浜松にある店で有名といえば、さわやかだ。静岡県内にあるものなので浜松オンリーというわけではないけれど。
 せっかく静岡の地に足を踏み入れたのだから、肉食の愛香はすぐにでも行きたいだろうと思っていた。
 しかし、彼女はオムライスを食べたいといいメイワン内にあるオムライス店を選んだ。
 さっき駅弁を食べたばかりだと言うのにどういう腹をしているのか気になるところ。
 ペロリと平らげた彼女は幸せそうに笑みを浮かべていた。写真でも撮ってファンに販売してやりたいくらいにはいい顔をしている。
 ふと、家では食事も制限されているのだろうかと疑問に思う。
 もしもそうならば、彼女はたくさんの我慢をしてきたのかもしれない。だが、彼女にしかわからない。僕が安易に聞いていい話題ではないような気がして踏み込むことはしなかった。
「このあとどこに行く予定?」
 水を飲む彼女に伝える。
「小説のモデルになった市野に行きたい」
「市野?イオンだっけ?」
 彼女は記憶力がいいのか覚えていた。
 二作目に出てくるデートスポットとして描かれた市野のイオン。恋愛小説として女子高生の人気がある作品。
 この作品に出てくるデート自体は自分をモデルにしたという。
 気になるのは、そこではなく恋愛小説において描き方が不自然な深い闇のような部分がある。いじめだ。
 恋愛小説の中でいじめは出てくることはよくあるだろう。だがそこに、いじめの実態を生々しく悲劇的に描いたのは何故なのか。
 彼女とのデート中に嫌な思い出を思い出す必要はあったのか。二作目だから不自然な部分もあるのか。
 父さんが描きたかった本質はそこにあるのか。どうにも色恋をテーマにしただけとは思えなかった。
「デートなら、相手の表情とか仕草とか書けばいいのにいじめを生々しく描いて存在感を放たせたのはなぜだろうって」
「……デートしたらわかるんじゃない?」
 そんな簡単な話じゃない。
「……相手がいないよ」
 刹那、足を蹴られて痛みに悶えた。
 どうして彼女は突然蹴ろうと思うのか。理不尽ではなかろうか。
「擬似でいいよ。私を彼女だと思えば、わかると思う」
 僕に付き合ってくれているのはわかるけれど、それは逆に失礼な気がしてならない。しかし。
「なるほど。そうしてみる」
 彼女が提案してくれたことだ。乗っかっておこうと思う。
 しかしながら、それはそれで不満そうな彼女に僕はどうしていいのかわからなかった。
 女子の気持ちをすぐには理解できないので、とりあえず向かう。
 彼女とバスに乗り市野のイオンに向かった。
 ナイスパスなんていう浜松特有のカードがあるあたり、生活するため独自に発展したように思う。
 ただバスの料金が高いし、本数は少ない。
 やはり二社も大手車会社があるゆえに、車社会なんだと実感する。
 これでは学生は住みづらいのではないだろうか。
 イオンに着くとまず小説を取り出して気になるページを開く。
「この辺でデートするって難しくない?」
 一通り歩いてみた後に愛香は言った。擬似デートは結局しなかった。どうしてか彼女といると友達の関係に思えてしまう。いざ恋人だと思うと恥ずかしくなるのかもしれないと、思った。
 一方で彼女のいう通り確かにと思う。
「ここでデートするなら、すぐ目の前にあるラウンドワンの方が学生は行く気がする」
 デートのモデルが自分でかつ学生だとするならばここを選ぶだろうか。
 なぜだか大人びていて体を動かして遊ぶより、この小説のように雑貨屋に行って欲しいものを見て回る感じ。
「服とか選ぶにしても高いよなぁ」
 視界の左に見えた服屋の値札を見る。学生が五千円を超える服を彼女のために買えるだろうか。
 二作目の小説の中で服を買うシーンは実際にある。だけど、その彼がバイトをしているとかの描写はない。お小遣いがたくさんもらえていたにしても彼女にわざわざ送るだろうか。
 そんな経費、勿体無いと思わないのか。
「普通の学生なら、これだけ高いの買ってくれたらもっと好きになるんじゃない?」
 ハンガーにかかっている半袖の洒落た服を前に僕にどう?と尋ねる。
