暴行の件を、桐生君は警察沙汰にはしなかった。
ただ、神社での彼女や男たちとの会話はこっそり録音してあって、怪我の写真も撮ってある。これ以上何かしてくるようなら、それを証拠に警察に被害届を出すと最後通告を突きつけたところ、その後は彼女からの連絡はないらしい。
桐生君は僕が倒れたことがよほど心配だったのか、大丈夫と断っても登下校は必ずうちまで送り迎えしてくれるようになった。土日も、「勉強を教えて欲しい」と言われたり、僕も犬に会いに桐生君の家に行ったりするから、ほぼ毎日彼と顔を合わせている。咲月は家にいれば一緒に勉強することもあるし、友達との遊びを優先することも多かった。
そんな日々が三週間ほど続いた頃。僕は日曜日に桐生君を誘って、とある場所に出かけた。人に会うためなのだが、人づてに連絡先を聞いて連絡したところ、そこに来るよう言われたのだ。
最寄り駅から電車で三駅離れた駅で降り、改札を出て歩いて3分ほどの場所に目的地はあった。駅から見えていた緑色のフェンスを目指して歩いていると、次第に賑やかな声が聞こえてくる。手前のビルを過ぎたところで、プレーする人たちの姿も見えてきた。
指定されたのは私営のフットサル場だった。目当ての人物は今日そこでフットサルをしているらしい。
隣を歩く長身をチラと盗み見る。口数が少ないのはいつものことだが、いつもより緊張した面持ちをしている。
フェンスの前で足を止め、しばらく見学していると。ハーフパンツとカラフルなTシャツ姿の人がこちらに近づいて来るのが見えた。電話でしか話したことがないが、朴訥とした顔は、なんとなく見覚えがある。
「桂……」
桐生君が呟く。
桂柊斗。元々は僕たちと同じ中学で、サッカー部内のいじめが原因で転校していった人物だった。人づてに彼の連絡先を知ることができ、双方の希望を確認して、今日こうして再会する運びになった。
「久しぶりだな」
こちらに近づいてくるとき、桐生君と同じように少し緊張しているふうだった彼は、立ち止まると快活な笑みを浮かべてみせた。
施設の中に入り、僕たちは隅の方の人工芝の上に腰を下ろした。テレビで見るサッカーの試合と違って、プレーしている人達は皆、笑顔で和気藹々としている。
僕は離れていたほうがいいかと思ったけど、二人がいてほしいというので、置き物のようにちょこんと体育座りして成り行きを見守ることにした。
「サッカー、今もやってないんだな」
話を切り出したのは桂君だった。
「楽しいことは他にたくさんあるから」
一拍の間をおき、桐生君が返す。
空々しく聞こえてしまうのは、表情と声にギャップがあるからだろう。コート内のボールを追いかけるその眼差しは、寂しさの滲む目をしている。
桂君が人工芝の上に正座をし、身を正した。
「俺、桐生にずっと謝りたかったけど、勇気を出せなかったんだ。あのときは……、お前のせいで部がめちゃくちゃになったとか、酷いことを言ってごめん」
深々と頭を下げた彼を見て、桐生君が顔色を変える。
「いや。酷いこととかじゃなくて、事実だから。俺が余計なことした所為で、先輩達のいじめが酷くなったし、お前が転校する羽目になった。もっと他にやりようがあったはずなんだ」
頭を上げた桂君は、「違う。お前の所為じゃない」と、力強く断言した。
「俺は、認めたくなかったんだと思う。自分がいじめられていることを……。サッカーではお前に勝てないだろ?だから、先輩達に可愛がられる愛されキャラってところで、優越感を満たしていたんだ。先輩のいじめがエスカレートしたときも、俺が嫌われたんじゃなくて、お前への腹いせが俺に来てるんだって思いこみたかった……。それで、全部お前の所為にした」
桂君が視線を揺らし、その目をコートへ向けた。細められた目は、懐かしむようでもあり、痛みを堪えているようにも見える。
「たまたま……、バイト先が、あのときいじめていた先輩の一人と一緒になったんだ。先輩、家が金銭的に余裕がなくて、部活は中学までで高校行ったらバイトして家に金入れろって言われてて、むしゃくしゃして、自分より弱い人間を不満のはけ口にしてしまったって言ってた。あのときのことを何度も謝ってくれた。今は、バイト代が入ったら、いつも飯を奢ってくれるんだ……」
遠い眼差しが、再び桐生君へと向けられる。
「俺、先輩にされたことも、あの頃の先輩のことも、今も恨んでいるし一生許せないと思う。でも……、先輩があの頃のことを後悔していて、心から悪いと思っていることが伝わったから……、昔のことを理由に今の先輩のことまで嫌いになりたくはないなと思ったんだ……」
桐生君にも、嫌な思い出を理由に、サッカーを嫌いになってほしくない。
そこまでは言わなかったけど。彼が一番伝えたかったのはそんな思いではないかと思った。
フットサル用のシューズやウェアはレンタルで借りることもできるらしい。
ゲームに入って行かないかと誘われたけど、桐生君は「練習不足で怪我しそうだから」と断って、僕たちはフットサル場を後にした。怪我をするかもしれないとわかっていて元カノの呼び出しに応じていたことを思い出して、僕は「怪我しそうだから」という理由が、単なる断る口実じゃなければいいなと思った。
