社会の腐敗、と言われて、なんとなく晶哉はたじろぐ。
「そういうもんじゃないの? エライ人には逆らえないでしょ?」

「多かれ少なかれ、そういう部分はあるんだろうな。しかし、大人だからそう言うことは解っているというような顔だけはしたくないもんだが」
 洛世の落胆した呟きを聞いて、なんとなく失望感が漂ってきたが、晶哉は何も言えなくなった。

 急に、足許から寒気が上がってくるような感覚があったからだ。
 思わず、手を強く握りしめてしまうと。同じくらい強く握り返してくれた。それに、胸がホッとする。

「俺はまだ見えないんだけど、晶哉、見えてる?」
「僕もまだ……」
 けれど、この感じは近い気がする、と晶哉は本能的に知っていた。

『ねぇ、お兄ちゃん』
 ふいに、声を掛けられて、背筋が震えた。

「どうした、晶哉」
「ごめん、洛世、声が、聞こえる。……お兄ちゃんって……」

『あ、あなた、聞こえるんだ。こっちのお兄ちゃん、私のお兄ちゃんに似ているの』
 どこから声がするのだろうと思って、晶哉があたりを見回す。

「わあっ!」
 黄色い帽子を被って、赤いランドセルを背負った女の子が、洛世の服の裾を引っ張っているのが見えた。

『ねぇ、はやく』
 女の子に促されて、晶哉は渋々口を開いた。

「洛世の服を、女の子が引っ張ってる。なんでも、お兄ちゃんに似ているらしい」
 とりあえずそれだけを告げると、女の子は、満足そうに笑ったと思った。
 不思議なことに、笑ったのは理解出来るのに、顔は認識出来なかった。

「お兄ちゃん? 現実に、兄が居るのか?」
『そうなの。私のお兄ちゃん。高校生なんだ』

「高校生のお兄さんが居るみたい」
『私のお兄ちゃん、きっと、凄く心配していると思うの、だから、ここに居るって教えて欲しいの』
 晶哉は、その言葉を告げるのを躊躇った。

「どうした? 彼女はなんと言っている?」
「えっと……その……」
 晶哉は、一度深呼吸して、気を落ち着けた。どう、伝えて良いのか解らないというよりも、混乱していた。
 こんなところにいる『幽霊』ならば、ここで亡くなったと言うことだろう。

「あっそうだ、ねえ、このお兄ちゃんは、女の人に呼ばれてここに来たんだけど、その人はどうしてるの?」
『あっ。あの人は、私の事を助けようとしてくれた人なんだ。まだ、近くに居るよ。最近、沢山、動いたから疲れちゃってるんだって』
 洛世の夢に出てきたから、疲れているのだろう、と晶哉は理解した。

(ということは、この女の子とあの女の人は、ここにいる……ということだよな。死んでるって言う……)
 実感は出来なかったが、とりあえず、洛世が睨んでくるので、事情は説明する必要があるだろう。

「洛世は、この子が見えてる?」
「えっ? ああ、見えている」
「声は聞こえないんだよね」

「ああ、不便でたまらん」
「じゃあ、とりあえず、この子から聞いた話を教えるね。この子とあの女の人がここに居ることを、この子のお兄ちゃんに教えて欲しいって言ってる」

「なるほど……では、身元を知る必要があるな。名前は聞くことが出来るか?」
 洛世に問われた晶哉が「名前は?」と聞くと、彼女の口が動くのが解ったが、妙に甲高い金属音のようなノイズとしか聞こえなかった。

「なんと言っている?」
「わかんない。聞き取れなくなってるみたいだ。よく解らない」
 彼女も驚いているようで、絶望的な表情をしているのだろう事だけは解った。

 その時、洛世が、彼女の頭に手をやって、ゆっくり撫でてやった。
「洛世?」

「俺たちが、必ず、お前がここに居ることを、お前の兄ちゃんに伝えに行く」
 力強く宣言する洛世の言葉を聞いて、晶哉は眩暈がした。

「勝手に決めるなよ、僕だって、塾とか……」
「高校から大学まで、お前の勉強は俺が見てやる。親御さんに言って、塾は、すぐに辞めてこい。毎日、俺の家に来て、勉強を見てやる」

「えー、そんなことは全く勝手な……」
「塾に掛かる分を、大学の費用に充てて貰え」

 めちゃくちゃな話だが、晶哉は、この申し出を、両親は諸手を挙げて歓迎するだろうと思っていた。