「おーい間宮あ」
きた、と思う。気の抜けた声、ずるずると上履きを引きずるような足音。「まみや」という私の名前を、語尾を伸ばして「まみやあ」と呼ぶところ。
「なーに、コータロー」
「ビニコン寄ろうぜ、ビニコン」
「何その呼び方。ちゃんとコンビニって呼んでよね」
「コンビニエンスストアー」
「うざ、しね」
ひっでえなーと言いながら、嫌な顔はしていない。そんなコータローを見ると、わたしもなんだか口もとがゆるんでしまう。
放課後の教室で、わざとゆっくり帰る支度をする金曜日。理由はふたつ。コータローの所属するサッカー部が金曜日は休みなこと。帰り道にあるコンビニの肉まんが、何故か金曜日だけ10円やすいこと。
「今日もどうせ肉まん食べるんでしょ」
「バレた?」
「バレバレ」
わたしがリュックを背負って廊下に出ると、当たり前みたいにその横に並ぶコータロー。はじめて出逢った高校の入学式より、わたしとコータローの身長差は随分と開いてしまった。
金曜日。いつから続いているかわからない。でももうずっと、こうしてコータローと並んで帰ることが当たり前みたいになっている。
「てかさコータロー、今日体育のときこっち見てたでしょ」
「はー? いつだよ」
「バレーやってるとき! 目あったのに逸らしたじゃん」
「覚えてねー」
カサカサと音を立てる落ち葉を踏みしめながら校庭を出る。最初は並んで帰るわたしとコータローを見てみんなが面白がったけど、今はからかいの声もなくなった。金曜日のこの光景が、みんなの中でも当たり前になっているんだろう。
それにしても、今日の出来事を覚えてないなんてコータローはほんとうにバカだ。隣のクラスと合同でやる授業は少ないから、わたしはいつもこの体育の時間をたのしみにしているのに。
コータローがこっちを向いていたこと、一瞬でも目があったこと、目があったとき笑ってくれたこと。わたしはうれしかったんだけどな。どうしてそんなことも覚えていないんだろう。
「まみやあ」
「なにコータロー」
「ジャンケンしよ」
「いきなり?」
「負けた方が肉まん奢りな!」
「は?! ちょ、」
「さーいしょはグー、じゃーんけーん」
ぽん、というコータローの声とともに、とっさに出たのは手を広げたパー。コータローは拳のグー。いきなりのことで買ったかどうかも判断がつかないまま顔を上げると、コータローがなぜだか嬉しそうに「買ってくるから公園で待ってろ」と言いながら笑っていた。
こういうのは大体言い出した方が負けるんだって、前にジャンケンした時コータローが言ってたな。いきなり賭け事をするなんて珍しい。
よく寄るコンビニの横、小さいけど綺麗な公園。日が落ちかける時間帯、遊んでいた子供たちも次々に砂場から腰を上げて帰っていく。
わたしはベンチに座りながら、ローファーで砂の地面にまるを描く。意味はあんまりない。
「なんだそれ、アンパンマン?」
はっと顔をあげると、コンビニの袋を持ったコータローが私の描いた丸をまじまじと見つめていた。アンパンマンを描いていたつもりはないんだけどな、と思いながら「そうだよ」と呟くと、コータローが似てねえなあってわらう。
「ほら」
そう言って差し出されたコンビニの袋には、肉まんが2つ入っている。躊躇いもなくわたしの横に腰掛けて、食うぞーって袋からそれを取り出すコータロー。
「珍しいじゃん、コータローが文句言わずに奢ってくれるなんて」
「紳士だろ?」
「肉まんひとつで紳士を気取るな」
「文句言わずに食え」
ありがと、と言いながら肉まんのひとつを受け取って、熱い袋をあける。ほかほかのそれにそっと唇を寄せてかぶりつくと、想像とは違ったあまい味が口のなかに広がった。
「まって、なにこれ」
「はははっ、ばーか」
「ちょっと、餡まんじゃんこれ!」
怒るわたしの横で、コータローはそれはそれは楽しそうにわらっている。どうやらわざと餡まんを買ってきたらしい。わたしが肉まん派だって知っているくせに。
「肉まんよこせ、バーカ!」
「なにも疑わずに食べるんだもんなあ、まみや」
「肉まん買ってくるって言って餡まん買ってくるバカなんてコータローだけ」
「ははっ、そーだよ俺だけ」
目尻に涙がたまるくらいケラケラとわらって、コータローは自分の肉まんの袋をあける。
夕日が沈む前、オレンジ色の公園、わらうコータローは躊躇いなく自分の肉まんを半分に割った。
「ほら、やるよ」
「はあ?」
「肉まん半分こな」
「何それ」
「餡まんも半分ちょーだい」
まだケラケラと笑いながらそう言うので、仕方なくかぶりついてしまった餡まんを2つに割った。コータローの考えていることはさっぱりだ。
「サンキュ」
