自転車を漕ぎ出すと、渉も追い付いて横を走り始めた。
 そういえばキャンプの件がうやむやになっていた。
 はっきりと断わらなくては。
 そう思っているうちに自転車は商店街を抜けた。すぐに建物の数が少なくなる。
「……あのさ」
 悠希が口を開いたとき、急に目の前に男が三人立ちはだかった。やむをえず自転車を止める。顔に見覚えがあるが話したことはない。隣のクラスの男子たちだろう。
「B組にいる転校生っておまえのこと?」
 にやにやと、締まりのない笑みを浮かべた男が話しかけてきた。確か鈴木という名前だったはずだ。茶色に染めた髪は、根元の黒い部分が見え始めて少しだらしない印象を与える。
「南を誘惑すんなよな」
 鈴木の唐突な言葉に、「何言ってんだ?」と返したのは渉の方だ。
 後ろにいる色白の大人しそうな男が、援護するかのように口を出す。
「南さんが、B組の転校生が好きらしいから」
「それがなんで誘惑したってことになるんだ。え、もしかして俺が知らないだけで南と悠希って付き合ってるのか?」
 渉が視線を向けてきたので慌てて首を横に振る。
 鈴木がムッとした表情で言った。
「南を手にいれようなんて生意気なんだよ」
「だから、別に悠希は手を出したりしてないだろ。だよな?」
 隣で首を大きく縦に振った。 
 それにしても、南マユミが自分のことを好きだというのがピンとこない。
 ほとんど話したことがないし、目があったりもしない。
 悠希みたいなタイプが南の好みだと渉は言っていたが、気が強くて素直じゃない南が本心を知られたくなくて、真逆な発言をしてしまったと考える方が、理解できる。
 それに、目の前の男達の言うことが本当なら、南は「転校生が好きだ」と言ったのだ。
「南さんの好きな転校生って、渉のことじゃないの」
 渉は数度瞬きをした。
「え、違うだろ」
「渉も昨年とはいえ転校してきたんだろう? ずっとこの町にいる南さんにとっては転校生なんじゃないの」
「ええー?」
 心底意外という声。
「おい、おまえらいいかげんにしろよ」
 無視されていた鈴木が大きな声をあげたので、渉が返す。
「とにかく、俺たちには何もできないから」
 渉は自転車を漕ぎ出そうとペダルを踏んだ。
 悠希も走り出そうとした。
 それを阻止しようと男達が前に立ちふさがる。
 そして、自転車のカゴに入っていたスケッチブックに手を伸ばした。
「あ」
 慌てて手を伸ばしたが、遅かった。
 鈴木はスケッチブックの中も見ず、思いっきり引き裂こうとした。しかし表紙は厚くて頑丈なので裂くことはできない。
「鈴木!」
 渉が大きな声を上げた。
 鈴木は慌ててスケッチブックを開き、中を破り始める。
 子供じみたことをする。
 こんなことをして何になるのだろう。
 振り向いてもらえないはらいせで、やっている側がみじめになるだけじゃないか。
 怖がって「もう南さんには近づきません」と言えば満足するのだろうか。
 冷めた気持ちで、裂かれて風に飛ばされるスケッチを眺めた。
 横で物が壊れるような激しい音がした。
 見ると、自転車が倒れ、後輪がカラカラと回っている。
「返せ!」
 声の方へ視線を移す。
 渉が鈴木からスケッチブックを奪おうとしていた。
「おまえらが言うこときかないから――」
 奪われまいとする鈴木の手から掴み取るのをやめた渉は一歩下がり、鈴木の腹部に蹴りを入れた。
「うわっ」
 声をあげて倒れた鈴木から凄い勢いでスケッチブックを奪い返す。そして悠希の方に差し出した。
 こちらを見る目には怒りがあった。笑ってばかりだった渉のこんな顔を見るのは初めてだ。
 悠希はスケッチブックを受け取った。
「……ありがとう」
「駄目だろ! 怒らないと」
「え?」
 怒りは、自分に向けられている。
 そのことにやっと気付いた。
「すべてに本気になれとは言わないけど、大事なものだけは本気になって守れよ。守るためには思ったことは言わないと」
 言葉が出ない。
 何と返せばいいのかわからない。
 目の前では、倒れた鈴木に他の二人が駆け寄っていた。ゆらりと立ち上がった鈴木は膝についたホコリを払っていたが、いつも陽気な渉に本気で蹴りを入れられると思わなかったのか、勢いを削がれた様子だ。
 渉は倒れた自転車を起こし、鈴木を見て笑みを浮かべた。
「喧嘩、続ける?」
 鈴木が口を開こうとしたとき、背後から「おまえら、何やってるんだ!」と声が聞こえた。通りすがりの大人だろう。トラブルの匂いを嗅ぎつけ駆け寄ってくる。
「行くぞ」
 渉は自転車のペダルを踏んで勢いよく走り出した。悠希も慌ててそれに続く。鈴木たちの横を通ったが、彼らも大人に関わられたら面倒なことになると思ったのか、別の方向へと走り出したようだった。