「可愛いと思うし、好きになるんじゃないか」
 あまりわからないので、いつかのように適当に共感しておく。
 バシッと叩かれたので謝った。
「今と同じ夏の時期のデートだし、プールとか海の方が」
「ナンセンスだよ」
「……」
 僕がモテない理由がはっきりしてきた気がする。
「じゃあ、どこに行きたい?外で遊ぶか、ラウンドワンでボーリングとか。この小説みたいにプラプラ店を回るか」
 そもそも浜松にだって食べ歩きできるようなスポットくらいありそうなもの。
 そのついでに雑貨屋とかならわからなくもないけれど。
「私なら店を回りたいかも」
「そうなの?」
「だって、好きな人の趣味に合わせられたらもっと好きになってもらえそうじゃん?」
「自分らしくいた方が良くない?好きな人に合わせたら何も残らない気がする」
「そういうこと言ってるんじゃないの」
 どうやら僕はまた地雷を踏んだよう。
「とりあえず、父さんが書いたデートのモデルはありなのか」
「アリだと思う。ただ、お金の問題は残るかな」
「やっぱり?」
 愛香もその点には気付いてたらしい。
「私みたいに働いてたらわかるけど。普通はどうなんだろう?」
「……普通」
 考えてみれば、普通とはなんだろうか。
 バイトをしている学生からしてみれば、金銭を多少無駄遣いしてもいいのかもしれない。
 だけど、親からお小遣いとしてもらっている人たちは無駄遣いしたら次の遊びに使えないかもしれない。やりくりしないと大変だろう。
「バイトで土日、週八時間、時給千円なら六万四千円くらいかな。遊ぶには余るお金だな」
「それがもしも小遣いとなると多くて五千円の場合、これは買えないね」
 阿吽の呼吸とも言える考えの一致。
 彼女を父さんの死の真相を知るために付き合わせたのは正解だったのかもしれない。
「学生とはいえ、大学生ならわかるかもなぁ」
「世間の感覚と合わせる意味ならそうかも」
「……そうじゃん!!あなたのお父さん、宏哉さん、高校生の時からバイトしてるって!」
 閃いた彼女。僕自身も今になって気づいた。いつか父さんが教えてくれた過去の話。
「忘れてた……」
 もしも父さんが世間に合わようと思ってバイトの話を書かなかったのなら、父さんがモデルにしたデートプランは大学生以降。
 いじめの要素を入れた理由さえわかればそこから芋蔓式で何かわかるかもしれない。
「デートを描く中でいじめの要素を入れたのは、どうしてなのか」
「作品の中だとちょうどこの辺で思い出すことがあったんだよね」
 勝手に小説を取り上げた彼女は、指で文字を追う。
「あれじゃない?」
 彼女が指をさしたその先にあったのはガチャガチャのお店。
「時代と共に変わったのか」
 小説では雑貨屋だ。
 小さい文具を手に取っていじめを思い出す。だけど、あまりにも唐突で生々しくて、それはまるでフラッシュバックするかのようで、恋愛小説には合わない気がして、違和感を覚えた。
 何かがトリガーになるにしても恋愛小説でそこまでしなくてもいいんじゃないか、と。
「これじゃ、手がかりにはならないね」
 彼女のいう通りだ。どうして、小さい文具と書いて、名前を出さなかったのか。
 隠すべきことがあったとするなら、それはなんなのか。それに気づいた読者たちが賛同して、それに気づけなかった人が僕らみたいに否定的になっているのか……?それは何?
「小さい文具なら、消しゴムとかかな」
「消しゴムだけでいじめを思い出すと思う?」
「消しゴムを投げたとか?」
「……」
 なくもないけど、いじめが陰湿になった時代にリスクが大きいではないだろうか。
 そして、父さんがテーマとして毎作品書いていたマイノリティ。
 この作品では、そのいじめというものがマイノリティとして描いたと後書きで書いていた。
 わざわざ隠してしまっては、いじめに対する描写は薄くなってしまうし、不自然なまま。文庫のターゲット層を考え、隠さざるを得ない事情があった?
 読み込みが浅かったのかもしれない。
 何が足りないのだろう。ヒントになる描写はないのか?
