あれから更に一週間が過ぎた。
 夏休みの講習は終わり、世間は盆休みに入っていた。渉から何度か電話があり母親が取り次ごうとしたが、悠希は出なかった。
 話しても、また責めるようなことばかり言ってしまう。
 傷つけたくも、傷つきたくもない。
 今日は両親は車で墓参りに出かけていたが、悠希は受験勉強を理由に家にいた。玄関のインターホンが鳴ったので通話のボタンを押すと、聞き慣れた声がした。
『悠希』
 静かに響く声。
 インターホンの画面に渉が映っている。
『話を聞いてくれないかな』
 扉を開けるべきだろうか。
 だけど――。
 悠希の迷いを、渉は否定と受け取ったらしかった。
『……わかった。渡したいものがあったんだけど、ここに置いていく』
 カサリ、と音がした。
『急だけど、今日の三時の列車でこの町を出ることになった。学校には先日退学届け出した』
 今日?
 突然目の前に迫った別れに、全身の血の気が引いていった。
「……応援してる。がんばって」
 そう言うのが精一杯だ。
 その気持ちに嘘はない。
 この数日、考えれば考えるほど、渉に対してよりも自分自身を責める気持ちが膨らんでいった。
 本当に相手のことを大切に思うなら、気持ちよく送り出すべきだ。
 ただ自分が一緒にいたいだけ。
 頭ではわかっていても、心をコントロールできない。
 納得して正しい親友として振る舞えない。
『俺さ、悠希の絵にひとめボレだったんだよな。あのとき後ろを通り掛かって、きれいだなって思った。どんな人が描いてるんだろうって。近付いていろいろ知ったら、俺と似てるなって思った。勝手に近いと思ってた。なんていうか、心の距離が。性格は全然似てないのにな』
 画面の向こうにある穏やかな笑み。
『俺、自分を信じてる。出会ったときからずっと悠希のことが好きだ。悠希が俺との記憶消したとしても、俺は絶対忘れない』
 出会ったときに見た、ひまわりのような笑み。
『じゃあ、時間だから。元気で』
 渉はうつむいて下に何かを置いた。
 それからすぐに背を向けて去っていった。
 発車の時間に間に合わせるためか、駆け足に近い。
 時計は二時五十分をさしている。
 置き時計の秒針が刻む音が急に耳に入ってきた。
 時間が過ぎ去っていく。
 もう一度顔を見たいという気持ちと、追いかけたところでどうにもならないという気持ちがせめぎあう。
 そういえば、何か置いていった。
 玄関の扉をそっと開けた。すぐ横に立て掛けるように、ノートほどの大きさの封筒が置いてあった。
 手に取って中を覗く。
 そこには、たくさんの写真があった。
 青空、澄んだ川の流れ、天気雨、赤が鮮やかなスイカと飲みかけのカルピス、線香花火と夜の海。
 共有した時間の記憶が溢れ出す。
 きらきらした光景から、偽りのない気持ちが押し寄せてきた。

 どこにも嘘はない。
 旅立ちが二人を隔てるのではなく、気持ちを信じ切れない自分がすべてを終わらせようとしているのだ。

 もらうだけじゃなく、伝えないと。
 自分の想いを。

 時計を見た。
 三時まであと五分もなかった。
 封筒を掴んで家を飛び出す。自転車の前のカゴに封筒を入れて走り出した。
 青空へと続くような真直ぐな道を自転車でひたすら走る。
 汗が吹き出て流れ出る。
 このままでは間に合わない。
 立って漕ぐ。
 息が苦しくなってきた。

 もう間に合わないだろうか。