・【03 溝渕さん】


 僕と一緒にこの空間で暮らす男は溝渕弥勒(みぞぶちみろく)と言う人で、僕は溝渕さんと呼んでいる。
 溝渕さんがどういった生徒だったのかどうかは不明。聞いていないので。
 僕もあまり話を聞かれたくないので、聞いていない。そうなるとどっちも聞かないということになる。
 溝渕さんは干渉してくるほうの人じゃないので、正直助かっている。
 何も無い白い空間。
 仕切りは無いけども、一人の時間というモノは取れている。
 と、言っても、一人でやることなんて何も無いんだけども。
 だから基本的に寝るだけで。
 寝ることはどうやらできるみたいで、僕は現在、ほとんど寝ている。
 空想しながら寝て、空想だと思ったら実は夢で、起きたらまたすぐに空想して、気付いたら寝て、の、繰り返し。
 本当に食事をしなくても生きているし、だから便意も無いし、お風呂に入らなくても体が汚れていく感覚も無い。
 本当に無のまま。
 無のままなんだけども、頭脳だけは巡る。
 死ねるのか死ねないのか、ずっとこのままなのか、よそう、何か空想しよう、いやでも空想したいことも無い、だって僕は死にたかったんだから、死ねるのか死ねないのか、いやさっきも考えたばかりだ、このルート、何か思い出そうかな、でも思い出せないな、思い出していい許可も下りないだろうし、いや誰に、誰にって、それは、あれだろ、あの子からだろ、あの子って、あれか、あの子、光莉、光莉って言葉に出していいのかな、いや言葉にはしていないけども、全部脳内だけども、僕はもう光莉なんて考えてはいけないくらいの人間なんじゃないか、なんじゃないかというかまあそうだろう、僕は光莉のことを忘れるほど没頭してしまったんだ、何で忘れていたのだろうか、何で飲まれてしまったのだろうか、こんな大切なことを失って未だに僕は生きているなんて地獄だ、地獄なのにまだ死ねていない、死ねるのか死ねないのか、ずっとこのままなのか、なんて、さっき考えたような、いや考えていなかったっけ、分からないな、分かりたくないな、このまま混乱して死ねないかな、死にたいんだ、もう今すぐに死にたいんだ、舌を噛んだ、でもダメなんだ、何故か舌がゴムのような弾力になって、痛みも感じない、噛み切れそうにないんだ、全然死ねないんだ、どうすればいいんだ、今日は寝ようか、今日は寝てしまおうか、それがいい、それがいい、それ以上のことはもう無いもんな、果報は寝て待てと言うもんな、死ぬという果報は寝て待つに限る、非常に寝やすい空間だ、空気は澄んでいて、気温も少し涼しいくらいでちょうどいい、でもあれなんだな、これは僕の空間でもあり、溝渕さんの空間でもあるんだな、だから溝渕さんも僕と一緒で、溝渕さんの言葉を借りるならば、高潔な死にたいなんだろうな、溝渕さんは今何を考えているのだろうか、溝渕さんも今死にたいのかな、いや死にたいからこそこんなに白い空間なんだろうけども、溝渕さんは今寝ているかな、どうかな、起きているのかな、ちょっと溝渕さんのことが気になってきたな、自分が干渉されたくない分、喋ってこなかったけども、何だか溝渕さんのことが気になってきたな、思い切って話し掛けてみようかな、でも溝渕さんの第一印象はそれほど良くないんだよな、嫌な人だったらなお死にたいと思って死ねないだろうな、でも逆に溝渕さんがめちゃくちゃ嫌なヤツで、コイツよりも先に死ねないと思って、生きたいと思ったら死ねるのかな、そうだ、ここは二人いる強みを生かして、どっちかは生きたいと思って死のう、その作戦でいこう。
「あの、溝渕さん、起きていますか」
 僕はおそるおそる、体育座りをして頭をうなだれている溝渕さんに後ろから話し掛けると、
「何だ、田中くん。俺はそんなに寝たりしていないぜ」
 そう言いながら、座った姿勢のまま、僕のほうを振り返った溝渕さん。
 その大人が、お尻を滑らせて回ったということが何だか滑稽に感じて少し吹き出してしまうと、
「寝言を言う君のほうが面白いけどな」
 と溝渕さんから言われてビックリした。
 自分が寝言を言っているなんて知らなかったから。当然だけども。
 僕はそれが気になって、
「僕、なんて寝言言っていますか?」
 と聞くと、溝渕さんは少し小首を傾げながら、
「人名なのかな、ヒカリという言葉をよく言うよ」
 ヒカリって光莉だ、そう人名だ、って、すぐに言えなくて、少し俯いて黙っていると、溝渕さんが頭を掻きながら、
「まあ言いたくないことは言わなくていいよ、こんなに死にたいということは理由があるってことだから。まあ生きたいということも分かりやすい理由があるんだけどな」
「そう、ですね……」
 あからさまに肩を落としていたのだろう。
 溝渕さんは足を伸ばして、まるでテディベアのような態勢になりながら、こう言った。
「まあこうなってしまったのは仕方ない。何も無い時はダラダラしていればいいんじゃないかな? 聞きたいことがあったら何でも聞いていいよ。俺はそういうこと全然気にしないからな。君と違って」
