最寄りの駅でバスを降りる。普段ならここから八王子方面行の電車に乗るのだが、改札を通った彼が向かったのは、それとは逆の東京方面に向かう乗り場だった。
電車に乗り、三つ先の駅で降りると、桐生君は改札を出て3分ほど歩いたところにあるファミレスへと入っていった。レジにいた店員に「待ち合わせしているので」と告げて店内を見渡し、すぐにまた歩き出す。
女装した僕も、わけがわからないままに彼の後をついていく。女性一人が座っている4人掛けテーブルの前で、彼は足を止めた。
僕たちを見上げる彼女の眼差しは、『睨みつける』とも言える剣呑さを孕んでいた。この逢瀬が、二人にとってあまり楽しいものではなさそうなことは、その表情から察せられる。
ストレートの黒髪を胸のあたりまで伸ばしていて、大人びた雰囲気の美人。睨まれているせいか、アーモンド形の目元が少しキツい印象はある。見慣れない制服で、女子の制服に興味のない僕にはどこの高校のものかはわからなかった。
桐生君はテーブルを挟んだ彼女の前のソファに腰を下ろした。ポンポンと座面を叩かれて、僕も恐る恐る彼の隣に座る。
メニューを渡され、何も注文しないわけにいかないから、水を運んできた店員にメニューの中のオレンジジュースを指差し、注文を伝える。桐生君は珈琲だった。
「私、納得できないんだけど」
店員がいなくなったところで会話の口火を切ったのは彼女だった。眼差しと同じく、背筋が寒くなるような冷ややかな声だ。
「私がその女より劣っているとは思えない。頭も悪そうだし、顔もどうせメイクで盛ってるだけでしょ」
いきなり浴びせられた悪口に、僕は唖然として彼女を見た。
咲月やその友達に対して、常日頃、僕も似たようなことを思ってはいるけれども。本人たちにそれを言いたいと思ったことは一度もない。というか、咲月は頭は悪いが、すっぴんでも顔はそれほど悪くないぞ。
「そうか?スタイルはこいつのほうがいいぞ」
馴れ馴れしく首に腕を回され、僕はバッと彼の方に顔を向ける。
こいつ、いきなり何を言っているんだ!?
「最っ低!結局、あんたにとって女はそれだけの存在なの?ヤレるなら誰だっていいんでしょ!?」
今度はギョッと目を剥き、彼女の方へ。
まるで暴風の中の風見鶏よろしく、彼と彼女の間で、顔の向きをキョロキョロとせわしなく動かす。
「俺は、『誰でもいい』じゃなくて、『他に好きな女ができた』つっただろ。どうしてもお前が納得できないっつーから連れてきたけど。結局、会っても納得できないんだったら意味ねーじゃん」
そこでようやく、僕は女装のままここに連れて来られた理由を理解した。
彼女との別れ話のためだろう。テストの替え玉の次は、桐生君の彼女の替え玉をさせられているわけだ。
座った状態で見る分には、特に彼女のスタイルが悪そうにも見えない。気が強そうだけど、美人で頭も良さそうなのに、いったい彼女の何が不満で別れようとしているのだろう。
そのタイミングで珈琲とオレンジジュースが運ばれてきて、ジュースを飲むためにマスクを取る。
「納得できないんだったら……」
桐生君が呟く声が聞こえた。
首に回されていた腕に、顎を掴まれたと思ったら。無理やり彼のほうに顔を向かせられる。
いきなり何!?と思ったときには、焦点の定まらない距離に彼の顔が近付いてきていた。視界が暗くなると同時に、唇にやわらかいものが触れる。
触れて。押し付けられて。引っ張られて。最後はあわいを濡れたものでなぞられる感触がし、桐生君の顔は離れて行った。
何が起こったのかを理解したのは、こちらに顔を向けたままの彼が、自身の唇を舐めまわすように、舌をゆっくりと一周させたときだ。先程の自分は、いわゆる『キス』をされていたのだと、遅れて気が付いた。
一気に顔が赤くなり、唇がわなわなと震える。
いきなり何をするんだ!?と叫びたかった。それができなかったのは場所をわきまえたからではない。驚きすぎて、声を出せなかったのだ。
彼はそんな僕に、申し訳なさそうな顔をするでもなく、ふっ、と微笑を浮かべて見せた。
「こういう、いちいち反応が初々しいところも気に入ってる」
彼が前を向き、僕の視線の先は彼の横顔になる。
「で。あと何をすれば、納得してもらえるんだ?お前が見ている前でヤれって言うんなら、別にヤッてもい……」
その瞬間――、ビシャッと音がして、彼の顔に水がかかった。
コップの水を浴びせた彼女は、無言で席を立ち、自分の分の伝票を掴んで去っていく。
