俺たちが東の集落の男衆と合流したのは、陽がすっかり落ちてからだった。
「佐岐のやつらは、俺たちが残してきた飯を食うのに忙しいようです。家が焼かれている様子はありません。あいつら、気の毒なくらい痩せてましたよ」
まとめ役の男は、俺にそう報告した。
速やかに逃げたので、幸いにも怪我人は一人もでなかったそうだ。
佐岐の側も、俺たちが戦を仕掛けられることを予想し、その対策をとることぐらいわかっていただろう。
食料を集落に少しだけ残したのは、足止めをして俺たちが到着するまでの時間を稼ぐためだ。
飢えている佐岐の兵が、目の前の食料より侵攻を優先することはないと踏んだのだ。
そこに毒を混ぜては、という意見もあったが、それは却下した。
竜神様の恵みにより得られた食料を毒で穢すなど、罰があたってしまう。
それに、隣国との間で禍根を残すようなことは、できる限り避けたい。
「佐岐の国主はいたか?」
「国主かどうかはわかりませんが、一人だけ立派な鎧を着て馬に乗ってるのがいました」
おそらくだが、それが国主本人だ。
佐岐の現国主には、俺も何度か会ったことがある。
俺より十歳ほど年上の、生真面目で責任感の強い男だ。
あの男なら、兵だけ送り出して自分は安全な城で待つようなことはしないだろう。
悪いやつではない。むしろ、いいやつだと思っている。
だからこそ、支援のために野菜を送ったりしたのだ。
そんな男を、討ち取らなければならないのかと思うと、俺はなんとも苦い気持ちになった。
夜に奇襲をかけて殲滅するという手もあるが、暗い中での乱戦は双方に多大な被害が出可能性がある。
焼き討ちをすると、今度は集落の復興に長い時間と手間がかかる。
あちらも今夜はもう動けないだろうし、日が昇ってから正々堂々とぶつかってやろうではないか。
「ご苦労だった。明日は合戦になる。今のうちに休んでおけ」
男を下がらせると、俺の横に控えていた巧がニヤッと笑った。
「俺たちの読み通りの動きですね」
「そうだな。今のところ首尾は上々だ」
追い詰められている佐岐に選択肢などないから、読みやすい。
だからこそ、胸の奥がどうしようもない焦燥で焼かれている。
佐岐は食料だけでなく、『稲穂色の天女様』も狙っているのだ。
もし万が一エリが奪われたらと思うと、胸の奥がどうしようもない焦燥で焼かれる。
なんとしてでも、エリを守らなくては。
そう思うと、闘志が湧いてくる。
「明日の合戦で決着をつけるぞ」
「はい。大将首を挙げてみせましょう」
その一方で、巧は俺とは少し違う意味でやる気に満ちている。
巧にとってこの戦は、果菜芽との祝言の前に武功を挙げる絶好の機会なのだ。
俺としては、戦を早く終わらせるためにも、巧には是非とも頑張ってほしいと思っている。
佐岐の男は、本来は俺たちに負けないくらい頑健なのだが、飢えて痩せ細っているようでは発揮する力も失われていることだろう。
そういう意味では俺たちが有利だが、油断は禁物だ。
どれだけ弱っていても命を捨てる覚悟を決めた死兵は手強いものだと、多くの兵法書に書いてあるのだから。
「無茶はするなよ。おまえが死んだら果菜芽が泣く」
「死なない程度の無茶に留めておきますよ」
そんなことを言いつつも、思い切り無茶をするつもりという顔をしている。
とはいえ、巧が手練れだということは俺もよく知っているから、あまり心配はしていない。
巧よりも、エリが泣いてないかということの方がよほど心配だ。
出立前に見た泣き顔が頭から離れない。
早く帰って、この胸に抱きしめたい。
俺は陽が落ちて暗くなった天を仰ぎ、愛しい面影を瞼の裏に描いた。
翌朝。
斥候に出していた男が息を切らして戻ってきた。
「御屋形様!佐岐のやつらが動き出しました!こちらに向かっています!」
そろそろ頃合いだと思っていた。
俺たちが陣を構えているのは、佐岐に明け渡した集落からほど近い丘の上だ。
この丘を通る道を通らなければ、肥賀の城にはたどり着けない。
佐岐の兵がぞろぞろと姿を現した。
兵数は俺たちと同じくらいのようだが、遠目に見ても痩せているのがわかる。
集落に残されていた僅かな食料では、全員の腹を満たすには足りなかったはずだ。
今もまだ飢えに苦しんでいることだろう。
馬に乗った男の一人が纏う鎧が、陽の光を反射して輝いた。
どうやら、あれが佐岐の国主のようだ。
