レモネードはよく冷やして

「ほい、お土産」

 瑞希は入った畳敷きの居室にどっかり座って、それからやっとビニール袋を突き出した。

 瑞希がそんな振る舞いをしても、もう玲望はなにも言わないけれど。

「さんきゅ。……お、アイス!」

 中身を取り出して、玲望の顔は輝いた。

「さっさと食おうぜ。今日はあっちーから」

 ついさっきコンビニで買った棒アイスは、新商品の塩レモン味。

 アイスというか氷菓だ。

 ざくざくとしているのだろうと、パッケージの写真から思わされた。

 薄い黄色で爽やかな見た目。

 毎回玲望のアパートにくるとき瑞希は、ペットボトルの飲み物やコンビニ菓子をひとつ、ふたつ持っていく。

 茶化す理由としては、ショバダイとして、とか。

 貧しいのが基本なのだ、玲望の財布の紐は非常に硬かった。

 学校ではそんな様子、見せないけれど。

 ランチは弁当だけど、これは学校の半分くらいの者がそうなのだから、別に目立ちやしない。

 弁当派生徒の弁当を作っているのはほとんどがお母さんだろうが。

 ノートやペンなどの文房具をケチったりもしないし、教科書やなんかもちゃんとしている。

 辞書だってそう高いものではないけれど電子辞書だ。

 だが必要最低限で、格好がつくものしか持っていないし、手にしない。

 そういう玲望は食材だってあまり余計なものをコンビニやスーパーで買わないし、つまりアイスもあまり買わない。

 冷たいものを食べたくなったときのためには冷凍庫に氷がしっかり作ってあるし、暑ければそれでアイスティーやなんかを作るし、もっと暑さを拗らせればそのままガリガリ噛んだりもする。

 今日は暑かったので、差し入れにはアイスをつい選んでしまった。

 なんとなくレモンは玲望を思い出させるし、実際金髪だからそういう名前をつけられたらしい。

 女の子みたいな名前を、なんて本人はたまに不満を言うけれど。

 ありがちな黒髪をただの短髪にしている、どちらかというと地味かもしれない自分の外見を思うと、瑞希にとって玲望の容姿は眩しすぎるくらいで、そして特徴的でいいなとも思う。
 アイスを買うにあたって、塩レモン味なんて選んだのはそこ、玲望の外見からだ。

 そのくらいには玲望のことをそこここから考えてしまう、と瑞希はたまにくすぐったくなるのだ。

「いただきまーす」

 二人して、びりびり、と包装を豪快に破って、ぱくりと咥える。

「ん! しょっぱ!」

 ひとくちかじって、玲望はきゅっと目をつぶって言った。

 だがそのあとにすぐ付け加える。

「……酸っぱ? どっちだ?」

「んー……酸っぱいほうが強いかな、俺は」

 塩レモン、なので、塩のしょっぱさとレモンの酸っぱさが同時にある。

 どちらが強いかは……瑞希は『レモン』と取った。

 玲望は確かめるようにもうひとくちかじって、そして今度は口の中で味わう様子を見せる。

「そうだなー……確かにレモンだな」

「だって塩はオマケだろ」

 『塩レモン』なのだからメインはレモンで、塩は添え物に過ぎない。

 茶化すように言った瑞希に、玲望もくすっと笑う。

「オマケ言うなよ」

 部屋の開けた窓からは涼しい風が入ってきていた。

 そろそろ夕方に差し掛かる。

 昼間はだいぶ蒸すのだが、夜はまだ涼しいこともある。

 六月も終わり。

 先月変わった夏服もすっかり馴染んだ。

 瑞希と玲望にとって、夏制服を着る、最後の夏である。
 桜下(おうか)高校、ボランティア研究部、通称ボラ研。

 部長の瑞希は忙しい。

 名前のとおり、ボランティア活動に特化した部活であるが、その活動は多岐にわたっていた。

 校内に留まらず、校外活動も盛んである。

 むしろ校内での活動のほうが大人しいかもしれない。

 校内では校舎内外の清掃活動、備品や設備の整備、あるいは「先生の手伝いに人手が足りないから」というときに向かったりもする。

 校内では大体『なんでも屋』扱いである。

 『ボランティア』の名がそのとおりになるのは、むしろ校外活動においてかもしれない。

 清掃活動はよくある活動であり、それは学校と変わらないが、そのほか駅前で募金活動をしたり、小学校へ赴いてレクリエーションをしたり、あるいは老人ホームへ出し物をしに向かったりする。

