恋を知らないオレは、うさぎをそっと抱きしめる

 修学旅行一日目は、午前7時30分に空港に集合し、飛行機で沖縄に移動する。
 瞬は飛行機に乗るのに慣れていて、保安検査場も難なく通過していったけど、オレはベルトだ何だと何回も引っかかり、それだけでもう疲れてしまう。
「初めて乗るけど、飛行機って乗るまでにこんな苦労すんだな」
「最初は誰でもそうだよ。
 そうだ、搭乗するときにCAさんが入り口で配る飴はもらった方がいいよ。
 気圧が変化するから、初めてなら耳が詰まるのが気になるかもしれない」
「サンキュ。もらっとく」
「きっとビビリのワタルには、これからびっくりすることばっかり起きると思うよ」
「うるせえ」
 くすくす笑いながらそう言われて、多分それは当たる気がしてくるのが嫌なところだ。

 瞬とは班が離れていたが、たまたま行きも帰りも通路を挟んで隣同士の席になる。
 案の定、飛行機が離陸するとき、ぐんと重力がかかったことに声も出せずに驚き固まったのを、通路の向こうで瞬が笑いをかみ殺して見ていた。
 耳の詰まりも瞬の予想どおりで、オレがパニックになって食べた飴をすぐに噛んでしまったので、代わりに瞬がCAさんから追加の飴をもらって手渡してくれる。
 ベルト着用サインが外れた後、他の客の迷惑にならない程度に、瞬はオレともそれ以外のみんなとも写真を撮ったりしていた。
 おやつを食べようとして、バッグから取り出したポテチの袋がぱんぱんに膨らんでいることに衝撃を受ける。
「瞬、これ見て!」
「気圧の変化のせいだね。
 それ何回見ても不思議だよねー」
 何度も経験しているらしい。
「お前の反応、面白くねえな」
「飛行機については驚きも何もないからねえ」


 沖縄に着くと快晴だった。
 10月終わりともなると、オレたちの住んでいるところは肌寒いほど気温が低くなる日もあったが、沖縄は最高気温も最低気温もほとんど差がなく25度以上の気候がまだ続いていた。
 とにかく日差しが強すぎる。

 今日の予定は沖縄県平和祈念資料館とひめゆり平和祈念資料館だ。
 観光バスで那覇空港から糸満市に向かう。
 バスから見える景色は、一見するとオレたちの住んでいるところと同じように見えるけど、所どころに伝統的な赤瓦を白い漆喰で固めた三角屋根の家屋が見える。
 標識に書かれている地名が沖縄にいることを強く感じさせた。

 沖縄県平和祈念資料館の、沖縄戦で亡くなった方のご遺体の写真が集中して展示されている区域では、何の罪もない一般市民がこんなにたくさん亡くなるむごいことが現実に起きたというその衝撃と、この写真に写っている人たちはもうこの世にいないのだという空虚さと、写真を撮影していたアメリカ軍の従軍カメラマンはどんな気持ちでご遺体にカメラを向けたのだろうという全く理解できない気持ちと、他にも自分の中から次々と湧いて出てくる様々な感情に押しつぶされそうになり、足の裏が接着剤で床にくっつけられたみたいにその場所から動けなくなってしまった。
「ワタル、前に進もう。
 後ろがつっかえてる」
 瞬がそっと声をかけて両手でオレの背中をぐいっと押してくれ、ようやくその区域から離れることができた。
「瞬、ありがとう」
「どういたしまして」
「オレ、動けなかったんだ」
 そうつぶやいた途端、ぽろっと涙がこぼれて自分でも驚いてしまう。
「繊細なワタルには刺激が強い展示だったかもね」
 そのままぐいぐい背中を押してオレを後ろから動かしながら、瞬は言った。

 ひめゆり祈念資料館では、ひめゆり学徒隊として動員され亡くなった女学生の遺影が壁際にずらりと並んでいる展示室があった。
「鎮魂」と名付けられたその展示室は、亡くなった方を弔うための部屋で、弔いの音楽が静かに流れている。
 ひとりひとりの亡くなった状況や性格が遺影の下に書かれており、オレたちと年齢もそう変わらない人が犠牲になった沖縄戦に対する義憤にかられるのと同時に、亡くなった人に対して理由のない申し訳なさでいっぱいになり、その展示の部屋から出られなくなりそうだったところを、瞬が無言で再びオレの背中をぐいぐい出口に向かって押し出してくれた。
 背中に感じる瞬の手のひらのあたたかさが心強かった。

