リビングに下りてきてそれに気づいた沙也葉は、口元を覆って震えた。

「ヒノち、ええええ、エプロンっ……!?」

 今夜のヒノちは、エプロンをつけている。

「お料理当番用に、作ってみました」
「作ったの? 瞳子、天才……!」

 白いフリルつきのエプロン。
 ヒノちに妙に似合っている。

「これ、リュぴが当番のときはリュぴが着けるの?」
「もちろん」

 想像しただけで似合わないが、それもまた良きだ。

 ダイニングテーブルに設置されたカセットコンロの上では、土鍋が白い液体を湛えて湯気を立ち上らせていた。

「豆乳鍋だ! 表面にできた湯葉を(すく)って食べるの、好きなんだよね」

 用意された具材は、豚の薄切り背ロース肉、水菜、長ネギ、えのき、しめじ、豆腐、ピーラーで薄く剥いた人参と大根。

「ヒノち、わかってる~! 豆乳鍋は煮込みすぎないでしゃぶしゃぶするのが好きなんだ。薄切りの根菜、いいよね」
「沙也葉、こっちも見て」

 瞳子が示した先で、ワインボトルの横にリュぴが立っている。

「え。もしかしてその白ワイン、リュぴが用意してくれたの?」
「うん。鍋にも合うんだって」
「もう、この子は! すぐおいしいもの貢いで散財しちゃうんだから!」

 沙也葉はリュぴを両手に納め、親指でお腹をぐりぐりと撫で回した。

「あ、湯葉浮いてきたよ」
「わー、食べよう!」

 二人は慌てて食卓についた。

 とろりと固まった湯葉を器に取り、刻み柚子とポン酢をかける。

「ふぁ……」

 口に運んでとろけるような表情になった沙也葉の前に、瞳子は冷えたグラスに注いだ白ワインを置いた。

「ん、んんーっ」

 感嘆の呻き声を上げた沙也葉は目を潤ませ、眉をハの字に開きながら白ワインを喉に流し込んだ。
 まろやかな豆乳の甘みと出汁の味わい、とろける湯葉の弾力、そこに華やかでキリッと冷えた白ワインが融合する。

「これがパライソか……」

 沙也葉はうっとりと放心した。

「やっぱりヒノちの出汁の利かせ方最高に好き……」
「リュぴのチョイスも、センス良くない?」
「うん。ここは日本酒かと思ったけど、白ワイン、いいね」
「そして~、湯葉が落ち着いたところで、お野菜をわさっと」
「きゃー」

 白い海にダイブした野菜を泳がせ、その上に薄切り肉をのばして横たえる。

「ポン酢と柚子胡椒の用意はいいかい?」
「うん」
「……いいぞ、行けー!」

 薄切り肉の上から箸を下ろし、肉で野菜を包むように引き上げる。

「あ~! まろやかな出汁に肉の旨味とシャキシャキ野菜、たまらん!」
「そこへすかさず白ワイン~!」
「くはっ、お口の幸せがヤバい」
「今度は豆腐でとろとろしましょうね……」
「あ、そんな。豆腐さんに優しくされたら、私」

 ワインの酔いも回り、二人のテンションは止まらない。
 具材はあっという間に駆逐されていった。

 沙也葉は名残惜しそうに、残った水菜を引き上げた。

「〆はどうするの? 雑炊? うどん?」
「あ、それはねぇ……」

 瞳子はリュぴを抱き上げた。

「リュぴが用意してくれました」
「え?」

 席を立ち、リュぴを連れてキッチンに入った瞳子は、お盆と共にダイニングテーブルへ戻った。

 お盆の上には、卵と粉チーズと黒胡椒、切った生ハムとパスタ。

リュぴには吹き出し付箋がついている。

『〆は、なまハムのカルボナーラだ』

「えー! そんなのあり!?!?」
「今夜はヒノちとリュぴのコラボメニューでーす」

 残った豆乳の出汁でパスタを温め、溶き卵と粉チーズを投入する。黒胡椒と生ハムを添えて、完成。

 沙也葉は頭を抱えて震えた。

「な、なんてこと……リュぴ、天才か」
「白ワイン、絶対合いそう」
「それ!」

 器にパスタを盛り、瞳子と沙也葉は顔を見合わせ、白ワインで乾杯した。

「あ、合いすぎる……」
「これはずるい……!」

 二人は珠玉のコラボレーションに身悶えした。
 カルボナーラが豆乳で出汁で生ハムで、スッキリ系白ワインだなんて。

「語彙がバカになるね」
「わかる……」

 瞳子は幸福を噛み締め、最後の白ワインをグラスに注ぐ。

「そういえば瞳子」
「ん?」
「カロンが好きなの?」
「ごほっっ!!」

 唐突な話題に、白ワインをあおっていた瞳子は盛大にむせた。

「な、なんで?」
「キャンペーンが終わってもリーダー外さないし、いつ見てもチーフ室に常駐してるし」
「うぅーん……」

 一番気になるキャラクターであることは事実だ。でもこの程度で好きと言えるのだろうか?

「恋してときめいて抱かれたいとか、そういう気持ちにはならないよ? どっちかというと、守りたいとか、幸せになって欲しいとか……」
「それも充分、推しだよ」
「え」
「ガチ恋勢もいるけど、推しって別に恋愛対象な訳じゃないよ」

 目からウロコだった。

「そうなんだ……」

 なんとなく、こういうゲームの異性キャラを推すなら、恋をしなければいけないような気になっていた。

「……で、カロンに幸せになって欲しいんでしょ?」
「まあ、うん。それはそう」
「そっかー、瞳子にもムゲフレの推しができたか! めでたい!」
「でも私、そんな、推しってレベルじゃ」

 瞳子に視線を返す沙也葉は、妙に優しい目をしていた。

「最初はみんな認めないものなのよ。まだ沼ってない、自分は大丈夫なはずだって……もう手遅れなのに」
「そんな、手遅れだなんて」

 課金もちょっとしかしてないし、二次創作も漁ったりしてないし……

 沙也葉は瞳子の肩にぽんと手を置いた。

「瞳子。なんとなくでこの短期間にレベルカンストはしないんだよ」

 短期間と言っても、入手してから一ヶ月は経っている。アイテムも使ったし、そんな大げさな……

「ところで、瞳子」

 沙也葉がスマホの画面を見せた。

「カロンのイメージ香水、予約開始らしいよ?」
「えっ」
「限定販売、予約は明日の午後八時スタート」

 慌ててスマホで情報を確認する。本当だ。
 カロンの香りが海をイメージするマリンノートということはわかっているが、イメージ香水……彼に特化した調合……公式の提示する香りは一体……?
 ボトルもライトブルーから白のグラデーションになっていて可愛い。蓋には貝のモチーフのチャームがついている。
 明日の八時、忘れないようにしなきゃ!

 息を弾ませながらスマホのアラームを設定して、ハッと顔を上げると沙也葉がニヤニヤと覗き込んでいた。

「手遅れだね」

 瞳子は顔を覆い、天を仰いだ。