 土日に活動があることも割合頻繁にあって、そういうときは大概、普段できないような遠出になったり、時間がかかったりするような校外活動へ向かうのだった。

 今日は月曜日、週頭から活動があることはあまりない。

 一ヵ月に一度、おおまかな活動方針を決めるのだが、それを細かく配分するのが月曜日なのだ。

 大きな活動予定がなければいきなり活動に入ることもあるけれど、少なくとも部長自ら活動へいくことはほぼないといえた。

 何曜日になんの活動を、部員の誰がどの活動を、そして週末に活動があるならそのアポ取りや計画をしたりもする。

 一週間のスタートにふさわしいといえた。
 活発ではあるが、細かいところまで気の回るようなきっちりしたところもある性格の瑞希には、苦でないどころかむしろ楽しい作業でもある。

 瑞希が部長になったのは、前三年生の引退時からだ。

 ごく普通に、二年から副部長を務めていた瑞希が指名を受けた次第。

 瑞希も特に断る理由がなかったのでそれを受けた。

 好きでやっている部活だ。

 部長になれば多少忙しくなるのはわかっていたけれど、そのぶん普通の部員には見えない面白いこともあるだろう。

 そう思って。

 そして実際、瑞希はなかなか良い部長である、と自負していた。

 まだトップに立って半年もしていないとはいえ、ここまで大きなトラブルなくやってきたし、部員も瑞希を信頼してくれている。

 人手が必要なだけに割合大所帯なので、新一年生を何人も迎えたけれど、その子たちも学校生活および部活動に慣れて落ちついてきて、六月現在、比較的まったりしていたといえる。

