白の立て襟ブラウス。黒いくるぶし丈のスカート、それからショートジャケット。前衛的なウーヌスの女性学者によくある服装に、伝統的なレザーの手袋とブーツから彼女のひととなりが見えるようだった。
エドワードより少し年上の二十代中盤かと思われるが、とはいえ落ち着き払った女性だ。質素な服装は長身の彼女によく似合い、聡明さを際立たせている。
血の気の薄い色白の彼女は、前に流れてきた艶やかな黒髪をバンのまとめ髪に収めながら、二人の訪問者に眉をひそめた。
「やあ」
「……本日、訪問の予定はなかったはずですが」
「飛び入りで申し訳ないね。ボクはアルカ。ウーヌスにあるペルケトゥム研究所で働いている神話学者だ。太陽の街の伝承について調べにやって来た」
彼女がこの養蚕工場の娘だろう。
視線を寄こされたエドワードもまた、ボーラーハットを取って挨拶をする。
「エドワード・ガヴェンディッシュです。同じくペルケトゥム研究所で働いております。私はこの方の弟子です」
アルカは押し入る気満々でボンネットを取る。目元が暗がるヘッドドレスを外せば、左目の色素の抜けた赤眼が耀く。
「アルカ……、知っています。ゲネシス王国一の天才研究者、数の申し子と呼ばれた人。そして、ペルケトゥムの方舟」
「いやはや、そう言われると恥ずかしいな」
女性は白い息を吐く二人を招き入れると、二階へ続く階段の方へ案内を始めた。ウーヌス大学に通っていたこともあってかアルカのことは既知らしく、少なくとも彼女に非協力的な素振りは見えない。
エドワードは階段の欄干に手を這わせ、養蚕場を俯瞰するように眺める。工業化された養蚕はあまりに機械的で、糸を紡ぐという繊細なイメージが損なわれていた。産業の発展による代償の例としてふさわしいほどに。
「わたくしはこの養蚕場の工場長、オリビア・セルバンテスと申します」
叔父は経営者で金出し役、切り盛りは彼女が担っているというわけだ。
「とはいえ、わたくしは指示待ち人間首振り人形ですわ」
オリビアは淡々と悲しい事実を口にした。
自主性を問われる大学という場所から、その状況は苦痛の極みだろう。
オリビアは二階の奥から二番目の部屋の扉を開き、二人を招き入れた。そこは応接間ではなく、おそらく彼女の仕事場だ。スチールの棚と机、そして木製のクローゼットは奇妙なバランスで黄金比に近いものを作り出している。
差し出された重厚な彫刻の木製椅子に腰掛け、アルカは室内をぐるりと見回した。アルカもまた、エドワードと同じような感想を抱いているだろう。
「ソウウルプスまでは列車で?」
「ああ、およそ四時間と言ったところかな」
「たった数年で列車は随分速くなりましたわね。途中、長いトンネルを潜り抜けられたでしょう」
エドワードはソウウルプスまでの道中を思い出す。
「ここは田舎で盆地ですから、独立した民話のような言い伝えが数多く残っています」
「街の人に聞いたよ。きみはそういうものに詳しいと」
「今や民間ではかなり廃れてしまっていますわ。それも最高神のみならずすべての神々に名前がないせいだと、わたくしは踏んでおりますの」
オリビアは装飾の凝った一冊をアルカに差し出す。豪華な装飾とは裏腹に花布がいびつだ。
「もしかしてこの本、オリビアさんが?」
「学生時代に製本したものですわ。時間が無くてこの一冊だけですが」
エドワードは素人仕事にしてはよくできている、と感嘆する。
アルカは受け取った本をぱらぱらとめくっているが、十分の一ほどから以降は真っ白だった。彼女ですら、これだけしか集めることができていない。前途多難そうだ。
「わたくしがまとめたものです。一村娘にはこれが限界で。ただ、わたくし、太陽が昇らないという話を知っているんですの」
アルカが片眉を上げる。
「……珍しいそうですが、ソウウルプスの伝承における最高神は冥府の女神です」
「興味深いな。確かに他の神話は男神かつ、太陽を司る神が最高神であることが多い」
アルカの返答にオリビアは深く頷く。
アルカは本の手書きの目次の一つに指を這わせた。
