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 宝石みたいに綺麗だったから、それを口に含んだらどうなるんだろう、とおもった。赤い粒をひとつぶ指先にかすめて、つるっとした表面に胸が高鳴る。
 恐る恐る口に入れて、それから、目を細めた。
 見た目とは裏腹に、ひどく酸味のあるその粒に少しだけ泣きそうになりながら、やっぱり綺麗な赤い粒を見て、柘榴という果物をきらいにはなれなさそうだ、とおもう。知らなかったものに触れるとき、少しの高揚感を感じる。こういう気持ちは少しだけ、彼へのそれに似ている気がする。


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「イートインで、あと、コーヒーひとつ」
「はい、ありがとうございます」

 ちゃりん、と小銭がレジ台に置かれる。トレイの中にはクロワッサンがひとつ。サクサクの生地に艶のある表面、焼き立てのいい香りが鼻をくすぐる。
 クロワッサン120円、アイスコーヒー160円、合計280円。置かれた300円を受け取って、20円のお釣りを返すと、「どうも、」と簡素な返事が返ってくる。
 その低い声に、なんとなく今朝食べた柘榴の酸味を思い出した。

「あの人、また来てるね」
「え、ああ……」

 クロワッサンだけ先にトレイに乗せて、イートイン席へと着いた彼を見ながら、同じバイトで年上のミオコさんがそう話しかけてくる。

「カッコいいよね、あの人」
「そう、ですかね」

 誰もが振り向く整った容姿をしている……訳ではないと思う。
 ただ、身長が高くてスラッとしている。スタイルがいい。髪型は整ってはいないし目も細いけれど横顔のラインがきれいだ。笑ったところは殆ど、見たことがない。

「ほとんど毎日くるけど、うちのパン好きなのかなー」
「だといいですけど、ね」
「ふふ、時々スイちゃんのこと見てるよ、彼」
「え、そんなことないですって……」
「気づいてるくせにぃ」

 苗字が水島、だからスイちゃん。安易なあだ名だ。だけど中々気に入っている。
 お喋りをやめて注文されたアイスコーヒーをカップに注ぐ。ストローをさしてお盆に載せて、焼けた小麦の香りが充満する店内を歩いていく。

「おまたせしました」

 コトン、とアイスコーヒーのカップを彼のテーブルの上に置く。小指でワンクッションさせると音が鳴らないんだよ、と先輩に教えてもらったのはいつだったか。パン屋のレジ打ちばかりしている私にその技術が身につくのは到底先だ。

「アイスコーヒー1点になります」

 ふと、彼をみる。また、彼も私をみる。

「……いつもいますね」
「え、」
「あ、すみません、僕このお店の常連で」
「いや、知ってます、いつもクロワッサンとアイスコーヒー、ですよね」

 そして、陽当たりの良い窓際。パソコンを開いたり本を読んだり、1時間しないうちに帰って行く。

「はは、知られてたか」
「常連さんの顔は、なんとなく、」
「ここのクロワッサン、すきなんですよ」
「あ、それは、わたしもです、」
「あと、おねえさんの淹れるコーヒーも」
「っ、」

 笑わない彼がわたしに向かってひどくやさしく微笑んだので、わたしもありがとうございます、と辿々しく返しておく。うまく言えたかどうかは自信がない。
 カラン、と氷が溶けてぶつかる音が合図のような気がした。
 知らないものに触れるとき、少しの高揚感を覚える。同時に心臓が鳴るのはきっと新しい芽生えのせいだろう。柘榴の赤い粒を撫でたときと、それは似ている。



【柘榴とクロワッサン】fin.





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「おーい間宮あ」

 きた、と思う。気の抜けた声、ずるずると上履きを引きずるような足音。「まみや」という私の名前を、語尾を伸ばして「まみやあ」と呼ぶところ。

「なーに、コータロー」
「ビニコン寄ろうぜ、ビニコン」
「何その呼び方。ちゃんとコンビニって呼んでよね」
「コンビニエンスストアー」
「うざ、しね」

 ひっでえなーと言いながら、嫌な顔はしていない。そんなコータローを見ると、わたしもなんだか口もとがゆるんでしまう。
 放課後の教室で、わざとゆっくり帰る支度をする金曜日。理由はふたつ。コータローの所属するサッカー部が金曜日は休みなこと。帰り道にあるコンビニの肉まんが、何故か金曜日だけ10円やすいこと。