 そんな、月曜日の瑞希。

 副部長や、二年、一年のリーダーを受け持たせている生徒数名と打ち合わせをしていた。

 今週は普段通りの活動。

 特に急用が入らなければ校内の清掃活動と、ほかには花壇の手入れなどで終わる予定だった。

 特別なものとしては、放送室の機材の手入れを頼まれていた。

 なのでそちらに人員を配置しなければ、という話をした。

 マイクやスピーカー、カメラなどの機材の調整が入るので、機械に強い部員をメインにしなければいけない。

 その選出などなど。

 今はまだ余裕のある時期だけれど、そろそろ暑くなってきていて夏休みを視野に入れる頃。

 夏休みになにをするのか。

 大まかには案を出しておいてもいいかもしれない、と思う。

 せっかくの長期休みなのだ。

 ダラダラと通常活動で潰してしまうのは勿体ない。

 活動的な意味でも、部の存続という意味でも。

 ここで一発大きなことをやるべきなのである。
 去年は合宿へ行った。

 海へ行ったのだ。

 勿論、海の清掃活動をした。

 近くの小学校の生徒相手に、ウォークラリー大会なども催した。

 どちらもなかなか好評を博した。

 しかし高校生の合宿なのだ。

 同じくらい、大いに遊んだ。

 海で泳いだし、夜は近くの森で肝試しなんかもした。

 それでなくとも泊まりというだけで楽しいものだ。

 今年もそういうものをしてみたい、と瑞希は思うのだった。

 それはリーダー的存在の生徒だけでなく、出来る限り部員全員を集めて会議をしたいと思う。

 特に、今年初めて参加する一年生からは、初参加ならではの違う視点の意見が出るかもしれないし。

 そういうものを聞くのも参考になるだろう。

「じゃ、今週はそんな感じで」

 書記をしていた二年生が、部室のホワイトボードに今週の予定を記入し終えるのを見て、瑞希は言った。

 これで今日の活動は終わりである。

「はい、部長」

 おつかれーっす、という言葉が溢れて、真面目に打ち合わせをしていた空気から一転、部室に緩やかな空気が流れた。

「俺は用があるからもう帰るなー」

 使っていた筆記用具などを鞄に詰め込んで、瑞希は言った。

「戸締りきちっとしてくれよ、じゃーなー」

 別に部長といえども毎日最後まで残るわけではない。

 鍵を持っている生徒がいれば、その子に任せて構わないのである。

 よって瑞希はさっさと部室を出た。

 まだちらほらと生徒がゆく廊下を歩く。

 今日はやることがあるのだ。

 放課後、玲望の家に行くという大事な用事が。
「今日、家行っていいか?」

 授業が終わったあとに、隣のクラスの玲望を捕まえて、約束を取り付けた。

 それだけで瑞希のしたいことを察したのだろう。

 玲望は顔をしかめた。

 まったく、そんな顔はやめて欲しいものだ。

 仮にも恋人が家に行こうというのに。

 まぁ、やろうとしていることが玲望の気に入らないことなのだから、そういう顔をされる理由もわかるけれど。

「……嫌って言っても来るんだろ」

 渋々、という様子であったが玲望は受け入れる返事をしてくれる。

 瑞希はにっこりと笑った。

「そうだな。じゃ、部活終わったら行くから」

 懐柔するようなその笑顔に、玲望はますます嫌そうな顔をした。

「ゆっくりしてこいよ」

「はいはい、早く行きますよー」

 そう言って、ひらひらと手を振って別れたのが二時間弱前になる。

 ちなみに玲望は部活に入っていなかった。

 代わりにバイトをしている。

 貧しいのだから当然かもしれないが。

 学費や基本生活費やらなんやらは一応、家から出してもらっているようだが、お小遣いまではもらえないので自分で稼がないといけない……らしい。

 スーパーでレジ打ちのバイト。

 たまに売り物にならない食材や、賞味期限切れの惣菜なんかがもらえるらしい。

 生活費の節約にもなって一石二鳥なんだ、と玲望は言っている。

 でも今日はバイトもないはずなので、玲望は学校で友達と過ごすか、なにかほかのことをするか、もしくはさっさと帰宅して一人で過ごすかしているはずだ。

 さて、今日はどんなことになっているか。

 ちょっと楽しみになりつつ、瑞希は昇降口で靴を履き替えて、外へ出た。

 学校から近いところにある、玲望の家に直行だ。
 さて。

 例によって「きたぞー!」の大声に「うるせぇ!」ではじまった、来訪。

 玲望はいつもに増して不機嫌だった。

 一ヵ月に一度程度起こる、このイベントが玲望は嫌いなのだ。

「さー、どこから手をつけるか……」

 瑞希は制服のネクタイを摘まんで胸ポケットに入れる。

