その日から、非常階段で毎日一緒に昼食を摂った。
 四時間目が終了すればすぐに非常階段に向かうので、いい感じで日向と日陰のある四階を確保できる。

 ふたりはそこで昼休みの一時間を過ごし、多くの会話を交わした。

 三澤の母親は介護士をしているそうだ。月に五度ほど夜勤があり、それ以外の日は三澤もお弁当を持ってくる日もあるが、基本はパンだけとか、ラップご飯だけだったりして、「かーさん、料理が苦手だから、あんまり手間かけさせたくないんだ」と白い歯を見せる。

 また、彼には小学六年生の妹がひとりと、二年生の弟に保育園年長の、年の離れたふたりの弟がいることも知った。(それでおんぶをよくしていることも)

 学校に遅刻しがちなのは、母親が出勤したのち家の片付けをして、小学生のふたりを朝の学童に送り、一番下の弟を保育園に連れて行くから。
 学校に着いたときには安堵感と疲れでヘトヘトになるらしい。

 それと妹には喘息があって、年齢が上がるにつれ収まっていたが、父親の死をきっかけに発作が出ることが増えてきたそうだ。

 母親がいない時間は三澤が対処することになるし、いても仕事で疲れた母を休ませてやりたい。それに妹の症状は、父によく似た三澤が背を撫でると落ち着きやすいそうだ。

「うちは親父が家を回してたんだなーって、ほんと思った。かーさんも俺も妹たちも、親父に頼りきりだったんだよなぁ。親父ってなーんでもできたからさ」

 非常階段で隣に座り、懐かしむように話す三澤を見ていると、泣きたくなることが翼にはある。

 父親の存在が大きすぎて、レッドレオニーだけでなく、家庭でも父親の代わりになろうとしている三澤の気概が伝わってくるのだ。
 たしかに三澤の背中はもう大人のようだが、やはり彼は高校一年生の、まだ十五歳だ。

 頑張りすぎだと思う。

 だが翼は頑張れとも頑張るなとも言いたくない。

 病気の治療中、頑張れと言われたら「頑張ってる」と思ったし、頑張らなくていいんだよと言われれば「頑張っても意味がないってこと?」と卑屈になったことがある。そんなとき、レオニーレッドの「応援してる」が一番の支えになっていた。

 だから翼は決めた。

「はい、これ三澤君の」

 お弁当袋から、翼のものより少し大きめのお弁当箱を出して渡す。

「いつもワリィ」

 三澤が両手で丁重に受け取り、首が折れそうなほど頭を下げる。

 こうやって、ときどきお弁当で三澤を応援することにしたのだ。もちろん翼の手作りで、三澤の分は普通の塩分量の味付けにして、材料費は翼のお小遣いから出している。三澤の頑張りに、翼もできるだけ自分がやれる精一杯のことをしたいと思った。

「うわ、トンカツ弁当だ。すげぇ豪華」
「それね、薄いロース肉を重ねて、間にチーズを挟んでるミルフィーユトンカツ。どうかな?」
「ん……うん、うまい! 大塚はすごいな。勉強もできるのに料理までできる」
「えへへ」

 負担に思われないように笑ってみせるが、母親に習って一生懸命に練習している。病気のために過保護に育った翼はお米を研いで炊くくらいしか手伝ったことがなく、卵の殻を割る練習からだったのだから。

「ホント、いつもごめんな」

 三澤用の甘目の卵焼きをひと口で食べると、「うま」とつぶやいてからまた謝ってくる。

「また言う。いつもじゃないよ。三澤君のお母さんが夜勤や早番のときだげだもん。苦じゃないし、レオニーランドの無料券のお礼だってば」

 復学した最初の週の土曜日に、翼はさっそくショーを見にレオニーランドに行った。三澤のレッドはまだ派手なアクションはないものの、若さが動きに表れていて俊敏でかっこいい。応援したくて、それから毎週土日のどちらかににレオニーランドに通っている。

 初めは自分で料金を払っていたのだが、翼が見に来てくれるのが嬉しいからと言って、三澤が無料入場券をくれるようになったのだ。

「だからさ、お互いありがとうってことにしようよ、ね」
「うーん。なんかやっぱり俺の方が返せてないんだよなぁ。この借りは一生かけて返すからな!」
「重い重い」

 あはは、と笑うものの、胸がふにゅっと収縮する。
 三澤が一生だと言った。それはずっと友達だということで、親友だということなのだろう。

 翼にとっては、三澤が初めての親友だ。 
 ふにゅっ、ふにゅう……いつもより胸がこそばゆいのはきっと、嬉しさが大きいからだ。

「そうだ三澤君、今日大丈夫だよね?」
「ん? ああ、勉強会……やってもできる気はしねぇけど、大塚が教えてくれるなら頑張るしかねぇもんな」

 三澤の一学期中間テストの結果は散々だったらしい。
 それもそのはずだ。平日の放課後は、家計を助けるために遊園地のインフォメーションや清掃のアルバイトをしている。スタントアクションの練習が入る日もあり、土日祝日はショーに真剣に取り組んで、それから家のことや学校の課題に取り組み、朝も早起きして弟妹の面倒を見て……。

 いくら授業を頑張ろうとしても座れば眠くなってしまうようで、もともと苦手な勉強がどんどん遅れているようだ。

「でもさ、ここの高校に入学できてるんだもの。基礎はできてる……はず! 期末テスト頑張ろうね」
「おい。今言葉溜めただろう」
「そ、そんなことないよ」
「こいつ~」

 否定するも、ガシッと肩を掴まれた。肩幅のない翼では抱きしめられたようになり、三澤の猫毛に耳たぶをくすぐられた。

 こそばゆさに肩をすくめると、頬が三澤の胸元に当たり、布団を天日に干したようないい香りが鼻腔を満たす。

「んっ」

 きゅ、きゅうぅ。
 途端に胸が鳴った。いつもの「ふにゅふにゅ」とは違う。

 実際に鳴ったわけではないし、胸に痛みが生じたわけでもない。動悸もしないがたしかに強く収縮した気がして、胸元をぎゅっと握った。
 するとそのとき動かした腕が、三澤の腕をかすめる。 

 日陰にいたのに、夏服の袖から伸びるたくましい腕は熱を帯びていて、人より少し体温が低い翼の肌が粟立つ。熱でも出る前のように、体がプルッと震えた。

 なんだかおかしい。「わあぁぁぁ」と大声を出して、駆け出したくなる……走れないのだけれど。

「あ、ワリィ。力入れすぎた? 大丈夫か?」

 三澤が腕の力を緩め、大きな手で背を撫でてくる。

「う、うん。大丈夫」

 そう返事をしたものの、説明できない居たたまれなさを感じている翼は、親友との親密な付き合いにもっと慣れなければ、と自分に言い聞かせていた。