 別室で、ひめゆり学徒隊の生存者の体験談話を引き継いだ説明員さんから、話を聞く。
「友達が自分に呼びかけて『ここから動けない』と言ったそうです。
 でもその友達を見ると、その下半身は直前の機銃掃射で飛ばされていてもう何もなくて、上半身だけになっていたと」
 想像を絶する戦争体験談に、オレはずっと涙が止まらなかった。
 宿泊先のホテルに着いて、順に風呂の時間、夕飯の時間が過ぎていく。
 夕飯の時間は、ステージ上で有志による出し物の時間があり、ダンスが多くて盛り上がった。
 あっという間にクラスに馴染んだ瞬とよく一緒にいたおかげで、オレもこの一か月の間に徐々にクラス全体に馴染めるようになり、夕飯の時間を楽しく過ごせたのが地味にうれしかった。
 その代わり、トゲトゲしい言葉は口だけで、実際は極度のビビリということが全員にバレたけど。

 班に割り当てられた部屋に戻った後、喉が渇いたなと思って自販機コーナーに水を買いに行った。
 この自販機コーナーは、狭いスペースに自販機が3台並んでいる。
 そこに入ろうとすると先客がいて、話し声が漏れていた。
「そんなことないって!」

 瞬だった。

 スマホで誰かと電話をしている様子だったが、オレの存在を視界にとらえると、まるで恐ろしい生き物に出くわしてしまったかのような怯えた目をした。

 瞬はスマホを持っていない空いている手で口元を押さえながら、オレの横を素通りして足早に自販機コーナーを出て行った。
 ぽかんとして遠ざかる背中を見送る。

 オレ、瞬が怯えるようなことをしたっけ?

 自分で自分に問いかけたけど、思い当たることは何もなかった。
 それでも、瞬の態度で深く傷ついている自分がいた。
 あんなの、今まで見たことなかった。

 とりあえず水を買って部屋に戻る。
 窓際の椅子とテーブルのあるスペースに行き、真っ暗な海を窓越しに見つつ、椅子に座ってぼんやりしながら水を飲んだ。
「ワタルもカードゲームしない?」
 班のやつに声をかけられたが「オレはいいや」と断った。

 しばらくしてから部屋に瞬がたずねてきた。
「ワタル、今ちょっといい?」
 部屋の外に出る。
 廊下は声が響くので、さっきの自販機コーナーまで二人で歩いて向かった。

「さっきはごめんね。
 ちょっと恋人とケンカしちゃって。
 会話を誰にも聞かれたくなくて、ワタルを無視したみたいになっちゃった」
 瞬の行動の理由が分かって、ほっとする。
「気にすんな、オレは大丈夫だから。
 それより彼女と早く仲直りできるといいな」
 そう声をかけると、瞬が泣きそうな顔をした。

「どうした?」
「遠距離恋愛って難しいね……」
 瞬がぽつりとつぶやく。

「そうだろうな。
 オレはしたことないし、ってか、彼女もできたことねえけど!
 物理的な距離が開くと、不安になるんだろうな」
「俺の恋人もそうみたい」
「こればっかはさ、瞬にどうこうできるもんでもないだろ。
 ユカリ見てて思うけど、女の子って気持ちが不安定になりやすいもんな。
 何かホルモンの影響? とかもあるんだろ?
 だから瞬は考えすぎない方がいいぞ。
 まあ、恋愛すらしたことねえオレが言っても、って感じだけど」
「ううん、そんなことないよ。
 ありがとうね」
 瞬の表情が少し落ち着いたように見えたので、部屋に戻ろうとしたそのときだった。

「ワタル、あのさ」
「なんだ?」
「ちょっと……お願いがあるんだけど」
「いいよ、何?」

「ハグしてもいい?」

 瞬の瞳が揺れていた。
 もしかして瞬も不安なのかな。
 ハグすると何とかっていう幸せホルモンが出るって聞いたことがある。

「ん、いいぞ」
「ありがと……」
 ぎゅっと瞬に抱きしめられる。
 近づいてみて分かる。
 オレより瞬の方が背が高い。
 同じホテルのシャンプーとボディソープを使ってるはずなのに、オレとは違ういい匂いもする。

 違う、これ、瞬のパジャマの匂いだ。

 それに気づいた瞬間、カッと自分の顔に熱が集まったのが分かった。

「し、瞬の方がオレより身長でかいんだな」
 照れ隠しのために話しかけた。
「そうだね。
 ワタルより10センチくらい高いかな?」
 瞬がオレの頭を押さえて自分の頭の高さと比べていたが、
「ワタルの髪の毛って、これパーマ?」
 いつの間にかオレの髪の毛を真剣に両手で触りはじめる。
 柔らかい手つきでオレの髪をふんわりかき上げたりするから、なぜか鼓動も早くなってくる。
「そうだよ。朝のセットが楽でさ」
 茶髪のスパイキーショートヘアのオレは、ゆるめのパーマをかけている。
「お前のはマッシュヘアだろ?」
 お返しにと、瞬の黒髪を触る。
 サラサラの髪の毛だった。
 感触が気持ちいいのでずっと触っていたくなる。
「うん、シースルーマッシュ。
 ストレートとかはかけてない」
「これ地毛なんだな」

