迫り来る白刃に、咄嗟にルンが私の身体を放り投げて棍でそれを受け止める……!
「ぎゃあぁっ!?私に当たったらどうするつもりだったのよ!」
その白刃の主を怒鳴り付けるが……相変わらず聞いちゃいない。
その上、ぶつかり合う2人が壊した壁や地板の破片がこっちに……っ!
思わず目を閉じれば。
「セナ!無事か!」
聞きなれた声と共にハッとして目を明ける。
「ルー!」
そこには双剣の片割れで破片を防いでくれたルーの姿があった。
「もう大丈夫だ。あっちはグイに……」
「いやいや、違うのよ!あの……ルンは……っ」
「ルン……?」
ルーの反応は、単にその名を反芻しただけではない気がした。ひどく……驚いている?
「そこまでだ!」
その時、私の首元に短刀が突き付けられる。
「離れなさい。そして剣を置いてもらおうかしら」
こ……皇太后め……!しかも元女官長までニヤニヤしてその隣に……っ!?
いつの間に……。いやこんなにドンパチやってたらさすがに来るかしら!?
「こんのババア……っ」
ルーの呟きには同意以外の何もない。
「生意気な口を……!この娘がどうなってもいいのかい?」
「……っ」
ルーが剣を下ろし、私から距離を置く。皇太后を強く睨み付けたまま……。
「そこの狂犬もだよ!さぁ、命令しな……!」
「く……っ」
ルーが苦しげに表情を歪ませる。
馬鹿な……。あのグイ兄さまが私が人質にされたくらいでどうこうなるはずがない。たとえルーの命令でも、足手まといになるくらいならあのグイ兄さまは私を見捨てる。
ふと、激しく打ち合うグイ兄さまに目をやる。
え……?目が合った……?そんなはずは。しかしその瞬間。
「ぐぅ……っ」
グイ兄さまのみぞおちに、ルンの棍が容赦なく叩き落とされる。その隙をついてグイ兄さまの剣を叩き落としたのだ。
そん……な。
「あっはははははっ!このザマよ!」
皇太后が嗤い、女官長がクスクスと笑いを漏らす。
しかしそれも束の間。
「ナメた真似をしてくれる……っ!」
ヒイイイィッ!?この場の誰よりも何よりも、剣を落とされたあの魔王が素手状態になったことが恐ろしい……!
咄嗟に皇太后の短刀を握り砕き、皇太后を押し退けてルンの元へ走る。先ほど『へぎゃっ』と言う間抜けな声が響いたが今はそんなことどうでもいい!
「ルー!兄さまを止めて!ルンは……っ」
兄さまの容赦のない拳がルンの顔面に炸裂する。ヒイイイィッ!やっぱり行ったわよあの暴虐兄いいぃっ!
それで顔面が無事なルンもルンだけど!残念ながら眼帯にはヒビが入り、粉々に砕かれその赤い瞳があらわになる。
あの瞳は……ルーは皇帝としてどう取るのか。
「グイ!ルン!※※※……!」
ルーの声に、グイ兄さまとルンが同時に距離を取る。ルー……今の言葉って、まさか南方の……?それならばルンにも、それからグイ兄さまにも通じる。グイ兄さまは昔南方に滞在していたことがあるから。
「くそ……っ、お前たち……!」
そして背後から響いた声にハッとするが……。
「そこまでだ」
更なる増援の声にホッとする。泰武官長率いる近衛武官たちだ。
そして皇太后に剣を突き付け制し、元女官長は容赦なく取り押さえられた。まぁ皇太后は一応皇太后だけど、元女官長に容赦する必要はないわよね。
小さな声で『何でよぉ、私は……皇太后陛下の……』『痛い……痛い、私を、誰だと……』と言ってはいるが、自業自得である。そしてあなたは皇太后の衣を借りないと何もできないのね。本当に呆れたものだ。
「わたくしは皇太后であるぞ!このようなことをしてただで済むと……っ」
「お前こそ、ただで済むと思っているのか」
ルーが冷酷な皇帝の顔を表面に映し出す。そして皇太后に近付けば、威嚇するように睨み付けニィと嗤う。
「お前の息子の最期を思い出しながら、お前も同じ末路を辿るのを楽しみに待つといい」
皇太后の息子って……先帝の皇太子のことよね。皇太子ではあったが不慮の事故で還らぬ身となり、ルーが皇位を継いだのだ。
「お……お前らがわたくしの息子を殺したこと、その時から片時も忘れたことはなかった……!」
え……ルーたちが、殺した?
「その狂犬を得て、いい気になりおって!」
「お前の息子にその資質がなかったと言うだけだろう?グイの前で無様に命乞いをして、自分に付けば一生贅沢ができるとありもしないことを言う。いいか?教えてやる。あの狂犬はな、食い物の怨みは一生忘れねぇんだ」
「な……食べ物?何の話を……っ」
「それから俺も……お前の愚かな息子に受けた仕打ちは一生忘れはしない。お前の目の前に、その首放り投げてやった時の言葉を忘れたか……?『お前もこうなりたくなければ大人しくしていろ』と」
「き……貴様……っ」
皇太后が肩を震わせる。先代の皇太子はルーに一体何をしたのだろう?
まさか先代の皇太子も皇太后のようなことをしていたのか……?
「わ……わたくしを殺せば……っ、民が、貴族が何と言うか……」
「知らんな。血縁も何もない、親の仇。俺に従う気がないものどもはそもそもこの帝国にいらない。さて……そうなった時、もはや死刑確定の罪人のお前と俺、どちらを取るだろうな?」
「……っ」
「少なくともお前は好きにやり過ぎた。俺がただお前の息のかかった後宮を放置していたと思ったら大間違いだ」
それはまるでグイ兄さまの企みのごとく。調子付かせておいた隙に、外堀を埋めて逃げられなくして一気に叩き落とす。
そして後宮で好き勝手し過ぎた皇太后は、国内の貴族たちから顰蹙を買っていた。ルーが後宮の内情にメスを入れて、皇太后側の人員を追い出したら、思いの外多くの後宮仕官者が現れたのもその証拠だろう。
そしてどんなに詭弁を並べても、皇帝に忠誠を尽くす武官たちは耳を貸さない。皇太后は素直にお縄につくしかなかったわけである。
「あぁ、あとその元女官長だが」
ルーが元女官長を見やる。
「お、お助けをぉ……っ、陛下ぁっ!私は……私は皇太后陛下に無理矢理脅されて……!」
「お前、裏切るつもり!?」
元女官長と皇太后の修羅場に突入しそうな空気である。
「そう言えば……グイがお前に会いたがっていたんだよ」
ルーがにっこりと笑む。
「へ……?」
呆ける元女官長だが、その前にグイ兄さまが立つ。しかも叩き落とされた剣をいつの間にかしっかりと握って。
そしてニヤリとほくそ笑む。
「俺が遣いに出ている間に色々と言ってくれたようだねぇ」
「そ……それは……その……」
元女官長がぶるぶると震え上がる。やっぱり兄さまったらどんだけ恐がられてんのよ。
「(言っとくけど、自慢の妹なんでねぇ)」
グイ兄さまが元女官長に向かって何かを言ったのだが、聞き取れない。
「所詮は逆賊、それを活かしておく必要もない」
「そ……そんな……陛下ぁっ!私も……私だって……」
「それはどちらの陛下のことだ?お前を後宮から追い出した時点で、お前には何の価値もねぇよ」
そしてルーがやれとばかりに合図を出せば、絶叫する女官長の悲鳴と共に無情な剣が落とされた。
その断末魔の悲鳴がもたらす静寂を切ったのは、やはりルーである。
「さて……次はお前だな」
「く……っ」
皇太后が恨めしげにルーを見る。
「何故ルンがここにいるのか……」
やっぱりルー、ルンを知ってるの?
「はぁ?何だいそのルェンとやらは」
やはり主民族にはなかなかない音。皇太后の発音は主民族風である。
「いい。お前に聞こうとは思っていない。ルン……※※※」
ルーがルンを呼び、南方の言葉を紡げば、ルンがパタパタと駆けてくる。
「ルー!」
そして嬉しそうにルーを呼ぶのだ。
やっぱりあなたたち……知り合い?それもルーをそう呼ぶのなら、相当親しいはず。
「……※※※」
「……※※※、…………」
ルーの問いかけにルンがルーに何かを語り、ルーの顔が一層険しくなる。
皇太后が私にした話を、ルンが見てきた言葉で聞いているのか。
「……※※※……」
ルーが紡ぐ言葉に、ルンが再びあの言葉を口にする。
「……※※※……※※……」
何て言っているのかしら?
