キヨがもやっとしたものを感じている中、ちはるは凜とした様子で話を続けた。

「私は呉服屋を継がなければなりませんもの。どうしても婿養子が必要なんです。でも学生時代は自由でしょう? 本当に今しかありません。どうか、お手紙を書いてくださいな」

 それにキヨは胸を抑えた。
 キヨは特に浮いた話もなく、彼女が卒業したら見合い相手を探そうかくらいに、実家は緩い考えをしている。ちはるの実家のように由緒正しい呉服屋では、そういう訳にはいかないのだろう。
 本当ならキヨは嫌だった。好きな人が誰かと恋をするのを見なければいけないなんて、ましてやそれが自分の書いた恋文が原因だなんて、悲しくてやり切れないが。同時にちはるに時間がないのも理解できてしまった。
 ちはるの実家としては、ちはるに店を継いで欲しいのだから、彼女が学校を卒業するまでは待ってくれるだろうが、そこから先は彼女は家のために生きなければならず、その中で恋をしている余裕なんてなくなる。
 考えた末に、キヨは頷いた。キヨはもっと自分本意であり、恋に恋する少女であったのなら、きっとちはるの頼みを断っていただろうが、彼女は少し人がよ過ぎた。ちはるが気の毒だと思ってしまったら、どうしても断ることができなかったのだ。

「わかりました……ひとまずお手紙書きますね」

 こうして、キヨは代筆業を引き受けてしまうこととなったのだった。

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【親愛なる豊様

 金木犀の香る頃となりました。
 金木犀は雨を呼びますから、お加減はいかがでしょうか。
 秋雨は体を冷やしますから、くれぐれもご自愛くださいませ。
 あなたの姿を拝見したときから、あなたの横顔を忘れることができず、このように筆を取ってしまったこと、どうかお許しください。
 いつも勉学に励んでいるあなたに、万年筆を贈ります。どうぞお励みくださいまし。

 敬具】

 普段であったら、相手の名前に相手に伝えたい言葉、相手としたい会話などを聞き取って、すぐに代筆をするというのに、今日の手紙はすっきりと書くことができなかった。
 キヨはしょんぼりとする。この不出来な恋文をちはるに渡せばいいんだろうかと、お下げを揺らした。
 好きな人に恋文を送る。それだけで胸がいっぱいになり、あれだけ溢れていた言葉が全てとっちらかってしまい、上手くまとまることがない。

(世の中の人は、好きな人にどうやって恋文を書いているのかしらね……)

 書いた手紙を封に一旦入れ、店に出た。
 今は手伝いをして、少しは憂さを晴らしたかった。
 そうこうしている内に、店に見覚えのある学ラン姿が目に留まった。豊が同じ制服……おそらくは同級生なのだろう……を伴ってやってきたのだ。

「洋食屋なんて初めて入ったけれど」
「ここの店は絶品なんだよ。この間カツレツを食べたけれど、あれは素晴らしいものだった。試験で頭が痛くなるまで勉強したあとに、ここの店の食事を食べると途端に調子がよくなる」
「それは楽しみだ」

 どうも豊が友人に店を紹介してくれたらしく、そこまで褒められると胸が熱くなる。
 にこにこしながら、キヨは「いらっしゃいませ」と声をかけると、豊はにこやかに笑った。

「こんにちは。今日のおすすめはなんですか?」
「はい、今日のおすすめはハンバーグステーキです」
「はんばあぐ?」
「はい、挽肉を焼いたものですよ」

 最近キヨの父はあちこちの有名洋食店にあるような料理を研究している。
 元々異国では、牛の挽肉を捏ねて生で出すタルタルステーキというものが存在するらしいが、火を通さない生肉はなかなか気味が悪く、そのタルタルステーキを焼いて出したところ、ステーキのようで素晴らしいと呼ばれ、こうしてハンバーグステーキと呼ばれ、少しずつ洋食店で出されることが増えていった。
 キヨの父は挽肉をよく捏ねて焼いたあと、醤油とみりんで照り焼きにし、同じく照り焼きにした野菜を添えることで肉の味を強調する方法を取っていた。

「ほう……面白いですね。それじゃあ、今日はそれにしましょう」
「おいしいんですか?」
「はい、おいしいですよ」

 豊は日頃松井屋に通っているため、すぐに興味を示してくれたが、洋食を食べ慣れていないらしい友人は若干困った顔をしていた。
 どう言ったものかとキヨが考えていたら、豊が言い添えた。

「魚だって照り焼きにしたらおいしいじゃないですか。肉も照り焼きにしたらおいしいはずですよ」
「そうなんですが……なんだか慣れてませんので」
「牛鍋だっておいしいですし、最近は肉を食べると滋養にいいという研究だってされていますから。医学の道を志す我々が食べてみないでどうするんですか」
「まあ、そうですね……?」

 意外と押しが強いんだなと、キヨは少しだけクスリと笑った。
 それでほんの少しだけ胸が軽くなり、「ハンバーグ定食ふたつでよろしいですか?」と尋ねた。

「はい、よろしくお願いします」
「かしこまりました」

 すぐに父に注文を上げると、早速調理に取りかかり、肉の焼ける香ばしい匂いが漂いはじめたのだ。