その後、胸を押さえる翼を心配する三澤に家に戻されかけたが、大丈夫だと言い張り、正午過ぎにふたりでレオニーランドにやってきた。
三澤は十三時からのショーがあるので準備に入っている。翼はショー施設の隣のカフェで時間を潰していた。
「あれぇ、大塚じゃん」
すると、新たに店に入ってきた女性と男性の六人組に声をかけられた。クラスメイトだ。
一学期の間、まともに話したこともないのに、彼らは翼が座っている二人がけテーブルの横の並びのテーブルに、当然のように腰を下ろす。
「大塚、誰と来てんの?」
クラスで中心的な存在だと認識している男子の天宮にさらりと問われて、「あの、三澤君と」と緊張しつつ答えると、天宮はアイドルのように整った顔ですぐに頷いた。
「ああ、ふたりはいつも一緒にいるもんな。ってことは、レオニーショーの時間待ち?」
「え?」
三澤がショーに出ていることを知っているようだ。
「あたしたちもさ、ショーの整理券買ったんだ。びっくりしちゃった。夏休み入ってすぐにここに遊びに来てさ、子供だましのショーなんて、って思ったけど涼みたくて入ったわけ。そしたら三澤がキャストにいるじゃん!」
他の生徒も「だよな」「そうそう」と頷いた。
皆が知っていることに驚きつつ、彼らが今にも笑い出しそうな表情をしていて、翼は皆が三澤を馬鹿にしているのかと思った。
「でさ、三澤ってば、めちゃくちゃカッコいいもんだから!」
けれど違った。皆、次々と三澤を賞賛する。
「ハマっちゃったよね。まさか三澤がレオニーレッドやってるとは思わなくて、髪もそういうことね、へえぇ、ってさ」
「動きもキレキレだよな。ガタイもいいからプロみたい。あれはバエるわ」
翼は彼らの言葉使いや、豪速球のキャッチボールのように交わされる会話についてはいけないものの、三澤のことで楽しく盛り上がられると嬉しくなる。翼も口が滑らかになり、皆と学校の課題や夏休み明けのテスト、行事などの話もして打ち解け、開場時間になれば皆で一緒に施設に入った。
──三澤君、すごい……!
翼がショーを見るのは約二週間ぶりだ。毎日ショーがあったからなのか練習時間が取れていたからなのか、この短い日数の間でも三澤のアクションは他のレオニーヒーローズに引けを取らなくなっている。
レッドがヒーローズのリーダー的存在であるにしても、レッドへの声援はずば抜けて多く、人気も上がっていることにも気づいた。
知らず知らず肌が粟立っている。
それにしても、子どもに加えて若い女性の声援の多いこと。クラスメイトの女子も手を振ったりして興奮している。
レオニーヒーローズは変身前の素顔でも演技をするため、唯一正真正銘の若者である三澤はその点でも大人気にのし上がったようだ。ショー後の撮影ではマスクを脱いだ状態での撮影を申し込む女性が多く見受けられた。
クラスメイトの女子などは、知り合い特典だと言いながら三澤と腕を組んでいる。
それを見ていると、翼の手は無意識に胸の真ん中をさすっていた。心臓ではないが、みぞおちの少し上あたりが重苦しい気がする。
ただ撮影が終われば感じなくなったし、特別にショーの合間のスタント練習を見学させてもらえ、夕方のショーが終われば三澤と一緒に妹たちを迎えに行った。
夕食は、昨夜泊まらせてもらったお返しにと、翼の母親が振る舞った料理を皆で囲んだ翼は、楽しい夏の思い出が増えた二日間を満足して終えたのだった。
二学期。学校では十月第一週の体育祭に向けて準備が始まった。
一年生は実行役員以外に大きな役割はなく、Tシャツやキャップ、スローガンを入れた旗といった、クラス単位の準備を進めていく。
翼と三澤はキャップ班になったものの女子が主導権を握っていたので、数度頷くだけで役割を終えた。
困ったのは競技の割り当てのときだ。
「じゃあまずは挙手制で決めるけど……大塚は参加できるのか?」
担任が管理しない、生徒だけでの話し合いだった。クラスの体育祭実行委員に確認をされた。
三澤がレッドレオニーを演じていることが夏休み中にクラスのグループトークを経て広まったのをきっかけに、三澤も、いつも彼の隣りにいる翼もクラスに打ち解けはじめていた。
だが翼の病気のことは、教師たちしか知らないことだ。
この件で翼が体育を毎回欠席している理由を生徒たちが憶測するのは当然だった。
「大塚って、どこか悪いのか?」
「ずっと学校休んでたんだからそうなんじゃないの」
「じゃあ体育祭も不参加?」
生徒たちがヒソヒソと話し出す。
ああ、また繰り返しだ。
──翼君は病気だから。
──大塚はすぐに体調を崩すから無理だろ。
中学生のときは皆が翼の病気を知っていた。同情の視線も反感の視線も同じだけ受け、そのどちらもが辛かった。それに今よりも休学が多かった翼は結局行事を休むことになり、卒業まで皆と同じようにすることも、輪の中に入ることもできずじまいだった。
淋しくて情けなくて、中学の三年間はいい思い出がない。
「僕は」
「大塚は」
翼が発言しようとすると、隣の席の三澤の声が重なり、彼に視線を移した。そのときだ。
「本人が言ってないことを他人が詮索しなくていーじゃん。聞かなきゃなんないのは、やれるかやれないかだろ。大塚、どう?」
夏休みにレオニーランドのカフェで声をかけてきた、リーダー的存在の男子生徒、天宮だった。面倒そうではなく、あっさりと問いかけてくる様子に少し拍子抜けする。
どうしよう。今ここで、自分の思いを言ってもいいのだろうか。
迷いの答えを求めるように三澤に視線を戻すと、こくりと頷いてくれた。
翼も頷き、左手首をバンドごとぎゅっと握る。
「僕は……みんなの言うように身体が丈夫じゃない。でも復学後は調子がよくて毎日学校に来れるようになったから、体育祭の日は出席したいと思ってる。だから……競技は無理だけど、クラスのテントでみんなの応援がしたい」
大勢の人に向けて発言するのは苦手だ。最後のほうは声が震えていた。それでも最後まで言い切れたのは、左手首のお守りと翼を見守ってくれる三澤の瞳があったからだ。
「オッケー。じゃあ大塚はクラスの応援団長ってことでいーんじゃん?」
「えっ?」
天宮の早いレスポンスに、翼だけでなく三澤も、クラスの半数も目を丸くした。
「いいじゃん、レッドとセットでやれば」
レッドとは、天宮が三澤に付けたニックネームだ。
「え? 俺?」
突然名前が浮上した三澤はさらに驚いた。
「あー、いいね。レッド、頼んだ。なら大塚も安心だろ」
「意義ある人、いないよね?」
遊園地で一緒にショーを見た他の生徒も天宮に賛同する。
クラスの中心にいる生徒たちに言われれば、戸惑いはするものの反対意見を唱える生徒はいない。
「はい、じゃあ決まり。レッドと大塚、応援団長っと」
教壇に立っていた実行委員が、ホワイトボードに「クラス応援団長。三澤・大塚」と書き加えた。
翼と三澤は唖然としてホワイトボードを眺めているだけだったが、競技の割り当てへと議題は移っていく。
最終的に翼はクラス応援団長に、三澤は応援団長に加え、リレーと綱引きに当たった。
「応援団長っていっても、生徒全部でやる組分け対抗応援合戦の団員とは別で、単にクラスのやつらが競技に出るときの応援の盛り上げだったり、あとあれだ。開会と閉会の入退場のときに旗を持って先頭歩くだけだから」
昼休みに初めて三澤以外の生徒と教室で机を寄せ合い、昼食を摂っている。
応援団長について説明してくれているのはクラスの体育祭実行委員で、その他には天宮を始め、クラスの中心の生徒たちが一緒だ。
女子も含めて九人が塊となった食事にも落ち着かなければ、翼にとっては初となる大きな役割りに動悸が起きそうだった。
「大塚、大丈夫か」
隣で翼が作ってきたお弁当を食べながら、左隣に座っている三澤がこそっと聞いてくれる。
「大丈夫じゃない。心臓破裂しそう」
「それまずいやつじゃ……保健室行」
すがるような視線で言えば三澤が手を伸ばしかけてくれたが、翼の右隣に座っている天宮が翼の顔を覗き込んだ。
「なにコソコソやってんの。てかさ、なんでふたり、同じ弁当なわけ?」
天宮は翼と三澤の弁当のほうにも交互に視線を移す。
今日のおかずは海苔つくねとカニかまの卵巻き、ブロッコリーの胡麻和えだ。
つくねは豆腐を入れるとふわふわになると母親に習った、本日のメインだ。
「これは、大塚が俺の家を気遣って作ってくれて」
「三澤君がレオニーランドの入場券をくれるからそのお礼に作ってて」
ふたりで声を揃えて言うと、他の六人も腰を浮かせてお弁当箱の中を見てくる。
「そうなの? じゃあさ、あたしも作ってきてあげよっか。あたしも毎週レッドに会いたいなぁ」
「え? いや、それは」
ひとりの女子がお弁当から顔を上げ、三澤の顔を見てニコッと微笑めば、三澤はあからさまに狼狽えた。翼も慣れていないが三澤も女子の接近になれていないのだろう。
女子はその反応が面白いらしく、わざと三澤に上半身を寄せ「照れてる。かーわいい」など言ってからかう。
三澤は「照れてねぇ」と言い返しているも、照れているようにしか翼には見えない。頬と耳を赤く染めているんじゃないか?