 小説をペラペラめくっていく。
「隠したい何かはなんだったのか」
「ヒントがないなら、わかんないよ」
 彼女も同じ意見らしい。
「愛香は、この作品読んだ時どう思った?」
 この作品の感想から何か引き出せないかと考えた。
「……えぇ?でも普段より比喩は多いなって思った。言葉は尖った刃だとか、鋭い刃を見つめるととか」
 確かにそんな内容が多い。カッコの主人公のセリフはすごく気を遣っているようにも見える。でも。
「それは表現の問題だろ?」
 繊細な描写を増やして心情を描いたりかもしれない。
 愛や恋を比喩で表現するように、父さんもまた比喩で表現したんだろう。
 作詞家にありがちな比喩の多用。小説家がやっていたとして何も思わない。
「そうかもしれないけど、他の作品じゃ、恋心を比喩表現してない」
「……だから、作品のテーマに合わせて」
「合わせただけなら、作家失格じゃない?独創的なのが作家じゃない」
 一作一作それぞれに合う雰囲気を作っていたと?
「小説家じゃない僕にはわかんないけど」
 否定するには早かったと反省する。
 このままでは考えることを放棄してしまいそうなので話題を変える。
「他を考えよう。いじめがマイノリティってところ。学生ならありがちだと思う」
「ないでしょ。私は今ないよ」
 ピシャリと伝えられた言葉。
「……」
 当たり前にあるものだと思っていたものがないと告げられてしまっては開いた口が塞がらない。
「空だって今はない」
 昔はあった。今はない。それだけのこと。
 いちいち覚えていたってどうしようもないのに、いつまでも覚えてる。
 僕の家庭が世間と違っているから普通じゃない。
 いじめがマイノリティならば、僕は少数派で……。
「大勢で一人をいじめるからマイノリティ?」
 パッと思いついたことを口にした。
 だけど、それでは想像するマイノリティとは少し違う。他の作品のテーマと合わせて考えるとまるで違う。
 父さんの作品はもっと誰が叫んでも届かない悲鳴のようなものを感じるのに。
「いじめは当たり前にあるものじゃないから、ってこと?」
 そんなのあり得ない。否定したい気持ちが込み上げる。
「でも、いじめってどこにでも」
 必死に言い聞かせようとする自分がなんだか情けなく感じる。
「やめよう」
 至って冷静で物言わせぬ声音の愛香。
「そこまで今は考えなくてもいいじゃん。あとは次の日にでもしない?」
「でも」
 絶対に違うと否定したくなる。絶対と言い切れる根拠なんてどこにもないのに。
「空がこのまま続けたら理解できることも出来なくなるよ。少しは休もう」
「……」
 彼女の言葉でハッとする。
 目的は父さんの死の真相であって、僕の気持ちを理解して欲しいってことじゃない。
「そうだよな。ごめん」
「いいよ。ほら、遊ぼ。せっかくきたんだし」
 遊ぼうと言ったって何かするわけでもない。
 すぐそこにあるフードコートでコーヒーを注文した。
 冷静になるにはちょうどいいドリンクだと思う。
 愛香も同じものを頼んでいた。合わせてくれたのだろうか。甘いドリンクでも良かったと思うけれど。
 スマホでポチポチと調べ物か何かをしている彼女。僕もスマホのメモアプリで今日の出来事をメモしていく。
 父さんの二作目のデートモデルが学生時代のものではない可能性。
 いじめの描写が、マイノリティだと思っている可能性。
 デートのモデルが大人っぽく見えるのは父さんが大人になってからだと考えれば合点がいく。
 いじめに関してはまだ今は深く考えないでおく。
 辺りを見回してみると思いの外、学生が多い。
 それがデートスポットとして採用されたのだろうか。
 スマホの地図アプリですぐ近くの学校を調べる。学校自体は近くにある。
 浜松の高校は東西南北に多くの学校が建てられている。浜名湖沿いにもある。
 少子化を機に統合した学校もあるらしい。天竜の方で記事が書かれている。
 学生が多いエリアとしてこの辺は栄えているのだろう。
 赤電と言われる電車も走っているし、浜松駅からバスでも行ける距離。