「よし、覚悟はいいな。心してかかれ!」
俺の声に皆が『応!』と応え、それが鬨の声となった。
佐岐の軍からも鬨の声が上がり、続いてこちらに向けて突撃をしてきた。
俺と巧を含む、弓の心得のある男たちが横並びになり、弓に矢を番えた。
もうすぐ、先頭を走る佐岐の兵が射程範囲内に入る。
ギリギリと弓を引き絞り、『放て!』と号令をかけようとした時のことだった。
ドンッという轟音が響き、空から降ってきた閃光が佐岐の兵の少し前の地面を貫いたかと思うと、十人ほどの佐岐の兵がバタバタと倒れた。
肥賀のものは、これに似た光景を見たことがある。
俺たちは目を丸くする程度だが、佐岐の側は腰を抜かすほど驚いたようだ。
それでも流石は一国の国主というべきか、佐岐の国主はすぐに気を持ち直し、また突撃するよう兵たちに発破をかけた。
それに従った兵たちの前に、今度は三条の閃光が轟音と共に連続で降ってきて、佐岐の兵の半分ほどが地に倒れ伏してしまった。
「竜神様だ……」
誰かが呟いたのが聞こえた。
竜神様。それから、エリ。
エリの祈りを聞き届けた竜神様が、俺たちを守護してくださっているのだ。
「巧、ついてこい」
俺は巧だけを連れ、馬を進めて佐岐の陣に近づいた。
倒れている兵たちは、どうやら気絶しているだけで幸いにも死んではいないようだ。
命までは取らないようにと、優しいエリが竜神様に頼んだのかもしれない。
「俺は肥賀の国の国主、肥賀虎雅だ」
完全に戦意を喪失している佐岐の国主と兵たちに向けて、俺は声を張り上げた。
「肥賀は竜神様に守護されている。我らに仇成すものは、竜神様の怒りに触れると心得よ。命が惜しくば、刃を捨てて跪け」
地上を這いまわる人間がどれだけ刃を振り回したところで、天上の竜神様に届くわけがないのだ。
さっさと諦めて投降しろ、という呼びかけに最初に応じたのは、一際立派な鎧を纏った男だった。
馬から降りて兜をとったところで、やはり佐岐の国主だということがわかった。
男はそのまま俺の前に真っすぐ歩み出て、躊躇いなく地面に膝をつき深く首を垂れた。
それを見た佐岐の兵たちも、国主に倣い次々と膝をついていった。
こうして、刃を交えることすらできず、佐岐は肥賀に全面降伏したのだった。
「佐岐のやつらは、俺たちが残してきた飯を食うのに忙しいようです。家が焼かれている様子はありません。あいつら、気の毒なくらい痩せてましたよ」
まとめ役の男は、俺にそう報告した。
速やかに逃げたので、幸いにも怪我人は一人もでなかったそうだ。
佐岐の側も、俺たちが戦を仕掛けられることを予想し、その対策をとることぐらいわかっていただろう。
食料を集落に少しだけ残したのは、足止めをして俺たちが到着するまでの時間を稼ぐためだ。
飢えている佐岐の兵が、目の前の食料より侵攻を優先することはないと踏んだのだ。
そこに毒を混ぜては、という意見もあったが、それは却下した。
竜神様の恵みにより得られた食料を毒で穢すなど、罰があたってしまう。
それに、隣国との間で禍根を残すようなことは、できる限り避けたい。
「佐岐の国主はいたか?」
「国主かどうかはわかりませんが、一人だけ立派な鎧を着て馬に乗ってるのがいました」
おそらくだが、それが国主本人だ。
佐岐の現国主には、俺も何度か会ったことがある。
俺より十歳ほど年上の、生真面目で責任感の強い男だ。
あの男なら、兵だけ送り出して自分は安全な城で待つようなことはしないだろう。
悪いやつではない。むしろ、いいやつだと思っている。
だからこそ、支援のために野菜を送ったりしたのだ。
そんな男を、討ち取らなければならないのかと思うと、俺はなんとも苦い気持ちになった。
夜に奇襲をかけて殲滅するという手もあるが、暗い中での乱戦は双方に多大な被害が出可能性がある。
焼き討ちをすると、今度は集落の復興に長い時間と手間がかかる。
あちらも今夜はもう動けないだろうし、日が昇ってから正々堂々とぶつかってやろうではないか。
「ご苦労だった。明日は合戦になる。今のうちに休んでおけ」
男を下がらせると、俺の横に控えていた巧がニヤッと笑った。
「俺たちの読み通りの動きですね」
「そうだな。今のところ首尾は上々だ」
追い詰められている佐岐に選択肢などないから、読みやすい。
だからこそ、胸の奥がどうしようもない焦燥で焼かれている。
佐岐は食料だけでなく、『稲穂色の天女様』も狙っているのだ。