「今日もどうせ肉まん食べるんでしょ」
「バレた?」
「バレバレ」

 わたしがリュックを背負って廊下に出ると、当たり前みたいにその横に並ぶコータロー。はじめて出逢った高校の入学式より、わたしとコータローの身長差は随分と開いてしまった。
 金曜日。いつから続いているかわからない。でももうずっと、こうしてコータローと並んで帰ることが当たり前みたいになっている。

「てかさコータロー、今日体育のときこっち見てたでしょ」
「はー? いつだよ」
「バレーやってるとき! 目あったのに逸らしたじゃん」
「覚えてねー」

 カサカサと音を立てる落ち葉を踏みしめながら校庭を出る。最初は並んで帰るわたしとコータローを見てみんなが面白がったけど、今はからかいの声もなくなった。金曜日のこの光景が、みんなの中でも当たり前になっているんだろう。
 それにしても、今日の出来事を覚えてないなんてコータローはほんとうにバカだ。隣のクラスと合同でやる授業は少ないから、わたしはいつもこの体育の時間をたのしみにしているのに。
 コータローがこっちを向いていたこと、一瞬でも目があったこと、目があったとき笑ってくれたこと。わたしはうれしかったんだけどな。どうしてそんなことも覚えていないんだろう。

「まみやあ」
「なにコータロー」
「ジャンケンしよ」
「いきなり?」
「負けた方が肉まん奢りな!」
「は?! ちょ、」
「さーいしょはグー、じゃーんけーん」

 ぽん、というコータローの声とともに、とっさに出たのは手を広げたパー。コータローは拳のグー。いきなりのことで買ったかどうかも判断がつかないまま顔を上げると、コータローがなぜだか嬉しそうに「買ってくるから公園で待ってろ」と言いながら笑っていた。
 こういうのは大体言い出した方が負けるんだって、前にジャンケンした時コータローが言ってたな。いきなり賭け事をするなんて珍しい。
 よく寄るコンビニの横、小さいけど綺麗な公園。日が落ちかける時間帯、遊んでいた子供たちも次々に砂場から腰を上げて帰っていく。
 わたしはベンチに座りながら、ローファーで砂の地面にまるを描く。意味はあんまりない。

「なんだそれ、アンパンマン?」

 はっと顔をあげると、コンビニの袋を持ったコータローが私の描いた丸をまじまじと見つめていた。アンパンマンを描いていたつもりはないんだけどな、と思いながら「そうだよ」と呟くと、コータローが似てねえなあってわらう。

「ほら」

 そう言って差し出されたコンビニの袋には、肉まんが2つ入っている。躊躇いもなくわたしの横に腰掛けて、食うぞーって袋からそれを取り出すコータロー。

「珍しいじゃん、コータローが文句言わずに奢ってくれるなんて」
「紳士だろ?」
「肉まんひとつで紳士を気取るな」
「文句言わずに食え」

 ありがと、と言いながら肉まんのひとつを受け取って、熱い袋をあける。ほかほかのそれにそっと唇を寄せてかぶりつくと、想像とは違ったあまい味が口のなかに広がった。

「まって、なにこれ」
「はははっ、ばーか」
「ちょっと、餡まんじゃんこれ!」

 怒るわたしの横で、コータローはそれはそれは楽しそうにわらっている。どうやらわざと餡まんを買ってきたらしい。わたしが肉まん派だって知っているくせに。

「肉まんよこせ、バーカ!」
「なにも疑わずに食べるんだもんなあ、まみや」
「肉まん買ってくるって言って餡まん買ってくるバカなんてコータローだけ」
「ははっ、そーだよ俺だけ」

 目尻に涙がたまるくらいケラケラとわらって、コータローは自分の肉まんの袋をあける。
 夕日が沈む前、オレンジ色の公園、わらうコータローは躊躇いなく自分の肉まんを半分に割った。

「ほら、やるよ」
「はあ?」
「肉まん半分こな」
「何それ」
「餡まんも半分ちょーだい」

 まだケラケラと笑いながらそう言うので、仕方なくかぶりついてしまった餡まんを2つに割った。コータローの考えていることはさっぱりだ。

「サンキュ」

 それぞれの半分を交換すると、両手に肉まんと餡まんを持って食べなきゃいけない。その光景がなんだか可笑しくてコータローはまたわらう。わたしはわざとむすっとして両方を素早くたいらげた。
 食べ比べてみてわかったこと。肉まんの方が美味しいけれど、案外餡まんも悪くないってこと。

「なーまみやあ」
「なに、コータロー」

 また「まみや」の語尾を伸ばして「まみやあ」と呼ぶ、コータローの癖。

「おまえ今日、体育のときこっち見てたろ」
「はあ?」
「目があったときわらったろ」
「……コータローがわらってきたから」
「はは、おれ、あれけっこううれしかった」

