花火の思い出で一番記憶に残っているのは、入院中に見た花火だ。
 小学生の頃。そのときは夏休みを利用してカテーテル治療のために入院していたから、特に症状もなく、翌日には退院が決まっていた。
 僕が小さい頃からお世話になっている病院の子供病棟には、プレイルームといって、患児が積み木で遊んだり絵本を読んだりできるようなスペースがあった。
 普段は、夕食後は病室で過ごす決まりだが、近くで花火大会があるということで、その日だけは師長さんが許可してくれて、病室から出られる子たちはプレイルームに集まってきて、一緒に花火を見た。
 白血病で無菌室病室(クリーンルーム)に入っているような子たちは、病室からは出られない。病室から出られるくらいだからそれほど重症じゃない子が多かったけど、骨折の手術後で松葉杖をついている子や、車椅子の子もいた。
 車椅子の子は僕と同じ病室だった。生まれつき肝臓の病気がある子で、それまでにも入院や外来でよく顔を合わせていて、親同士も仲が良かった。
 彼は半年前から長期入院していた。退院後に母親から聞いた話によると、病気が進行し、肝臓の移植が必要になっていたそうだ。
 両親が離婚していてシングルマザーで、母親も肝臓に病気があることから母親からの生体肝移植が難しく、脳死の肝移植を待っているということだった。皮膚は土気色で、白(まなこ)は黄色く濁っていて、見るからに具合が悪そうだったけど、花火の鮮やかな光を映すその目は、皆と同じように輝いていた。
 抱えている病気も怪我も社会的事情も人それぞれで、辛さも痛みも苦しみも不安も、誰かに完全に理解してもらうことは難しい。でも、花火が綺麗だと思う気持ちは、誰でも同じ熱量で持つことができる。そして、感動を分かち合うことができる。
 神様は不公平だと、物心ついた頃からずっと恨みがましく思ってきたから。美しいと思う心は平等なのだと、そのことに気づいて、救われた気持ちになった。子供ながらに、そういうものを生み出せる人達は、すごい人達だと思った。
 その子が脳死肝移植を受けられずにその年に亡くなっていたことを母親から聞いたのは、中学生になってからだ。母自身もショックが大きくて、すぐには話せなかったらしい。
 人混みが嫌いでも毎年花火だけは観に行くのは、あのとき一緒に花火を見た子達も、天国に行ったあの子も、きっと今頃どこかであの花火を見て、綺麗だねと感動していると思いたいからだった。

 間を持たせるために、そんな子供の頃の話をしてしまった。
 桐生君が何も言わず黙り込んでしまったので、微妙な空気になる。
「スポーツも、僕にとっては、花火と同じようなものだ」
 付け加えると、僕の方を向いていた視線が、ふいっと逸らされる。
 皮肉っぽく取られてしまったかな。最後のひとことは言わなければよかったと後悔した。
 練習の苦しみも、スポーツの楽しさも、僕は自分自身では味わうことができないけど。プレーに感動することは僕にもできる。感動を誰かと分かち合うこともできる。その感動を生み出すことができる選手たちはすごい人達なのだと、言いたかっただけなんだけど……。
 桐生君のほうから喋る気配はないから、僕は話題を変えた。
「それはそうと、君、もしかして次は咲月のことを狙っているのか?」
 咲月のせいで何故か花火の話になってしまったけど、本来ならこっちが本題だった。 
 へ――?という間の抜けた顔で、桐生君が僕を見る。
「あいつは、軽そうに見えるけど、あれで結構純粋なやつなんだ。遊びで付き合うのは絶対に許さないからな!」
 呆気に取られていた顔が、ぷっ、と吹き出す。
「お前の中の俺って、どんだけクズ男なん?」
 桐生君が尻を横にずらし、膝が触れ合うほど近くに来る。
「俺はしばらくそういうのはいいと思ってるから、お兄ちゃんが心配するようなことは何も起こらねーよ。それに……」
 コソコソ話の(てい)で彼が顔を近づけて来た。
「実は今日一緒に行く奴の中に妹のこと気に入ってる奴がいて、協力を頼まれてる」
「その人はいい人なのか?」
 僕もつられて小声になった。
「俺なんかと違って、すげーいい奴」
「君にいい人って言われても、いい人の基準が信用できないんだが」
「お前、さっきから、俺への扱い酷すぎねーか」
 首に腕を回され、軽く絞めるような仕草をされた。
「ばか、こら。やめろ!」
「おにぃ達、いつからそんなに仲良くなったの?」
 声のしたほうに顔を向けると、準備ができたようで、咲月が立っていた。
「別に仲良くはない。この男の距離感がおかしいんだ」
 頑丈な体を全力で押しのけ、椅子から立ち上がる。
「お待たせしてごめんね。行こっか」
 咲月が桐生君の腕を取って椅子から立ち上がらせる。並んだ二人は、どう見てもお似合いのカップルだった。見送るために、玄関へと向かう二人の後をついていく。
 歩きながら、桐生君が顔を振り向かせた。
「橘平。連休中に俺に勉強教えてよ」
「何で僕が君に勉強を教えないといけないんだ?」
「桐生君、おにぃに勉強教わるの?だったら私も一緒に勉強する!」
 咲月に言われると弱かった。これまで両親や僕がどれだけ勉強しろと言っても、妹がやる気を見せたことはない。
「本当に勉強するのか?」
「するする!桐生君が一緒だったら、めっちゃ頑張る!」
 桐生君がいなくても頑張れよ。
「真面目に勉強するんだったら、教えてやってもいいけど……」
「本当?ヤッター!」
 二人はハイタッチを交わした。
 彼らがいなくなり、ようやく、僕の穏やかな日常が戻ってくる。
 休日に遊びに行くような友達がいないことは、これまで僕の普通だったけど。二人のことを、少しだけ羨ましいと思った。