僕たちの通う高校は一年を前期、後期の二期に分けたカリキュラムで授業が行われる。前期と後期の間には秋休みというものがあり、9月の連休と合わせて、今年は9連休の予定になっていた。
 その連休中の平日二日目に、咲月はクラスの仲良しグループで千葉にあるテーマパークに行くことにしていた。仮病を使って僕に追試を受けさせたのも、それが理由だ。
「おにぃも来たかったら一緒に来ていいのよ」
 洗面所の鏡を占領している咲月が、機嫌がよいときと頼みごとをするときにだけ使う「おにぃ」呼びで、洗濯物を出しに来た僕に声をかける。
「わざわざ金と時間をかけて人と鼠の人形を見に行く奴らの気が知れない」
 心底馬鹿にした口調で返したが、鼻歌を歌いそうなご機嫌顔が変わることはなかった。
 丸く大きな目は愛らしく、小鼻も整っていて口の形はアヒルっぽいので、我が妹ながら咲月も十分に可愛い部類に入るのではないかと思う。しかし、それを認めると、自分の顔も可愛いと言っているようものなので、面と向かって褒めたことはない。
 朝食を摂るためにリビングに行こうとしたところ。玄関でチャイムの音がした。
「ヤバッ。桐生君だ!すぐ仕上げるから、おにぃ、相手してて!」
 僕は慌てて廊下を引き返し、洗面所を覗く。
「桐生君も一緒なのか?」
 桐生君と咲月は同じクラスなので、可能性はあるけど。なんとなく、彼はそういうグループ交際はしなさそうに思っていた。
「最初は断られたけど、昨日、やっぱり行くことにしたって連絡がきたの」
 入念なメイクの理由は、もしかしたらそれだったのか。
「お前、桐生君のこと好きなのか?」
「桐生君のこと嫌いな女子なんていないでしょ」
 さも当然のことのように言われる。
「でも、他校に彼女がいるらしいから、今は無理っぽい」
 勝手に暴露するのはよくないので、彼女と別れた話は胸の内に留めた。
 彼女と別れて早々、断っていた遊園地に行くことにし、家まで迎えに来たという。なんとなく嫌な予感がする。
「ちょっと、おにぃ。桐生君を待たせないでよ!」
 待たせてるのはお前だろ!
 言ってやりたかったが、彼に対しても一言物申したいことができたので、ひとまず玄関に向かった。
 三和土にあったサンダルに足を通し、ドアを開ける。
 玄関先にいた男は僕を視界に入れると、切れ長の眼を少しだけ丸くし、破願した。 
 屈託のないその笑顔が意外過ぎて、言おうと思っていた文句をぐっと飲み込んでしまう。
「ごめん。咲月は今メイクしてて、もう少しかかりそうだから、上がって待ってもらってもいいかな?」
「俺が約束よりも早く来すぎたんだ。待つのはここでいいよ」 
 そう言われても、玄関で待たせるのは申し訳ない。とりあえず家に上がってもらって、リビングに通した。両親は仕事に行っていて、家にいるのは僕と咲月だけだ。
 桐生君がソファに腰を下ろす。
 桐生君の服装は、ジーンズにVネックの白シャツに薄手の七分丈パーカー。どこにでもいそうな服装なのに、顔とスタイルがいいからか、まるでファッション雑誌から抜け出してきたようなかっこよさがある。
「何か飲む?お茶か珈琲しかないけど」
「いや、いい。それより、橘平は一緒に行かないのか?」
 まさか彼から下の名前を呼ばれるとは思ってもいなくて。心臓がドクンと大きく跳ねた。咲月も僕も同じ苗字だからそう呼ぶしかないのだと、遅れて気が付く。
「行くわけないだろう?」
 動揺を悟られぬよう、呆れた口調で返す。
「咲月のクラスの人なんて全員知らない人だし。それにそもそも、人の多いところは苦手だ」
「でも、おにぃ、毎年、花火は行くじゃん!」
 ドアを開けっぱなしにしていた所為で話し声が聞こえていたらしく、咲月が口を挟んで来る。
「花火、好きなのか?」
 あいつ、余計なことを……。
 リビングの入り口を軽く睨み、ソファの隅に腰を下ろした。
 「好きだよ」のひとことで終わらせることもできた。そうしなかったのは、聞いてほしい思いがあったのかもしれない。
 もう一度、入り口を一瞥し、咲月に聞こえないよう声のトーンを落とす。
「綺麗だと思う気持ちは、平等だから。平等だし……、誰かと分かち合えるものだから……」