平日五日間の秋休みの間、勉強会は水曜と木曜の二日間に渡って開催された。木曜日は熊さんは部活、文学女子の久世さんは小説を書くとかで不参加で、桐生君と夏目さんだけが参加。金曜日は咲月が夏目さんと横浜に遊びに行くので、ようやく自分の勉強をできると思っていたら、桐生君からメールが来て、彼の家に行くことになった。
 桐生君の家では柴犬を飼っているらしい。その話を聞いたときに僕が興味を示したからか、「犬を見に来いよ」と誘われたのだ。
 「参考書を持ってきて、うちで勉強すればいい」と言われていたため、庭でひとしきり犬と遊んだあとは桐生君ちのリビングに参考書を広げ、勉強していた。その間、桐生君は音を消して、録画していたらしい海外のサッカーの試合を見ていた。
 本当は、またサッカーをしたいんじゃないか。
 ソファに足を伸ばし、ぼんやりとした視線をテレビに向ける彼の顔を盗み見、そんなことを思っていた。 
 そして土日を挟んだ週明けの月曜日にも、桐生君は何故か、朝からうちに来た。一緒に学校に行くために、寄り道したらしい。
 これには、いつもは時間ぎりぎりに家を出る咲月が、朝食抜きで慌ててメイクしていた。
 それだけでなく。咲月を待っている間、「帰りも一緒に帰ろう」と誘われたのだ。
 中学の頃も含めて、誰かに誘われて一緒に帰ることなんて初めてで、一日中そわそわした気分で過ごした。
 だからだろう。帰る間際になって、「ごめん。一緒に帰れなくなった」とメールが来たとき。僕は必要以上にがっかりした。
 どうせ、他に誰か一緒に帰る人ができたのだろう。もしかしたら、好みのタイプの女子に告白されて、付き合うことにしたのかもしれない。「そういうのはいい」と言っていた舌の根も乾かぬうちに。
 HR(ホームルーム)が終わったあと急ぎ昇降口に行き、校舎の陰の、桐生君のクラスの昇降口が見えるところに隠れたのは、彼を疑っているからか信じたいからか、どっちなのかは僕にもわからなかった。

 果たして、昇降口からわらわらと生徒達が出てきたとき。桐生君は一人だった。でも、他の生徒に見られないように、校舎の外で待ち合わせしている可能性もある。僕は正門に向かって歩く彼の後を、こっそりつけることにした。彼は正門前のバス停には足を止めず、公道へ続く道を進んでいく。
 最寄りの駅までは、歩くと1時間くらいかかる。もしかして、誰かが車で迎えに来る予定でもあるのだろうか……。車に乗られたら、尾行を断念するしかない。
 そう気弱になりかけたとき。公道に出る手前の学校の敷地内の私道に、他校の制服を着た女子が立っているのが見えた。
 ストレートの黒髪とその制服には、見覚えがあった。あれは……。桐生君の元カノ!?
 隠れる場所がないから、景色を見ているふりで彼女から見えないように顔を逸らす。だが、よく考えたら、ファミレスで彼女と会ったとき、僕は女装していたから、僕の顔を見られたとして、あのときの女子だと気づかれようもなかった。
 彼女とヨリを戻したということだろうか……。
 だとしたら、僕に口を挟む資格はない。でも、あの修羅場を見ているから、どうしても二人が元サヤに戻るとも思えなかった。あの時はファミレスで待っていた彼女がこんな辺鄙な場所まで出向いてきたことも不可解に思い、僕は二人の後をついて行った。

 僕たちの通う高校は、都市部からは離れた山の中にある。その分、広大な敷地の中に、運動部の専用グラウンドだけでなく、校舎やら、寮や部室やら、たくさんの建物も有している。ただ、山の中なので、周囲は畑や林に囲まれていて、民家も少ない。
 二人は公道に出る手前で脇道に逸れ、畑の間のあぜ道を進んでいく。その先には神主のいない無人の神社がある。おそらくそこに向かっているのだろう。
 きっとヨリを戻した二人が、神社でデートするだけの話だ。これ以上尾行するのは野暮天というものだ。いいかげん引き返そう。そう思って足を止めたが。すぐには動けなかった。
 人気のないところでデートするにしても。こんな学校近くの山の中の神社を選ぶか!?と思って、どうにも違和感を拭えない。違和感が増したのは、公道のほうから歩いて来る人影が視界を掠めたときだ。
 3人の私服姿の男たちが並んで歩いて来るのだが、三人とも一様にガラが悪かった。一人が金髪の長髪で一人は茶髪。もう一人はパーカーのフードを被っていて髪型はわからない。明らかに学校に用がありそうな人達ではなく、目がギラついているのが遠目にもわかる。
 ざわざわと胸が騒ぎだす。
 道に突っ立っていたら、それだけで難癖をつけられて金を巻き上げられそうなので、回れ右をし、忘れ物でもしたように正門の方へ引き返すふりをする。
「マジで1人で来たみたいだな。楽勝じゃね?」
「何で6人も呼んだんだよ。3人でやったほうが取り分多くなるのに」
「結構つえーらしーから、3人だとやられるかもってあの女が言ってたぞ」
 そんな声が、風に乗って聞こえてきた。
 足音が追ってこないことを確認し、そっと振り返ると、彼らも桐生君たちと同様に、畑の中のあぜ道へと入って行くのが見える。6人ということは、残りの3人は神社で待ち伏せしているということか。
 マズい。マズい。マズい。これ、絶対マズいよな――!?
 僕が神社に行ったところで何の加勢にもならないと咄嗟に判断すると、僕は正門めがけて走り出した。
 山の中の学校だから、110番通報したとしてもすぐに警察が来てくれるとは思えない。だとしたら、頼りにできるのは学校の先生くらいだ。
 人生で走ったことなんて数える程しかないから、懸命に手と足を動かすけど、他の人達の速歩きくらいの速さにしかならない。すぐに息が上がり、苦しくなったけど、必死に手と足を動かし前へと進む。口の中には血の味がし始めた。
 バスが出た後で、バス停に人はいなかった。
 何人か下校中の生徒とすれ違い、奇異な目で見られたけど、闇雲に声をかけても助けてもらえるとは思えない。 
 正門に辿り着いたときには、ヒューヒューと気管支炎を起こしたときのような呼吸になっていた。
 気持ち悪い。苦しい。苦しい……。
 足が鉛みたいに重く、膝が上がらない。ともすれば、足がもつれ倒れそうになる。
 階段を上がって職員室に駆け込むのは無理そうで、僕はふらふらの足取りで、人の声のするグラウンドへと向かった。
「橘平君!」
 聞き覚えのある声がする。誰の声かは思い出せない。
 ぐるぐると視界が回り始めていて、もうこれ以上は立っているのも難しかった。何度か似たような経験をしているから、自分の限界はわかる。
 倒れる前に膝をつき、体を地面に横たえる。急に視界が暗くなったのは、目を瞑ったからか、ブラックアウトか――。
 肺の中の空気を絞り出し、どうにか声を発した。
「じんじゃで……。きりゅ……。けんか…………。ろく、にん……」
 神社で桐生君が喧嘩してるかも。相手は6人もいるから早く行ってあげて。と言ったつもりだった。 
 言えたかどうかを理解することもできず、僕の意識は暗闇の中へ沈んで行った。