ただ、神社での彼女や男たちとの会話はこっそり録音してあって、怪我の写真も撮ってある。これ以上何かしてくるようなら、それを証拠に警察に被害届を出すと最後通告を突きつけたところ、その後は彼女からの連絡はないらしい。
桐生君は僕が倒れたことがよほど心配だったのか、大丈夫と断っても登下校は必ずうちまで送り迎えしてくれるようになった。土日も、「勉強を教えて欲しい」と言われたり、僕も犬に会いに桐生君の家に行ったりするから、ほぼ毎日彼と顔を合わせている。咲月は家にいれば一緒に勉強することもあるし、友達との遊びを優先することも多かった。
そんな日々が三週間ほど続いた頃。僕は日曜日に桐生君を誘って、とある場所に出かけた。人に会うためなのだが、人づてに連絡先を聞いて連絡したところ、そこに来るよう言われたのだ。
最寄り駅から電車で三駅離れた駅で降り、改札を出て歩いて3分ほどの場所に目的地はあった。駅から見えていた緑色のフェンスを目指して歩いていると、次第に賑やかな声が聞こえてくる。手前のビルを過ぎたところで、プレーする人たちの姿も見えてきた。
指定されたのは私営のフットサル場だった。目当ての人物は今日そこでフットサルをしているらしい。
隣を歩く長身をチラと盗み見る。口数が少ないのはいつものことだが、いつもより緊張した面持ちをしている。
フェンスの前で足を止め、しばらく見学していると。ハーフパンツとカラフルなTシャツ姿の人がこちらに近づいて来るのが見えた。電話でしか話したことがないが、朴訥とした顔は、なんとなく見覚えがある。
「桂……」
桐生君が呟く。
桂柊斗。元々は僕たちと同じ中学で、サッカー部内のいじめが原因で転校していった人物だった。人づてに彼の連絡先を知ることができ、双方の希望を確認して、今日こうして再会する運びになった。
「久しぶりだな」
こちらに近づいてくるとき、桐生君と同じように少し緊張しているふうだった彼は、立ち止まると快活な笑みを浮かべてみせた。
施設の中に入り、僕たちは隅の方の人工芝の上に腰を下ろした。テレビで見るサッカーの試合と違って、プレーしている人達は皆、笑顔で和気藹々としている。
僕は離れていたほうがいいかと思ったけど、二人がいてほしいというので、置き物のようにちょこんと体育座りして成り行きを見守ることにした。
「サッカー、今もやってないんだな」
話を切り出したのは桂君だった。
「楽しいことは他にたくさんあるから」
一拍の間をおき、桐生君が返す。
空々しく聞こえてしまうのは、表情と声にギャップがあるからだろう。コート内のボールを追いかけるその眼差しは、寂しさの滲む目をしている。
桂君が人工芝の上に正座をし、身を正した。
「俺、桐生にずっと謝りたかったけど、勇気を出せなかったんだ。あのときは……、お前のせいで部がめちゃくちゃになったとか、酷いことを言ってごめん」
深々と頭を下げた彼を見て、桐生君が顔色を変える。
「いや。酷いこととかじゃなくて、事実だから。俺が余計なことした所為で、先輩達のいじめが酷くなったし、お前が転校する羽目になった。もっと他にやりようがあったはずなんだ」
頭を上げた桂君は、「違う。お前の所為じゃない」と、力強く断言した。
「俺は、認めたくなかったんだと思う。自分がいじめられていることを……。サッカーではお前に勝てないだろ?だから、先輩達に可愛がられる愛されキャラってところで、優越感を満たしていたんだ。先輩のいじめがエスカレートしたときも、俺が嫌われたんじゃなくて、お前への腹いせが俺に来てるんだって思いこみたかった……。それで、全部お前の所為にした」
桂君が視線を揺らし、その目をコートへ向けた。細められた目は、懐かしむようでもあり、痛みを堪えているようにも見える。
「たまたま……、バイト先が、あのときいじめていた先輩の一人と一緒になったんだ。先輩、家が金銭的に余裕がなくて、部活は中学までで高校行ったらバイトして家に金入れろって言われてて、むしゃくしゃして、自分より弱い人間を不満のはけ口にしてしまったって言ってた。あのときのことを何度も謝ってくれた。今は、バイト代が入ったら、いつも飯を奢ってくれるんだ……」
遠い眼差しが、再び桐生君へと向けられる。
「俺、先輩にされたことも、あの頃の先輩のことも、今も恨んでいるし一生許せないと思う。でも……、先輩があの頃のことを後悔していて、心から悪いと思っていることが伝わったから……、昔のことを理由に今の先輩のことまで嫌いになりたくはないなと思ったんだ……」
桐生君にも、嫌な思い出を理由に、サッカーを嫌いになってほしくない。
そこまでは言わなかったけど。彼が一番伝えたかったのはそんな思いではないかと思った。
フットサル用のシューズやウェアはレンタルで借りることもできるらしい。
ゲームに入って行かないかと誘われたけど、桐生君は「練習不足で怪我しそうだから」と断って、僕たちはフットサル場を後にした。怪我をするかもしれないとわかっていて元カノの呼び出しに応じていたことを思い出して、僕は「怪我しそうだから」という理由が、単なる断る口実じゃなければいいなと思った。