 現地に行くとわかることがこんなにもあるとは思っていなかった。
 では、次の三作目について考えたい。
 この『瞳に宿るもの』の中には、見た目を気にする描写がいくつもある。
 主人公は女子高生で転校してきたオッドアイ。
 両目が別の色をしていて他の高校生とは違うという理由でカラコンをつけて目を黒にしている。
 些細なことでその事実がバレてしまい、クラス内で話題になる。
 周りとは違うという理由で周囲から距離を置かれ、仲の良かった女子生徒からも信用されていなかったからと距離を置かれる。
 隣の席に座る男子生徒と仲良くなっていた彼女は、彼の言葉に耳を貸し、本音を伝えてみる。
 しかし、その言葉を聞くものはおらずさらに孤立する。
 それは容姿の良さも関係していた。容姿がいいあまり嫉妬されて、泣く姿さえ美しいその彼女に苛立ちを覚えた女子生徒らがさらに嫌悪を抱く。
 居場所を失った彼女は、男子生徒の言葉を聞くこともなく引きこもってしまう。
 男子生徒が学校に来て欲しいと家まで迎えにいくがそれによって精神が参った彼女は自殺を図る。
 流れとしてはこんなもの。
 容姿の良さと人と違う目。
 孤立することなんてあるのだろうかと疑問に思ったこともある。それ以上に、この書籍を高校生向け文庫でよく出せたものだと感心する。
 オッドアイという設定にマイノリティを感じるけれど、容姿の良さだけでそんなにも変わるものだろうか。
 これが、十九歳になってすぐに出版された作品。
 こんな突拍子もない設定が思いついたとして、重たい物語を書くことになると予想できたのか。
 プロットは書かないと言っていた父さんが、だ。
 頭の中にあるもので勝負していたのだろうか。
 インタビュー記事には、自分が役を演じるような気分、そのキャラクターが憑依している感覚と書かれていた。
 もしもそうだとするなら、父さんはネガティブだ。こんな重たい方向へと持っていく必要がどこにあるのだろう。
 愛香が新幹線に乗る前に言ったように重たいストーリーだ。
 女子生徒の気持ちも憑依できるとするなら、父さんは一作一作書くごとにどれほど疲労したのだろう。
 もしかすると、父さんはその憑依されるものを役者として利用していた可能性がある。
 演技をするために役を憑依させるというのは、演者の人間にしかわからない。ドッと疲れては眠る日々だっただろう。
「愛香さ、演技する時ってどうしてる?」
「何、突然」
「父さんの三作目について考えてた」
 三作目を愛香に手渡すと彼女はパラパラとめくった。
「この作品を出した後くらいのインタビューで父さんは、キャラが憑依している感覚って言ってた。愛香は、演技する時どう?」
「どうって……。共感かな」
 共感、それは僕がよく人前でやることだ。
「あなたの共感とは違うよ」
 撃沈。
「この役がどんな思いで今を生きてるのかを考える。その前に相関図を考えるけどね。相手から見た自分を先に考える。そのあとで自分が演じる役について考えてる。サスペンスものだと関係性を隠していることもあるし」
「……そうか」
 思っているより、役者の演技論は深いようで演技に対する考えが浅かった。
「でも、憑依させるっていう人はいるよ。そういう人は撮影中ずっと気を張ってる人もいるし、静かな人が陽気な役を演じる時はずっと明るい」
「演技は、それぞれ?」
「うん。宏哉さんのこと考えているなら、あの人は憑依だね。って言っても、撮影ギリギリまで今まで通りな感じがするけど」
「切り替えが早い?」
 自分の中で近い言葉を選んでみても彼女は微妙な反応をする。
「どうだろう。正直、よくわからない。演じている役が憑依させやすかったのかもしれない。役を演じていて大変そうには見えなかったかな」
「……」
 演技で大変なこと、役の演じ方に悩んでいたりすると大抵はそれが他の役者に気づかれたりするらしい。一緒に方向性を考えてくれる人もいるとかいないとか。
 インタビューとかでその時の様子を伝える人もいる。
 ならば、父さんは演技に対してそれほど難しさを感じてなかった?