 そう言って笑った溝渕さん。
 最後の”君と違って”にちょっと棘を感じたけども、いい人過ぎても怪しいからみたいな配慮なのかもしれない。
 だから僕はハッキリ聞いてみることにした。
「死ぬことを手伝うことは義務なんですか?」
「いや義務ではないよ」
 そうサラッと言い切った溝渕さん。
 じゃあ、
「何で死ぬことを手伝うんですか?」
 それに対しては少しう~んと唸ってから、こう言った。
「生きたいヤツが作り出す空間って気持ち悪いんだよね。そんな空間にいたらマジで死にたいから、ちょっとでも生きたいために早くこの白い空間に戻したいんだ」
「じゃあ溝渕さんが一人でいた時も、この白い空間なんですね」
「そうだな。だから君がいてもこの空間が崩れないことから見て、君は相当死にたいんだなと思っているよ」
 真剣そうに言った溝渕さん。
 自分が死にたいと願うほど、溝渕さんも死にたいと思っているような気がした。
 僕と溝渕さんは気持ちが全く一緒。
 でも死ねない。
 なんて、あべこべな世界なんだ。
 否、この世界はずっとあべこべだ。
 そんな捻れ曲がったこの世界を正したくて、この学校に入ることも了承したはずなのに、自分が捻れ曲がって一番大切なことを忘れてしまうなんて。
 こんな宙ぶらりんな世界で、やっとそのことに気付くなんて。
 もっと早く気付いていれば。
 もっと早く気にかけていれば。
 いっそのこと死にたい。
 いや、いっそのこと、とかじゃないけども。
 ただただ死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい、あぁ、また気が狂いそうだ、気が狂ってくれないかな、気が狂って世界も感じないようにならないかな、気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気が狂って死にたい気がする、いや死にたい、もうただただ死にたい。
 と考えていると溝渕さんが、
「そんな顔しても現状は変わらないぜ。と、言っても現状が変わる時は自殺室に生徒が入ってきただけだけどな」
 そう言ってニヤリと笑った。
 何でこんな時に口角を上げられるのか。
 そうか、溝渕さんはもう狂っているのか。
 いいなぁ、狂えて。
 じゃあもう狂ってる人に遠慮もいらないし、暇潰しに聞いてみるかな。
「溝渕さんは何でそんなに死にたいんですか?」
 一瞬キョトンとした溝渕さんはすぐに怪しく喉を鳴らしながら笑うと、こう言った。
「クックックッ、急にそんなことを聞いてくるなんて予想外だな。でもいいよ、教えてあげるよ。簡単な話だ。この学校が嫌になったんだ、田中くんだって一緒だろ?」
 いや、僕が嫌になったのはむしろ自分に対してだ。
 気付かなかった自分に腹が立っているんだ。
 だから、
「ちょっと違いますね」
「そうか? 大きく見たら同じだと思うんだけどなぁ。まあその辺は感性の違いというとこかな、うん」
 そう言って勝手に納得した溝渕さん。いや違うって言っているのに。
 でもまあ確かに学校が嫌になったところはあるけども。
 じゃあ本当に感性の違いといったところなのかもしれない。
 いやそんな話はどうでもいいんだ、僕が聞きたいのは、
「もっと具体的に話してもらっていいですか? 僕と違って聞かれて大丈夫な人なら」
「おぉ、結構攻撃的にくるね、いいね、気に入った。じゃあ話すよ、暇潰しにさ」
 そういう言葉はいいから早く言えよ、と、高圧的に思っている自分がいる。
 僕は誰かへ高圧的に出ることなんてできなかったのに。
 もしその高圧的を、もっと早く出せていれば、で、また自己嫌悪。
 ダメだ、死にたい、やっぱり僕はダメな人間だ。
 こんな時にならないと、高圧的にすらならないなんて。
 いやまあ声にも出していないから、実際はそんなに高圧的でもないんだけども。
 溝渕さんはアゴに手を当てながら語り出した。
「好きだった子がいたんだ。その子は自殺室で死んでな。俺はその子を言動によっては守れる立場にいたのに、守り切れなかった。それを悔いたんだ。そして俺はわざと自殺室に行くようテストで低得点を叩き出して、無事自殺室へ。ここで一つ選択ミスをした。自殺室に頼らないで自分で死ねば良かったんだ。でも自殺室では簡単に死ねるみたいな噂があって、つい頼ってしまった。その結果がこのザマだ」
 この話を聞いた僕は、いや、聞いている途中から徐々に頭が真っ白になっていき、今はもう呆然自失だ。
 何故なら溝渕さんの話はまんま僕の話だったからだ。
 最後に溝渕さんはこう言った。
「せめて笑ってくれよ、暇潰しなんだから。ただまあ多かれ少なかれ、君もそういった感じだと思うから笑えないよな?」
 僕は静かに頷いた。
 それを見た溝渕さんはまたお尻で回って、僕から背を向けてから、
「だろうね。一番死にたいよな、人間として」
 そう、どこか優しい雰囲気の声でそう言った。
 僕は一つ、強く思ったことがあるんだ。
 それは。
 死にたい。