 瞬の顔を見上げると、思いのほか顔が近くて、今度はどくんと一回心臓が跳ねた。

「ワタルの頭の高さが俺の目線くらいだね」
 そう言いながら、さっきまでの怯えた目ではなくて、いつもの優しい目が弧を描いている。

 瞬の目に釘づけになる。
 吸い込まれそう……。

 意識が遠のきそうになったが、すんでのところでハッと正気に戻った。

「も、もう、ハグはいいか?」
「うん、ありがとう。助かったよ」
 ようやく身体を離す。
「じゃーな!おやすみ!」
 瞬の部屋とは反対方向にある自分の部屋に向かった。
 顔の熱は全然冷めない。
 心臓があんなに存在を主張してくる経験は初めてだった。
「おやすみ」
 遠くで瞬の声を聞いた。
 修学旅行二日目は、午前中はグラスボートに乗って海の中を観察した後、宿泊しているホテルのプライベートビーチに戻り、午後はシュノーケリングかダイビングを選択して、数クラスごとに交代で体験した。
 一度潜ったらしばらくは水中に居続けなければいけない状況が恐ろしかったので、消去法でシュノーケリングを選択する。
 シュノーケリングで遠くから魚を見ているくらいがビビリにはちょうどいい。
 ちなみに瞬はダイビングを選択していた。
 アグレッシブだなと感心する。

 待ち時間は、クラスごとにビーチフラッグ大会が開かれ、優勝者には特別にバナナボートに乗せてもらって海上散歩を楽しめる権利が付与されることになっていたが、バナナボートに乗りたくないがためにわざと負けた。
「ワタル、わざと負けたでしょ」
 ビーチフラッグで負けた人は、シュノーケリングとダイビングの番が回ってくるまで自由時間になっていたので砂浜に座っていると、同じく負けた瞬が隣に座ってきて見透かしたように言ってきた。
「バナナボートには乗りたくない。
 あれは結構揺れるから」
 他のクラスの優勝者がバナナボートに乗っている姿を見てぞっとした。
 勘弁してほしい。

 ホテルのプライベートビーチでは、スピーカーからヒットソングが途切れなく流れていた。
 このビーチの砂浜の砂は小さい頃に公園で遊んだ砂よりも細かく柔らかくて、思わず砂遊びをしたくなり、幼児の気分になって遊んでしまう。
 周りを見渡すとそれは同級生みんな同じで、砂の中に男友達の顔以外を埋め、胸部分に大きな山を二つ作っているやつらもいた。

「あ……」
 瞬が暗い顔になる。
「どした?」
「この曲、恋人が好きな曲でよく聞いてたから、恋人のこと思い出しちゃって」
「そうか」
 砂で遊ぶ手を止めて、瞬の隣に黙って座り直す。

「じゃあ、この曲の思い出をちょっとだけ増やそうぜ。
 オレと一緒に沖縄の海で聴いたっていう」
 瞬の顔をのぞき込む。
「うん、ありがとう。
 ワタルは優しいね」
「や、やめろよ!
 そんなことないし!」
「なんで優しいねって言われて怒るの?」
 瞬がふっと笑う。
 反して、オレの頭にはカッと血が上る。

「恥ずかしいからに決まってんだろ!」

「あはは、ワタル可愛い」

「はあ!?
 もう、マジ怒った!
 瞬、来い!
 相撲で勝負だ!」
「えー、勝負つける必要ないのに相撲するのヤダ」
「ヤダじゃない!」
 瞬を身体ごと無理やりずるずると引っ張って行き、同じ班の友達に行司役を頼む。
 この友達は柔道部に入っていて、小学生のころにちびっこ相撲で優勝したことがあると言っていたのを思い出したのだ。
「はっけよーい、のこった!」
 行司役の掛け声を合図に、瞬に向かってがっぷり組みに行った。
 はずだった。
 それなのに、気づいたら投げられて土(ここは砂浜だから砂?)がついていた。
「はい、ただいまの勝負、上手投げで瞬の勝ちー!」
 おかしい。
 ヤダって言ってたやつに負けた。
 なんで。
 納得いかない。