「たくさん書いているわけだし、憑依させているのが本当なら、オールジャンル演じやすかったんじゃない?」
「そうかも」
「友達にもいるよ。憑依させる人」
「でもほら、監督の意向とかもあるでしょ?脚本通りにやれっていう人とか」
「それはそうだよ。許してくれる人の方が少ない」
 考えれば考えるほど、愛香はそんな難しい世界で仕事をしているのだと痛感する。
 思い返してみれば、彼女と初めて出会った時も演技に悩んでいる様子だった。
 あの時、泣いている彼女に僕は何を伝えたのだろう。今となっては思い出せない。
「それでも頑張る必要はない。形があるんだから」
 彼女は脈絡もなくいった。
 それが何を示す言葉なのか僕には理解できなかった。
 だけど、今、全てを深く考えすぎる必要はないと言われているような気がした。
 すぐに解決する必要はどこにもないのだろう。だとしたら、愛香はスローペースだ。
 もっと言いようがある。人の死、それが父親の死だったらこんなこと言えなかったはずなのに。
「宏哉さんの作品って形がちゃんと決まってるから読みやすいよ。それも頑張りすぎなくていい理由なのかな」
 起承転結がはっきりしていると言いたいようだ。何が起きて何を理解して何が転んで何が結論なのかその土台があれば難しく考えなくていい。そんなふうに聞こえる。
 しかし、作家なのだから当たり前ではないか。それができずして作品と言えるのだろうか。
 役者もまた似たようなものなのか?泣く演技で泣けないとき、失恋でなくても人の死を連想して別の感情で泣くような。
「それで?この三作目で考えることはあるの?」
 彼女が話を戻してくれた。このままでは演技論をずっと聞くことになりそうだ。
「あぁ……。マイノリティをテーマにしている作家とはいえ、オッドアイはやりすぎてないかなって」
「やりすぎ?」
「だって、オッドアイって日本人だったら稀すぎて話に入れなくない?」
「設定じゃん。空も話に入れたから読めたんじゃないの?」
「アニメとか見てたからなんとなく」
「なら、大丈夫でしょ」
「……」
 そういう問題なんだろうか。
「なんか悩むところある?」
「顔の良さっていじめにつながる?」
 この作品は直接的ないじめ描写はないが、間接的にいじめを示唆する描写が多数含まれている。
 顔の良さがいじめにつながるのならば、きっと今、目の前にいる愛香はいじめにあっているわけだ。
 だけど、彼女はいじめにあったことはない。
「それ、私に聞く?」
「うん」
「あのさ」
 ちょっと怒った様子の彼女。地雷を踏んだようで頭をフル回転させて次の句を選ぶ。
「私のこと可愛いなんて思ったことないくせにそういうこと聞かないでよ」
「……え?」
 あまりにも違う角度で怒られてしまって思わず出てしまった言葉。
 てっきりいじめられたことを僕には言えないのかと思っていたから、的外れだったと知る。
「え?違うの?」
 少し嬉しそうに見えたのは気のせいだろう。
「違うよ」
 ちゃんと否定しておく。後で面倒になる。
「……ねぇ、ちょっと」
 よくないと言わんばかりに目線をキョロキョロ動かす彼女。
 そんな悪いこと言ってしまったのかと反省しした。結局、面倒になっている。
「ごめん。悪気があったわけじゃなくて」
「そうじゃないよ……」
 じっと目が合う。
 そらさずに見つめてくる彼女の顔の良さ。女優業に抜擢される理由もよくわかる。
「話戻すけど、じゃあ、いじめられたことはない?」
 間違った雰囲気が出来上がりそうで、話を戻したのになぜか足を蹴られた僕は、戸惑いを隠せなかった。今のすごく紳士的だったはずなのに……。
 いじめ自体は受けていたのだろうか。
「私、いじめられたことないので」
 どうやら違うらしい。ならば、なぜ蹴ったのか。
 彼女のことがどんどんわからなくなる。
「やっぱりいじめは当たり前にあるものじゃないのか」
 振り出しに戻る。
 父さんが描いた通りマイノリティの枠ならば、僕は少数派の人間。これは間違いじゃなかった。
 いじめに遭うなんて本来なくていい出来事。
 いじめられないように生きるにはどうしたらいいのだろう。
「さっきも言ったけどさ、いじめについて考えるのやめない?」
「……」
 彼女は先ほどと同じように真面目な表情でいう。
「それでもやっぱり」
 言い返すわけじゃない。
 言い返したいわけじゃない。
 だけど。
「いじめられたこの気持ちは誰が理解してくれるんだろう」
 父さんは、二作目も三作目もそうやって理解して欲しかったのか?
