私の元に、一本の電話がかかってきた。
「はい。」
〈仕事、終わりました。〉
「わかりました。さすがですね。頼りにしていますよ。この報酬は明日お渡しします。、、ですが、、まだ気を抜いてはいけませんよ。」
〈わかっています。では。〉
緊張した声が聞こえてきた。
「これで、やっとあなたも、、。」
私は思わず呟いた。
坂本健次郎は妻、咲希、息子の圭と暮らしている。
「今日は仕事で遅くなる。」
妻に声をかけ家を出た。
妻の咲希とは結婚して数年が経つ。
息子も大きくなった。
仕事は忙しい。
最近、息を吐く暇もない。
1人で健次郎はため息を吐いた。
家を出てすぐ、健次郎はある女が目に止まった。
「健次郎さん、、。これは、どういうことですか?」
真剣な眼差しを健次郎に向ける。
「どういうって、、。まぁ此処じゃなんだし、違うところへ行こう。カフェでも。」
「朝からですか?、、此処じゃ説明できないんですか?、、奥さんにバレるから?」
大声で彼女は叫んだ。
「わ、、わかった。すまない。、、妻とは別れるつもりだったんだ。」
「嘘、、ですよね、、。」
彼女は俯き、力なく言った。
「結婚していた、なんて、一言も言ってくれなかったじゃないですか!、、どうして、、。」
上にあげた顔には涙がいく筋も光っていた。
「私には、、幼い子もいるし、、。あなたと再婚し、、支え合っていけると、、思っていた。なのに、、どうして?未婚者のフリをして、、私を騙していたなんて!」
「なにをいい加減なことを言っているんだ。オレは、、君のことが大切だと」
「黙って!」
健次郎の言葉に彼女は声を重ねた。
「、、あぁ。お前がそんなヤツだとは思ってなかった。もう、、終わりだ。」
彼女の追求を遮るように、健次郎は言い放った。
その女性は、糸が切れたように地面にへたり込んだ。
健次郎は頭の中で考えを巡らせた。
──あの声の大きさ、聞こえただろうか、、。いや、あいつは家事で忙しい。大丈夫だ。しかしこれからどうする、、。
一旦落ち着け。
もし問い詰められても、言い訳は十分に考えてある。
あいつはオレがいないと生きてはいけない。
そして、どうすることもできない。
大丈夫だ。
そこで健次郎は思考を止めた。
「健くん!」
甘い女の声が聞こえた。
「りこ!」
健次郎はその女の名を呼んだ。
あの女は、ただの捨て駒だ。
職場で出会った、子持ちの独り身。
ちょうどいい駒だと思った。
ある仕事の計画を進めるための、、。
そして、この、本当の浮気相手、りこを隠すための、、。
でも、、まぁ、あの女の人柄に少し惚れていたのは否定できない。
「健くん、今夜、行ける?」
「あぁ、もちろんだ。レストラン、もう予約してある。」
「やった!」
りこが嬉しそうな笑みを浮かべた。
咲希との結婚は、親同士が勝手に決めた。
絵に描いたような、夫に従う妻だった。
最初は良かったのだ。
だが、子供ができてから、育児に忙しく、良い母になろうと必死だ。
良い妻には、、なろうとしない。
オレの気持ちをわかろうとしない。
いや、、オレが言っていないだけなのかもしれないが。
それでいいのだ。
あいつも、オレのことを信じているようで、少し遅く帰ってきても疑いもしない。
残業と嘘を吐き、りこに会っていても、明るく家に出迎えてくれる。
オレは、りことの時間が大切なんだ。
そんな思いを抱えながら、健次郎はりこに微笑みながらこう言った。
「じゃ、6時に集合だ。」
「わかったわ。」
健次郎はりこと会う約束をして、別れた。
健次郎は表では咲希を下に見ているが、実際は違う。
咲希は、健次郎の勤めている会社の社長の娘。
咲希の親により、健次郎の今の社会地位がある。
咲希と別れずに、りこと浮気をする、ということは自分を守るためのものだった。
咲希の親にこのことがバレると、、。
嫌な予感に健次郎は身震いをした。
健次郎は頭を振り、気を取り直し会社へ向かった。
───その姿を見ている人が、、いるのも知らずに。
「雨夜。私は今日から雨夜です。」
私の目の前で佇む少女はそう言った。
「雨夜、、。良い名前ですね。」
私は仮面の下の口元を緩めた。
私はこの少女を、、悲しみを持つ少女を拾った。
妹たちを食わせるためなんでもすると言った。
そして、憎い男を殺すため、、なんでもすると言った。
──もし、、私が拾わなかったら、、もっと違う、、。
いや、やめよう。
この子の決意は、、揺るがない。
雨夜は数日前、私が運営している会社にやってきた。
「なんでもしますから、、私を雇ってください。お願いします。」
少女は頭を下げた。
まだ、、ほんの15歳だった。
「あなたになにができるんですか?」
私はわざときつい口調で話した。
「私は、、幼い妹たちを食わせるため、お金がいるんです。私は働かなければならないんです。」
「何故、、此処に来たんですか?」
此処以外にもっと行くところがあるだろう、、。