 昨日と同じように風呂と夕飯の時間が過ぎ、それぞれの班の部屋にこもる。
 瞬からスマホにメッセージが届くけど、どうしても昼間のことが頭をよぎり、拗ねた内容を返信してしまう。
『ワタル、そっちの班は今何してる?』
『相撲で勝った力士に何も言うことはない』
『相撲で負けたこと、まだ根に持ってる?』
『持ってませんけどー』
『もう、しょうがないでしょ?
 実力の差なんだから』
『何の実力だよ!
 元相撲部かよ!
 相撲ヤダって言ってたやつがなんで勝つんだよ!
 納得いかねえ』
『思いっきり根に持ってるじゃん』
『いや、オレは納得がいってないだけだ。
 ちゃんとした理由がないのが問題なんだ』
『はいはい、じゃあ理由ね。
 俺、負けず嫌いなんだよね。
 だから、売られた勝負は買って勝つ主義なの。
 これでいい?』
『いいわけねーだろ!
 やっぱ納得いかねー!!』
 オレはスマホを布団の海に放り投げた。
 瞬にむかついたので、しばらく班のやつらと一緒にカードゲームに興じる。
 幼い妹や弟のいるやつが、トランプの他にも、具材を集めて料理を完成させるカードゲームや釣りをして釣れた魚の点数で勝敗を決めるカードゲーム、謎の生き物に名前をつけるカードゲームなどをたくさん持ってきていた。
 メーカーの対象年齢は低く設定されているものの、高校生がやっても普通に面白いので、みんなで夢中になって遊びすぎ、気がついたら消灯時間が近づいていた。
 寝る準備をしていたら、布団の海の中に放流していたオレのスマホのメッセージ着信を知らせる通知がチカリと光る。

『さっきはごめん。
 ねえ、今日もハグしたいけどダメかな?』
 瞬から着たメッセージを確認していたら、いつの間にか部屋では恋バナが始まろうとしていた。
『しょーがねーな。
 じゃあ、昨日と同じ場所に集合』
『ありがと、了解!』

 どうせなら、と最初に口火を切って落とす。
「オレ、そもそも人を好きになったことない。以上」
「えっ、それだけ?!」
「ワタル、早っ!」
「ワタルどこ行くん?」
「水買いに行く!」
 そう言い残して部屋を出た。

 自販機コーナーに行くと、うれしそうに瞬が待っていた。
「部屋で恋バナ始まった。
 興味ないし、帰りたくねえ」
 そう言うと、昨日と同じようにぎゅっと抱きしめてくれる。
 瞬の体温は心地いい。
「ワタルは人を好きになったことがないんだっけ」
「うん」
「そっかあ。
 結構いいもんだよ、人を好きになるって」
「彼女とケンカ真っ最中のやつに言われても説得力ねえな」
 正論を返してやる。
「はは、確かにそうかも」
 寂しそうな声だった。
 こういう寂しげな空気をまとうとき、オレにはいつも瞬が壊れそうに見える。

 ふと思いついて、聞いてみる。
「なあ、人を好きになったら、どんな気持ちになんの?」
「説明するとなると難しいな。
 そうだなあ、その人のことを考えるとドキドキふわふわしたり、その人の行動で一喜一憂したり、少しでも長く一緒の時間を過ごしたくなるし、その人のことを独占したくなったり、その人に触れたくなったりもするかな。
 感情の浮き沈みが激しくなるっていうのもあるかもね」
「それって、結構疲れそう」
「そうかもしれないけど、今まで知らなかった新しい自分に出会えて、世界の見え方がガラッと変わったりするのは間違いないよ」
「ふーん?」
 瞬の腕の中で、あんまり納得できなかった。
「だからさ、ワタルも、いつか人を好きになれるといいね」
「いつにやるやら分からんけどな」
 そんな気配は一向にないけど。
「いつでもいいんだよ」
 瞬がポンポンとオレの背中を優しく叩いてハグを終える。
 なぜか胸の中がぽかぽかしていた。

「ありがとね、ワタル」
「またいつでも呼べよ。
 じゃあ、おやすみ」
 どういたしましてと同じ意味のつもりで「またいつでも呼べよ」と言ってしまったことに後で気づいたが、まあいいかと大して気にすることなく、お互い手を振ってそれぞれの部屋に戻った。
 部屋ではまだ恋バナが続いていたが、身体の血流がよくなったような気がして眠気がどっと押し寄せ、早々と布団にもぐり込む。
「あれ、ワタル、水は?」
 すっかり買うのを忘れていた。
「自販機のところで全部飲み干してきた!」
「えー、少しもらおうと思ってたのにー」
「おやすみ!」

