修学旅行一日目は、午前7時30分に空港に集合し、飛行機で沖縄に移動する。
瞬は飛行機に乗るのに慣れていて、保安検査場も難なく通過していったけど、オレはベルトだ何だと何回も引っかかり、それだけでもう疲れてしまう。
「初めて乗るけど、飛行機って乗るまでにこんな苦労すんだな」
「最初は誰でもそうだよ。
そうだ、搭乗するときにCAさんが入り口で配る飴はもらった方がいいよ。
気圧が変化するから、初めてなら耳が詰まるのが気になるかもしれない」
「サンキュ。もらっとく」
「きっとビビリのワタルには、これからびっくりすることばっかり起きると思うよ」
「うるせえ」
くすくす笑いながらそう言われて、多分それは当たる気がしてくるのが嫌なところだ。
瞬とは班が離れていたが、たまたま行きも帰りも通路を挟んで隣同士の席になる。
案の定、飛行機が離陸するとき、ぐんと重力がかかったことに声も出せずに驚き固まったのを、通路の向こうで瞬が笑いをかみ殺して見ていた。
耳の詰まりも瞬の予想どおりで、オレがパニックになって食べた飴をすぐに噛んでしまったので、代わりに瞬がCAさんから追加の飴をもらって手渡してくれる。
ベルト着用サインが外れた後、他の客の迷惑にならない程度に、瞬はオレともそれ以外のみんなとも写真を撮ったりしていた。
おやつを食べようとして、バッグから取り出したポテチの袋がぱんぱんに膨らんでいることに衝撃を受ける。
「瞬、これ見て!」
「気圧の変化のせいだね。
それ何回見ても不思議だよねー」
何度も経験しているらしい。
「お前の反応、面白くねえな」
「飛行機については驚きも何もないからねえ」
沖縄に着くと快晴だった。
10月終わりともなると、オレたちの住んでいるところは肌寒いほど気温が低くなる日もあったが、沖縄は最高気温も最低気温もほとんど差がなく25度以上の気候がまだ続いていた。
とにかく日差しが強すぎる。
今日の予定は沖縄県平和祈念資料館とひめゆり平和祈念資料館だ。
観光バスで那覇空港から糸満市に向かう。
バスから見える景色は、一見するとオレたちの住んでいるところと同じように見えるけど、所どころに伝統的な赤瓦を白い漆喰で固めた三角屋根の家屋が見える。
標識に書かれている地名が沖縄にいることを強く感じさせた。
沖縄県平和祈念資料館の、沖縄戦で亡くなった方のご遺体の写真が集中して展示されている区域では、何の罪もない一般市民がこんなにたくさん亡くなるむごいことが現実に起きたというその衝撃と、この写真に写っている人たちはもうこの世にいないのだという空虚さと、写真を撮影していたアメリカ軍の従軍カメラマンはどんな気持ちでご遺体にカメラを向けたのだろうという全く理解できない気持ちと、他にも自分の中から次々と湧いて出てくる様々な感情に押しつぶされそうになり、足の裏が接着剤で床にくっつけられたみたいにその場所から動けなくなってしまった。
「ワタル、前に進もう。
後ろがつっかえてる」
瞬がそっと声をかけて両手でオレの背中をぐいっと押してくれ、ようやくその区域から離れることができた。
「瞬、ありがとう」
「どういたしまして」
「オレ、動けなかったんだ」
そうつぶやいた途端、ぽろっと涙がこぼれて自分でも驚いてしまう。
「繊細なワタルには刺激が強い展示だったかもね」
そのままぐいぐい背中を押してオレを後ろから動かしながら、瞬は言った。
ひめゆり祈念資料館では、ひめゆり学徒隊として動員され亡くなった女学生の遺影が壁際にずらりと並んでいる展示室があった。
「鎮魂」と名付けられたその展示室は、亡くなった方を弔うための部屋で、弔いの音楽が静かに流れている。
ひとりひとりの亡くなった状況や性格が遺影の下に書かれており、オレたちと年齢もそう変わらない人が犠牲になった沖縄戦に対する義憤にかられるのと同時に、亡くなった人に対して理由のない申し訳なさでいっぱいになり、その展示の部屋から出られなくなりそうだったところを、瞬が無言で再びオレの背中をぐいぐい出口に向かって押し出してくれた。
背中に感じる瞬の手のひらのあたたかさが心強かった。
別室で、ひめゆり学徒隊の生存者の体験談話を引き継いだ説明員さんから、話を聞く。
「友達が自分に呼びかけて『ここから動けない』と言ったそうです。
でもその友達を見ると、その下半身は直前の機銃掃射で飛ばされていてもう何もなくて、上半身だけになっていたと」