──何故、、此処なのだ、、。
「私は、、ある人物を、殺すため、此処に来ました。殺し屋の会社に。」
静かに、だが、ハッキリと言った。
「、、何処でそれを、、?」
思わずそう訊いた。
「叔母が情報屋でして。」
しれっと告白した。
そう、、私の会社は表向きは工場。
そして、、裏の仕事は、犯罪コンサルタントだ。
恨みを持つものがそれを晴らすのは、、そいつを殺すしかない、、と私はそう思っている。
だから、この会社を作った。
だが、、その社員に、15歳の少女がなりたい。と言っているのだ。
「、、わかりました。」
私は、そう答えた。
彼女の、冷たくて悲しい目を見ると、私の苦しみと重ねてしまったのだ。
「ありがとうございます!」
勢いよく頭を下げた。
「ですが、条件があります。」
「はい、、なんでしょうか?」
私の言葉に顔を強張らせた。
「この会社、『えいれい社』には、3つの掟があります。それを守ってください。一つ目、犯罪コンサルタントの情報は外部に漏らさないこと。二つ目、自分の意思で人を殺すことはできない。依頼されたもののみ。そして、、三つ目、この仕事で命を落としてはいけない。失敗してもいいです。命を引き換えに、依頼を遂行しないでください。」
「え?!そんな、、失敗してもいいって、、?」
「失敗するよりも、、この会社の社員の皆さんに、命を落として欲しくありません。あなたたちの命の方が、、大切です。」
私は強く強調した。
──もう絶対に、、。
「わかりました。守ります。」
硬い表情の彼女は頷いた。
「では、あなたの名を、決めて下さい。」
「どう言う意味ですか?」
少女は首を傾げ不思議そうに訊いてきた。
「この会社では、仕事をする上でコードネームを使用しています。社員もみんな、コードネームで通っています。そして、、私の名前は、影です。よろしくお願いします。」
社員たちは、最初、15歳の少女に殺し屋の仕事をさせることに反対していた。
けれど、雨夜の揺るがない決意と、幼いが故の危うさに、止めることができなかった。
もし、私がこの会社で雇わなければ、自分の命などお構いなしに、復讐を成し遂げようとするだろう。
──そんなこと、、させられない。
だが心配は最初だけで、1ヶ月も経たないうちに雨夜は会社に馴染んでいった。
ある日、私は雨夜に問うた。
「あなたが殺したいと思っている人は誰なんですか?」
私はまだ、雨夜のことをなにも知らない。
「母を殺した、、憎い男です。」
苦しそうに、そう言った。
「話、、聴かせてくれますか?」
雨夜は意を決したように頷き、口を開いた。
「父は、私が10歳の頃に事故で亡くなりました。母は1人で、幼い双子の妹たちと、私を育ててくれました。、、半年前までは。
職場で、母はある男性と出会いました。母は、私たちを一緒に支えてくれる優しい人に出会えたと思っていた。でも、、そいつは、、既婚者だった。母は、そいつに遊ばれていただけなんです。それにショックを受け、母は入水自殺しました。
だから、母を殺したのはその男なんです。
『2人でやり直せると思ったのに、、。ごめんね。』
これが母の遺したメールの、最後の一文です。
私は、母と、まだ幼い妹を不幸のどん底に叩きつけたあの男を、、絶対に許さない。」
「そうでしたか、、。お辛かったですね。」
「もう、辛くないです。憎い男を殺せると思うと。」
「雨夜!!」
突然出した私の大きな声に雨夜が体を震わせた。
「これは、あくまでも仕事です。、、また、依頼が来ない限り、あなたは復讐をすることができません。」
「でも、、」
「話を聞いている限り、その男は相当な人物な気がします。私の方でも、手は打とうと思います。」
「はい、、。」
雨夜は曖昧に頷いた。
「あなたは、まず1人の人間です。復讐に生きようとしないでください。はなから希望を捨てないでください。希望は、すぐそばにあるものなんですよ?」
「わ、わかりました。、、もう大丈夫です。影さんや、みんながいるので、、大丈夫です。」
さっきよりも表情が柔らかくなった。
「そうです。それでいいのですよ。」
私も柔らかな声を出した。
──復讐を生きるのは、、私だけで十分、、。
この時、私は知らなかった。
この話はまだ、、雨夜の過去の一部だったといことを。
「「よいちゃん!!」」
雨夜が家に帰ると、妹たちが飛びついてきた。
家、と言っても、えいれい社の一階の一室を借りているのだが。
雨夜の双子の妹たち、月雨と光雨は6歳、小学1年生だ。
影の手配によって小学校に通うことができている。
ちなみに、『よいちゃん』と言うのは雨夜のあだ名。
昔から、2人は『宵』と呼んでいる。
雨夜はその時のことを思い出した。
◇◇◇
─数年前
「よるちゃん!るうちゃんとみうちゃんがママって言った!」
と急にママが叫んだ。
「2人とも?嘘だ!」
まだよるの『よ』も言われていないのに、ママの『ま』が先?