 制服シャツは半袖なので、腕まくりをする必要は、今はない。

 これで邪魔になるものはないというわけ。

「まずは台所だなー。シンクとか結構くすんできてたから」

 瑞希がまず向かったのはキッチン。

 玲望はぶすっと言う。

「磨いてるっての」

「あとはレンジの掃除と……結構ゴミが溜まりやすいんだよな」

 あちこち見ながら算段を立てていく。

 なにしろボラ研部長。

 こんな計画はお手の物だ。

 実行するのは、もっとお手の物。

「あと、部屋のもん片しといて。掃除機かけるから」

 瑞希の要求には抵抗された。

「今から掃除機なんてかけたら迷惑だろ!」

 そんなことは百も承知の瑞希はそれを一蹴する。

「迷惑になるから日が暮れる前に済ますんだよ! ほらさっさとしろ!」

 そう言ってしまえば逃げられないとわかっていて玲望を急かす。

 玲望は整った眉を寄せて、「うぇ……」と言った。

 せめてもの反抗とばかりに。

 まるで掃除機を嫌がる子猫かなにかである。

 綺麗な見た目で、貧乏も表に出さないくらいにスマートで、おまけに料理上手な玲望の唯一の欠点。

 それがこの、掃除片付けがたいそう苦手であるという点なのであった。

 まったく、独り暮らしをしている身としてはだいぶネックになる欠点である。
 玲望と初めて会ったときのこと。

 瑞希はよく覚えている。

 なにしろ衝撃的だったのだ。

 二年前、瑞希がまだ一年生の頃のゴールデンウィーク明けのことだった。

 入学してすぐボランティア研究部に入っていた瑞希はその日、裏庭の清掃担当に宛てられていた。

 ボラ研の活動にも少しずつ慣れてきて、ゴールデンウィークに開催した小学校でのドッジボール大会でも活躍できて、単純なことに部活がそれでいっそう楽しく感じてしまったのもある。

 よって、ただの放課後、ただの裏庭の清掃でも、うきうきとして向かってしまった。

 その裏庭。

 茂みに似合わぬものが見えた。

 つやつやした金色が太陽に照らされて、太陽よりもっと輝いていた。

 綺麗だった。

 綺麗ではあるが……持ち主は茂みの前にしゃがみこんで、なにか草を弄っていたのが謎であった。

「なにしてるんですか?」

 相手が何者なのかわからなかった瑞希は敬語で話しかけた。

 先輩であったらため口をきくわけにはいかないし。

 こちらに背を向けてなにやら手を動かしていた相手は、びくりと肩を震わせた。

 ばっと振り返る。

 その顔を見て、瑞希は何故かどきりとしてしまった。

 はじめに目についたのは(みどり)の目。

 新緑の色をしているその瞳はきらきらしていて宝石のようだった。

 くりっと丸い目で、まだあどけない様子をしているところもかわいらしい。

 女の子のようには見えないけれど、まだ中学を卒業して二ヵ月も経っていないのだ。

 子供らしさが残っていた。

 とてもかわいかったけれど……ただ、ときめききれない要素はあった。

 口に草を咥えているという、かわいげも艶もまるでない様子だったのだから。
「……なにしてんの?」

 振り返ったときに見えたネクタイの色は、緑。

 自分と同じ。

 学年ごとに違う色をしているネクタイは、彼が一年生であることを示していた。

 よって、敬語をやめて再度問いかけた。

 瑞希の質問に、彼は顔をしかめて口から草を取った。

 なにか、やわらかそうな不規則な形をしている草だ。

 草でも食べていたというのか。

 より解せない。

「よもぎを摘んでたんだ」

「よもぎ……?」

 瑞希の姿、やはりネクタイからだろう。

 そしてため口から同級生だと向こうも悟ったようだ。

 普通の口調でひとこと言った。

 よもぎ。

 口に咥えていたのはよもぎだという。

 そして近くにはビニール袋があって、その中にいくらか草が入っているのも見えた。

 どうやらよもぎ摘みをしていたというのは本当らしい。

 けれど学校の裏庭で一体何故よもぎ採取など。

 しかしそれを質問する前に、違う声がした。

「なにしてんだ? 梶浦(かじうら)

 名字を呼ばれて瑞希が振り向くと、ボラ研の先輩が立っていた。

 竹ぼうきを手にしている。

 今日、瑞希と同じく裏庭の清掃に宛てられていた先輩だった。

「あ……その、先客が」

 そう聞かれても、さっき話しかけて、よもぎを摘んでいると聞いただけだ。

 説明のしようがない。

「先客?」

 先輩は、ひょこっと瑞希の横から覗き込んだ。

 金髪の彼は咥えていた草はすでにどこかへやってしまっていて、ビニール袋だけ持って何食わぬ顔をしていた。

 瑞希の先輩に、しれっと答える。

「よもぎを摘んでいて……草木染めをするんです」