それぞれの半分を交換すると、両手に肉まんと餡まんを持って食べなきゃいけない。その光景がなんだか可笑しくてコータローはまたわらう。わたしはわざとむすっとして両方を素早くたいらげた。
食べ比べてみてわかったこと。肉まんの方が美味しいけれど、案外餡まんも悪くないってこと。
「なーまみやあ」
「なに、コータロー」
また「まみや」の語尾を伸ばして「まみやあ」と呼ぶ、コータローの癖。
「おまえ今日、体育のときこっち見てたろ」
「はあ?」
「目があったときわらったろ」
「……コータローがわらってきたから」
「はは、おれ、あれけっこううれしかった」
なんだそれ。
公園に着くまでそんなこと忘れたなんて言っていたのに、突然うれしかっただなんてどうかしてる。
目があって、わらって、恥ずかしくて先に視線を逸らしたのはわたしの方。コータローがこっちを見ていて、ふと目線があったとき、わたしに向かってわらったことがなんだかとてもくすぐったくて、むず痒かったの。
コータローにはこんなきもち、わかんないだろうけれど。
「こういうの、なんて言うんだろうな」
「こういうの、って?」
「毎週金曜日一緒にかえる、とか」
「うん」
「授業中お互いのこと見てる、とか」
「……うん」
「にくまん半分こにする、とか」
「それは勝手に半分こにさせたんでしょ」
「ははっ、そーとも言う」
肉まんを食べ終えた右手の親指をペロリと舐めて、コータローがこっちを向く。にいっと白い歯を見せて笑顔を見せる。
「……どっちが美味しかった?」
「にくまん。でもたまには餡まんも悪くねえな」
そう言ったコータローの顔を見て、わたしは思わずわらってしまった。
だって、同じこと考えてるんだもん。
「コータロー」
「なに?」
「こういうの、なんて言うんだろうね」
コータローが私の言葉を聞いて、一瞬目を丸くした後、にやりとわらった。
「こういうの、って?」
「毎週金曜日、こうして一緒に帰る、とか」
「うん」
「体育の授業で目が合ったらわらってくれる、とか」
「うん」
「肉まんと餡まん半分こずつ食べる、とか」
「……手つなぐ、とか?」
え、と私が言葉を発するまえに、右手にコータローの左手が重なって、ぎゅっと握り締められた。
びっくりして声も出ないわたしをみて、コータローは余裕そうに「ばーか」とけらけらわらう。突然すぎる。いきなりこんなこと、期待なんてしてなかったのに。
ずるい、そんなふうにわらうのは、とてもずるい。
「な、にこれ、は」
「すっごい噛んでるぞ、まみや」
「だ、誰のせいだと……」
「はは、こういうのも悪くないだろ?」
夕日がしずむ少し前。オレンジ色に染まった公園と、コータローの顔。葉っぱに残る昨日の雨が、きらきらひかって眩しい。のびる横に並んだふたりの影がくすぐったい。
「悪くないって……」
「おれさ、金曜日がいちばん好きなんだよね」
「それは……私もそうだよ」
「はは、じゃあ俺ら両想い?」
「りょ、両想いって……」
そんなことを、笑いながら簡単に言ってのけてしまうコータローがなんだかにくたらしい。さっきまで肉まんと餡まんを交互に頬張っていたくせに、その手で私の右手を掴んでいるなんておかしい。
知らなかった。コータローの手が、こんなに大きくてあったかいってこと。
「毎週金曜日一緒に帰るとかさ」
「……うん」
「授業中目が合うとかさ」
「……うん」
「肉まん半分こするとかさ」
「……うん」
「俺はまみやが特別だからだけど、まみやはどう?」
返事なんてわかっているくせに、コータローはずるい。すごくずるい。わかりきったこと、わたしの口から言わせるの、ずるい。
「わたしもコータローが、とくべつ、だからに決まってるじゃん」
コータローがまたにやりと笑って、さらにつよく私の手をにぎった。金曜日毎週一緒に帰るのも、こうしてどこかに寄り道して時間をつぶすのも、授業中目が合ってわらってくれたのも、肉まんを半分こしてくれたのも、ばーかってからかう声が優しかったのも。
当たり前みたいで、きっと全然当たり前じゃない。
それだけのことが、コータローとだったら、大切な宝物になるんだ。
「はは、やっぱ両想いじゃん、俺ら」
ぎゅっと手を繋いで、コータローがわらう。つられてわたしもわらう。
繋がれた手があたたかくて離せそうにない。今までより近くなったコータローのこと、特別で、大切で、本当はずっと、すきだった。
こんな風に手を繋いで笑いあうこと。たったそれだけのように見えて、私にはすごく大きなこと。それはきっと、わたしがほんとはずっとずっとしてみたかった、きみと、ちょっとだけ素敵なこと。
【きみと、ちょっとだけ素敵なこと。 fin】