ムカムカムカムカ……ふたりの肩が触れ合うのを見ていると、翼は急に食欲がなくなった。なぜかみぞおちあたりが重だるく感じる。つい最近も同じ感覚があったように思うが、思い出せない。
「それちょっと食わせて。俺のと交換」
なんだっけ、いつだっけとみぞおちに蓋をしている不快に眉をひそめていると、天宮の箸が翼のお弁当箱に伸びた。
「駄目だ」
瞬間で三澤の腕が翼の前を通り、天宮の行く手を阻む。
その表情は翼と同じで眉がしかめられており、三澤がやると久しぶりの強面だ。
「は? なんで?」
「なんで……なんでって、その……あ、そ、そうだ。大塚の弁当は体調に合わせた味付けだから、交換が無理だからだ」
「そうなん? じゃぁレッドのほうくれよ」
言い終えないうちに、天宮が翼の向こうの三澤のほうに乗り出す。その際に彼の左手が翼の左肩を抱いて、支柱にされた。
「わ」
反射的に瞼を閉じると、三澤の「あっ」と言う声がして、同時に天宮の気配が前を通る。
次に瞼を開けると、三澤のつくねのひとつが天宮の箸に掴まれていた。
「ゲット~!」
言いながら、天宮はつくねを口の中に入れ、翼の肩から手を引いて元の姿勢で味わう。
「うま! 甘辛味がふわふわに染みてるじゃん。大塚、料理うまいな」
料理番組のレポーターがするようなおいしそうな顔をして褒められた。
単純に嬉しくて、へへ、っと天宮に微笑む。
さすがクラスの中心人物だ。気さくで人との隔たりがない。
一学期は機会がなく関わりがなかったが、レオニーランドで会った以降は、以前からの友人たちと同じように翼と三澤に接してくれる。
おかげでクラスに馴染めていけるのが嬉しい。それになにより、三澤の「不良説」が誤解だったとわかった生徒が増えている。
よかったね、三澤君。と思いながら三澤を見ると、どうしたのか憮然とした表情になってお弁当を見つめていた。
もしかしてつくねを奪われたくなかったのだろうか。そういえば天宮はおかずを交換と言ったのに自分のおかずを三澤に渡していないから。
とはいえそういうことは誰しも言いにくいものだ。それに三澤の隣の女子が「ほら、あたしが作ったポテトベーコン食べてみてよ」と三澤に勧め、三澤が断りながらも女子の方を向いてしまうと、何故かまたみぞおちが重くなる。
他のふたりの女子も「あたしもレッドの餌付けする〜」などキャッキャ言い出し始めるし、翼は翼で天宮と実行委員の生徒から体育祭のことを話しかけられて、いつも三澤とゆったり過ごす昼休みはあっという間に過ぎていった。
雲ひとつない、澄み渡る青空が清々しい晴天の金曜日、とうとう体育祭当日となった。
今はクラス旗のポールを握っているが、翼は朝からラバーバンドを着けた左手首を握り、うまくいきますようにと祈りどおしだった。
翼の高校では予行演習はないので、実際にクラス旗を持って歩くのは今日が初めてだ。もちろん教室では旗を持ったし、皆で並んで記念撮影もした。けれどいざ今からこれを持って運動場に移動するのだと思うと、手が震える。
「大丈夫だって」
そこに、背中からポールを一緒に支えてくれる優しい声の人が現れた。
「三澤君」
前を向いたまま顎を上げると、窓から見える朝日の半円を、肩の上から覗かせた三澤がいる。翼にとっては太陽よりももっと太陽らしい三澤の笑顔にホッとした。
この笑顔はいつでも翼の気持ちを強くしてくれる。
「後ろからちゃんと見てるからさ」
「うん」
……でも、本当は一緒に持って歩きたかった。
三澤とダブル団長になったとはいえ旗を持って歩くのはひとりなので、競技には出ない翼がその任務に当たることになった。
決定した日はいつまでも不安に駆られていた翼だが、日が経つにつれ、ダブル団長なのに「ふたりで」やれることは掛け声かけぐらいなのだと気づいた。今は緊張の中に残念な気持ちがマーブル模様を描いている。
それに、体育祭準備が始まってから三澤と翼だけで過ごす時間が減っていた。昼食もいつも天宮を含む八人で食べて、その後も五時間目の予鈴が鳴るまで皆でお喋りをしている。非常階段五階にもひと月行っていない。
その毎日を物足りないと思うなんて贅沢だと思う。ふたりがクラスに溶け込めているのは喜ばしいことだし、中学までの寂しさを思えば、人柄の良いクラスメイトが近しい友人になってくれたのは本当にありがたい。
けれど家の用事が重なって、ショーにもレオニーランドにも二週間行けていなかった。三澤家にも長くお邪魔できていないし、凜音たちにも会いたい。
「三澤君と一緒にいたいなぁ……」
無意識に心の声が漏れた。
もたれ心地のいい胸に頭頂部をくっつけ、三澤の瞳をまっすぐ見つめたままの姿勢だった。
翼が気づいた途端、三澤はどこか痛めたようにぎゅっと目をつむり、翼の頭の上に額を埋めてくる。
「み、三澤君? どうしたの?」
三澤はまだ一緒に旗のポールを握っていたため、翼の体は三澤のそれにすっぽりと収まる形になって、胸がドキドキした。最近三澤のことでドキドキすることが増えたが、そうなるとしばらく収まらないので焦ってしまう。動悸が続くと体に負担だ。
「み、三澤君? どうしたの?」
「いや……あのさ、大塚。今日」
三澤が翼の頭に額を置いたままでボソボソと話し出した。温かい息がくすぐったい。
「バイトがないから一緒に帰んねぇ?」
やった! 翼もそう思っていた。やっとふたりになれる。返事はもちろんイエスだ。
「う」
「いつまでじゃれてんだよ、お前らはっ」
けれど返事をしようとしたそのときだった。三澤の声を遮りながら天宮たちが寄ってきて、彼は三澤のお尻をかるく膝頭で小突いた。
「大塚はさ、どうせ、僕できるかな、とか言ってたんだろ?」
「わ、天宮君、やめてよ」
クセがないからすぐに整うが、翼の細い髪を掻き混ぜるようにワシャワシャと撫でてくる。
天宮は人との距離が近い。誰の肩でも腕を回したり、背中に体重を預けたりするタイプで、細くてチビな翼のことは犬かネコにするような構い方をする。
「大塚はできるって。めちゃくちゃ頑張り屋なの、みんなもうわかってるしな」
女子たちに人気のアイドル容貌で励まされて、これはこれで翼を勇気づけてくれる。けれど翼が今欲しいのは三澤の笑顔で、翼が頑張りを人に認めてもらえるまでになったのは、三澤がそばでその笑顔を向けていてくれるからだ。
「……うん。ありがとう」
「大塚は素直でかわいいよな。癒やし~」
「ほんとほんと。そのへんのオラオラ女子よりかわいい」