『Dea inferorum et Lux vitae』、つまり『冥府の女神と命の光』。
「命の光?」
「曰く、山の木に生えるキノコの光のことだそうですわ」
「ソウウルプスには発光するキノコが生えているのか?」
「ええ。ソウウルプスを囲む山であればどこでも、その光るキノコを見ることができますけれど……」
アルカは前触れもなく立ち上がった。オリビアも、エドワードも驚いて身を仰け反らせる。
「行こう」
「山にですか? けれどもアルカ様、今日の御格好では」
「なんだ、汚れることを心配しているのか? なに、所長が勝手に増やすんだ、一着くらい捨てる言い訳にもなる」
エドワードは、今日のドレスは特に似合っているのに、と眉を下げる。しかしアルカのやる気を削ぐような行為は避けたい。
オリビアは唸るエドワードを傍に、クローゼットを開け放した。
「それならば、サイズが合うかわかりませんが、作業服をお貸しいたしますわ」
「作業服?」
「ええ、ここは女性が多く働いておりますし」
エドワードがアルカに視線を送ると、アルカは面倒だと言わんばかりに顔をしかめてしぶしぶ手袋を外す。
オリビアは驚きで上げかけた声を両手で塞いだ。手袋の下から真っ黒な機械の手が現れれば驚くのも当然だ。
そしてオリビアは視線をそのままエドワードに向けた。
アルカは順調に服を脱いでいる。エドワードも所々で手を貸しながら、ボタンを外して、ひもを緩め、下着が少しだけ見えた状態にまでなった。
「あの……いつになれば、エドワードさまはお部屋を出られるのです?」
オリビアはしびれを切らしたようにエドワードに尋ね聞く。
「ああ、いいんだ。彼はボクの世話係も担っているからな」
「もう五年はこうなので」
アルカとエドワードが調子を合わせて言うと、オリビアはぐっと眉根を寄せた。
「何年とか関係ありませんわ! それに紳士が淑女のお着替えに慣れてしまうなんてよくありません」
オリビアは作業服をアルカに手渡すと、エドワードの背中を押して部屋の外に追い出した。
「わたくしがアルカさまの着替えをお手伝いいたします。外でお待ちください」
ばたん、と扉が勢い良く閉められた。
エドワードより少し年上の二十代中盤かと思われるが、とはいえ落ち着き払った女性だ。質素な服装は長身の彼女によく似合い、聡明さを際立たせている。
血の気の薄い色白の彼女は、前に流れてきた艶やかな黒髪をバンのまとめ髪に収めながら、二人の訪問者に眉をひそめた。
「やあ」
「……本日、訪問の予定はなかったはずですが」
「飛び入りで申し訳ないね。ボクはアルカ。ウーヌスにあるペルケトゥム研究所で働いている神話学者だ。太陽の街の伝承について調べにやって来た」
彼女がこの養蚕工場の娘だろう。
視線を寄こされたエドワードもまた、ボーラーハットを取って挨拶をする。
「エドワード・ガヴェンディッシュです。同じくペルケトゥム研究所で働いております。私はこの方の弟子です」
アルカは押し入る気満々でボンネットを取る。目元が暗がるヘッドドレスを外せば、左目の色素の抜けた赤眼が耀く。
「アルカ……、知っています。ゲネシス王国一の天才研究者、数の申し子と呼ばれた人。そして、ペルケトゥムの方舟」
「いやはや、そう言われると恥ずかしいな」
女性は白い息を吐く二人を招き入れると、二階へ続く階段の方へ案内を始めた。ウーヌス大学に通っていたこともあってかアルカのことは既知らしく、少なくとも彼女に非協力的な素振りは見えない。
エドワードは階段の欄干に手を這わせ、養蚕場を俯瞰するように眺める。工業化された養蚕はあまりに機械的で、糸を紡ぐという繊細なイメージが損なわれていた。産業の発展による代償の例としてふさわしいほどに。
「わたくしはこの養蚕場の工場長、オリビア・セルバンテスと申します」
叔父は経営者で金出し役、切り盛りは彼女が担っているというわけだ。
「とはいえ、わたくしは指示待ち人間首振り人形ですわ」
オリビアは淡々と悲しい事実を口にした。
自主性を問われる大学という場所から、その状況は苦痛の極みだろう。