珈琲ではなく水にしてくれたことに感謝すべきだと思った。
電車に乗り、三つ先の駅で降りると、桐生君は改札を出て3分ほど歩いたところにあるファミレスへと入っていった。レジにいた店員に「待ち合わせしているので」と告げて店内を見渡し、すぐにまた歩き出す。
女装した僕も、わけがわからないままに彼の後をついていく。女性一人が座っている4人掛けテーブルの前で、彼は足を止めた。
僕たちを見上げる彼女の眼差しは、『睨みつける』とも言える剣呑さを孕んでいた。この逢瀬が、二人にとってあまり楽しいものではなさそうなことは、その表情から察せられる。
ストレートの黒髪を胸のあたりまで伸ばしていて、大人びた雰囲気の美人。睨まれているせいか、アーモンド形の目元が少しキツい印象はある。見慣れない制服で、女子の制服に興味のない僕にはどこの高校のものかはわからなかった。
桐生君はテーブルを挟んだ彼女の前のソファに腰を下ろした。ポンポンと座面を叩かれて、僕も恐る恐る彼の隣に座る。
メニューを渡され、何も注文しないわけにいかないから、水を運んできた店員にメニューの中のオレンジジュースを指差し、注文を伝える。桐生君は珈琲だった。
「私、納得できないんだけど」
店員がいなくなったところで会話の口火を切ったのは彼女だった。眼差しと同じく、背筋が寒くなるような冷ややかな声だ。
「私がその女より劣っているとは思えない。頭も悪そうだし、顔もどうせメイクで盛ってるだけでしょ」
いきなり浴びせられた悪口に、僕は唖然として彼女を見た。
咲月やその友達に対して、常日頃、僕も似たようなことを思ってはいるけれども。本人たちにそれを言いたいと思ったことは一度もない。というか、咲月は頭は悪いが、すっぴんでも顔はそれほど悪くないぞ。
「そうか?スタイルはこいつのほうがいいぞ」
馴れ馴れしく首に腕を回され、僕はバッと彼の方に顔を向ける。
こいつ、いきなり何を言っているんだ!?
「最っ低!結局、あんたにとって女はそれだけの存在なの?ヤレるなら誰だっていいんでしょ!?」
今度はギョッと目を剥き、彼女の方へ。
まるで暴風の中の風見鶏よろしく、彼と彼女の間で、顔の向きをキョロキョロとせわしなく動かす。
「俺は、『誰でもいい』じゃなくて、『他に好きな女ができた』つっただろ。どうしてもお前が納得できないっつーから連れてきたけど。結局、会っても納得できないんだったら意味ねーじゃん」
そこでようやく、僕は女装のままここに連れて来られた理由を理解した。
彼女との別れ話のためだろう。テストの替え玉の次は、桐生君の彼女の替え玉をさせられているわけだ。
座った状態で見る分には、特に彼女のスタイルが悪そうにも見えない。気が強そうだけど、美人で頭も良さそうなのに、いったい彼女の何が不満で別れようとしているのだろう。
そのタイミングで珈琲とオレンジジュースが運ばれてきて、ジュースを飲むためにマスクを取る。
「納得できないんだったら……」
桐生君が呟く声が聞こえた。
首に回されていた腕に、顎を掴まれたと思ったら。無理やり彼のほうに顔を向かせられる。
いきなり何!?と思ったときには、焦点の定まらない距離に彼の顔が近付いてきていた。視界が暗くなると同時に、唇にやわらかいものが触れる。
触れて。押し付けられて。引っ張られて。最後はあわいを濡れたものでなぞられる感触がし、桐生君の顔は離れて行った。
何が起こったのかを理解したのは、こちらに顔を向けたままの彼が、自身の唇を舐めまわすように、舌をゆっくりと一周させたときだ。先程の自分は、いわゆる『キス』をされていたのだと、遅れて気が付いた。
一気に顔が赤くなり、唇がわなわなと震える。
いきなり何をするんだ!?と叫びたかった。それができなかったのは場所をわきまえたからではない。驚きすぎて、声を出せなかったのだ。
彼はそんな僕に、申し訳なさそうな顔をするでもなく、ふっ、と微笑を浮かべて見せた。
「こういう、いちいち反応が初々しいところも気に入ってる」
彼が前を向き、僕の視線の先は彼の横顔になる。
「で。あと何をすれば、納得してもらえるんだ?お前が見ている前でヤれって言うんなら、別にヤッてもい……」
その瞬間――、ビシャッと音がして、彼の顔に水がかかった。
コップの水を浴びせた彼女は、無言で席を立ち、自分の分の伝票を掴んで去っていく。
珈琲ではなく水にしてくれたことに感謝すべきだと思った。