天宮が翼の肩を抱くと、他の男子も反対から肩を抱いてきた。そしてそのまま運動場へ行こうとする。
三澤はどうしただろう。まだ返事の途中だったのに。
そう思ってふっと顔を動かすと、三澤のほうは女子たちに囲まれていた。体操服だと制服より筋肉の付き方がわかるからか、二の腕や肩甲骨を触られている。
「さすがレッドだよね。玲王の腕かっこい~」
「ねえねえ、腹チラしてよ、腹筋見せて」
「あほか。セクハラすんな」
天宮も人気だが三澤は大人っぽい女子たちに特に好かれている。彼女たちと一緒にいる三澤もクラスで群を抜いて大人っぽいので、そこに独特の空気が漂うように思う。
病気の影響もあってか体が小さく、年齢より幼く見える翼には隔たりを感じてしまう瞬間だ。
ムカ……来た。みぞおちが重いやつだ。
二学期に入ってからの翼は、三澤を見ているとドキドキとモヤモヤが交互にやってくる。
なぜだかどちらも苦しいような切ないような気持ちになって、唇がへの字に曲がってしまうので嫌だなと思うが、勝手にそうなるので仕方がない。
これって嫉妬しているのかなぁ……。
翼は最近そう思う。三澤は翼の親友なのに、女子たちのほうが三澤に簡単に触れたり、レッド呼びを通り越して「玲王」と呼んだりするのがすごく嫌だ。
ねえ、三澤君の腕を触らないでよ。その赤い髪に触れないで。
ねえ、三澤君、女の子たちにその笑顔を見せないで。僕だけにしてよ。
「大塚?」
三澤のほうを見たまま足を止めてしまったので、天宮が顔を覗いてくる。それではっと我にかえって、今頭にどんな言葉を浮かべていたのかと、自分が嫌になった。三澤の良さをみんなにわかってもらいたいと思っていたんだから、これはいいことなのに嫉妬するなんて、親友として失格だ。
「なんでもない。早く行かないと遅れちゃうね」
天宮ともうひとりの男子も同意する。天宮は三澤と女子にも「ほら、出るぞ!」と声をかけ、皆で運動場に向かった。
***
翼の高校は学年を縦で割った四つの色分けチームの他、各クラスでの競技取得点数も競い合う。それゆえに組分け応援団とは別にクラス応援団長が置かれているのだ。
「一年五組、行くぞー!」「そだねー!」
「一年五組、勝つぞー!」「もちろんねー」
旗持ちの入退場から戻れば次の役目はコール&レスポンス。
翼はあまり声を張り上げられないが、そこは三澤とふたりだからリードしてもらえるし、実行委員も天宮も、持ち前のリーダーシップで一緒に声を出してくれた。
翼のいる一年五組の観覧席は大いに盛り上がり、競技でも次々に高得点を重ねていく。
高校の体育祭というのはもう少し緩い雰囲気なのかと思っていたが、このクラスの生徒たちはとくに行事に熱心らしい。
「大塚! ウェーイ!」
「う、うぇーい、お疲れ様!」
競技参加はできないが、競技から帰ってきたクラスメイトが翼とハイタッチをしてくれる。
翼にとって初めての体育祭。参加しているんだ、と心から実感することができた。
昼休みはいつもの八人でお弁当を囲んだ。今日ばかりは三澤も母親の手作り弁当を持ってきていたが、料理が苦手でお弁当作りをしてこなかった母親だ。焦げた卵焼きや、冷まさないまま入れたのだろう、シナっとなったブロッコリーが入っている。それでも三澤は文句ひとつ言わずたいらげていた。
「三澤君、これもよかったら食べて」
翼は三澤の腹に余裕があればと、サンドイッチを作ってきていた。三澤は白い歯を見せて受け取ると、「うまい、やっぱ大塚の飯はうまい」と味わってくれる。
「玲王、たまにはうちらのも食べなよ」
女子ふたりもお弁当を勧める。かわいい色とりどりのお弁当だ。
「いらね。大塚のだけでいい」
「相変わらず塩〜」
あっさりと断った三澤は女子たちからブーイングをうけるものの、まったく意に介さず、サンドイッチを頬張っている。
翼は急に食欲が湧いた気がして、自分も残りのサンドイッチに手を付けた。
すると、次は天宮だ。
「俺も大塚の手作り食いてぇ。寄越せ」
そう言って三澤が持つサンドイッチの包みに手を伸ばす。
「やるか。お前は親御さんの愛情弁当を残さず食え」
「ケチか」
ふたりのこのやり取りはいつものことで、他の生徒は「またか、もう諦めろ天宮」と笑っている。
「なぁ~、大塚。今度俺にも作ってよ。前食べたフワフワのやつがおいしすぎてさ、他のも食べてみたいんだって」
天宮が手を合わせて、拝むように頼んでくる。
おいしいのは三澤のおいしい顔を見たくて工夫するからだと思うが、こんなにお願いされると断りにくい。
「じゃあ今度……」
「大塚、トイレ行っとくぞ」
天宮に返事をしかけると、いつの間にか立ち上がっていた三澤の小脇にひょい、とかかえられた。
「えっ? トイレって、三澤君?」
突然の出来事に驚くものの、翼はそのまま連れ去られてしまう。
「なんだよ三澤、急に」
「ちょっと、玲王?」
三澤は皆が戸惑う声にも振り返らない。翼をしっかりとかかえたまま、ずんずん前へと進んでいく。
「三澤君!? どうしたの? 歩けるからとりあえず下ろして」
あまりに滑稽な格好だし、とうとうトイレの心配までされて連れて行かれるなんて、これではまるで緋王みたいだ。
「……くらないでくれ」
「え?」
三澤の声があまりにも小さいため問い返すと、腕からそっと降ろしてくれる。
「だから……」
気まずそうに地面を見ていた瞳がまっすぐに翼を見た。太陽の光を閉じ込めたような、熱を帯びた瞳だ。射抜かれて、翼の瞳も三澤だけを映す。
「俺以外に弁当、作らないでくれ!」
一気に、けれど語尾になるほど語気を強めて言い切った三澤の頬がかぁぁっと上気した。
その赤さは、翼の胸の中にいくつもの小さな泡を立たせる。泡は上へ上へと昇り、目の前でソーダ水のようにはじけた。
「三澤君……!」
もしかして三澤も嫉妬しているのだろうか。天宮に対して親友は自分なんだぞ、と思ってくれたのか。
マイナスの感情である嫉妬心を持つことを醜いと思っていた翼だが、三澤も同じ感情を持っていたらしいことに高揚した。
こんなことでも、三澤とのお揃いなら特別な感情に思える。嫉妬するのも生まれて初めてだから、より特別なことに感じる。
「わかった。作らない。これからも三澤君だけに作るね」
伝えると、はじけるばかりの笑みを見せてくれる。
翼の胸の中でもまた泡が生まれ、爽快にはじけた。感動に似た熱さもあるのに、とても晴れやかな気分だ。
嬉しい。嬉しい……!