 正直、今日は海で遊んだせいか、昨日よりも眠くてたまらなかった。
 眠りに落ちるとき、昼間に瞬に言われた「ワタル、可愛い」という言葉だけが急に耳に蘇ってきて、うとうとしながら、可愛いのは瞬の方だろ……と思った後は記憶がない。
 修学旅行三日目は、国際通りで自由時間を過ごし、その日の午後に那覇空港から帰路に着く予定となっている。
 この日は班行動のみなので、瞬としっかり顔を合わせるのは、朝食の時間を除くと那覇空港に着いてからになっていた。

『ワタルが写ってる写真を撮ったら、その都度俺に送ってほしい』
『なんでだよ。
 送るとしても、後で飛行機の中でまとめてデータ送ればよくね?』
『なんでかリアルタイムでワタルの写真がほしいと思って』
『意味分かんねえわ!
 まあいいけど。
 じゃあ、瞬も同じように送ってこいよ?』
『もちろん!』
 瞬からの謎のリクエストに応えて、自分を含めた班のやつとの集合写真を、撮ったらその都度逐一送ってやる。

『ワタル単体の写真が欲しい』
『リクエストがさらに謎でめんどいんだが!!』
 とメッセージを返しておきながら、律儀にもう一回リクエストどおりに写真を撮って送ってあげる自分は本当にえらいと思う。

 瞬からも写真がその都度送られてきたが、これがなかなか、班が違うのに一緒に同じ時間を過ごしている気分になれた。
 それと、瞬単体の写真が送られてくるので、自分と瞬の二人で自由時間を回っている気持ちになる。
 これ、ナイスアイディアじゃん!
 結構それが楽しくて、フォトスポットでもないのに写真を撮っては送りまくった。

 ネットで調べた有名なソーキそばのお店にも行ったし、母ちゃんとユカリから買ってこいと命令を受けていた有名店のちんすこうも一番大きい箱のやつをゲットできたし、満足して自由時間を終えた。

 最寄りの空港についたのは夕方だった。
 母ちゃんが車で迎えに来てくれたので、瞬にも声をかけ、母ちゃんの車に同乗させて帰ることにする。
「ワタルも瞬くんもおかえり!」
「はい、ただいま帰りました」
「ちゃんと母ちゃんとユカリの言ってたちんすこう買ってきたぞー」
「やったね!
 食べるの楽しみー!」
 母ちゃんは沖縄土産を楽しみにしていたらしく、ウキウキしていた。
 後部座席の運転席の後ろに瞬が座り、オレが助手席の後ろに座る。
 ウキウキ気分の母ちゃんに色々話しかけられたけど、あまりにも疲れていて、上の空で答えながら知らないうちに二人とも眠っていた。
 気がついたら家の前にいた。
 車の中で、なぜかは分からないが、右手があったかい肉まんに包まれる夢を見た気がした。
 11月の終わりだった。

 この日、一日中瞬の元気がなかった。
 それに目も明らかに腫れていた。
 夕飯を食べていても、ほとんど手をつけていない。
「あら瞬くん、今日は食欲ないの?
 それとも今日のメニューがお口に合わなかった?」
「いえ、食欲がなくて。
 すみません、せっかく作っていただいたのに。
 ワタルがご飯を食べ終わったら話したいことがあるので、ワタルの部屋で待ってもいいですか?」
「そうだったのね。
 もちろんいいわよ!
 じゃあおにぎり作るから、それ持って帰って。
 後できっとお腹すいちゃうだろうから」
「いつもありがとうございます」
 母ちゃんがオレの部屋で待つことを許可する。
 って、そこは許可権者オレだろうが。
 ただ、瞬の話したそうなことは何となく予想がついていた。

「お前、彼女と別れたんだろ」
 自分の部屋に戻って、ズバリと核心をついてやる。
「分かるよね……」
 力なく笑う。
 左薬指に指輪がなかったことも決め手だった。
「振られたんだろ?」
 沈んだ顔でうなずく。
「いつも誰が隣にいるんだろうって考えるのがつらいって。
 これまで毎日一緒にいたのに、会えないのが寂しすぎて耐えられないって。
 俺のことを信じきれなくなったって言われた」
「そっかー」
 あえて明るく返す。

「あのさ……ワタルにずっと隠してて言えなかったことがあるから、聞いてほしい」
「おう、わかった」
 神妙な顔をして瞬の言葉を待った。

「本当はさ、俺の恋人……男なんだ」

 瞬はぼろぼろ涙をこぼしながら、聞いただけで分かるくらいに声が震えていた。

 オレは目を見開いて
「そ、うなんだ」
 と言ったきり、思わず目をそらす。

 想像したこともなかった。
 てっきり彼女だと、相手は女の子だと思い込んでいた。
 でも。

「気持ち悪いと思った?」
「全く思わない!」

 大声で否定する。
 それだけは即答できた。
 むしろ……

 えっ、むしろ何?