私は内心焦った。
いっぱいママのお手伝いもしているし、2人のお世話も頑張っている。
なのに、、。
「本当よ。もう一回言って!」
「「マ、ンマ!!」」
本当に妹たちが喋った。
「ホラ!喋ったよ!」
明るい声を出すママ。
まだ、パパが亡くなって、一年も経っていなかったと思う。
だが、いつも笑顔だった。
残してくれた私たちを育て上げるため、必死だったのかもしれない。
いや、私たちとの時間が幸せだった、私たちと一緒にいることが楽しかった。
幸せが勝っていた、そう信じたい。
「よるって言って!よるって言って〜!」
私はムキになりながら叫んだ。
「るう、みう、せーの!」
「「よーい、、ちゃん!!」」
ママの促しにより2人が叫んだのは、よる、ではなく、よい、だった。
「よい?私、よいじゃないよ?よるだよ?」
私はむくれながらそう言った。
「よる!この子たち賢いかもしれない!夜ってね、別名『宵』って言うのよ。この子たち分かってて宵って呼んだのよ!」
何故か興奮気味のママ。
「そんな訳ないじゃん!」
だが、言葉の裏側、あだ名が増えたことに喜びを感じていた。
それを見透かしてか、ママは嬉しそうに微笑んでいた。
◇◇◇
「「よいちゃん!!どうしたの??」」
と妹たちが雨夜を呼ぶ声が聞こえた。
「あ、ごめん。思い出を思い出してた。」
ハッとして雨夜は現実に引き戻された。
「「どんな?」」
「初めて君たちがよーいちゃんって、私のことを呼んだ時のこと。可愛かったな、赤ちゃんの頃。今も可愛いけど。」
「赤ちゃんじゃない!」「もう一年生だもん!」
とむくれて2人が言った。
前言撤回、赤ちゃんの時よりちょっと可愛げが無くなった。
でもその姿も微笑ましく見え、口元がにやける。
母親がいなくなって、最初どうしようかと戸惑った。
ずっと、、『ママ、ママ、何処〜?』と泣き叫んでいた。
でも、『ママはパパと一緒にお空の星になって2人を見守っているよ。見えないだけで、そばにいるよ。』
と言うと子供なりに分かってくれたようで、
『ママ、パパ、見ててね!おーい!』
なんて、空に腕を振るまでになった。
大丈夫なつもりが、雨夜の方が涙ぐんでしまうから不思議だ。
──どうして、、?どうして自殺なんかしたの?どうして私たちを置いてったの?先に、、いってしまったの?
いつも夜になると雨夜は考えてしまう。
──もし生きていたら、、。
ハッとして雨夜は首を振る。
──いや、お母さんが死んだのは、お母さんのせいじゃない。全てあの男の、、。憎きあの男のせいなんだ。お母さんの人生をめちゃくちゃにした、あの、、、。だから、、復讐するため、生きる。
雨夜は顔を上げた。
──自分の人生をめちゃくちゃにしてでも、復讐をやり遂げる。そして、あの男の人生もめちゃくちゃにしてやる。
雨夜は2人と一緒に夜の空を見上げた。
──お母さん、お父さん、私は、絶対に2人を守り、復讐を成し遂げます。どうか、見守ってください。
瞬く星に雨夜は誓った。
その星たちが悲しげに光っているように見えた気がした。
キュル、キーーッ!