だからこれも伝えよう。三澤は鈍いところがあるから、機会があるごとに伝えておこう。
「三澤君、僕の親友は三澤君だけだからね!」
「……お、おう……」
照れたのか安心したのか翼にはわからなかったけれど、三澤は顔を真上に上げると、空にふうっと息を吹きかけた。
午後からは組分けの応援合戦から始まり、いろいろな対抗のリレーが続いた。
一年生男子対抗リレーでは三澤がアンカーで走ったが、さすがの現役レッドだ。ふたりを抜いて一位になり、他と僅差だったクラスの点数もトップに躍り出た。
「三澤君、お疲れ様! すごく速かったね!」
「おっし、これでアレ、行けるな、三澤!」
席に戻ってきた三澤にねぎらいの言葉をかけていると、天宮がやってきて三澤と拳を合わせた。
「アレってなに?」
首をかしげれば、ふたりは企んだような顔をする。左右を見れば、他の生徒も意味深に笑っていた。
いったいなんだろう。答えが得られないまま多学年や部活対抗のリレーが終わり、最後の競技が近づいてくると、翼は再び緊張しだした。
閉会の行進で旗持ちがあるからだ。
「借り物競争の競技者は入場門に集まってください」
最後からふたつ目の競技集合のアナウンスが鳴った。
閉会式までまだ二十分はあるのだが、翼は左手首をラバーバンドごと握って、やり遂げられますようにと祈った。
その間に、後方で座席を立つ音がする。
そうだ、まだ団長の声掛けがあるのだから、しっかりとやり遂げないと。
そう思って、入場門に向かう競技者にエールを送ろうと後ろを見た。
「……あれっ? 三澤君、出るの?」
するとどうしたのか、借り物競争に出るのは天宮と別のふたりのはずだったのに、そのひとりは座席に残り、三澤が天宮と「真剣勝負な」など言いながら立ち上がっている。
「おう。行ってくる。応援しててくれ」
三澤が言えば、「大塚、待ってろよ」と天宮が言い、「俺が勝つから」と三澤が返しながら行ってしまう。
残された翼の頭にはハテナマークが浮かんだものの、借り物競走は人数調整のため、アンカーで五組のふたりが同時に走る。きっと三澤と天宮がアンカーなのだろう。自分たちの中で競合しているのかもしれない。
「ねね、どっちが先だと思う?」
「そりゃレッドでしょ」
「いや、天宮の底力もすげぇからな」
「じゃあどっちを応援する?」
「うーん、そうだな。……大塚は?」
「えっ」
突然話を振られた。同じクラスなのだからどちらも応援するよ、と答えたものの、翼は無意識に三澤を応援している。瞳には彼の広い背中しか映っていない。
「それでは、借り物競走スタートです! どんな借り物が書かれているのでしょうか」
アナウンスと軽快な音楽、スターターピストルが鳴り、競技が開始される。
「うちわを持っている生徒」「理事長」「丸坊主の生徒」などの定番の他、「長生きしそうな人」とか「スイーツ男子」「◯◯メーカーの最新スマホを持っている人」など難しいお題もあり、競技者の必死な様子は生徒の笑いを誘った。
「いよいよ、五組の二大モテ男来るぞ!」
実行委員がよっしゃ、と立ち上がった。天宮はともかく、いつの間に三澤まで二大モテ男認定されたのか、と思う余裕はない。
パァン! とスターターピストルが響き、アンカーたちが駆け出した。
「レッド行けー」
「天宮ー負けんな!」
皆がそれぞれにエールを送る中、翼は応援団長なのに声を出せなくて、けれど心で三澤の名を連呼した。応援の気持ちもあったが、普通のリレーのときと同じで、走る三澤はレッドレオニーを彷彿とさせるからだ。
「おおお! 三澤だ。三澤が先にお題を取ったぞ!」
クラス席がわあぁぁ! と沸く。三澤は群を抜いて速かった。天宮は悔しそうに二番手を走っている。
けれどなぜか三澤がお題を見ない。お題の紙を握り込むと、クラス席の方へと真っ直ぐに走ってくる。
握り込んだ手をガッツポーズにして、クラスメイトにアピールもした。「俺が行く」と大きな声で言って。
「三澤君、お題を見ないと」
三澤がもうそこまできたので、口の両端に手のひらを立てて翼が言うと、クラスの女子ふたりに手を引かれた。クラス席の一番前に出る。
「え? え?」
戸惑う翼の前で三澤がしゃがんだ。初めて三澤とレオニーランドに行ったときと同じ、おんぶの格好だった。
「乗れ。大塚も体育祭で走るぞ!」
「え?」
あのときと同じように、下肢にたくましい腕が回され、ふたりの女子にも背中を押されて、翼は三澤の背中に乗った。
その途端に三澤が走り出し、ゴールを目指す。
「しっかりゴール見とけ! 大塚、今、走ってる!」
走っているのは間違いなく三澤だ。けれど、初めておんぶされたときよりも三澤への信頼が厚くなっている翼は、三澤の広い背中の上でしっかりと背を伸ばし、ゴールを見据えた。
白いテープが貼られたゴールがズームアップのようにどんどん近づいてくる。健康な頃も足は速くなかった翼にとって、それは初めて見る光景だった。
「一年五組、一位でゴールです!」
アナウンスが通知したと同時、翼と三澤はゴールテープを切った。
「大塚ー! レッドー!」
「いちばーん!」
クラス席で大歓声が巻き起こり、肩を寄せ合ったりハイタッチを交わしたり、抱き合う生徒も見える。
「やったな、大塚。一番だ!」
三澤も翼をガバリと抱きしめた。驚きよりもなによりも、言葉にできない感動に包まれ、翼もギュッと三澤にしがみついた。
「くっそー。負けた!」
天宮が二位で戻って来る。うなだれて落胆する様子を見せながら、三澤の背にポスッと拳を当てた。
「負けねぇって言っただろ」
三澤は得意げに笑うも、翼の体から腕をほどくと天宮の背を撫で叩いて、健闘を称える。
「一年五組でワンツーなら負けじゃないよ。すごいことだよ! それよりもびっくりしちゃった。借り物は僕で良かったの?」
競技終了者の列に並びながら、翼もふたりを称えつつ問うと、三澤が教えてくれた。
借り物がなんであれ、先に借り物のお題の紙を取ったほうが翼をおぶってゴールに向かう計画を、クラス全員で立てたのだと。
「ええっ?」
「だから、みんな張り切ってクラスの点数を上げてたんだよ。今一位取ったけど、絶対失格になって減点されるから、そうなるのを見越してさ」
天宮もネタバラシしてくれる。
「ええ~~」
まさかそんなことだったとは。
クラス全員が翼を体育祭競技に参加させようと頑張ってくれたことを知り、目頭と胸が熱くなった。
「考えたのはレッドだ」
「でも俺が相談して、皆に承認を取ってくれたのは天宮だ。サンキュ」
「ふん。負けた身で言われるとカッコ悪いな。……ちなみに、お題はなんだったんだ?」
