リビングの隣にある一晟の部屋に入るとむわりと独特な匂いがした。
剣道の防具の匂いだ。
「悪い、俺の部屋臭いだろ」
一晟が慌てて窓を開けようとしたが、急いでそれを止めた。
「全然臭くない。むしろ俺、この匂いわりと好きだ」
剣道の防具はどんなに手入れをしていても独特な匂いがとれない。それは防具にしみこんでしまう、汗と勝利への熱意、のせいらしい。
がんばったぶんだけ臭くなる……と一晟と恵介の母親たちが苦笑いで話しているのを聞いたことがある。そもそも剣道の防具は、あちこち生革が使われているせいで水洗いできる場所が限られているらしいが。
「せっかくエアコンつけてるのに、窓なんか開けたら、冷やした空気が逃げてもったいないだろ」
「……臭い、臭いって母さんも日菜もうるさいのに。恵介はめずらしいな」
だっておまえが頑張った証の匂いだから。
……とはもちろん言えなかった。
窓を開けるのをやめた一晟が、折りたたみのテーブルを出してくれる。向かい合って座り、リュックから教科書やノートを出す。
テーブルの上に広げると一晟が覗き込んできて、眉間に皺を寄せた。
「恵介。授業ちゃんと聞いてないな」
「え、なんでわかった?」
「今どき高校生にもなって教科書の端にペラペラ漫画を描いてるやつが、授業をまともに聞いてるはずがない」
深いため息と共に、じとっと睨まれた。
「恵介は頭が悪いんじゃない。少し要領が悪くて集中力がないんだ。要領は俺がみっちりしごいて教えてやるから、集中力は自分で根性であげろ」
「う……うすっ!」
一晟の剣道の防具を見たあとだったからか、とりあえず気合いの入った返事は出来た。
午前中はみっちり三時間。昼休憩を挟んでまた午後から開始して、初日は日が傾く前に終わりになった。
「ああああ~、俺の脳みそがフル回転しすぎてびっくりしてる~~」
今日はここまでにしよう、と言われてすぐにテーブルに顔を突っ伏すと、一晟がノートを片手にぽんぽんと頭を撫でてくれた。ドキンと心臓が跳ねる。
うわあ、これ、ぜったい日菜ちゃんか塁くんと間違えてるな、と思ったが、もったいないのでそのままにしておく。
恵介の解いた答えを一つ一つ頷きながら確認していた一晟がふと顔を上げ、自分のもう片方の手の動きに気づいてしまった。
「あ、悪い」
耳まで赤く染め、慌てて手を引っ込めようとする一晟に「もっと撫でて」とついリクエストした。
「恵介?」
「……だって今日の俺、けっこう頑張ったし」
脳がくたびれていたせいか、つい甘えた声が出た。
「そうか……まあ、そうだな」
一晟は驚いているようだったが、「ぽんぽん」がそのまま「なでなで」にかわり、最初は遠慮がちだった手が優しく恵介の髪をかき回し始める。
口元がにへらとだらしなく緩む。
大きな手が心地いい。
ドキドキが段々とうっとりに変わり、猫ならゴロゴロと喉を鳴らしているところだろうな……と思い始めた頃、ガラッと勢いよくドアが開いた。
「兄ちゃん~! 母ちゃんがカルピス作ってくれた!」
日菜ちゃんと塁くんだ。
ドアの向こう側に帰宅したばかりの一晟の母親の姿も見えた。
「二人とも。ひと段落したなら、ドーナツ買って来たからこっちで食べない?」
駅前の人気店の箱を掲げてにこりと笑っている。
そして、あたふたと挙動不審になる恵介と一晟を見てぎゅっと眉を寄せた。
「どうしたの、あんたたち。……二人とも顔赤いわよ? ちゃんとエアコンつけてる? 家の中でも熱中症になるってよくニュースでもやってるんだからね!?」
「つけてる、つけてる!」
一晟がエアコンのリモコンを素早くとり、ピピっと設定温度を下げてみせた。