 自分自身の思考が予想外の方向へ飛んで行ったことに驚きを隠せない。

 もっとも、それに続く言葉を今のオレは持ち合わせていなかったらしく、自分の中に湧いてきた言葉はそこまでだったので、結論が何だったのか分からないままだけど。

「修学旅行で彼氏とケンカした原因は、SNSに上げたワタルとのツーショットをさ、彼氏に誤解された。
 俺の顔つきが、他の男と一緒にいるときとワタルと一緒にいるときとで違うって言われて。
 だからあの日の夜にワタルと会ったとき、ワタルの近くにいるとさらに彼氏に誤解されるかもと思って変な態度取った。
 ごめんね」
「大丈夫、気にしてないから」
 あのときの裏事情を知らされ、瞬の当時の心境を考えると、あの態度は当然だと納得できたし、彼氏の勘違いした理由に、なぜか満更でもない気持ちになった。

「俺の何がいけなかったんだろう……」
 瞬がうなだれる。
「しょうがないよ。
 そういうこともあると思う。
 瞬だけの問題じゃないだろ?
 そうとしか捉えられなくなった彼氏の問題でもあるだろ?」
 オレは瞬の肩を抱いて、瞬の頭に自分の頭をくっつけて寄り添った。

「好きな気持ちだけじゃ、うまくいかないんだね……」
 笑いながら涙を流し続ける瞬が痛々しい。
「それが分かっただけでもすごいと思うぞ」
「……うん、新しい学びだった……」

「オレには分かんないけど、瞬は新しい自分に出会えたんだろ?
 だったらそれでいいじゃん。
 自分の幅が広がったってことなんだから。
 それにほら、原石に傷をつけて磨くから、あんなに宝石ってキラキラ光るんだろ?
 だから、今の瞬は、宝石になるためにめちゃくちゃ磨かれてるってことだろ?
 これからの瞬は宝石になるんだよ」

 どこかで読んだり見たことあるようなことを、一生懸命に思い出して伝える。
「うん、宝石になれるようにがんばる……」
「もうすでに磨かれてるんだから、何もしなくてもなれるんだよ。
 ただ瞬は待っていればいいよ」
 オレは優しく語りかけた。

「うん、待ってる……。
 ありがと、ありがとう、ワタル……」
 瞬が泣きながら抱きついてくる。
 オレも背中に手を回した。

「ひとつの旅が終わったな。
 お疲れさん、ゆっくり休めよ」
 瞬が嗚咽を漏らしていよいよ本格的に泣きはじめた。
 背中に回した手に力を込めて、オレは自分の方に瞬をさらに抱き寄せる。

 今この瞬間だけはオレの体温だけを感じていればいい。
 お前のことはオレが癒してやる。
 他のことは、今は考えなくていいから。
「今日は泊まれ。
 家に帰ったらまたひとりで泣くだろ?」
 強めに説得する。
「そうしようかな」
 それでいい。
「いい子だな」
 頭を撫でてやる。
「子ども扱いやめろって」
 瞬が無邪気に笑った。

「母ちゃん、今日瞬がうちに泊まるから」
「はーい、いいよ!」
 相変わらず母ちゃんは瞬に弱い。


 オレの部屋で寝ることになったはいいものの、布団でオレが寝ることにして、ベッドは瞬に譲ったのに、瞬がそれでは寝られないと頑なに拒むので、折衷案として、狭いけど二人ともベッドで寝ることになる。
「狭くない?」
 瞬に聞くけど、
「大丈夫」
 と返ってきたのでそれ以上は気にしないことにした。

「ハグする?」
 オレから聞いてやる。
「する」
「ほい」
 腕を広げて瞬が来るのを待つ。
 これまでのハグは瞬がオレを上から抱きしめていたので慣れないのか、おずおずと瞬が抱きついてきた。
「ワタル」
「なに」
「俺さ、ワタルの存在に救われてる」
「うん」
「俺、抱き枕がないと眠れないんだ。
 ときどきぬいぐるみも抱いて寝てるけど。
 17歳にもなって、って笑う?」
「笑わない。
 瞬にぬいぐるみ似合うし」
「何だよ、それ」
 おかしそうに笑う。
「修学旅行のときにワタルにハグしてもらったのは、抱き枕の代わりにお願いしたことだった」
「そりゃあ、修学旅行に抱き枕とぬいぐるみは持って行けないもんな」
 持ってきてたら色んな意味で事件になってる。
 いや、その前に荷物が大きくなりすぎてそっちでアウトか?