天宮が三澤の握り込まれたままの手を差した。翼も手のひらが開くのを一緒に見る。
「あ……!」
三人の声が揃った。お題は「サラサラ黒髪の男子」で、翼はふたりから髪をワシャワシャと乱される羽目になった。
***
「大塚……」
三澤の声がすぐ近くで聞こえる。
けれど姿が見えないのは、翼が瞼を閉じているからだ。
最終的にクラスが全校内で最高得点での優勝だったことを知って大喜びし、無事に旗持ちも終えて気が抜けたからだと思う。退場門を抜けた直後、翼はその場でしゃがみこんでしまった。
三澤や天宮、昼食を共にする女子が翼の名を呼ぶ声がしたが、それがどんどん遠くなった。
「大塚?」
もう一度声が聞こえた。もう三澤の声しかしない。それ以外は静寂に包まれている。
ここはどこだろう。薬品のかすかな香りがして、硬いが寝心地は悪くない場所に背が付いている。
ああ。保健室かな、と思った。高校に入ってからはなかったが、疲労で倒れてしまったのだろう。もう大丈夫そうだから早く瞼を開けないと。
……でも。もう少しここで微睡んでいたい。
どうやらここには三澤と翼だけのようだ。室内に保健医がいるかもしれないが、ベッドのそばに付き添っているわけではないだろうから、久しぶりに三澤とふたりだけだ。
静かに名前を呼んでくれるのが嬉しい。
大きな手で額を撫で、髪を梳いてくれるのが嬉しい。
もう少しだけ、このままでいたい。
「大塚……まだ起きないか……」
頬を包んで問われた。
なんて優しい手だろう。いい心地だ。ただそろそろ起きないと心配をかけてしまう。
翼はゆっくりと瞼を開こうとした。けれどどうしたのか、三澤の気配がとても近い気がする。
「……?」
様子を窺いながら、おもむろに瞼を開いた、ちょうどそのタイミングだった。
「!」
三澤の唇が翼の眉間に降りたのだ。
翼の目は寝起きのものとは思えないびっくり目になる。と同時に三澤の唇が離れ、バチッと視線が絡んだ。
「……! あ、お、起きっ、起きてっ……!」
三澤が驚いた猫のように顔面を固まらせ、背筋を伸ばす。そうかと思うとガタン、と丸椅子を倒して立ち上がり、「ごめん!」と言いながらベッドの囲みカーテンを開け、外に飛び出していった。
───な、な、なに、今の、なに……!
翼はまったく状況を掴めず、頭の中では思考の渦がグルグルと渦巻いている。
共に心臓がドキドキと高鳴り始めた。なんだろう、なんだろう、なんだろう……声も出せないまま胸元を握る。と、ダダダ! と足音がして三澤が戻ってきた。
太陽のイラストよりも真っ赤な顔だ。照れた顔は数回見てきたが、ここまで赤いのは初めてだった。
「えっと、ワリィ。さっきの、熱を、熱を測ろうとして、それで」
「あ! ああ、そっか、そうなんだ。ありがと! 熱はなさそう!」
そうか、熱を測るために額を合わせようとしてズレたのか。今どき珍しい測り方だが、三澤は弟妹がいるため日常なのかもしれない。
うん、そう。多分そうだから落ち着け、落ち着け。
翼はドキドキしている胸に言い聞かせるように心で呟いた。
その後、席を空けていたらしい保険医がすぐに戻り、翼の体調チェックが終わると、ふたりで校門を出る。
心なしかまだ動機がしていて体も熱かったが、意識していては三澤に変に思われるだろう。
あれは翼が親友だからだ。だから凛音や獅央と同じようにしただけだ。最初のおんぶもそうだったのだし。
うん、と頷いて隣を歩く三澤を見上げる。
彼はまだ頬と耳をほんのりと赤く染めていて、翼も頬のほてりが感染してしまう。
「……倒れてごめんね」
それでも会話の糸口を探そうと口を開いた。
「楽しくてはしゃぎ過ぎちゃった。でも、ホントに楽しかったから……三澤君?」
三澤が足を止め、不意に翼の左手首を握った。
「大塚ごめん。俺、嘘ついてる」
「え?」
三澤に一番縁遠そうな言葉に戸惑うも、そう言っている彼はなにかを決意したような……そう、この表情は人間の姿のレッドがヒーロー姿のレオニーレッドに返信する直前の表情だ。
勇ましさに目が離せない。翼は彼の瞳を見つめて次の言葉を待った。
「俺な、さっき」
三澤は一度まばたきをして、次に鼻からすうっと息を吸うと、はっきりとした口調で言った。
「大塚にキスしたくて、やった」
「え……」
キス。
そんな言葉が出たことにも驚くが、したくてやったとはどういうことなのか、また頭の中がぐるぐるし出す。
「初めてじゃねぇ。二回目なんだ。前は大塚が家に泊まりに来た夜。……どっちも、寝込みを襲って気持ちワリィことして、ごめん」
気持ち悪い? そうだっただろうか。
翼は無意識に眉間に指先を当てる。
そうだ。泊まった日に夢の中で……夏の日の素敵な夢を思い出す。優しい赤ライオンが翼の汗を拭い、水を飲ませてくれた。それから眉間に湿った鼻を当ててくれて。
あれが一度目のキスだったのだろうか。
けれどあのとき、その心地よさに翼は安心して眠りの中に入った。さっきだって、驚きはしたものの、気持ち悪いなんて欠片ほども思わなかった。
「気持ち、悪くなんかないよ。三澤君ならいい。でもどうしてキ、キ、キスしたいなんて」
いくら親友でも、そんな描写は漫画やドラマにはなかった。
「大塚、あのな」
三澤の瞳が熱く揺れる。翼の手首を握っている手も湿りを帯びた。
「俺な、大塚が好きだ」
とすん。
その言葉は、翼の胸に温かな塊となって落ちてきた。
けれどよくわからなくて。
翼が三澤に感じている「好き」とはニュアンスが違う気がして、頭の中がキスされたとき以上に渦巻き始めた。同じく胸がドックドックと騒ぎ出し、胸に落ちてきた「好き」をはじき飛ばしてしまう。
「あ、あの。それって、僕が三澤君を好きなのと同じこと?」
「違う。俺は友達以上に大塚を好きになってる……惚れてるって意味だ」
「……!」
もう声は出なかった。その言葉を咀嚼できないほど胸が騒いでいる。なにも考えられない。
「ご、ごめん。僕、なんだかここが変だから、もう帰るっ」
帰らなきゃ。ひとまず帰って動悸をおさめて、それからゆっくりと考えるんだ。
翼は胸をぎゅっと握り、三澤を置き去りにして駆け出してしまった。
「おい、大塚、待て! 走るな!」
そう言われても止まれない。止まったら、今三澤の顔をまともに見たら、心臓のほうが止まってしまいそうなんだ。
「あっ」
「痛って!」
だが、がむしゃらに進んだためか、通行人の腕に翼の肩がぶつかった。
「……いってぇな! どこ見てんだよ!」
「ご、ごめんなさ」
謝ろうと顔を上げる。今度は息が止まりそうになった。
相手は夏の日に花火をしに行った公園でバイクに乗っていた男だ。もうひとりの男もその隣にいる。
