マキは、僕のことを冷めた目で見ているのに、僕はマキのことを熱い目で見ていた。そのことを他人から指摘された羞恥心で、僕は平常心ではいられなかった。変わってしまったのは、間違いなくマキの方なのだけど、僕も変わってしまっているのかもしれない。そんな答えが、ふいに導き出された。書きたいことはあるのに、書いてよいことが分からない。真っ白なままの罫線を前に、僕は悶々とペンを絡ませていた。机の上のライトに薄っすらと積もっていた白い埃を指で弄ぶ。書かなくてはならないのは、今日の練習の内容と反省。つまり、合同練習についてのこととなる。僕とマキが故郷で友人だったということなど、クラスメイトの誰も知らないことだしそれを書く義務なんて全く無い。だから単純に、マキ先輩は素晴らしい歌声と技術でした。こんな風に成長したいです。と書くこともできる。でも、僕の中のわがままな欲が、他人行儀に書くべきでないとペンを止めるのだ。マキは、ひどく変わってしまっていた。それは多分成長というものではなくて、変化と言う方がより正確だ。もともと、マキはあんなに喋らない人間では無かった。普通に僕と大好きな歌について帰り道に語らい、そしてお互いの学校で起きた小さな事件について他愛もない議論をする。ルームメイトのイースが椅子をギシリと鳴らして、声を掛けてきた。
「なあリオ。例の先輩と今日ペアだったんだろう」
「ああマキのこと……」
「なに、知り合いなの?」
「ん、まあ……」
 知り合い、というか親友だったんだよ。という自己顕示欲を飲み込む。傍から見たら友人にすら見えないはずだから。喉がひどく乾く。ん、っと反射的に咳き込んでしまった。
「あの人、何も話さないらしいんです。だから、ちゃんと歌っているのか気になるんです」
「ええ?」
「なのに、学校の歴史中でも指折りのエースと言われているなんて不思議じゃないか」
 ミーハー心むき出しのイースにたじろぎながら、当たり障りのない返事をする。
「普通だったよ」
「いやいや、あの人がまずもう浮きまくり、1年生の中で格好のうわさの種ですから。普通に歌ってるって言われて、はいそうなんだへえ、って信じられませんよ」
 眉を動かし、イースは疑わしい視線を向ける。僕は思わず顔をそむけた。
「上手かったよ。さすが、先輩って感じ」
 小さな嘘のせいか、かつて痛めた右脚がずきりと痛んだ。もしかしたら、幻肢痛のようなものかもしれない。マキを感じることが増えたことで、怪我をした日の痛みが蘇っている可能性が高い。イースに気づかれないように、痛む脚をさすると幾分か痛みは和らいだ。
「うわさ話はやめよう。あのさ、イースはなんでここに入学したの? そういえば聞いてなかったなって……」
 話をどうにかそらしたい一心で、僕は不自然な話題転換をしてしまう。つまらなさそうな表情を浮かべていたイースはわざとらしい溜息をつくと、にいっと口端を上げた。
「私ですか?」
「うん」
「まあ、何と言いますか……私は、世界的にビッグな音楽家になるためにここに来たんです」
 少し鼻をかいて恥じらいながら言い出したイースだったが、最終的には胸を張って自信満々の表情で言い放った。
「ここは、小規模ですが入学時の国籍、家柄、経歴を問わず実力のみで評価してくれる実力主義の学校です。私はそこでトップを取るんです」
 だから、とイースは僕にピシリと指を指す。
「リオにも容赦しませんから」
 妙に勝ち気な様子につい笑うと、イースは少し不機嫌さを滲ませて早口で言う。
「そういう君こそ、ちょっとしたうわさですよ」
「うわさ? ええ、ちょっと困るなあ」
「あの先輩と歌った、って。マキ先輩、嫌な人が相手だと歌いすらしないらしいですよ」
「そんなことするの?」
「あくまでうわさ、ですけれどね」
「うわさうわさって、確かな情報は無いのか」
「当たり前じゃないですか。だって、クラスメイト相手にほとんど口を利かないんだから。うわさしか流れないんですよ」
 ひそひそ声で話すイースについ耳を傾けると、マキが本当に無口……寡黙な先輩としてこの学校生活を送ってきたということが分かった。かつてのマキについては触れない方が良い。そう気づいた僕は、ノートに正しいレポートを書き込み、夜は更けていった。