「セナ、お前は※※※を覚えているか?」
「グイ兄さま……?もちろんよ。ウォンルンと※※※の故事でしょ?」
「そうだよ、アレはね」
教えてくれるの?珍しい。そういやその故事を教えてもらった時も同じように思ったっけ。
「『※※※を殺す』」
その※※※とは、蠱毒を作り上げた呪術師だ。それは少数民族たちにとっては外の土地から来た呪術師。考えられるとしたら……主民族。
元々蠱毒と言うもの自体は主民族の古代書に書かれた伝説の呪術である。
その呪術は少数民族たちを奴隷としようと目論む時の権力者によって送り込まれた呪術師によって行われる。
そしてその呪術のために不当に搾取され、弾圧された少数民族のために立ち上がったのが英雄ウォンルンだ。
そして呪術師は邪魔ものの英雄ウォンルンを狙う。ウォンルンは呪術師の卑劣な罠に嵌まって絶体絶命なピンチを迎えるが……突如、蠱毒が産み出した呪詛と怨念が※※※を襲う。
「……※※※」
そしてルーが皇太后を指差して告げる。
「『※※※はあの皇太后だ』」
グイ兄さまはルーの言葉を訳してくれる。それは間違いない。故事になぞらえるのであれば、その蠱毒を作りあげた皇太后こそその呪術師である。
そしてルンがニヤリと嗤う。それはルンが戦意を喪失した時の屈託のない笑みでも、グイ兄さまの含むような笑みでもない。皇太后が産み出した呪詛と怨念の意思そのもののようだ。
「な……何を……!お前を作り上げたのはわたくしだぞ!創造主たるわたくしを……っ」
そうね、その呪詛と怨念の創造種。そしてそれらが無念を晴らすために呪術師を襲い、英雄ウォンルンを助けた。
そして英雄ウォンルンは……。
「※※※」
ルンの棍が皇太后の後頭部を直撃する。その惨状はとても見られたものではないけれど。
「※※※」
ルンが呟いた言葉と共に、何かがルンの身体を抜けるような気がした。
英雄ウォンルンが呪術師を倒すことで、呪詛と怨念は救われる。英雄ウォンルンを助けたことで、少数民族たちが崇める神よりその境遇に情けをかけられ成仏する。
この故事を知っていれば、自分の末路など想像出来ただろうに。いや……少数民族を異様に貶すあなたが、知るはずもない話よね。
――――後宮。
「帰って来たわね」
「あぁ、そうだ」
ルーに後宮に送り届けてもらえば、私の帰りを待っていてくれたみなが歓迎してくれる。
泣きながら私に抱き付くリーミア、無事で良かったと涙してくれる徒《トゥー》凛《リン》さまと、ぽふぽふしてくれる明明ちゃん。
ウーウェイもホッとしたように『お帰りなさい』と言ってくれて、あの時一緒に鍛練していた武官たちもわぁわぁと泣いて喜んでくれて。この場所も、すっかりホームみたいになっちゃったわね。本来なら殺伐とした欲望渦巻く女の修羅場……だったのは昔の話か。
「セナの剣が砕けて俺の剣が共鳴してな。何事かと駆け付ければ、まさに後宮武官たちが一斉蜂起しそうな勢いだった」
ルーがそう告げれば、武官たちが恥ずかしそうに口ごもる。ほ……蜂起って。でもそこまで私のことを思ってくれるだなんて、いい武官たちに恵まれたわね。彼女たちにありがとうを伝えれば、再び感涙の嵐であったが。
「あ……そう言えば剣……ごめんなさい。高いものよね……?」
「そんなのはどうだっていい。セナが無事だったんだから」
「ルー……」
「やれやれこの妹は……いつのまに成人男子用の剣を折るようになったんだか」
グイ兄さまが呆れたように告げる。
「ちょっとグイ兄さま!折ったのは私じゃなくてルン……!」
そう言えばルンはと言えば。あの誘拐の場に居合わせた武官たちは当初ルンの姿を見て警戒したのだが。
「ルー、スキ!……※※※スキ!」
何かそう言いながらルーの周りをパタパタしたり抱き付いたりしている様子やルーが気にもしていない様子に、警戒心がだいぶ薄れたようである。そしてルンがおもむろに私を指差して告げる。
「セナ!……※※※、スキ!」
そう告げれば、ルーがいきなり真剣な眼差しとなりルンに告げる。
「※※※……※※」
「……っ!」
何だかルンがショックを受けてないかしら……?
「……※※※、セナ」
「何かしら」
ルンがおもむろにこちらを見る。
「セナ、ルーがスキ!」
「よしよし、イイコだ」
いや、ちょっと待ってルー!?一体ルンに何を教えたの!?いや確かにルーのことは……好きじゃないと言ったら嘘になるが。そんなストレートに……。
「しかしこの棍……」
グイ兄さまがルンの棍をジーッと見る。
「今度こんなのが来たら一溜りもない。セナ、お前は北部の工房に剣を注文しなさい」
「……え……。その、実家の愛剣を取り寄せてよければそれでも……」
後宮に持ち込めるのなら愛剣を持ち込もうとも思ったのだが、妃が剣を持ち込んだら何か別の意味に取られるかもと思い身ひとつで来たのだ。グイ兄さまの場合は持たせない方が危険だが。
「だが折ったのは双剣なんだろう?弁償代を払うのなら、北部から同じ本数でそれ以上のものを納めなければ北異の沽券に関わる」
「へぁっ!?」
そ……それは確かに……そうだが。万が一お父さまたちの評価が落ちればグイ兄さまにお仕置きされるぅっ!!
ルーが特段罰を与えなくたって、周りの諸侯は皇帝陛下が罰を与えるまでもないその程度の存在と見なすだろう。誉ならまだしも……罰さえなく捨て置かれるのならお父さまたちの面目潰れである。それだけは阻止しなくては……!しかし双剣を注文するとは。普段使うのが片方だとしてもう1本は……?
まぁ、届いたら考えようか。
とにかく今夜は皇后の帰還祝いで宴会モードだしなぁ。私も主役として楽しむとしようか。
――――数週間後、故郷から剣が届いた。普通の工房だったら何ヵ月とかかる剣を、こんな速さで。片方は折れたとは言え兄弟剣を北部仕様に打ち直してもらったと言う側面もあるが。
まぁ素材が貴重なものが多いから、素材集めに時間がかかるのが北部だが。
年中通して素材を確保し、常用のもの以外は必要な時にこしらえる。
それでも私のために他の注文を止めて作ってくれたのだろう。
「それにしても……これは」
1本は私の体格に合わせた女性用サイズ。普通の剣だと女性用は折れるし男性用は丁度いいがかさばる。
しかしこの1本は女性用サイズで細やかな動きが出せる。その上北部仕様なので滅多に折れない。ルンの棍を受けながらも折れなかったグイ兄さまの剣並みの強度である。
つまりはグイ兄さまの剣も北部の特別仕様なのだ。普通の北部仕様の男性用よりも長く剣幅も大きい。
「グイ兄さま、もう1本はどうすれば……」
これ、明らかに北部仕様の男性用よ?まさかお兄さまが使うの……?