遠目だったが間違いない。
「大塚!」
三澤も気づいたのだろう。急いで翼の元へやってきて、男と翼の間に割って入った。
「あ? おまえ……あのときの。なんだ、高校生だったのかよ」
「デカイ図体だからわからなかったな。おい、高校生がイキって髪染めてんなよ」
ふたりの男も気づき、ひとりが三澤の胸ぐらを掴んだ。もうひとりは翼の方に回ってきて、肩をぐいっと引いてくる。
「いたっ……!」
「おいチビ。俺はもっと痛かったぜ。慰謝料払ってくれるんだろうな」
「ひっ」
恐怖で喉が引き攣った。体はまったく動かない。
「大塚に触るな!」
すると三澤が男の腕を取ってねじり上げた。三澤の体格のほうが大きく、力も強い。男は顔を歪めて痛みを訴える。
「離しやがれ。てめぇ、今日は容赦しねえぞ!」
もうひとりの男が三澤の肩を掴み、頬を殴り付けた。三澤の体がよろりとよろける。
「三澤君!」
腕を伸ばすと、さっきまで三澤にやられていた男にその腕を掴まれ、背中でねじられた。
「お前はこっちだよ。あのときのお礼もたっぷりしてやるよ」
「やめてくださ……あっ、痛いっ」
「大塚!」
三澤が走ってきて男に飛びかかる。翼は解放されたが、三澤はふたりの男に同時になぶられはじめた。
「み、三澤君!」
「大塚、今のうちに行け。今だけ頑張って早足で逃げろ!」
三澤は殴り返すことはしないが、必死でふたりの男の体に腕を巻きつけ、逃がさんとしている。
「でも、でも」
翼の目から涙がこぼれる。
「いいから、行けっ……! 絶対にここに戻ってくんな。行け!」
足も体も震えていた。動けないと思った。けれど三澤の必死な声に反射するかのように、体が駅へと向かって走り出す。
ここにいたら三澤が余計に殴られるかもしれない。早く人のいるところに行って警察を呼ぼう、そんな気持ちもあった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
必死で駅までの残り八分を走った。人から見れば早歩きでも、翼にとっては全速力だった。
やがて駅が見えてきた。隣に交番があるから、警官に助けを求められる。
待ってて三澤君。今助けに言ってもらうから……けれどドアに手をかけたところで目の前が真っ暗になった。
「はぁ、はぁ。……あ、れ……?」
息がうまく吸えなくなる。翼はそこで意識を失った。
その日から五日間、翼は緊急入院となり、三澤は三日間の、土日を含めば五日間の謹慎処分になった。
『レッドは基本無抵抗で殴られ放題だったらしいけど、最初に相手の腕をねじり上げたときに捻挫をさせたらしい。それに喧嘩の理由を頑として言わないもんだから、厳重注意として謹慎になったんだよ。まあでも停学とは違うらしいし、レッドは軽い打撲とかすり傷って話だ』
謹慎処分中はスマートフォンを持てない三澤と、入院三日目までベッド上安静のためにスマートフォンを使えなかった翼は、連絡が取り合えなかった。
クラスメイトも翼の体調を案じてメッセージを遠慮していたようで、翼が三澤について知ることができたのは退院日の朝、代表で天宮がお見舞いのメッセージをくれたからだった。
……謹慎だったから既読にもならなかったんだ。
『どうしよう。僕のせいだ』
『一緒に帰ってたんだよな? なにがあったんだよ。他クラスのやつらとかはさ、三澤を不良だと思ってるから言いたい放題なんだよ。先生たちだって一部はそう思ってる感じだし』
『違うよ。本当に三澤君は悪くない。僕がちゃんと前を見ずに歩いて、ぶつかったから』
三澤に告白されたことは言えないものの、翼はその日の出来事を話した。
今回のことで三澤にあらぬ誤解をかけられたくない。三澤は暴力を振るっていない。ただ翼を守っただけだ。
『そっか、わかった。俺からも先生やみんなに伝える。あんま気に病むなよ? 大塚はいつ学校に戻れそう?』
『週明けには行ける予定だから、僕からも先生に話す』
三澤は翼を巻き込みたくないと思っているだろうけれど。
『そうか、待ってる。またな』
『ありがとう。またね』
メッセージ画面を閉じる。
ふう、と重苦しいため息を吐くと、母親が病室に入ってきた。退院手続きを終えたのだ。
「行きましょうか。大丈夫?」
「うん。あれだけ安静にさせられたんだもん。もう平気」
翼はベッド上安静と点滴だけで持ち直した。体の成長もあるだろうし、中学三年生のときに受けた手術の効果も大きいだろう。以前ならこのまま一か月は休学になっていた。
「でもやっぱり……学校行事は負担になるのかもしれないわね。これからも内容によっては休んだほうが」
「だめだよ、お母さん。ただでさえ、もう休学できる上限になってるでしょ。留年したくない」
高校は中学までと違い、出席日数の不足で留年になってしまう。三澤と離れたくない。
「そうだけど、先生がおっしゃってるでしょ? 今回は回復が早かったけど、次に大きい発作が起きたら前より大きい手術が必要だって。学校を長期で休みたくないなら、そのあたりをもう一度お父さんとも話し合いましょう?」
「……わかった」
緊急入院で両親に心配をかけた自覚はある。翼は頷いて病院を後にした。
それからさらに三日後、自宅療養中に迎えた土曜日。
翼は両親に告げずにレオニーランドに向かった。
退院して間がないのに、外出するなんて言ったら反対されるに決まっている。出かけたと気づいたらまた心配をかけるだろう。けれどどうしても三澤に会いたかった。
謹慎を終えたはずの三澤と連絡が取れていない。通話どころかスマートフォンメッセージもいまだ既読にならず、天宮に問うと『自分のせいで大塚が入院したと思って、大塚が無事に登校するまで自分に罰を課してる感じがする。スマホも持ってきてないし、俺らともほぼ話さない』と返ってきた。
ただ天宮からの追加情報では、翼が天宮に送ったメッセージがきっかけで、謹慎明けの三澤に再度聞き取りが行われたそうだ。
厳重注意に変わりはないものの、アルバイトの継続許可が降りて、今日からショーに復帰するとのことだった。
三澤君に会いたい。顔が見たい。三澤君が動かないなら、僕が動く!
三澤に会えない日々には色がなかった。左手首のラバーバンドの赤色もずいぶんと色褪せて見えて、三澤の髪の赤い色が恋しかった。
それでも翼は赤いラバーバンドを握って、早く三澤に会えますようにと祈った。
けれどそうすると胸がとても痛くなって。
今まではラバーバンドに祈れば心が軽くなっていたのに、三澤を思うとますます胸が重くて苦しくなって。
翼はもう高校生なのに、涙をこぼして泣きたくなって。
会いたい、会いたい、会いたい……!