「眠れない理由があるんだろ?
 言わなくてもいいけど」
「……小さいときに親が離婚してるんだけど、俺の母さんってすげー気が強い人で。
 一緒に住んでいたときも甘えられなかった。
 離婚した後は、父さんも家にほとんどいないし。
 だからかな。
 俺、寂しがり屋なんだよね。
 うさぎみたいだよな」
「だからって何の問題もないじゃん」
「転校初日にワタルの家に初めて行ったとき、ワタルとワタルのお父さんの距離の近さが正直うらやましかった」
「そっか。そうだったか」
 瞬を抱きしめながら、またそっと頭を撫でてやった。
 何度も撫でては、その髪の毛のサラサラ具合をこっそり楽しんでしまうけど。

「今から言うことに引かないでくれる?」
 こっちに内容が分かんねえのにそう言ってくるってことは、引かれることを言う自覚があるんだろうな、と悟る。
「分かった」
 とにかく先を促す。

「引っ越すまではさ、当時の彼氏と……ほぼ毎日身体を繋げてた。
 性的な意味で。
 俺んち、人いないから。
 だから寂しくなかったんだけど」

「なるほどね」
 依存なのかもしれない、と思った。
 瞬がときどき壊れそうに見えたことがあったのは、壊れはじめているからかもしれない。

「引いた?」
 恐る恐る聞いてくる。
「引かねえって、さっき約束しただろ」
「よかった」
 瞬の身体から力が抜ける。

「まあ、いいきっかけにすれば?
 寂しさとどう向き合うかについての」
「そうだけど……どう向き合えばいいのか、全然分からない」
「それはこれからおいおい考えようぜ。
 オレも一緒に考えてやるから」
「頼りにしてる」
 安心した声色が聞こえて、オレも気持ちがほどけた。

「そろそろ寝な。おやすみ」
 そう言ってハグしていた腕を離し、瞬に背を向けた。
 大丈夫。
 壊れそうなうさぎのことは、オレが守ってやる。
 クリスマスは、うちで瞬と一緒にパーティーをした。
 母ちゃんは、オレの二学期の期末テストの点数が中間テストと同じレベルを維持できたのは瞬のおかげだと信じて疑わず、いつでも瞬を大歓迎している。
 そしてそれはとても正しかった。

「今日も泊っていくだろ?」
 もう冬休みに入っていた。
「うん、そうする」
 へらっと瞬が微笑む。

 瞬が泊まるときは、あれ以来オレのベッドに二人で寝ている。
 抱き枕の代わりのハグは毎回していたけど、それは寝る前だけだった。
「今日はクリスマスだから、ワタルに抱きついたまま寝てみても、いい……?」
 理由づけはよく分からんが。
「……っいい、ぜ」
「やっぱり嫌かな?」
 言葉に詰まったオレの空気を読もうとする。
「違う違う!
 されたことないから、単に緊張してるだけ」
「ふふ、うれしい。
 ありがとう、いつも俺のお願い聞いてくれて。
 俺もワタルのお願い、いつでも聞くからね」
 いいえ、テストの点を引き上げてくれているだけで十分です。
 それだけで母ちゃんの機嫌がいいのだから。
 でも、人間、貪欲に生きたいので、いつかお願いは聞いてもらうつもりだ。

「オレ、壁向いて寝るのが癖だから、後ろから瞬に抱きついてもらったまま寝るのでもいいか?」
「うん、全然問題ないよ」
 後ろから抱きしめられる。
 普通に抱きついていたらオレの身体の下敷きになりそうな腕は、肩口からオレの身体の前に腕を回していて、器用なことをするもんだと感心する。
 というより、慣れているのかもな。
「じゃあ、お願い事ができたら、そんときはよろしくな」
 抱きついている瞬の両手の甲に、自分の手のひらをこれまた両手とも上から重ねた。
 あ、手の甲は冷たいんだと思った瞬間、オレの後ろでもうひとつの身体がびくりと強ばる。