だけどグイお兄さまにしては小振りよね。グイ兄さまの拳を封じるには小さすぎるわ。
「あぁ、これはね」
グイ兄さまがもう1本を持ち上げれば、おもむろにルーに差し出したのだ。
「これは兄弟剣だからね。馴染む場所が一番いい。うちの両親も工房も、皇帝陛下の剣を共に打ち直せると意気揚々としていたからね」
「……ま、そうだな。サンキュ、グイ。大任に戦々恐々とせずに意気揚々とするのはさすがは北部の連中だが」
ルーが剣を受け取りニヤリと嗤う。
「え……っ、ええええぇっ!?」
そう言えばルーの腰にはいつもと違う剣が挿してある。
兄弟剣の片方が折れてしまったから……とも思っていたが。
「まさかルーの剣も打ち直しに出したの!?」
確かに兄弟剣を元々2本挿していたルーならこの重さもへっちゃらだろうし、グイ兄さまが北部仕様の剣を預けるのなら、ルーはこの剣をそつなく扱えると言うことだ。
「当然。兄弟なんだ。離れ離れじゃ寂しがる」
「……グイ兄さまにそんな感性あったの?」
この兄にもハル兄さまと言う長兄がいるとはいえ。控えめに言っても安定のドン引きである。
「当然だよ。グイ兄さまだってねぇ、ハル哥と離れて日々心細ーく感じているんだ」
「……薄っぺらすぎる嘘やめなさいよ」
全くこの兄は。ハル兄さまの頭痛のタネになることばかりしてるのに。そして案の定その通りと言わんばかりにケラケラと笑い出す。
「そう言えば……グイ兄さまもルンとは知り合いだったの?」
ルーとルンは相当親しそうだが。
「いや……俺がルーと会った時には既にいなかったよ」
いなかった……と言う表現は。
「そうだな……俺は母親が南部の貴族だったから」
ルーの系譜ってそうだったの……?ルーの生い立ちを聞くのは、思えば初めてだ。
「この皇帝の証を持ったことで、証を持てなかった当時の皇太子や皇太后の当たりが激しくてな」
皇太子が皇帝の証を持てなかったと言う事実。皇太子なら当然その証を持てたと思い込んでいたけれど、違ったのか。
帝都から遠く離れた北部にいれば、お父さまや跡継ぎのハル兄さまでもなければ帝都に赴くこともほとんどない。いや、帝都に住んでいたって、よほどの高官や側近じゃなくては知らぬ事実。
皇族の顔って高貴なものと考えられているから、そう理由をつければ面布をつけられるし。
「皇太后は皇太子を産んでから子を産めなくなり、恨んだ皇太后が俺が8歳の時に母を殺したんだ」
「……っ」
それが隠されていた真実。ルーのお母さまを殺した理由が明るみになれば、先代の皇太子に皇帝の証がないこともバレてしまう。そうなれば皇太子も皇太后もその立場を追われるだろう。
「数ある兄弟の中でも皇帝の証を持つのは俺だけだった。当時は明も産まれていなかったから」
それに皇位を告げるのは男児のみ。女性では継げないが、だからこそその決まりが奇しくも皇太后の魔の手から明明ちゃんを守ったのだ。
「だから先帝は俺を母さんの実家の伯父の元にに移したんだ」
本来は後宮で育てられるはずの皇子が外に出されるだなんて、例外中の例外。
「そこで出会ったのがルンだ。ルンは名も持たず、皇帝の瞳と似たオッドアイを持つことで領主預かりとなるも……奴隷同然だった」
奴隷……何代か前の治世で廃止されてはいるが、未だにそのような考えを持ち続けるものはある。それを違った意味で踏襲したのが西部でもある。
「だからルンを側付きにして名を与えたのは俺だ。当時は南部の言葉もあまり知らなかったから、故事に登場する英雄の名を」
「じゃぁ本名は……」
「黄竜だ」
まさにそのままであった。
「ルンとは何年も南部で過ごした。共通語はちっとも上手くならなかったが……俺は逆に南部の言葉を覚えた。だが俺が少数民族と仲を深めるのを危険視した伯父がルンを……処分したと告げ、ルンはいなくなった」
そんな……っ。今のルンを見るだけでも、どれだけルーのことを好いているのか分からないはずもない。そしてルーもまた、ルンを大切に思っている。それなのに……っ。
「諦めきれなかった俺はルンを探すために14歳の時にひとり伯父の元を離れた。けれど常に目を隠し、ただの子どもだった俺が外でひとりで生きられるはずがない。そこで偶然再会したグイに助けられて、ここまできた」
そう言えばグイ兄さまが旅に出たのって、16歳かそこらの時よね。その時には既にルーと出会って……いや、再会?
「ルーはグイ兄さまとその前に会ったことがあるの?」
「あー……グイが父親に付いて皇城に来ていたことがあってな」
普段はハル兄さまなのに。いや……ハル兄さまが熱を出した時などは代理で行ってたわね。
ハル兄さまは今でこそ丈夫だが、昔はよく熱を出したとお母さまから聞いたことがある。
「当時皇太子が俺の目が生意気だと踏んだり蹴ったり。でも皇太子が相手だから誰も止めることもできず。皇太子は調子にのって、料理まで滅茶苦茶にしたんだ」
料理を……?何だか嫌な予感がする。
「グイが食べていた桌子の料理を」
「……まさか、グイ兄さま」
「ぶちギレて皇太子を殴ろうとしたもんだから」
あちゃー……皇太子までか。でもそれでこそうちのグイ兄さまだ。基本的にルー以外に尻尾を振ることのない忠犬である。狂犬でもあるけれど。
「さすがにまずいと必死に止めて、俺が代わりをあげるからとなだめた」
よくそれで止まったわね……?あの兄が。
「今でも何でだか分からんが、そんな縁もあってグイは俺に今もついてきてくれる」
そして皇帝として即位するにあたっても、そこにはグイ兄さまの支えがあったのだ。
「……そうだったの……」
しかし……グイ兄さまがルーだけ特別視しているのは明らかだ。目が合えば脅えられて、目が合わないうちに逃げられる。獣でさえあの兄の前では背中を見せて逃げ惑うのよ。獣として肉食獣の前で一番とっちゃいけない行動を……肉食獣までとりやがる。
あれ……?でも……それなら。
あの兄を止めようとしたルーは……。
グイ兄さまにとっては稀有な存在だったのではないかしら。
「セナ……?何か思い当たるのか?」
「ふふっ、まぁね」
答えが分かってしまった気がする。
「何だ、教えてくれないか?」
「な、ナイショよ。後でグイ兄さまにどんなお仕置きされるか……」
自分が照れるようなことを何より嫌がる兄である。今度は剣じゃなくて斧持って追っかけてきそうだわ。
「ではグイにはセナへのお仕置き厳禁と命じておく」
「やめなさいよ、結局酷い目に遭った挙げ句『ん?遊んでるだけだよ?妹で』とか言うのよあの魔王兄は~~っ!」
「ぷ……っ」
「ルー?」
「やっぱりお前たち兄妹は面白いな……くっくっ」
「ちょ……ルーったら」
面白がってない?言っとくけど妹にとっては命がけの魔鬼ごっこよ?
「なら、ナイショのままにしておく」
「えぇ、ナイショだからね」
何だかそんなやり取りも微笑ましい。いつの間にかルーと過ごす時間が宝物のようになっている。
――――すっかり平穏を取り戻した奥後宮。
普段は離れた区画で暮らす妃たちも一様に集められている。後宮城市の妃たちはここには入れないので、別途屋外広場に集合させられ、通達されているはずだが。
とにもかくにもここに集められたのは。第2妃徒凛さまとルンにお膝抱っこされてる明明ちゃん。うーん、思いの外結構仲良くなったわね、この2人。
あとそれから他の側妃たち。貿易で繁栄している東部出身の許蘭、帝都貴族の出身である姚雪華、それから南部出身の鄧鶯ね。
それからもちろん後宮で働くものたちも集まっている。
しかし今回彼女らを呼びつけたのは私だがもうひとり……皇帝陛下でもあるルーも同席しているだけあって、みな緊張した面持ちである。
「えー……みなさんにここに集まってもらったのは他でもありません」
そう切り出せば、3人の側妃たちがサアァッと青ざめる。その、私そんな恐怖政治敷いた覚えないのだけど?
「まず、良いお知らせと残念なお知らせがあります。どちらから聞きますか?多数決で決めます。まず、いいお知らせ」
しーん。
「残念なお知らせ」
徒凛さまと明明ちゃんが手を挙げる。やっぱり残念な方は先に聞いておこうと言うことかしら。明明ちゃんも苦手なものを先に食した後で、目一杯美味しいものを堪能するタイプだもんね。苦手なものを残さず先に食べてしまうのはなかなか良い心がけである。
なお明明ちゃんも多数決に加わっているのは、私以外の奥後宮の妃が4人だからだ。こう言うのは奇数にしなければ。
「そこの3人!ちゃんと手を挙げる!」
『は……はいいぃっ!!』
うーん……何かビビられてる?やっぱり北異族の血を引くから?まぁグイ兄さまには見事にビビっているからちょっと離れたところに待機してもらっているが。
「良いお知らせ!」
しーん。
「残念なお知らせ!」
『はいいぃっ!!!』
徒凛さまと明明ちゃんと共に手を挙げる3人の側妃たち。見事に腕をピンと立てて、素腕が丸見えだ。北部は寒いので夏以外中々素腕は出さないが、こちらでは高貴な女人は手足を隠すものでは?