込み上げて来るこの思いの意味を考えた。そのときには決まって「好きだ」と言ってくれた三澤の顔が頭に浮かんだ。
好き。
翼も三澤が好きだ。
同じ言葉なのに、ふたりの言葉の意味は違うのだろうか?
彼の言う「惚れてる好き」は恋愛の意味なのだろう。
でも翼は男だ。恋愛の好きは異性に向けるものじゃないのか?
だから翼の好きは、単純に親友に対する好きで。
……単純? 単純なんかじゃない。翼が三澤に感じる好きは、もっともっと複雑で、深くて大きい。
彼の人柄を、彼の行動を、翼に力を与えてくれる彼の笑顔を、翼は好きだ。
もしそれらがなくなったとしたら、翼にとっての世界は太陽を失くした暗がりになってしまう。
想像しただけで胸が痛んだ。けれど一緒にいるところを想像しても胸が切なくてきしんで、ドックドックと激しいリズムを刻んだ。
この痛みは。
この切なさは。
この律動は、きっと。
三澤に会って確かめる。
キスが嫌じゃなかった。いいや、心地よかった意味も。
思いを告げられたときはパニックになったが、三澤の言葉で心臓が止まりそうに感じた意味も、全部一緒に確かめる。
これほど動きたい気持ちになるのは、相手が三澤だからだ。
翼は開園と同時にレオニーランドに入り、一番にレオニーショーの整理券を求めてショー施設に向かった。
だが三澤が謹慎だったからだろう。レオニーショーは一週間ぶりということもあり、また翼が走れず先を越されたこともあり、整理券配布窓口に着いたときにはすでに長蛇の列ができていた。
不安と苛立ちに胸を痛めながら並ぶ。いつもは三澤が整理券を準備してくれていたから、この時間がとてつもなく長く感じた。
それでもラバーバンドに祈って順番を待つと、なんとか整理券を受け取れて、翼のふたり後で配布終了になったときにはラバーバンドに感謝せずにいられなかった。
──あと少しで会える。
開場まではまだ時間があるが、翼は少しでも早く三澤に見つけてほしいという思いから、そのまま施設の入り口に並んでいた。翼は一番後ろの左端に座ることが多いから、そこに座れば三澤も気づいてくれやすいかもしれない。
今日も「ショーに行くよ」とメッセージを送っても既読にならなかったから、謹慎処分後からスマートフォンを持ち歩いていない可能性が高い。
こうして三澤に見つけてもらうしか、ショー後に話せる術がないのだ。
ただ十月中旬に差し掛かろうというのに、快晴の秋は気温が高く、額や首に次第に汗が滲んだ。思いつめるように来たから飲み物も忘れてきている。
でもあと三十分だから……スマートフォンの時刻表示を見る。それからアルバムアプリを開いて、三澤と撮った写真を見た。
六月に出会ってからたった四か月。写真はまだ数枚しかないが、気を紛らわせるには充分過ぎた。充分過ぎて、見ているとさまざまな気持ちが溢れ出しそうになる。鼻の奥がじんと熱くなり、視界が少し霞んだ。
早く会いたい。あと二十分……そう繰り返してあと十分、あと五分となり、やっと開場時間となった。
一番に入った翼は一番後ろの左端を確保できて、暑い中を一時間待って疲労した体を休める。
けれど外気温が高いせいか施設内は冷房が効いていて、寒さのほうが弱い翼の手足はすぐに冷たくなった。温度の急激な変化は翼の体に負担だ。
胸が少しドキドキしている。だがこれはもうすぐ三澤に会えるからかもしれない。
ここ最近の翼は、三澤を思えばドキドキしていたから。
ふぅぅ、とゆっくり深呼吸をして胸を撫でる。
うん、大丈夫だ。今日はちゃんと頓服薬を持ってきたから、ひどくなれば飲めばいい。
このときの翼は浮き立っていたのだろう。飲み物を持っていないことを忘れていた。
「待たせたな! 今から、レオニーヒーローズの闘いが始まるぜ!」
ヒーローズの声が揃ったアナウンスが流れ、照明がいったん消えた。ショーが始まる。
観客の「夢と希望」を奪おうとする悪の組織に立ち向かうレオニーヒーローズ。レッドはその中心に立ち、いつでも敵を鮮やかに倒す。レオニーヒーローズ誕生より、子どもたちにもママさんたちにも、レッドは一番人気だ。
翼もレッドレオニーが大好きだった。画面の向こう側ではなく、目の前で見ることができるレッドの生の勇姿は、闘病の辛さに折れかけた翼の心を奮い立たせた。
だからラバーバンドを貰って以降も数度はショーに訪れたものの、体調の悪化に伴って繰り返される入院と安静のために、再び遠い場所となった。
レッドレオニーを忘れたことはない。いくつになっても、子供っぽいとわかっていても、いつかまたショーを観覧したいと思っていた。
それでも両親に心配をかけると懸念して、翼にはレオニーランドに行きたいとは言えなかったし、ひとりで見に出かけることもできなかった。
健康な人の「多少無理して」は翼にとっては命取りだったから。
初代レッド──三澤の父に再会できなかったことは心残りだ。
けれど翼の昔のヒーローは、翼の今のヒーローに出会わせてくれた。
左手首に着け続けた赤い輪が、三澤玲王という人との出会いを繋げてくれた。
「レッドー! 頑張れレッドー!」
クライマックスのシーン。皆がレッドにエールを送る。華麗なアクションにたくさんの拍手と歓声が上がる。
翼は心の中で自慢した。
レッド、かっこいいでしょう? レッドはね、三澤君のときでもかっこいいんだよ? 三澤君はね、僕のヒーローで、僕の親友で、僕の、大切な人!
