スケッチを続けるのを諦めた悠希は、自転車で学校へと向かった。

 教室に入って小声で「おはよう」と言う。誰に向かって言うわけでもないが、転入生以外は子供のころからの顔なじみばかりだからか明るい雰囲気で、「おはよう」と言えば近くにいる誰かから「おはよう」と返ってきた。
 何度か転校を繰り返して覚えたことは、とにかく無難に、好かれなくてもいいから嫌われないこと。東京の大学に進学するつもりだから、この町とも来年の春にはお別れだ。受験のことを考えれば、あと数カ月しか一緒にいないのだから、必要以上に親しくしても面倒なだけだ。
 悠希は窓際から二列めの一番後ろの席に鞄を置き、着席した。スケッチを早く終えたので今日は時間が余っている。鞄から文庫本を取り出して開いた。
 活字を目で追ったものの、なかなか頭に入ってこない。
 さっき会った男が同学年の生徒であることは間違いはない。
 転校生だろうか。
 それが一番納得がいく。
 慣れない町で見つけた同じ年頃の生徒に思わず声をかけてしまった。そんなところだろうか。もっとも、思わず声をかけてしまうということ事体が、自分には考えられないことだが。
 ――なんでこんなに気になるんだ。
 後ろの扉の方から歓声が聞こえた。教室中の人間がそちらを向き、中には駆け寄る男子生徒もいる。
「なんだよ、久しぶりだな」
「もう戻ってこないかと思ってたぞ」
 笑い声。
 輪の中心にいる生徒が、人垣を掻き分けるようにして教室に入ってきた。
 手荒く背中を叩く人間に鞄で応戦している顔を見たとき、悠希は小声で「あ」とつぶやいた。
 あいつだ。
 河原で声をかけてきた男。
「席替えした?」
 男は大西(おおにし)(しげる)に尋ねた。大西はクラスで一番背が高く、最近までバレーボール部で活躍していた。短い髪やしっかりとした体つきがいかにもスポーツマンらしい。隣にいる男も、それほど差がないくらい背は高いが。
 大西は意地悪そうな笑みを浮かべた。
(わたる)の席なんて、ねーよ」
「うっせーな」
 じゃれ合うようなやりとり。
 悠希は着席したまま様子を眺めていたが、渉と呼ばれた男は急にこちらを向いた。
 視線が合う。