 目を逸らしたい出来事の中で、いじめは起こり得る。
 容姿端麗の美男美女だっていつかは誰かと出会う。容姿にコンプレックスを抱く人が近くにいれば嫉妬する。
 自分とは違う世界を生きているように思えて、理解し合うことも分かち合うこともできない。
「もしも父さんが、いじめられていたらこの作品はいじめられていた人を救う物語だと思う」
 いじめは色濃く残る。
 決して消えない傷になって、どんなに今好きな人ができてもひょんなことで思い出す。
 理解されない苦しみにもがいたところで誰も救いの手を差し伸べない。三作目の顔が良い、たったそれだけのことでも。
 いつまでも消えない傷は、当然ながらいつまでも残る。
 死ぬまで残るというなら、消えてしまいたい。
「そんなふうに思うけど、でもやっぱり作品としての感想にすぎないんだよな」
 浜松に来てまで欲しかったものじゃない。
 これでは真相に辿り着けていない。
「……いじめってさ、その人がいなければ起きないんじゃない?救いになるかもしれないけど、理解してもらえるかもしれないけど、でもいつまでも考え続ける必要はないんじゃないの?」
 愛香は、コーヒーを一口飲むと続けて口を開いた。
「このまま苦しいまま、辛いままってずるいよ。みんなとは違う経験したってそれはもうそれ以上起こることはないよ。苦しいことを苦しいって言えたらそれでいいんじゃないの?理解してくれない人なんてどこにでもいる。だけど、理解してくる人はきっとどこかにいる」
「そんな簡単な話じゃない」
 吐き捨てた言葉は、自分に返ってくる。
 いじめの被害者でいるから、わかること。それを理由に下を向き続けることで、誰かが抱きしめてくれることを待っている。
 それはわがままで、自分から動かない限り変化はない。
 今までそうだった。
 だから、今、こうして浜松に来てまで父さんの死の真相を知りたがってる。
「でもそうしないと理解してくれる人なんて……」
「自分が……理解したくないんだろうな……。ずっと、いじめられた過去を出せば誰かが寄り添ってくれる。労わってくれる。でも高校を卒業して進学して就職してその過程で寄り添ってくれる人はきっといない。どれも全部綺麗事だから理解を拒む。だから汚れた自分なんかでも正しいってどっかで理解しているから……。認めきれない思いが……自己嫌悪に陥る」
「……」
「愛香の言葉は正しいんだ。その通りだ。だから、三作目に出てくる主人公は自己嫌悪の中、死んだ」
「……」
「今、ようやく理解した」
 いじめで殺されたといえば、他殺だけど、正しくあろうと立ち直ろうと動いてみても何もできない自己嫌悪で死ぬ。それが自殺。
 命の脆さ、弱さ。それを支える人の優しさ、強さ。
 きっとそんな強さを持つものはもっと辛い経験があるのだろう。
 幸せになるための経験値。ゲームの序盤。基盤を頑丈なものにして一つ一つ攻略する。
 それが幸せへのルート。割り切れないものばかりを背負って、どこかで割り切って節目なんて言って、次に進む。
 基盤が万全じゃない限り壊れて崩れる。もう一度作り直せるのなら。
「僕も、変えてみたいな。自分を」
 いじめられる環境にいない今、目の前にいる彼女に伝えてみる。
「十分強いと思うけど……。私の言葉酷くなかった?」
「そんなことないな。ちょっと疲れたしどっかいこ」
「じゃあ、さわやか」
 市野のイオンにはさわやかがある。
 ちょうど提案しようか迷っていたところだ。
 先ほどは、オムライスを食べていたくせにがっつきたくなったのだろうか。
「いいね、いこか」
「うん!」
 席から腰を上げて、コーヒーの入っていた容器を捨てる。
 彼女の横顔を見てふと思う。
 容姿端麗な彼女がどこかで理解されないと思っていることがあるのか、と。
 何かを隠したいのか、隠すべきだと思っているのか。
 どこかで探ってみるべきか。
 いや、と被りを振る。
 彼女のことだから、言いたいときに言うのだろう。
 それから僕らはさわやかに向かった。