剣道の試合でも滅多に見せない動揺っぷりだった。
剣道の防具の匂いだ。
「悪い、俺の部屋臭いだろ」
一晟が慌てて窓を開けようとしたが、急いでそれを止めた。
「全然臭くない。むしろ俺、この匂いわりと好きだ」
剣道の防具はどんなに手入れをしていても独特な匂いがとれない。それは防具にしみこんでしまう、汗と勝利への熱意、のせいらしい。
がんばったぶんだけ臭くなる……と一晟と恵介の母親たちが苦笑いで話しているのを聞いたことがある。そもそも剣道の防具は、あちこち生革が使われているせいで水洗いできる場所が限られているらしいが。
「せっかくエアコンつけてるのに、窓なんか開けたら、冷やした空気が逃げてもったいないだろ」
「……臭い、臭いって母さんも日菜もうるさいのに。恵介はめずらしいな」
だっておまえが頑張った証の匂いだから。
……とはもちろん言えなかった。
窓を開けるのをやめた一晟が、折りたたみのテーブルを出してくれる。向かい合って座り、リュックから教科書やノートを出す。
テーブルの上に広げると一晟が覗き込んできて、眉間に皺を寄せた。
「恵介。授業ちゃんと聞いてないな」
「え、なんでわかった?」
「今どき高校生にもなって教科書の端にペラペラ漫画を描いてるやつが、授業をまともに聞いてるはずがない」
深いため息と共に、じとっと睨まれた。
「恵介は頭が悪いんじゃない。少し要領が悪くて集中力がないんだ。要領は俺がみっちりしごいて教えてやるから、集中力は自分で根性であげろ」
「う……うすっ!」
一晟の剣道の防具を見たあとだったからか、とりあえず気合いの入った返事は出来た。
午前中はみっちり三時間。昼休憩を挟んでまた午後から開始して、初日は日が傾く前に終わりになった。
「ああああ~、俺の脳みそがフル回転しすぎてびっくりしてる~~」
今日はここまでにしよう、と言われてすぐにテーブルに顔を突っ伏すと、一晟がノートを片手にぽんぽんと頭を撫でてくれた。ドキンと心臓が跳ねる。
うわあ、これ、ぜったい日菜ちゃんか塁くんと間違えてるな、と思ったが、もったいないのでそのままにしておく。
恵介の解いた答えを一つ一つ頷きながら確認していた一晟がふと顔を上げ、自分のもう片方の手の動きに気づいてしまった。
「あ、悪い」
耳まで赤く染め、慌てて手を引っ込めようとする一晟に「もっと撫でて」とついリクエストした。
「恵介?」
「……だって今日の俺、けっこう頑張ったし」
脳がくたびれていたせいか、つい甘えた声が出た。
「そうか……まあ、そうだな」
一晟は驚いているようだったが、「ぽんぽん」がそのまま「なでなで」にかわり、最初は遠慮がちだった手が優しく恵介の髪をかき回し始める。
口元がにへらとだらしなく緩む。
大きな手が心地いい。
ドキドキが段々とうっとりに変わり、猫ならゴロゴロと喉を鳴らしているところだろうな……と思い始めた頃、ガラッと勢いよくドアが開いた。
「兄ちゃん~! 母ちゃんがカルピス作ってくれた!」
日菜ちゃんと塁くんだ。
ドアの向こう側に帰宅したばかりの一晟の母親の姿も見えた。
「二人とも。ひと段落したなら、ドーナツ買って来たからこっちで食べない?」
駅前の人気店の箱を掲げてにこりと笑っている。
そして、あたふたと挙動不審になる恵介と一晟を見てぎゅっと眉を寄せた。
「どうしたの、あんたたち。……二人とも顔赤いわよ? ちゃんとエアコンつけてる? 家の中でも熱中症になるってよくニュースでもやってるんだからね!?」
「つけてる、つけてる!」
一晟がエアコンのリモコンを素早くとり、ピピっと設定温度を下げてみせた。
剣道の試合でも滅多に見せない動揺っぷりだった。