 なんだそれ。
 公園に着くまでそんなこと忘れたなんて言っていたのに、突然うれしかっただなんてどうかしてる。
 目があって、わらって、恥ずかしくて先に視線を逸らしたのはわたしの方。コータローがこっちを見ていて、ふと目線があったとき、わたしに向かってわらったことがなんだかとてもくすぐったくて、むず痒かったの。
 コータローにはこんなきもち、わかんないだろうけれど。

「こういうの、なんて言うんだろうな」
「こういうの、って?」
「毎週金曜日一緒にかえる、とか」
「うん」
「授業中お互いのこと見てる、とか」
「……うん」
「にくまん半分こにする、とか」
「それは勝手に半分こにさせたんでしょ」
「ははっ、そーとも言う」

 肉まんを食べ終えた右手の親指をペロリと舐めて、コータローがこっちを向く。にいっと白い歯を見せて笑顔を見せる。

「……どっちが美味しかった?」
「にくまん。でもたまには餡まんも悪くねえな」

 そう言ったコータローの顔を見て、わたしは思わずわらってしまった。
 だって、同じこと考えてるんだもん。

「コータロー」
「なに?」
「こういうの、なんて言うんだろうね」

 コータローが私の言葉を聞いて、一瞬目を丸くした後、にやりとわらった。

「こういうの、って?」
「毎週金曜日、こうして一緒に帰る、とか」
「うん」
「体育の授業で目が合ったらわらってくれる、とか」
「うん」
「肉まんと餡まん半分こずつ食べる、とか」
「……手つなぐ、とか?」

 え、と私が言葉を発するまえに、右手にコータローの左手が重なって、ぎゅっと握り締められた。
 びっくりして声も出ないわたしをみて、コータローは余裕そうに「ばーか」とけらけらわらう。突然すぎる。いきなりこんなこと、期待なんてしてなかったのに。
 ずるい、そんなふうにわらうのは、とてもずるい。

「な、にこれ、は」
「すっごい噛んでるぞ、まみや」
「だ、誰のせいだと……」
「はは、こういうのも悪くないだろ?」

 夕日がしずむ少し前。オレンジ色に染まった公園と、コータローの顔。葉っぱに残る昨日の雨が、きらきらひかって眩しい。のびる横に並んだふたりの影がくすぐったい。

「悪くないって……」
「おれさ、金曜日がいちばん好きなんだよね」
「それは……私もそうだよ」
「はは、じゃあ俺ら両想い?」
「りょ、両想いって……」

 そんなことを、笑いながら簡単に言ってのけてしまうコータローがなんだかにくたらしい。さっきまで肉まんと餡まんを交互に頬張っていたくせに、その手で私の右手を掴んでいるなんておかしい。
 知らなかった。コータローの手が、こんなに大きくてあったかいってこと。

「毎週金曜日一緒に帰るとかさ」
「……うん」
「授業中目が合うとかさ」
「……うん」
「肉まん半分こするとかさ」
「……うん」
「俺はまみやが特別だからだけど、まみやはどう?」

 返事なんてわかっているくせに、コータローはずるい。すごくずるい。わかりきったこと、わたしの口から言わせるの、ずるい。

「わたしもコータローが、とくべつ、だからに決まってるじゃん」

 コータローがまたにやりと笑って、さらにつよく私の手をにぎった。金曜日毎週一緒に帰るのも、こうしてどこかに寄り道して時間をつぶすのも、授業中目が合ってわらってくれたのも、肉まんを半分こしてくれたのも、ばーかってからかう声が優しかったのも。
 当たり前みたいで、きっと全然当たり前じゃない。
 それだけのことが、コータローとだったら、大切な宝物になるんだ。

「はは、やっぱ両想いじゃん、俺ら」

 ぎゅっと手を繋いで、コータローがわらう。つられてわたしもわらう。
 繋がれた手があたたかくて離せそうにない。今までより近くなったコータローのこと、特別で、大切で、本当はずっと、すきだった。
 こんな風に手を繋いで笑いあうこと。たったそれだけのように見えて、私にはすごく大きなこと。それはきっと、わたしがほんとはずっとずっとしてみたかった、きみと、ちょっとだけ素敵なこと。