想像を絶する戦争体験談に、オレはずっと涙が止まらなかった。
瞬は飛行機に乗るのに慣れていて、保安検査場も難なく通過していったけど、オレはベルトだ何だと何回も引っかかり、それだけでもう疲れてしまう。
「初めて乗るけど、飛行機って乗るまでにこんな苦労すんだな」
「最初は誰でもそうだよ。
そうだ、搭乗するときにCAさんが入り口で配る飴はもらった方がいいよ。
気圧が変化するから、初めてなら耳が詰まるのが気になるかもしれない」
「サンキュ。もらっとく」
「きっとビビリのワタルには、これからびっくりすることばっかり起きると思うよ」
「うるせえ」
くすくす笑いながらそう言われて、多分それは当たる気がしてくるのが嫌なところだ。
瞬とは班が離れていたが、たまたま行きも帰りも通路を挟んで隣同士の席になる。
案の定、飛行機が離陸するとき、ぐんと重力がかかったことに声も出せずに驚き固まったのを、通路の向こうで瞬が笑いをかみ殺して見ていた。
耳の詰まりも瞬の予想どおりで、オレがパニックになって食べた飴をすぐに噛んでしまったので、代わりに瞬がCAさんから追加の飴をもらって手渡してくれる。
ベルト着用サインが外れた後、他の客の迷惑にならない程度に、瞬はオレともそれ以外のみんなとも写真を撮ったりしていた。
おやつを食べようとして、バッグから取り出したポテチの袋がぱんぱんに膨らんでいることに衝撃を受ける。
「瞬、これ見て!」
「気圧の変化のせいだね。
それ何回見ても不思議だよねー」
何度も経験しているらしい。
「お前の反応、面白くねえな」
「飛行機については驚きも何もないからねえ」
沖縄に着くと快晴だった。
10月終わりともなると、オレたちの住んでいるところは肌寒いほど気温が低くなる日もあったが、沖縄は最高気温も最低気温もほとんど差がなく25度以上の気候がまだ続いていた。
とにかく日差しが強すぎる。
今日の予定は沖縄県平和祈念資料館とひめゆり平和祈念資料館だ。
観光バスで那覇空港から糸満市に向かう。
バスから見える景色は、一見するとオレたちの住んでいるところと同じように見えるけど、所どころに伝統的な赤瓦を白い漆喰で固めた三角屋根の家屋が見える。
標識に書かれている地名が沖縄にいることを強く感じさせた。
沖縄県平和祈念資料館の、沖縄戦で亡くなった方のご遺体の写真が集中して展示されている区域では、何の罪もない一般市民がこんなにたくさん亡くなるむごいことが現実に起きたというその衝撃と、この写真に写っている人たちはもうこの世にいないのだという空虚さと、写真を撮影していたアメリカ軍の従軍カメラマンはどんな気持ちでご遺体にカメラを向けたのだろうという全く理解できない気持ちと、他にも自分の中から次々と湧いて出てくる様々な感情に押しつぶされそうになり、足の裏が接着剤で床にくっつけられたみたいにその場所から動けなくなってしまった。
「ワタル、前に進もう。
後ろがつっかえてる」
瞬がそっと声をかけて両手でオレの背中をぐいっと押してくれ、ようやくその区域から離れることができた。
「瞬、ありがとう」
「どういたしまして」
「オレ、動けなかったんだ」
そうつぶやいた途端、ぽろっと涙がこぼれて自分でも驚いてしまう。
「繊細なワタルには刺激が強い展示だったかもね」
そのままぐいぐい背中を押してオレを後ろから動かしながら、瞬は言った。
ひめゆり祈念資料館では、ひめゆり学徒隊として動員され亡くなった女学生の遺影が壁際にずらりと並んでいる展示室があった。
「鎮魂」と名付けられたその展示室は、亡くなった方を弔うための部屋で、弔いの音楽が静かに流れている。
ひとりひとりの亡くなった状況や性格が遺影の下に書かれており、オレたちと年齢もそう変わらない人が犠牲になった沖縄戦に対する義憤にかられるのと同時に、亡くなった人に対して理由のない申し訳なさでいっぱいになり、その展示の部屋から出られなくなりそうだったところを、瞬が無言で再びオレの背中をぐいぐい出口に向かって押し出してくれた。
背中に感じる瞬の手のひらのあたたかさが心強かった。
別室で、ひめゆり学徒隊の生存者の体験談話を引き継いだ説明員さんから、話を聞く。
「友達が自分に呼びかけて『ここから動けない』と言ったそうです。
でもその友達を見ると、その下半身は直前の機銃掃射で飛ばされていてもう何もなくて、上半身だけになっていたと」
想像を絶する戦争体験談に、オレはずっと涙が止まらなかった。