を玄関の下駄箱の上に置いた。
 そして靴も脱ぎ、音を立てないようにそっと中を進んで行く。

 すぐ左手の部屋から、いい匂いがあふれていた。
 オレたちは顔を見合わせ、一気にその部屋に突入する。

 奇麗なダイニングには、木製の高級なテーブルが置かれていた。
 
「飯だ!」

 テーブルの上には、今作ったばかりと思える食事がたくさん並ぶ。
 骨付き肉に、ミネストローネ。
 どれも全て、いい匂いがした。

 途端に尋常ではないほど、空腹が加速していく。
 食べたい。今すぐ食べたい。ああ、食べたい。

「なんで住人はいないんだ?」

 テーブルに駆け寄るオレとは違い、二人は警戒して辺りを窺っていた。
 確かに食事は出来たてだというのに、人の気配はない。

 それならば、誰がこの食事を用意したのか。
 元々、この別荘には人の気配などなかった。

 そう思えば、おかしなところだらけだ。
 しかしそれすら考えられないほど、食べたくて仕方がない。 

 喉から手が出るほどの空腹と渇き。それがオレを支配していた。

「どーでもいいから、まず食おうぜ!」

 金目の物も住人も、食べてから考えればいいだろ。

「急いで食べちゃえばいいっすよね。温かいご飯なんて、久しぶりすぎる」
「それなら……」

 三人でテーブルに座り、食事についた。
 何を食べても美味(うま)かった。
 人生でこんなに美味いものなど食べたことはない。

 無言を通り過ぎ、二人の顔を見る余裕などないくらい、ただ食べた。

「うめー、なんの肉だこれ。サイコーじゃねーか」

 骨の付いた肉にかぶりつけば、ハリのある皮が歯にあたり、さらに力を入れるとぷつりとかみ切れる。
 中からは大量の肉汁があふれ、あっという間に骨まですぐに到達してしまう。

 肉質はやや繊維質があるものの、噛み応えがあり、噛めば噛むほど味が出てきた。
 ほんの少し、臭み? 獣臭か。
 いや、それすら美味いと思えるほど肉は濃厚で味わい深い。
 
 初めは行儀よくフォークとスプーンを使っていたものの、気づけば手づかみで食べ始めていた。
 いくら食べても飽きがこず、どれだけでも食べれてしまう。

 何という料理なのだろか。こんな味食べたことがない。豚……羊……、いや、もっと大きく食べ応えのあるナニカ。
 
 生焼けかそもそも生肉なのか、かぶりついた肉から血がしたたる。それすら味わい深く、口の中に広がる鉄の味すらも上品だ。

「ああ、うめーな、これ。食っても食っても止まらねーよ」

 オレは肉から滴るその血を、啜《すす》る。ただの一滴たりともこぼさぬ様に。
 誰にも渡さない。オレだけの食事。
 ああ美味い。美味い。美味い。美味い。

 ねっとりと食材たちが舌に絡みつき、胃だけではなく心まで満たされていった。

 こんなに美味しいものが食べられるなら満足だ。
 やっぱりオレにはこちら側の才能があるのかもしれないな。
 
 グレーなんかでちまちま稼ぐんじゃなくて、今度からはオレが闇になればいい。
 そうだ。そうすればこんなにうまい飯が食えるんだ。

 今日からオレもこちら側で、人のうまい汁を吸ってやるんだ。
「さむっ」

 幸せに浸るオレの意識が、どこかから吹き込む冷たい風で引き戻される。
 玄関も窓も締まっていたのに、誰か帰ってきたのか?