【きみと、ちょっとだけ素敵なこと。 fin】



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「本気の恋っていったいなんだ」

 突如私に降ってきた果てしなく答えの見えそうにない疑問について、そいつは迷いもなくいとも簡単に笑い飛ばしやがった。

「本気ってそんなの、本気で好きなら本気の恋だろ、バカかよおまえ」

 自分が馬鹿だという自覚はあるつもりだ。かろうじて数学は人並みにとれても文系科目は死亡フラグ。特に国語はてんでダメ。特に小説に出てくる人物の心理状況を読み解くなんて私には100年早い話。
 そんなもんだから、目の前でケタケタと笑うハルタがめちゃくちゃに憎たらしくてとにかくウザい。バカかよって、自分でわかってるっつうの。ていうか唐突に思ったことをポロリと口に出してしまった自分を今すぐに殴りたい。殴らないけど。

「じゃあ本気で好きってなんだよ。ハルタにわかんの」
「そりゃあ、おれがミカちゃんに抱く気持ちのことに決まってんだろ? アイラブミカちゃん、フォーリンラブだから、おれ」
「とりま帰って?」

 ミカちゃんっていうのは、ハルタ一押しのアイドルタレント。目がクリっとして可愛らしい顔と言動が人気なんだって。知らないけど。フォーリンラブの意味は多分理解してないんだろうな。ハルタ馬鹿だし。でもおもしろいから教えてはやらない。

「つうか、ヒナコがそんなこと言うなんてめっずらしいじゃん? なんかあったわけ」
「うるせえ帰れ」
「おまえは口を直せ」
「ていうかマジで帰ってよ。邪魔でしかない」
「おまえなー、たまには俺のこと頼ってもよくない?」
「私だって頼れる男がそばにいてほしかったよ」
「ほんとクソヤロウだなおまえ」

 夕暮れの教室、ハルタとふたりっきりになってしまったのには訳がある。
 遡れば数時間前、誰もが嫌がる掃除の時間。ハルタがいつも通り私にちょっかいをかけてきて、私はまんまとそれに乗ってゾウキン片手にハルタを追いかけていたんだけれど、たまたま通りかかった学年主任にそれを見られてしまったのだ。
 しかも学年主任は私が掃除をサボって一人で走り回っていたと思ったらしく(ゾウキン片手にひとりで走り回るほど私はキチガイじゃないと思うんだけど)こっぴどく叱られて反省文を書かされているってわけだ。

「もーいーよ、ほんと帰って」
「ていうか、反省文書くのおまえだけとか普通におかしいし、いるくらいいいだろ」

 ハルタは、そういうところだけやけに律儀だ。確かにちょっかいをかけてきたのはハルタだけれど、それに乗ったのは私だし、見つかったのは私の足が遅かったからだし、別にハルタが気にすることなんてないのに、ハルタってホントバカ。

「いても意味なし、気が散るだけ。さっさと帰りな。てゆーか部活サボんな」
「今日は休みだっつうの。俺はバスケを愛してるから部活があったら迷わず部活優先しますー」
「なんで今日休みなんだよコンチクショウ」
「ほんとかわいくねえなブス」
「おまえいつかコロス」

 進まない反省文に無意味にシャーペンを滑らせて、ハルタはブツブツ何か言いながらそれを見る。バーカ。さっさと帰れよ。ていうかほんとは今日部活あったの知ってるっつうの。バーカ、ハルタ、バーカ。

「……ヒナコ」
「なに」
「おまえほんと、なんかあったんじゃねえの」
「はあ?」

 珍しく真面目な声を出したハルタが、私が握りしめるシャーペンを奪い取る。やめろよ。ただでさえ国語がニガテで文章書けないんだから邪魔するなっつうの。

「だっておまえからコイなんて単語が出てくること、一万年に一度あるかないかだろ」
「そんなことないっつうの。私だって女子トーク鉄板恋のお話略して恋バナしたりするからね? 舐めんな?」
「嘘つけ。おれがわかんねえわけないだろ、吐きやがれ」
「うるせえ童貞は消えろ」
「おまえよりは経験あるわ」

 バカヤロウ、ハルタはほんとうにバカヤロウだ。でもたぶん、きっと私はそれ以上にバカヤロウかもしれない。

「……ふうん」
「いやおまえ、そこは反撃してこいっつうの、恥ずかしいだろ、俺が」
「知るか、しね」
「いやなんでだよ」

 本気の恋ってなんだって私が言ったら、本気で好きなら本気の恋だろってハルタが言った。本気で好きってなんだよ。本気とかなんだよ。全然わかんないし、わかる方法も知らないし、きっとこれからもわからないよ。

「……ハルタってさあ」
「ん?」
「ホント、バカだよね」
「はあ?」

 奪い取った私のシャーペンを片手でくるくるとまわしながら、ハルタが心底意味わかんねえみたいな顔をして私を見る。私も意味わかんねえっつうの。ていうかたぶん私がいちばん意味わかんねえっつうの。