もちろん執務中や鍛練中は遠慮なく出さねば意味がないのでそうするが。
「では残念なお知らせから……もう腕は下ろしていいですよ」
『……』
徒凛さまが手を下ろし、明明ちゃんが飽きてルンと遊び出した中、未だに腕をピンと立てている3人に告げる。恐る恐る腕を下ろした3人。よし、話を進めるか。
「この度後宮の第2妃と第4妃の部屋の改修が終わったので、徒凛さまは第2妃の部屋に移りますが……それに合わせて全体的な引っ越し作業をしようと思います」
『……』
恐る恐るこちらを見る3人。
「後宮や帝国にとって有能であると判断された場合は格上の部屋に引っ越し、妃階級も上がります」
つまり今まで20人もいなかったのに第20妃などと呼ばれていた彼女たちも、場合によっては第3妃、4妃に格上げされる可能性もあると言うことだ。しかし……。
「そうでない場合は降格!場合によっては城市の宮に引っ越し!そして城市の宮に暮らしていた妃たちが逆に格上げとなる可能性もあります」
つまり奥後宮で階級を上げて暮らすか、それに値しないと判断されれば宮に移り21以降の妃になるかの2択である。
「ですが私も魔鬼ではありません」
魔鬼はグイ兄さまの方よ。
「ほう……?」
ギクッ。後ろからとてつもないおどろおどろしい何かがぁぁぁっ!ちょ……何で私の考えてることバレたの!?
「グイ、ステイ」
「……っ」
ルーのお陰で収まったけど……!助かったぁっ!!
「後宮の健全な維持運営は帝国の繁栄にも通ずることです」
後宮が荒れて国が……なんてことは歴史上幾度となく繰り返されていたことだわ。傾国しかり、やり過ぎて皇城まで巻き込んでおお騒動になった策謀とか。ルーの治世は傾いて欲しくないもの。だからこそ。
「よって、私との面談の時間をひとりひとり取るので、指定した時間で問題ないか確認をしてください。どうしてもな時は時間を調節しますので」
3人の表情筋が固まる。うーん、逆に緊張させてしまったかしら?ここは何か……。
「面談には徒凛さまも同席します」
徒凛さまは今までも陰ながら彼女たちのためにフォローなどをしていたそうだ。そのためか3人の表情はちょっとやわらいだかしら。
「あと……明明ちゃんも来る?おやつ出るわよ」
「……っ!いく!!」
すっかり飽きてルンとにらめっこしていた明明ちゃんが即座に反応して振り向く。よし、みんなの仙女枠確保!
「そう言うことで今回は……」
「あの、セナさま」
ふと、徒凛さまが。
「良いお知らせと言うのは」
「あ……忘れるところだった」
こちらも大事よね。
「もうすぐ帝国の建国祭です」
帝国の建国を祝うための祭り。国中がお祭り騒ぎとなるこの時期は私たち皇帝の妃にとっても大切な時期である。
「例年通り、さまざまな褒美や恩赦が振る舞われます。それと同時に妃にも褒美、恩赦……と言うか休暇が出されます」
それもただの休暇ではない。褒美か恩赦か言い方を迷ったのは、それは妃によるからだ。人質や捕虜として後宮入りした妃たちによっては恩赦、通常の主従の絆を深めるための政略で召しあげられた妃や皇帝が自ら望んだ妃へは褒美。
「普段は望んでも手に入らないものを取り寄せてもらえたり」
遠く離れた故郷の味だとか、滅多に手に入らない珍しい織物だとか。これは一番ランクが軽いたぐい。銅賞みたいなものだ。
「希望する面会が許可されたり」
これは銀賞ね。普段は後宮の妃は信のやり取りくらいしかできないもの。それも全て検閲が入る。
「一時的な外出許可が出されたり」
ただし監視付きの上、帝都内に限る。
これは金賞ね。……とは言え滅多に許可されるものではない。逃亡の恐れがあったり、評判が悪かったりすると絶対に与えられないものである。それから帝都の外には基本的に出られない。ちょっくら護衛付きで祭りの屋台を楽しむ……くらいの自由である。
年に数回、このような特別な日がある。他には皇帝の在位ウン周年記念とか、春節とか。
ただ春節はひとの移動が多いし忙しいので、私たちに振る舞われる褒美なり恩赦なりは春節よりも時期をずらした期間となる。
基本は後宮の外に出られない妃が外に出られる数少ないチャンスなのだ。
その他は肉親が病床に臥した見舞いなどで特別に故郷へ帰還することが許可されたり、お役御免として妃の座を辞することを許可される。これらは滅多にないことだが。それとあくまでもこれは国内に限ること。外国の場合は数えるほども前例がない。
――――しかしながら。
「相応の働きが認められない、もしくは素行が悪ければ最悪参加賞もあり得ますので心しておいてくださいね」
「因みに今年の参加賞は……紅白餡包セットだ」
しかもそれ、普通におめでたい時に皇城で配られる記念品よね!?みんなもらうやつをさらに追い討ちをかけるようにもう1セットだなんて。みんなが楽しんでいる間ひとり宮や部屋の中で食べなきゃいけないのよ。いくら餡包が好物でも何か悲しいわよね。
「良い知らせと言いながら最後に突き落としたよねぇ、セナ」
びくんっ。後ろからそんなグイ兄さまの呟きが聞こえるが。
人聞きの悪い!だからみんなで金賞目指して頑張ろうってことじゃないの~~っ!