急に、ブレーキ音が聞こえた。
その直後、ドンッという音が聞こえた。
♦︎♦︎♦︎
健次郎は顔を上げた。
息は何故か上がり、汗も吹き出していた。
──クソッ、、。嫌なことを思い出してしまった、、。
1つ、思い出すと全てが頭の中に蘇ってくる。
──今から6年前、、いや5年前、だったか、、。たしか圭が生まれた年だったはずだ。
♦︎♦︎♦︎
会社の飲み会に呼ばれた時のことだ。
当時、健次郎は車で出勤していた。
だから飲み会に行くことはやめようと思っていた。
だが、妻の父親や、重役も来るぞ、と言う嘘の情報にのってしまった。
結局彼らは来なかった。
健次郎はヤケになり何杯か酒を呑んだ。
そして、帰り道、健次郎は車を運転したのだ。
そこで、、健次郎は人を、、。
♦︎♦︎♦︎
ここまで思い出したところで、健次郎は自分がひどく汗をかいていることに気づいた。
「あの。大丈夫ですか?」
と、健次郎の隣の席の人が声をかける。
──そうだ、、。家に帰る途中のバスの中で眠ってしまったんだった。そして夢を、、。
健次郎は自分の心臓が激しく動いているのを感じた。
「大丈夫です。すみません、、。」
そう返すのがやっとだった。
健次郎はまた、あの情景に引き込まれた。
♦︎♦︎♦︎
赤信号だった。
だが、健次郎は止まらなかった。
夜だったし、人もいない、と油断していたのだった。
その時、前に人が現れた。
ブレーキを踏んだが、間に合わなかった。
健次郎は人を轢いた。
そして、後ろに乗っていた、部下の男に罪を、、。
健次郎は酔い潰れて寝てしまい、健次郎を送るため部下が健次郎の車を出した、そして部下は飲酒運転でありながら車を運転した。
と部下は証言した。
酔い潰れていて、寝ていたので何も知らないと、健次郎は証言した。
「2人とも酒を呑んでいる。だから、、同罪だ。運転していたら前に人が出てきた。ブレーキをかけたが間に合わなかった。と言え。もし言わなかったら、、。わかっているよな。」
健次郎はそう部下に言うと、その気の弱い部下は何度も頷いた。
そして、健次郎が轢いた人は、まもなく死んだ。
健次郎と変わらないくらいの年の男性だった。
♦︎♦︎♦︎
──殺すつもりはなかった。まさか、、事故を起こすなんて、思っていなかった。あれから5年以上も経つのに、、。
急に健次郎は不安になってきた。
健次郎はバスを降り、電話をかけた。
「トラか?、、変なこと聞くけど、事故起こして捕まったヤツいただろ?、、、あぁ。、、は?死んだ?」
健次郎は耳を疑い、同僚、トラの言葉を復唱した。
〈4年前かな?精神がイカれたらしい。〉
冷たい声が返ってきた。
「どうして教えてくれなかったんだ?」
〈聞かれなかったから。じゃ。〉
一方的に電話を切られた。
「あいつ、、。こういうのはちゃんと言えよ、、。」
思わず愚痴る。
が、不安が晴れた健次郎だった。
──自分はなにも悪くない。そうだ、、オレはなにも悪くない。
だが、、健次郎は知らない。
その部下には、大切な家族がいたことを、、。
その家族を置いて、、その部下は亡くなったことを、、。
芽生えたばかりの命を置いて、、。
そしてその芽生えたばかりの命も、、。
「雨夜の様子がおかしい?」
私は思わず訊き返した。
「はい、1人でパソコンと向き合ったり、古い資料を調べたり。本人は調べ物だ、と。」
雨夜がうちに来て1年ほどが経った頃だった。
雨夜とタッグを組んでいる社員が私に報告してきた。
「雨夜がですか、、。どうしたのでしょう、、?」
──資料というと、この会社の仕事のリストか。
これまでの依頼人やターゲットの情報、犯行手順など様々なものが残っている。
社員と私しかそこに入るための鍵は持っていない。
普段そこに入ることは滅多にない。
──勝手に、、雨夜が荒らすなんて、、。なにをしようとしているの?
私はハッとして目を開く。
──まさか、、。いや、雨夜ならやりかねない。
「わかりました。私から雨夜に話しておきます。」
私は社員にそう言った。