昨日と同じような一日が過ぎ、悠希はすぐに下校しようと、帰りのホームルームを終えると同時に立ち上がった。
「待った」
 手首を掴まれた。
 振り向かなくても、誰に掴まれたかはわかる。
「一緒に帰ろうよ」
 ねだるような言い方だ。
「……なんで」
 振り向いて渉の顔を見た。
 悠希にしては珍しく不機嫌そうな様子が滲み出ていたかもしれない。
「なんでって、方向が一緒だし」
 掴まれた手首が熱い。
 大西たちがこちらを見ていた。彼らは渉と遊びたいに違いない。
「……友達と一緒に遊ばなくていいのか? 久しぶりに戻ってきたばかりなんだし」
「気にしない気にしない。あいつらとは今までも充分コミュニケーションはかってきてるし。なあ」
 最後の「なあ」は、大西たちの方に向けられた。しかし大西は笑ったりはせず、手招きして呼んだ。渉は顔をしかめて招かれた方へ向かう。振り返って「あ、悠希は帰るなよ。ちょっと待ってろ」と叫んだ。
 大西が話す声は小さかったが、こちらまで聞こえた。案外隠す気はなくて隠すふりをしているだけなのかもしれない。
「なんであいつに構うんだよ」
「いいじゃん。俺はまだ悠希と会ったばかりだし、もっと話したいんだよ」
「あいつ、あんまし喋んないから何考えてるかわかんねーし、なんかいつも澄ました顔して。奥の方に隠れ家とか銘打った宿オープンして、そこ向かう高級車見かけるようになったけど、あそこの経営者が父親って話。都会のお坊ちゃんで、田舎育ちの俺らとなんて話す気にならないんだろ」
 そばにいた植田が会話に入る。
「経営者じゃなくて、あそこの支配人か何かだろ。有名リゾートチェーンらしい」
 傾きかけた宿を今風に再生する手法で成功して、今は海外にも進出している会社だ。父は経営者ではなく社員だけれど、そこそこ偉いのかオープン時に任されることが多く、軌道に乗ったらまた別の新しい宿へ異動、というのを繰り返してきた。
 だから別にお坊ちゃんではないし、都会にずっといたわけではない。
「経営者と支配人とどう違うんだ?」
 大西が眉間に皺を寄せる。
 渉は二人を見て言った。
「別に澄ましてなんかないって。まあ、見た目が大西と違って品がありそうだからそう見えるのも仕方ねーけどな」
「おまえなっ」
 大西が渉を羽交い締めする。渉は声をあげて笑った。
「なあ、仕方ないよな」
 渉は大きな声でそう言った。悠希の方を見て。
 何を考えてるんだ。
 大西は陰口ともとれる話をしていたのだ。それを話題の対象になっていた本人に振るなんて。
 渉は大西の腕からするりと抜けて言った。
「キャンプのメンバーに悠希も加えるぞ。ナンパするのにもう一人くらいいた方がいいって言ってたのは大西じゃん。ちょうどいいだろ」
「言ってたけどさ……」
「決定」
 大西の肩を叩いて、渉はこちらに近付いてきた。
 茫然としていた隙を狙ったかのように手首を掴まれる。
 渉は大西たちに手を振りながら、もう一方の手で悠希を引っ張るようにして教室を出た。
 そのまま廊下を歩いていく。
「……待てよ。いいのか? 大西たち気を悪くしただろう。それにキャンプ行くなんて俺は一言も――」
「大西、悪いやつじゃないよ。表でいい顔して影で言うやつよりは、思ったことそのまま言うから俺は安心できる。まあ、悠希には腹立てる権利あるけど、別に腹立ててはいないだろ」
 その通りだ。
 田舎育ちなどと見下してはいないし、この町ののどかな風景も気にいってる。だけど数ヶ月の、今だけの付き合いだから、必死に誤解を解くこともないかと思ってしまう。
「そういうのがたぶん大西は寂しいんだよ。本当は仲良くしたかったのにつれないから」
 当たり障りなく接していたつもりだけれど、遊びの誘いを理由つけて断ったのは何度かあった。冷めていると感じる人もいるだろう。大西の態度は子供じみてはいるけれど、そうさせたのは自分かもしれない。自分にだって友達と仲良くしたい時期はあった。つれなくされれば寂しいし、反発したくもなる。
 どうして深く付き合おうとしないのか、知ってもらおうともしていない。大西が嫌いなわけではないと、無言で伝わるわけがない。
 考え込んでしまい、渉が振り向いて笑みを浮かべたのを見て我に返った。
「……手、離してくれないか。熱い」
「お、わりぃ」
 パッと手を離した。そのまま玄関を抜け駐輪場へと向かう。
 あの話題を悠希本人に振らなければ、大西の言葉はただの悪口になっていた。大西にとっても、悠希にとっても。
 渉が皆に好かれる理由がわかる。
 ただ陽気だからではないのだ。
 そう思ったものの、居心地の悪さは消えない。
 こんな自分と一緒にいて楽しいわけがない。
 もっと他の、彼を求める人たちと一緒にいればいいのに。