 意識も視線も上げたオレの目に飛び込んできたのは、今まで見てきた景色とは全くの別物だった。

 白い埃のかぶる室内は荒れ果て、壊れた窓からは大量の落ち葉などが部屋に吹き込んでしまっている。

 もう何十年も使用されていない。
 そんな変わり果てた別荘の室内だった。

「なんだこれ! どーなってんだよ! おい、眼鏡! ハート!」

 ダイニングの椅子から転げるように、横たわる二人。
 近づいたオレは、自分の目を疑った。

「ひっ!」

 変わり果てた二人。
 しかし恐る恐る触れるとまだ温かい二人は、今さっきまで生きていたらしい。

 何で二人が死んでるんだよ。飯食ってる間に、何があったんだ。

 夢中で食べてる間の記憶がないなんてことあるのか?
 でも食べてる時の二人の声を聞いた覚えはない。

 二人はまるで獣にでも齧《かじ》られたように足や顔の肉がなくなり、腸や内臓が辺り一面に巻き散らかされていた。

「なんだよ、どーなってるんだよ!」

 この部屋だってそうだ。さっきまでこんなんじゃなかったのに。
 確かに別荘に入った時は、小奇麗に掃除されて食事まで用意されていた。

 しかしそれが一瞬のうちに、廃屋になって二人が死んでるなんてどう頑張ったってあり得ないだろう。

 熊でもいたのか?
 いや、それだけじゃこの有様は説明できない。

 それにもし熊がいたのなら、オレだって無傷じゃすまないはずだ。
 飯を食べていた時間なんて、そうも経過していない。
 あいつらから目を離したのだって、夢中になってたほんの一瞬だけ……。

「本当にそうか?」

 この別荘に入るまで、人の気配なんてなかった。
 むしろ初めから廃屋だったという方が正しい気がする。

「でもじゃあ、あの食事はなんだったんだよ」

 出来たてで湯気を立てる美味しい料理たち。
 確かにオレはそれをむさぼり食べた。
 あり得ないほどの食欲に駆られて。

「あれはなんだったんだ?」

 思わず口を手で押さえると、ぬるりという生ぬるく気持ちの悪い感覚が伝わってきた。
 食べこぼしか?

 しかし手についていたのは、どこまでもどす黒い血液だった。
 うわぁと短い叫び声をあげ、手を振れば、反対側の手に黒い人の髪の毛が絡みついているのが分かる。

「嘘だろ、おい……」

 もう一度二人の死体を見る。
 獣に齧られたような跡、なくなった肉片。
 そしてオレの口についた血液……。

 嗚咽とともに、何度もその場でオレは吐いた。
 そして動けなくなり、警察へ自ら通報した。

 オレは悪くない。
 オレじゃない。
 だっておかしいだろ。
 オレはただ飯のために、生きていくためだけに仕事をしただけなのに。

 何度もそう繰り返しながら―—
 闇バイトに応募した末に仲間を喰い殺した田崎秀一郎が、収監先で亡くなった。
 何でも、自分で自分を食べたことによる止血死。

 しかし解剖の結果、奴の胃の中は空っぽだった。
 何をどうすればそんな状況になるのか。誰にも説明はつかなかった。

「先輩、なんか凄い事件でしたね」

 調書を眺めながら一息ついたことろで、後輩が俺に声をかけてきた。
 刑事になったかなり経つが、確かにこんな事件は初めてだった。

「ただ闇バイトに応募しただけだって、あんなに泣いてたのに」
「ただって、あの別荘に侵入したのにか?」
「まぁそうですが」

 初めは確かにグレーだけだったのだろう。
 しかしそれに満足することもなく、自分の欲に負けて奴らは闇に染まった。

「まぁ、刑事としては言ってはダメだが世の中は自業自得の世界なのさ」
「でも……それにしても何を見たんですかね、あの廃別荘で」
「さぁな。でも闇バイトって言うくらいだ。深淵を覗くものはまた深淵もこちらを覗いている。闇からナニカじゃねーか?」
「えー。先輩、そういうの信じる系ですか?」
「いや?」

 そう答えたが、あの調書を見ていると信じるしかないように思えた。
 
 奴は自分が仲間を喰ったと思っていたが、たぶん奴自身があの時すでに闇に喰われていたのだろう。

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