「瞬、どうした?」
 首だけ後ろに向ける。
「ううん、ハグしているときに手を重ねられたことなかったから、びっくりして。
 でもそうしてもらえると、あったかくて気持ちいい」
「よかった、オレも抱きついてもらってるからあったかいよ。
 人の温もりっていいもんだな」
「そうだね。
 ワタル、おやすみ。
 いい匂いする……」
 オレの首筋に顔をつけて、大きく息を吸い込みながら瞬が言う。
 耳元で囁かれ、瞬の鼻先や唇が首筋に触れて、くすぐったさを感じるのと同時にどくどくと心臓が波打ち、ひとり緊張する。
 手のひらにじわりと汗がにじみ、緊張が気づかれていないか内心ひやひやする。
「……っ!
 おやすみっ」
 落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け……と、羊を数えるかのように落ち着けという言葉を心の中で連呼し続けた。
 人の気も知らずに、この日の瞬の寝つきは過去最速で、1分後には静かな寝息が聞こえていた。
 瞬のお父さんは、仕事内容に夜勤が含まれているらしく、休みの日は不定期だったが、12月31日と1月1日だけは連続して休みが取れたらしい。
 年越しは瞬もうちに来て一緒にする予定だったが、父ちゃんも母ちゃんも「瞬くんのお父さんも呼んで!」と言うもんだから、どうだろうと言いつつ誘ってみたところ、瞬のお父さんもうちに来てくれることになった。

 瞬のお父さんは眼鏡をかけた見るからに温和そうなおじさんで、「いつもいつも瞬が夕飯をごちそうになっていてすみません」と言いながら、二人でお酒やらカニやらウニやらアワビやらA5ランクの牛肉やらの高級食材をたくさん持ってうちに来てくれた。
 父ちゃんと母ちゃんは瞬のお父さんと一緒にお酒を飲めて大喜びだった。
 そして、六人で年越しのカウントダウンをした後、瞬のお父さんがオレとユカリにお年玉をくれた。
 なんと二万円入っていた!
 一回のお年玉では過去最高金額!
 ちなみに親と瞬には金額を言っていない(後で聞いたらユカリも全く同じ行動を取っていた。兄妹おそるべし)。

 他人と話して笑っているお父さんを見て、瞬がすごく幸せそうな顔をしていた。

 瞬はうちに泊まることになっていたので、夜中3時ころに一足早く瞬のお父さんだけ帰宅する。
 さすがにそのころには眠くなり、二人でベッドに潜り込んだ。
 いつものようにハグをしながら、瞬が安心したように言う。
「今日、久しぶりに父さんがニコニコしながら他人と話をしている姿が見れてうれしかった」
「そうか。よかったな」
 ふわふわした黒髪を撫で、その繊細な触り心地に酔いしれる。

「なんでか分かんないけど、今日はあんまり寂しくないや」

 その言葉を聞いてある種の確信を持ちつつ、お父さんを見ていた瞬の表情を思い出しながら、自分の思ったことを素直に伝えてみる。
「お前の寂しさって、親に自分の気持ちを伝えられていないところから来ている気がするんだよな」
「……そう、なのかな」
「うん、だからさ、寂しいってことだけでも伝えてみたらいいと思うんだけど、難しいか?」
 少しの間、瞬が押し黙る。
「……父さんに負担かけちゃったり、心配させるのは気が引けて」
「でもさ、オレたちまだ子どもだよ?
 親に負担かけたり心配かけたりはしてもよくね?
 オレの父ちゃんと母ちゃんって、小さいときから事あるごとにオレとユカリに言うんだよ。
 『親の立場からは、勝手にひとりで抱え込んであんたたちだけで苦しむのはやめてほしい』って。
 『嫌なこととか苦しいことがあったら一緒に解決できるように考えるから、絶対に教えてね』って。
 もちろん、ひとりだけでやれって言わないよ。
 オレもそばにいて、フォローするからさ。
 それとも、瞬のお父さんって、子どもの言うことを聞いてくれないタイプの大人?」
 瞬が首を横に振る。
「ううん、それはない。
 父さんは俺の話を聞いてくれると思う。
 でも、そうかもしれない。
 いつの間にか、父子家庭の生活をしていく中で、いつも忙しくて疲れている父さんに何かを伝えようとすることを諦めてしまっていたかもしれない」
 オレはさらに、明日は必ず瞬のお父さんが休みなんだから、明日言うべきだと強く勧めた。
 瞬がうなずいたので、全力でフォローすることを決意する。

 その日はそんな話をして二人とも気が高ぶっていたせいか、クリスマスのときのように後ろからではなく、前からハグをしたまま寝てしまっていたけど、もうどこからハグされようがどんな形でハグしたまま寝ようがまったく気にならなくなっている自分がいた。

 瞬とゼロ距離でいられることが心地よくて。
 瞬に触れていることで、特別な何かを自分だけに許されているような気がして。
 身体中がじわじわむずむずしてきて、それは不快なものではなく、こそばゆさに近かった。