――――後宮内のとある一室。明明ちゃんがルンと一緒に酥《スー》と言うサクサクおやつをもひもひしている。その傍らでは。
「では姚雪華。あなたは自分でどんな持ち味を活かせると思う?」
酥と中華茶を囲んで面談の真っ最中であった。
「ええと……」
姚雪華が言い淀む。これは彼女が内気とか言うよりも、今までの後宮の体勢が原因かも。
「姚雪華妃は音楽の学がございますよ。ご実家も音楽に於いては帝国でも有数の名家かと」
そこで徒凛さまがフォローを入れてくださる。
「は、はい……!その、私は箏が得意で……」
「箏ね……。なかなかすごいじゃない」
「で……でも……騒音が」
「……はえ?」
そんなに楽器音痴とか……?いやいやそれなら徒凛さまが勧めるはずないわよね。
「その……以前は禁止されていて……」
いや、何で!?むしろ楽器の音色も皇帝陛下へのアピールになるのでは?気に入られれば寵愛街道まっしぐらであろうに。
「耳ざわりであると王花姫《ホアジー》が禁止してしまったのです。以来後宮で楽器を奏でられるのは彼女のみとなりました」
いやいや、何それええぇっ!?それ完全に王花姫《ホアジー》が楽器アピールしたかっただけじゃない!?そのために他の妃の楽器を禁じるとか何考えてたんだか。むしろ後宮の決まりごとは皇后でも独断で決められない。皇帝陛下の許可も必要よ。勝手なことをして皇帝陛下から小言を食らったら他妃に対して面目丸潰れよ。
だから先日もルーに同席してもらったわけだし。
――――そもそも王花姫《ホアジー》は皇后ですらなかった。いくら当時第2妃で自分が後宮で一番位階が高かったとは言え……越権行為が過ぎる。そう言えば彼女、すっかり皇后気分だったのだっけ。いやだから皇后でもダメなんだってば。
「因みに徒凛さま、腕はどうだったんです?」
「その……お世辞にも……」
徒凛さまにそうまで言わせるのって凄いわね。
「まぁでもそんな規定は最早無効。むしろ皇帝陛下自身が妃に研鑽を積むように要求しているのだから、問題ないわ」
「……皇后さま……っ」
姚雪華がキラキラした目で私を見る。うん、うん。楽器奏者だもの。音楽を禁止されたら相当な苦痛よね。北部にも楽師はいたけれど、楽器の修理中なんて死んだような目してたもの。それが王花姫《ホアジー》のせいでずっと禁止されていたのなら、それから解放されるのは願ってもみないことね。
「ではこれからは姚雪華の箏の音が聞けると言うことで、私も楽しみにしています」
「……はい!」
本当に嬉しそうだなぁ。
「……あ、それと……いえ、何でも……」
うん?何かしら。
「いいわよ、必要なことなら相談して?」
「供のものも演奏をしてもいいでしょうか……」
おや……彼女のお付きたちも演奏ができるのか。さすがは楽師の名家ね。
「構わないわ」
「……あ、ありがとうございます!」
――――そして姚雪華との面談が終わり、翌日は許蘭がの面談が始まる。
なお、本日のおやつは貿易が盛んな許蘭の実家から届いた綿花糖である。さすがは東部。珍しい外国のお菓子まで手に入るのね。初めての感触と食間に明明ちゃんとルンが顔を輝かせている。あぁ、やっぱりかわいいなぁ、明明ちゃん。この後宮の小さな仙女。そんな明明ちゃんと並ぶと違和感なく映るルンは……最近分かった。ルンってIQ5歳児だと思う。
しかし気を取り直して。
「では許蘭。あなたの持ち味を教えてちょうだい」
「……その、私は……読書が趣味です」
恐る恐る口を開いてくれる許蘭。
「どんな本を読むのかしら」
「ええと……お恥ずかしいのですが……恋愛小説を」
「あら、いいじゃない」
「でも妃ですし……はしたないのでは」
いやまぁ、皇帝陛下の妃として後宮入りはしているけど。
「人妻が恋愛小説を楽しんで何がいけないのかしら。人妻だって時には乙女だったころのトキメキを得たいと思うものよ。これを浮気心だの目移りだののたまうやからは確かにいるわ。でも恋愛小説を楽しんで何が悪い!だって現実だけじゃトキメキは足りないのよ!補って何が悪いのよ!文句を言うのなら……もっと男が女性をトキメかせる努力しなさい!」
「……皇后さま……っ!」
いつの間にか2人立ち上がり、許蘭とがっつり握手を交わしていた。
「そ……その、それで皇后さま」
「うん?」
「実は最近は、自分でも……書いておりまして」
何と……っ。
「なら、それ出版しましょうか!」
「え……?」
「後宮から出版してはいけないと言う決まりはないわ!そりゃぁ検閲は受けだろうけど、これもバズれば大事なウリになるわ!」
「……は、はい!」
よし……今からでも許蘭の恋愛小説が楽しみだわ!
――――しかしその晩、ルーが妙にしょんぼりしていたのだが……何故だろうか?
そうしてまた明くる日。本日は鄧鶯の面談の日である。
因みに本日のおやつはリーミアお手製のお米を使った煎餅である。
パリパリ食感とあまじょっぱいその味に明明ちゃんとルンは目を輝かせながらパリパリ、パリパリ……ルンが煎餅をお茶で喉に流し込んでいるのを明明ちゃんが見て真似しようとしたので。
「こら、ルン。明明ちゃんが真似しちゃうでしょ。煎餅はちゃんと噛んで食べること」
「噛ん……?」
うぅー……共通語が難しかったかしら。
こう言う時ルーがいてくれれば説明してくれるのだが……忙しいのにおやつタイム案件で呼び出すわけにも。
「もぐもぐ、その後……お茶!」
「……ワカッタ!」
良かった、何とかやってみるものね。
それでは気を取り直して。
「では鄧鶯、あなたの持ち味は?」
「ええと……私は……」
鄧鶯がずーんと俯いてしまった。
「んーと、武芸とか楽器とか、読み物とか何か好きなことや得意なことはあるかしら」
いや、武芸はそうそうないと思うが。
「……な、何も……」
え……っとぉ……っ。徒凛さまに助けを求める。
「その……面倒見が……良いかと」
徒凛さまも必死に探してくれたようなのだが。いや面倒見が良いのも大切なことだと思うが、しかし持ち味とするには。えーと、えーと……。
「私は……何も……何もないのです」
「そんな……何かあるわよ」
悲愴感にうちひしがれた表情を浮かべる鄧鶯。沈黙する部屋の中。
明明ちゃんとルンですら手を止めてじっとこちらを注視している。
「本当に何もないのです。後宮入りしたのだって、単に南部の貴族と言うだけ……陛下が南部の貴族出身なのでその……推薦で……っ」
鄧鶯が涙ぐむ。うぅーん……確かにルーが南部の貴族の系譜で南部育ちならば、そのつてでと言うのもアリアリだ。しかし……。
「じゃぁ探すのよ!そうね……他の2人に楽器を習ってみたり、読み物を勧めてもらったらどうかしら!?私は武芸を教えるわ!徒凛さまは執務の手解きを!」
「分かりました、セナさま!」
徒凛さまも強い意思を込めた眼差しで頷いてくれる。
「で……ですが……他妃からなどと……良いのでしょうか……」
「同志がいることは心強いことよ!そしてライバルがいるからこそ健全に競い合い己の技能を高めることもできるわ!だから……やりましょう!」
「……こ、皇后さま……っ」
鄧鶯の目が潤む。うんうん、とんでもない性格の女とかうちのエイダのような浮気性とかならともかく……こんなにイイ子じゃないの……っ!
その日から鄧鶯の強みを見付ける戦いが始まった。
そうして、2週間後。
「……で?どうだったんだ」
夜、寝所にて。ルーがいつものように訪れて問う。
「……全滅だった」
こんなことって……っ。
「何も功績を残せないのなら……降格……つまりは城市行きだな」
ルーが冷静に告げる。そうね……それがルールでありルー公認の御達しなのだから仕方がない、が……。
「ルーのバカ!諦めなければどこかに活路があるのよ!んもう知らない!今日は徒凛さまのところで明明ちゃんを愛でながら寝るから!さよなら!!」
今の私には仙女の癒しが必要だ……!
「は……っ!?ちょっと待て、セナ!?」
ルーが伸ばしてくる手を振り払う。
「……セナ」
と、そこに当然のようにいるグイ兄さま。げ……、兄さまに見られたのなら……怒られる!?
「ま、今回はルーが悪いねぇ。行ってよし」
「……兄さま……!ありがとう兄さま!」
「セナ――――っ!?」
ルーの叫びに振り返ることなく、私はマイ仙女の元へと直行した。
――――後宮は今日も平穏……とはいかないのが後宮である。
「抗議って何かしら」
「皇后への直訴と言う名の、ぶっちゃけ言って抗議ですね」
ウーウェイが幾つか調査資料を持ってきてくれる。
「後宮城市の妃たちが、何故セナさまが皇后の座についたのか。自分たちだって皇帝陛下にアピールしたい、空いているのだから奥後宮の部屋あてがってほしいなどなど」
「いや……私を皇后に任じたのはルーだし」
私も寝耳に水だったんだから。彼女たちは皇帝陛下の命に逆らう気?いい度胸ね、グイ兄さまに知られたら首刈りモードに移行するわよ。
「皇帝陛下へのアピールに関しては、確かに特段用がなければルーも行かないから仕方がないけど」
最近はあちらの改築も進めているから、その改築具合を視察には行っているらしい。……変装して目の色を変えているから、私たちのようにルーの素顔を知らない以上は気が付かないか……いつも一緒にいるグイ兄さまが恐ろしくてそれどころじゃないか。
「空いてれば奥後宮の部屋をってのも変な話よね」
奥後宮にあがるならそれなりの成果や強み、理由がないと。まぁかつてコネを使って無理矢理上がり込んでいたものがいるが。
問答無用で奥後宮の部屋を与えられると言うのはよほどの重要な貴族の出身か、国外から嫁いだ公主か。それでも問題を起こせば降格、城市の宮に追いやられることもあるのだ。
「でもまぁ、表向きが直訴なら行ってあげるわよ」
むしろこれって皇后の仕事?まぁいいか。
「行きましょ、ウーウェイ」
「はい、既に同行する武官も準備万端です」
サッと現れる武官たち。ウーウェイったら相変わらず私の取る行動を先読みするわね。優秀すぎて嬉しいわ。
「……あぁ、それと陛下との仲直りの進捗はいかがですか?」
「……」
今回は珍しくグイ兄さまが賛成してくれたので、大腕を振って夫婦喧嘩中なのである。
「さてと……今夜は女子会なんてのはどうかと思ってるの。みんなで枕投げをするのよ」
「いや子どもですか」
「子どもを混ぜるから平気よ。みんなの仙女とIQ5歳児」
「前者はともかく後者に枕投げは……と言うより女子会じゃなかったのですか」
「……あ……」
言われてみれば、ルンって身体は成人男性なのだ。明明ちゃんと何の躊躇いもなくお人形さんごっことかおままごとしてるから忘れていた。
そんなとりとめのない話をしていれば、後宮城市に着いた。
「ようこそ皇后陛下。こんなところまで来てくださるなんて……嬉しい限りですわ!」
あからさまに薄っぺらい笑みを貼り付けた妃たちに出迎えられる。思えばこちらの妃たちと会うのは今日が初めてね。リーミアともこちらで出会ったが、当時のリーミアは先帝の妃と言う背景もあり、彼女たちとは一線を画していたようだし。
「さぁ、どうぞ女同士で気が寝なく話しましょう」
いややけに馴れ馴れしいと言うか、皇后と呼んでおきながら私のこと下に見てない?