だから、ずっとそばでエールを送りたいと思う。勇気がなくてレッドに会いに来れなかった過去の翼はもういない。
三澤に会いたいから、気持ちを確かめたいからやってきた。なにひとつ自分ひとりで決められなかった翼が、自分の意志でここにいる。
生かされているのではなく、生きている実感を三澤は与えてくれる。
これからもずっと、三澤と共に生きていきたい。翼も三澤にとってそんな存在になりたい。
この気持ちをきっと、好きだというのだ。
僕は、三澤君が好きだ。
「きゃー、レッドがこっち見たー!」
気持ちを自覚したその瞬間だった。隣の席のママさんが喜びの声を上げた。
舞台の真ん中にいたレッドのマスクが後部左端の座席を見ている。動きを一瞬止めると、グッと手を握り、高く掲げた。
翼にはそれが、体育祭で見た「俺が大塚のところに行く」のポーズと重なった。
翼が見ているとわかったのだろうか。いや、違うかもしれない。けれどそれでもよかった。三澤の努力の証の華麗なアクションが決まるたび、翼の胸はドキドキと踊る。
見ているだけで、胸だけでなく体も踊り出しそうになる。足の指先まで電気が走ってピクピク跳ねる。腹の奥底が熱くなって力が湧いてくる。
間違いない。三澤が翼のベストヒーローだ。
「……っつ」
だがだんだんと息苦しくなって、心拍のリズムが乱れてくるのがわかった。これは恋のドキドキではなく、発作のほうだ。
頓服薬をデイバッグから出そうとすると手が震えた。それに水がない。
それでもなんとかカプセルを口に放り込んだ。唾液を溜めて飲み込もうと試みる。が、心拍のリズムがやたらめったらに暴れ狂い、目の前が暗くなる。
今までで一番ひどい。こんなときなのに。
翼は頭から座席下に崩れ落ち、隣の席のママさんが叫んだ。ママさんに連れられていた小さな子も「うわぁぁん!」と泣き出す。
「ごめ……なさ……ショーの途中、なのに……」
声を出すと、口に入れたカプセルがぽろりと落ちた。
皆が楽しんでいるショーなのに、今からまだ花火や水の演出がある見せ場なのに……三澤が頑張っているのに、翼の病気が台無しにする。
苦しさと情けなさが相まって涙が出てきた。朦朧とする意識の中で「せめて三澤君の邪魔になりませんように」と、ラバーバンドを握って祈る。
「大塚!」
三澤君の声がすぐ近くにあった。どうして、と思ったのと同時に、場内がいっそうざわついた。ステージからレッドが飛び出し、翼を横抱きにかかえたのだ。
三澤はレッドの姿のままショー施設も飛び出して、まっしぐらに翼を救護室へと運んだ。
酸素カニューレを着けてもらい、改めて頓服薬を飲む。レッドのマスクを外した三澤に手を握ってもらいながら、救急車が来るのを待った。
「三澤君、ごめんね」
「なにがだよ。倒れたことなら気にしなくていいから、目を閉じてろ。辛いだろ」
「それもあるけど、あの日、気持ちを話してくれたのに逃げるようなことをして、謹慎も……」
三澤はずっとしかめていた眉を緩めて、赤い髪が乱れるほど頭を振った。
「あれは俺が悪い。それと、顔見てケジメつけたかったから、ずっと連絡しないでごめん。なのに今日来てくれて嬉しかった。それより今は喋んなって。酸素、ちゃんと入ってるか」
「大丈夫。薬も効いてきたよ。……でもね、三澤君、これだけ聞いて。僕ね、三澤君のことが好きだよ」
三澤の動きが止まり、無言になった。
けれどきっとまだわかっていない。三澤ははっきり口に出さないとわからない人だから。
「この好きはね。三澤君と同じ好きだよ。僕は三澤君のことが」
「俺は大塚が好きだ!」
翼の告白タイムなのに、急いで同じ言葉をかぶせられた。それも結構な音量の声で、救護室にいた看護師が大塚を振り返る。
せっかく強制的に酸素吸入をしているのに、翼は息が止まりかけてしまった。
「み、三澤君……」
「あ、わりぃ」
看護師の視線が外れたのを確認し、声量を落として三澤は続ける。
「ごめん。夢見てんじゃないかと思って、つい自分から言っちまった」
「なに、それ、変。変だよぅ」
けれど気持ちは伝わったということか。安心した翼はふにゃあと頬を緩める。
すると、三澤の手の甲がその頬をやさしく撫でた。反対の手は自身の左胸を掴んでいる。
「うん。変だと思う。俺。大塚と一緒にいると、ここんとこ、ぎゅっとして苦しくなって、駆け出して好きだって言い回りたくなるんだからさ」
なんて眩しい笑顔で言うのだろう。眩しすぎて、愛おしすぎて、翼は目を開けていられなくなる。
「三澤君……ひどいよ」
「なんで!? 俺、キモ過ぎるか? それとも勘違いしてるとか? 大塚の好きは親友の……」
翼はううん、ううん、と首を振る。
「そうじゃなくて。……嬉しい。でも、でもそんなこと言われたら胸が苦しいんだもん。これが好きってことなんだね。たしかに変になるね」
ドキドキドキドキする。でも、リズムは狂っていない。これは間違いなく、恋のドキドキ。
すごくすごく苦しくて、嬉しいのに切ない。切ないのに、興奮して落ち着かない。恋は心も体もおかしくする。
「僕の好きも、三澤くんと同じ好きだ」
「大塚……」
三澤は顔面全部を赤に染めて、泣きそうに顔を歪めた。かっこいいレッドのこんな表情を見ることができるのは翼だけかもしれない。
もっと。もっと三澤のいろんな顔が見たい。
そして翼は迷わず決めた。再入院するとすぐに医師に説明を受けた、大きな心臓手術を受けることを。
翼は心臓手術のためにそのまま休学となった。
手術とリハビリは居住地より遠く離れた県の専門病院で受けることになったから、三澤の十二月の誕生日も祝えないまま転院をして、会えない日々はもう十一か月目になろうとしている。
また、手術は成功したとはいえ、基礎体力が少ない翼には苦痛の強い日もあった。
けれど三澤が待ってくれているから、くじけずに頑張ってこれた。
三澤は毎日のスマートフォンメッセージはもちろん、折々に通話やビデオ通話もかけてくれる。それになんといっても、翼の左手首には、いつも三澤がついている。
転院の少し前にお見舞いに来てくれた際、三澤は翼の左手首に「いつもそばにいる」と書いた新しい赤いラバーバンドを着けてくれた。
初代レッドにもらったのとは違い、三澤のバンドにはレッドレオニーのミニキャラ顔がぐるりと一周プリントされていて、みるたびに翼の顔を綻ばせる。
そして着けてくれる直前のことだ。
初代のものも着けていていいかを問うと「親父がいたから俺たちは会えた。繋がらなかったかもしれない輪をつないでくれたのは親父だから、着けていてほしい」と三澤は言った。
翼が「やっぱり僕たちは同じことを思ってるね。もう言葉がなくても通じる気がしてきた」と微笑むと、目を細めて微笑みつつ「でも単細胞の猪突猛進だから、気づいてないところは言ってくれな。これからも、ずっと」と言って腕に通してくれた。
──三澤君の、裏表無い真っ直ぐなところが僕は好きだよ。
そう思いながら、翼にはそれが神聖な儀式のように思えて、「うん。誓います」と答えたのだった。
ピコン。スマートフォンの通知が鳴る。二十時だから、学校の特別補講を終えたばかりの三澤だ。
翼はいそいそとトーク画面を開いた。やはり三澤だ。
『今、補講終わったとこ。物理のミニテスト、満点だった』
『すごいね。もう毎回満点だ。他の教科も調子いいし、バッチリだね』
やり取りをしていると、自然に笑みがこぼれる。
「三澤君、すごいなあ」
三澤は翼の見送りに来た日、「大塚が頑張るから俺も全力で頑張るな」と決意を表明してきた。
すでに頑張り過ぎの彼がこれ以上なにを頑張るのかと心配になっていると、三澤は苦手の勉強を頑張るのだと聞かせてくれた。
そしてその表明の通り、今では学年全五クラス中普通科三クラスの中で、トップの成績を保持している。アクション練習は部活代わりに週二日行くが、平日のアルバイトを辞め、学校が自由参加で募っている放課後特別補講を受けるようになったのだ。
そのようにして成績優秀者を保持することで、三澤は学校育英会から無返済の奨学金を受けられるまでになった。
三澤はどんどん完璧なヒーローになっていく。
去年の夏、公園で不良を撃退した翼を「ヒーローみたいだった」と言ってくれた三澤。彼は今でも翼をそう思ってくれるだろうか。
そして翼は、三澤の隣が似合う人間になれているだろうか。
スマートフォンのメッセージを終えた翼は、次にメールアプリを開いた。もうすでに何度も確認した一通を再度確認すると、今度は病室に駆けてあるカレンダーを見る。
その月の二週間先には、大きな赤丸が付いていた。