「あ」
 声をあげて近付いてくる。取り囲んでいた男子たちも一斉にこちらを見た。
 ドン、と音をたてて渉が鞄を置いたのは、隣の窓際の席だった。
 悠希の方を見て満面の笑みを浮かべる。
「もしかして転校生? そういえば名前聞いてなかったな」
 渉の問いに、大西が「水沢悠希っていうんだよ。五月に転入してきたんだ」と横から答えた。
「お前には聞いてないっつーの」
 渉は大西の肩を軽く叩いた。それから正面ではなく横を向いて着席し、悠希の机に左肘を付いた。
「俺は長谷川(はせがわ)(わたる)
「……そこ、空席じゃなかったんだ」
 やっとの思いで言葉にした。
 どうもペースが掴めない。
「あー、もしかして俺の存在って抹消されてたのか?」
 今度は大西を見上げて言った。大西は渉の机の前に立っている。
「もう、完全抹殺。父親の撮影旅行に付いて三ヶ月くらいメキシコ行くって言ってただろう? 先生も知ってるからいちいち出席とったりもしなかったし」
「……ってことみたい」
 渉は悠希に視線を戻した。
「えーと、水沢か。水沢って他にいるよな」
 確かに女子生徒でも水沢という苗字の子がいる。親戚ではなく偶然だ。しかし、それがどうしたというのか。
「水沢じゃ紛らわしいから悠希ね。悠希で決定。俺は渉でいいから」
 何と答えるべきか迷っているうちに、一人の女子が近付いてきた。
 南マユミだ。
 気の強そうな顔つきだが、学年一の美人だと男子たちは言う。東京の有名な美容師がカットしているらしい髪型や制服の着こなしなどセンスがいい。
「メキシコでマラカスでも振ってるかと思ってたけど、無事に帰ってきてたんだ」
 南は腕を組んで、ニコリともせずに呟いた。
「おかげさまで。向こうには南みたいな美人はいなかったから寂しかったけど」
 渉がニッと笑うと、南は「嘘ばっか」と強い口調で言い、背中を向けた。
 渉は大西を見上げて言った。
「なんか機嫌悪いな」
「おまえがいなかったからだろう。手紙のひとつくらい書いてやれば良かったのに」
「そんなんじゃないって。俺ってあいつの好みのタイプじゃねーもん。ええと、そうそう」
 渉は悠希の方を見た。
「悠希みたいな感じがタイプじゃないか。無口で涼し気な雰囲気の人が好みだって言ってたぞ」
「あー、確かに、渉はうるさくてちょっと暑苦しいよな」
 そう言って頷く大西の腹に渉が軽く拳を入れる。大西が冗談っぽく「う」と呻いたとき、教室に担任教師の高橋が入ってきた。皆が自分の席に戻り始める。
 髪をオールバックにした高橋は四十代の国語教師で、一見気難しそうに見えるが実はそうでもない。渉の姿に気付いて「お」と声をあげた。
「なんだ、長谷川、いたのか」
「先生、それはないって」
 教室にドッと笑い声があがる。
 まだ会って二時間も経っていないというのに、悠希には渉がどういう人間かわかった気がした。
 自分とは正反対だ。
 だけど、どんな人間だとしても関係ない。
 友達になることはないだろうし、その必要もない。仮になったところで、どうせ春には別れるのだ。ずっと友達だと言っても、その場限りで終わる。離れてしまえば疎遠になる。
 そんなものだ。
 慣れている。
 こんなことには。
 渉は小声で話しかけてきた。
「教科書、見せてくれないかな。時間割わかんなかったから適当に持ってきたんだけど、全然当てがはずれてるし」
 断わる理由はない。隣席なのだから仕方ない。
 頷き返すと、渉は嬉しそうに笑った。
 最初に見たとき、ひまわりの花を連想したのを思い出した。
 夏の日差しが似合う。強い日差しにも負けない明るさ。
 眩しすぎて、少し居心地が悪い。

 授業が始まると渉は机を近付けてきて教科書を覗き込んだ。時折、こくりと頭を傾けて居眠りをしたりもする。
 休み時間には何人もの男子が渉を囲んだ。
 おかげで悠希はあまり話をしなくて済んだ。
 昼休みには一人で弁当を食べている悠希にあれこれ話しかけてきたが、他の生徒が邪魔してくれたおかげで、やはり深く話さずに済んだ。
 この調子だと帰りも捕まってしまうかもしれない。他の生徒とよりも話したがっているのがわかった。たぶん深い意味はなく、初めて会う転校生がどんな人間なのか興味があるだけだろう。
 嫌な印象はない。誰もが好印象を抱くようなやつなのに、どうしてだろう。一緒にいると、話し掛けられると落ち着かない。その理由がわからなかった。
 考えないようにしよう。
 親しげに近付いてきても、どうせいつかは離れていく。
 そう思い、渉に捕まらないように隙を見て急いで下校した
 
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