気兼ねなく話すと言うのは私から言うのは分かるのだが、彼女たちから言われても。
奥後宮で暮らす3人ですら、最初は恐縮していたし、自ら私の都合も聞かずに『話しましょう』だなどと言わない。徒《トゥー》凛《リン》さまや侍女のリーミアを通して時間を取ってもらえるか事前にお伺いを立てるのだ。
そもそも直訴と言いながら城市に皇后を呼び出すとか。
まぁ彼女たちは奥後宮に上がれないのだから仕方がないとはいえ、皇后を呼び出せる立場でもないわよね。
「宦官と武官はそこで待っていなさい」
「そうよ、女同士の会話に無粋だわ」
いや、何か気色悪いわね。ウーウェイも武官たちも護衛のために私に付いてきているのに遠ざけようとするとは。それに何だか……覚えがあるわ。この感じ。
そしてそれが奥後宮で暮らすことを許されたあの3人や徒凛さまとの決定的な違いのような気がするのだ。
あくまでも王花姫《ホアジー》は例外中の例外。
ルーが敢えて彼女たちを外に、鄧鶯たちを中に入れたのには線引きがある。
「いいわ、そこで待っていて」
私の実力など知り尽くしているウーウェイたちは素直に私の言葉に従ってくれる。それを好機と読んだのか、この者たちは。
「さぁ……皇后陛下」
妃のひとりが袖からするりと素手を覗かせる。食事やおやつタイムならともかく、こんなところでこんなタイミングで……?
そして不躾に私の手を握りクスリと笑む。
あー……そうですか、そう言うことですか。掌にぷすりと挿し込まれた針状のもの。指の間に挟めて、握る瞬間に突き刺したってことね。
「皇后陛下、ひょっとしてお加減が悪いのでは?私たちの宮でお休みしませんこと……?」
「なら、確かめていいかしら」
にこりと笑えば、妃たちが驚いた顔を向けてくる。
「どうして……即効性なはずじゃ……」
「悪いわね、そう言うの効きにくい体質なのよ」
妃の手を振りほどき、掌に刺さった針をするりと抜き去る。
「ウーウェイ、これ鑑定に回して」
「はい」
ウーウェイはどこからか金属製の容器を取り出し蓋を開けると、私がその中に針をサッと収める。
「ぬ……濡れ衣です……!皇后陛下が私たちに濡れ衣を……!」
白々しいわね。ウーウェイも武官たちもとっくの昔に私の周りを固め、妃たちは慌てて後ずさるだけだ。
「やはり……得体の知れない異民族め……っ」
妃のひとりがそう漏らし、武官たちがキッと睨み付ける。
そっか、何となく分かったわ。違いがね。
「こ……皇帝陛下に直訴してくれる!」
じゃぁ最初から自分たちで直訴してルーを呼び出せば良かったじゃない。皇帝陛下がここに来ないのを嘆く前に、自分たちでできるんでしょう?当然そのようなことができないからこそ、私を呼び出そうとしたわけだが。
私を皇后にしたのが他ならぬ皇帝陛下の意思だと言うのに、それを忘れたのかしら。
「そうか……それなら聞こうか?」
しかし不意にかかった言葉に、金属製の入れ物をサッと懐にしまったウーウェイが場所を空ける。すると私の隣にその声の主が並び立つ。いつからいたのかしら。そして夫婦喧嘩中だって知っているのにしれっと道を作るだなんて。ウーウェイからいい加減仲直りしろと言われているみたいだ。本当に……媽媽みたいなんだから。
「は……?誰よ、お前も宦官でしょう!何様!?」
は……はいぃっ!?いくら皇帝陛下の顔を知らないからって、今のルーの瞳が棕色だからって、宦官扱いは……。
改築の視察で来ているのを見かけたのかしら?確かにここに入れる男は皇帝陛下や皇子、特別に許可を得たものや宦官くらいである。
「何様?そうだな?私の名は皇緋路と言って……一応皇帝の地位についているが」
そう言うとルーが目の中に指を……!?いやちょ……しかしその指はすぐに離れ、指先に透明な丸い膜のようなものが乗っている。
「それ……何?」
「うん?これは隠形眼鏡と言って眼球に直接付ける眼鏡だな。海の向こうではようやっと普及しだしたが、こちらではまだまだだ」
「そんなものをよく……あ」
奥後宮にひとり、東部出身者がいるではないか。
「そう言うこと」
その技術を仕入れるための家同士の繋がりを深めるため。許蘭は後宮に入ったのね。そして奥後宮に上がれたのは、単にその繋がりだけではなかった。
そしてルーの赤い双眸が明らかになれば、妃たちが驚愕する。
「へ……へい、か」
「……いつまで顔を上げている?それともお前たちは皇帝に反する気か?」
後ろでカチャリと鳴った金属音は、多分気のせいじゃない。ま、ルーがいるならグイ兄さまだっているわよねぇ。
「帝国内の貴族や旧王族との繋がりのために幾らか後宮に入れざるを得なかったが。……そうだ、良いことを思い付いた」
「へぇ、なぁに?」
「お前たちが皇帝である私にとんでもない無礼を働いた」
そうね、皇帝陛下を宦官だとねめつけた。宦官が悪いわけじゃない。宦官は陛下や皇族に仕えるために相応しい資格や素質を身に付けたものと言う意味がある。
皇族やとりわけ皇帝は神に通ずるものとされている。皇帝には天子と言う言い方もある。それはそこから来ているのだ。まさに天の遣い、公主の明明ちゃんが仙女と言うのもそこら辺の的を射た正式な名称なのである。だからこそそんな畏れ多い皇帝の素顔を見ることができるものも限られる。
しかしその例外が宦官である。彼らは神の遣いである皇帝に仕えるために、ただびとではない存在となる。つまりは通常の男性としての機能を捨てると言うことだ。そうすることで皇帝陛下のお側でその顔を見てもいちいち皇帝の許しを得る必要はない。
後宮が今の体制になる前は、宦官が入れなかった以上はルーは皇城の幾らかを寝泊まりする場所に使っていたようだ。当然だ、皇帝の世話をするものが入れないのだから。
だから皇帝陛下を宦官扱いするならば、皇帝ではなく皇帝の世話係扱いしているのと等しいわけだ。
「……と、言うわけでだ。処刑した上で次はないと脅しを立て、次の人質を後宮城市の外れに住まわせる。そうすればより一層……臣下として精進するのではないか?」
「そんな、死ぬのはいや……!」
「人質って……い、妹はまだ12で……っ」
「ど……どうかお許しを……っ!」
いや、今さら許しをこうても。他者を下の立場だからと見下し、それからわたしのような少数民族を見下すのは……まるで元皇太后みたい、ルーの一番嫌いな人種では?反対に奥後宮に今暮らす妃たちは……許蘭たちは一度も私に少数民族だから、異民族だからなんて態度は取らなかったわよ。むしろ皇后を目の前にガチガチになるくらいである。
それが彼女たちと目の前の愚かな妃たちの違い。
「安心しろ。その首はしっかりと実家に届けてやる」
それって安心できるのかしらね。しかし……。
「苦しみながら死ぬのと一瞬で死ぬのとどちらがいいかな?」
もはややる気満々なグイ兄さまを止められる手立てなどないし、そんなことをすればお仕置きコース突入である。
「あ、でもルー。そろそろ建国祭だから、この時期に処刑は不味いのでは?」
「……ふむ、それは確かに。グイ、止め」
「えぇ?止めるの?」
グイ兄さまもルーからの命なのでニコニコしながら手を止める。
そして目の前の妃たちがホッと一息吐く。いやだからって、この時期はってことよ?