もし万が一エリが奪われたらと思うと、胸の奥がどうしようもない焦燥で焼かれる。
なんとしてでも、エリを守らなくては。
そう思うと、闘志が湧いてくる。
「明日の合戦で決着をつけるぞ」
「はい。大将首を挙げてみせましょう」
その一方で、巧は俺とは少し違う意味でやる気に満ちている。
巧にとってこの戦は、果菜芽との祝言の前に武功を挙げる絶好の機会なのだ。
俺としては、戦を早く終わらせるためにも、巧には是非とも頑張ってほしいと思っている。
佐岐の男は、本来は俺たちに負けないくらい頑健なのだが、飢えて痩せ細っているようでは発揮する力も失われていることだろう。
そういう意味では俺たちが有利だが、油断は禁物だ。
どれだけ弱っていても命を捨てる覚悟を決めた死兵は手強いものだと、多くの兵法書に書いてあるのだから。
「無茶はするなよ。おまえが死んだら果菜芽が泣く」
「死なない程度の無茶に留めておきますよ」
そんなことを言いつつも、思い切り無茶をするつもりという顔をしている。
とはいえ、巧が手練れだということは俺もよく知っているから、あまり心配はしていない。
巧よりも、エリが泣いてないかということの方がよほど心配だ。
出立前に見た泣き顔が頭から離れない。
早く帰って、この胸に抱きしめたい。
俺は陽が落ちて暗くなった天を仰ぎ、愛しい面影を瞼の裏に描いた。
翌朝。
斥候に出していた男が息を切らして戻ってきた。
「御屋形様!佐岐のやつらが動き出しました!こちらに向かっています!」
そろそろ頃合いだと思っていた。
俺たちが陣を構えているのは、佐岐に明け渡した集落からほど近い丘の上だ。
この丘を通る道を通らなければ、肥賀の城にはたどり着けない。
佐岐の兵がぞろぞろと姿を現した。
兵数は俺たちと同じくらいのようだが、遠目に見ても痩せているのがわかる。
集落に残されていた僅かな食料では、全員の腹を満たすには足りなかったはずだ。
今もまだ飢えに苦しんでいることだろう。
馬に乗った男の一人が纏う鎧が、陽の光を反射して輝いた。
どうやら、あれが佐岐の国主のようだ。
「よし、覚悟はいいな。心してかかれ!」
俺の声に皆が『応!』と応え、それが鬨の声となった。
佐岐の軍からも鬨の声が上がり、続いてこちらに向けて突撃をしてきた。
俺と巧を含む、弓の心得のある男たちが横並びになり、弓に矢を番えた。
もうすぐ、先頭を走る佐岐の兵が射程範囲内に入る。
ギリギリと弓を引き絞り、『放て!』と号令をかけようとした時のことだった。
ドンッという轟音が響き、空から降ってきた閃光が佐岐の兵の少し前の地面を貫いたかと思うと、十人ほどの佐岐の兵がバタバタと倒れた。
肥賀のものは、これに似た光景を見たことがある。
俺たちは目を丸くする程度だが、佐岐の側は腰を抜かすほど驚いたようだ。
それでも流石は一国の国主というべきか、佐岐の国主はすぐに気を持ち直し、また突撃するよう兵たちに発破をかけた。
それに従った兵たちの前に、今度は三条の閃光が轟音と共に連続で降ってきて、佐岐の兵の半分ほどが地に倒れ伏してしまった。
「竜神様だ……」
誰かが呟いたのが聞こえた。
竜神様。それから、エリ。
エリの祈りを聞き届けた竜神様が、俺たちを守護してくださっているのだ。
「巧、ついてこい」
俺は巧だけを連れ、馬を進めて佐岐の陣に近づいた。
倒れている兵たちは、どうやら気絶しているだけで幸いにも死んではいないようだ。
命までは取らないようにと、優しいエリが竜神様に頼んだのかもしれない。
「俺は肥賀の国の国主、肥賀虎雅だ」
完全に戦意を喪失している佐岐の国主と兵たちに向けて、俺は声を張り上げた。
「肥賀は竜神様に守護されている。我らに仇成すものは、竜神様の怒りに触れると心得よ。命が惜しくば、刃を捨てて跪け」
地上を這いまわる人間がどれだけ刃を振り回したところで、天上の竜神様に届くわけがないのだ。
さっさと諦めて投降しろ、という呼びかけに最初に応じたのは、一際立派な鎧を纏った男だった。
馬から降りて兜をとったところで、やはり佐岐の国主だということがわかった。
男はそのまま俺の前に真っすぐ歩み出て、躊躇いなく地面に膝をつき深く首を垂れた。
それを見た佐岐の兵たちも、国主に倣い次々と膝をついていった。
こうして、刃を交えることすらできず、佐岐は肥賀に全面降伏したのだった。