オリビアは二階の奥から二番目の部屋の扉を開き、二人を招き入れた。そこは応接間ではなく、おそらく彼女の仕事場だ。スチールの棚と机、そして木製のクローゼットは奇妙なバランスで黄金比に近いものを作り出している。
差し出された重厚な彫刻の木製椅子に腰掛け、アルカは室内をぐるりと見回した。アルカもまた、エドワードと同じような感想を抱いているだろう。
「ソウウルプスまでは列車で?」
「ああ、およそ四時間と言ったところかな」
「たった数年で列車は随分速くなりましたわね。途中、長いトンネルを潜り抜けられたでしょう」
エドワードはソウウルプスまでの道中を思い出す。
「ここは田舎で盆地ですから、独立した民話のような言い伝えが数多く残っています」
「街の人に聞いたよ。きみはそういうものに詳しいと」
「今や民間ではかなり廃れてしまっていますわ。それも最高神のみならずすべての神々に名前がないせいだと、わたくしは踏んでおりますの」
オリビアは装飾の凝った一冊をアルカに差し出す。豪華な装飾とは裏腹に花布がいびつだ。
「もしかしてこの本、オリビアさんが?」
「学生時代に製本したものですわ。時間が無くてこの一冊だけですが」
エドワードは素人仕事にしてはよくできている、と感嘆する。
アルカは受け取った本をぱらぱらとめくっているが、十分の一ほどから以降は真っ白だった。彼女ですら、これだけしか集めることができていない。前途多難そうだ。
「わたくしがまとめたものです。一村娘にはこれが限界で。ただ、わたくし、太陽が昇らないという話を知っているんですの」
アルカが片眉を上げる。
「……珍しいそうですが、ソウウルプスの伝承における最高神は冥府の女神です」
「興味深いな。確かに他の神話は男神かつ、太陽を司る神が最高神であることが多い」
アルカの返答にオリビアは深く頷く。
アルカは本の手書きの目次の一つに指を這わせた。
『Dea inferorum et Lux vitae』、つまり『冥府の女神と命の光』。
「命の光?」
「曰く、山の木に生えるキノコの光のことだそうですわ」
「ソウウルプスには発光するキノコが生えているのか?」
「ええ。ソウウルプスを囲む山であればどこでも、その光るキノコを見ることができますけれど……」
アルカは前触れもなく立ち上がった。オリビアも、エドワードも驚いて身を仰け反らせる。
「行こう」
「山にですか? けれどもアルカ様、今日の御格好では」
「なんだ、汚れることを心配しているのか? なに、所長が勝手に増やすんだ、一着くらい捨てる言い訳にもなる」
エドワードは、今日のドレスは特に似合っているのに、と眉を下げる。しかしアルカのやる気を削ぐような行為は避けたい。
オリビアは唸るエドワードを傍に、クローゼットを開け放した。
「それならば、サイズが合うかわかりませんが、作業服をお貸しいたしますわ」
「作業服?」
「ええ、ここは女性が多く働いておりますし」
エドワードがアルカに視線を送ると、アルカは面倒だと言わんばかりに顔をしかめてしぶしぶ手袋を外す。
オリビアは驚きで上げかけた声を両手で塞いだ。手袋の下から真っ黒な機械の手が現れれば驚くのも当然だ。
そしてオリビアは視線をそのままエドワードに向けた。
アルカは順調に服を脱いでいる。エドワードも所々で手を貸しながら、ボタンを外して、ひもを緩め、下着が少しだけ見えた状態にまでなった。
「あの……いつになれば、エドワードさまはお部屋を出られるのです?」
オリビアはしびれを切らしたようにエドワードに尋ね聞く。
「ああ、いいんだ。彼はボクの世話係も担っているからな」
「もう五年はこうなので」
アルカとエドワードが調子を合わせて言うと、オリビアはぐっと眉根を寄せた。
「何年とか関係ありませんわ! それに紳士が淑女のお着替えに慣れてしまうなんてよくありません」
オリビアは作業服をアルカに手渡すと、エドワードの背中を押して部屋の外に追い出した。
「わたくしがアルカさまの着替えをお手伝いいたします。外でお待ちください」
ばたん、と扉が勢い良く閉められた。