「そうだ建国祭を記念して恩赦をやる」
ルーったらやけにひとの悪い笑みを向けてるわね。それにパァァッと顔を輝かせる妃たちも違うと思うのだけど。
「妃の座から解放する」
あら……妃として処断するのではないの?
そしてその言葉に喜ぶ妃たち。いや、そんなに甘い処分なわけないじゃないの。
「ただの一般帝国民として処罰を与える」
『……』
妃たちが呆けている。そこでウーウェイがいつの間にか鑑定を終えたのか戻ってきた。相変わらず優秀すぎて何よりだわ。
「麻痺針でした」
「ふぅん……?後宮の策謀としては毒麻痺の類いは昔から聞くけれど、入手経路については調べた方がいいんじゃないかしら。あと全体的に危険物がないか抜き打ち検査」
んなもんホイホイ手に入れられたらたまったもんじゃないわ。かつての元皇太后の手が加わっていた頃の負の産物かしら。
「それも検討しよう」
ルーが頷いてくれる。
「皇后にただの一般人が麻痺針を仕込むとは……即刻処刑が妥当だが、時期も時期だ。入手経路の調査を含めた尋問を受けつつ、肉体労働に勤しめ。建国祭の熱気が冷めた頃に処刑するから」
『……えっ』
みなが建国祭を楽しみにする中、それが処刑へのカウントダウンになるとは。哀れと思えども、自業自得よね。それで後悔するのなら、奥後宮に上がれるように研鑽を積むべきだったのだ。いやその前に下の者や少数民族たちを見下さなければ、奥後宮に上がれたかも知れないのに。
呆然とする彼女たちは、女性武官たちに拘束されながら、外の男性武官たちに引き渡された。
その後彼女たちの実家の当主が呼び出され、新たな人質として後宮入りさせられた娘たちが後宮城市の外れに住まわされたそうだ。
なお、子どもについては成人してからと慈悲を与えたらしい。
――――再びの平穏を取り戻した後宮。
「色々と、無神経なことを言ってすまなかった」
「……わ、私こそ。色々と言ってごめんなさい」
夫婦の冷戦は終結を迎えた。
いや、ぶっちゃけ言って、媽媽からの圧が……その、ねぇ。やはり母は強いわね。ウーウェイ男だけど。
「だがその、セナが頑張りたいと言うなら俺も何か協力したい」
「ルー……」
思えばルーは何かと私のために協力してくれるのよね。
「今までは身近なものに絞ってきたが、視野を広げてみたらどうだ?」
「……視野を?」
「そうだ。例えば小説なんかは今まで後宮ではやったことがないんじゃないか?」
「そうよね」
検閲は入るし機密事項は削除した上でとなるが、後宮から出版されるだなんて史上類を見ないことである。
「他にも女性が本来嗜む趣味や特技に囚われないで探すとか」
「そう言う方向性もありよね」
女性武官だって、昔から後宮にはある程度いたらしいが未だ門戸は狭まっている。それは武官には男がなるものと言う考えがあったからだ。
ルーはこだわらないようだから、後宮の外にも少しずつ増えているようだが。
「例えば官吏とか学者、医者とか」
「そうねぇ」
しかし官吏……執務はダメだったからなぁ。
「まぁ、まだ建国祭までには時間があるんだ。焦らず見付ければいい」
「うん、ありがとう」
「じゃぁ……俺はそろそろ会議だから」
「うん、行ってらっしゃい」
ルーを送り出せば、グイ兄さまがクスリと微笑んだ。
「若いっていいねぇ」
自分もまだ20代でしょうに。妙に達観したところがあるんだから。
「ではセナさま」
「うん、私たちも行こうか、ウーウェイ」
さてこれからの予定を確認しようと思って執務室に向かおうとすれば。
「セナさま、大変です!ルンさんが……!」
リーミアが急いで呼びに来たのだ。
「え……っ、ルンに何が!?」
急いで第2妃の部屋を訪れれば。
「セナさま、こちらへ」
徒凛さまが招いてくれる。ルンは暇さえあれば明明ちゃんと遊んでいるからこちらにいることも多いのだ。
明明ちゃんの子ども部屋に入れば、そこには横になってうなるルンと、心配そうな明明ちゃん。
「ここは明明が……じんこぉこきゅうをする!」
いやいや、今の主流は人工呼吸じゃなくて心臓マッサージよ……!そもそも心臓マッサージが必要な状況とも違うわね!?
「公主さまいけません!公主さまの唇はあぁぁっ」
明明ちゃんの唇を守ってくれる女官に感謝しつつも。
「ルン、どうしたの?教えて」
自分の唇を捧げようとしていた明明ちゃんをウーウェイが回収してくれたので、ルンに呼び掛ける。
「※※※……※※…………」
うぅ……やっぱり南方の方言が分からない……!ルーは会議だしグイ兄さまも同行しているはず。ここに北部民がそこまでいないように、南部の出身者もそうそうは……。
「あ……っ、いるわね……!」
ひとり心当たりがある。
「鄧鶯を呼んでくれる?彼女の供のものたちも一緒に!」
帝国の純粋な貴族なら難しいかもしれないが、供の誰かに詳しいものがいるかも。
そうして駆け付けた鄧鶯たち。
「南方の方言を話せるひとはいない?」
「で……では、私が聞いてみます」
鄧鶯ったら、話せるの!?
すると鄧鶯がルンの傍らに寄り添う。
「※※※…………※※」
彼女が何かを問いかけると、ルンが苦し気に漏らす。
「あの、セナさま!どうやらお腹が痛いようです」
「お腹!?何か変なものでも食べたの!?」
「そう言えば……」
リーミアが何か考え込む。
「どうしたの?」
「いえ、しけっていたので処分しようと思っていた菓子がいつの間にかなくなっていて……誰かが処分してくれたものとばかり……」
多分……それだ。
「明明ちゃんは食べてないわよね!?」
ルンとよく一緒にいる明明ちゃんは!?無事そうだけど……!
「いえ、ずっと見守っていましたが」
「本日のお菓子はまだですわ」
さすがは明明ちゃんを見守る仙女ファン。ちゃんと見ていてくれて何よりだわ!
「とにかく腹痛に聞くお薬を」
「常備薬があったかと」
リーミアが素早く動いてくれる。
「あと鄧鶯」
「は、はい!皇后さま!」
「ルンにそこら辺にあるもの何でも食べないように言ってくれない?」
明明ちゃんと一緒の時ならともかく、それ以外は誰か見ているとかじゃないからなぁ。
「は、はい!」
そうして腹痛の薬をこしらえ、無理矢理呑ませれば。
「うげぇ……」
ルンが不味そうに表情を歪ませる。良薬は口に苦しよ。本当にもう。
そして鄧鶯によーく言い付けてもらい、今日のところはルンを寝かせておくことにした。なお明明ちゃんは心優しく、床脇でなでなでと看病してくれている。本当に和むなぁ~~。
「それにしても鄧鶯は南方の言葉に精通しているのね」
「えぇ……その、興味がありまして。私が学んだのはルンさんとはちょっと違いますが、それでも意思の疎通は問題ないですよ」
つまり南方の方言の中にさらに方言があると言うことだ。複雑だが共通語も同じようなものなのよね。
「でも助かったわ」
「お役に立てて何よりです」
「うん。それにしても……鄧鶯は方言などの言語に興味があるの?」
「えぇ。昔から興味がありまして……でも実家では反対されてしまって。私は主民族なので、庶民や少数民族たちの言語を話すのはよくないと……」
うーん……私にはよく分からない理屈だけど、昔からよく聞く話よね。
「でも他ならぬ皇帝陛下が話せるのよ」
「え……と、やはり陛下も?」
「普段のルンの通訳だもの」
「こ……皇帝陛下を通訳……さ、さすがは皇后さまです……」
何か違うところで感心されてないかしら?