「ねえ、わたし本気の恋とか本気で好きとかわかんないけどさ」
「おまえにわかるわけねえだろアホか」
「うるせえ話は最後まで聞け」
「ハイハイ、で、何」
「好きなんだけど」
「ハイハイ、おまえはほんと……は?」

 ハルタの手からシャーペンがコロンと落ちる。真っ白な原稿用紙、反省文なんて思いつくわけないじゃん。だってハルタがいると心臓がうるさくて思考がうまくまわらないんだもん。それは、国語がニガテな私の言い訳じゃなくて現実問題。
 元々丸くてきれいな形をしたハルタの目がさらに大きく開かれて、わたしは心臓がうるさくて目をそらした。
 だいたいハルタはずるいんだっつうの。いつも私にちょっかい出してきて、バカだのブスだの言うくせにたまに優しくしてくるのなんでなんだよ。今日だって、私のことなんか気にせず大好きなバスケしに行けばよかったのに。ハルタってバカだよ。ほんとうにバカだ。でもたぶん、オトコみたいな私をたまに、ほんとうにたまにオンナノコ扱いしてくれるの、この世界でハルタだけだと思うんだ。
 我ながらなんて単純。
 でもしょうがなかった。仕方なかった。ハルタがたぶん好きだった。本気とかそんなの知らないけれど、私はミカちゃんにもハルタが『おまえより経験ある』って言ったコトバにもちょっとだけ、嘘、だいぶ嫉妬してしまってるんだもん。
 バカ、ハルタのバーカ。
 ああでもたぶん、いやきっと、いちばんのバカは私自身だ。

「……ヒナコ」
「……」
「おい、ヒナコ」
「……」
「おいブス」
「コロス」

 つい反射的に顔をあげてしまう。しまった。バカ、バカヤロウわたし。
 でもその瞬間、ハルタが私の頬を両手でつねった。一瞬で人のほっぺた掴める反射神経どうなってんだよ。ていうかカンタンに触んなっつうの。こっちは心臓が痛いんだっつうの。

「はは、顔真っ赤」
「なっ……」
「ヒナコ、おまえかわいー顔もできんじゃん」

 はあ? って言う言葉はハルタが指先を動かして私の頬を撫でたからひっこんだ。ビックリして、ひっこんじゃったんだ。なに、なんなの、ハルタ、意味わかんない。

「なあ、おれ、先に言われてけっこうプライド傷ついたんですけど」
「先……?」
「そーだよ、おまえなんでオンナのくせに先に言うんだよ」
「先ってなんだよバーカ離せ」
「離すかよ」

 机を挟んだ一個分。ハルタはそんな距離から私を見つめて、まっすぐに射抜く。バカ、ハルタ、心臓痛いって言ってるじゃん。やめてよ。わたしまるでオンナノコみたいじゃん。

「先に好きとか言うなよ。俺だって、好きな奴じゃなきゃ放課後わざわざ一緒に残って反省文なんか書かないっつうの」
「ウソだ」
「なんでだよ」
「だって、」
「ウソじゃねえ。ヒナコ、おまえが好きだよ。バーカ、気づけよ」

 ハルタの両手がするりと落ちる。絡み合った視線を外さないまま。ああどうしよう、こんなの柄じゃない。柄じゃないのに、涙が出てきたよ。なんだこれ、わたしってバカなのかも。

「やっすいんだよコトバが、どっかの小説かっつうの」
「素直じゃねえなあ。じゃあなんだよ、なんて言ってほしいんだよ」
「なんかもっと、ないの、バカ」
「……好きって、それしかねえだろ。それこそ少女漫画だろ、バカ」
「……ハルタあ……」
「あ? なんだよ」
「……すき、たぶんわたし、本気じゃないけど、めちゃくちゃすき、かも」

 本気じゃないが余計だろ、って。ハルタが顔を赤くした。照れてるのかな。こんなのちょっと私たちらしくない。だいたいなんで私泣いてるんだよ。バカ、ほんと、わたしもハルタも、バカだ。

「……まあでも、今のはちょっと……グッときた」

 なにがだよ、って言う前にハルタが私の手を取った。そのまま私の耳元に顔を寄せたハルタがつぶやく。息がかかってくすぐったい耳を押さえながら口をパクパクさせると、かわいーじゃん、ってハルタが笑う。

『おれはたぶん、おまえに本気の恋してると思うんだけど』って、バカ。ハルタはほんとうに、バカだ。



【ハルタとヒナコ】 fin.




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