「でもそうなら反対されるゆわれはないのよ。それに言語に興味があるなら……学者はどうかしら!?ルンもそうだけど、ここには西異族やら北異族やらいろいろいるし、許蘭も東部の貴族のお嬢さんだったから、幾らか珍しい言語や方言を知っているかもだわ」
「が……学者だなんて……っ、女性がなるものでは!」
「大丈夫よ。元々は武官もなんだから」
「……っ」
「前例があるんだから、鄧鶯がやりたいのなら。どうかしら」
「……その、やって……みたい、です」
「なら、そうしましょ!」
思わず鄧鶯の手を両手で包み込めば、彼女が嬉しそうに頷いてくれる。うん……!やっぱり諦めなければ活路は見出だせるのね……!
――――その夜
「ふぅん……?学者ね」
「いい考えでしょ?」
「確かに。なら、その方向で行こうか」
「うん!」
ルーなら賛同してくれるって信じてた。
「それにしてもルンのこと、すまんかったな。助かった」
「お礼なら鄧鶯に言ってあげて」
「それもそうだ。では明日にでも」
そんなわけでルーと翌日鄧鶯の元を訪れれば、何を誤解したのか鄧鶯が地に額を擦り付けて拱手を捧げて来たのだが。
ルーから礼を言われ、学者として頑張るように言葉をかけられた鄧鶯は感激し過ぎて逆に気絶してしまった。
「鄧鶯――――っ!!!」
そう言えばお知らせの時に面と向かって顔を合わせたとは言え、個別にルーと話したのなんて初めてじゃないかしら……?
――――建国祭が間近に迫った、ある日のこと。本日も奥後宮の妃を含め一同が集められていた。
「えー、では本日は陛下よりお話があります」
司会、私。恐らく皇后の仕事ではないが、仕切るのは大事よね。
「……うむ」
そして立ち上がる陛下ことルー。普通は玉座に座って高座から言葉を述べるのだが、謁見の間を使うわけにはいかないし、そのために妃の外出許可など絶対に出ない上に玄宰相き小言を食らうのは明白なので。
「今回は……妃の階級と建国祭の特典について話そう」
妃たちの顔に緊張が走る。普通はこんな形での発表ではない。陛下の言葉を認めた書簡を陛下の側近の宦官が届けに来てくれるものだ。
まぁその書簡は届けられたと同時にほかの妃や後宮全体にも行き渡ると言う恐ろしい行事だったらしい。
まぁ、後宮城市の方は書簡が届けられ、真面目にやっているようなので銅賞をもらったらしいが。
さて、私たちは……だが。
「まず、セナと第2妃はそのまま。許蘭、姚雪華、鄧鶯は順に第3、4、5妃。早速今日から部屋の引っ越し作業にかかるように」
無事に昇級した3人は思わず喜び合う。しかし皇帝陛下の前とだけあって、すぐに居ずまいを倒して姿勢をただす。
「それから……建国祭に関しては全員に金賞を与えようと思うが……どうか」
おぉ……っ!みんなでまさかの……!いや、外出は交代制になるだろうが、建国祭は1週間。日替わりか時間交代制で束の間の休息を取ることができる。私は式典に同行しなきゃならないから、外出の時間以外は忙しいことこの上ないのだが、まぁある程度徒凛さまたちも手伝ってくれるからね。
「私は喜んで」
帝都のお祭りもちょっと興味がある。
そして許蘭たち3人も褒美を受け取る意を示す。
「……」
「徒凛さま……?」
「わたくしはいつものその……銅賞で構いません。故郷の味を」
最近知ったことだが、徒凛さまは主民族ではあるが、元々は小国の王族の出身なのだ。
「明明も楽しみにしていますから」
もしかしたら、外に出られるのは徒凛さまだけだからと言う背景もあるのだろうか。
明明ちゃんの場合はもう少し成長しないと外出許可は出まい。ルーの場合は特例だったのだ。
それに隠形眼鏡をつけるには幼すぎる。万が一瞳の色を見られたら大騒ぎになっちゃうもの。
「それじゃぁ帝都のお祭りではお土産買ってきます」
「わ、私たちも!」
「お土産を!」
「任せてください!」
私に続いて姚雪華たちまで。徒凛さまは本当に愛されているわね。もちろん明明ちゃんも。
「なら小遣い多めに出すか」
と、ルー。しかも小遣い付きとか素晴らしい!
「じゃぁ、ルーのお土産も買わなくちゃね」
「……ひとりで行く気なのか?」
「ウーウェイとリーミアも一緒よ。監視兼護衛で泰武官長も武官を出してくれるから……ひとりではないわ」
「そ……そう言うことでは……」
うん……?
ルーが何だか照れたような表情をしていたのが気になるが……建国祭の開祭は忙しさであっという間に訪れたのだった。
――――建国祭がやって来た。皇城では宴も開催され、私は皇后としてルーの隣に並んでいる。
まぁ皇帝陛下の顔も半分は隠されているから、私もなのよね。高貴な皇族の素顔を見るのは畏れ多いと言う考えからである。
まぁ私は単なる僻地の王族の末裔だが、皇后として皇族籍に入ったことは確かだ。
「いささか退屈かもしれないが」
「大丈夫よ」
気を回してくれるルーに笑顔で答える。お互い覗き込まないと素顔は見えないけど、それでもお互いどんな表情をしているかくらいは分かるのよ。
それに積極的に会話をするわけでもない。皇帝陛下の御前に挨拶に来るものもいるが、仕切るのは玄宰相や側近たちの仕事。
皇帝陛下から直々にお言葉を授かるなんてことは滅多にないことだ。
なおルーの傍らにグイ兄さまもおり、反対側には泰武官長もいる。たまにグイ兄さまが笑顔で威圧してるなってのが、相手の様子で分かる。ほんと、あの兄は。お陰でルーに対してどんな立ち位置のひとなのか分かるけどね。まさか兄さま……わざとか?それでなくても兄さまならやりかねないが。
「早く終わらんかな」
「こら……ルーったら」
挨拶に来る客たちに聞こえない声でルーが呟く。
「俺たちはほぼここに座っているだけだ」
さらに皇后は皇帝陛下以上にしゃべらないもの。とは言え、北部から来た貴族たちは皇后である私にも言葉をかけてくれる。まぁ大抵は皇后になったことを祝福する言葉である。それから故郷から来てくれたのは。
――――ハル兄さまだ!
「少し話すか?」
「信でやり取りしてるからいいわ。ハル兄さまもここで兄妹の世間話なんてしないわよ」
そう苦笑するが、ルーはおもむろに口を開いた。ルー?
「領主夫妻は息災か」
「……っ、はい、もちろんでございます」
ハル兄さまもビックリしたようだが、すぐに気を取り直して答えてくれる。
両親は多分今の季節は……冬支度で忙しいのよね。こちらは秋だがあちらはもう冬目前である。春節の時はさすがに来るだろうが……今回はハル兄さまが代理で来たのだろう。まぁぶっちゃけ誰も来られなかったら最悪グイ兄さまが……いやいや、ないないない。
だけどルーったら。直接そう確認してくれるのはありがたいわ。信でそう知らせてもらっても、やっぱり気になるもの。
「セナ、何か言いたいことがあれば良いぞ」
へ……!?私!?いや……その……こ、皇后として言わないといけないわよね?ちゃんとしなきゃ……ハル兄さまは怒らないけど、グイ兄さまが……恐怖。
「北部はこれから寒くなります。どうぞお身体にお気を付けてお過ごしください」
普通の兄妹の会話なんて、ここじゃぁできないものね。ならせめてハル兄さまや両親たちの健康を願おうか。
「ありがたきお言葉です」
そしてハル兄さまが皇帝夫妻に拱手を捧げる。私は柄ではないけど、でもハル兄さまにとっては皇族への大切な礼儀。妹としてよりも皇后としてしっかりと受け取らねば。
また、信書くからね。